あゆちのびと衆 第一章 その五
鳩
信長は幸運だった。
日々の鍛練は一日も欠かさないから、伊賀衆との盟約を整える為の活動時間や、各種情報収集の為の時間が限られる。
それなのに、忙しい思いはしながらもこの度の企みが秘密裏に何とか果たせたのは、この時期の前後に織田弾正忠家にそれほど大きな戦がなく、今川勢や松平勢との小競り合いが数回あっただけだったからだ。
古渡の父、信秀は無類の戦さ好きだったから、小規模の戦いの可能性があれば真っ先に飛び出し戦いに赴く。
だから未だ未熟な(信秀はそう思っていた)信長には出陣命令が出ず、信長は自分の企みの実現へ励む事ができたのだ。
さらに、天王坊住持の沢彦宗恩和尚の存在が信長を助けた。
臨済宗妙心寺派、第一座の沢彦は、平手政秀の依頼により、美濃の大宝寺から、信長の教育係として、天王坊に移ってきた禅宗の僧侶だ。小柄で痩せた身体の沢彦はこの時、五十六歳だ。
信長が元服して吉法師から信長に変名したとき、「信長」という名を字画などに鑑み提案したのは沢彦だったから、信長にとって沢彦は勉学の師匠でもあり名付け親でもある存在だった。
沢彦は、幼い頃から信長を叱った事がない。バサラ姿も褒めずとも咎めたこともない。信長が興味を示さない勉学を無理強いはせず、もっぱら信長が好む地勢、天文、歴史の学びを行わせた。
信長が一益と知り合う前は、それらの学びすら鍛練などの他の用で、二回に一回はさぼる信長が、たまに気が向いて叱責覚悟で沢彦を訪れると、沢彦はさぼりを咎めることもなく、信長の聞き知った話やそれについての評価選択を問う信長の言葉をよく聞いてくれた。
そんな時沢彦は、短く事の是非を言うか、適切なアドバイスを簡略に述べるだけで、あとはただ細い目を更に細めてニコニコとしているだけだった。
信長にはその真意がわからないが、沢彦は心中で周り中からバサラの大うつけと評価されている信長の、まだ隠れている(表向きはだが)その優れた気質をすでに見抜き、強い愛情と期待を抱いていたのだった。
沢彦はそれを直接信長に告げる事はしなくても信長の為なら労苦を厭わない覚悟を持っていたのだ。
だから沢彦は、信長に一益との関係を秘匿するため寺侍としての雇用(偽だが)を頼まれた時も、厩の建設と馬番の住み込みも詳しい訳も聞かず即決で許したのだった。
そんな沢彦宗恩の並々ならぬ理解と援助が信長の企てを助けたのだ。
天王坊の一益の部屋。
信長はいつものバサラ姿。
伊賀からの朗報をもって、帰ってきた一益と三人の若者は、埃を払っただけで旅装束もとかず、若者達の担いできた大葛籠だけが、部屋の隅に下ろされている。
三人の若者達は笠を脱ぎ、両手を突いて胡座に座って、頭を床に擦り付けている。葛籠の一つから時々小さな物音がするが、それが何かはまだわからない。
同じく胡座座りで、両手を突いた一益が笑顔で言う。
「お殿様、まず此度は祝着至極でおます。お殿様の思い伝わってほんまにうれしいことですわ」
この言葉だけでは、三人の若者には伊賀との盟約はわからない。
信長も日焼けした顔を崩して笑いながら言う。
「ほうだな。ありがてゃあな・・・みな滝川のおかげだがや。その手柄は並みだにゃあがや。俺は感状(手柄を認め誉め讃え認める書状。武士の就職に役立つ)出してゃあくりゃあだわ。心底より礼を申す。この通り」
と、床に両手をついて頭を下げる信長に一益が慌てて言う。
「あきまへん、お殿様がそがいなことしはったら、まだ事は始まってもおりまへん。お殿様が家督継いで初めて始まりでんがな。おつむ(頭)ちびり(磨り減る)まっせ」
