あゆちのびと衆 第一章 その三
炮烙火矢
天文十八年。もう、種蒔きの頃だ
一ヶ月が過ぎ、左近一益はまだ帰らない。
信長は相変わらずの毎日だ。
早朝の馬責めの後、那古野城内の井戸端で、いつもの顔ぶれが、褌一枚で水をかぶっている。
剽軽な前田犬千代が、信長に聞く。
「お殿様、滝はんはどうしたんだっか」
池田恒興が、その言葉を聞いて咎めるように言う。
「はん、だっか・・・おみゃあ、ことのは、おかしいがや・・・滝川様のが移ったのか」
「滝川様は、俺の事、前田はんとか犬千代はんとか言うもんで、俺も滝はんって言っとるだけだがや。ほんだし、滝はんは俺に、ようもの言ってくれるで(よく話しかけてくれるから)、ちょこっと移っただけだがや」
「ははは、ほうだな、おみゃあは滝川様に可愛がられとるもんな・・・尻でも貸したったか」
「たわけぇー、俺は俺の以外の珍宝なんか見るのも嫌なくりゃあなの・・・若ゃあおなごの素裸見るのは好きだけどよおー。おおかたあ、尻の穴にこんなもん入るか」
と、犬千代は己の胯間をポンポンと叩いて恒興に迫った。
皆が笑い出す。
信長も、笑いながら言う。
「滝川はよう、天王坊のお師様の使いで、大和(奈良)やら、都やら行っとるんだわ・・・おいぬ、おみゃあ、その若ゃあおなごの素裸は見たことあるんか」
急な問いに犬千代は、くちごもったが、すぐ答えた。
「ほ、ほんなもん、あるわけにゃあがね。荒子城の奥女中のあか裸は後ろから見た事あるけどよ、乳見たかったけどよ、前、向いてちょうとは言えんがね」
「ほら、ほーだ(それはそうだ)」
信長が、吹き出すように言ってから、大笑いする。他の者も腹を抱えて笑っている。犬千代も、きょとんとしながらも、にこにこと笑っている。
信長は濃とは仲睦まじく暮らしている。
(メンタ蝮のほがらな事。この頃はたんびに(その都度)埒明かしたっとるでな・・・金之助んとこで、知った振りして笑っとったけど、本当は俺も、埒なんだ(埒とは何か)、知らんかったもんな・・・まあ、政秀も誰も、ほんなこと(そんなこと)俺に、言いにきぃ(言いにくい)わな)
濃は、信長のバサラ姿も苦にならないのか、朝になると、茶筅髷のもとどりの巻き糸を、赤にしたり青にしたりして、喜んでいる。
今朝も、朝から信長の世話をいそいそとしている。
「お殿様、馬から落ちたら、だちかんのやお(駄目ですよ)・・・しと(人)にこっぱい(迷惑)ことしたらいかんずら・・・なりもの(作物)かってに採って食うたらあかへんの(いけない)やお」
「わかっとるでええの・・・おみゃあはそうましい(喧しい)の・・・やることなかったら、薙刀でも習え・・・三位様に頼んだろか」
「いんね(いいえ)薙刀は稲葉山で習ったずら。そや、わっちは鉄砲習いたいんやお・・・ お殿様、ええけ(よろしいですか)。橋本一巴様に頼んでちょうでゃあ」
「おみゃあの遊びに使える鉄砲みてゃあ、あるわけにゃあがや・・・ほんだし、一巴様は、鉄砲足軽の鍛練で忙しいのに、頼めるわけにゃあがや」
「ほんなら、前に言うてた、鉄砲上手の滝川たら言う仁は」
「滝川は、今はおらん」
「ほんなら、お殿様教えてちょぉよ。鉄砲は、尾張来るとき一挺もってきたんやお」
「何、鉄砲をか・・蝮に貰ったんか。
蝮は、何しに(何の為に)鉄砲持ってけ言った」
「ただ使えって言やぁあたずら(仰いました)」
「嫁入りに鉄砲か・・・蝮らしいがや。
ほんで、おみゃあはやっぱり仔蝮だがや。
しゃあにゃあ(仕方ない)、これから暇見て教えたるわ・・・その鉄砲持ってこやぁあ(持ってきなさい)」
濃が、隅に控える奥女中に小声で何かを命じる。奥女中は、美しい着物の裾を翻して部屋を出ていく。
