あゆちのびと衆 第一章 その二十八
笹百合深手
中編
熱田の浜の、少し西南の海上。
波や南風が治まったからか、どこからか鵜の群れが飛んで来ている。
するとあちこちから、小さな群れが次々と集まってくる。
鵜の群れなどは珍しくもないが、今は違った。
見る見る数が増え、黒い塊は、どんどん大きくなってゆく。
千羽、二千羽どころではない。
集まって物凄い羽音で飛んでいるのは、数万羽だ。
エサの魚を探しているのは明らかだが、塊は不規則に、なんの秩序もないように宙を舞う。
どこかが尖ったかと思うと、片方が丸くなって上昇し、二つに別れそうになってもぎりぎりでまた一つになる。
巨大な黒い布が、ふわふわして移動しているように見えたりもする。
一部が、竜巻のように旋回しながら上昇したかと思うと、こんどは黒い瀑布のように急降下して、海面すれすれでまた違う形を造る。
それでも塊は、どこかでつながって見える。
パターンは存在せず、目まぐるしく旋回、下降、上昇を繰り返しながら、その形は千変万化する。
時折、一部が着水するが、すぐまた飛びあがり、ほとんどは奇妙な動きを繰り返すから、それはまるで、宙を漂う巨大な黒いアメーバのようだ。
見えている浜の者達には、塊が意思を持つ一つの生き物のように見える。
大勢が、その自然の営みに眼を奪われるが、それは僅かな間だ。
柴田権六と前田孫四郎を乗せた漁船を、末吉と秀二が漕いで、金之助達が逆向きのまま、曳いてきた廻船と、長い桟橋の間に近づけていく。
船長、十二間と少し(約二十二㍍)、喫水の深い廻船の箱置き上には、本所勢がひしめきあっている。
一段低くて狭い、船首甲板にも、人が海へこぼれ落ちそうなほどいる。
色々な旗幟も、認識できて来る。一番目立つ大きな旗は、白地に黒で、八幡大菩薩と染められた一旒だ。
立烏帽子に、色様々な長い羽織の様な格衣、狩衣は、まさか宮司や権宮司は来ないだろうから、その下の禰宜か、権禰宜身分の神官。上下が白い格衣に張烏帽子が神人か出仕で、立烏帽子に白張、黄衣は、関わりのある公家などからの人数だろう。
胴をつけ、鉢巻、鉢金、直垂姿の、侍らしき姿もちらほら見え、それは寺侍か、牢人だと思われる。他には、五条袈裟の白裏頭や、黒裏頭を覆面のように巻いた僧兵の姿もかなり見える。
大半が、槍、薙刀、長刀、長巻、やがらもがらや竹槍を持ち、弓を持つ者もかなり見えるし、ほとんどは腰に太刀を吊るか、両刀を差している。
箱置きの内部や船内にも、大勢がいそうだが、それは見えない。
金之助達は、信長から言われた指定位置、桟橋から十間西(約十八㍍)、浜からは五間(約九㍍)の距離まで、廻船をスムーズに曳いたから、引き縄を外して浜の船溜まりへと戻ってくる。
金之助が、邪魔すればいつまでも海上に漂う事になるぞ、くらいは言ったかもしれないし、本所勢に、他の選択肢はないから、妨害はしなかったのだろう。
信長が気づき、金之助を呼び寄せ、また何事かを命じる。
命を受けた金之助は、舟に戻る途中、浜にいた漁師の手下に、何かを呟く。
戻った金之助と漁師達は、曳舟をまた乗りだすと、そのまま、波打ち際前の海上で漂っている。
信長の命に従い、次の不測に備える為だろう。
呟かれた浜の手下が、大瀬子方向へ走り、少しすると、入江から出た漁船が、十艘、湊へ近づいてくる。
金之助の傍までやって来た漁船には、十人づつの漁師が乗って櫓を操り、船が動かないようにしている。
その刺青露わな百人に、金之助が何かを伝えている。
すると、廻船の前後左右から錨が四つ投げ下ろされ、大きな水音を四度たてる。
それを見たからか、まだ沖の六艘からも錨が下ろされる。
満天星と翠海は、桟橋上の鉄砲組の中心と、海に向いている廻船の左舷真ん中が同じ位置になるように、組子たちを南へ移動させる。
陣笠を被った全員が、竹盾と共に少し移動すると、二人の法師は、それぞれの組子たちに船を指さしながら、声と手真似で何かを伝える。
今回は銃床、銃架を使わない鉄砲組は、無言で頭を下げて了解を示し、鉄砲を竹盾に載せて構える。
火縄からは、煙が上がっている。
すると、廻船の四方から、船の船頭や水主らしき男達が十人ほど、次々と海に飛び込み、抜き手を切って桟橋へ泳いでくる。
弓と鉄砲に狙われているし、その動きが予想外だったのか、本所勢は何も出来ない。
鉄砲組の足軽達が、その男達を引き上げてやり、男達は、満天星に指図されて、岸壁の軍陣の中へ消える。
それに気づいたからか、沖の六艘からも、次々に人が飛び込むのが見える。
逃げられたと気づいた、沖の本所勢の中には、弓を射る者もいたが、船頭や水主達は固まらずに潜っては泳ぎ、息継ぎの時しか、海面に頭を出さないようにして逃げてくる。
金之助が「ほりゃあ」と掛け声を掛ける。
曳舟と漁船の群れが、一斉に漕ぎ出る。
救援の船群は、南に迂回したりして、六艘からはそれぞれ、三町(約三百三十㍍)ほどで止まる。
そして、飛び込んだ、湊の仲間たちに声を掛けける。
「お~い、こっちだぜえ~、ほうだっ、ほうだっ、ほうやって潜れるだけ潜って来やあよぉ~、矢を放っとるよおぉ~」
「まっすぐ泳いではいかんてぇ~(いけませんよ)、それっ右手へ、左手へとよ~、また左手へだぜえぇ、動きを読まれんよおによお~」
船の乗員達はアドバイスに従い、細かく向きを変えながら、必死に泳いで、それぞれの近くにいる船を目指している。
やがて、届かないと判断したのか、どの船からも矢は飛んでこなくなる。
全船が、一気に散らばる乗員達に近寄る。
六十人くらいの乗員達は、無事に各船に引き上げられ、船群は浜に帰ってくる。
金之助達は、乗員達をおろすと、また波間に漂い待機する。
乗員達は、締め上げた褌一つか、膝までの袖無し小袖に脚絆を巻き、草鞋を履くなどの思い思いの姿だ。
中には刺青を入れている者もいる。ただし、それは熱田の漁師達の様に、全身にではなく、腕や脚などの身体の一部にだけだが、柄はやはり、線と曲線の幾何学模様だ。
いったん浜に降りた乗員達に、曳かれてきた廻船から最初に逃げて来て、軍陣へ消えた船頭や水主達も戻って加わり、何かを話し合っている。
彼らは、短いやりとりの後、誰に命じられるでもなく、三つの船溜まりへ走り、ありったけの曳き舟に分散して乗り込み、金之助達の傍へと漕いでくる。
信長達が居る、高さ二尺くらいに石を積み上げた岸壁側から見ると、沖に向いた、一間半(二.七㍍)ほど高さのある、船の艫の、舵床の上にまで本所勢が群れ、口々に何かを叫びながら、こちらを見ている。
声が重なり合って、常人には言葉の内容は判らない。
しかし、一際の大声がして、それは聞こえた。
「アンタはんらは、尾張守護様の御家来衆かあ~、違うてんなら聞きなはれやあ~、私等は、公方様(足利将軍)の御許しを得て、罷り越したる座は本所の者やでえぇ~。あて等に刃向かうは、御柳営(足利幕府)に刃向かうと同じなんやあぁ~。されば謀反人となるんやあ~。それを確と料簡しなはれやあ~」
信長勢から、その叫びに応える声は無い。
すると、その大声と共に、応えない信長勢を敵と判断したかのよう、踞っていたらしい白裏頭の僧兵が、十人ほど急に立ち上がり、舵床の人をかき分けるよう、船の後端に出る。そして無謀にも、矢を番えた弓を絞って、信長勢を狙おうとする。
次の瞬間、弓組の真ん中に居た市川大介が、手にした弓折を前に振る。
弓組が人群れに、鏑矢(正確には神頭矢)を一斉に放つ。
最前列の七名の鏡びとは、瞬間にしゃがんで、鏑矢の邪魔をしない。
船は、岸壁中央から右寄りに浮かんでいるから、左の弓組からは右斜め上へ、真ん中と右からは、真っ直ぐ斜め上へと、唸りを上げて飛んだ百本の鏑矢は、僧兵達や舵床上の本所勢の、顔や上半身を襲う。
楕円の壁の様に、まとまって飛んできた百本の鏑矢に、僧兵達は矢を放てないまま、逆に、顔や頭、身体を射られる。
「カツン」「コツン」「カンッ」「ガツッ」「ガンッ」・・・と、音を立てて鏃の無い鏑矢が中る。
弓組は斉射を、三度繰り返す。
見えていた僧兵も含めた本所勢全員に、鏑矢が中った。
中った者は、悲鳴を上げながら、後ろへひっくり返るか、当たり所を押さえて踞る。何人かは海へ落ちるが、誰も仲間を助ける余裕はない。
落下した者達は、泳いでいる者もいるが、大半は溺れそうにもがいている。それでも全員が、なんとか自力で浜にたどり着く。
その者達は、後陣から出てきた槍組足軽達に捕らわれ、武器を取り上げられた上、素裸に剥かれる。
そして縄で括られ、砂地へ膝まずかされる。
それを見た秀二と末吉は、廻船の後ろ角辺りで漁船を止める。
市川大介には、それが当然見えていたが、弓組には、また鏑矢を番えさせる。
大声と同時に、左舷でも、箱置き上の人群れをすり抜けるよう、弓を構えた僧兵が二十人ほど、船端へ出てくる。
その者達が、桟橋上の鉄砲組に向け、弦を引き絞ろうとした時、轟音が少しの時間差で、連続して響く。
鉛弾は、音を立て、弓の末弭(弦を掛ける弓先端)か、弓幹(弓上端)に次々と当たる。
人体は最初から狙っていないようだ。
射手達は音に怯えて、弓を手にしたまましゃがみ込んだから、弦が引けない。
外れ弾もあるが、当たるまで、次の撃ち手が、また撃ってを繰り返す。
全ての弓は破壊され、回転したりしながら吹っ飛ぶ。
射手達も、弾の勢いをまともに受けて倒れたのだろう、わっ、わっ、と驚きの声を上げ、姿が見えなくなる。
鉄砲組、百四十人は、百四十挺を更に次々と発砲する。
斉射しないのは、弾着を確かめているからだ。
今度は、本所勢が持っている、薙刀、槍、長刀、やがらもがらや竹槍の穂(刃)や、先端部分を狙って撃っている。
廻船まで十間(約十八㍍)は、必中距離だ。
まだある弓が見えれば、それも撃つ。
弓は「パシッ」と弾け飛ぶ。
「ガンッ」「ガシッ」「ガツッ」「グシャッ」と音を立てて、弓以外の武器の刃部分や先端に、六匁弾が当たる。
刃が真っ直ぐこちら向きだった為、二つに切断される弾、重複して当たる弾もあるが、それはとても僅かだ。
鉛弾が刃横に命中しても、鈍刀でなければ、まともな鍛鉄の刃は折れたりはしない。すこし曲がるのがせいぜいだ。
しかし着弾のショックは、非常に大きい。
長い武器は、鈍い音を立てて、持ち手を離れ吹っ飛ぶ。幾つかは、廻船の右舷の海へ飛び落ちていく。
全部の鉄砲が、二回づつ放たれた後、桟橋から見て、見える限りの長い武器は、持ち主の手から吹き飛び、持ち手達は、それ以外の者達と共に、頭を抱えしゃがんだのが判る。
辺りは、凄まじい発砲煙で視界が悪い。
満天星、翠海は合図はしていないが、信長の下知に基づき、予めそう決められていたから、鉄砲組の若者たちは武器だけを狙って発砲したのだ。
二人の法師は、それぞれの自組の一番手の撃ち手に、船のあの辺りに撃つべき目標が出たら、指図を待たず撃てと、狙撃位置と、タイミングを指定していたのだ。
満天星の組は、一番手が指示位置に出た弓を撃ち、左方向へ二番手三番手・・・と、その横の目標、その横へと、次々と僅かな時間差で撃った。
