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架空戦記 あゆちのびと衆   作者: 岩山輝之


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あゆちのびと衆 第一章 その二十八




      

        笹百合深手 

          中編                  



熱田の浜の、少し西南の海上。


波や南風が治まったからか、どこからか(の群れが飛んで来ている。


するとあちこちから、小さな群れが次々と集まってくる。

鵜の群れなどは珍しくもないが、今は違った。


見る見る数が増え、黒い(かたまりは、どんどん大きくなってゆく。


千羽、二千羽どころではない。


集まって物凄(ものすごい羽音で飛んでいるのは、数万羽だ。


エサの魚を探しているのは明らかだが、塊は不規則に、なんの秩序(ちつじょもないように宙を舞う。


どこかが尖ったかと思うと、片方が丸くなって上昇し、二つに別れそうになってもぎりぎりでまた一つになる。

巨大な黒い布が、ふわふわして移動しているように見えたりもする。


一部が、竜巻のように旋回しながら上昇したかと思うと、こんどは黒い瀑布(ばくふのように急降下して、海面すれすれでまた違う形を造る。

それでも塊は、どこかでつながって見える。


パターンは存在せず、目まぐるしく旋回、下降、上昇を繰り返しながら、その形は千変万化(せんぺんばんかする。


時折、一部が着水するが、すぐまた飛びあがり、ほとんどは奇妙(きみょうな動きを繰り返すから、それはまるで、宙を(ただよう巨大な黒いアメーバのようだ。


見えている浜の者達には、塊が意思を持つ一つの生き物のように見える。


大勢が、その自然の営みに眼を(うばわれるが、それは(わずかな間だ。


柴田権六と前田孫四郎を乗せた漁船(いさりぶねを、末吉と秀二が(いで、金之助達が逆向きのまま、(いてきた廻船(かいせんと、長い桟橋(さんばしの間に近づけていく。


船長(せんちょう、十二間と少し(約二十二㍍)、喫水(きっすいの深い廻船の箱置(はこおき上には、本所勢がひしめきあっている。

一段低くて狭い、船首甲板にも、人が海へこぼれ落ちそうなほどいる。


色々な旗幟(はたのぼりも、認識(にんしきできて来る。一番目立つ大きな旗は、白地に黒で、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつと染められた一旒(いちりゅうだ。


立烏帽子(たてえぼしに、色様々な長い羽織の様な格衣(かくえ狩衣(かりぎぬは、まさか宮司や権宮司(ごんぐうじは来ないだろうから、その下の禰宜(ねぎか、権禰宜(ごんねぎ身分の神官。上下が白い格衣(かくえ張烏帽子(はりえぼし神人(じんにん出仕(しゅっしで、立烏帽子に白張(はくちょう黄衣(こういは、(かかわりのある公家などからの人数だろう。


胴をつけ、鉢巻(はちまき鉢金(はちがね直垂(ひたたれ姿の、侍らしき姿もちらほら見え、それは寺侍か、牢人(ろうにんだと思われる。他には、五条袈裟(ごじょうげさ白裏頭(しろかとうや、黒裏頭を覆面(ふくめんのように巻いた僧兵の姿もかなり見える。


大半が、槍、薙刀(なぎなた長刀(なががたな長巻(ながまき、やがらもがらや竹槍を持ち、弓を持つ者もかなり見えるし、ほとんどは腰に太刀(たち(るか、両刀を差している。


箱置きの内部や船内にも、大勢がいそうだが、それは見えない。


金之助達は、信長から言われた指定位置、桟橋から十間西(じゅっけんにし(約十八㍍)、浜からは五間(約九㍍)の距離まで、廻船をスムーズに曳いたから、引き縄を外して浜の船溜まりへと戻ってくる。


金之助が、邪魔すればいつまでも海上に漂う事になるぞ、くらいは言ったかもしれないし、本所勢に、他の選択肢(せんたくしはないから、妨害(ぼうがいはしなかったのだろう。


信長が気づき、金之助を呼び寄せ、また何事かを命じる。


命を受けた金之助は、舟に戻る途中、浜にいた漁師の手下に、何かを(つぶやく。


戻った金之助と漁師達は、曳舟(ひきぶねをまた乗りだすと、そのまま、波打ち際前の海上で(ただよっている。

信長の命に従い、次の不測(ふそくに備える為だろう。


呟かれた浜の手下が、大瀬子方向へ走り、少しすると、入江から出た漁船が、十艘(じゅっそう(みなとへ近づいてくる。


金之助の(そばまでやって来た漁船には、十人づつの漁師が乗って(を操り、船が動かないようにしている。


その刺青露(いれずみあらわな百人に、金之助が何かを伝えている。


すると、廻船の前後左右から(いかりが四つ投げ下ろされ、大きな水音を四度たてる。


それを見たからか、まだ沖の六艘からも錨が下ろされる。


満天星(どうだん翠海(すいかいは、桟橋上の鉄砲組の中心と、海に向いている廻船の左舷(さげん真ん中が同じ位置になるように、組子(くみこたちを南へ移動させる。


陣笠を被った全員が、竹盾(たけだてと共に少し移動すると、二人の法師(ほうしは、それぞれの組子たちに船を指さしながら、声と手真似(てまねで何かを伝える。


今回は銃床、銃架を使わない鉄砲組は、無言で頭を下げて了解(りょうかいを示し、鉄砲を竹盾に(せて(かまえる。

火縄からは、煙が上がっている。


すると、廻船の四方から、船の船頭や水主らしき男達が十人ほど、次々と海に飛び込み、抜き手を切って桟橋へ泳いでくる。


弓と鉄砲に(ねらわれているし、その動きが予想外だったのか、本所勢は何も出来ない。


鉄砲組の足軽達が、その男達を引き上げてやり、男達は、満天星に指図されて、岸壁の軍陣の中へ消える。


それに気づいたからか、沖の六艘からも、次々に人が飛び込むのが見える。


逃げられたと気づいた、沖の本所勢の中には、弓を射る者もいたが、船頭や水主達は固まらずに(もぐっては泳ぎ、息継(いきつぎの時しか、海面に頭を出さないようにして逃げてくる。


金之助が「ほりゃあ」と掛け声を掛ける。


曳舟と漁船の群れが、一斉に(ぎ出る。


救援(きゅうえん船群(せんぐんは、南に迂回(うかいしたりして、六艘からはそれぞれ、三町(約三百三十㍍)ほどで止まる。


そして、飛び込んだ、(みなとの仲間たちに声を掛けける。


「お~い、こっちだぜえ~、ほうだっ、ほうだっ、ほうやって(もぐれるだけ潜って(やあよぉ~、矢を放っとるよおぉ~」


「まっすぐ泳いではいかんてぇ~(いけませんよ)、それっ右手(めてへ、左手(ゆんでへとよ~、また左手へだぜえぇ、動きを読まれんよおによお~」


船の乗員達はアドバイスに従い、細かく向きを変えながら、必死に泳いで、それぞれの近くにいる船を目指している。


やがて、届かないと判断したのか、どの船からも矢は飛んでこなくなる。


全船が、一気に散らばる乗員達に近寄る。


六十人くらいの乗員達は、無事に各船に引き上げられ、船群(せんぐんは浜に帰ってくる。


金之助達は、乗員達をおろすと、また波間(なみま(ただよい待機する。


乗員達は、(め上げた褌一つか、(ひざまでの袖無し小袖に脚絆(きゃはんを巻き、草鞋(わらじ(くなどの思い思いの姿だ。


中には刺青(いれずみを入れている者もいる。ただし、それは熱田の漁師達の様に、全身にではなく、腕や脚などの身体の一部にだけだが、(がらはやはり、線と曲線の幾何学模様(きががくもようだ。


いったん浜に降りた乗員達に、曳かれてきた廻船から最初に逃げて来て、軍陣へ消えた船頭や水主達も戻って加わり、何かを話し合っている。

彼らは、短いやりとりの後、誰に命じられるでもなく、三つの船溜まりへ走り、ありったけの曳き舟に分散して乗り込み、金之助達の(そばへと漕いでくる。


信長達が居る、高さ二尺くらいに石を積み上げた岸壁側から見ると、沖に向いた、一間半(二.七㍍)ほど高さのある、船の(ともの、舵床(かじどこの上にまで本所勢が群れ、口々に何かを叫びながら、こちらを見ている。


声が重なり合って、常人には言葉の内容は判らない。


しかし、一際(ひときわの大声がして、それは聞こえた。


「アンタはんらは、尾張守護様の御家来衆かあ~、違うてんなら聞きなはれやあ~、私等(あてらは、公方様(くぼうさま(足利将軍)の御許しを得て、(まか(したる座は本所の者やでえぇ~。あて等に刃向(はむかうは、御柳営(ごりゅうえい(足利幕府)に刃向かうと同じなんやあぁ~。されば謀反(むほん人となるんやあ~。それを(しか料簡(りょうけんしなはれやあ~」


信長勢から、その叫びに応える声は無い。


すると、その大声と共に、応えない信長勢を敵と判断したかのよう、(うずくまっていたらしい白裏頭の僧兵が、十人ほど急に立ち上がり、舵床の人をかき分けるよう、船の後端に出る。そして無謀(むぼうにも、矢を(つがえた弓を絞って、信長勢を狙おうとする。


次の瞬間、弓組の真ん中に居た市川大介が、手にした弓折(ゆみおれを前に振る。

弓組が人群(ひとむれに、鏑矢(かぶらや(正確には神頭矢(じんとうや)を一斉に放つ。


最前列の七名の鏡びとは、瞬間(しゅんかんにしゃがんで、鏑矢の邪魔をしない。


船は、岸壁中央から右寄りに浮かんでいるから、左の弓組からは右斜め上へ、真ん中と右からは、真っ直ぐ斜め上へと、(うなりを上げて飛んだ百本の鏑矢は、僧兵達や舵床上の本所勢の、顔や上半身を(おそう。


楕円(だえんの壁の様に、まとまって飛んできた百本の鏑矢に、僧兵達は矢を放てないまま、逆に、顔や頭、身体を(られる。


「カツン」「コツン」「カンッ」「ガツッ」「ガンッ」・・・と、音を立てて(やじりの無い鏑矢が(あたる。

弓組は斉射(せいしゃを、三度繰り返す。


見えていた僧兵も含めた本所勢全員に、鏑矢が(あたった。

中った者は、悲鳴を上げながら、後ろへひっくり返るか、当たり所を押さえて(うずくまる。何人かは海へ落ちるが、誰も仲間を助ける余裕はない。


落下した者達は、泳いでいる者もいるが、大半は(おぼれそうにもがいている。それでも全員が、なんとか自力で浜にたどり着く。


その者達は、後陣から出てきた槍組足軽達に捕らわれ、武器を取り上げられた上、素裸(すはだか(かれる。

そして縄で(くくられ、砂地へ(ひざまずかされる。


それを見た秀二と末吉は、廻船の後ろ角辺(かどあたりで漁船を止める。


市川大介には、それが当然見えていたが、弓組には、また鏑矢を(つがえさせる。


大声と同時に、左舷でも、箱置き上の人群(ひとむれをすり抜けるよう、弓を構えた僧兵が二十人ほど、船端(ふなばたへ出てくる。


その者達が、桟橋上の鉄砲組に向け、(つるを引き絞ろうとした時、轟音(ごうおんが少しの時間差で、連続して(ひびく。


鉛弾(えんだんは、音を立て、弓の末弭(うらはず((つるを掛ける弓先端)か、弓幹(ゆがち(弓上端)に次々と当たる。


人体は最初から狙っていないようだ。

射手達は音に(おびえて、弓を手にしたまましゃがみ込んだから、弦が引けない。


外れ弾もあるが、当たるまで、次の撃ち手が、また撃ってを繰り返す。


全ての弓は破壊され、回転したりしながら吹っ飛ぶ。

射手達も、弾の勢いをまともに受けて倒れたのだろう、わっ、わっ、と驚きの声を上げ、姿が見えなくなる。


鉄砲組、百四十人は、百四十挺を更に次々と発砲する。


斉射(せいしゃしないのは、弾着(だんちゃくを確かめているからだ。


今度は、本所勢が持っている、薙刀、槍、長刀、やがらもがらや竹槍の((刃)や、先端部分を狙って撃っている。

廻船まで十間(約十八㍍)は、必中距離(ひっちゅうきょりだ。


まだある弓が見えれば、それも撃つ。

弓は「パシッ」と(はじけ飛ぶ。


「ガンッ」「ガシッ」「ガツッ」「グシャッ」と音を立てて、弓以外の武器の(やいば部分や先端に、六匁弾(ろくもんめだまが当たる。


(やいばが真っ直ぐこちら向きだった為、二つに切断される弾、重複して当たる弾もあるが、それはとても(わずかだ。


鉛弾(なまりだま刃横(やいばよこに命中しても、鈍刀なまくら)でなければ、まともな鍛鉄(たんてつの刃は折れたりはしない。すこし曲がるのがせいぜいだ。


しかし着弾(ちゃくだんのショックは、非常に大きい。


長い武器は、(にぶい音を立てて、持ち手を離れ吹っ飛ぶ。幾つかは、廻船の右舷の海へ飛び落ちていく。


全部の鉄砲が、二回づつ放たれた後、桟橋から見て、見える限りの長い武器は、持ち主の手から吹き飛び、持ち手達は、それ以外の者達と共に、頭を抱えしゃがんだのが判る。

辺りは、(すさまじい発砲煙(はっぽうえんで視界が悪い。


満天星、翠海は合図はしていないが、信長の下知(げちに基づき、(あらかじめそう決められていたから、鉄砲組の若者たちは武器だけを狙って発砲したのだ。


二人の法師は、それぞれの自組(じぐみの一番手の撃ち手に、船のあの辺りに撃つべき目標が出たら、指図を待たず撃てと、狙撃(そげき位置と、タイミングを指定していたのだ。