すぐに戻った彼女は、胸に抱えるように、金蘭錦の細長い布袋を持っている。
濃に膝を折って布袋を差し出す。
受け取った濃は袋の結びをほどいて、黒光りする鉄砲を取り出し信長に手渡す。
信長は鉄砲を入念に調べる。
「堺筒だがや。試し撃ちちょこっとしただけの新品だがや。四匁だな。斎藤の二頭波紋は無ゃあけど、ここに蝶が彫ったるがや。蝮も親だな・・・おみゃあが可愛えーんだな。ほれっ見てみよ」
信長が目で示しながら、濃に鉄砲を渡す。
銃の真ん中辺りの上部に、前目当て(照門)があり、そのすぐ後ろの銃身に金象嵌で、蝶々の模様が入れてあった。濃が頬をふくらまし言う。
「とと様は、お優しい方やし。蝮やなんて言うたらあかんのやお」
「わかったわかった、織田に来るおみゃあの鉄砲に二頭波紋入れて無ゃあので、おみゃあのてて様の心解るで、そう怒らんでもええわ・・・ちゃんと鉄砲教えたるで」
何日かして、日課を終えた信長が、濃を連れ、那古野城内の射撃場にいる。
信長はいつもの装束だが、濃は、髪を後ろに束ね鉢巻きをし、朱の小袖に同色のくくり袴姿だ。信長の足元には、弾薬を入れた胴乱が置かれている。
「まず弾と胴薬(火薬)、筒先から入れるんだわ。胴薬が先、弾はあとだかや・・ほしたら、この槊杖で、奥まで突っ込むんだけどよ、あんまし強ようやったらいかんし、顔を筒の上おいたらいかん・・・胴薬燃ぜ(はぜる=爆発する)たら、かるかがおみゃあの顔に刺さるか、弾が貫くでよぉ」
濃が頷く。
「ほしたらこの火皿に口薬入れて、火蓋閉じる。火縄を火挟みに挟む。火蓋を外して構える。前目当てと先目当てを角(的)に合わせるんだわ。ほしたら、こう構えて、この引き金引くと弾が出るんだわ。一発放ったらかるかで、筒内の滓を掻き出す。やってみい」
濃は信長から鉄砲を受け取ると、言われた事をまごつきながらもやって、鉄砲を構える。信長が手を添えて構えを直す。
「よし、構えはええわ・・・それっ放てっ」
轟音がして、濃がひっくり返った。
信長が笑いながら助け起こす。
「ぐはは、大丈夫か・・・お濃、頭うったか」
「笑うたらあかんのやお・・・わっちは初めてずら。お殿様は何べんも放っちょるんずら。こぺちょったら(威張っていたら)あかんのやお・・・まっかいやるんやお(もう一度やるんです)」
濃は諦めない。十発ほど撃つと、顔が火薬滓で黒くなる。十間先のスギ板の的にはまだ当たらない。
十一貫(約四十一㌕)ほどの小さな身体と、非力な濃には、発射の反動で銃がはね上がってしまい、弾は大きく外れてしまう。
信長が姿勢や構えを直してやるが、発射の衝撃に耐えるのがやっとだ。
「おみゃあにはやれん(出来ない)・・・だちかんわ(どうしようもない)」
「いんね。わっちは出来るまで、しからかす(やりまくる)んずら」
「何しに鉄砲習いたい」
「そりゃ、お殿様がお留守の時の為ずら。
お殿様が戦に出たら、那古野のお城誰が守るん。女子供や年寄りでも、鉄砲扱い覚えたら、敵と闘えるずら・・・とと様も、きっとそのおつもりやったんやお・・・そやから、まずわっちが覚えなあかんのやお」
信長が驚いた顔で言う。
「ほーか、そんな覚悟か・・・えりゃあ(立派だ)がや。ほんでもよ、おみゃあの小さな身体では鉄砲の返し(反動力)が支えきれんがや。ほんじゃあ(だからと)言って、鉄砲一匁とか小さい筒にしやぁー、敵討てんがや。弾当たっても、鎧兜に弾かれてまうがや。志は誉めたるで、まあ、止めときゃあ(やめておきなさい)」
「いんね。何べんけばいて(失敗して)も、止めたらおぞい(お粗末)ずら・・・」
濃は、諦めずそれから、五十発も射撃を続けた。