顔を少しだけ上げた三人の若者が、信長の一益への強い褒め言葉も一益の答えの意味も解らずきょとんとしながらも、小さく笑い、信長も笑う。
「ちびってはかなんがや」
信長が聞き覚えた甲賀言葉と尾張言葉を混ぜて返したから、一益は微笑み、若者達が先程より大きな声で笑う。
「ほいて、これらは、わての家の家の子(主家と血縁関係のある従者)の子ぉらですわ。炮烙火矢の張り立て(製作)にこうかから連れて来たんだっせ・・・三人とも、総領ではないさけ(長男ではないから家を継ぐ義務がない)、ええあんばいなんでっせ・・・お殿様に御断りもせんと勝手にやらかして堪忍だっせ」
「おう、張り立て手の事忘れとったがや。みな、まだ若きゃあな・・・俺とおんなじくりゃあかな」
「おまはんたち、この御方が、織田弾正忠家の御総領(実際には異腹の兄が二人いたが、正室の長男は信長)、織田三郎信長様や・・各々の名前と歳言うて、御色代しなはれ」
すると、信長から見て向かって一番右の若者が汗まみれの顔を上げて信長を見て言った。
「お、お殿様には、お、御初にて、わ、わては滝川の若はんの家の子ぉの康吉でおます。と、歳は今年に十八でおます」
と、髪を短く後ろで束ね、大柄で細い目の康吉は震える声で挨拶を終えると、また頭を床に擦り付け、その隣の若者が顔を上げて言う。
「わいも康はんと同じ若はんの家の子ぉで正成言います・・・歳は十九でおます」
正成の髪も康吉と同じで、中くらいの体格にふたかわ目と高い鼻梁が特徴的だ。正成の声は落ち着いていて、顔に汗はない。
同じ事が続き三人目が顔を上げて言った。
「ご、御尊顔を拝させてもろて、あ、ありがたい事でおます・・・わわ、わては英一言います。歳は十八でおます」
英一は小柄で、顔全体がちんまりと纏まっていて、その声も小さく震えている。英一は緊張からか、汗まみれだ。
三人とも、見るからに田舎の純朴な青年らしい雰囲気を持っている。
信長はいちいちの挨拶に笑顔で応じて言った。
「さようか。遠いこの尾張まで、よぅ来てくれたなも。俺が三郎信長だがや・・以後は滝川に従いて働いてくれよ」
信長は一益の独断を咎めないどころか、三人の採用を即決で決めたのである。即決の主な訳は、勿論三人の背後が明るかったからだが、それを口にはしない。
と、一益が若者達に言った。
「おまはんたち、こっからはお殿様とわいとで話しするさけ、那古野の御城下の見物でもしてきなはれ。これ持ってき」
と、座ったまま三人に振り向いた一益が、懐から、小さいが重そうな巾着を出して英一に渡した。
「腹も減ったやろ・・・なんでも食ろうたらええけど、傾城宿(売春宿)はあかんえ・・・わかったら行きなはれ」
この頃の那古野城下は殷賑を極め、人口は二万を越え、あらゆる種類の商家が建ち並び、中には、密かに遊女を供する売春宿まであったから、一益はそれを言ったのだ。
傾城宿と言われた三人がぽっと頬を赤らめ、また揃って床に頭を擦り付け、康吉が代表して言った。
「ほな、わてらは去なしてもらいますえ。お殿様、以後よろしゅうお頼申します」
信長が「うん、うん」と頷く。
三人がぎこちない動作で、信長に尻を向けないよう部屋を出ると、一益が話を始めた。
「まず、服部んとこは、あんじょうよう(よい案配に)いったそうでっせ。伊賀の頭分は、百地と藤林の二人で務めることで納まったんでおます・・・・ほいて、わいは、こうかのおとさんに、改めて詫び言うて、これまでの愚かを許してもろうてきたんでおます・・・やけど、お殿様に抱えてもろてる事も話ましてん。あっ、伊賀との事は言うてまへん。ほいて、炮烙火矢の張り立てについてまた教えてもろうてきたんでっせ・・・」