満天星の組は、一番手が指示位置に出た弓を撃ち、左方向へ二番手三番手・・・と、その横の目標、その横へと、次々と僅かな時間差で撃った。


翠海組は、それを右方向へ行ったのだ。


根来の三人が来る前に、鳴海戦でやったのと同じ要領だし、その訓練も繰り返しているから、鉄砲組はもう習熟(しゅうじゅくしている。


鉄砲組は、構えられた弓を片付けたから、同じ要領(ようりょう長柄(ながえの武器と残った弓を撃ったのだ。

発砲を止めた鉄砲組は、新案の槊杖(かるかと早合わせを使い、すぐさま次の射撃用意をする。


満天星は、よくやったと言うのに替えて、にこにこと組子を見渡し、翠海は、片手を何度も突き上げている。

発砲煙は、すでに弱い海風に散っている。


わ~わ~と騒がしかった船上が、静かになった。


年月で、青色が少しくすんだ、刺青だらけの末吉と秀二は、ここぞとばかり、勝家、孫四郎とそれぞれ視線を合わせ、舟を漕ぎ出す。


勝家は、帆柱(ほばしらの左、孫四郎は、帆柱を背にしてしゃがんでいる。


廻船左舷(かいせんさげんから五間(約九㍍)ほどで、勝家が手を上げて、漁船を止めさせる。


末吉と秀二は船が流されないよう、((わずかに(ぐ。


勝家が船に立ち、声を上げようとした瞬間、起倒式(きとうしきの帆柱の後ろから、大柄の僧兵が、ヌッと立ち上がり、勝家目がけ、三人張(さんにんばりらしき大弓を引いて、矢を放った。


〔三人張りとは、常人(じょうじんなら三人かがりでないと、(つるが引けない程の強弓(ごうきゅう


鉄砲組の一人が気づき、瞬差(しゅんさでその白裏頭の僧兵を撃つ。

相手の動きが突然で、弓を撃つ余裕はなかったのだ。


六匁弾(ろくもんめだまは、左半身(ひだりはんみ弓柄(ゆづかを握った僧兵の左拳(ひだりこぶしを、血煙と共に砕きながら弓を半ばで撃ち折り、さらに僧兵の左脇腹を(つらぬく。


僧兵は「ウガアッ~」と悲鳴を上げて、視界から消える。


しかし、矢は防げない。


しゃがんでいた孫四郎が、僧兵の様子を見た瞬間「あっ」と叫びながら、勝家の前にサッカーのキーパーのように、両手を突き出し横っ飛びに飛んだ。


二人の甲冑が接触し、勝家は漁船の(みよしの船板に「ダ~ン」と音を立てて倒れる。末吉が抱き起こそうと、(を船の上棚(うわだなに放る。


飛んできた矢は避ける間もなく、正面から孫四郎の右目下に突き刺さって、面頬(めんぼおごと頬肉(ほおにくを突き破る。

尖った(やじりは、なぜか顔を真っ直ぐは(つらぬかず、その右頬に飛びだして、矢は、顔に縫いつけられたようになる。


その二つの(きずから血が流れるが、矢が刺さったままだから、噴出(ふんしゅつと言うほどではない。


そうして手負(ておった孫四郎も、その状態のまま、勝家に折り重なる形で、漁船の上棚(うわだなに「ガッシャーン」と叩きつけられるよう落ちる。


軍勢は、その光景に一瞬、(こおり付く。


一方、岸壁側では、同時に示し合わせたのか、舵床に倒れうずくまっていた本所勢の中から、やはり大柄な僧兵が二人、スッと立ち上がる。白裏頭だから叡山僧兵だ。

大弓を引き絞り、同時に平根矢(ひらねやを斜め下に放つ。

狙いは、信長以下の諸将が固まっている辺りなのは明白だ。


僧兵が矢を放つのと同時に、弓組が斉射する。

やはり、七名はしゃがみ込んで、その邪魔をしない。


一本の矢は、集中して飛来する矢の群れに射ち落とされたが、一本は鏑矢の壁を突き抜け、信長と各将がいる辺りを目指し、回転せずに飛んでくる。

回転しないのは、矢羽根(やばねが、大羽(おおば小羽(こばが二枚づつの四立羽(よつたてばだからだ。


矢の壁は、そのまま二人の僧兵を襲う。


突き抜けた矢が、前立てが鷹をあしらった金張りで、一番派手な、林新五郎秀貞(はやししんごろうひでひさ目指して飛んでくるのは明らかだ。


弓組の二斉射目は間に合わず、全員が目を見開き、スペード型に似て、幅一寸(約三㌢)もある大きな平根(ひらね鏃の矢を追う。


平根矢は、鎧兜も(つらぬき通しそうだし、その隙間(すきまの人体に(あたれば、軽くて重傷は間違いない。


その寸前、大弓から平根矢が放たれ、弓組が斉射した瞬間、高さは違っても、位置が僧兵二人の真正面でしゃがみ込んでいた風が、腰刀(こしがたなを抜きつつ、鎧兜のまま垂直に(びあがる。


同時に風以外の六人も、腰刀を抜き、跳ぶ構えなのか、腰を(かがめる。


地面から四尺(百二十㌢)の高さの風は、飛んできた矢を斬らず、刃の物打(ものうち横で、その平根矢を、斜め前に打ち飛ばす。


勢いを殺された矢は、切断されず、ビ~ンと音を立て、斜め前方の海へ飛び落ちる。


打ち返すようにしたのは、半ばで斬り落とせば、鏃のある方が、射線(しゃせんは乱れても、勢いを残し、軍勢の誰かに刺さる可能性があったからだろう。


跳び上がって、視線の高さが一瞬、二人の僧兵の腰辺りの風は、前もって握っていたのか、同時に左手を振りかぶらず、手首のスナップだけで、何かを続けて二回投げる。


鏑矢が集中して当たっても、二人の僧兵は、(うめきながらもまた、弓を持ち直し、矢を(つがえようしている。


その二つの左肩に、風の投げた何かが、深く刺さる。


「うっ」「ぐっ」と(うなって僧兵は、どちらも弓を捨てうずくまる。


文章だと長いが、一瞬の事だ。


その業を目にした軍勢からは、感嘆(かんたんのため息が幾つも上がる。


軍陣で勝手に声を出すのは、軍律違反(ぐんりついはんで、重罪だが、これくらいは仕方がない。


六人は跳ぶ必要がなかった。


瞬時の飛翔(ひしょうを終えた風が、鷹迅に目配(めくばせする。

二人は、常人には聞こえない発声法で、何かを早口で(となえながら、両手を複雑に動かす。


他の五人は、二人の動きが後ろから見えないよう、ほんの少し動いて、人壁を作る。


その言葉を文字にすれば、以下の様になる。

初めに

「オン マリシエイ ソワカ・・・」

と、真言(しんごんを数度、(となえたあと


(りん (びょう (とう (しゃ (かい (ちん (れつ (ざい (ぜん


二人は両手で、字に当て(まる(いんを結びつつ、更に九字(くじ(となえているのだ。


軍勢からは見えない。それに気付いているのは、後ろにいる信長だけだ。


二人は、最後に刀印(とういんを結び、四縦五横(よじょうごおうに格子状の線を宙に描くと、両手を前に突き出しながら、同時に「むっ」と気合をかける。


すると、肩を押さえながら、(うめいていた二人の僧兵が、急に(くずれ落ちるよう、仰向(あおむけに倒れた。


言うまでもなく、二人の鏡びとは、九字を切って無形神剣(むぎょうしんけんを使い、僧兵の再びの(いどみを封じたのだ。


無言の気合いは別に、大勢の前で、業を見せるのは、忍者としての風は避けたかったのだが、初めの跳躍(ちょうやくは、事態が危急(ききゅうだったからやむを得なかったのだ。


(なお、この気合いの業は、一瞬、念を(らしただけでも(けられるのだが、今回は掛け損ないが無いよう、正式な手順を踏んだのだと思われる。


ただ勝家や孫四郎からは、同時に起きたその有様(ありさまが見えないし、気付く余裕もない。


その桟橋前では、勝家が、自分を(かばって倒れた孫四郎を抱き起こし、気遣(きづかって言う。


「お犬っ、お犬っ、気を(たもたなかん。(きず(あしゃあ。息をせよっ」


「こ、これしき、大事(どうもござりませぬ」


と、孫四郎は、顔の矢をそのままに、さっと立ち上がると、獣のように咆哮(ほうこうする。


「ウオオ~リャ~ア~~ッ~、うぬらあ~、ようもやりくさったなあぁ~、覚悟いたせえ~っ、皆殺しにしてくれるがやあぁ~」


その勇ましい姿に、所属の城別ではなく、荒し子、弓槍足軽、徒侍、騎馬と、組別に分かれてかたまっている大軍勢が、一斉に歓声を上げる。


軍勢は更に、一斉に足を踏み鳴らしたり、(くらを叩いて孫四郎を(たたえる。


桟橋の鉄砲組も、竹盾を手で叩いて、賞讃を示す。


各組の組頭や各奉行たちが、(あわててその行動を(せいする。


満天星、翠海は、手の竹竿を振って、組子を制止する。


信長は、一瞬、強張(こわばった顔を元に戻す。


そして、振り返って、音を鳴らす家来達を見渡し、鉄砲組にも視線を送った後、金張りの采配(さいはいを横に振る。


大軍勢は、それだけで一瞬に静まる。


「お犬っ、大声を出したらいかん。血が余計に出るがや。ほれに、矢を抜かねば、肉が固まるがや」

と、勝家。


「こんな矢みてゃあ、後でどうにでも・・・拙者にはお(かまいにならんと・・・柴田様、(はよ口上(こうじょうを言わな(いわなくては)」


痛みを感じないよう、口を(いた孫四郎が、そう言って片膝で控える。

勝家が頷き、立ち上がって怒鳴る。


「船の者共おぉ~、よう聞けえぇ~、今、手負(ておうたは、我が弾正忠家が母衣(ほろの者だがやあぁ~、他国へ無断で押し入りぃ~、にわかに矢まで放ち、家中の者を手負わせるとは~、もってのほかあぁ~っ、さればあぁ~、うぬらを船ごと焼き殺すぅ~、観念(かんねんいたせ~っ」


と、勝家が怒鳴ると、岸壁方向から、燃える松明を(かかげた百人程の荒し子達が現れ、岸壁の雁木(がんぎを駆け下り、浜に並ぶ。

中には松明は持たず、重そうな藁俵(わらだわらを担いだ者が十人いる。


信長が大声で叫ぶ。


「おじいっ~、その者共を~っ、柴田が船の後ろへ乗せてゆかせよ~、(へだたりはとれよお~」


合点(がってん承知(しょうちぃ~」


曳き舟の金之助が指図する。十艘の漁船が、一旦浜に近づき、松明を持った荒し子十人づつと、藁俵を担いだ者を一人づつ乗せると、漁師達が海に飛び降り、各船をまた押し出す。