顔中が火薬滓で真っ黒で、それに汗が混ざって滴り落ちている。鉄砲を持つ両手も、筋肉が限界なのか小さく震えている。信長は、せめてもと、弾薬の装填と銃身内の掃除を手伝ってやる。
濃は、だんだんと発射の反動に慣れてきたようだが、やはり弾は全く的には当たらない。
やがて射撃を中断した濃が言う。
「お殿様、これは、なんやらのかんこー(工夫)がいるずら・・・わっちの非力をたすくる(助ける)かんこーやお・・・今日はもうおくんやお(止めときます)。お殿様おおきにやお」
射撃練習はしばらくの間行われなかったが、濃が誰か腕のいい木工職人を紹介してくれと信長に頼んできたので、那古野城下の評判のいい職人を召しだして濃に会わせた。
そしてまたすぐに橋本一巴にどうしても頼みがあるとしつこく頼まれ、ある日一巴を濃の元へ行かせた。
一巴は、平手政秀の縁者である。身長五尺三寸、体重は二十貫。頭が大きく短足胴長で、細い目はとろんとしており、表情からは感情が読み取りにくい酒樽の様な体型の四十歳くらいの男だった。
だが、さえない容姿からは想像も出来ないほど鉄砲の腕は抜群で、六匁筒での三十間(約五十五m)撃ちなら、吊るした一文銭を百発百中で撃ち抜いた。その腕を信秀に見込まれて、一巴は信長の鉄砲師匠になったのだが、信長は一巴には不満があった。一益の腕が、一巴を明らかに上回ることは別にしてだ。
一巴の教えで、信長や鉄砲足軽達の腕は確かに上がった。
だが一巴は保守的で、従来の鉄砲操作を当たり前とし、少しでもやり方を変える事を嫌った。
信長の望む弾薬装填のスピードアップとか、雨天時の発砲を可能にする工夫だとかを、信長が提案しても、最初から考える余地はないとばかり取り合わない。信長は、師である以上、重ねての提案は無礼と考え諦めていた。
だからといって、師匠を変えたくても、一巴は、那古野にいるが、臣籍は古渡の信秀のもとにあるから、信長が、勝手に解雇はできないのだ。
信長が一益に、雑賀根来の衆との接触を頼んだのは、一巴への不信からだった。だから、最近では、一巴との関係が冷えていることを信長は感じていた。そうは言っても一巴への弟子としての礼儀は欠かない。
濃の用が済んだのか、一巴が信長の居間へやってきた。露草色の肩衣袴を太った身体にきちんとつけている。
信長が聞く。
「御師様、すまなんだなも(もうしわけありませんでした)・・・お濃の用はなんだったんきゃ」
「いや、お殿様に詫びられるような事では無いがね。鉄砲を、さんざん(バラバラ)にするやり方教えよ、言わっせるで、教えてきたんだわ。ほんでもよ、からくりんとこはなぶっとらん(鉄砲の発射機構は触っていません)がね。御方様の持ち物と聞いたんで、御言葉通りにしたがね・・・なんの為かは、言わっせんけど、御方様、まあ喜びゃあて、眼が輝いとったがね・・・ほんで、色々見や~て、これはなんだあれは何に使うとか問われて、終いには、ま~わかったで、元に戻せ言わっせるで、御言葉通りにしてきたがね」
信長が、首を傾げて言う。
「鉄砲をさんざん・・・戻して、なんでだわからんがや」
一巴は、無表情に頭を下げると出て行った。信長だけに見える、この頃の一巴の背後は透明だ。
そこへ濃がきた。
信長が問う。
「何しに鉄砲さんざんにしたや(ばらばらにしたのか)」
濃が笑顔で答える。
「そりゃ、お殿様に言ったずら。わっちの非力たすくるためやお・・・ほいて、この前の繁造たら言う、こだくみ職人な、あのじんをまた呼んでくれんかなも・・・ほんで、かんこーにちいと時がかかるんやで、あのじんをお城に泊めたいんやし、お許し欲しいんやわ・・・あと、あの繁造に御褒美もやって欲しいんやわ」
