あゆちのびと衆 第一章 その七
硝石
曲銃床の効果は絶大だった。
射撃精度が格段に上がり、それが持続するのだ。濃の四匁より発射衝撃が大きい城備えの六匁でも効果は間違いなく上がった。
曲銃床は、まだ十丁分しか完成していないが、出来た曲銃床を付けた鉄砲で、十人の射手の若者達は、短い訓練で六十間の距離でも、全員が何発撃っても小さな一寸的から一発も外さないようになった。射撃精度が衰えない事は、戦場では非常に重要な事柄だ。
更に繁造が考案した銃架を使えば、特に優れた射手でなくとも命中精度は百発百中が、鉄砲が使用可能な間続くと言って差し支えなかった。銃架の高さを変えれば、最も正確に狙える寝撃ちでも、座り撃ちでも、膝だちでも立ち撃ちでも使える。
信長はそれを見極めてから、天王坊の一益を久しぶりに一人で訪ねた。愛銃と曲銃床、銃架を己の着古した着物に包み、一益が居るであろう、焼き窯へ向かう。
焼き窯の前で一益は、康吉らと、何かの作業をしていた。一益が気づく。
「おっ、お殿様、今、試しに炮烙一つ焼いてるんでっせ・・・まだちいと時かかりますさけ、部屋で茶ぁでもどうだっか」
一益は、信長の包みを見て、何事かを信長が伝えにきたと覚って言ったのだ。
信長が頷き、一益が三人の若者に短く何かを指示して、二人で部屋へ向かう。
信長が部屋にはいるなり、包みを解いて中身を取り出す。
信長は、言葉も発せず、鉄砲の銃床に繁造考案の銃床を嵌め込んでいく。それは勿論、真っ先に繁造が作った、信長の身体に合わせた長さの棒と竹の銃床だ。最後に刀の目釘のような木釘を嵌めてパチッと止めると、無言で一益に差し出す。
一益は訳は解らずとも、鉄砲を受け取り構えてみた。一益は信長より五寸ほど背丈が高いが、肩に竹の半月形床尾を当てても引き金が引けた。
「なんや、塩梅(具合)よろしな・・・どうしはったんいうんか、どう案じて作りはったんだっか」
信長が更に銃架を板敷に立てて、目で指し示す。
一益が銃架の二股部分に銃を載せる。
「へ~っ、こらなんて言うてええか、これは根来でも見たことありまへんえ。こうして構えたら、肩が支えになって、この支え台がまた支えよるから、鉄砲のさだめ硬なりまんな(照準が安定しますね)。寝撃ちがえらいよう(とても良く)当たるんやけど、この支えの丈短かぁして使うたら、もっと当たりまっせ。矢比内(やごろうち=射程内)なら鎧兜の奴輩(比較的身分の高い侍)でも、顔狙うて燻べたら(発砲したら)、必ず一発でゆわせ(いわす=殺せる)まっせ。無駄撃ち減るんはええことでんな。胴薬(黒色火薬)は値高うおまっさかい。やけど、これはお殿様が案じはって(考えついて)作らはったんだっか」
そこで信長は、濃とのやりとりから、銃床の製作に至るまでと、箝口令を家中に敷いた事も含めて事細かに説明した。濃との乳云々(ちちうんぬん)の事は話したくなかったが、そのおかげで聞く気のなかった信長の見聞が早まったのは確かだったから、冒頭に話した。
一益は、う~んと唸ったまま、しばらくは無言だった。
「・・・・お殿様にこんなん言うたらご無礼なんやけど、そのこだくみ人が、己一人で案じた聞いても、信じられへん。その爺の身元はたしかだっか・・・なんやら怪しいでっせ。これらの道具はええもん(良い物)やけど、これ使うて、わてらを外ごとで欺く気ぃやないやろか。案じ過ぎかとも思いまっけど、念入れて、わてがいっぺんお城に忍んで様子探ってみまひょか」
信長は、繁造の背後の光の事は別にして、言われてみればそうだと思い「頼む」と言った。
一益は話しを戻して言う。