翠海組は、それを右方向へ行ったのだ。
根来の三人が来る前に、鳴海戦でやったのと同じ要領だし、その訓練も繰り返しているから、鉄砲組はもう習熟している。
鉄砲組は、構えられた弓を片付けたから、同じ要領で長柄の武器と残った弓を撃ったのだ。
発砲を止めた鉄砲組は、新案の槊杖と早合わせを使い、すぐさま次の射撃用意をする。
満天星は、よくやったと言うのに替えて、にこにこと組子を見渡し、翠海は、片手を何度も突き上げている。
発砲煙は、すでに弱い海風に散っている。
わ~わ~と騒がしかった船上が、静かになった。
年月で、青色が少しくすんだ、刺青だらけの末吉と秀二は、ここぞとばかり、勝家、孫四郎とそれぞれ視線を合わせ、舟を漕ぎ出す。
勝家は、帆柱の左、孫四郎は、帆柱を背にしてしゃがんでいる。
廻船左舷から五間(約九㍍)ほどで、勝家が手を上げて、漁船を止めさせる。
末吉と秀二は船が流されないよう、櫓を僅かに漕ぐ。
勝家が船に立ち、声を上げようとした瞬間、起倒式の帆柱の後ろから、大柄の僧兵が、ヌッと立ち上がり、勝家目がけ、三人張りらしき大弓を引いて、矢を放った。
〔三人張りとは、常人なら三人かがりでないと、弦が引けない程の強弓〕
鉄砲組の一人が気づき、瞬差でその白裏頭の僧兵を撃つ。
相手の動きが突然で、弓を撃つ余裕はなかったのだ。
六匁弾は、左半身で弓柄を握った僧兵の左拳を、血煙と共に砕きながら弓を半ばで撃ち折り、さらに僧兵の左脇腹を貫く。
僧兵は「ウガアッ~」と悲鳴を上げて、視界から消える。
しかし、矢は防げない。
しゃがんでいた孫四郎が、僧兵の様子を見た瞬間「あっ」と叫びながら、勝家の前にサッカーのキーパーのように、両手を突き出し横っ飛びに飛んだ。
二人の甲冑が接触し、勝家は漁船の舳の船板に「ダ~ン」と音を立てて倒れる。末吉が抱き起こそうと、櫓を船の上棚に放る。
飛んできた矢は避ける間もなく、正面から孫四郎の右目下に突き刺さって、面頬ごと頬肉を突き破る。
尖った鏃は、なぜか顔を真っ直ぐは貫かず、その右頬に飛びだして、矢は、顔に縫いつけられたようになる。
その二つの疵から血が流れるが、矢が刺さったままだから、噴出と言うほどではない。
そうして手負った孫四郎も、その状態のまま、勝家に折り重なる形で、漁船の上棚に「ガッシャーン」と叩きつけられるよう落ちる。
軍勢は、その光景に一瞬、凍り付く。
一方、岸壁側では、同時に示し合わせたのか、舵床に倒れうずくまっていた本所勢の中から、やはり大柄な僧兵が二人、スッと立ち上がる。白裏頭だから叡山僧兵だ。
大弓を引き絞り、同時に平根矢を斜め下に放つ。
狙いは、信長以下の諸将が固まっている辺りなのは明白だ。
僧兵が矢を放つのと同時に、弓組が斉射する。
やはり、七名はしゃがみ込んで、その邪魔をしない。
一本の矢は、集中して飛来する矢の群れに射ち落とされたが、一本は鏑矢の壁を突き抜け、信長と各将がいる辺りを目指し、回転せずに飛んでくる。
回転しないのは、矢羽根が、大羽、小羽が二枚づつの四立羽だからだ。
矢の壁は、そのまま二人の僧兵を襲う。
突き抜けた矢が、前立てが鷹をあしらった金張りで、一番派手な、林新五郎秀貞目指して飛んでくるのは明らかだ。
弓組の二斉射目は間に合わず、全員が目を見開き、スペード型に似て、幅一寸(約三㌢)もある大きな平根鏃の矢を追う。
平根矢は、鎧兜も貫き通しそうだし、その隙間の人体に中れば、軽くて重傷は間違いない。
その寸前、大弓から平根矢が放たれ、弓組が斉射した瞬間、高さは違っても、位置が僧兵二人の真正面でしゃがみ込んでいた風が、腰刀を抜きつつ、鎧兜のまま垂直に跳びあがる。
同時に風以外の六人も、腰刀を抜き、跳ぶ構えなのか、腰を屈める。
地面から四尺(百二十㌢)の高さの風は、飛んできた矢を斬らず、刃の物打横で、その平根矢を、斜め前に打ち飛ばす。
勢いを殺された矢は、切断されず、ビ~ンと音を立て、斜め前方の海へ飛び落ちる。
打ち返すようにしたのは、半ばで斬り落とせば、鏃のある方が、射線は乱れても、勢いを残し、軍勢の誰かに刺さる可能性があったからだろう。
跳び上がって、視線の高さが一瞬、二人の僧兵の腰辺りの風は、前もって握っていたのか、同時に左手を振りかぶらず、手首のスナップだけで、何かを続けて二回投げる。
鏑矢が集中して当たっても、二人の僧兵は、呻きながらもまた、弓を持ち直し、矢を番えようしている。
その二つの左肩に、風の投げた何かが、深く刺さる。
「うっ」「ぐっ」と唸って僧兵は、どちらも弓を捨てうずくまる。
文章だと長いが、一瞬の事だ。
その業を目にした軍勢からは、感嘆のため息が幾つも上がる。
軍陣で勝手に声を出すのは、軍律違反で、重罪だが、これくらいは仕方がない。
六人は跳ぶ必要がなかった。
瞬時の飛翔を終えた風が、鷹迅に目配せする。
二人は、常人には聞こえない発声法で、何かを早口で唱えながら、両手を複雑に動かす。
他の五人は、二人の動きが後ろから見えないよう、ほんの少し動いて、人壁を作る。
その言葉を文字にすれば、以下の様になる。
初めに
「オン マリシエイ ソワカ・・・」
と、真言を数度、唱えたあと
「臨 兵 闘 者 皆 陳 列 在 前」
二人は両手で、字に当て嵌まる印を結びつつ、更に九字を唱えているのだ。
軍勢からは見えない。それに気付いているのは、後ろにいる信長だけだ。
二人は、最後に刀印を結び、四縦五横に格子状の線を宙に描くと、両手を前に突き出しながら、同時に「むっ」と気合をかける。
すると、肩を押さえながら、呻いていた二人の僧兵が、急に崩れ落ちるよう、仰向けに倒れた。
言うまでもなく、二人の鏡びとは、九字を切って無形神剣を使い、僧兵の再びの挑みを封じたのだ。
無言の気合いは別に、大勢の前で、業を見せるのは、忍者としての風は避けたかったのだが、初めの跳躍は、事態が危急だったからやむを得なかったのだ。
尚、この気合いの業は、一瞬、念を凝らしただけでも掛けられるのだが、今回は掛け損ないが無いよう、正式な手順を踏んだのだと思われる。
ただ勝家や孫四郎からは、同時に起きたその有様が見えないし、気付く余裕もない。
その桟橋前では、勝家が、自分を庇って倒れた孫四郎を抱き起こし、気遣って言う。
「お犬っ、お犬っ、気を保たなかん。疵は浅ゃあ。息をせよっ」
「こ、これしき、大事ござりませぬ」
と、孫四郎は、顔の矢をそのままに、さっと立ち上がると、獣のように咆哮する。
「ウオオ~リャ~ア~~ッ~、うぬらあ~、ようもやりくさったなあぁ~、覚悟いたせえ~っ、皆殺しにしてくれるがやあぁ~」
その勇ましい姿に、所属の城別ではなく、荒し子、弓槍足軽、徒侍、騎馬と、組別に分かれてかたまっている大軍勢が、一斉に歓声を上げる。
軍勢は更に、一斉に足を踏み鳴らしたり、鞍を叩いて孫四郎を讃える。
桟橋の鉄砲組も、竹盾を手で叩いて、賞讃を示す。
各組の組頭や各奉行たちが、慌ててその行動を制する。
満天星、翠海は、手の竹竿を振って、組子を制止する。
信長は、一瞬、強張った顔を元に戻す。
そして、振り返って、音を鳴らす家来達を見渡し、鉄砲組にも視線を送った後、金張りの采配を横に振る。
大軍勢は、それだけで一瞬に静まる。
「お犬っ、大声を出したらいかん。血が余計に出るがや。ほれに、矢を抜かねば、肉が固まるがや」
と、勝家。
「こんな矢みてゃあ、後でどうにでも・・・拙者にはお構いにならんと・・・柴田様、早う口上を言わな(いわなくては)」
痛みを感じないよう、口を利いた孫四郎が、そう言って片膝で控える。
勝家が頷き、立ち上がって怒鳴る。
「船の者共おぉ~、よう聞けえぇ~、今、手負うたは、我が弾正忠家が母衣の者だがやあぁ~、他国へ無断で押し入りぃ~、にわかに矢まで放ち、家中の者を手負わせるとは~、もってのほかあぁ~っ、さればあぁ~、うぬらを船ごと焼き殺すぅ~、観念いたせ~っ」
と、勝家が怒鳴ると、岸壁方向から、燃える松明を掲げた百人程の荒し子達が現れ、岸壁の雁木を駆け下り、浜に並ぶ。
中には松明は持たず、重そうな藁俵を担いだ者が十人いる。
信長が大声で叫ぶ。
「おじいっ~、その者共を~っ、柴田が船の後ろへ乗せてゆかせよ~、隔たりはとれよお~」
「合点、承知ぃ~」
曳き舟の金之助が指図する。十艘の漁船が、一旦浜に近づき、松明を持った荒し子十人づつと、藁俵を担いだ者を一人づつ乗せると、漁師達が海に飛び降り、各船をまた押し出す。
金之助達と水主達の曳き舟は、動かない。
漕ぎ手達は、掛け声をかけながら、勇ましく漕ぎ出す。
「ほらっ、えいや、こりゃや、えいや、こりゃや」
その船群が、廻船と桟橋の間に、ずらりと並ぶ。
信長の指示通り、勝家らの漁船の後ろだ。
すると、見えている左舷船端に、立烏帽子に狩衣姿の、神官らしき男が二人現れ、笏を振ったり、差し上げたりして声を上げる。
一人は身の丈五尺くらい、大顔で肥満体。顔の肉が垂れるほど太っているから、目も糸の様に垂れ下がっている。
もう一人は色黒で、口が尖って烏のような顔に、背丈は五尺四寸ほどで痩せている。
勝家からは見えないが、二人とも浅葱色の差袴に、浅沓だから、禰宜か権禰宜の身分だろう。
「またれよっ」「やめておくれ」「かんにんしとぉくれ」「そないにあらくたいこと(荒っぽい事)、やめてぃな」
などと、交互に叫ぶ。
勝家が怒鳴る。
「何じゃ、うぬらっ、やるだけやっといて、いまさらの命乞いかっ。まずもって、うぬらの言葉など判らんわっ。されど、我が家中に手負いを出したんだでなあ~、例え詫びても赦さんでなっ。焼け死ねえ~、そりゃあ者共~、構えよぅ~」
荒し子達が、燃える松明を投げる構えになる。
片方の太った神官が叫ぶ。
「やめてぇ~、なんしか(とにかく)、あんたはんの御指図に従いまんがな。むごいまねはやめておくれやす。いま撃たれた僧兵はあかんかったんやで(死んでしまった)」
「あかんかった、なんじゃそりゃ。落命したか。ふんっ、ほんなもん、やむなしだわっ。先に仕掛けたるはうぬら。戦でなくとも、やればやられるが、この世の定法。ほんな事も知らぬのか」
「そらそうやけど・・・なんしか降参や。御下知に従がいまんがな」と、烏顔。
「ほうかっ、降参か、降参は判るがや。されば、うぬらは頭分か」
烏顔が答える。
「頭やなんて・・・うちらは武家やないんやで。そやけどまあ、私とこの人は、こん中で、身分は一番高いんでおます」
烏顔が続けて叫ぶ。
「そら置いといて、アンタはんらは、どこのどなたはんだっか。あてらは約定破りの座の権利仲間を、 咎めに来ただけでっせ。本所の者やと言うてんのに、返答されへんし、今にも矢弾放ちそうやから、僧兵は、斯波様の敵方やと思うて、矢を放つ次第になったんやがな」
「どこのだれかだとおっ、愚かを聞くな。尾張織田の軍勢に決まっとるがや」
「そら解ってまっけど、斯波様の御家来衆やないんでっかと、聞いてるんでっせ」