信長も笑顔で頷く。
「ええわ・・・おみゃあの志には参った(感心した)で、政秀に言っとくで、励め。励め」
それから、しばらくは、濃は何も求めず、信長が在城の時は、その世話を焼き、信長が出かけると、木工職人の繁造と二人で、何かをしているようだった。
一益が旅立ってから、二ヶ月近い暑い日、一益が、天王坊へ帰ってきた。
寺の役僧が、那古野城の信長に知らせに走る。信長は馬を飛ばして駆け付ける。
一益は、汗まみれで、僧坊前に立っていた。傍らに大きな葛籠が置かれている。彼は旅装のまま、髪は埃にまみれ、山中を駆け回ったのか、顔は小さな傷だらけで、着物も、あちこちが破れたり、裂けたりして薄汚れている。疲れからか、頬が痩けているのも明らかだ。
馬から飛び降りた信長が、満面の笑顔で言う。
「滝川、ありがたし、かたじけない。
面(おもて=顔)、傷だらけだし痩せてまったがや。大きい怪我はないきゃあ。ほれから、かぞいろ(両親)様は御息災だったきゃ」
一益は陰扶持とは言え、もう扶持を信長から貰っているから、主従関係が成立している。だから、信長は、おんしと呼ばず、滝川と呼び捨てにしたのだ。一益も、そんな事は心得ている。
信長を見て片膝をついて、頭を下げた一益は、その最後の問いに驚きながら言った。
「えっ、かぞいろだっか。おおきに。へえ、二人とも、変わりのうしてました。怪我言うても、枝葉で切ったりしただけでおます」
信長が続けて聞く。
「ちょかりの始末はついたきゃ」
「へえ、まあ、おとさん(父)は、まだお怒りだしたけど、泊めてくらはったし、おかさん(母)はただ喜んでくらはりました」
一益は、信長が本心から、一益の家族関係を案じて聞いてくれているのが、直感的に判った。だから、またしても、眼が潤む。
(泣かされっぱなしや・・・あかんあかん。言わなあかんこと、あるんや・・・泣いてる時やないわ)
「お殿様、えらい遅なってもうて、かんにんどっせ・・・百地やらの在所(居場所)探すのに、せんど(長い)の時かかってしもうたんだす」
「ええ、ええ・・首尾聞きてゃあけどよ、顔つきでおおかた判るで、まず水浴びよみゃー(浴びましょう)。俺も汗まみれだで、一緒に井戸行こまい(行きましょう)。葛籠は誰かに運ばせるでよ」
一益は何か言いたそうにしたが、頷く。
そう言いながら、信長は跪いて側に控える使いの役僧の耳元に何かを囁いた。使いに走ったせいで汗まみれの役僧が、頭を下げると、また、走って寺を出ていく。
二人は寺内の井戸端で、褌一つで水を被る。
やがて、大勢が荷車を引いて、がらがらと音を立ててやってきた。
「城の賄い衆に飯の支度させるでよー、着物の替えも持ってこさしたでよぉー、ほんで、首尾はどうだったかのん」
辺りには誰もいない。手拭いで、身体を擦りながら信長が聞く。
一益も、同じ動作をしながら、少し慌てるよう答えた。
「へっ、来まっせ・・・まだ日にちは定めとりまへんけど、来よります・・お殿様が御決めにならはったら、わてがまっぺん走りまっせ。今度はあれらの在所わかってまっさけ、時はかかりまへん」
「重畳だがや・・・ようやってくれたがや。扶持は今月から倍にするでよ」
一益が「えっ」と驚く。
そこへ、城の小者が、二人の衣服を乱れ箱で持ってきた。と言っても、麻の帷子と鶯色のひらぐけ帯、それに新しい褌だけだが。
信長がその小者に、置きっぱなしの一益の葛籠を部屋へ運ぶよう命じる。
二人はその場で裸になって着替えた。脱いだ二人の衣服は、別の小者が乱れ箱に入れて持ち去る。一益は、腰の胴乱だけを腰ひもごと肩にかつぎ、両刀を手に持つ。信長も両刀を手に持ち、腰の緒道具を腰ひもごと肩からぶら下げる。
