あゆちのびと衆 第一章 その六
曲銃床
炮烙火矢の焼き窯と貯蔵倉は、半月で完成した。
その間、信長は、天王坊には来なかったが、完成を知りやって来た。
「お殿様、出来ましたえ。あとは土探しだっけど、康吉らぁと、わてが一緒に行きますよって、ただけに時はかかりまへん・・・ほらほうと(それはそうと)、わいはお殿様に一番お聞きしたかったこと忘れとりましたがな」
信長が「ううっ」と顔を近づけ
「なんだったかのん・・・炮烙や鳩やらの事で、じい(平手政秀)やら沢彦様やら、色々ようけ話したり頼んだり、この頃はお濃もなんやら喧しい事言ってくるで、脳がもじゃかって(こんがらがって)まって、俺も忘れてまっとったがや(忘れてしまっていたのだ)」
「伊賀衆の名ぁの事でっせ」
信長が笑って答える。
「あっ、おうおう、ほうだったがや。伊賀の答が応なら教える言ったもんな。まあ、戯れ言(冗談)みてゃあな事だけどよ。滝川の部屋に紙と筆あるかのん」
真摯に検討した事なのに、信長が戯れ言と言ったのは照れからか。
「ございまっせ」
「ほんなら部屋行こみゃあ」
二人は部屋に行く。
一益が、小さな文机の上で墨を摺る。
あまり上等ではない紙を広げて、一益が聞く。
「へっ、お殿様、なんて書きまっか」
「ほしたらよ、真字(漢字)で端に「火」と書いてみい」
「へ、書きましたで」
「ほしたらよ、筆置いて、火の字の両方の点をよ、手で隠してちょ」
「隠しましたで」
「ほしたら、その字はなんて読むや」
「ひとでんな」
「うん、ひとだがや。今度はまっぺん筆持って、火の字の隣に仮字でひとと書いてちょ」
紙の左に火、その横に縦にひと、一益に信長が続ける。
「ひとの「ひ」に火の点二つつけたらなんて読む」
「び、でんな」
「続けたら、びとだがや。伊賀衆の新たな名は、びとの者、か、びと衆にするんだわ」
「びと、ほ~ん・・・火ぃ、と、びと・・・
火ぃ・・・あっ、火ぃを使うての戦さやるんでんな・・・・お殿様が伊賀衆にやらせたい言わはったんは、火ぃ使っての戦の手管(方法)でんな。そやっ、火ぃやから、熱田の浜ん時、真紅の直垂をお召しやったんでんな。百地らに謎かけはったんでんな」
「ほうだがや。直垂はよ、半ばは転合みてゃあな事だったけどよ、伊賀衆改名の最たる訳はよ、俺との約を、他に知られん為だがや。知られれば、企みが根元から崩れてまうでよ。ほんだけど、関わり無きを他が思う名なら、それだけでなんでもええのかと、俺は己に問うた。伊賀衆とて、歴々(立派な。由緒ある)の侍衆だがや。なんの意も無き名では棄てる伊賀の名が泣くであろう。びととは、俺の企みん中では火を操るひとだけどよ、火という言葉は表に出せんだろ。火攻めを悟られたらなんにもならんでよ」
信長の言葉は熱を帯びている。
「・・・・ほんだで、真字の火の字をばらして、人の仮字の中の、ひ、の字を隠すために、火の点二つで、び、とするんだがや。びととは真字と仮字を合わせた火の事だがや。びとと火を繋げて思う者はおらんだろう。家督継いで約定始めても、当分はびとの者は、俺とお主にしか知られん陰働きしてまわなかん。ほんだでせめて名だけでも、歴々のあの者らの覚悟に通ずるのにしてゃあんだわ」
それから信長は、伊賀衆、いや、びと衆に研究開発させたい事を初めて一益に全て語った。それは一益の予想とは少し違い、単なる火攻めの方法ではなく、その前段階での準備的な創意工夫と、その他に、将来起きうる戦いの為への布石とでもいうべき数々のものだった。
その話は二刻に及んだ。
一益は、信長のその企みを聞き、背筋が寒くなるのを覚えた。
(そがいな、とひょうもない(とてつもない)、見たことも聞いたこともあらへんよな、よぞい(おぞましい)わ酷いわの手管やな。けど、戦さやから、やるかやられるかでしゃあないわな。やるんなら果つまで(徹底的に)や。伊賀衆なら・・・ちゃうわ、びと衆ならなんとかやれるやろ。あっ、待てよ・・・油と火ぃ使うて、わいらの崇める甲賀油日神社の大神様は、油と火ぃの神様やがな・・・偶さかか(偶然か)。う~ん、なんやら因縁あるんやろか・・)