「斯波様だと、斯波義統様は、御一家共々、すでに身罷われたわ。清洲織田の元の守護代、大和守らに攻められての。我等は尾張太守様、織田弾正忠家、三郎上総介様が家来だわ」
「太守って何や。太守様言うたら、平安の昔より、親王様が、上総、常陸、上野の三国に任じられた時だけの、守の称やがな。阿呆な転合(冗談)言いなや。田舎者やから知らんのか」
「田舎者だとおぉ~」
「例えやがな。斯波様は、おられへんのかい。知らなんだ・・・そらそうとして、尾張は、同じ織田同士で、やり合ってて、国は、三つも四つもに割れてるんと違うんかい」
「あれこれとしゃらくしゃあ・・・まあええ、のちにまとめて、辛き責めを喰らわせてくれるわ。斯波様については、つい先までの事。今は我が主様が、尾張一国、上下八郡の御領主様なのじゃ。うぬらは、約定破りと言うたな。尾張の国の座を廃したは、あちらにおわす、その御方様だがや」
ちらっと、勝家の視線の先を見た太っちょが、割り込む。
「え~、あてらの聞いた話と違うがな。弾正忠家様が、他の織田に勝ちはったん」
「・・・そう心得てさしつかえなし」
「そんなん知らんかった・・・斯波様へ公方様からの御朱印状渡したら、斯波様が手伝うてくらはると聞いてきたんや。アンタらは、人数は仰山居てても、返答も出来へん、ダボ(馬鹿、阿呆)の敵方やと思うたさかい、僧兵らも、懲らしめたろと、矢を放ったんやわ。まあ、やらなならん経緯もあったけど」
「ダボだと、さても悪口であろう・・・矢は、思い違いで放ったと申すか。まかり間違えば、此方に死人出たやもしれぬのに、ほんなもん、通じるはずも無ゃあわ」
「いやいや、ダボて、訳知らずの事でっせ。通じへんと言わはっても、ほんまのことやから。止める間ぁもなかったんでっせ」
「喧あしい・・・ほれに懲らしめるとは、推参(生意気)なる物言いだがや。うぬらは曲者、盗賊の類い。されば懲らしめるは、此方だがや。たわけめ」
「あてらは盗っ人やおまへんし、指図もしてまへん」
「他人事のようにぬかすな。なんにしても、うぬらは武備を整え、我が領内に押し入ったは、まぎれもなき事。ただで済むはずがなかろう」
「まあ、そうやけど。聞けばあてらも訳分からずの、すかたんやったようやし、すかたん同士、まあなんとか、なんどりに(おだやかに)」
「いちいちの判らぬ言葉、すかたんに、なんどりとはなんじゃ・・・あぁ~、いちいち腹が煮えるわ~、まあちいと、判る言葉使えぇ~」
烏顔がすまし顔で言う。
「よぉいわんわあぁ~、都の言葉やでえ~。判らへんのがあかへんのやで~。あてらかて、アンタの、たわけって、なんやわからんがな~」
「黙りおろうっ。たわけとは、うぬら如き愚者の意だかや。ここは尾張だわ・・・そこでは話しが遠いがや。この船に来う」
「来うと言わはって、どないして行くん」
と、烏顔。
「海に飛び降りよ」
「そ、そないな無茶、言わんといて」
「あかん。水は怖いがな」
と、二人。
「ふふふっ、案ずるな、ここらは浅ゃあ。足がつくわ。着物を脱ぎ、早う参れ。否か、否なら・・・」
二人は、ぼそぼそと会話を交わし、何事か相談している。
しばらくそれが続く。
業を煮やした勝家が怒鳴る。
「長々いさくさ(ぐずぐず)と。まあええ。詮議はこれまでだわっ。船に火を掛けた後、錨縄を切り、沖へ押し出してくれるわ」
「ひえ~っ、あぁもお、判った、判ったから、そないにえげつないことはやめてんか。アンタはんは、かんてき(怒りっぽい)なお人やな」
と、太っちょが言う。
勝家はもう答えない。
二人の男は装束を脱ぐと、鼻をつまみ、褌一つで海に飛び降りた。
足がつくはずが、全く立てない。
二人とも泳げないのか、手足をばたばたさせるが、浮かんでいられず、ブクブクと沈んでいく。
漁船を寄せた、秀二と末吉が櫓を伸ばす。
二人は、櫓になんとか掴まり、船に引き寄せられる。
二人とも、総髪を短く結っているが、潮水でぐっしょり濡れている。
烏顔が、船端に掴まり、げえげえと、海水を吐く。
「わははっ、溺れず幸いだったの」
と、勝家。
太っちょも、同様に、げぼげぼと海水を吐きながら言う。
「アンタはん、いちびったら(悪ふざけ)あかんがな。足なんぞ届かへんやないか。あてら、水練なんぞはできひんのや。お~怖、死ぬとこやがな。あ~塩辛」
顔に矢が刺さったままで、面頬と鎧の前が、血まみれの孫四郎が、二人を見下ろして言う。
「黙れっ、それぐりゃあ。俺のこの疵はどうしてくれる」
まだ海中の二人が、悲鳴を上げ、烏顔が言う。
「そら、僧兵が自まま(勝手)にしよったことやさかい、うちらに言われても」
勝家が、天狗総面の目を光らせて言う。
「ほうかっ、ほしたら船に残る者共は、うぬらには関わりなく、ゆえに下知に従わぬ痴れ者なのだな。あいわかった。さればやはり、成敗するしかにゃあ」
「ちゃいまっせ、もう皆、きなしぼや(やる気がない)。どこの者も、さいでん(先程)からの、アンタはんらの業前に、アンしてますがな(辟易している)。中でも鉄砲衆の腕前は、無双の神業やがな」
と、涙目の太っちょがそう言う。
「何事も鍛練の賜物だわ・・・きなしぼにアンとは何じゃあ・・・アンとは、敵わぬとでも了解するのか」
二人がうなずき、太っちょが、きなしぼの意味を言う。
「よし、されば船の者共に、得物を残らず渡せと呼びかけよ。すぐさまじゃ。遅れれば次は必ず容赦せず、火を掛ける」
二人を、秀二と末吉が引き上げる。
その姿を見た勝家が、呆れた声で言う。
「なんと、うぬらの褌は白生絹か。小才ゃあな(しゃらくさい)。中に得物など無ゃあだろうな」
太っちょが顎を上げて答える。
「ないない。隠しようがないがな。それよりなんや、小才ゃあて。烏滸がましい(生意気)の意ぃかいな・・・ほんなら、生憎と、あてら程の身分なら、この褌も、足袋かて、帷子かて白生絹やで。あてらの本所は、おだいじん(金持ち)なんや。ぜんない(くだらない)こと言いなや」
〔筆者註釈。当時は、普段、よほどの地位にある者か富裕層でなければ足袋は履かない。また形状や材質も、今の様ではなく、親指部分に又がある物を紐で縛るだけの、文字通り足の袋で、旅や戦の時、革足袋を履くぐらいがせいぜいだったそうだ。また武士が訳も無く、人前で足袋を履くのは、無礼となったようだ〕
「よう喋くる奴。えんばん、えたまた、ぜんない、何をぬかしとるか判らんと言うとるだろっ、余分はええで、早う言ええぇっ~」
と、勝家は太刀を、孫四郎は槍を短く持って、褌姿の二人の尻に突きつける。
漁船が波で少し揺れると、その切っ先が僅かに刺さる。
「きゃあ~痛っ、アンタ、その槍先、あてのお尻に刺さってるがな。あてを疵つけたら、神罰が下るえ」
と、太っちょ。
烏顔も 、同時に悲 鳴を上げる。
「ひえ~っ、蚊ぁに噛まれた思うたら、刀やないか・・・あてのお尻からも血ぃが・・・アンタはん、その刀、のけて、のけて」
「だまれえぇっ~、早う言ええぇ~、尻を横に斬るぞっ。歩けぬようなってもええか」
と、勝家に、耳元で怒鳴られた太っちょが叫ぶ。
「お~い、皆の衆うぅ~、得物を出せえ~。言うてはるでぇ~、えら怒ってはるでえ~、聞かなんだら、焼け死にか、矢弾喰らうんやでぇ~」
太っちょの説明通り、本所勢は、すでに戦意喪失しているのだろう、人がぞろぞろ現れ、廻船から、縄や下げ緒で縛った武器が、まとめて下ろされる。
それを、金之助の配下達が漁船を寄せ、藁俵の砂で、松明の火を手早く消した荒し子達が受け取る。
砂をかけて消火するのは、海水で松明の火を消すと、再着火が出来なくなるからだ。
勝家がまた怒鳴る。
「まあ無ゃあかっ。あとで隠し持っておらば、その者は見つけ次第、撫で斬りにいたすぞっ、特に鉄砲を隠さば、嬲り殺しにしてくれるぞ。全てを出せ。小刀や剃刀一本と言えどもじゃっ」
船から、間延びした声が幾つもする。
「種子島(鉄砲)なんぞ、だあれも持ってへんでぇ」「おまへんでぇ~」「得物はまるきり下ろしたでぇ~」「えずくろしいこと言いなや(しつこく言うな)」
「なにやら判らぬ言葉もあるが、どうやら得物は全て下ろしたようだな。さればっ、船に残る者共お~っ、うぬらも衣服を脱ぎ、海に飛び降りよお~っ」
本所勢は、緩慢な動作で衣服を脱ぐが、なかなか飛び降りようとしない。
それを見ていた満天星が、手にした竹竿で組子に短く指図する。
満天星の左手に、ズラリと並ぶ鉄砲組の十人が斉射する。
落雷のような発砲音と共に、鉛弾が、大気を切り裂く不気味な音と共に、桟橋から廻船の斜め上空へ飛ぶ。
「ひやあ~っ」「こらあかんっ」「次は撃たれるでぇ」「前から順に飛べやっ」「ぐずぐずすなっ、このすかたんっ」「なんやとぉ~、すかたんて、あてのことかっ」「われしかおらんやないか。このっ、どあほっ」「あて、泳ぎはできひん」「死にたいんかっ、はよ、いかんかい」
本所勢は、恐怖に混乱して罵り合う。
勝家が振り向いて、満天星に頷く。
発砲音で踏ん切りがついたのか、船上の本所勢は、衣服を脱いで次々と飛び降りる。
すると待機していた、廻船の乗組員達が、一斉に曳き舟を漕ぎ出し、泳げずもがいている者達を、優先して助ける。
乗組員達は、本所勢をいちいち舟には引き上げず、船端に掴まらせては、足が届く所まで連れてくる。
乗組員の中には、掴まっている本所勢の頭を拳で殴ったり、足で蹴る者もいるが、刃物を持ち出す者はいない。桑名からの船中での狼藉への、せめてもの仕返しだろう。
泳いで来た者も含め、浜にたどり着いた者は、足軽達に褌の中まで改められた後、また縄で括られ、浜に集められる。
すると、池田恒興が、鎧を鳴らして走ってくる。
「柴田様、お殿様の御下知にござりまする。お犬を手当てさせよと仰せにて。お犬に代わりて、拙者が参りまする」
「あいわかった。秀二、末吉、桟橋へ」
漁船は、桟橋へ戻り、孫四郎を下ろして、恒興が乗り込む。
出血は止まっても、血臭い孫四郎は、嫌がる素振りだが、勝家に促され漁船を下りる。
「残りの六艘も、同じにいたせとの御諚だがね。その二名は、呼びかけに用いよと。松明組は下ろし、鉄砲組を半数連れて行けとの仰せ」
「よしゃ、漕ぎ手の者共ぉ~、舟を桟橋へ寄せよ、荒し子共を下ろし、鉄砲組を乗せよ」
体重のある満天星と翠海は、漁船に組子五人づつと乗り、後の鉄砲組半分は、残りの各船に分乗する。
勝家が一番近い、沖の廻船を指さして叫ぶ。
「まずは、あの船から。そりゃあ行くぞぉ」
そこからは、割とスムーズに事が運ぶ。
二人の神官が呼びかけ、武装解除し、金之助の配下がそれを受け取る。そして曳き舟で近寄った、廻船の乗組員達が口で教えて、本所勢に、轆轤を巻いて錨を上げさせる事を繰り返させる。
金之助配下の漁船は、押収した武器を満載して帰ってくる。
金之助は、更に配下に、鉄砲で撃ち飛ばされ、穂先を下に、ぷかぷかと海に浮かんでいる長柄の武器や、折れた弓も回収させてくる。
その膨大な量の武器は、船溜まりから陸上へ運ばれ、種類ごとに並べられる。