二人揃って一益の居室へ行く。葛籠はもう運ばれている、二月の留守にも関わらず、部屋はきれいに履き清められていて、こんな事にも信長の配慮が感じられて、一益は嬉しかった。
お互いが胡座座り(あぐら)で座ると、一益が、正座で両手をついて頭を下げ言った。
「お殿様、お詫び言うんは、来るのが三人やのうて、百地と藤林の二人ゆうことですわ。
服部の党首の半蔵保長だっけど、もうだいぶん前に、伊賀ほかして(すてて)、三河の松平んとこで侍になっとるそうですわ。わてはその事は知らんかったんだっせ。かんにんどっせ」
「詫びる事ではにゃあがね・・・ほんなら、服部一党の束ねは」
「保長の母方の遠い縁者だす。他に男がおらへんよって、仕方のう其奴に継がしたそうですわ。そやけど其奴が荒事嫌いで、忍びの修行どころか、連歌やら、囲碁に双六、経読みばっかりしてて、党束ねる気ぃも無いみたいで、服部党はちいと揺れとるみたいだす。そのあたりの話は百地らがするそうですわ。あと、わては、お殿様のことは、百地らに、いまの織田弾正忠家の有り様と、お殿様のお歳言うただけで、あゆちの事も、あとは何も言うてまへんさかい、あれらが来よったら、一からのおはなしお願いしたいんだす」
信長が頷いて言う。
「滝川、行き届いたる手並みだがや・・・家の者に見習わせたい仕様だがや」
一益は、百地らに、不用な先入観や憶測を抱かせないよう、最低限の情報しか述べなかったのだが、信長は瞬時にそれを理解し、一益の判断に最大級の誉め言葉を与えたのだ。
当たり前だが、一益は、武士の嗜みとして、その称賛を柔らかく否定して言う。
「また、そないな、お~さわな(大袈裟な)事言わはって・・・あ、そや」と、一益は葛籠の蓋を開けて、なにやらごそごそして、信長に与えられた、左文字の短刀と砂金の革袋を取り出した。
「砂金は半分程、使うてまいました。左文字は役にたちましたで。はなは(最初は)二人とも、こつきわるい(愛想が悪い)様だしたけど、この織田様の五つ木瓜と刃見たら転合違う(冗談ではない)わかってくれたんだす。藤林は、刃見て唸ってましたえ。そやから、お返ししまっせ」
「いや、二つとも、お主のもんだがや。褒美と思ってとってちょう(もらってくれ)。ほれから、あん時の連銭芦毛もよ、滝川にやるがや。この二月、小姓どもと、代る代る責めたるで、よう走るようなったんだわ。まんだ名はつけとらんで、お主がつけやぁあええわ。沢彦様に頼んでここに厩も作ったるで、馬はそこに繋ぎゃあええでよ・・・馬番も一人おるでよおぉー」
一益は絶句していたが、信長は続けて言う。
「その葛籠はえりゃあできゃあけど(とても大きいけれど)、国から持ってきたんきゃ」
「そうでっせ・・・これからえうずる(必要になる)もん、持ってきたんでおます。己の居所ここに決めましたさけ。ほいたら、御刀と砂金は、あっ、あと御馬も頂きまっさ。おおきにどっせ・・・それから、これは」と、一益は、また葛籠を探り何かを取り出した。
それは、直径十七~十八cm程の鈍く輝く金属製の球体と、三本の二尺位の木の棒で、球の二ヶ所には小さな穴とその棒と同じ直径の穴が空いていた。信長は、初見だったから聞いた。
「これゃ、なんでゃあ」
「とさん(土産)言うたら憂い事(お恥ずかしい)だっけど、炮烙火矢だす。火矢言うても、御覧の通り、こげな形なんだす。鉄砲の筒に差し込んで放ったり、鉄砲ないときは、この棒、火矢に差し込んで持って投げるんだっせ。六匁筒で使う破裂玉だす」
一益は一息ついてまた続ける。