一益が父親に教えてもらってきたのは以下のような事である。
以前一益が里帰りした時与えられた、銅製の炮烙火矢は、滝川家の主家である伴氏から下げ渡されたもののうちの三本だった。
父の滝川資清はそれを一益に渡す前に研究して、その爆裂弾の名前の炮烙が元々、陶器の調理器具の名だということから、気づいた事があったのだ。
炮烙火矢そのものは、一益の推測によると、この頃より、ずっと前から、堺商人の大船で、遠く琉球や種子島まで航海して貿易をしている雑賀衆から、根来寺を通じ、甲賀に伝わったのではないかという事だった。
質清が気づいたのは炮烙の玉薬や鉛玉、金属の破片を入れる球体を銅などの金属で作る必要は必ずしもなく、陶器で作れば製作が簡単で費用も少くて済むのではないかということで、陶器の破片は金属の破片より多少殺傷力で劣るが、要するに、爆発瞬間までに中身を密閉して形を保っていればいいのだから、製作過程全体の簡易性経済性を考えれば、陶器の方が勝っているということだった。
資清は、試作し、その威力を見極めた上で、尾張で信長の為に働くと決めた一益の決意を聞き、それを教えたのだ。
西国で、異国から伝わったその金属製爆裂弾の外見が、見慣れた炮烙を二つ合わせにした物に似ていたから、炮烙火矢と誰かが名付けたが、それがたまたまのヒントになり、陶器での製作に至ったのだ。
そして、連れてきた三人は、忍び仕事に向いていないと早くから一益の父親、資清に判断され、もう何年も前から、所謂、甲賀焼きの陶器製作をやっていたから、総領ではない彼らの境遇と将来も視野に入れた一益と父親の相談で、陶器炮烙火矢製作の為の尾張派遣と成ったのだ。
未だ無名と言ってさしつかえず、敵となる可能性すらある、他国の信長に仕えると言った一益を信認し、ひょっとしたら主家への裏切りともとられかねない行動をした、資清の心はやはり親なればこそからであろうか。はたまた、歴とした侍の覚悟からであろうか。
信長が驚く。
「ほうきゃ、陶器でええなら、色々あんびゃあ(案配、具合)良さそうだがや」
一益が更に続ける。
「ただ二つ、咎(とが=欠点)あるんやけど、要は、まあるい入れもんに、玉薬やら入れる穴と、火縄差し込む穴、棒突っ込む穴があれば、玉薬の穴は木栓で塞げばええし、棒穴はどんつき要りまっけど(固定の為に球体の中に、底のある、木棒と同じ直径の円柱型の凹みがいる)、それは土捏ねてやることやさけ、ただけにむっかしい(とても難しい)ことやおへん。その凹みはさくう(内部に突きだしているからもろい)おまっけど、玉薬やら込めたらそれで固められるんどす(球体内部に玉薬や鉛玉、金属片を一杯に詰め込めば、それらが凹み部分を外から補強するからもろさは補える)。あれらは、もうそれをおとさんの指図で何べんも作ってますねん・・・そやから、お殿様、それを焼く窯と、仕舞う倉をまず作らなあかんのとちがうやろか・・・・ほいて、あれらは、湯呑みやら茶碗やらを元々焼いてたさけ、炮烙玉も作りながら、そげなもんも焼いてれば、人から怪しぃ思われへんのやないかな」
「うん、ほんでもよ、二つの咎とはなにかのん」
「ほれは、一つは、焼き物やから、爆ぜる(爆発)前ぇに地べた(大地)落ちたら割れてしまいよることですわ。銅なら割れまん。そやから、火縄の燃え具合がいっせつ(いつも)にまさやかに(一定で正確に)揃うてないとあかんのと、放ち手が、炮烙が、地べたに落ちる前に爆ぜるよう、放つ時節(タイミング)覚えなあかんのですわ。この放ち手の鍛練がいっち難儀なことですわ・・・もう一つは、陶器やと金張り(金属製)と比べたら重いいう事ですわ。そやからおとさんは、球を小そうして、陶器も薄う焼け言わはりました」