金之助達と水主達の曳き舟は、動かない。


漕ぎ手達は、掛け声をかけながら、勇ましく漕ぎ出す。


「ほらっ、えいや、こりゃや、えいや、こりゃや」


その船群が、廻船と桟橋の間に、ずらりと並ぶ。

信長の指示通り、勝家らの漁船の後ろだ。


すると、見えている左舷船端(さげんふなばたに、立烏帽子に狩衣姿の、神官らしき男が二人現れ、(しゃくを振ったり、差し上げたりして声を上げる。


一人は身の(たけ五尺くらい、大顔で肥満体。顔の肉が(れるほど太っているから、目も糸の様に垂れ下がっている。


もう一人は色黒で、口が尖って(からすのような顔に、背丈は五尺四寸ほどで(せている。


勝家からは見えないが、二人とも浅葱(あさぎ色の差袴(さしこに、浅沓(あさぐつだから、禰宜か権禰宜の身分だろう。


「またれよっ」「やめておくれ」「かんにんしとぉくれ」「そないにあらくたいこと(荒っぽい事)、やめてぃな」

などと、交互に叫ぶ。


勝家が怒鳴る。


「何じゃ、うぬらっ、やるだけやっといて、いまさらの命乞(いのちごいかっ。まずもって、うぬらの言葉(ことのはなど判らんわっ。されど、我が家中に手負いを出したんだでなあ~、例え(びても(ゆるさんでなっ。焼け死ねえ~、そりゃあ者共~、構えよぅ~」


荒し子達が、燃える松明を投げる構えになる。


片方の太った神官が叫ぶ。


「やめてぇ~、なんしか(とにかく)、あんたはんの御指図に従いまんがな。むごいまねはやめておくれやす。いま撃たれた僧兵はあかんかったんやで(死んでしまった)」


「あかんかった、なんじゃそりゃ。落命(らくめいしたか。ふんっ、ほんなもん、やむなしだわっ。先に仕掛けたるはうぬら。戦でなくとも、やればやられるが、この世の定法(じょうほう。ほんな事も知らぬのか」


「そらそうやけど・・・なんしか降参や。御下知に従がいまんがな」と、烏顔(からすがお


「ほうかっ、降参か、降参は判るがや。されば、うぬらは頭分(かしらぶんか」


烏顔(からすがおが答える。


「頭やなんて・・・うちらは武家やないんやで。そやけどまあ、(あてとこの(しとは、こん中で、身分は一番(いっち高いんでおます」


烏顔が続けて叫ぶ。


「そら置いといて、アンタはんらは、どこのどなたはんだっか。あてらは約定破りの座の権利仲間(かぶなかまを、 (とがめに来ただけでっせ。本所の者やと言うてんのに、返答されへんし、今にも矢弾放(やだまはなちそうやから、僧兵は、斯波様の敵方(てきがたやと思うて、矢を放つ次第(しだいになったんやがな」


「どこのだれかだとおっ、愚かを聞くな。尾張織田の軍勢に決まっとるがや」


「そら解ってまっけど、斯波様の御家来衆やないんでっかと、聞いてるんでっせ」


「斯波様だと、斯波義統(しばよしむね様は、御一家共々、すでに身罷(みまかわれたわ。清洲織田の元の守護代、大和守らに攻められての。我等は尾張太守様、織田弾正忠家、三郎上総介様が家来だわ」


「太守って何や。太守様言うたら、平安の昔より、親王様が、上総(かずさ常陸(ひたち上野(こうずけの三国に任じられた時だけの、(かみ(しょうやがな。阿呆な転合(てんご(冗談)言いなや。田舎者(いなかもんやから知らんのか」


「田舎者だとおぉ~」


「例えやがな。斯波様は、おられへんのかい。知らなんだ・・・そらそうとして、尾張は、同じ織田同士で、やり合ってて、国は、三つも四つもに割れてるんと違うんかい」


「あれこれとしゃらくしゃあ・・・まあええ、のちにまとめて、(かろ(めを喰らわせてくれるわ。斯波様については、つい(せんまでの事。今は我が主様(あるじさまが、尾張一国、上下八郡(かみしもはちぐんの御領主様なのじゃ。うぬらは、約定破りと言うたな。尾張の国の座を廃したは、あちらにおわす、その御方様(おかたさまだがや」


ちらっと、勝家の視線の先を見た太っちょが、割り込む。


「え~、あてらの聞いた話と違うがな。弾正忠家様が、(ほかの織田に勝ちはったん」


「・・・そう心得てさしつかえなし」


「そんなん知らんかった・・・斯波様へ公方様からの御朱印状渡したら、斯波様が手伝(てつどうてくらはると聞いてきたんや。アンタらは、人数(にんじゅ仰山(ぎょうさん居てても、返答も出来へん、ダボ(馬鹿、阿呆)の敵方やと思うたさかい、僧兵らも、(らしめたろと、矢を放ったんやわ。まあ、やらなならん経緯(いきさつもあったけど」


「ダボだと、さても悪口(あっこうであろう・・・矢は、思い違いで放ったと申すか。まかり間違えば、此方に死人(しびと出たやもしれぬのに、ほんなもん、通じるはずも(ゃあわ」


「いやいや、ダボて、訳知らずの事でっせ。通じへんと言わはっても、ほんまのことやから。止める間ぁもなかったんでっせ」


(やかあしい・・・ほれに(らしめるとは、推参(すいさん(生意気)なる物言いだがや。うぬらは曲者、盗賊の(たぐい。されば懲らしめるは、此方だがや。たわけめ」


「あてらは(ぬす(やおまへんし、指図もしてまへん」


「他人事のようにぬかすな。なんにしても、うぬらは武備(ぶびを整え、我が領内に押し入ったは、まぎれもなき事。ただで済むはずがなかろう」


「まあ、そうやけど。聞けばあてらも訳分からずの、すかたんやったようやし、すかたん同士、まあなんとか、なんどりに(おだやかに)」


「いちいちの判らぬ言葉、すかたんに、なんどりとはなんじゃ・・・あぁ~、いちいち腹が煮えるわ~、まあちいと、判る言葉使えぇ~」


烏顔がすまし顔で言う。


「よぉいわんわあぁ~、都の言葉やでえ~。判らへんのがあかへんのやで~。あてらかて、アンタの、たわけって、なんやわからんがな~」


(だまりおろうっ。たわけとは、うぬら如き愚者(ぐしゃの意だかや。ここは尾張だわ・・・そこでは話しが遠いがや。この船に(う」


「来うと(わはって、どないして行くん」

と、烏顔。


「海に飛び降りよ」


「そ、そないな無茶、(わんといて」

「あかん。水は怖いがな」

と、二人。


「ふふふっ、案ずるな、ここらは(あしゃあ。足がつくわ。着物を脱ぎ、早う参れ。(いなか、否なら・・・」


二人は、ぼそぼそと会話を交わし、何事か相談している。


しばらくそれが続く。

(ごうを煮やした勝家が怒鳴る。


長々(ながなが)いさくさ(ぐずぐず)と。まあええ。詮議(せんぎはこれまでだわっ。船に火を掛けた後、錨縄(いかりなわを切り、沖へ押し出してくれるわ」


「ひえ~っ、あぁもお、判った、判ったから、そないにえげつないことはやめてんか。アンタはんは、かんてき(怒りっぽい)なお(しとやな」

と、太っちょが言う。


勝家はもう答えない。


二人の男は装束を脱ぐと、鼻をつまみ、褌一(ふんどしひとつで海に飛び降りた。


足がつくはずが、全く立てない。

二人とも泳げないのか、手足をばたばたさせるが、浮かんでいられず、ブクブクと沈んでいく。


漁船を寄せた、秀二と末吉が(を伸ばす。

二人は、櫓になんとか掴まり、船に引き寄せられる。

二人とも、総髪を短く(っているが、潮水でぐっしょり(れている。


烏顔が、船端に掴まり、げえげえと、海水を吐く。


「わははっ、(おぼれず(さいわいだったの」

と、勝家。


太っちょも、同様に、げぼげぼと海水を吐きながら言う。


「アンタはん、いちびったら(悪ふざけ)あかんがな。足なんぞ届かへんやないか。あてら、水練(すいれんなんぞはできひんのや。お~(こわ、死ぬとこやがな。あ~(しょっ(から


顔に矢が刺さったままで、面頬と鎧の前が、血まみれの孫四郎が、二人を見下ろして言う。


「黙れっ、それぐりゃあ。俺のこの(きずはどうしてくれる」


まだ海中の二人が、悲鳴を上げ、烏顔が言う。


「そら、僧兵が自まま(勝手)にしよったことやさかい、うちらに言われても」


勝家が、天狗総面(てんぐそうめんの目を光らせて言う。


「ほうかっ、ほしたら船に残る者共は、うぬらには関わりなく、ゆえに下知に従わぬ(れ者なのだな。あいわかった。さればやはり、成敗(せいばいするしかにゃあ」


「ちゃいまっせ、もう皆、きなしぼや(やる気がない)。どこの(もんも、さいでん(先程)からの、アンタはんらの業前(わざまえに、アンしてますがな(辟易している)。中でも鉄砲衆の腕前は、無双(むそうの神業やがな」

と、涙目の太っちょがそう言う。


「何事も鍛練(たんれん賜物(たまものだわ・・・きなしぼにアンとは何じゃあ・・・アンとは、(かなわぬとでも了解(りょうげするのか」


二人がうなずき、太っちょが、きなしぼの意味を言う。


「よし、されば船の者共に、得物を残らず渡せと呼びかけよ。すぐさまじゃ。遅れれば次は必ず容赦(ようしゃせず、火を掛ける」


二人を、秀二と末吉が引き上げる。

その姿を見た勝家が、呆れた声で言う。


「なんと、うぬらの褌は白生絹(しろすずしか。小才(こさゃあな(しゃらくさい)。中に得物など(ゃあだろうな」


太っちょが(あごを上げて答える。


「ないない。隠しようがないがな。それよりなんや、小才ゃあて。烏滸(おこがましい(生意気)の意ぃかいな・・・ほんなら、生憎(えんばんと、あてら程の身分なら、この(えたまたも、足袋かて、帷子(かたびらかて白生絹やで。あてらの本所は、おだいじん(金持ち)なんや。ぜんない(くだらない)こと言いなや」


〔筆者註釈。当時は、普段、よほどの地位にある者か富裕層でなければ足袋は履かない。また形状や材質も、今の様ではなく、親指部分に又がある物を紐で縛るだけの、文字通り足の袋で、旅や戦の時、革足袋を履くぐらいがせいぜいだったそうだ。また武士が訳も無く、人前で足袋を履くのは、無礼となったようだ〕


「よう(しゃべくる奴。えんばん、えたまた、ぜんない、何をぬかしとるか判らんと言うとるだろっ、余分はええで、早う言ええぇっ~」


と、勝家は太刀を、孫四郎は槍を短く持って、褌姿の二人の尻に突きつける。

漁船が波で少し揺れると、その切っ先が(わずかに刺さる。


「きゃあ~痛っ、アンタ、その槍先、あてのお(いどに刺さってるがな。あてを(きずつけたら、神罰(しんばつが下るえ」

と、太っちょ。


烏顔も 、同時に悲 鳴を上げる。


「ひえ~っ、蚊ぁに(まれた思うたら、刀やないか・・・あてのお(いどからも血ぃが・・・アンタはん、その刀、のけて、のけて」


「だまれえぇっ~、早う言ええぇ~、尻を横に斬るぞっ。歩けぬようなってもええか」


と、勝家に、耳元で怒鳴られた太っちょが叫ぶ。


「お~い、皆の衆うぅ~、得物を出せえ~。言うてはるでぇ~、えら怒ってはるでえ~、聞かなんだら、焼け死にか、矢弾喰(やだまくらうんやでぇ~」


太っちょの説明通り、本所勢は、すでに戦意喪失(せんいそうしつしているのだろう、人がぞろぞろ現れ、廻船から、縄や((で縛った武器が、まとめて下ろされる。


それを、金之助の配下達が漁船を寄せ、藁俵の砂で、松明の火を手早く消した荒し子達が受け取る。


砂をかけて消火するのは、海水で松明の火を消すと、再着火が出来なくなるからだ。


勝家がまた怒鳴る。


「まあ(ゃあかっ。あとで隠し持っておらば、その者は見つけ次第、(で斬りにいたすぞっ、特に鉄砲を隠さば、(なぶり殺しにしてくれるぞ。全てを出せ。小刀(さすが剃刀(かみそり一本と言えどもじゃっ」