「話ほとといて(気を長くして)聞いてくなはれ。わては、家の者らに、此度のお殿様の命については何も言うとりまへん。ここの寺侍として、おっさん(坊さん。おにアクセント)のご用で、奈良、都へ行く際に立ち寄った言うたんでおます・・・三日泊まってあとは伊賀の縁者頼りに伊賀中走りまわっとったんやけど、三日目に家出る時、おとさんが黙って渡してくれはったんだっせ。これも」
一益は今度は、肩にかついでいた小さな胴乱の蓋を開け、重ねて折り畳んだ、きめ細かいツヤのある鳥の子紙を取り出すと、信長に渡した。
信長がそれを何枚か広げて見る。
「お、これはこの炮烙火矢の作り方と、扱いの書き紙(書類)だがや・・・なんと分かりやすう図まであるがや・・・こんなええ(高価な)紙に書いたるんだで、甲賀の秘伝だにゃあのか」
「いや、もう西国の村上たら言う海賊らあは、船戦さやらで、ただけに使っとるようやし、雑賀や根来も、もう己らのもんにしとります。まあ、秘伝言うほどではありまへんけど、おとさんも、武道達者のお方やさかい、なんやら察しはらはって、わての為思うてくらはったんやと」
「うん・・・」と、頷く信長の眼が、微かに潤んでいる。
「親とは、ありがてゃあもんだがや。試しに撃ちてゃあ、けど、まず飯食おみゃぁー(食べましょう)。酒も飲んで、今日は休もまい(休みましょう)・・・何事もあしたからだわ。丁度熱田から、魚が色々届いとったで、今、捌かしとるで。ガザミ(渡り蟹)がちいと遅いけど、まんだ旬だで、うみゃあよ。今日は穴子はおらんかったで憂えんでも(心配しなくても)ええわ」
一益が苦笑する。
「ほれからよ、馬番の小者だけどよ、親がてて様の足軽だったけど、戦で傷負って、今は中村の在で百姓やっとって、その惣領なんだわ・・・生駒屋敷におった時見つけて俺が拾ったんだけど、織田で雇ってはおらんのだわ(織田家の正式な家臣ではない)。まんだ十二か三の小童で猿みてゃあな奴だけど、まあ気配り出来るで使えそうなんだわ・・・藤吉郎いう名だで、馬番と俺との繋ぎ役やらせるでよぉー。俺は猿、猿呼んどるんだわ。まあ、仕込んだってちょ(教育してやってくれ)」
足音がして、誰かが戸の向こうで声をかける。
「お殿様、万端整のったがね。運んでもえ~きゃ~も」
「おぉっ、運べ運べ」
戸が開いて大勢の賄い方が、膳やら大皿を大量に運びいれる。
大皿には、蒸されて赤くなった大きなガザミが山盛で、白身の刺身や鮑、サザエの刺身。がしもあり、めばるやあいなめも煮てある。違う皿には、表面が真っ白な青魚の刺身もあり、他には、鳥の焼き物、鮎寿司や鯉の吸い物、うなぎの焼き物、酒の瓶等で、狭い部屋が埋まった。
信長が笑顔で言う。
「皆の者、大義。あとはええで下がれ。寺でこんなもん食うのはいかんけどよ、今日は別義だで。沢彦様怒りゃあたら俺が叱られとくでええわ」
「ガザミは初めてきゃ」
「川の蟹しか知らへんのでっせ」
信長が頷いて、大きなガザミを一匹とって言う。
「これはよ、ここを引っ張って上下離すんだわ」
両手で、蟹の甲羅の合わせ目を引っ張ると、バリッと音がして、蟹が上下にわかれる。
「この、白いえらんとこは食えんで、取るんだわ。ほしたら、上の甲羅んとこの味噌吸うんだわ。残った身掻き出して食ったら、下の甲羅半分に割るんだわ」
下の甲羅に、両手で力を加えると、バキッと音がして半分に割れる。
左右に割られた蟹を更に横に半分に割る。
「ほしたら、あとは箸使ってもええし、吸ってもええんだわ・・・これはオンタだで、身が、がしとおんなしくりゃあ、つるんつるんでうみゃーがや。食べてみい」