最後に信長は一益に言った。
「紙は燃やせ」
その後、一益と三人の若者は、毎日、腰に竹水筒と、自分達でこしらえた握り飯(麦と玄米)の弁当をぶら下げて、土を探しに織田領内を歩き回っていた。一益は、表向き天王坊の寺侍だから、清洲や岩倉犬山辺りを回っても寺の鑑札を見せれば、誰も咎めない。
それどころか、一益達の身分と意図を知り、鑑札を見た民百姓は、非常に親切丁寧に対応してくれたから、陶器の土探しは順調に行った。そうしてたどり着いた、最も焼き物に向いた土がでる瀬戸や品野の辺りは、その頃、三河松平に占領されていたが、格式高い天王坊での焼き物造りの為だと言えば、松平の将兵も黙って一益らを通してくれた。
そして、そんなある日、木下藤吉郎が手紙を残して突然、失踪した。
手紙には、下手な仮字でこうあった。
「しよこくをめぐりけんぶんをふかめてまいりますおゆるしください」
信長も、一益も驚いて落胆したが、特に捜索することはせず、馬番は、康吉らが交代で務める事になった。
いつものように、早朝、信長が鍛練の為、出かける支度を始めると、濃の方が飛ぶ勢いで部屋にやってきた。
「出来た。お殿様、出来たんやお・・・もう何べんも出来具合、見て欲しい言うてるのに。見てくれんから繁造と二人で、でかしたんやお(完成させたんです)」
信長が目を怒らせて怒鳴る。
「うるしゃあ(喧しい)んだわ・・・朝からおみゃあとあすんどる(遊んでいる)暇はにゃあんだ」
「遊びやないずら・・鉄砲の事ずら・・わっちと繁造でかんこうして(工夫して)出来たんやお。見もせんと、怒鳴ったらあかすか(だめですよ)。家来の鍛練も大事やけど、そんなにこっぺちょったら、まあおくんやお(そんな威張っているなら、もうやめますよ)。その代わり、お殿様には、もう、わっちの乳ねぶらせへんのやお。(自分の乳房を舐めさせない)」
信長が赤くなって言う。
「な、なに、ち、乳だ、た、たわけぇ~、誰が聞いとるかわからんのに、お、おみゃあは、ど、ど恥ずかしきこと言うなあぁ~」
濃の方が笑って
「お殿様、わっちの乳、毎晩ちゅうちゅう吸うずら・・・わっちの乳好きずら。ねぶれんでもええん(舐めれなくてもよいですか)」
「まあ解ったで、できゃあ声で、乳、乳言うな。鍛練済んだら見たるで待っとれ。めんた蝮はちょうらかせんわ(誤魔化せない)」
「また蝮言うて、いいころかげんに止めないかんずら。大きい声は武門に連なる者の習いずら。声小さかったら家来に下知届かんずらぁ~あ」
信長は辟易とした顔で、部屋をでていった。
昼前に鍛練が終了し、風呂から出た信長が、奥御殿の部屋に戻ると、濃の方がすました顔で待っていた。
「お殿様、鍛練えらかったなも(お疲れでしたね)朝言うてた鉄砲の事やお・・・繁造をここへ呼んでもええかなもし」
信長がしかたなさそうに頷くと、外廊下にいた濃の方の付き女中が静かに立って表方向へ歩んでゆく。
信長が問い質す。
「鉄砲は」
「かんこうしたんは繁造やお・・・ほやから繁造に持たせたるんやお・・大手柄やお」
「何が手柄だ」
「ほりゃ、鉄砲をわっちみたいな非力なもんでも、的に当たるよう放てるかんこうしたからやし」
信長には当然、その意味は解らない。信長は疲れていたし、濃の方の工夫なぞは、どうせ児戯の類いだと頭から信用も期待もしていないから仏頂面だ。
付き女中の先導で、年老いて小柄な繁造がやってきた。身体からは悪臭が漂っている。信長が恐ろしいのか、動きがぎこちない。着古した麻の単に麻紐だけの貧しい姿だ。両手で鉄砲を抱えたまま、跪ずいて頭を下げたから、廊下の板に頭が当たり、こんっと音がした。
濃が言う。
「お殿様、ちょこっと臭うのは堪えたってちょうよ・・・風呂嫌いだもんで。まあ、おまはんは、お殿様の前で、音たてて、ほっこりせんずら(はかばかしくない)」