六艘の中には、刃向かって矢を放とうとする者もいたが、すぐに弓を撃ち飛ばされるか、威嚇射撃に怯えて、降伏した。
六艘を一艘づつ曳いて、桟橋に接舷させる。二列に並べてから、また錨を下ろし、七艘は、長い桟橋をいっぱいに使って、係留される。
海からの半数が戻った鉄砲組は、桟橋に少し東へ下がってまた並ぶ。
最初の廻船以外の本所勢に、着物は勿論、褌も外し、履き物も脱いで下船せよと勝家が命じる。
そうすれば、武器を隠し持てないからだろう。
桟橋から渡板をかけ、その素足、素っ裸の、七百人程の本所勢を下船させる。
孫四郎に怪我をさせ、太っちょが鉄砲で撃ち殺されたと言った僧兵は、痛みとショックのせいか、気絶はしていても、まだ生きていた。しかし、仲間たちは、誰も気づいていない。
馬上で見ている信長に、軍列を前からすり抜け、近寄った風が、小声でなにか言う。
信長がうなずくと、風が最初の廻船へと走り登り、またすぐ戻る。
風は、信長だけに、気絶している僧兵の肩から回収した、二本の棒手裏剣をちらりと見せ、頭を下げ、撃たれた僧兵に、生きている気配がした事を小声で伝える。
風は、二人から手裏剣を抜いたあと、疵をそれぞれの白裏頭で素早く巻き、出血を止めてやったのだが、それは普段からの信長の心を読み取った、当然の措置だから、口にはしない。
信長も小声で、七人が予め前に出た事と、風と鷹迅の業と腕前を褒め、彼等にその僧兵を運び、手当てをさせるよう命ずる。
全部で七百人ほどの本所勢は、縄を打たれて、最初の百人ほどと共に、浜に座らされる。
巨体の男や、侍らしき者も、かなりいるが、信長勢の腕前に、気を呑まれたのか、全く抵抗もせず、おとなしくしいる。
廻船七艘には残された、彼等の山のような衣装がある。
息があった大きな僧兵を、七人の鏡びとが、手足を持って、岸壁後ろへ運んで来る。
その僧兵の撃たれた左手と、左脇腹には、仲間の仕業か、本人の物らしい、白裏頭が巻かれて、真っ赤に染まっている。
また左腕のつけ根には、荒縄がきつく巻かれている。
風が、足軽大将に、手当てせよとの信長の下知を伝える。すると荒事に慣れた足軽達が集まり、その裏頭を解いて、二箇所の惨い傷を湯で洗う。
次いで、肉が十匁(約三十八㌘)ほど抉れた脇腹の傷と、左手の人差し指と中指と、親指寄りの骨と肉が、手の甲の真ん中くらいで消失し、白い骨が見えている傷に塩をなすりつける。
僧兵の左手の親指、薬指、小指は残っているが、その形状は、見るに耐えないくらい不気味で悲惨だ。
剃り上げ頭が、少し伸びた僧兵は、激痛に悲鳴を上げるが、同じ痛みで、すぐまた気絶する。
足軽達は、二箇所の傷口に、ケイヒ、シャクヤク、ダイオウ、ジオウなどを混ぜ合わせた生薬と、小麦粉を練り合わせた膏薬を塗って、酢を含ませた晒しを幾重にも巻いてやる。
僧兵は、腕が縛られていたのと、裏頭のおかげで出血が止まっていたし、内臓の損傷は奇跡的にないようだから、傷が膿まなければ命は助かる。
その有様は、信長にすぐ報告される。
七艘の廻船に、船内改めの徒組侍たちが、差配役の、祝重高の指示により、百人ほどが手分けして乗り込んで行く。
彼等は、一人に二巻づつの、筵敷を担いでいるが、その用途は判らない。
鉄砲傷の僧兵以外、出血を伴う怪我をしているのは、風に、二射目を棒手裏剣で封じられた僧兵二人だけだ。
二人は取り残された格好だ。
徒組侍に、武器を取り上げられた上、活を入れられ、気絶から覚めた大柄のその二人は、刀を突き付けられながら最後に降ろされ、浜へ連れて行かれる。
やはり裸に剥かれた、坊主頭の二人の左肩には、また足軽達が、白裏頭を解いて膏薬を塗り、晒しを巻いて、手当てしてやっている。
二人もその他の僧兵も、顔が幼く見えるが、確かめるまでには至っていない。
あとの怪我人は、鏑矢での打撲程度だから、手当をするほどの事はない。
海に向けて座らされている、本所勢の背後には、槍組足軽達が、三間半紅柄の長槍を構え、ずらりと並んで見張っている。
もう夕暮れだ。
荒し子や足軽達が、篝火を運び、桟橋から岸壁、本所勢が繫がれた浜に並べられて火が燃やされる。
海の色は、青から紫へと変わって行く。
空は、オレンジやピンクの夕焼けに染まって行き、その美しい色は、広い海面に映り込み、海には複雑な、その色彩が広がって行く。
岸壁の所々にある松の葉が、夕日に照らされ黄金色に輝く。
雲も夕陽に染まり、空と海を繋げているように見える。
信長は、諸将を引き連れ、浜に下りてくる。
びと七名は、その後ろを来る。
勝家と恒興も、戻ってくる。
信長は、見張り番以外の全軍に、臨戦態勢を解いて、その場で休むよう下知する。
「権六、恒っ、大儀。お犬の疵は浅ゃあぞ。はははっ、あやつの頬骨は、鏃より硬ゃあとみえる。お犬は、己で矢をへし折って抜いてしもうた。鏃が柳葉だったのと、当たった天度(角度)で命拾いしおったわ」
笑みを浮かべた信長は、細長い鏃と当たった瞬間の角度が、偶然よかったと言っている。
諸将、特に勝家は何度も頷く。
「ほうだ。権六、そなたの役者振りは格別だったがや。確と脅しつけたの。あははっ、あははっ」
勝家は、深く頭を下げるが、信長が役者と言った意味はまだ判らない。
「おおかたは(大体は)聞いとった、面倒臭えけどよ、まあちいと仔細を問い糾さなかん(しなくてはいけない)でよ、あの二人を引っ立てて参れ。ほれから皆の者、兜に面頬は外せ。暑いでの」
信長は、厳しい表情に改めてそう言うが、どことなく、ニヤつきを堪えているように見える。
不知火と雪丸が手伝って、信長の面頬を取ってから兜を外し、二人でそれぞれを持つ。
五人の大将にも、その郎党達が素早く駆けつけ同じ事をする。
それに気づいた、各組の組頭や各奉行が、組下に同じ事を命じる。
荒し子達が、砂浜に床几を六つ運んで来る。
信長の後ろに、諸将が座る。
びと七人は、当然自分で、面頬、兜を外し、そのまた後ろに片膝で控える。
信長は、全軍に水を飲むよう命ずる。
荒し子が、天王坊謹製の素焼きの土瓶と茶碗を運び、信長達も水を飲む。
勝家が信長に囁く。
「お殿様、御聞きになられたと存じまするが、あの二名は、強気と思わば、じき神妙になり、また話種変わると妙に憤激するを、繰り返しおりまする。掴み所のなき、扱い難き者にござりまする」
「うん。そのようだな。都人とは、総じて表裏ある者だと、政秀も、いつか言うておった。見ておれ」
床几に座った信長の前に、足軽に縄を引っ張られながら、褌姿の太っちょと烏顔が連れてこられ、跪かされる。
二人の尻には、小さな刃物疵がいくつもあるが、血は止まっていて、手当てがいるほどではない。
二人の背後が、真っ黒なのは言うまでもない。
「うぬら、ようも俺の面目、潰してくれたの。武夫が、面目を重んずるを存じおるか」
「へ、へえ。お武家様には至極、肝要な事やと心得おりまする」
と、太っちょ。
「ほうか、ほんならよ、ほれについてはよ、はなはだ肝心なる事柄ゆえ、詮議は後ほどといたすわ。ほしたらまず、手前ゃあらは、ようも俺の、出色(優秀な)なる家来を手負わせおったな。ほれは別に、弓、鉄砲組が狙っとるのに、いきなり征矢を放つとは、無謀、浅慮の極みだにゃあか。手前ゃあんたらあは(お前たちは)、たわけの党(集団)か」
と、片手で采配を突きつけ、二人をのぞき込むように見ながら、信長が言う。
太っちょが、怒り顔の信長を見上げて答えかけるが、何故か視線を下げて言う。
「そら、先も言いかけたんやけど、みな、あてらの勘違いやったようで。なかでも矢を放った僧兵共は、道中で、散々な大言壮語してたさかい、真っ赤けで恐ろしげな御軍勢見た、他の者らに、仕掛けんのかいと責めれたのと、詮議の御方にも言うたように、アンタはんらを、尾張守護様に刃向かう、小領主の軍勢やと思いこんで、矢を放ちよったんやと」
と、言いながら、太っちょは思っている。
(なんや、この御人の威ぃは。きつい眼光で刺されてるようやがな。こないなド田舎にこんなんいてるとは。えらいの(とんでもない)を怒らせてもうたか。そやけどそれ言うたら図に乗りよるし・・・なんしか上手に繕わなあかんな)
「真っ赤けとは赤色であろう。この物具は赤にあらず。深紅だわ。おみゃあは、話を小出しにしとるな。権六には、今の僧兵の大言の事は言わなんだがや。保身が為か。権六も言うたであろう。なんべん言うても、思い違いの申し開きは通じぬぞ」
と、信長が、鎧の胸を突き出すように言い、太っちょが、頬肉をひくつかせながら答える。
「深紅・・・そ、そやけど、真実のことやさかい」
「鈍くしゃあ・・・ほれに、うぬは小領主とぬかしたな。小身ならば、こうもようけの人数、揃えれるはずが無ゃあがや。矢を放った後は、いかがするつもりだったか言え」
「いや、小出しやなんて。ただの言い忘れでっせ。確かに、大勢いてはるんはわかってましたえ。そやけど、僧兵らは、気ぃも逆上てたよって、分別も、つかへんかったんやないやろか」
「ようけ」は多数、大量の意味で、京都弁も同じだから通じたようだ。
「まだ全て僧兵の勝手だったと申すか。権六が言うた通り、尾張でたわけとは、すなわち愚者。うぬらは愚者を阿呆と言う」
「へえ、すかたんとも、あかんたれともいいまっせ」
「あははっ、ほんならうぬらは、阿呆ですかたんの、あかんたれだがや・・・答えを続けよ」
「その前に、改めて、そこもと様が尾張統一なさはった、弾正忠家の御殿様だっか」
信長は、手短に今の尾張の現状と、己の今を改めて語る。
「心得たか・・・早う答えよ」
「左様でっか・・・ほな、もういっぺん申し上げまっけど、あてらは指図してまへん。そやから後の事などわからしまへん。ほやっ、肝心を言うの、また忘れてたがな。あの二百人からの僧兵らは、みな、まだ坊(子供)でっせ。身体はいかい(おおきい)のも居てまっけど、武道修練は終えたばかり、僧兵なりたての、ほんまの取り合い(戦闘)もしたことない、言うたら素人なんでっせ」
「ぼん、とは童子であろう。なにゆえ役立つはずもない、素人の童子を伴った」
「延暦寺も興福寺も、本物の僧兵はんらは、他ごとで忙しいさかい、行かれへんから、御両寺とも、この子ら、連れてゆけ、言わはったから。ほで、あの坊らの半分ほどは、長期間、稚児して、坊さんらを慰めてきよったそうやから、その御褒美も含めて、行かさはったんやないかな」
〔筆者註釈 坊=子供 坊さん=僧侶〕
「とおから慰めた・・・とおからとは判らぬが、慰めた・・・あっ、尻でか・・・尻で糞売僧の邪欲を満たしたか・・・ふんっ、仏法の不邪淫戒の律は、消え果てたな。まさに末世だがや、あははっ・・・ほんなことはどうでもええが、褒美というなら、うぬらの此度の所業が、物見遊山が大半だったということだがや」
「とおからは、長い時の意ぃでっせ。尻でお仕えするんは、寺やから、おけんたい(当たり前)なことですがな。坊さんかて、よほどの徳高い御方やないと、色慾は消されへんさかい、大昔からの事ですがな」