「この二つの道具使うと使わんとでとひょうもない違いや・・・こなた(味方)はなんぼ燻べてもみな当たり、かなた(敵)は順に外れが増えてきよる。まあ、ちいと案じて修業(研究)せなあかんけど、これまでみたいな鉄砲の使ひ方では、きさんじ(気の効いた)な鉄砲床があたらしい(もったいない)んやなかろか・・・・まだわいも、試してはおりまへんが、確かやと思いまっせ。戦さのやりようまで変えまっせ。いつかわいにも試させてくんなはれ・・・炮烙もこの二つの道具もかくろへ事(秘密事項)でんな」
一益の言葉は信長の思いと同じだったが、信長はこの時初めて、あまりにも先走った一益の言葉に一瞬だが不快を覚えた。だが、言葉にも表情にも表さない。
曲銃床の付いた信長の鉄砲をまた構えながら、一益が呟く。
「繁造はんはともかく、お方様は観音はんみたいな御人でんな・・・・・なによりお方様の御乳が肝でしたな。手配りが早う出来たさけ」
信長は、真っ赤になってしまい、笑いを噛み殺しながら頷く。不快は消し飛んだ。
それから二日めの昼過ぎ、信長は城内での鍛練を終え、いつもの小姓連を引き連れ野駆けに向かった。
信長の背中には、袋に入れた鉄砲と曲銃床に銃架が背負われている。行き先は鳴海潟(現在の名古屋市緑区鳴海町の辺り)だ。
秋のこの時期は、シベリア辺りで過ごしていた渡り鳥が群れを成して鳴海潟辺りへも飛来してくる。雁や真鴨、白鳥、真鶴にツグミ、稀に鷭もいる。
信長は一益に曲銃床を付けた鉄砲の試し撃ちをさせようとやってきたのだ。那古野城の角場を使わないのは、やはり一益の存在と役割への秘密保持の為で、小姓達だけは、一益が信長に密かに抱えられているのを他言を禁じられた上で知らされている。
一益は、熱田辺りに先回りし、焼き物作りの筒袖単に野袴姿で愛馬に乗り待っていた。
土煙を上げてやってきた信長たちに手を振って合流する。
潟と言うだけあって、遠浅の海辺には、多くの鳥達が舞い降りて、餌の小魚や甲殻類、貝類を啄んでいる。
浜に近い鎌倉街道に連なって生えている松の木に、めいめいが馬を繋ぎ、一番年下の新参の小姓が見張りに残る。
更に一人が近くの鳴海城へ、これから聞こえる鉄砲音は信長一行の狩りだと知らせに走る。
信長達は浜にいて、風が海から吹いているから、鳥達は風上で気づかれにくい。
信長達は一斉に腰の大刀を引き抜き、下げ緒をほどいて背中に背負い、前で緒を結び、脇差しは背中に回す。狩場では、地に伏せる事が多いからこうするのだ。更に全員が、腰にぶら下げた緒道具の内、音を立てるものをその場に置く。
皆、中腰で静かに海に近づいていき、波打ち際ぎりぎりで砂浜に伏せる。
信長から鉄砲などの袋を受け取った一益だけが立ち上がり、まず袋から銃架を出して立て、発砲準備を進める。
最後に犬千代が、火をつけたままぶら下げてきた火縄を一益に渡して準備は終わった。
まだ値高い鉄砲を自分専用に持っているのは、富裕な、例えば生駒八右衛門や、身分有る信長や、信秀、重臣の一部だけで、そもそも鉄砲を卑怯者の道具として馬鹿にし、有効な道具とは認識しない者は身分や収入に関わらず持とうとも思わずにいたのがこの頃の実情だ。それに反して一益や多くの小姓達は、鉄砲が欲しくとも、とても買える値段ではないから諦めていた。
だから、今回も信長の鉄砲を使うほかなかったのだが、幸い曲銃床の長さが、概ね一益に合っていたからこの運びとなったのだ。一益は、信長の鉄砲の癖は、那古野の角場で何度も撃っていたから良く掴んでいる。
五十間先に目立つ大きさの真鶴がいて、信長がそれを指差し、後ろに立つ一益も無言で頷いた。
一益が己の首をぽんぽんと叩いて、獲物の狙撃点を示した。
鉄砲をしっかりと握り、銃床を肩に押し付け、筒先を銃架に載せ、火蓋を切って狙いを定める。