「んな事は(そんな事は)どうどもええで、ちゃっちゃっと鉄砲見せてみい」
繁造がおずおずと差し出した鉄砲を濃が受け取り信長に渡した。しばらくひねくり回して見た信長が怒りの口調で言う。
「なんだあ、どっこもどうもにゃあがや(どこにもなんの変わりもないではないか)」
「お殿様、鉄砲の握るとこ見てくれんかなもし」
そう言われた信長が、鉄砲の銃床を改めて見る。
すると銃床末尾に、直径二㌢ほどの丸い穴が筒先に向けて空けられていて、銃床の真ん中より少し末尾に寄った位置の左右に五㍉ほどの小さい穴が横に空いていた。二㌢の穴の方には下に溝らしきものが刻まれている。
「なんだこの穴」
濃が急かせるように言う。
「ほれ、繁造、あれあれ」
すると繁造が、背後の腰紐に差していた一尺ほどの木の棒を左手でとりだし、更に右手で懐から何か小さな物を取り出した。
棒の片方には、十五㌢位の曲げた竹を三枚重ねたものが半月形にとりつけてあった。
濃が言う。
「お殿様、まっぺん鉄砲貸してくれんかなもし」
信長が濃に鉄砲を渡すと、濃が繁造に渡しながら言う。
「おまはんの細工をお殿様にお見せするんやお。恐ががらんでええから(こわがらなくてもいいから)、やってくれんかなもし」
繁造は、信長を見ないよう、視線を下げたまま、まず木の棒を銃床末尾の穴に突っ込んだ。
棒にも凸があって、穴の溝に凸を合わせてから、後端の竹部分に力を込めて押し込んでいるのがわかる。
木棒を一杯に押し込んで、次に繁造は、先程、懐から出した木の釘のようなものを、銃床の右の小穴から差し込む。
木の釘の先端が銃床の反対側から出てくる。出てきた木の釘の左側の銃床側面と交わる位置に小さな溝が切ってもあり、繁造はそこに板バネのようなものを嵌め込んだ。
出来上がったからか、繁造が両手で鉄砲を捧げるように濃に差し出した。
濃が鉄砲を持ち立ち上がると、木棒の竹部分を己の右肩に押しつけながら、両手で鉄砲を構える。
半月形の竹が、濃の右肩にすっぽり収まる。
「おっ」
信長には、それがなんなのかが瞬時に解ったからなのと、同時に何気に視線を向けた繁造の背後が、これまで見たなかで最も強い黄金色に輝き始めたのに気付いたから驚嘆の声がでたのだ。
それは、取り外し可能の、現在のM1ガランドライフル、M1A1トンプソンサブマシンガン等と同様の、銃床が銃身軸線より低い位置にある曲銃床だった。銃身軸線の延長上に銃床がある、SIG.SG550やM16A1などの銃床は直銃床だ。
連射時(フルオート発射時)の銃コントロールが直銃床のほうがやり易いと言われているが、火縄鉄砲には連射は出来ない。だが、両手、両腕だけで支える単発の火縄銃だが、戦場では、当然、何発も射撃を続けなければならない。射撃を続ければ、如何に力がある者でも、力が弱り、それは命中率をさげる。それを木の棒の銃床を肩で支えることで補えるし、発砲衝撃が肩に伝わるから、支力が増えて最初から非力な者にも正確な射撃が期待できるのだ。
濃が信長に頼んで、繁造を召し出したとき、彼は、あまりの身分差と、初めて間近に見る鉄砲についての工夫をしろと言われ、戸惑い恐れて、濃がどんなに優しく言っても、ただ頭を擦り付け震えているばかりだった。
濃は焦らず、まず鉄砲とは何かからを言って聞かせ、自分の射撃術の向上の為の工夫がしたいという事を解らせることから始めた。その際には、橋本一巴に鉄砲の仕組みを大まかな分解と共に教わった事が役立った。
繁造の理解はなかなか進まないが、濃は繁造が酒が好きらしいことを会話から読み取って、彼が飲んだこともない上酒と豪華な食事を与えて彼の気持ちを解きほぐそうと努めた。
それが何日か続き、繁造はようやく濃と言葉が交わせるようになっていった。繁造は、理解を深め鉄砲を持ち、構えてみて、濃の訴える問題点を探る。
濃は繁造を一人にして考える時間を与えたりもした。