「おけんたい、おいど・・・え~い、いちいち通じんな・・・んなことはええっ。問いに答えよ」
「物見遊山のつもりはおまへんけと、まさかこないな大事になるとは、予想まへなんだ。なんせ、いつかて・・・と言うても、こげな遠国来たんは初めてでっけど。これまでは道中、どこの御大名かて、あてら本所勢には、手出しなどなされまへんし、関所かて、詮議や関銭など無しの素通りさせてくらはります。やから、あとは、鈴鹿辺りの山賊と一揆勢の戒めくらいやから、坊かて、僧兵の態してたら、間に合うさかい」
「僧兵姿が、山賊や一揆の者を寄せつけず、我等も怯むと見込んだと申すか。また童子ゆえ、大言を責められ、大軍に気が逆上せたで、分別無しに矢を放ったと言いてゃあのか」
「左様でおます」
「ほしたら、やはり我等を舐めくさっておったは確かだがや。ほれは別に、素人混じりで旅してきたとは、うぬらは肝が太えのか。いや、やはり向こう見ずを通り越して、たわけだわ・・・んっ、ほんでもまあ、現に、桑名までは無事だったわな」
「八風越えの道中はそうでっせ。仕舞いに桑名の会合衆と揉めかけたんやけど、僧兵はんらが前に出たら、すぐに怯みよったんでっせ・・・なんやお殿様、御慧眼でんがな」
「アンタが殿様に変わったな・・・俺の眼は尋常。うぬらが盲い(盲目)なのだわ・・・ふ~ん、八風峠を越えて参ったか・・・張り子の虎が役に立ったか・・・帰りの道中も、そうなればええの」
「ひょうしのひょこたん、やったんやろか(まぐれでうまくいくこと)」
信長は、その意味が判らないから無視して続ける。
「うぬが、死んだとぬかした僧兵は、生きておったわ。味方の生き死にも確と確かめぬとは」
「えっ、ほんまでっか。血まるけで、動かへんから、てっきり逝んだと・・・」
「気が途切れておっただけだわ。今、足軽共が手当てしたわっ。内臓に障りはないようだで、死なずに済むやもしれん。確かめもせずとはっ、うかつ者めっ。ほれで、斯波様はおられぬが、おられたとして、報せる手立ては如何に」
「お殿様らが、おいでにならな、あてら二人で清洲へ、着到の御色代兼ねて、御朱印状を持って行くつもりやったんやけど・・・こないな事になってもうて。あっ、そや、斯波様に文も出したんやった」
「ああすればこうなるは、当たり前、種撒いたはうぬら。文は何時頃送った」
「一月ほど前に、座仲間の誰ぞが送ったはずやけど・・・誰やったかな」
「あれもこれも不確かだの・・呆れるわ」
「そうやろか。あとは、尾張御守護、斯波様御存命であらはったら、ここで騒ぎしてたら、お気付きにならはったんでは」
「鈍えことを。一切の見込みが大温だわっ。経緯は判った。うぬらは、大事しでかすに、彼方の物見(偵察)もせず、手管(手段)、手筈(準備)も整えず、ただ、人数と、座の威勢で押せば、尾張の田舎侍などは、蹴散らせるとの見込みでうせおったのであろう」
二人は無言だ。
「・・・あははっ、どうせ座の権威にあぐらかいてきただけの、烏合の衆だろとは思っとったけどよ、ようもこんだけ、たわけに、痴れ者がまとまって来たもんだわ。まあええ、座など間近に滅びるでの。ほれから、桑名からの人数が、千人には足らぬよう見えるが、訳は」
「海に落ちよったんで・・・木切れなど放り込んだんやけど、見る間に流されてしもうて。あっ、そやけど、あてらの人数まで、よう知ってはりまんな」
と、烏顔。
「近場の騒ぎも知らず、漫然と過ごせば、国の滅びにつながる・・・あははっ、とは言え、此度は、偶さかが重なって、報せが来たのだがの・・・揖斐川を下った残りの五百人は、また桑名辺りで騒いでおるかの・・・おっつけ判る。落水は、時化と、人が多すぎたゆえ、船が大揺れしたでだわ。正に身から出た錆びだがや・・・まずは名を名乗れ。ほれから、うぬらの座元はどこか言え」
太っちょが、ふて腐れた顔で答える。
「別組は、北野社、麹座の御人らやから、たいした申し合わせもしてへんからなんも解りまへん・・・えっ、ありゃ、それも知ってはるん・・・ええ御家来衆持ってはるんでんな。けなるい(羨ましい)事や。それに比べて、うちらの人数は、やにこうて、はんちゃらけや(ひ弱で中途半端)。げんなり(がっかり)や」
「繰り言(愚痴)か。長々と。早う言えっ・・・いや、待てっ、教えてつかわそう」
「なんでっか」
「その北野社の者共の行末・・・いや、今の様じゃ」
「・・・」
「その者共の大半は、国境辺りの揖斐川で、舟をようけ奪って、その揖斐川を下った」
「ありゃ、盗みはあきまへんな」
「たわけっ、うぬらも似たようなものだわ。聞けっ、その持ち主はの、木曽七流は元より、この辺りの尾張緒川のおおかたを住処といたす、野武士の族だわ。蜂須賀党が率いる川並衆と言うての、俺も手を焼く、暴虐非道の一団だわ。人数は五千の余。鉄砲もようけ備えとるぞ」
信長は、二人を脅す為、またいたぶる為、小六達を、統制の効かない、凶暴な大集団だとオーバーに言っているのだろう。
「ひえっ、野武士。五、五千、鉄砲も・・・そら、えらいこっちゃ」
「川であやつらに勝てる者はおらぬ。あやつらの得物はの、血糊りを拭う間も無ゃあで、常に血曇っておる程だわ。わははっ、どうじゃ、恐ぎゃあだろう。舟は、あやつらの大事な道具だで、盗まれれば、さぞや憤激いたすであろう・・・あとを追ったあやつらに捕らわれらば・・・いや、もうすでに捕らわれておるわ」
「ほな、どうなりまっか」
「ほんなもん、決まっておる。身ぐるみ剥がれて皆殺しだわ。今頃、骸は流れて伊勢海だわ。ほれが、すでに漂う、うぬらの組の溺者と合わされば、この炎暑に、深みに潜む魚の群れが、海の底から湧いて出よう。あははっ。魚が肥えるわっ」
「きゃあ、そらせっしょうや(可哀想)」
「んっ、ほうだ、別組が斬られるか撃たれて死なば、血の臭いがする。ほしたら、伊勢の内海では滅多には見ぬ、外海の鱶が臭いを嗅ぎつけやってくる。外海の鱶は、十里の隔たりあっても、血を嗅ぎつけるし、どできゃあぞ(巨大だぞ)。型(大きさ)は四間(約七㍍)もあるのが群れで来るわ。人など丸呑みだわ。肥えて脂でぽってりのうぬなどは、大鱶が初めに喰いたがろう。喰われてやるか」
「よ、四間。あては鱶なぞ見た事おへんけど、そんなん、化け物やおまへんか」
「そうそう。海の怪だがや。見てゃあか」
「いや、めっそもおまへん」
と、二人が声を揃える。
信長が、存在しない大鱶を語ったのは、詮議と言いながらも、二人を揶揄って嬲って、半ばは、遊んでいるように見える。
しかし、信長が、二人から、その立場で見た都の現状や、都人の気質を聞き出そうとしているのも確かだ。
「ほれに比ぶれば、うぬらの命はあるのだで、まだましだがや。あははっ、いまのところだけどよう。他人を憂うる立場では無ゃあぞ。さあ、言えっ」
「お殿様、いまのところて・・・」
「喧あしい。生き死には、うぬら次第ということだがや。早う言えっ」
「え~ほな、わては、大山崎八幡宮が油座から罷り越したる、津田備前守兼定様の一門に連なります、禰宜の津田左衛門丞兼保でっせ。備前守様は、宮の大宮司様でっせ。あの八幡大菩薩の旗が、その証。縄目の恥を受ける覚えはおまへんで」
「ちっ、まだ解らぬかっ。大罪人、また戦に負けた敗軍ならば、どうなるのかのん。されど、桑名での騒ぎで、最初からうぬらが本所勢と判っておったゆえ、殺めず縛っておる。今、うぬらを斬っても一文にもならぬし、あとの始末が面倒だでだわ。ほんでも縄が嫌なら斬り捨てて、仲間と共に、鱶の餌にしたろうか」
「敗軍、ひえ~っ、そらそうやな、大勢で来て、降参したんやから・・・そやけどあてら、戦やなんて、かさぶる(大袈裟な)真似はしたつもりはおまへんけど」
「かさぶる。なんじゃそら、まあええ。うぬらは、他国へ得物備えて攻め入ったのだで、我等は仕掛けられたと捉えて、当ったり前だがや。現にうぬらは征矢を放ち、俺の家来を手負わせたがや・・・ほれでも、我等は征矢は使わず、鏑矢を放ち、鉄砲も、なるたけ人は狙わず得物だけを撃ち、随分と、手緩き会釈としてやったが解らぬか・・・」
太っちょも烏顔も、ポカンとした顔で聞いている。
「火付けだとて、あんだけ船が、雨や潮で濡れとって、あれしきの数の、松明を投げただけで火がつくはずもなかろう。また、真の合戦なら、今から火をかけるぞ、などとわざわざ彼方へ言うか。どうじゃ。童でも気づく事もわからず、家中挙げての大狂言にひっかかるとは。まあ、我が軍勢の威容を見らば、一議に及ばず笠上げよう(降伏する)との目算のみは、うぬらの愚かで狂ったがの。俺の前に盾も置かずしたは、そう予想たからだわ。全ては、うぬらを無疵で捕らえる手管だったのだわ。総じてうぬらは、目出度い出来だの」
これで勝家を褒めた理由が判った。
太っちょが、驚き顔で言う。
「狂言、そら、あてらが阿呆すぎて笑けるからやろか。ふ~ん、言われたら、確かに愚かな仕儀ばっかで笑けまんな。オホホホホ」
「笑い事か・・・たわけめっ・・・やっと判ったか・・・脅すのみで、うぬらが命拾いの訳は、出陣前に我が重臣が、あまりの手荒き真似は控えられよと、諌言したこともあるがや・・・死人は出ず、手負いは童子の僧兵三名だけだがや」
「あっ、確かに。ほんまなら、大勢が逝んでた(死んでた)んでんな。そやけど、あの撃たれた僧兵は、坊でも身分は、叡山の荒大衆でっせ。えらい事になるんやないやろか」
「ほおっ、案じてくれるのか。叡山延暦寺か・・・されば言うてつかわそう。まずは、仕掛けられたゆえ応じたまで。ゆえに此方に落ち度無し。その上で、叡山が王城鎮護の霊場などとは、すでに虚名と化しておる。延暦寺僧衆の腐敗堕落振りは、この尾張にまで伝わっておるわ。仏法王法不二の説が、すでに世迷い言と化したは明らか。乱行不法限り無しとの破戒売僧が、配下の手負いを遮二無二に咎め、幾千幾万来ようと、何ほどがあろうか」
文官出身の、林以外の四人の大将は、信長が、突然聞いた事もない、難解な言葉で説明をしたから、目を剥いて、小さく嘆声を上げる。
信長は、気づいて振り向き、
「御師様、御師様」とだけ小さく言う。
沢彦から聞いたと言っているのだ。
「ふえ~、えらい図太い事言わはりまんなあ~、北嶺比叡山延暦寺言うたら、どえらい威勢でっせ。古今、歯向かう者なんぞは、畿内には滅多にいてまへんで。祇園社はんかて、延暦寺はんの差配受けてるし、天子様かて、御遠慮なさはるほどでっせ。まあ、そらお殿様らの御勝手やけど・・・そやけど叡山だけやなしに、数は少ないけんど、南都興福寺の奈良法師もいてまっせ。黒裏頭が、奈良法師の印でんがな。興福寺は、大和(奈良)の守護様みたいなとこやから、そないなとこに楯突く真似して、だいじおへんか」
「くどいっ。我が領内へ理不尽に攻め入ってくらば、相手、人数によらず、屠滅するのみ。ほれにしても、うぬは己の立場判っておるか。此方は言わば敵方だがや。敵を案じて如何する。あははっ」
「あては生来の、気にしい(なんでも気になる人)やから」