船から、間延びした声が幾つもする。


種子島(たねがしま(鉄砲)なんぞ、だあれも持ってへんでぇ」「おまへんでぇ~」「得物はまるきり下ろしたでぇ~」「えずくろしいこと言いなや(しつこく言うな)」


「なにやら判らぬ言葉もあるが、どうやら得物は全て下ろしたようだな。さればっ、船に残る者共お~っ、うぬらも衣服を脱ぎ、海に飛び降りよお~っ」


本所勢は、緩慢(かんまんな動作で衣服を脱ぐが、なかなか飛び降りようとしない。


それを見ていた満天星が、手にした竹竿で組子に短く指図する。


満天星の左手に、ズラリと並ぶ鉄砲組の十人が斉射する。


落雷のような発砲音と共に、鉛弾が、大気を切り裂く不気味な音と共に、桟橋から廻船の斜め上空へ飛ぶ。


「ひやあ~っ」「こらあかんっ」「次は撃たれるでぇ」「前から順に飛べやっ」「ぐずぐずすなっ、このすかたんっ」「なんやとぉ~、すかたんて、あてのことかっ」「われしかおらんやないか。このっ、どあほっ」「あて、泳ぎはできひん」「死にたいんかっ、はよ、いかんかい」


本所勢は、恐怖に混乱して(ののしり合う。

勝家が振り向いて、満天星に(うなずく。


発砲音で踏ん切りがついたのか、船上の本所勢は、衣服を脱いで次々と飛び降りる。


すると待機していた、廻船の乗組員達が、一斉に曳き舟を漕ぎ出し、泳げずもがいている者達を、優先して助ける。

乗組員達は、本所勢をいちいち舟には引き上げず、船端に(つかまらせては、足が届く所まで連れてくる。


乗組員の中には、掴まっている本所勢の頭を(こぶし(なぐったり、足で(る者もいるが、刃物を持ち出す者はいない。桑名からの船中での狼藉(ろうぜきへの、せめてもの仕返しだろう。


泳いで来た者も含め、浜にたどり着いた者は、足軽達に褌の中まで改められた後、また縄で(くくられ、浜に集められる。


すると、池田恒興が、鎧を鳴らして走ってくる。


「柴田様、お殿様の御下知(おげちにござりまする。お犬を手当てさせよと仰せにて。お犬に代わりて、拙者が参りまする」


「あいわかった。秀二、末吉、桟橋へ」


漁船(いさりぶねは、桟橋へ戻り、孫四郎を下ろして、恒興が乗り込む。

出血は止まっても、血臭(ちぐさい孫四郎は、嫌がる素振りだが、勝家に(うながされ漁船を下りる。


「残りの六艘も、同じにいたせとの御諚(ごじょうだがね。その二名は、呼びかけに用いよと。松明組は下ろし、鉄砲組を半数連れて行けとの仰せ」


「よしゃ、漕ぎ手の者共ぉ~、舟を桟橋へ寄せよ、荒し子共を下ろし、鉄砲組を乗せよ」


体重のある満天星と翠海は、漁船(いさりぶねに組子五人づつと乗り、後の鉄砲組半分は、残りの各船に分乗する。


勝家が一番近い、沖の廻船を指さして叫ぶ。


「まずは、あの船から。そりゃあ行くぞぉ」


そこからは、割とスムーズに事が運ぶ。


二人の神官が呼びかけ、武装解除し、金之助の配下がそれを受け取る。そして曳き舟で近寄った、廻船の乗組員達が口で教えて、本所勢に、轆轤(ろくろを巻いて錨を上げさせる事を繰り返させる。


金之助配下の漁船は、押収した武器を満載して帰ってくる。

金之助は、更に配下に、鉄砲で撃ち飛ばされ、穂先を下に、ぷかぷかと海に浮かんでいる長柄の武器や、折れた弓も回収させてくる。


その膨大(ぼうだいな量の武器は、船溜まりから陸上へ運ばれ、種類ごとに並べられる。


六艘の中には、刃向かって矢を放とうとする者もいたが、すぐに弓を撃ち飛ばされるか、威嚇(いかく射撃に(おびえて、降伏した。


六艘を一艘づつ曳いて、桟橋に接舷させる。二列に並べてから、また錨を下ろし、七艘は、長い桟橋をいっぱいに使って、係留(けいりゅうされる。


海からの半数が戻った鉄砲組は、桟橋に少し東へ下がってまた並ぶ。


最初の廻船以外の本所勢に、着物は勿論、褌も外し、履き物も脱いで下船せよと勝家が命じる。

そうすれば、武器を隠し持てないからだろう。


桟橋から渡板(わたしいたをかけ、その素足、素っ裸の、七百人程の本所勢を下船させる。


孫四郎に怪我をさせ、太っちょが鉄砲で撃ち殺されたと言った僧兵は、痛みとショックのせいか、気絶はしていても、まだ生きていた。しかし、仲間たちは、誰も気づいていない。


馬上で見ている信長に、軍列を前からすり抜け、近寄った風が、小声でなにか言う。


信長がうなずくと、風が最初の廻船へと走り登り、またすぐ戻る。


風は、信長だけに、気絶している僧兵の肩から回収した、二本の棒手裏剣(ぼうしゅりけんをちらりと見せ、頭を下げ、撃たれた僧兵に、生きている気配がした事を小声で伝える。


風は、二人から手裏剣を抜いたあと、疵をそれぞれの白裏頭で素早く巻き、出血を止めてやったのだが、それは普段からの信長の心を読み取った、当然の措置(そちだから、口にはしない。


信長も小声で、七人が(あらかじめ前に出た事と、風と鷹迅の業と腕前を褒め、彼等にその僧兵を運び、手当てをさせるよう命ずる。


全部で七百人ほどの本所勢は、縄を(たれて、最初の百人ほどと共に、浜に座らされる。

巨体の男や、侍らしき者も、かなりいるが、信長勢の腕前に、気を(まれたのか、全く抵抗もせず、おとなしくしいる。


廻船七艘には残された、彼等の山のような衣装がある。


息があった大きな僧兵を、七人の鏡びとが、手足を持って、岸壁後ろへ運んで来る。


その僧兵の撃たれた左手と、左脇腹には、仲間の仕業か、本人の物らしい、白裏頭(しろかとうが巻かれて、真っ赤に染まっている。

また左腕のつけ根には、荒縄がきつく巻かれている。


風が、足軽大将に、手当てせよとの信長の下知を伝える。すると荒事(あらごとに慣れた足軽達が集まり、その裏頭を(いて、二箇所の(むごい傷を湯で洗う。

(いで、肉が十匁(約三十八㌘)ほど(えぐれた脇腹の傷と、左手の人差し指と中指と、親指寄りの骨と肉が、手の甲の真ん中くらいで消失し、白い骨が見えている傷に塩をなすりつける。


僧兵の左手の親指、薬指、小指は残っているが、その形状は、見るに耐えないくらい不気味で悲惨だ。


剃り上げ頭が、少し伸びた僧兵は、激痛に悲鳴を上げるが、同じ痛みで、すぐまた気絶する。


足軽達は、二箇所の傷口に、ケイヒ、シャクヤク、ダイオウ、ジオウなどを混ぜ合わせた生薬(しょうやくと、小麦粉を練り合わせた膏薬(こうやくを塗って、酢を含ませた(さらしを幾重(いくえにも巻いてやる。


僧兵は、腕が縛られていたのと、裏頭のおかげで出血が止まっていたし、内臓の損傷(そんしょうは奇跡的にないようだから、傷が(まなければ命は助かる。


その有様は、信長にすぐ報告される。


七艘の廻船に、船内改めの徒組侍たちが、差配役の、祝重高の指示により、百人ほどが手分けして乗り込んで行く。

彼等は、一人に二巻(ふたまきづつの、筵敷(むしろじきを担いでいるが、その用途は判らない。


鉄砲傷の僧兵以外、出血を(ともなう怪我をしているのは、風に、二射目を棒手裏剣で封じられた僧兵二人だけだ。

二人は取り残された格好だ。


徒組侍(かちぐみさむらいに、武器を取り上げられた上、(かつを入れられ、気絶から覚めた大柄のその二人は、刀を突き付けられながら最後に降ろされ、浜へ連れて行かれる。


やはり裸に剥かれた、坊主頭の二人の左肩には、また足軽達が、白裏頭を解いて膏薬(こうやくを塗り、晒しを巻いて、手当てしてやっている。


二人もその他の僧兵も、顔が幼く見えるが、確かめるまでには至っていない。


あとの怪我人は、鏑矢での打撲程度だから、手当をするほどの事はない。


海に向けて座らされている、本所勢の背後には、槍組足軽達が、三間半紅柄(さんげんはんこうえの長槍を構え、ずらりと並んで見張っている。


もう夕暮れだ。


荒し子や足軽達が、篝火(かがりびを運び、桟橋から岸壁、本所勢が(つながれた浜に並べられて火が燃やされる。


海の色は、青から紫へと変わって行く。

空は、オレンジやピンクの夕焼けに染まって行き、その美しい色は、広い海面に映り込み、海には複雑な、その色彩が広がって行く。

岸壁の所々にある松の葉が、夕日に照らされ黄金色に輝く。

雲も夕陽に染まり、空と海を(つなげているように見える。


信長は、諸将(しょしょうを引き連れ、浜に下りてくる。

びと七名は、その後ろを来る。

勝家と恒興も、戻ってくる。


信長は、見張り番以外の全軍に、臨戦態勢(りんせんたいせいを解いて、その場で休むよう下知する。


「権六、恒っ、大儀。お犬の(きずは浅ゃあぞ。はははっ、あやつの頬骨(ほおぼねは、(やじりより(かてゃあとみえる。お犬は、(おのれで矢をへし折って抜いてしもうた。(やじり柳葉(やないばだったのと、当たった天度(角度)で命拾いしおったわ」


笑みを浮かべた信長は、細長い鏃と当たった瞬間の角度が、偶然よかったと言っている。

諸将、特に勝家は何度も頷く。


「ほうだ。権六、そなたの役者振(やくしゃぶりは格別(かくべつだったがや。(しか(おどしつけたの。あははっ、あははっ」


勝家は、深く頭を下げるが、信長が役者と言った意味はまだ判らない。


「おおかたは(大体は)聞いとった、面倒臭(めんどくせえけどよ、まあちいと仔細(しさいを問い(たださなかん(しなくてはいけない)でよ、あの二人を引っ立てて参れ。ほれから皆の者、兜に面頬は外せ。暑いでの」


信長は、厳しい表情に改めてそう言うが、どことなく、ニヤつきを(こらえているように見える。


不知火と雪丸が手伝って、信長の面頬を取ってから兜を外し、二人でそれぞれを持つ。


五人の大将にも、その郎党達が素早く駆けつけ同じ事をする。

それに気づいた、各組の組頭や各奉行が、組下(くみしたに同じ事を命じる。


荒し子達が、砂浜に床几を六つ運んで来る。


信長の後ろに、諸将が座る。

びと七人は、当然自分で、面頬、兜を外し、そのまた後ろに片膝で控える。

信長は、全軍に水を飲むよう命ずる。


荒し子が、天王坊謹製(てんのうぼうきんせいの素焼きの土瓶(どびんと茶碗を運び、信長達も水を飲む。


勝家が信長に(ささやく。


「お殿様、御聞きになられたと存じまするが、あの二名は、強気と思わば、じき神妙(しんみょうになり、また話種(わだい変わると妙に憤激(ふんげきするを、繰り返しおりまする。(つかみ所のなき、扱い(にくき者にござりまする」


「うん。そのようだな。都人(みやこびととは、総じて表裏(ひょうりある者だと、政秀(じいも、いつか言うておった。見ておれ」


床几に座った信長の前に、足軽に縄を引っ張られながら、褌姿(ふんどしすがたの太っちょと烏顔が連れてこられ、(ひざまずかされる。


二人の尻には、小さな刃物疵(はものきずがいくつもあるが、血は止まっていて、手当てがいるほどではない。


二人の背後が、真っ黒なのは言うまでもない。


「うぬら、ようも俺の面目(めんもく、潰してくれたの。武夫(もののふが、面目を(おもんずるを(ぞんじおるか」


「へ、へえ。お武家様には至極(しごく肝要(かんような事やと心得おりまする」

と、太っちょ。


「ほうか、ほんならよ、ほれについてはよ、はなはだ肝心(かんじんなる事柄(ことがらゆえ、詮議(せんぎは後ほどといたすわ。ほしたらまず、手前(てみゃあらは、ようも俺の、出色(しゅっしょく(優秀な)なる家来を手負わせおったな。ほれは別に、弓、鉄砲組が狙っとるのに、いきなり征矢を放つとは、無謀(むぼう浅慮(せんりょ(きわみだにゃあか。手前ゃあんたらあは(お前たちは)、たわけの(たう(集団)か」