鉄砲は、ほとんど鉄の塊と言っていい道具だ。それを短い銃床を右手で持ち、銃身を左手だけで支えようとしても、並みの大人なら銃身を支え続けるだけでも非常に難しい。重さがほとんど、左手だけにかかるからだ。その状態で発砲して的に当てるのは更に困難な事だ。それが銃架のおかげで銃身は全くさがらない。
頻繁な移動、つまり走り回りながら撃つ事さえしなければ、銃架はずっと使える。この効果は絶大だ。
一益は両目を開けたまま狙う。生駒屋敷で八右衛門の鉄砲を借りて、信長に腕前を見せた時も両目を開いていたのだが、信長は気付かなかった。その訳はまだ解らない。
不動の姿勢を保った一益は、二つ呼吸をし、三回目に息を吸い込み停めた瞬間引き金を引いた。
轟音が鳴り、狙われた真鶴以外の鳥達が、バアッバアッと羽音をたてて逃げて行く。
信長に、逃げる鳥達の悲鳴や言葉は、自身に聞こえるなと念じているから聞こえない。
それに、鳥獣の言葉が理解できても、特に有益な事はないし、馬の愚痴等が聞きたくないから、この頃の信長は通常は聞こえない状態でいた。
・・・目の周りが赤い真鶴の首から上が千切れ飛んだのが遠目にもわかる。
頭部を失った哀れな真鶴は、それでも灰色の羽を二、三度動かし、飛び立とうとしたが、力尽きて崩れるよう海面に倒れ込む。
身の軽い勢月が、バシャバシャと水音を立てて獲物の回収に浅瀬を走る。遠浅でも、海底は泥化していて走り難いから、勢月はなかなか真鶴が倒れた箇所までたどりつけない。
やっとたどり着いた勢月は、真鶴を肩に担ぎ戻ってくる。勢月の身体の前は血だらけだ。
それを一行の中で一番背丈が高くなった犬千代が両足を持って吊り下げる。恒興が刺刀(さすが。細工や作業用の小刀)を懐から取り出し、真鶴の足の真ん中から下へ向かって斬り裂く。
はらわたが「ずずっ」と不気味な音とともに、固まってぶら下がる。身体とまだ繋がっているはらわたの三ヶ所ほどを恒興が切断する。恒興の両手も刺刀も血塗れだ。
血に染まった砂地の上にはらわたがどさっと落ちた。はらわたはそのまま放置する。それは、他の生き物の糧となり、無駄にはならないのだ。
血の匂いを嗅ぎ付けたのか、頭上には、すでに鳶や、のすり、烏が輪を描いて飛んでいる。
そして、三人ほどで、逆さの真鶴の身体を上から下へ揉むようにして血抜きをする。血抜きしないと、肉が生臭くなるからだ。
信長達の後ろには、鉄砲の音を聞きつけた浜べの民がいつの間にか大勢集まって見物している。信長が気付いて、何人かの小姓に民へ解散帰宅を命じるよう指図して、小姓達が民達の元へ走る。
鳴海の民達は、見るからに恐ろしげなバサラ姿の小姓たちに、信長一行だと知らされ、見物は駄目だと言われて素直に去った。
発砲音に驚いて、一旦は逃げた鳥達は、また三町ほど南へ離れた浅瀬に舞い降りて、一生懸命、餌を啄んでいる。
それから一行は同じ事を繰り返し、最初の真鶴、おおきな白鳥を一羽、真鴨に雁を四羽づつ、白い頭頂と嘴の鷭も三羽も獲った。
最後に一益が銃架は使わず、鉄砲を流し撃ちにして仕留めた、飛んでいた小さなツグミだけは六匁弾を身体の真ん中に食らい、羽と肉体を四散させ、その超人的な業を見ていた全員が感嘆のため息をついた。
全ての獲物は最初の真鶴同様、首上が消失している。獲物の処理で、小姓達の大半が血塗れだが、獲物の羽は毟らない。矢羽根に使えるからだ。
「左近っ・・・如何に」
「へい、もうそら、ことのは(言葉)見つかりまへん。とひょうもないとしか・・・」
信長は笑顔で頷いた。