「ちっ、ほんでもよ、延暦寺と興福寺は宗派が違うであろう。なにゆえ同勢となる」
「そら、宗派も何も、御足(金)が一番肝心ですがな。銭儲けせな、生きていかれへん。銭の前では、宗派や教義やと言うてられへん。やから此度は、座の商いを守るの為の同勢でんがな」
「坊主共の、仏法求道もどこへやらか・・・浅ましい限りだの・・・ほれにしても、こやつらの言葉は左近らに似てはいても、聞かぬ言葉ばかりだがや。おおかたは解るが歯痒いの・・・ほうだっ、七名、これへ」
七人の鏡びとが、素早く信長の前に片膝を突く。
「こやつらの都言葉が繋げ(通訳)られるか」
風が、六人と視線を合わせてから言う。
「じょうだい(おおかた)なら」
「ほしたら頼む」
天王坊の沢彦も、京都出身だから、上方なまりなのだが、彼は信長とのこれまでの会話で、わかりにくい京言葉は使わなかったから、信長には、聞いた事がない言葉が多いのだ。
風一人が、信長の横に片膝を突き、六人は諸将の後ろへ戻る。
風はすぐに先ほどの、ひょうしのひょこたんと、おけんたい、かさぶると、これまでの通じなかった言葉の意味を、ざっと教える。
風は以後、逐次、通訳を続けるから、会話は少しスムーズになる。
烏顔が、恐れいったように答える。
「あては祇園社が執行職、本寿院三宰様より遣わされた、綿座差配の、祓川市太夫六之介でござります。権禰宜を務めおりまする」
「ふ~ん・・・両名共に大層な名だの・・・両名とも神官か・・・為は打ち壊しか」
「そうでっせ、座の神人(座に属する者)は、一年にいっぺんは、神人の権利代として座元に銭を納めるんと、売り上げの何割かを払うんが決まり。それを破ったら、打ち壊し、殺められたかて文句は言えへんのだす。大昔からの決め事なんでっせ」
「ほうか。されば改めて聞く。座を廃したは、俺より、隣の美濃の蝮殿の方が先だがや。まっと言やあ(もっと言えば)、今より二年前には、近江の佐々木六角も、観音寺城下に楽市を設けたがや。俺はその真似をしたに過ぎず。さらに我が舅殿は、紙座の品より遙かに安価な美濃紙を、都辺りで大量売り捌き、どえりゃあ大儲けしたと聞いておる。ほんで紙座は衰退したんだろう。この事は、我が領内の商人なら誰とて知っておる事だわ。なれば、うぬらとてそれを知っておろう。ほしたら、なにゆえうぬらは、美濃や近江六角へは行かず、尾張へ攻め入ったのか」
聞いている諸将が、その説明を聞いて、またえっと驚いた顔をする。
気づいた信長が振り向いて、少しきまりの悪い顔で言う。
「あははっ、これは言うたつもりが言うてなかったかの。其方らは商人との関わりが薄いゆえ、知らなんだな。俺は、濃がくる前より、商人共から舅殿や六角のやり方聞いておっての、いつかはと思うておったが。尾張統一まではと、これまでは、その機会を計っておったのだわ」
その会話は無視して、太っちょが答える。
「なんでや言わはって、今の美濃守護代、斎藤利政様の父親様は、元は、山崎(現在の京都府、乙訓郡大山崎町)の出ぇで、妙覚寺の学生はんだしたんえ。御名は法蓮房様でしたんや。やけど後に還俗しはって、松波新左衛門尉と御名乗りならはったんでっせ。松波様は、油問屋に婿入りしはってからは、あてとこの神人やった御人でっせ。ほでから美濃へ下りはって精進重ねはって、長井の家を御継ぎにならはって・・・そやからあてらは、美濃の事はよう知ってるんでっせ」
信長は、それくらいは信秀や政秀から何度も聞いて知っているから、驚いたりはしない。
ただ無言でうなずく。
太っちょは続ける。
「その長井新左衛門尉様の総領はんが、今は美濃守護代として、恐ろしき智謀の驍将とならはって。加えて美濃侍八千騎は精兵やと聞こえおりまする。またその御権勢は、国中にあまねく行き届き、素破となれば国中が一丸となり、たちまち大敵かて討ち破ると聞いてたからでおます。六角様かて、十四代の定頼様は、この正月に身罷られたんやけど、家督を継がはった義賢様(丞禎)様も、武勇の御方で、その二万の御軍勢は、千軍万馬やから同様や。そやけど確かに紙座が廃ってましもうたんは、仰せの通りの訳でっせ。楽市楽座もそうやから、畿内本所の者はみな、美濃斎藤様や、佐々木様を怨んでまっせ」
すこし丁寧な言葉使いになった太っちょに、信長が言う。
「その斎藤利政の娘が、我が妻女だわ」
佐々木六角家の代替わりは、とっくに知っているから触れもしない。
「ありゃ、そやから舅殿とお呼びにならはったんでんな。得心得心・・・えっ、斎藤様の姫様が、尾張へ輿入れなさはった・・・どなたはんかが、噯(調停、仲裁)しなはったんでっか」
「んなことはどうでもええっ。舅殿の父御が、油売りから身を起こされたは聞いておる。親子二代で、実の美濃国主と成り上がりおった事も・・・名ばかりだが、只今の守護、土岐美濃守頼芸殿などは、蝮の傀儡だったがや。しかも、その守護様は、すでに去年の冬、美濃から追われ、近江辺りへお逃げになられた。確かに舅殿は強え。尾張の虎と呼ばれし我が亡父も、蝮だけには、ついに勝てなかったでの。ちなみに蝮殿は、今は入道なさって、斎藤山城入道道三と称されておるがや。ほれは別に、六角に二万も軍勢おるとは初耳・・・あっ、ほれは一揆衆も含めてか」
「仰せの通りでっせ。六角様は、巧みに一揆衆を使わはりまする。斎藤様が入道なさはった・・・そら知らんかった」
信長が、クスッと笑って言う。
「ほしたらうぬらは、先ほどから俺が言うてきた通り、やはり、美濃斎藤や六角には勝てぬが、尾張織田の軍勢は弱兵ゆえ、勝てると踏んでうせおったのだな」
「勝てるやなんて。まずは斯波様頼り。そら別として、なんべんも言いまっけども、尾張は、小領主同士で取り合いしてるから、あてらの邪魔はしとうても出来んやろと。ほでから、尾張は田舎やから、公方様の御朱印見たら、誰かて恐れいってひれ伏すやろて」
「僧兵以外の神人、侍姿の者共も、さほど抗わぬを見らば、これまでうぬらが相手して参ったは、隷下の刃向かう術も無き、座の寄人くらいであろう。やり合う器量も無き、烏合の衆を引き連れうせおったとは、舐めておったとの証だわ・・・沢山喋らせよって、ああっ、顎が疲れたわ。誰が言うた」
烏顔が答える。
「舐めてた・・・確かにあてらは、武家様とやり合う羽目になったんは、此度が初めて。これまでの相手は、確かに掟破りの凡下(庶民)の者ばかりでおました。あの侍共は、寺侍と銭目当ての傭われ牢人やけど、真っ先に刀捨てよって。あやつらかて、大言ほざいてたのに、ダボ(馬鹿)ばっかりや」
太っちょが割り込む。
「まさか、あないに大量の鉄砲、備えてはるとは予想もせなんだし、放ち手の技量かて、名高い紀州根来の僧兵はんらに並ぶほどの、特段のもんでんがな。知ってたら来いしまへんで」
「あははっ。ほりゃあ、銭より命だわな。ふ~ん、根来僧兵は、それほど音に聞こえおるか・・・話しがそれた。答えよ」
満天星、翠海の身元を言う必要はない。
指で差された烏顔が答える。
「え~、聞いたんは誰て、そら各本所へ来よる、尾張の神人からですがな。そらそうとして、尾張の御領主様は、お顔も端正で、お若うて。都の公達が如く、上品した感じしてはりまんな。ただ、御目の光りが、尋常やないのは、怖おすけど。ほんまに尾張の親玉はんでっか」
太っちょが、余計な言葉を止めようとするよう、烏顔を肩でつつくが、間に合わず、恒興が太刀に手をかけて怒鳴る。
風の通訳も間に合わない。
「親玉だあっ、夜盗の頭だ無ゃあぞ。にゃくいとは若輩の意かあ~、はんなりとはなんじゃあ。舐めげな物言い、無礼者おぉ~。叩っ斬る」
「恒興っ、止めよ。まだ話は終わらんがや」
斬られるかと、凍り付いた表情の二人は、ううっ~と声を上げて座り直す。
風が恒興に、公達と、はんなりの意味を教え、畿内では大将を親玉と呼ぶのがよくあることだと説明し、少なくとも貶し言葉ではないと知った、恒興の激昂は収まる。
〔筆者註釈。神人とは、神社の下級神官で、神事も務めましたが、寺の僧兵同様、所属神社の為に闘う戦闘員でもあったのです。それに加えて、座に属する一般商人なども、神人、寄人、供御人などと呼ばれ、彼等も近場で座の権利を侵したり、商売の邪魔をする者を、武力で懲らしめる場合がありました。今回の一行には、その一般商人などは、距離のせいで参加していないようです。ややこしいので註釈いたします〕
「確かに先ほど、誰ぞも、公方様の朱印状と叫びおったな。ふんっ、ほんなもん、どうせ幕府政所の公人(下級官僚)にでも、賂を渡し、もらった朱印であろう」
烏顔が怯え顔で言う。
「あっ、あれはあてでおます。そ、そらそうや。今の御柳営(幕府)の銭儲けの種は、そげな紙切れだけやから。銭さえ渡したら、たいがいの御状は、すぐに頂けるんでっせ。この世は何事も御鳥目(金)やし、長らくの慣習やさかい」
「うぬらが如き、銭の亡者に手を貸すとは。
幕府威光は無きに等しいな」
「威光もなんも、公方様は、三好の殿さんに追われて、つい先までは朽木(滋賀県高島郡朽木村)に御隠れにならはってたんでっせ」
「三好とは、阿波の三好長慶か。今、畿内を牛耳るは、其奴のようだな。まあええ、俺に関わりはなし」
「三好様のご威光が強いんは、確かなんやけど、御盤石ではおまへん。まだ歯向かう者もいてて、二月ほど前には、丹波衆と三好衆がやり合うて、そのあおりで相国寺(臨済宗相国寺派総本山)が丸焼けになってしもうて。相国寺はんが焼けたんは、もう四度目でっせ」
「そのやり合う為は何かのう。民草は、さぞや困じておろうの。尾張の様は、神人に聞いたとぬかしたな。ほれはいつ頃か」
太っちょがまた割り込む。
「いや、お殿様、凡下が難儀やろ言わはりますけど、そらちいと御見方が違うてまっせ。京の町衆は、おおかたか法華信徒で、各地から来よった、一向門徒とのやり合いには、その町衆も加わって、互いに乱暴狼藉、焼き討ちの仕合でっせ。やから、戦の原因は時々でさまざまでも、身分もなんも、ごちゃ混ぜで、人という人が皆、とおから攻めたり攻められたりしてる言うんが、ほんまにちかい様でっせ」
「民草も、戦の片割れで、哀れむ要はないとてか」
「へえ、そうでない者も、そら、ちいとはいてまっけど。町衆も戦乱の原因の顔ぶれなんは確かでおます。おかげで都は屍臭と糞の臭いで、たまらんのでっせ。あては、都のこげつき(都に長期間居住すること)やけど、出来るなら、今少し上品で、なんどりな(穏やかな)処へ移り変わりたいくらいでっせ」
風がこげつきを説明し、信長が、ぶっと吹き出して言う。
「くくっ、ぎゃはは・・・こ、こげつきとは。妙な言い回しするのう・・・うっ、腹が痛え」
信長はツボにはまった。
しばらくして、笑いを堪えてから言う。
「厳めしくやっておるに、余計をぬかすな。いつ頃か、早う言え」
「いつ頃て、一年か、一年半くらい前やろか。神人来るんは、先も言うたように一年にいっぺんやから。今年の期日過ぎても、尾張の神人は、だあれも来いへんから、座元で語り合うて、尾張へ出張るとなったんでっせ」