貧しい衣服も、変えてやろうとしても、このほうが楽だとそのままだし、風呂も嫌がるので悪臭もしたが、濃は我慢して、時には酒の酌までして繁造を励まし続けた。
するとある日、繁造がこう言った。
「あのよう、お方様がよう、鉄砲放っても的に当たらんのはよ、どんっと放った時によ、手だけで持っとるだでだがね・・・・ほしたらよ、肩も使やあええがね」
そう言われても、濃には意味が解らない。
「肩言うて、肩まで鉄砲つけたら、腕曲がって引金引けんずら」
「お~、ほうだなも・・ほんだで鉄砲の尻伸ばしゃあええがね・・・ほんだけどよ、伸ばすにはよ、鉄砲の尻に穴空けないかんのだわ・・・お方様のでゃあじ(大事)な鉄砲に穴空けたら、首飛べへんきゃあも(首が斬られて飛ばないでしょうか)」
濃は思いきって許し、その結果火縄銃の曲銃床ができたのだ。
当時の火縄銃は、銃床と言うより頬当てに近いものがグリップを兼ねたもので、火縄銃の台木の後ろ下にグリップ状の突起を設けて台木そのものを真っ直ぐ後ろに長くしたものに変えれば、射撃衝撃が肩に直線的に伝わり、更に命中精度が良好になる直銃床になるのだが、銃に関してはほとんど素人の繁造の考えがそこまで及ばなくとも無理はなかった。
「お濃、それで放ったか」
「わっちの勝手でお城の角場(射撃場)使えんずら」
「ほうだわな・・・・ちょこっと待っとれ」
信長は風呂上がりの浴衣姿のまま、部屋を出ていった。
しばらくするとかなり背が伸びた前田犬千代が、いつものバサラ姿で呼びに来た。
「え~、お方様、お殿様が角場で呼んどらっせる(呼んでおみえになっている)で、おみえになってちょうでゃああそわせ。繁造とかも連れてこい言っとらっせるで(おっしゃっておみえだから)、鉄砲持っておねぎゃあ(お願い)するんだわ」
濃は頷き、打掛を脱ぎ、小袖一枚の姿で、繁造を促して角場へ行く。
角場には、信長と、いつもの取りまきの小姓達三十人程が待っている。彼らの荒々しいバサラ姿に、鉄砲を持った繁造が怯えたように足を鈍らす。
信長が笑って手招きして、金色の光に包まれている繁造は濃の後ろに隠れるよう、やっと角場の中に入った。信長は当然光の事は口にしない。
角場には信長と小姓達、濃と繁造以外の人影はない。
繁造から鉄砲を受け取った信長が、竹部分を下にして射撃準備をする。鉄砲全長が一尺と少し伸びているが、背が五尺六寸に伸びた信長の作業に影響はない。
・・・最後に火縄を火縄挟みにつけ、火縄に火に付け、濃に渡す。
「おみゃあがかんこうしたんだで、おみゃあが放て」
濃が頷き、鉄砲を構えた。
繁造は角場の隅に跪ずいて座った。
両手両腕と肩で支えているから、鉄砲はしっかり身体に固定されて動いていない。
左目を瞑り右目で、三十間(五十五㍍)先の的と鉄砲の前後の目当て(照門)を合わせる。息を吐いて止めた瞬間引き金を引く。
轟音がして、鉄砲の筒先から白煙が噴き出す。
濃は、以前のように、倒れもせず、撃つ前と同じ姿勢を保っている。
小姓の誰かが走り、的の台木を引き抜いて、肩に担いでまた駆けてくる。信長が受け取り弾跡を確める。
「お濃、ど真ん中よりはちいと外れとるけど、黒丸ん中に当たっとるがや・・・でかしたっ。見事だがや。繁造っ、おみゃあもようやった。褒美やるでのん。お濃、まああと(もうあと)十発程、放ってみい。誰ぞ、角(的)を五十間先(九十㍍)にいたせ」
津田盛月が新たな的を担いで走る。準備は信長がやってやる。
信長から初めて強く褒められて、濃は笑顔で射撃を続けた。
盛月は、的の台木を角場の弾止めの土塀の前に突き立てると、土塀の後ろに隠れ、濃が一発放つごとに的を確め、両手で合図を送り、当たり外れを示す。
片手を振れば的から外れ。両手で輪を作り一回翳せば、的には当たり。二回なら的の真ん中の二寸の黒点内に命中。三回なら黒点内のさらには小さな赤丸内に命中の意味だ。
二発目は二回、三発目からは、両手の輪は続けて三回。十発目には四回の輪を示した。