信長は四分の一になった蟹を、箸を使い口ですすって食べる。一益も真似して食べる。蟹殻から、身を掻き出すのが、なかなか出来なかったが、だんだんやり方がわかってきて、最後には綺麗に食べられた。がしとは、少し違うが、塩味の水分が多い身は、身力が強く弾力があって独特の蟹の味がたまらない。
「ほんでこれがメンタでよ、裏の筋が太えんだわ」
信長がまた一匹を取り、蟹の裏側を見せる。
蟹の裏側の甲羅の真ん中の二本の筋が下に広がっているのが雌である。
信長が同じことをして、蟹をバラす。
すると、雄とは違って、上殻にも下殻にも中にオレンジ色の卵がびっしり詰まっている。
「蟹はよ、酢が合うでよ・・卵がまたうみゃあがや・・・食べやー」
一益が、雌蟹をバラし、卵部分を酢を浸けて食う。
「ほんまや。いつやらの鰆の白子もうまかったけんど、こりゃまた濃いええ味や」
「うみゃあだろ・・・ほんでこれは鰯の刺身だがや。片身にして皮剥いて腹骨取ったるんだわ。身表が真っ白だろ。白いとこが脂なんだわ。今が鰯の旬だけど、足早やー(鮮度劣化が早い)で金之助が、大桶に海みずと生きたイワシ入れて船で於台川を遡(さかのぼって運んだんだわ・・・たまりで食やあー(食べなさい)」
一益が驚いて言う。
「まあ、ほら気さんじ(気の効いた)なことだんな。金之助はんは、お殿様をごっつ、好いてはりまんな」
そう言うと、一益はイワシの刺身を小皿のたまりに少し浸けて食べる。たまりの表面にイワシの脂がさっと広がり、虹色に煌めく。青魚独特の汐の香りと、脂の旨さに一益は笑顔だ。
「うん・・・うみゃあおす」
信長が笑って言う。
「鮑は、肝を磨り潰して、たまり垂らして身を浸けたらうみゃあがや・・・白身はよ、スズキとヒラメだかや。ヒラメの縁側うみゃあがや。縁側はよ、鰭動かしとる肉だで、目玉回りとおんなじくりゃあうみゃあんだわ・・・ほれ、それそれ」
一益が、信長が指差す縁側を食べると、こりこりとした噛み応えが、身肉より強く、脂の乗りもかなり濃い。魚肉そのものにも旨味がある。
鮑も肝の磨り潰しをつけ、たまりを少量つけると、肝と貝肉の味が絶妙に絡まってこれも驚く程旨い。
一益は酒を飲む暇もなく、信長に言われるまま食べ続ける。
「お殿様、一献」
「うん。一杯だけだわ・・・酒はどうも合わんのだわ・・お主は飲め飲め」
「へい、そうだっか・・・合わへんもんはあきまへんな・・・ほな頂戴しまっせ」
一益は手酌で飲む。
そのあとも、鳥は雉肉で、昨日の獲物だとか、あいなめも刺身が旨いが、型が小さいから煮たんだとか、めばるは文字通り目玉がたまらんとか、鮎は俺が釣ったし、うなぎは青鰻で貴重で旨いとか、信長は一生懸命、一益を歓待しようと勤める。一益にはそれがよくわかる。
しばらくして、信長が思い出したように言う。
「ほぉーだ、明日からはよ、お主の飯は、朝晩城から運ばせるでよう・・・漬物と粥ではもたんだろ(耐えられないだろう)」
「まあなんもかんも、行き届いた御扱いで、恐れいることでおます」
二人だけの宴は夜中まで続いた。
翌日の朝、二人は那古野城内の射場にいた。
辺りには誰もいない。信長が命じて、人払いしたのだ。
射場の突き当たりは、矢弾止めに、土が掻き上げられて、壁のようになっている。
その前に高さ一間(百八十㌢)横二尺(六十㌢)程のスギ板が直径二間程の半円形に土中に差し込まれている。
それはまだ暗いうちから二人だけで準備したから、二人はすでに汗にまみれている。
二人の位置は、そこから三十間離れていた。
一益は、信長の六匁の火縄銃を借りて、準備をしている。
鉄砲の発射準備は従来と同じだが、弾丸は入れない。そのかわり、炮烙火矢を火縄銃の筒口から差し込む。差し込むのにそれほど力はいらないが、筒内とは密着している。