「たわけめ。その由(情報)はすでに故びておるわ。ほれは別に、うぬらが乗っ取った廻船の先頭共より、事の顛末を聞いたがや。荷を満載し、桑名湊を出ようとしておった、七艘にいきなり乗り込んだな。ほれからそれらの荷を全て、海に投げ落としたそうだの。その上で、うぬらの長持やら葛籠などを、山と積んだであろう」
太っちょが割り込む。
「その前に、銭の亡者て、アンタはん、そらちいと言葉が過ぎまっせ。古来からの仕組みでっせ。座のおかげで、品があんばよう動くんやから」
笑みが残っていた信長の顔色が変わる。
つい、言ってしまった太っちょは、すぐ後悔したがもう遅い。
勝家が、太刀の柄に手をかけて怒鳴る。
「またアンタなどとっ、堪忍ならぬ。斬るっ」
信長が手でそれを制して、太っちょに怒鳴る。
「喧あしいっわっ。品の売買にうぬらが関われば、それだけで品の値が上がる。その分は、民草が被るがや。その銭で、うぬらの栄耀栄華は保たれおるのだがや。他は知らず、俺は将来には、うぬらが如き者が、この世に蔓延るは許さぬがや。覚えとけえぇ~」
太っちょは、怯えながらも説明する。
「先程も言うたように、都は打ち続く戦乱で荒れ果ててもうて、人も仰山、逃散してるんでっせ。やから参拝人も減ってもうて、寄進する御人なぞ、滅多にいてはらへん。挙げ句、折々の勝ち組大将はんから御禁制頂くんに、大枚払わなあかんのでっせ。そやから、今のあてらの生計の道は、座の上がりだけなんでっせ。お察しくなはれ」
〔禁制とは、その時の権力者に金品を差し出す代わりに、その場所や既得権を保護してもらう事〕
「ほれはうぬらの都合。尾張一国の政は、俺が裁量の内。異議あらば、再び弓矢の儀(合戦)にて相まみえるばかり」
「戦やなんて。金輪際、尾張なんぞへは、来いしまへんで・・・荷ぃを捨てたんは、荷ぃがぎょうさんやから、皆が乗られへんし、あてらの荷ぃが載らんから。仕方なく」
「また来ぬと・・・あははっ、その前にまず帰れるのかの・・・まんだある(まだある)ぞ。船頭や水主共に、得物を突きつけ、小突き回し、熱田へ行けと、幾たびも脅したな。挙げ句には、船頭共の非常の糧食、酒なども勝手に飲食しおったであろう。ほれだけでも大罪なるに、船に酔い、大勢が吐きまくって、船中は、うぬらの青反吐で、足の踏み場もなくなった。今、船中を改めておる徒組には、ゆえに筵敷を持っていかせたがや」
「船に慣れてへん者ばかりやから。あてはまだ、嘔吐いてますがな(吐き気がしている)」
と烏顔が答え、太っちょが聞く。
「お尋ねは仕舞いでっか」
信長は片方の眉を上げて、太っちょを見る。
「左なれば、いかがする」
「まあ、御難儀はかけてしもうたんやけど、今、縷縷言うたように、訳がおました。そやから、まあ、こたびは痛み分け言う事で、あてらは帰らさせてもらってよろしいか」
「あははっ、おみゃあのたわけの度合いは、天を突き抜ける程だな。おれが、そうでっか、ほなさいなら、とでも言うと案ずるか。うぬらはずっと、指図はしておらぬと言う。ほんなもん、信じられぬがのう、仮にそうとしても、配下の者共の蛮行を止めもせずにおったは確か。身分が上なら、愚かを止めて当たり前。されば罪の一等(最大)はうぬらにある。返すにしても、うぬら二人は、最後の最後と心得よ」
「ありゃ、尾張のお殿様、あてらの言葉、御上手でんな」
「ほんなもん、うぬらに関わりないわ。よう聞けよ、うぬらは只今より、俺の質だわ。うぬらのやらかしを、銭で弁えさせるまでは、うぬらは我が領内に咎人として留め置く。やらかしの値は今、すでに算じとる」
「えっ、咎人、弁えて・・・償す事やろか」
と、烏顔。
「ほうだ。償金を払わねば、うぬらはず~っと、あははっ、ず~っとだぞ。俺の領国を騒がせ、領民、家来の財貨を損じさせた犯人として扱う。下知に従わねば・・・まあ斬首か磔」
「ざ、斬首に磔・・・やめておくれやす。きいただけで鳥肌でんがな。損じたて、船の荷ぃのことやろか」
「始めに言うた。第一は、俺の面目。尾張領主としての俺の面目は丸潰れ。本来なら問答無用で誅伐だが、その罪を此度に限り、銭で購わさせてやるは、うぬらが、武家ではなく、しかもあまりのたわけだでだわ」
「ご、御面目・・・確かに。そらありがたい事でおます。そやけど、そらなんぼほどに」
「ほりゃあ、俺の気が済む、相当の価になるわな・・されどまだ思案の最中・・・あとは荷だな。捨てた荷そのものの値と、荷を売った折の利。後は、桑名からの船賃。いまこうして留められておる船が動いて、稼げたはずの賃金。船頭やら水主共への詫び料。我等の出兵に関わる費え・・・何日となるかは、まだ判らぬが、熱田商人共の商いを滞らせたゆえの損金。漁師共への手間賃。あっ、手負うた家来への詫び料もだな。荷は熱田商人の品であったが、船頭は、値高い物ばっかだったと嘆いておったぞ。路銀は、いかほど持って参った」
「都からここまでと、所用と帰り旅で、二十日程のつもりやったさかい、それなりを」
と、今度は太っちょ。
「二十日もや。悠長でござるのう。馬は」
「荷運びに、鈴鹿の山道だけは、駄馬を傭うて。あてら、身分ある者は、山駕籠で」
するとそこへ、徒組の組頭が駆けて来て、荷物、着物が多いから、人数を増やして欲しいと願い出る。
「見張り番を除き、皆でかかれっ。衣裳は中身を探ったあと、残せばええ」
各組は、武器をその場に、一斉に船に駆け上がる。
荷物は運ばれ、たちまち岸壁の後ろに積み上げられる。
その中身を大勢で調べ、銭や金銀があると、別々にして積み上げる。
大量の衣服は、中身を探ったあと、信長の指示通り、そのまま船上に残される。
各船には、本所勢の履き物も、大量に残されている。
衣服から発見した、布や革製の巾着や嚢などに入った金銭は、運ばれて、荷物の分とまとめて置かれる。
各組の、奉行、頭、小頭が、それらを数え出すが、量が多過ぎるから、それぞれが配下を数人づつ呼び寄せ、作業に加える。
「まあ、ようけの荷物。大身の姫の輿入れが如くだのん」
烏顔が聞く。
「え~、お殿様、あてらは牢獄にでも」
「牢などには入れぬ。食って寝てなら、費えが膨らむばかり。うぬらは働くのじゃ。折良く、清洲の城を拡張しようとしておったでの」
「御城の御普請・・・」
「そうじゃ」
「いつまででっか」
と、太っちょ。
「ほりゃあ、償金が届くまでだわ」
「どこから、誰が届けるんでっか」
「ほんなもん、うぬらの座元に決まっとる。でっぷり、うぬは、座元がおだいじんだと権六にぬかした。おだいじんとは、分限者(金持ち)の事であろう。褌も足袋も白生絹と誇っておったがや」
「た、確かに・・・ほで、でっぷりて、あての事やろか」
「ほうだ、いま一人のうぬは、ひょろ黒と名付けよう・・・あははっ・・・分限者ならば、千貫文、万貫文とて払えよう」
二人は、ぷっと頬を膨らませるが、抗議はせず、そのひょろ黒が聞く。
「どないして報せるんでっか」
「文を書け。あちらこちらへ送るには手間がかかる。おみゃあら二人の座元へ書け」
「なんて書いたら」
「此度の事を、細大漏らさず、真実のみをつぶさに書け。大失敗をしてまったで、償金の回しをせよとな・・・文は一度しか出さぬ。都へ帰りたくば、懸命に書け。応えなくば、うぬらは死ぬまで尖人として働くのじゃ。」
「死、死ぬまで。そんなん伝えたら、座元やら御両寺が人数、繰り出して、あてらを取り返しに決まっせ」
と、でっぷり。
「ふふっ、その折はの、まずうぬら全部を、戦神への生贄として血祭りに上げる。そうした後、戒めを厳とし、座元、寺社の人数も、国境は越えさせず、皆殺しにしてくれる。ほんだで来るなら来ればええ」
「ち、血祭り。ひゃあ~、ほな来たらあかんと書きまっせ」
「ほれが身の為じゃ・・・やるといったら必ずやるでの・・・ほれから、もしや座元が払いを拒めば、うぬらは死ぬまでこき使い、いつか必ず償金を取り立てに都へ参る。その折は、織田の全軍を率いてな。懲罰としてうぬらの働いた分は、勘定にいれず、算出した償金に、利を加えた額を丸々払わせる。つまり二重取りにするのじゃ。どうじゃ、豪気であろう」
「そ、そんな、えげつない」
と、ひょろ黒。
「今は無理でも、近い未来には武力が更に増すでの。うぬらは城普請終わっても、川やら道やらの、やりたい普請、作事は山とあるでよう。働き場に不自由はせぬゆえ、確と働けばええ」
「そ、そんなん、かなん(困る)」
「ほうだ、ほれより良い手があった。座元の当主の五六名も、掠ってやろうか。話しが早いがや」
「掠うて、どないして」
「うぬらに手管を教える謂われはない。俺の家来共は、ほれぐらい易々とこなす」
「ひええっ、お殿様ならほんまにやれそうや。やめておくれやす。あてとこの宮司様は御高齢やから、そがいなあらくたい事されたら、正気を失のうて病になってしまわれまっせ。文を確と書きまっさかい、どうか御堪えしておくなはれ」
と、でっぷり。
「確約は出来ぬ。座元の出方次第だわ」
「本所はあてらを見殺しにはなされへん」
と、またでっぷり。
「八幡神にでも、そう願え。文は此方が座元へ届けるし、銭も此方から受け取りに行く。座元が銭を払わねば、うぬらは、償金を働いて返すしかにゃあがや。如何ほどの価になるかのう。品の価と俺の存念によっては、何時までも返しきれぬかもなあ」
「ひえっ、ほ、ほな、あてらは尾張で仕舞いでっか」
「あははっ、でっぷり、まんだ洒落が出るか。未だ寛かだがや(余裕があるな)」
「いや、洒落やおまへん」
「文には、償金の額、受け取りの手筈も書く。文を渡してから、償金の受け取りまでは、丸一日といたす。座元が支払いを拒めば、それまでと心得よ。ほうだ、文の真偽が伝わるよう、うぬの、その肉厚の指、二三本も送ったろうか」
「ひえっ。またあらくたい事を。堪忍や」
「うぬらの路銀、得物、衣裳道具などは一旦預かる。座元の出方次第で、銭に替えねばならぬやもしれぬでの」
「あっ、ほな、その分は償金が減りまんな」
「ほうだ。ほんで、償金の算出と、うぬらの持ち金が幾らあるか、数えるにまだ大分、時がかかろう。我等は、それを待つゆえ、うぬらは、反吐で汚した船を浄めよ」
「ふ、船の掃除だっか」
と、ひょろ黒。
「されどすでに暗い。うぬらは浜で寝て、夜明けと共に働くのじゃ。逃げようもないでの。ほれでも逃げれば、その折は・・・」
「へえっ、やりまっせ。あては、鱶に喰われるんは、かなわへんさかい」」
でっぷりが、脈絡無しに突然呟く。
「お殿様には、えらい威ぃがお有りや。ほで、きつい物言いはしはるけど、素直な御性分や。ほれに辺幅(虚勢、見栄)を御飾りになられへん。御立場を越えて、あてらのような者にも、ありのままを仰せにならはってるんが、ようわかりまっせ。畿内のお殿様が如き、高貴の御方言うたら、辺幅が着物着て歩んではるような人ばっかしやのに、お殿様がような、涼やかな御人、見た事も聞いた事もおまへん」
ひょろ黒が、確かにとばかり、隣で頷く。
聞いている、回りの諸将とびと七名が、二人の節操の無さに少し笑う。