と、片手で采配を突きつけ、二人をのぞき込むように見ながら、信長が言う。


太っちょが、怒り顔の信長を見上げて答えかけるが、何故か視線を下げて言う。


「そら、(せんも言いかけたんやけど、みな、あてらの勘違いやったようで。なかでも矢を放った僧兵共は、道中で、散々な大言壮語(たいげんそうごしてたさかい、((けで恐ろしげな御軍勢見た、他の者らに、仕掛けんのかいと責めれたのと、詮議の御方(おかたにも言うたように、アンタはんらを、尾張守護様に刃向かう、小領主(こやけの軍勢やと思いこんで、矢を放ちよったんやと」


と、言いながら、太っちょは思っている。


(なんや、この御人(おしと(ぃは。きつい眼光(がんこうで刺されてるようやがな。こないなド田舎にこんなんいてるとは。えらいの(とんでもない)を怒らせてもうたか。そやけどそれ言うたら図に乗りよるし・・・なんしか上手に(つくろわなあかんな)


「真っ赤けとは赤色であろう。この物具(もののぐは赤にあらず。深紅(しんくだわ。おみゃあは、話を小出しにしとるな。権六には、今の僧兵の大言(たいげんの事は言わなんだがや。保身(ほしんが為か。権六も言うたであろう。なんべん言うても、思い違いの申し開きは通じぬぞ」


と、信長が、鎧の胸を突き出すように言い、太っちょが、頬肉をひくつかせながら答える。


「深紅・・・そ、そやけど、真実(まことのことやさかい」


(とろくしゃあ・・・ほれに、うぬは小領主とぬかしたな。小身(しょうしんならば、こうもようけの人数(にんじゅ(そろえれるはずが無ゃあがや。矢を放った後は、いかがするつもりだったか言え」


「いや、小出しやなんて。ただの言い忘れでっせ。確かに、大勢いてはるんはわかってましたえ。そやけど、僧兵らは、気ぃも逆上(のぼせてたよって、分別(ふんべつも、つかへんかったんやないやろか」


「ようけ」は多数、大量の意味で、京都弁も同じだから通じたようだ。


「まだ全て僧兵の勝手だったと申すか。権六が言うた通り、尾張でたわけとは、すなわち愚者(ぐしゃ。うぬらは愚者を阿呆と言う」


「へえ、すかたんとも、あかんたれともいいまっせ」


「あははっ、ほんならうぬらは、阿呆ですかたんの、あかんたれだがや・・・答えを続けよ」


「その前に、改めて、そこもと様が尾張統一なさはった、弾正忠家の御殿様だっか」


信長は、手短に今の尾張の現状と、己の今を改めて語る。


「心得たか・・・早う答えよ」


左様(さよでっか・・・ほな、もういっぺん申し上げまっけど、あてらは指図してまへん。そやから後の事などわからしまへん。ほやっ、肝心を言うの、また忘れてたがな。あの二百人からの僧兵らは、みな、まだ(ぼん(子供)でっせ。身体(からはいかい(おおきい)のも居てまっけど、武道修練(ぶどうしゅうれんは終えたばかり、僧兵なりたての、ほんまの取り合い(戦闘)もしたことない、言うたら素人(しろとなんでっせ」


「ぼん、とは童子(わっぱであろう。なにゆえ役立つはずもない、素人の童子を(ともなった」


「延暦寺も興福寺も、本物(ほんまもんの僧兵はんらは、(ほかごとで(せわしいさかい、行かれへんから、御両寺(ごりょうじとも、この子ら、連れてゆけ、言わはったから。ほで、あの坊らの半分ほどは、長期間(とおから稚児(ちごして、(ぼんさんらを(なぐさめてきよったそうやから、その御褒美(ごほうびも含めて、行かさはったんやないかな」


〔筆者註釈 (ぼん=子供 (ぼんさん=僧侶〕


「とおから慰めた・・・とおからとは判らぬが、慰めた・・・あっ、尻でか・・・尻で糞売僧(くそまいす邪欲(じゃよくを満たしたか・・・ふんっ、仏法の不邪淫戒(ふじゃいんかい(りつは、消え果てたな。まさに末世(まっせだがや、あははっ・・・ほんなことはどうでもええが、褒美というなら、うぬらの此度(こたび所業(しょぎょうが、物見遊山(ものみゆさんが大半だったということだがや」


「とおからは、長い時の意ぃでっせ。(おいどでお仕えするんは、寺やから、おけんたい(当たり前)なことですがな。坊さんかて、よほどの徳高(とくだかい御方やないと、色慾(しきよくは消されへんさかい、大昔からの事ですがな」


「おけんたい、おいど・・・え~い、いちいち通じんな・・・んなことはええっ。問いに答えよ」


「物見遊山のつもりはおまへんけと、まさかこないな大事(おおごとになるとは、予想(はかれまへなんだ。なんせ、いつかて・・・と言うても、こげな遠国(おんごく来たんは初めてでっけど。これまでは道中、どこの御大名かて、あてら本所勢には、手出しなどなされまへんし、関所かて、詮議や関銭(せきぜになど無しの素通りさせてくらはります。やから、あとは、鈴鹿辺りの山賊(やまだちと一揆勢の(いましめくらいやから、坊かて、僧兵の(なりしてたら、間に合うさかい」


「僧兵姿が、山賊や一揆の者を寄せつけず、我等も(ひるむと見込んだと申すか。また童子ゆえ、大言を責められ、大軍に気が逆上せたで、分別無しに矢を放ったと言いてゃあのか」


左様(さよでおます」


「ほしたら、やはり我等を舐めくさっておったは確かだがや。ほれは別に、素人混じりで旅してきたとは、うぬらは(きも(ふてえのか。いや、やはり向こう見ずを通り越して、たわけだわ・・・んっ、ほんでもまあ、(げんに、桑名までは無事だったわな」


八風越(はっぷうごえの道中はそうでっせ。仕舞いに桑名の会合衆(えごうしゅう(めかけたんやけど、僧兵はんらが前に出たら、すぐに(ひるみよったんでっせ・・・なんやお殿様、御慧眼(ごけいがんでんがな」


「アンタが殿様に変わったな・・・俺の(まなこ尋常(じんじょう。うぬらが(めしい(盲目)なのだわ・・・ふ~ん、八風峠を越えて参ったか・・・張り子の虎が役に立ったか・・・帰りの道中も、そうなればええの」


「ひょうしのひょこたん、やったんやろか(まぐれでうまくいくこと)」


信長は、その意味が判らないから無視して続ける。


「うぬが、死んだとぬかした僧兵は、生きておったわ。味方の生き死にも(しか(たしかめぬとは」


「えっ、ほんまでっか。血まるけで、動かへんから、てっきり(んだと・・・」


「気が途切れておっただけだわ。今、足軽共が手当てしたわっ。内臓(はらわた(さわりはないようだで、死なずに済むやもしれん。(たしかめもせずとはっ、うかつ者めっ。ほれで、斯波様はおられぬが、おられたとして、(しらせる手立ては如何(いかに」


「お殿様らが、おいでにならな、あてら二人で清洲へ、着到(ちゃくとう御色代(ごあいさつ兼ねて、御朱印状を持って行くつもりやったんやけど・・・こないな事になってもうて。あっ、そや、斯波様に(ふみも出したんやった」


「ああすればこうなるは、当たり(みゃあ種撒(たねまいたはうぬら。文は何時頃(いつごろ送った」


「一月ほど前に、座仲間の誰ぞが送ったはずやけど・・・誰やったかな」


「あれもこれも不確(ふたしかだの・・(あきれるわ」


「そうやろか。あとは、尾張御守護、斯波様御存命(しばさまごぞんめいであらはったら、ここで騒ぎしてたら、お気付きにならはったんでは」


(とれえことを。一切の見込みが大温(おおぬるだわっ。経緯(いきさつは判った。うぬらは、大事しでかすに、彼方(てきの物見(偵察)もせず、手管(手段)、手筈(準備)も整えず、ただ、人数(にんじゅと、座の威勢(いせいで押せば、尾張の田舎侍(いなかざむらいなどは、蹴散(けちらせるとの見込みでうせおったのであろう」


二人は無言だ。


「・・・あははっ、どうせ座の権威(けんいにあぐらかいてきただけの、烏合(うごうの衆だろとは思っとったけどよ、ようもこんだけ、たわけに、(れ者がまとまって来たもんだわ。まあええ、座など間近(まぢか(ほろびるでの。ほれから、桑名からの人数(にんじゅが、千人には足らぬよう見えるが、訳は」


「海に落ちよったんで・・・木切(きぎれなど放り込んだんやけど、見る間に流されてしもうて。あっ、そやけど、あてらの人数まで、よう知ってはりまんな」

と、烏顔。


近場(ちかばの騒ぎも知らず、漫然(まんぜんと過ごせば、国の(ほろびにつながる・・・あははっ、とは言え、此度(こたびは、(たまさかが重なって、報せが来たのだがの・・・揖斐川を下った残りの五百人は、また桑名辺りで騒いでおるかの・・・おっつけ判る。落水は、時化(しけと、人が多すぎたゆえ、船が大揺(おおゆれしたでだわ。(まさに身から出た(びだがや・・・まずは名を名乗れ。ほれから、うぬらの座元はどこか言え」


太っちょが、ふて腐れた顔で答える。


「別組は、北野社、麹座(こうじざ御人(おしとらやから、たいした申し合わせもしてへんからなんも解りまへん・・・えっ、ありゃ、それも知ってはるん・・・ええ御家来衆持ってはるんでんな。けなるい(羨ましい)事や。それに比べて、うちらの人数は、やにこうて、はんちゃらけや(ひ弱で中途半端)。げんなり(がっかり)や」


((ごと(愚痴)か。長々と。早う言えっ・・・いや、待てっ、教えてつかわそう」


「なんでっか」


「その北野社の者共の行末(いくすえ・・・いや、今の(さまじゃ」


「・・・」


「その者共の大半は、国境(くにざかい辺りの揖斐川で、舟をようけ(うばって、その揖斐川を下った」


「ありゃ、盗みはあきまへんな」


「たわけっ、うぬらも似たようなものだわ。聞けっ、その持ち主はの、木曽七流は元より、この辺りの尾張緒川(おわりしょせんのおおかたを住処(すみかといたす、野武士の(うからだわ。蜂須賀党が率いる川並衆と言うての、俺も手を焼く、暴虐非道(ぼうぎゃくひどうの一団だわ。人数(にんじゅは五千の(。鉄砲もようけ備えとるぞ」


信長は、二人を(おどす為、またいたぶる為、小六達を、統制の効かない、凶暴な大集団だとオーバーに言っているのだろう。


「ひえっ、野武士。五、五千、鉄砲も・・・そら、えらいこっちゃ」


「川であやつらに勝てる者はおらぬ。あやつらの得物(ぶきはの、血糊(ちのりを(ぬぐう間も(ゃあで、常に血曇(ちぐもっておる程だわ。わははっ、どうじゃ、恐ぎゃあだろう。舟は、あやつらの大事な道具だで、盗まれれば、さぞや憤激(ふんげきいたすであろう・・・あとを)ったあやつらに(らわれらば・・・いや、もうすでに捕らわれておるわ」


「ほな、どうなりまっか」


「ほんなもん、決まっておる。身ぐるみ剥がれて皆殺しだわ。今頃、(むくろは流れて伊勢海(いせうみだわ。ほれが、すでに漂う、うぬらの組の溺者(できしゃと合わされば、この炎暑(えんしょに、深みに(ひそ(いおの群れが、海の底から湧いて出よう。あははっ。魚が肥えるわっ」


「きゃあ、そらせっしょうや(可哀想)」


「んっ、ほうだ、別組が斬られるか撃たれて死なば、血の臭いがする。ほしたら、伊勢の内海(うちうみでは滅多(めったには見ぬ、外海(そとうみ(ふか(においを(ぎつけやってくる。外海の鱶は、十里の(へだたりあっても、血を嗅ぎつけるし、どできゃあぞ(巨大だぞ)。(かた(大きさ)は四間(約七㍍)もあるのが群れで来るわ。人など丸呑(まるのみだわ。(えて(あぶらでぽってりのうぬなどは、大鱶(おおぶかが初めに喰いたがろう。喰われてやるか」