的を担ぎ、笑顔で戻った盛月に、信長が聞く。
「四回はなんかのん」
盛月が、的の台木を信長に差し出す。
的の真ん中の赤点の、そのまたど真ん中に穴が空いている。
「う~ん」
信長が唸る。
信長も、自ら試そうとしたが、銃床の長さを放ち手の身体に合わせて調節しなければ効果が上がらないと覚り、評価を述べた。
「お濃、これは手柄だわ、大手柄だわ。ほんだけどよ、お濃も皆の者も聞けいっ。え~か、この工夫の事は、今、ここにおる者だけの隠ろへ事(秘密)にしないかんがや。親兄弟にも言ったらいかんがや。もし漏らしたら、言ったもんも、聞いたもんもきっと成敗いたすでよ、そう心得よ」
「ははっ」
皆が声を揃えて応えた。
黄金色の繁造は、頭を大地に擦り付けている。信長は、更に心中で考えている。
(・・・これは恐ろしき工夫だがや。濃ですら、あの果(くゎ、結果)だがや・・・手練れがこの鉄砲使えば、何発放っても、角(的)を外さぬ。射当てる率(命中率)が下がらんがや。無駄撃ち減るがや。鉄砲丈(鉄砲全長)が伸びたで、背が五尺五寸より低い者は、かるか(槊杖)が突きにきぃけど、それも、かんこうしやあええし、鉄砲放ちどもは皆、俺と同じくりゃあの背だでええか・・・・)
汗だくだが笑顔の濃が言う。
「お殿様、わっちは胸があぶって(どきどきして)もたんがね・・・ほっこりいって(はかばかしくいって)嬉しいずら。けばいたら(失敗したら)おぞい(お粗末、悪い)思うて言わんかったけど、繁造はもう一つかんこうしたんやお。
お見せしてもええかなもし」
信長が、濃が胸と言ったからか、少し顔を赤らめ頷く。
「繁造、あれ持ってきてちょ」
即座に繁造が、御殿方向へ走りだした。
信長が厳しい顔に戻って聞く。
「お濃、あの繁造は、家人(いえびと=家族)は」
「あれは、一人身やお。親兄弟もおらん言うてたんやお。なんで」
「うむ、繁造の手柄は何万貫にも勝るものかもしれんけどよ、あやつは、この先当分はこの城から出してはならぬ。おみゃあの小者として、抱えてやる代わり今ここにおる者と鉄砲放ち(銃手)以外には会わせてもならぬし、言葉を交わしてもならぬ。え~か、この工夫はそれほど重き事だがや。他家は大もっとも(強く当たり前)、斎藤と言えども漏れてはならぬのだがや。わかったか」
濃は、信長の厳しい言葉の意味がすぐには解らない。
「繁造は、手柄立てたのに、城に止めるん。かはゆしい(可哀想)ずら。お殿様、わっちがいらんこと話したら、だちかんよ(駄目ですよ)、言うから、そんなん言わんと」
濃の目に涙が溜まっている。
「ならぬ・・・聞けぬならば繁造を斬らねばならぬ」
そこへ繁造が、刺股に似たような道具を抱えてよたよたと帰ってきた。普通の刺股よりは大分小さく、全体の先は二股で、その下の長棒には小さな台がつけられていて、その棒が自立して立つようにしてある。それは、現在のバイポットと同じ、構えた鉄砲を更に安定させる銃架だった。
繁造が、濃の前にそれを置いて下がる。
頬に涙が伝う濃がその二股部分に鉄砲を載せる。
「こうしたら、また狙いが付けやすうなるんやお。繁造がかんこうしたんやお」
と、泣きながら濃が言って、信長が繁造に急に優しく言う。
「うん、そうして支えれば、一段と鉄砲のさだめ硬なる(照準が安定する)がや。繁造、天晴れだがや。俺はおみゃあを抱えたいがや。濃の小者で働いてくれぬか。扶持は二十石(約百万円)で、城内に部屋もやる。婢(はしため、下女)も一人付けたるがや」
信長は光色の事は解っていても、繁造の返答次第では斬るしかないと覚悟している。
信長の背後には、池田恒興がいつの間にか近寄って、信長が右手を伸ばせば届く位置に片膝で座り、信長の佩刀を柄頭を上にして持っている。
濃が悲鳴を上げながら叫ぶ。
「あ~っ、繁造、繁造・・お殿様の有難てゃあ御ことのはだがね・・・へ~いと畏まらな・・畏まらな」