「お~し、皆の者。今日はよ、鳥鍋だがや。ほんでもよ、まっとようけ獲物獲らんと、城の皆(信長直属の若者達。この頃は五百人を越えている)には足らんがや・・・・俺の鉄砲放ちたい者は許すがや。半弓持っとるもんはそれで獲れ。鉄砲放ちたい者はここへ参れ」
小姓達が我先に信長の前に集まる。
「なんだあ、皆鉄砲放ちてゃあのか・・・ほしたら順に放て・・・ほんでも、俺の後だがや」
順番を決めるのに、一悶着あったが、一益も加わり、何人かが並び、残りは半弓で獲物を狙う。
結果、各種の鳥を全部で三百羽も獲った。
全員の馬は獲物の鳥を満載して、羽毛で馬が隠れる程だ。
一益の様に、鳥の首上だけを撃てた者は信長と、銃床長が身体に大体一致した恒興と勢月、犬千代の四人と他の八人だったが、獲物に弾が当たらなかったのは、射程外の鳥を狙って外した初心者クラスの二人だけで、それ以外は皆、銃床長が僅かに合わなくても、動いている獲物のどこかには弾を当てた。
その当てた者達も、普段から鉄砲の練習を重ねているわけではなく、たまに信長の思いつきで、城の備え鉄砲での狩の時に何度か撃っただけで、まだ初心者の類いと言ってもいいのだが、その結果がやはり、濃と同様と言ってさしつかえないから、信長は驚きを深め効果のつよまりを確信したのだ。
そして信長は、一益が発砲時、両目を開けているのをたまたまに見た。
薄暗くなって城に帰り、広い馬場と御殿前の広場を使い、信長直属の五百名の若者も交え鳥鍋の支度をする。
血塗れの小姓達の勇猛を、迎えた者たちが声を上げて讃える。
小姓達は、津島祭そのままの、剽げた(ひょうきんな)踊りをして応えた。
賄い方も総出で手伝い、支度はすぐに整った。篝火が何ヵ所にも焚かれ、焚き火で調理を始める。信長は小姓達に、鉄砲方以外の者に秘密が漏れないよう、狩での銃床と銃架の使用を話題にするなと厳命してある。信長は濃と繁造を呼んだが、繁造は恐れ多いと固辞して来ない。
信長は一益と濃の三人だけで、皆とは離れた場所で鳥鍋を囲むことにした。
賄い方が三人で準備を整える。三人分の床几も置かれる。賄い方が下がると入れ替わって濃がやってきた。
一益は、大地に両手を突いて平伏した。
「これは、御方様であらはりますか。御初におめもじできて有難いこってでおます。わてはお殿様に色々ようしてもろてる滝川左近一益と申す者でおます。此度は、えらい効のあるもん作らはって・・・お殿様と、驚いてたんでっせ。以後よろしゅうお引き回し願い奉るんでおます」
婚礼の際に、濃の顔は見ていても、間近にするのは初めてだからの当然の挨拶だ。
濃は笑顔で頷き、打掛を肩脱ぎにして、鳥鍋の調理を始めた。
騒ぎを聞きつけ、城内の者達が様子を見に来る。
信長に反感を持つ者は舌打ちして引き返し、そうでない者は、それぞれ知己を見つけて宴に加わる。
平手政秀もやって来て、信長達に近づいてくる。
政秀は信長の前に片膝を突いて頭を下げる。
「お殿様には、今日も鍛練えらかったなも。ついでに鉄砲殺生(鉄砲狩猟)で獲物もよおけ獲りゃあて、重畳でござりますわなも。儂も御相伴してもええきゃあも」
床几に座りかけた一益は、地面に座り直して政秀に向けて手を突く。
信長が機嫌良く応える。
「ええよ、ええよ・・・・じいは鷭好きだっただろう・・・ここにはにゃあけど、勝三郎か、お犬んとこにあるで食ってりゃあ。よう肥えとったでうみゃあでよ」
政秀は鷭が大好物だったから、相好を崩して、一礼して去る。
去る間際、一益をちらりと見たが何も言わなかった。
政秀は、信長の婚礼時に一益を生駒八右衛門の縁者として顔を会わしているから不審を抱かなかったからかもしれない。
信長は会話が制限される状況回避の為、機転を効かして政秀を追い払ったのだ。
「滝川、あのツグミを仕留めた業はどうやったのかのん」