信長は眼を輝かせて聞いている。
「薄うても、放ってから爆ぜるまで形保ってれば、だんない(大丈夫な)ことやから。球が小そうなって爆ぜる力ちいと落ちまっけど、放つ数増やしたら同じことや言わはりました。(威力が落ちても、製作方法の簡易化と制作費が割安なのを利用して大量に製作し、戦闘時には大量の陶器の炮烙火矢を放てば、結果的にはあまり変わらない)そげな事も三人は心得てまっさかい」
信長がうんと頷いて言う。
「いちいちもっともだがや・・・金(かね=銅)は値が高きゃあしな。金張りと比して、張り立てにかかる時が陶器の方が早いのがなによりだなも・・・炮烙火矢足らぬといっても、金張りなら金打つ技で球を薄う張り立てれる者(金属加工で薄く球体を作る技術を持つ者)にしか作れえへんがや・・・」
信長は、事柄を整理して考えるよう、少し間をおいて続ける。
「お主のてて御殿がくれた書き紙見ても、張り立てちゃっちゃっと出来る者、この辺りには何人もはおらんだろう。陶器なら、並みの焼き物職人にも作れるがや。金張りよりは早めにようけ(大量に)作れよう。 目が覚めたようだがや。ほんなら、ま、鍛練の事はまだ先だで、その、場所だがや。やっぱりこの天王坊だな。城から近きゃあし、ここなら広えで(天王坊の寺域は六万坪近い)、三人にも部屋貰ってよう。沢彦様にまた頼んでくるわ。沢彦様の一声で、寺の坊主どもは口硬くするしな。三人の扶持はお主の分に上乗せしまい(上乗せしましょう)」
一益が心配顔で言う。
「お殿様、御扶持言うて、またそげなおおさわな。しばらくはここで住まわしてもろうて、働かして頂くだけで、ええんでっせ。そげな事より、わいの事でも色々もうおっさん(坊さん、沢彦の事。「お」にアクセント)に御頼みしてはるから、ちいとしとみない(気が引ける)ですやろ。やから、その炮烙玉以外に焼いたもんは、この天王坊の名ぁ借りて売ったらどないでっしゃろ。ほいて売って得た銭をここに寄進したらええんやないでっか。僅かでも、気ぃが違うんやないでっか」
「うんうん。天王坊謹製か。よう売れるかもしれんがや。ほんならそのように、沢彦様に言ってみるわな。お主も汗流してゃあだろけど、風呂がまだ沸いとらんで。滝川よ、腹は」
「へっ、まあそらちいとは」
「ほしたらよ、那古野の外れに、素麺を味噌で仕立てて食わせるとこあるでよ。馬で行こまい。百姓が小銭稼ぎにやっとるんだけどうみゃあらしいでよ」
「へっ、まだ話ありまっけど、伊賀との約成ったさけ、お殿様が家督継がはるまでは、そうは慌てんでもよろしおすからな。ほなっ。あっ、そやけどお殿様、わいと二人一緒は、あかんのと・・・」
「ええの、ええの。那古野の侍どもは、この頃ますます俺をたわけだと思っとるで、おれが何やっとっても気にも、せーへん(しない)。
ほんだし滝川はここの寺侍だがや。俺はここへ学びに来て、お主と俺は知己になったんだがや。知己だで、一緒に飯くりゃあ食うわさ」
「ははっ、そうでんな」
そう答えながら、一益は物音を立てる葛籠に目をやったが、何も言わなかった。
二人が部屋を出ると、木下藤吉郎がにこにこ顔で、信長の馬、東雲と、まだ無名の一益の馬を牽いて立っている。一益が声をかける。
「もくとうはん、おおきに・・・お殿様とわてが表出るのようわかりましたな」
藤吉郎は無言で頷くだけだ。
信長が聞く。
「もくとう、猿のこときゃ」
「へっ、木下はんやら藤吉郎はんはなんや呼びにくうて、木下の木をもく、藤吉郎のとうで、もくとうはんでんがな。そやっ、お殿様に頂いたこの馬に名ぁ付けたんでっせ」