己の状況が理解できない繁造は、泣き顔の濃を不思議そうに見、殺気に満ちた信長を見、それでも言葉がでない。
「繁造、二十石やお・・・二十石も、誰がくれるん・・・早よっ、早よっ、へ~いと言わなあかん」
身分からして破格な二十石(約百万円)が効いたのか、濃の涙ながらの叫びに、何かを感じたのか、繁造がやっと答えた。
「へーい、お殿様、わしみてゃあのでよけやあ、働かしてもらうがね。有難てゃあ、有難てゃあ」
濃が安堵からか、その場にへなへなと座り込み涙を拭う。
流血の緊迫は消えた。
表情を和らげた信長が繁造に言う。
「まずはよ、その濃の鉄砲に施した細工をよ、城の鉄砲全部に施すんだがや。放ち手ごとに床棒の長さ変えないかんだろう。慌てんでええでよ、一挺づつ、放ち手に合わせてな。その時に、その刺股みてゃあのも一緒に作れ。今、城には五十挺あるでよ、まあ二月ありゃあ出来るがや。あとはよ、俺や今ここにおるもん(者)、鉄砲の放ち手以外のもんとは、もの言っていかん(会話してはいけない)。ええか。ほれは破ってはならぬがや。きつく言いつけたがや・・・暮らしの事は濃が見るでよ。励め」
短期間に、繁造が銃床に続き、銃架まで発明できたのは何故か。濃の思いが通じたからか。
だがそれだけで歴史が変わるかもしれないような偉業が木工職人として優秀だとしても、要するに手先が器用なだけの年老いた男に突然成せるだろうか。
ひょっとしたら、黄金色の光に包まれた繁造は、何か特別な力を持っているのか。
その力とは信長同様の通力なのか。
それはまだ解らないし、その事への持つべき疑問を持つ者もこの時点では信長、濃も含めて皆無だった。
信長は光の訳を、単に繁造が自分への害意がないことのバロメーターだと思っていたのだ。
その後すぐ、信長は、鉄砲放ちの若者達を集めて言った。
「濃と繁造という名のこだくみ人(木工職人)が、鉄砲の新たな仕掛けを作ったんだわ。ほんだで、おみゃあ達は、濃の部屋の前に繁造の小屋作るで、順にそこ行って己の鉄砲に細工施してまえ。細工してまったら、その仕掛け付けて鉄砲放つ鍛練いたせ。ほんだけどよ、その細工の事は、他の誰にも言ってはならん。親兄弟にも、家中の同胞(はらから=部署の違う家中の者)にもだがや。角場には、俺の許しなき者は近寄らぬよう下知したで、あとは、その細工した鉄砲床棒をこれも余人には見られぬように致せ。破った者は放逐では済まぬ。成敗されると心得よ」
普段と違う信長の形相に、皆、驚き恐れ這いつくばった。
偶然だったが、信長の鉄砲の師、保守的な橋本一巴は、那古野での役目を終えたとして、信秀の古渡城へ戻っていた。
繁造は、奥御殿の濃の部屋の前庭に小屋を建ててもらい、信長の指示に従って作業を始めた。
婢も老婆だが一人付いた。小屋は小姓どもが、交代で繁造に気取られないよう、昼夜見張っていたが、繁造は全く気づかず、濃に城から出たいとも言わない。
高禄に豪華な食事と、毎晩の上酒の効果かとも思われたが、実際は繁造は心底から木工仕事が好きなようで、曲銃床と銃架の製作に熱心に取り組み、嬉々として働いていたのだった。
彼は、余計なことは喋らず、己の鉄砲銃床に細工をして貰うために順に訪れる鉄砲放ちの者たちだけとは、小屋内で接触するが、あとはほとんど毎日小屋に籠りっきりだった。
毎日一度は訪れる濃には笑顔を見せるが、風呂だけは頑として入らないから小屋の中には悪臭が立ち込めている。そこで濃は一計を案じた。
風呂の中で酒を飲ませるのである。井戸で冷やした上酒を湯に浸かりながら飲んだら旨いと聞かされた繁造は、あっさり飛びついた。
濃付きの力自慢の小者が三人掛りで繁造の身体を糠袋で擦り、垢や脂を落とし湯船で酒を飲ますと、繁造は上機嫌で、何か唄のようなものまで口ずさんでいた。
その後、繁造は風呂好きになり、濃から与えられた小袖を着、髪もきちんと束ねて小綺麗となって、作業を続けた。
滝川一益は、まだ、濃と繁造の手柄を知らない。