「よ、四間。あては鱶なぞ見た事おへんけど、そんなん、化け(もんやおまへんか」


「そうそう。海の(かいだがや。見てゃあか」


「いや、めっそもおまへん」

と、二人が声を揃える。


信長が、存在しない大鱶を語ったのは、詮議と言いながらも、二人を揶揄(からかって(なぶって、なか)ばは、遊んでいるように見える。

しかし、信長が、二人から、その立場で見た都の現状や、都人の気質を聞き出そうとしているのも確かだ。


「ほれに比ぶれば、うぬらの命はあるのだで、まだましだがや。あははっ、いまのところだけどよう。他人を(うれうる立場(たてばでは(ゃあぞ。さあ、言えっ」


「お殿様、いまのところて・・・」


(やかあしい。生き死には、うぬら次第ということだがや。早う言えっ」


「え~ほな、わては、大山崎八幡宮が油座から(まかり越したる、津田備前守兼定(つだびぜんのかみかねさだ様の一門につら)なります、禰宜(ねぎ津田左衛門丞兼保(つださえもんのじょうかねやすでっせ。備前守様は、宮の大宮司(だいぐうじ様でっせ。あの八幡大菩薩の旗が、その(あかし縄目(なわめ(はじを受ける(おぼえはおまへんで」


「ちっ、まだ解らぬかっ。大罪人(だいざいにん、また(いくさに負けた敗軍(はいぐんならば、どうなるのかのん。されど、桑名での騒ぎで、最初(はなからうぬらが本所勢と判っておったゆえ、(あやめず縛っておる。今、うぬらを斬っても一文にもならぬし、あとの始末が面倒だでだわ。ほんでも縄が嫌なら斬り捨てて、仲間と共に、鱶の餌にしたろうか」


「敗軍、ひえ~っ、そらそうやな、大勢で来て、降参したんやから・・・そやけどあてら、戦やなんて、かさぶる(大袈裟な)真似はしたつもりはおまへんけど」


「かさぶる。なんじゃそら、まあええ。うぬらは、他国へ得物備えて攻め入ったのだで、我等(われらは仕掛けられたと(とらえて、(ったり(みゃあだがや。現にうぬらは征矢を放ち、俺の家来を手負わせたがや・・・ほれでも、我等は征矢は使わず、鏑矢を放ち、鉄砲も、なるたけ人は狙わず得物だけを撃ち、随分(ずいぶんと、手緩(てぬる会釈(えしゃくとしてやったが解らぬか・・・」


太っちょも烏顔も、ポカンとした顔で聞いている。


「火付けだとて、あんだけ船が、雨や(しおで濡れとって、あれしきの数の、松明を投げただけで火がつくはずもなかろう。また、(まこと合戦(かっせんなら、今から火をかけるぞ、などとわざわざ彼方(てきへ言うか。どうじゃ。(わっぱでも気づく事もわからず、家中挙(かちゅうあげての大狂言(だいきょうげんにひっかかるとは。まあ、我が軍勢の威容(いようを見らば、一議(いちぎに及ばず笠上げよう(降伏する)との目算(もくさんのみは、うぬらの愚かで狂ったがの。俺の前に(たても置かずしたは、そう予想(はかったからだわ。全ては、うぬらを無疵(むきずで捕らえる手管だったのだわ。総じてうぬらは、目出度(めでたい出来だの」


これで勝家を褒めた理由が判った。

太っちょが、驚き顔で言う。


「狂言、そら、あてらが阿呆すぎて笑けるからやろか。ふ~ん、言われたら、確かに愚かな仕儀(しぎばっかで笑けまんな。オホホホホ」


「笑い事か・・・たわけめっ・・・やっと判ったか・・・脅すのみで、うぬらが命拾(いのちびろいの訳は、出陣前に我が重臣(おとなが、あまりの手荒き真似は控えられよと、諌言(かんげんしたこともあるがや・・・死人(しびとは出ず、手負いは童子の僧兵三名だけだがや」


「あっ、確かに。ほんまなら、大勢が(んでた(死んでた)んでんな。そやけど、あの撃たれた僧兵は、坊でも身分は、叡山(えいざん荒大衆(あらだいじゅでっせ。えらい事になるんやないやろか」


「ほおっ、案じてくれるのか。叡山延暦寺(えいざんえんりゃくじか・・・されば言うてつかわそう。まずは、仕掛けられたゆえ応じたまで。ゆえに此方に落ち度無し。その上で、叡山が王城鎮護(おうじょうちんご霊場(れいじょうなどとは、すでに虚名(きょめいと化しておる。延暦寺僧衆(えんりゃくじそうしゅう腐敗堕落振(ふはいだらくぶりは、この尾張にまで伝わっておるわ。仏法王法不二(ぶっぽうおうほうふにの説が、すでに世迷い言と化したは明らか。乱行不法限(らんぎょうふほうかぎり無しとの破戒売僧(はかいまいすが、配下の手負いを遮二無二(しゃにむに(とがめ、幾千(いくせん幾万(いくまん来ようと、何ほどがあろうか」


文官出身の、林以外の四人の大将は、信長が、突然聞いた事もない、難解な言葉で説明をしたから、目を剥いて、小さく嘆声を上げる。


信長は、気づいて振り向き、

「御師様、御師様」とだけ小さく言う。


沢彦(たくげんから聞いたと言っているのだ。


「ふえ~、えらい図太(のぶとい事言わはりまんなあ~、北嶺比叡山延暦寺(ほくれいひえいざんえんりゃくじ言うたら、どえらい威勢(いせいでっせ。古今(ここん、歯向かう者なんぞは、畿内(きないには滅多にいてまへんで。祇園社はんかて、延暦寺はんの差配受けてるし、天子様(てんしさまかて、御遠慮なさはるほどでっせ。まあ、そらお殿様らの御勝手やけど・・・そやけど叡山だけやなしに、数は少ないけんど、南都興福寺(なんとこうふくじの奈良法師もいてまっせ。黒裏頭が、奈良法師のしるし)でんがな。興福寺は、大和(奈良)の守護様みたいなとこやから、そないなとこに楯突(たてつく真似して、だいじおへんか」


「くどいっ。我が領内へ理不尽に攻め入ってくらば、相手、人数によらず、屠滅(とめつするのみ。ほれにしても、うぬは(おのれ立場(たてば判っておるか。此方は言わば敵方(てきがただがや。敵を案じて如何(いかがする。あははっ」


「あては生来(せいらいの、気にしい(なんでも気になる人)やから」


「ちっ、ほんでもよ、延暦寺と興福寺は宗派が違うであろう。なにゆえ同勢となる」


「そら、宗派も何も、御足(おあし(金)が一番(いっち肝心ですがな。銭儲(ぜにもうけせな、生きていかれへん。銭の前では、宗派や教義やと言うてられへん。やから此度は、座の商いを守るの為の同勢でんがな」


「坊主共の、仏法求道(ぶっぽうぐどうもどこへやらか・・・浅ましい限りだの・・・ほれにしても、こやつらの言葉(ことのはは左近らに似てはいても、聞かぬ言葉ばかりだがや。おおかたは解るが歯痒(はがゆいの・・・ほうだっ、七名、これへ」


七人の鏡びとが、素早く信長の前に片膝を突く。


「こやつらの都言葉がつなげ(通訳つうやく)られるか」


風が、六人と視線を合わせてから言う。


「じょうだい(おおかた)なら」


「ほしたら頼む」


天王坊の沢彦も、京都出身だから、上方なまりなのだが、彼は信長とのこれまでの会話で、わかりにくい京言葉は使わなかったから、信長には、聞いた事がない言葉が多いのだ。


風一人が、信長の横に片膝を突き、六人は諸将の後ろへ戻る。

風はすぐに先ほどの、ひょうしのひょこたんと、おけんたい、かさぶると、これまでの通じなかった言葉の意味を、ざっと教える。


風は以後、逐次(ちくじ、通訳を続けるから、会話は少しスムーズになる。


烏顔が、恐れいったように答える。


「あては祇園社(ぎおんしゃ執行職(しっこうしょく本寿院三宰(ほんじゅいんさんさい)様より(つかわされた、綿座(わたざ差配の、祓川市太夫六之介(はらいがわいちだゆうろくのすけでござります。権禰宜(ごんねぎを務めおりまする」


「ふ~ん・・・両名共に大層な名だの・・・両名とも神官か・・・(もくてきは打ち壊しか」


「そうでっせ、座の神人(座に属する者)は、一年(ひととせにいっぺんは、神人の権利(かぶ代として座元に銭を納めるんと、売り上げの何割かを払うんが決まり。それを破ったら、打ち壊し、(あやめられたかて文句は言えへんのだす。大昔からの決め事なんでっせ」


「ほうか。されば改めて聞く。座を廃したは、俺より、隣の美濃の蝮殿(まむしどのの方が先だがや。まっと言やあ(もっと言えば)、今より二年(ふたとせ前には、近江の佐々木六角も、観音寺(かんのんじ城下に楽市を設けたがや。俺はその真似をしたに過ぎず。さらに我が(しゅうと殿は、紙座の品より遙かに安価(あんか美濃紙(みのがみを、都辺りで大量(ようけ売り(さばき、どえりゃあ大儲けしたと聞いておる。ほんで紙座は衰退(すいたいしたんだろう。この事は、我が領内の商人なら誰とて知っておる事だわ。なれば、うぬらとてそれを知っておろう。ほしたら、なにゆえうぬらは、美濃や近江六角へは行かず、尾張へ攻め入ったのか」


聞いている諸将が、その説明を聞いて、またえっと驚いた顔をする。

気づいた信長が振り向いて、少しきまりの悪い顔で言う。


「あははっ、これは言うたつもりが言うてなかったかの。其方らは商人との関わりが薄いゆえ、知らなんだな。俺は、濃がくる前より、商人共から舅殿や六角のやり方聞いておっての、いつかはと思うておったが。尾張統一まではと、これまでは、その機会(しおを計っておったのだわ」


その会話は無視して、太っちょが答える。


「なんでや言わはって、今の美濃守護代、斎藤利政(さいとうとしまさ様の父親(てておや様は、元は、山崎(現在の京都府、乙訓郡(おとくにぐん大山崎町)の出ぇで、妙覚寺(みょうかくじ学生(がくしょうはんだしたんえ。御名(おんな法蓮房(ほうれんぼう様でしたんや。やけど後に還俗(げんぞくしはって、松波新左衛門尉(まつなみしんざえもんのじょう御名乗(おなのりならはったんでっせ。松波様は、油問屋に婿入(むこいりしはってからは、あてとこの神人やった御人(おしとでっせ。ほでから美濃へ下りはって精進(しょうじん重ねはって、長井の家を御継(おつぎにならはって・・・そやからあてらは、美濃の事はよう知ってるんでっせ」


信長は、それくらいは信秀や政秀から何度も聞いて知っているから、驚いたりはしない。

ただ無言でうなずく。

太っちょは続ける。


「その長井新左衛門尉様の総領はんが、今は美濃守護代として、恐ろしき智謀(ちぼう驍将(ぎょうしょうとならはって。加えて美濃侍八千騎は精兵(せいべょうやと聞こえおりまする。またその御権勢(ごけんせいは、国中にあまねく行き届き、素破(すわとなれば国中が一丸となり、たちまち大敵かて討ち破ると聞いてたからでおます。六角様かて、十四代の定頼様は、この正月に身罷られたんやけど、家督を継がはった義賢様(丞禎)様も、武勇の御方で、その二万の御軍勢は、千軍万馬(せんぐんまんばやから同様や。そやけど確かに紙座が(すたってましもうたんは、仰せの通りの訳でっせ。楽市楽座もそうやから、畿内(きない本所の者はみな、美濃斎藤様や、佐々木様を(うらんでまっせ」


すこし丁寧(ていねいな言葉使いになった太っちょに、信長が言う。


「その斎藤利政の娘が、我が妻女(さいじょだわ」


佐々木六角家の代替わりは、とっくに知っているから触れもしない。


「ありゃ、そやから舅殿とお呼びにならはったんでんな。得心(とくしん得心・・・えっ、斎藤様の姫様が、尾張へ輿入(こしいれなさはった・・・どなたはんかが、(あつかい(調停、仲裁)しなはったんでっか」


「んなことはどうでもええっ。舅殿の父御(ててごが、油売りから身を起こされたは聞いておる。親子二代で、(じちの美濃国主と成り上がりおった事も・・・名ばかりだが、只今の守護、土岐美濃守(ときみののかみ)頼芸(よりよし)殿などは、蝮の傀儡(くぐつだったがや。しかも、その守護様は、すでに去年こぞ)の冬、美濃から追われ、近江辺りへお逃げになられた。確かに舅殿は(つええ。尾張の虎と呼ばれし我が亡父も、蝮だけには、ついに勝てなかったでの。ちなみに蝮殿は、今は入道(にゅうどうなさって、斎藤山城入道道三(さいとうやましろにゅうどうどうさん(しょうされておるがや。ほれは別に、六角に二万も軍勢おるとは初耳・・・あっ、ほれは一揆衆も含めてか」