飛んでいる小鳥を散弾ではなく、単発銃で撃つのは至難の業である。
「あっ、あれは手裏剣業と似たやりようですわ。獲物追うたら外れまっせ。飛んでくる空の道、はかるん(予想する)でおます」
信長が成る程と頷き、濃も頷いた。
濃の方は信長から一益の素性を聞いているから手裏剣と聞いても驚かず、興味ある鉄砲の話題だから聞き入っていたのだ。
「ほしたらよ、鉄砲放つ時、両目開けとっただろう。あれはなんでかのん」
「あっ、あはは」と笑って一益が答えたのは以下の通りだ。
一益はまず根来の縁者に教わったと前置きした。
鉄砲を撃つ時は、片目を瞑るのが当たり前で、信長も一巴からそう教わった。だが戦場に赴き、敵と対峙した時、人は当然強烈なストレスに囚われる。そんななかで、片目を瞑るのは強く意識しないと困難になるのである。
矢弾が飛び交い恐ろしい悲鳴と泣き声が響き渡れば、誰しもが平静を保てない。すると無意識に両目を開いてしまい、常々の片目照準が出来なくなってしまうのだ。そうなると照準が狂い、弾は当たらない。射手は何故当たらないのかが理解出来ず、焦ってまた更に命中率が下がるのだ。
日本で初めて鉄砲を生産し、使いこなしてきた根来衆は実戦でそれを学び、自軍では当たり前の事として徹底させていたのだ。
「聞けばもっともなることだがや・・・・ほんでもよ、角場で放つだけではわからんことだがや。学ぶ事はまだまだよおけあるがや。いずれ滝川には鉄砲衆の束ねやってまわなかんでよ。そのように心得といてちょう」
「畏まりました。ほいてお殿様、これ見てくなはれ」と、一益が懐から取り出したのは、小さな円柱形の紙包みだ。
「なんかのん」
「これは、胴薬と弾を紙で包んだ物だっせ。早合わせ言うんでおます。紙ごと筒先から入れて、かるかで突いたらええんでっせ。四息か五息(四秒~五秒)、弾込め早なるんでおます」
「おっ、それは・・・・判りそうで判らん事だったがや・・・別々に込めんでもええんだな。俺も弾込めの工夫は考えとったけど」
「根来の縁者に聞いてたんやけど、半ば忘れとって。今日の鉄砲殺生の御下知聞いたら思いだして、拵えてみたんだっせ」
「ほしたら、鉄砲衆には、予め作った、その早合わせようけ持たしたらええな・・・帯みてゃあのに差し込むようによう」
「御意」
水炊きと味噌煮での鳥鍋は旨かった。小さめの鳥は丸焼きにした。脂が滴る新鮮な鳥肉は、どれも噛み応えがあり、味わいが深い。
三人揃って真鴨の丸焼きに塩を振ってかぶりつく。皮がぱりぱりして、噛むと肉汁がジュワッと溢れだしてたまらない。手も口の周りも脂でべとべとだ。濃の方も、美濃の山鳥で慣れているのか、気味悪い気振りも見せず食べている。
鍋の中の、濃の腕ほどの太さの肉片が煮あがった。信長が小皿に取って濃に差し出す。食べ易い大きさに切断された白鳥の首だ。
「白鳥の首だがや。うみゃあで食ってみい。ほれっ滝川も」
首と聞いて少し顔をしかめたが、濃は箸で突き刺し食べる。一益も皿に取って食べた。
濃が顔を綻ばせて言う。
「白鳥の首は初めてや。いとうましものずら(とても美味しいものですね)」
「うん、うましうまし・・・お殿様、これは魚の目玉が旨いんと同じでんな」
「そうそう。鳥の目玉は食う気になれんけどよう、動き多いのは羽に脚に首だがや・・・骨の周りがまたうみゃあんだわ。啜って食やあ(食べなさい)」
信長には濃が同じ白鳥の首を寄そって差し出す。三人とも食べる事に集中した。
信長が酒も運ばせたから、宴は盛り上がった。
宴の終わり、濃が信長に聞く。
「お殿様、この残り物を繁造にやってもええかなも。毎日励んどるで、食べさしてやりたいんやお」