隙間があれば、そこから火薬の爆発力が逃げてしまい、炮烙火矢は飛ばないのだ。
短めの火縄を炮烙火矢の小さい穴に差し込む。一益は、輪にした長い火縄を肩にかけていて、その火縄の先はすでに着火されている。
「お殿様、これで整ったんでっせ・・・・あとは炮烙火矢の火縄に火ぃ着けて鉄砲放つんですわ・・・火縄の長さで、燃ぜる時が決まりまっさかい、そこが肝ですわ・・・おとさんの図面でおおかたはわかってまっけど、わても初めてやさけ、しくじったらかんにんどっせ」
信長が頷く。
一益が肩の火縄で、炮烙火矢の火縄に着火して腰だめに鉄砲を構える。四十五度位の仰角をとった一益は、炮烙火矢の火縄の燃え具合をじっと見ている。火縄の燃焼速度は遅いから、見ている信長は、じりじりして、暴発が心配になるが、一益を信じて場所を離れない。
後少しで炮烙弾内に火縄の火が及ぶタイミングで、一益は火縄銃の引き金を引いた。
「ドンッ」と音がして、炮烙火矢が放たれた。
炮烙火矢は放物線を描いて飛んで行く。
目標のスギ板の輪の真ん中の地上に着弾した炮烙火矢は、ほんの一瞬をおいて爆発した。
「ボウッンッ」
火縄銃の音とは違う、腹に響く低く重い爆発音が、大気を揺るがす。
「一息早よおましたな」
「そのようだがや」
答える間もなく信長が先に、二人は目標に小走りで向かう。
炮烙火矢の破裂で、爆炎と共に細かい何かが空にむけて半球状に広がり、全部のスギ板がふっ飛んだのは見えたが、細かくはわからない。
近寄った信長はもとの場所から三間も離れた所に倒れているスギ板を手に取る。
「穴だらけだがや。板全部が裂けそうになっとるがや・・・この板が人だったら」
一益も、あまりの威力に驚いた顔をしている。
炮烙火矢は、弾の中に、火薬と尖った金属片や小さな鉛弾が大量に入っていて、それらが、火薬爆発と同時に薄い銅の球体を破壊して恐ろしい勢いで全方向へ飛び散るのだ。破壊されて細かくちぎれた球体の銅も、何かに当たればそれを切り裂き、突き刺さる。
動揺を抑えて、信長は即座に肝心な意見を述べる。
「これは、火縄が、真正しく(正確に)燃えること(均一の燃焼時間)が必ず要ることだがや。あとは、この炮烙火矢の事は、暫くは、隠ろへ事(秘密事項)としないかんがや。今川も斎藤も、清洲も岩倉も知らんはずだで、張り立て(製作)も貯めるのも、俺と左近以外には知られたらいかんのだがや」
「そうだんな・・・けど、張り立て手(製作者)は」
「おう、ほうだがや・・信、置ける者探さなかんがや」
「それが、ちいときづつない(困る)ことでんな。そんなんがおったとして、そのもんたちは、どこで張り立てるにしても、他に伏せる為には、いっぺん張り立て手になりよったら、そっからはかななに(簡単に)出歩きさせられへんことになりまっせ。家人(家族)おったら嫌や言うでっしゃろな。ま、炮烙火矢が他所にしれわたるのも時はそれほどかからんとも思いまっけど。そやからいつまでもどこぞに閉じ籠めることせんでもええでしょうが。思案どこでんな」
信長が、うーんと考えこむ。
「案じても(考えても)だちかんわ(しかたない)。今はよ、炮烙火矢のあたひ(値打ち)わかったで、そんでええとしといて、百地と藤林と会うかんこーしなかん・・・ちょこっとまわし(準備)せなかんで、会うのは来月の今時分で、場所は・・・ここや那古野だと、領内に入りすぎだで、やっぱり熱田の丸熱がええ思うけど、どうでゃ」
「そうだんな・・・あっこなら、あれらも、来やすいんやないやろか」
「ほんじゃ、そうしよまい・・・二、三日休んだらまた行ってくれるかのん」
「へっ、ほな、御ことのは通りに」