「仰せの通りでっせ。六角様は、巧みに一揆衆を使わはりまする。斎藤様が入道なさはった・・・そら知らんかった」


信長が、クスッと笑って言う。


「ほしたらうぬらは、先ほどから俺が言うてきた通り、やはり、美濃斎藤や六角には勝てぬが、尾張織田の軍勢は弱兵ゆえ、勝てると(んでうせおったのだな」


「勝てるやなんて。まずは斯波様頼り。そら別として、なんべんも言いまっけども、尾張は、小領主(こやけ同士で取り合いしてるから、あてらの邪魔はしとうても出来んやろと。ほでから、尾張は田舎やから、公方様の御朱印見たら、誰かて恐れいってひれ伏すやろて」


「僧兵以外の神人、侍姿の者共も、さほど(あらがわぬを見らば、これまでうぬらが相手して参ったは、隷下(れいかの刃向かう(すべも無き、座の寄人(よりうどくらいであろう。やり合う器量(きりょうも無き、烏合の衆を引き連れうせおったとは、舐めておったとの(あかしだわ・・・沢山(ようけ喋らせよって、ああっ、(あごが疲れたわ。誰が言うた」


烏顔が答える。


「舐めてた・・・確かにあてらは、武家様とやり合う羽目(はめになったんは、此度が初めて。これまでの相手は、確かに掟破りの凡下(ぼんげ(庶民(しょみん)の者ばかりでおました。あの侍共は、寺侍と銭目当ての(やとわれ牢人(ろうにんやけど、真っ先に刀捨てよって。あやつらかて、大言ほざいてたのに、ダボ(馬鹿)ばっかりや」


太っちょが割り込む。


「まさか、あないに大量(ぎょうさんの鉄砲、備えてはるとは予想(はかりもせなんだし、放ち手の技量かて、名高い紀州根来の僧兵はんらに並ぶほどの、特段のもんでんがな。知ってたら(いしまへんで」


「あははっ。ほりゃあ、銭より命だわな。ふ~ん、根来僧兵は、それほど音に聞こえおるか・・・話しがそれた。答えよ」


満天星、翠海の身元を言う必要はない。


指で差された烏顔が答える。


「え~、聞いたんは誰て、そら各本所へ来よる、尾張の神人からですがな。そらそうとして、尾張の御領主様は、お顔も端正(たんせいで、お(にゃくうて。都の公達(きんだちが如く、上品(はんなりした感じしてはりまんな。ただ、御目(おんめの光りが、尋常(じんじょうやないのは、(こわおすけど。ほんまに尾張の親玉(おやだまはんでっか」


太っちょが、余計な言葉を止めようとするよう、烏顔を肩でつつくが、間に合わず、恒興が太刀に手をかけて怒鳴る。


風の通訳も間に合わない。


「親玉だあっ、夜盗(やとう(かしら(ゃあぞ。にゃくいとは若輩(じゃくはいの意かあ~、はんなりとはなんじゃあ。(めげな物言い、無礼者おぉ~。叩っ斬る」


「恒興っ、止めよ。まだ話は終わらんがや」


斬られるかと、凍り付いた表情の二人は、ううっ~と声を上げて座り直す。


風が恒興に、公達と、はんなりの意味を教え、畿内では大将を親玉と呼ぶのがよくあることだと説明し、少なくとも(けなし言葉ではないと知った、恒興の激昂(げっこうは収まる。


〔筆者註釈。神人とは、神社の下級神官で、神事も務めましたが、寺の僧兵同様、所属神社の為に闘う戦闘員でもあったのです。それに加えて、座に属する一般商人なども、神人、寄人、供御人(くごにんなどと呼ばれ、彼等も近場(・・で座の権利を侵したり、商売の邪魔をする者を、武力で懲らしめる場合がありました。今回の一行には、その一般商人などは、距離のせいで参加していないようです。ややこしいので註釈いたします〕


「確かに先ほど、誰ぞも、公方様の朱印状と(おらびおったな。ふんっ、ほんなもん、どうせ幕府政所(ばくふまんどころ公人(くにん(下級官僚)にでも、(まいないを渡し、もらった朱印であろう」


烏顔が怯え顔で言う。


「あっ、あれはあてでおます。そ、そらそうや。今の御柳営ごりゅうえい(幕府)の銭儲けの種は、そげな紙切れだけやから。銭さえ渡したら、たいがいの御状(ごじょうは、すぐに頂けるんでっせ。この世は何事も御鳥目(おちょうもく(金)やし、長らくの慣習(ならわしやさかい」


「うぬらが如き、銭の亡者に手を貸すとは。

幕府威光(ばくふいこうは無きに等しいな」


「威光もなんも、公方様は、三好の殿さんに(われて、つい先までは朽木(くちき(滋賀県高島郡朽木村)に御隠(おかくれにならはってたんでっせ」


「三好とは、阿波(あわ三好長慶(みよしながよしか。今、畿内を牛耳(ぎゅうじるは、其奴(そやつのようだな。まあええ、俺に関わりはなし」


「三好様のご威光(いこうが強いんは、確かなんやけど、御盤石(ごばんじゃくではおまへん。まだ歯向かう(もんもいてて、二月(ふたつきほど前には、丹波(たんば衆と三好衆がやり(うて、そのあおりで相国寺(しょうこくじ(臨済宗相国寺派総本山)が丸焼けになってしもうて。相国寺はんが焼けたんは、もう四度目でっせ」


「そのやり合う(もくてきは何かのう。民草(たみくさは、さぞや(こうじておろうの。尾張の(さまは、神人に聞いたとぬかしたな。ほれはいつ頃か」


太っちょがまた割り込む。


「いや、お殿様、凡下ぼんげ難儀(なんぎやろ(わはりますけど、そらちいと御見方(おみかたが違うてまっせ。京の町衆は、おおかたか法華信徒(ほっけしんとで、各地から(よった、一向門徒(いっこうもんととのやり合いには、その町衆も加わって、互いに乱暴狼藉(らんぼうろうぜき、焼き討ちの仕合(しあいでっせ。やから、戦の原因(もと時々(ときどき)でさまざまでも、身分もなんも、ごちゃ混ぜで、人という人が皆、とおから攻めたり攻められたりしてる言うんが、ほんまにちかい(さまでっせ」


「民草も、戦の片割れで、哀れむ要はないとてか」


「へえ、そうでない者も、そら、ちいとはいてまっけど。町衆も戦乱の原因(もとの顔ぶれなんは確かでおます。おかげで都は屍臭(ししゅう(ばばの臭いで、たまらんのでっせ。あては、都のこげつき(都に長期間居住すること)やけど、出来るなら、今少し上品(しっぽりで、なんどりな(穏やかな)(ところへ移り変わりたいくらいでっせ」


風がこげつきを説明し、信長が、ぶっと吹き出して言う。


「くくっ、ぎゃはは・・・こ、こげつきとは。妙な言い回しするのう・・・うっ、腹が(いてえ」


信長はツボにはまった。

しばらくして、笑いを堪えてから言う。


(いかめしくやっておるに、余計をぬかすな。いつ頃か、早う言え」


「いつ頃て、一年(ひととせか、一年半くらい前やろか。神人来(じんにんくるんは、(せんも言うたように一年(ひととせにいっぺんやから。今年の期日(きじつ過ぎても、尾張の神人は、だあれも(いへんから、座元で語り合うて、尾張へ出張(でばるとなったんでっせ」


「たわけめ。その(よし(情報)はすでに(ふるびておるわ。ほれは別に、うぬらが乗っ取った廻船の先頭共より、事の顛末(てんまつを聞いたがや。荷を満載し、桑名湊を出ようとしておった、七艘にいきなり乗り込んだな。ほれからそれらの荷を全て、海に投げ落としたそうだの。その上で、うぬらの長持(ながもちやら葛籠(つづらなどを、山と積んだであろう」


太っちょが割り込む。


「その前に、銭の亡者て、アンタはん、そらちいと言葉が過ぎまっせ。古来からの仕組みでっせ。座のおかげで、品があんばよう動くんやから」


笑みが残っていた信長の顔色が変わる。

つい、言ってしまった太っちょは、すぐ後悔したがもう遅い。

勝家が、太刀の柄に手をかけて怒鳴る。


「またアンタなどとっ、堪忍ならぬ。斬るっ」


信長が手でそれを制して、太っちょに怒鳴る。


(やかあしいっわっ。品の売買にうぬらが関われば、それだけで品の値が上がる。その分は、民草が(かぶるがや。その銭で、うぬらの栄耀栄華(えいようえいがは保たれおるのだがや。他は知らず、俺は将来(すえには、うぬらが如き者が、この世に蔓延(はびこるは許さぬがや。覚えとけえぇ~」


太っちょは、怯えながらも説明する。


先程(さいでんも言うたように、都は打ち続く戦乱で荒れ果ててもうて、人も仰山(ぎょうさん逃散(ちょうさんしてるんでっせ。やから参拝人も減ってもうて、寄進(きしんする御人(おしとなぞ、滅多にいてはらへん。((、折々の勝ち組大将はんから御禁制(ごきんせい頂くんに、大枚(たいまい払わなあかんのでっせ。そやから、今のあてらの生計(たつきの道は、座の上がりだけなんでっせ。お(さっしくなはれ」


〔禁制とは、その時の権力者に金品を差し出す代わりに、その場所や既得権を保護してもらう事〕


「ほれはうぬらの都合。尾張一国の(まつりごとは、俺が裁量(さいりょうの内。異議あらば、再び弓矢の((合戦)にて(あいまみえるばかり」


(いくさやなんて。金輪際(こんりんざい、尾張なんぞへは、(いしまへんで・・・荷ぃを捨てたんは、荷ぃがぎょうさんやから、皆が乗られへんし、あてらの荷ぃが(らんから。仕方なく」


「また(ぬと・・・あははっ、その前にまず帰れるのかの・・・まんだある(まだある)ぞ。船頭や水主共に、得物を突きつけ、小突き回し、熱田へ行けと、(いくたびも脅したな。挙げ句には、船頭共の非常の糧食、酒なども勝手に飲食(おんじきしおったであろう。ほれだけでも大罪なるに、船に酔い、大勢が吐きまくって、船中は、うぬらの青反吐(あおへどで、足の踏み場もなくなった。今、船中を改めておる徒組(かちぐみには、ゆえに筵敷(むしろじきを持っていかせたがや」


「船に慣れてへん(もんばかりやから。あてはまだ、嘔吐(えずいてますがな(吐き気がしている)」

と烏顔が答え、太っちょが聞く。


「お尋ねは仕舞いでっか」


信長は片方の眉を上げて、太っちょを見る。


(なれば、いかがする」


「まあ、御難儀(ごなんぎはかけてしもうたんやけど、今、縷縷(るる言うたように、(わけがおました。そやから、まあ、こたびは痛み分け言う事で、あてらは帰らさせてもらってよろしいか」


「あははっ、おみゃあのたわけの度合いは、天を突き抜ける程だな。おれが、そうでっか、ほなさいなら、とでも言うと案ずるか。うぬらはずっと、指図はしておらぬと言う。ほんなもん、信じられぬがのう、仮にそうとしても、配下の者共の蛮行(ばんこうを止めもせずにおったは確か。身分が上なら、愚かを止めて当たり(みゃあ。されば罪の一等(最大)はうぬらにある。返すにしても、うぬら二人は、最後の最後と心得よ」


「ありゃ、尾張のお殿様、あてらの言葉、御上手でんな」


「ほんなもん、うぬらに関わりないわ。よう聞けよ、うぬらは只今より、俺の(ひとじちだわ。うぬらのやらかしを、銭で(わきまえさせるまでは、うぬらは我が領内に咎人(とがにんとして留め置く。やらかしの(あたいは今、すでに算じとる」


「えっ、咎人、弁えて・・・(まどす事やろか」

と、烏顔。


「ほうだ。償金(まどいきんを払わねば、うぬらはず~っと、あははっ、ず~っとだぞ。俺の領国を騒がせ、領民、家来の財貨を損じさせた犯人(ぼんにんとして扱う。下知に従わねば・・・まあ斬首(ざんしゅ(はたもの