信長が頷き、なにか思いだしたように一益に言った。
「あのよう、鳩はどうしたかのん」
一益が、はっとして答える。
「そや、お殿様、鳩のこと言わなあかん思てて、鉄砲の事で気ぃ取られて忘れてしまってたんでっせ。堪忍でっせ」
「うん。されば明日、昼過ぎにお主の部屋行くわ」
濃は鳩と聞いて不審な目をしたが、信長が口に人差し指を立てて「しいっ」と言ったから黙って繁造への土産を小鍋へ移す事に勤しんだ。
明くる日の昼過ぎ。一益の部屋。
「お殿様、初めにまず、わては昨日、鉄砲放って思うた事がおます」
信長が頷く。
「銃床も確かにええ道具やけど、わては銃架もとひょうもない効があると。やたらに動きさえせなんだら、銃架はずっと使えまっさかい、筒先がずっと下がらへん。ほなどうなるかは、案ずるまでもおまへん」
「うん。確とほうだわ。銃床より銃架の威力のが、できゃあかもだな。そうとしてよ、まあ二つは必ず組み合わせて使うが最良だわな。鉄砲組にはそうさせよまい」
「ははっ」
「ほんで鳩については」
「鳩は、もうなんべんも伊賀と行き来しとるんでおます・・・・初めにわてが「試」と書いて送って、二刻もせんともんりよった(もどった)鳩にくくられてたんがこれですわ」
一益が小さく折り畳まれた紙を広げて信長に差し出す。
そこには、左扁に身、右扁に黒で一文字、その下に左扁に金、右扁はまた黒で一文字。その下は身、赤と続く四文字が書かれていた。
「なんだこの字。見た事にゃあがや。下の二字は、身と赤だけどよう・・・意味解らんがや。お主は読めるんかのん」
一益が首を振って「読めまへん」と答える。
「ふーむ」
と、信長が考えこんで紙を見る。
「わかりまへんけど、これはじょ~だい(多分)百地はんらが、ちゃり(お茶目)しよって、忍び文字で返してきよったんやと思いまっせ。「試」と送ったさけ「祝」とでも書いたるん違うかな思いまっせ。その証に二度目ぇは読める字で送ってきよりましたさけ」
「二度目はなんと書いたのかのん」
「へっ、またお殿様に勝手にやらかして堪忍でっせ・・・わては一つ伊賀、あ、いや、びと衆に確かめたい事あって聞いてみたんでおます」
「それは何かのん」
「硝薬の事聞きましてん」
黒色火薬は硝石七十五%硫黄十%木炭十五%を混ぜて作る。日本は山が多い火山国だから、硫黄と木炭の調達は容易で値段も安い。
だが硝薬、硝石は日本国内には自然には存在しない。輸入するしかないから非常に高価なのだ。硝石は、乾燥地帯である、中国内陸部、南ヨーロッパ、エジプト、アラビア半島、インド、イラン等で天然に採取される。湿潤多雨の日本では自然には得難いのだ。この頃は、琉球、種子島等と交易している堺商人から買うしかなかったのだが、硝石一俵六十㌕が銀二百匁もした。銀が㌘五千円としたら、三百七十五万円だ。
また、銃弾に使う鉛も、日本国内では産出は少なく輸入に頼るしかないが、値段が硝石よりは格段に安いから、信長も一益も鉛への問題意識は持っていない。それに比べて、硝石は未だ鉄砲装備を必要と認識している他国の大名はあまりいないこの頃でこの値段なら、将来、買うしかない硝石の値段が上がることは間違いなく、そうなれば、鉄砲は勿論、せっかくの炮烙火矢の運用までが難しくなる。
一益は、一縷の望みを懸けて問い合わせたのだ。
信長が納得の表情で言う。
「硝石一俵で十挺に、ひととせ(一年)は持つがや。ほんだけど、鉄砲が増え炮烙火矢使うとなりゃあもっとようけ要るようなるわのん。要るけどよう、めっちゃんこ値高きゃあでなあ(とても高価だからな)・・・ほんだけどよう、伊賀で作れるんかのん。返事は如何だったのかのん」
一益が満面の笑顔で答える。