「ほうだ、俺が名前付けよ言ったんだったがや・・・・何て付けたんかのん」
「いかづち、雷と書いていかづちでっせ」
「お~っ、ええ名だがや・・・滝川はことのは(言葉)の使いもうみゃあで、ええ名を思いつくんだわ」
一益は照れ笑いだ。
「猿っ、味噌素麺食いにいくがや。おみゃあも来るか」
「そ、そんな。お殿様。そ、そんなもったいにゃあ(恐れ多い)事出来んがね・・・どうぞ行ってきてちょうでゃぁあそわせ(行って来てくださいませ)」
半刻もせず、二人が帰る。藤吉郎は片膝で頭を下げて待っていて、二人の馬の手綱を受けとると廐へと曵いて行く。信長が呼び止める。
「猿っ、とさん(土産)だがや。味噌素麺旨かったのに、おみゃあも来やあよかったんだわ・・・ほんだで味噌と素麺貰ってきたった」と、竹皮包みを投げ与える。
藤吉郎は振り向いて笑顔で上手にそれを受けとると、頭が膝に突くほどの辞儀をして、馬と共にまた廐へ向かった。
「もくとうはんは、ほんまによう気ぃがつかはって。坊(ぼん、少年)やけど、あの子ぉはなんや見所ありまっせ。なにより性がほがらなんが(性分が明るい)ええとこや。あの子ぉは、誰からも好かれまっせ」
藤吉郎は信長より三歳年下だから、この時は十四歳だ。
二人は部屋に戻り話を再開した。
一益が大葛籠を持ち上げ、信長の前に下ろすと、蓋を開けた。
「ばたばた」と何かが羽ばたく音がして、鳥の糞の臭いが微かにする。
「んっ、鳥か。なんでゃあこれは」
「鳩だす。こうかから伊賀に寄って答聞いた折、百地はんと藤林はんが持ってけ言わはったんでっせ。ちいと臭そうおますが堪忍でっせ。鳩の事は色々おせて(おしえて)もろうてきたんだっせ」
「鳩を如何にするんかのん」
「伊賀との繋ぎ(連絡)ですわ。なんでか訳はわからへんのやけど、この鳩らぁは、今ここで放したら、真っ直ぐ伊賀へ帰りよるんでっせ。百地はんは、尾張からやったら一刻くらいで飛っびょる言うてました。鳩の脚に便り縛り着けて放ったら、もうすぐ届くんでっせ」
と、一益は、葛籠の中から、手紙を入れて鳩の脚に縛り着ける小さな金属筒に紐がついた物を取り出す。
「この筒に、丸めた便り入れたらええんです。長い便りはあきまへんけど、まあ、大事なことの否応だけでも、時かからず決めれまっさけ」
「ほうだがや・・・お主がまめまめしゅう(本気で)走れば二日で行き帰り出来るだろうけどよ、旅は険しきものだで、鳩なら気にせんでもええわな。ほんでもよ、飛んでっとる時によ、鷲鷹にやられえへんか(飛行中に鷲や鷹に襲われないか)」
「言うたら、ちいとおおさわ(大袈裟)やけど、この鳩らぁは忍び鳩なんだっせ・・・放つときは、便り筒縛った脚のもう片方にこれ着けるんだす」
と、一益が再び葛籠から何かを取り出して信長に見せる。それは金属性の小さな小さな鎧のような物に、一寸程の鋭く尖って湾曲した両刃の刃がついた物だった。
一益が、葛籠の中の竹の仕切りを外して鳩を一羽取り出した。鳩は静かに一益の手の中だ。
「この三つの輪ぁに鳩の足先入れて、この後ろの筒を脚に合わせて、音するまで押したらこの刃が後ろ向きに使えるんだっせ。鳩は襲われたら、脚を下から蹴り上げて、闘うんだっせ。言うたら逆袈裟斬りでんな。そんなんされたら、鷲かて鷹かて驚いて逃げまっせ」
それは非常に精巧に出来た、鳩の脚に刃物を固定するための道具だった。
鳩の足を覆うような台形に近い金属の小さな板の下底に鳩の三本の足を入れる三つの輪があって、輪に鳩の足先三本を入れる。