「けっ、しょうもない・・・追従(おべっか)言うたとて、罪は軽くはならぬぞ」
そう言いながらも、信長には、真っ黒だった彼等の背後が、少し明るくなったのが判る。
しかし当然、それは言わない。
「オホホ、お追従やおまへん。ほんまの心情でっせ。あてはアホやもしれまへんけど、人見る眼ぇは、確かでっせ」
と、でっぷり。
「黙れっ、おみゃあらは、とかく口数が多い。聞けっ、船には潮水を汲み上げる桶が、ようけある。まず、反吐を潮水で洗い流し、そのあと、隅々まで磨き上げよ」
「なんで磨いたら」
と、またひょろ黒。
「ほんなもん、うぬらが脱いだ衣服だわ」
「ひええっ、あての衣服は新品でっせ。そんなババチイ事」
「後で洗えばええ。いやなら素手でやれ」
「やらなんだら」
「飯も食わさぬ。水もやらぬ。さればどうなる」
でっぷりが、焦り顔で言う。
「飢え死にか、渇き死に。なんや急に喉も渇いて、腹も減ってもうた。お殿様、掃除はやりまっさかい、なんぞ虫やしない(軽食)でも」
「たわけっ、廉恥を知らぬもほどがある。水はやる。飯は明日、船を浄めたあとじゃ。さあ、配下の者共にそう伝えよ。働かぬ者には飯も水もやらぬ。どころか、斬首、磔じゃ、とな」
「あてらも」
「当たり前・・・身分に関わらずにだ」
どうしようもない二人は、縛られた配下達の元へ、やはり縛られたまま行き、信長の命を伝える。
多少の文句を言う者はいたが、では勝手に死ぬかと言われ押し黙る。そして彼等には水が配られる。寝ろと命じられ、全員が一旦身体を寄せ合うが、まだ暑気があるから、半裸でも寒くないことに気づく。
鉄砲組は、桟橋から岸壁後ろへと退く。
しばらくすると、本所勢は旅と騒ぎの疲れが深かったのだろう、全員が砂浜に寝てしまう。
「こりゃあ、明日の昼過ぎまでかかるのう。湯に入りてゃあの。潮気と汗で、身体がべたつくけど、仕方ないの。吞気なたわけ共は、船の浄め済んだら、清洲へ連れて行くでよ、清洲へ使いを出すか」
林秀貞が聞く。
「はっ、曲者共の受け入れの回しでござろうか」
「うん、西の荒れ地に陣小屋を建て、柵を二重に結ってよう、厠代わりの大甕も、ようけ要るわな」
陣小屋とは、屋根と床はあるが、壁板は無い、野戦用の組み立て小屋だ。
「心得まいた。誰ぞ、心利いたる者を」
「暗闇を駆けるからには、よほどの手綱巧者でなくてはならぬ。ほしたら・・・ほうだ、立木田じゃ。鉦嘉じゃ、あやつに行かせよ」
「ははっ、されば早速」
馬術の手練れ、立木田鉦嘉は、予備の松明を十本ばかり鞍に括りつけ、火のついた松明を片手に馬の腹を蹴り、清洲へと駆けだした。
「ほれから、宮の森に逃れおる町人共に、曲者共は全て絡め取ったゆえ、戻ってよいと伝えよ。ほれは・・・藤八、佐脇藤八に行かせよ」
呼ばれた佐脇藤八郎良之が、やはり松明を掲げ、すぐさま熱田大宮へと、馬を走らせる。
満天星と翠海が、控える七人の後ろに片膝を突く。
市川大介は、諸将の横に膝を突く。
信長が、根来の二人と市川大介に声をかける。
「両名、ようやった。鉄砲組の業前、確と見たぞ。市川も、弓の功能、改めて見て取った。こののちも励めよ」
信長は、大勢の前だから、市川を御師様と呼ばない。
それでも市川は、面目を強く施したから、満面の笑顔だ。
満天星と翠海も、誉められて嬉しそうだ。
信長は、勝家を狙って強弓を引いた僧兵を、瞬差で撃ち倒した鉄砲組の誰かにと、懐から革の巾着を出して、満天星に渡す。
「中にはよ、金銀の小粒や銭で五貫文くらいはあるでよ」
満天星は勿論、翠海も、破顔して頭を下げる。
小半時(三十分)もたたぬのに、東北から、大歓声と共に、地鳴りの様な足音が聞こえ、避難していた町人達が、信長勢に近づいてくる。
暗くても、砂煙が上がっているのが判る。
民衆は喜んで、信長達を讃え、口々に何かを叫んでいるのだが、声が多過ぎて、意味は解らない。
民衆の先頭には、両加藤の図書助、隼人佐。その隣には、千秋四郎李忠がいる。
信長は三人を呼び寄せ、事態の収束と、解決策、明日までの駐屯を説明する。
町人には、それぞれの家へ帰る事も命じる。
三人は、信長の指示を町人達に伝える。
町人達は、興奮して、なかなか帰宅しようとしなかったが、三人のリーダーにうながされ、だんだんと引き上げて行く。
その動きに連れ、真っ暗だった熱田の町に、ぽつぽつと灯りが点る。
熱田の差配役と言ってもいい三人は、町役や肝煎り(世話人)の商人達と相談し、信長勢に炊き出しをすることした。
町役商人や、肝煎り商人の奉公人達が走り回り、まず各町内が篝火を焚く。
それから町ごとに、雑炊と汁をなるべく大量に作る。
三人は、今回の荷駄奉行を務める島田所之助にそれを伝える。
所之助は、兵糧と賄いの差配も務めるから、今正に、配下の者達に、飯の支度を命じるところだった。
しかし、彼は一存では決めず、信長にその可否を伺う。
信長は、篝火の下、服部金之助と、以下の漁師、廻船の船頭、水主達を呼び寄せ、彼等の勇気ある働きを、褒めていたところだった。
「おじい、ほれから皆の者。ようやった。海の男はやはり肝が太えの。武士ならば感状もんだけどよ、そなたらには褒美を遣わす。金之助配下の漁師の者には、まとめて二百貫文(三千万円)、廻船船頭には二貫文(三十万円)、水主共には一貫文(十五万円)づつじゃ。ほれから金之助、秀二、末吉の三名は特段の働きであったゆえ、服部家には、これまでの二十石に加え、終生三十石を扶持して遣わす」
〔一石は百八十㍑=千合で約五万円の価値。信長の足軽は、年に二貫文(三十万円)から三貫文(四十五万円)の報酬〕
言われた男達が、歓声を上げる。
金之助が、少し複雑な表情で聞く。
「お殿様、ありがてゃあ御沙汰だけどよう、そうもようけ頂でゃあたらよ、なんだしらん(なんとなく)、気が咎めるがね」
「おじい、我が懐を憂いてくれるか。あははっ、案ずる要は無し。此度の事はの、あのたわけ共に全ての費えを弁まえさせるのだわ。全てとは、あやつらに起因する事柄全てで、只今の沙汰も含むのじゃ。されば俺の持ち金は減らぬ。どうじゃ、阿漕(強欲)だろう。あははっ」
金之助は、信長の人柄を熟知しているから、今回の解決策の真意が、おぼろげながら解る。
徒(むやみに)に人命を損なわず、しかし相手を虜囚とする事で面目は立てる。金銭での賠償が取れなくても、無料使いの労働力を得る。
金之助が、そう思った通り、正しくこれが、最初からの信長の方針だったのだ。
「ほうきゃあも(そうですか)。お殿様がしやあす事(なされる事)に間違あは無ゃあわなも。ほしたらまあ(それならまあ)、有難く、有難くよう、御沙汰を御拝受するわなも(いたします)」
と、しかし、賢い金之助は、推測は述べずそう答えるが、少し不安そうだ。
その表情に気づいた信長が、でっぷりに言った事をまた繰り返す。
「仮によ、座元が払わねば、曲者共は使い潰しにし、その上で、いつか必ず都へ償金を取り立てに参る。二重取りに利を加えてよう。ほんだで、どう転んでも、俺に損は無し。ははっ」
そこへ島田が来たから、軍費も管理している彼に支払いを命じる。
信長は、町人の好意を聞き、喜んで許可する。
聞いていた金之助が、漁の獲物の提供を申しでる。
熱田の町全体が、賑やかになり、賄いの騒ぎが聞こえてくる。
すると、千秋四郎がまた来て、信長以下の諸将に、境内の宮司屋敷に、泊まる用意をしたと申し述べる。
「四郎、大儀。ほんでも今宵はここでよい。浜風に吹かれて仮寝するわ」
やがて、活きたガザミ、イサキ、アジにイワシ、タコ、カワハギ、ガシにマゴチなどをブツ切りにしたのを入れた、味噌仕立ての玄米雑炊と味噌汁、漬け物に酒も運ばれてくる。
タコは当然、塩で揉んであるから、ヌメリはない。
「酒も、ちいとは飲んでええ。町人共の謝意じゃ。それっ、食せ。見張り番は一刻ごとに代われ」
信長は、回りの家来衆と共に、遅い夕餉を取る。
それから、砂浜に毛氈を何枚も敷き、諸将と共に、鎧を脱いで仮眠する。
びと七名は、当然、交代で番をする。
時刻は、夏時間の夜四つ。つまり、清洲城、櫓大門で、偽りの信長討ち死にを、成田男之助が伝えた頃だ。
うとうとしていた信長の耳に、風が呟く。
目が覚めた信長が言う。
「清洲から鉄三が・・・ほしたらこれへ」
鉄三は、闇から音も立てずに現れる。
領内巡邏時の制服は着ておらず、黒染麻小袖一枚に、脇差し一本だけを差した姿だ。
小袖の裾を尻に絡げ、足には黒革の脚絆。草鞋は、底に綿を厚く詰めた革草鞋。篝火の下で見る彼の顔に汗は僅かだが、その色は真っ青なのが判る。
信長は、なぜ鳩で報せないかと不審に思って聞く。
「鉄三か。如何した。なにゆえ鳩を飛ばさぬか」
雪丸が、信長の問を聞き、走り来て、頭を砂浜に擦り付けて言う。
「お殿様に言わなあかんのに、機会が無く、つい遅れてしまいまいた。鳩は闇夜を怖がり、飛っびょりませぬ。不調法お赦しくなはりませ」
雪丸の、「鳩は」の前に抜けている文言がある。それは「夜間飛行訓練を施していない」だ。個体にも拠るが、鳩は訓練すれば、夜間も飛べるようになる場合もあるのだ。しかし、訓練に一年くらいはかかるし、配備を優先しているから、着手もしていない。だから、今現在保有の鳩は、現状では夜は飛べないのだ。雪丸は、当然それを心得ていたが、信長の聞き方が、少し怒ったように聞こえたから、つい慌てて、言いそびれたのだ。
「ほうか、ほうだったのか・・・うん、これまで、夜に鳩を飛ばす事はなかったからのう。俺も思いも寄らなんだ。よいよい。ほれで鉄三、如何いたした」
「今より二刻ほど前、お城に曲者が討ち入りまいた」
「な、なにっ」
「曲者は二十二名。全て討ち取りまいたが、此方にも手負いが」
「本所の別手か」
「仔細、未だ不明なるも、手前は、平手様、御下知により、御殿様に急を御知らせに」
「あいわかった。そなたは脚で駆けてきたのか」
「御意」
その会話に、回りの諸将が起き出してくる。
「清洲へ急ぎ戻る。伴は七名だけでよい。新五郎(林秀貞)、あとの差配を任せる。浄め済み次第、あやつらを清洲へ引っ立てて参れ」
信長と七人は馬で走り出す。信長以外は松明を持ち、全員、鎧兜は着けず、裾と袖口を絞った鎧下直垂姿だ。
無論、太刀と腰刀は腰にある。
鉄三も馬を与えられ、後に続く。
信長は、鉄三を呼び寄せ、併走して駆けながら事情を聞く。
「な、なんと、笹百合深手とな・・・皆の者、急ぐぞ」
鳩について、調査不十分でした。夜間飛行が可能とは、夢にも思わずいました。訓練すればできるそうですから、この編の最後の辺りを、訂正加筆しました。本日は2025.12.12日です。大変申し訳ございません。それから、尻を斬られると歩けなくなると細かく描写しましたが、有害となる恐れに気付き、一切を削除いたしました。美濃国守護、土岐美濃守さまの、動向が抜けていましたので、信長が、神官二人とやりとりしている場面に書き足しました。本日は、2025.12.12日です。