「出来るそうでっせ・・ヨモギ使うとだけ書いてあって、細い事は書ききれんのか、それだけでっけど、お殿様が作れ言わはるなら作る、言うてまっせ」
信長は驚いて一益に色々聞いた。
まず、甲賀にその技術は無いのか。なぜ伊賀者が硝石を作れるかもしれないと思ったのか。作れるとしてその技術の由来は。作れるなら何故大量に作って売らないのか。
一益は以下のように答えた。
伊賀流では、忍び道具に火薬を使う物が甲賀より格段に多くある事は薄々知っていた。甲賀流も火薬を使う道具はあるが、伊賀流よりは少ないのだ。甲賀に硝石製造の技術はないし、大量にはいらないから必要に応じ、根来寺や雇われ先の大名などから買うか、褒美替わりに貰うかで事足りていた。
一益は、甲賀同様、富裕ではない伊賀衆達が硝石を大量に買う事は難しいであろうと推測し、硝石自産なら火薬道具生産使用が可能と考えた。更に伊賀には日本では知られていない技術を持つ大勢の渡来人(海外から流れてきた人)がいると、噂ではあるが聞いた事で、その渡来人からの技術伝授があったのではないかと考えた。最後に大量生産できる事を他国の有力者に知られれば、硝石目当てに伊賀が攻められ伊賀者が硝石生産技術者として囚われる可能性があり、鉄砲需要が高まりつつある昨今では、それは非常に起こりうる事と認識しているからではないかということと、硝石生産だけを集中して行えば、農作業が滞り、食糧不足になるだろうということから判断したのだった。
「ほうか。ほんなら作ってまいたいのう(作ってもらいたいねえ)・・・ほんだけどよ、今はよ、銭が無いんだわ。直の者らも五百人にもなって、鉄砲も増やさなかんし、費え(経費、費用)がかかって政秀が銭が足らん足らんばっか言っとるんだわ・・・前に使った津島や熱田の商人にも、まだ頼めえへんし、約はまだ始まっとらんのに、銭も送らず田畑ほかって(放置して)硝石作れとは言えんがや。困ずる(こまる)事だがや」
一益は、うーんと唸って考え込む。
信長も腕を組んで悩みの表情だ。
しばらく二人は考えて、やがて一益が言った。
「また、わてがよけのまい(余計な)な事やけど、この際は、すなお(正直)にほんまの事言うて、後は伊賀、あっ、びと衆に任せたはったらどないでっか。今、銭無いんはお殿様の恥にはならへん思いまっせ。一時の事でんがな」
「ほうだなあ、その方がええかもしれんなあ。気、長があしてなあ・・・よし、ほんじゃあそのように」
「まだありまっせ」
「何かのん」
「鳩が一羽、塩梅悪うなったさけ、手当のやり方尋ねたら、それ教える事と他に一つ言うてきよりました」
信長が目で、なんだと聞いた。
「お殿様の身辺お守りするもんを、尾張へ送る言うてきました・・・六人来るそうですわ。扶持いらへんから、お殿様のお手元で様々仕込んだってくれ、言うて来ました。住むとこだけはお殿様のお側にしてくれ言うてまっせ」
「う~ん、それは、あまりに・・・ほんだけど、ならぬとも言えぬしなあ」
「わいはお側には、ずっとはおられんさけ、そういうもんがいてくれたら、気ぃは安じまっけど。会わはってお決めになったらええん違いまっか・・・」
信長は一益の言葉に従うと決めた。
一益は、信長に進言した通り、その夜から、忍び装束を身に纏い、那古野城の繁造の小屋に張り付き、三日の間、昼夜を分かたず繁造を見張ったが、その言動には何の不審もなく、己の推測が杞憂であったことを深夜、信長の部屋へ忍びこんで報告した。
小屋を見張っている小姓達に気づかれないのは、一益には造作もない事だった。
信長は突然忍び込んで来た一益を見ても全く驚かず、報告を受け、濃は信長の隣で安らかな寝息を立てていた。