台形上底には縦に、鳩の脚を嵌め込む為の、縦に真ん中から開閉が出来る、便り筒より太長い筒があり、開いているその筒を鳩の脚に嵌めてぱちんと音がするまで指で押せば、バネが効いて刃物は刃先を下に、筒と輪で鳩の脚に後ろ向きに固定されるのだ。
その仕掛けは見ただけではわからない。
その時、信長に鳩たちが喧しく話し合う声が聞こえてきた。
「どこや、ここ」
「伊賀やないで、匂い違うで」
「こげな狭いとこ閉じ込めくさって、腹へったがな」
「喉が渇いたがな」
「見たことないこの坊だれや」
「わいら、雪丸はんにほかされたんか」と、一羽だけ真っ白い鳩が言った。
「ほかすかい。どんだけ可愛いがってくれはったんか忘れたんか・・・どあほ」
元々生き物好きな信長だったから、可愛らしい鳩達の会話に、自然と笑みが溢れる。
だが、鳩が雪丸と人の名らしき事を言ったので、小さな声だったが思わず復唱してしまった。
「雪丸・・・」
一益にも当然聞こえる。
「えっ、なんて言わはった・・・ゆきなんやらて聞こえましたで」
信長は焦った。鳥獣の言葉が解ることは、平田三位の教えを守り、誰にも言ってなかったからだ。
それに封印している聴き取る力が、念じてないのに覚醒したことにも気付いたが、その理由が判らない。
しかしそれも口には出来ない。
「いや、この鳩が真っ白だで、雪のようだな言っただけだわ」と、咄嗟に答えた。
「ほうでっか。ほうでんな。綺麗な白でんな。話戻して」と、一益が深く追及しなかったから、信長はほっとした。
信長は、一益だけには、その不思議な現象を何度も伝えようと迷っていたが、今日までその決断がつかなかったのだ。
鳩を仕舞った一益が続ける。
「ほやから、鳩小屋も作らんとあかんのですわ。今ここでこの鳩らぁ放ったら、伊賀までは必ず行きよりますが、ここへはもんてこられへん(帰ってこられない)。やから、小屋建てて餌やって、慣らしてこの天王坊の場所覚えさせるんですわ・・・覚えたら、何べんでも行ってもんてが出来るようなるんだっせ。お殿様、鳩小屋の事も、おっさんに頼んでくなはれ」
「うん、二つも三つも同じだがや・・・ほんでもよ、鳩はどうやって仕込むんかのん」
「伊賀には獣使いが達者なもんがおるそうやから、それらがやるんやないやろか。ようわかりまへん。やけど、伊賀もんにはこれからも肝潰れそうに驚くことただけにありまっせ。あっ、そや、約の成った上の起請文いるか言わはったお殿様の問いには、いらん言うてました」
信長は沢彦にまたいくつもの頼み事をした。沢彦は即決で全てを許可する。
一益は、三人の若者達と協力して、まず鳩小屋を建て始めた。
建物の材料は、全てが沢彦からの要望と偽り、寺の財政を潤す為の焼き物作りとその貯蔵のためであることで押し通し、借用として、那古野城から運んだ。貯蔵蔵は、かなり大きいが、信長の師でもあり、尾張へ来る前から付き合いがあって仲の良い沢彦からの要望(全て偽りであったが、その辺りの嘘も沢彦は訳も聞かず承知してくれていた)と聞き、平手政秀も納得して、色々と援助してくれた。
鳩小屋は一日もかからず完成し、一益は十羽の鳩を小屋に入れて飼育を始めた。鳩飼育の表向き理由は、沢彦を慰める愛玩用になっている。
更に、陶器に使う土は、三人の若者に尾張周辺を探索させて、吟味させ、その買い入れ運搬は津島商人に一任した。炮烙球に美的要素は不必要だから、なるべく安価な土を選んでも、威力には影響しない。仮に銅金属での製作と比べた場合の費用差は手間賃も考慮すると、約八分の一だった。
全ては順調に思えたが、信長も一益も、更に重要な課題があることには、あまりにも急激な事の進展とその対応に追われていたからまだ気づいていなかった。