「ざ、斬首に磔・・・やめておくれやす。きいただけで鳥肌(さむぼろでんがな。損じたて、船の荷ぃのことやろか」


「始めに言うた。第一は、俺の面目。尾張領主としての俺の面目は丸潰れ。本来なら問答無用で誅伐(ちゅうばつだが、その罪を此度に限り、銭で(あがなわさせてやるは、うぬらが、武家ではなく、しかもあまりのたわけだでだわ」


「ご、御面目・・・確かに。そらありがたい事でおます。そやけど、そらなんぼほどに」


「ほりゃあ、俺の気が済む、相当の(あたいになるわな・・されどまだ思案の最中・・・あとは荷だな。捨てた荷そのものの(あたいと、荷を売った(おり(。後は、桑名からの船賃。いまこうして留められておる船が(いごいて、稼げたはずの賃金。船頭やら水主共への詫び料。我等の出兵に関わる(ついえ・・・何日となるかは、まだ判らぬが、熱田商人共の商いを(とどこうらせたゆえの損金。漁師共への手間賃。あっ、手負うた家来への詫び料もだな。荷は熱田商人の品であったが、船頭は、値高い物ばっかだったと(なげいておったぞ。路銀(ろぎんは、いかほど持って参った」


「都からここまでと、所用と帰り旅で、二十日程のつもりやったさかい、それなりを」

と、今度は太っちょ。


「二十日もや。悠長(ゆうちょうでござるのう。馬は」


「荷運びに、鈴鹿の山道だけは、駄馬を(やとうて。あてら、身分ある(もんは、山駕籠(やまかごで」


するとそこへ、徒組の組頭が駆けて来て、荷物、着物が多いから、人数を増やして欲しいと願い出る。


「見張り番を除き、皆でかかれっ。衣裳は中身を探ったあと、残せばええ」


各組は、武器をその場に、一斉に船に駆け上がる。


荷物は運ばれ、たちまち岸壁の後ろに積み上げられる。

その中身を大勢で調べ、銭や金銀があると、別々にして積み上げる。


大量の衣服は、中身を探ったあと、信長の指示通り、そのまま船上に残される。

各船には、本所勢の履き物も、大量に残されている。

衣服から発見した、布や革製の巾着(きんちゃく(ふくろなどに入った金銭は、運ばれて、荷物の分とまとめて置かれる。


各組の、奉行、頭、小頭が、それらを数え出すが、量が多過ぎるから、それぞれが配下を数人づつ呼び寄せ、作業に加える。


「まあ、ようけの荷物。大身(たいしんの姫の輿入(こしいれが如くだのん」


烏顔が聞く。


「え~、お殿様、あてらは牢獄(ろうごくにでも」


「牢などには入れぬ。食って寝てなら、(ついえが(ふくらむばかり。うぬらは働くのじゃ。折良(おりよく、清洲の城を拡張しようとしておったでの」


「御城の御普請(ごふしん・・・」


「そうじゃ」


「いつまででっか」

と、太っちょ。


「ほりゃあ、償金が届くまでだわ」


「どこから、誰が届けるんでっか」


「ほんなもん、うぬらの座元に決まっとる。でっぷり、うぬは、座元がおだいじんだと権六にぬかした。おだいじんとは、分限者(ぶげんじゃ(金持ち)の事であろう。褌も足袋(たび白生絹(しろすずし(ほこっておったがや」


「た、確かに・・・ほで、でっぷりて、あての事やろか」


「ほうだ、いま一人のうぬは、ひょろ黒と名付けよう・・・あははっ・・・分限者ならば、千貫文(せんかんもん万貫文(まんがんもんとて払えよう」


二人は、ぷっと頬を膨らませるが、抗議はせず、そのひょろ黒が聞く。


「どないして報せるんでっか」


「文を書け。あちらこちらへ送るには手間がかかる。おみゃあら二人の座元へ書け」


「なんて書いたら」


「此度の事を、細大漏(さいだいもらさず、真実(まことのみをつぶさに書け。大失敗(おおしくじりをしてまったで、償金の回しをせよとな・・・文は一度しか出さぬ。都へ帰りたくば、懸命(けんめいに書け。(いらえなくば、うぬらは死ぬまで尖人として働くのじゃ。」


「死、死ぬまで。そんなん伝えたら、座元やら御両寺が人数、繰り出して、あてらを取り返しに決まっせ」

と、でっぷり。


「ふふっ、その折はの、まずうぬら全部を、戦神(せんじんへの生贄(にえとして血祭りに上げる。そうした(のち(いましめを(げんとし、座元、寺社の人数も、国境(くにざかいは越えさせず、皆殺しにしてくれる。ほんだで来るなら来ればええ」


「ち、血祭り。ひゃあ~、ほな来たらあかんと書きまっせ」


「ほれが身の為じゃ・・・やるといったら必ずやるでの・・・ほれから、もしや座元が払いを(こばめば、うぬらは死ぬまでこき使い、いつか必ず償金を取り立てに都へ参る。その折は、織田の全軍を(ひきいてな。懲罰(ちょうばつとしてうぬらの働いた分は、勘定にいれず、算出した償金に、(りそくを加えた額を丸々払わせる。つまり二重取りにするのじゃ。どうじゃ、豪気(ごうぎであろう」


「そ、そんな、えげつない」

と、ひょろ黒。


「今は無理でも、近い未来(みいらいには武力が更に増すでの。うぬらは城普請終わっても、川やら道やらの、やりたい普請、作事(さくじは山とあるでよう。働き場に不自由はせぬゆえ、確と働けばええ」


「そ、そんなん、かなん(困る)」


「ほうだ、ほれより良い手があった。座元の当主の五六ごろく)名も、(さらってやろうか。話しが早いがや」


「掠うて、どないして」


「うぬらに手管を教える(われはない。俺の家来共は、ほれぐらい易々(やすやす)とこなす」


「ひええっ、お殿様ならほんまにやれそうや。やめておくれやす。あてとこの宮司様は御高齢(ごこうれいやから、そがいなあらくたい事されたら、正気を失のうて(いたつきになってしまわれまっせ。文を(しかと書きまっさかい、どうか御堪(おこらえしておくなはれ」

と、でっぷり。


「確約は出来ぬ。座元の出方(でかた次第(しだいだわ」


「本所はあてらを見殺しにはなされへん」

と、またでっぷり。


八幡神(はちまんしんにでも、そう願え。文は此方が座元へ届けるし、銭も此方から受け取りに行く。座元が銭を払わねば、うぬらは、償金を働いて返すしかにゃあがや。如何ほどの(あたいになるかのう。品の(あたいと俺の存念(ぞんねんによっては、何時までも返しきれぬかもなあ」


「ひえっ、ほ、ほな、あてらは尾張で仕舞いでっか」


「あははっ、でっぷり、まんだ洒落(しゃれが出るか。未だ(くつろかだがや(余裕があるな)」


「いや、洒落やおまへん」


「文には、償金の額、受け取りの手筈も書く。文を渡してから、償金の受け取りまでは、丸一日といたす。座元が支払いを(こばめば、それまでと心得よ。ほうだ、文の真偽(しんぎが伝わるよう、うぬの、その肉厚(にくあつの指、二三にさん)本も送ったろうか」


「ひえっ。またあらくたい事を。堪忍や」


「うぬらの路銀、得物、衣裳道具などは一旦預かる。座元の出方次第で、銭に替えねばならぬやもしれぬでの」


「あっ、ほな、その分は償金が減りまんな」


「ほうだ。ほんで、償金の算出と、うぬらの持ち金が幾らあるか、数えるにまだ大分(だいぶ、時がかかろう。我等は、それを待つゆえ、うぬらは、反吐で汚した船を(きよめよ」


「ふ、船の掃除(さうじだっか」

と、ひょろ黒。


「されどすでに暗い。うぬらは浜で寝て、夜明けと共に働くのじゃ。逃げようもないでの。ほれでも逃げれば、その折は・・・」


「へえっ、やりまっせ。あては、鱶に喰われるんは、かなわへんさかい」」


でっぷりが、脈絡(みゃくらく無しに突然呟(とつぜんつぶやく。


「お殿様には、えらい威ぃがお有りや。ほで、きつい物言いはしはるけど、素直(しょうじき御性分(ごしょうぶんや。ほれに辺幅(へんぷく(虚勢、見栄)を御飾(おかざりになられへん。御立場(おたてば(えて、あてらのような者にも、ありのままを仰せにならはってるんが、ようわかりまっせ。畿内のお殿様が如き、高貴の御方(おかた(うたら、辺幅が着物(べべ着て(あゆんではるような人ばっかしやのに、お殿様がような、(すずやかな御人(おしと、見た事も聞いた事もおまへん」


ひょろ黒が、確かにとばかり、隣で(うなずく。

聞いている、回りの諸将とびと七名が、二人の節操(せっそうの無さに少し笑う。


「けっ、しょうもない・・・追従(ついしょう(おべっか)言うたとて、罪は軽くはならぬぞ」


そう言いながらも、信長には、真っ黒だった彼等の背後が、少し明るくなったのが判る。

しかし当然、それは言わない。


「オホホ、お追従(べんちゃらやおまへん。ほんまの心情でっせ。あてはアホやもしれまへんけど、(しと見る眼ぇは、確かでっせ」

と、でっぷり。


「黙れっ、おみゃあらは、とかく口数が多い。聞けっ、船には潮水を汲み上げる桶が、ようけある。まず、反吐を潮水で洗い流し、そのあと、隅々まで磨き上げよ」


「なんで磨いたら」

と、またひょろ黒。


「ほんなもん、うぬらが脱いだ衣服だわ」


「ひええっ、あての衣服(べべ新品(さらでっせ。そんなババチイ事」


「後で洗えばええ。いやなら素手でやれ」


「やらなんだら」


「飯も食わさぬ。水もやらぬ。さればどうなる」


でっぷりが、(あせり顔で言う。


(え死にか、(かわき死に。なんや急に喉も渇いて、腹も減ってもうた。お殿様、掃除はやりまっさかい、なんぞ虫やしない(軽食)でも」


「たわけっ、廉恥(れんちを知らぬもほどがある。水はやる。飯は明日、船を浄めたあとじゃ。さあ、配下の者共にそう伝えよ。働かぬ者には飯も水もやらぬ。どころか、斬首、磔じゃ、とな」


「あてらも」


「当たり(みゃあ・・・身分に関わらずにだ」


どうしようもない二人は、縛られた配下達の元へ、やはり縛られたまま行き、信長の命を伝える。


多少の文句を言う者はいたが、では勝手に死ぬかと言われ押し黙る。そして彼等には水が配られる。寝ろと命じられ、全員が一旦身体を寄せ合うが、まだ暑気があるから、半裸でも寒くないことに気づく。


鉄砲組は、桟橋から岸壁後ろへと退く。


しばらくすると、本所勢は旅と騒ぎの疲れが深かったのだろう、全員が砂浜に寝てしまう。


「こりゃあ、明日の昼過ぎまでかかるのう。湯に入りてゃあの。潮気と汗で、身体がべたつくけど、仕方(しゃあないの。吞気(のんきなたわけ共は、船の浄め済んだら、清洲へ連れて行くでよ、清洲へ使いを出すか」


林秀貞が聞く。


「はっ、曲者共の受け入れの回しでござろうか」


「うん、西の荒れ地に陣小屋を建て、(さくを二重に結ってよう、厠代(かわやがわりの大甕(おおがめも、ようけ要るわな」


陣小屋とは、屋根と床はあるが、壁板は無い、野戦用の組み立て小屋だ。


「心得まいた。誰ぞ、心利(こころきいたる者を」


暗闇(くらやみ(けるからには、よほどの手綱巧者(たずなこうしゃでなくてはならぬ。ほしたら・・・ほうだ、立木田じゃ。鉦嘉(かねよしじゃ、あやつに行かせよ」


「ははっ、されば早速」


馬術の手練(てだれ、立木田鉦嘉は、予備の松明を十本ばかり鞍に括りつけ、火のついた松明を片手に馬の腹を蹴り、清洲へと駆けだした。


「ほれから、宮の森に(のがれおる町人(まちびと共に、曲者共は全て(からめ取ったゆえ、戻ってよいと伝えよ。ほれは・・・藤八、佐脇藤八に行かせよ」


呼ばれた佐脇藤八郎良之が、やはり松明を(かかげ、すぐさま熱田大宮(あつたおおみやへと、馬を走らせる。


満天星と翠海が、控える七人の後ろに片膝を突く。

市川大介は、諸将の横に膝を突く。

信長が、根来の二人と市川大介に声をかける。


「両名、ようやった。鉄砲組の業前、(しかと見たぞ。市川も、弓の功能(こうのう、改めて見て取った。こののちも(はげめよ」


信長は、大勢の前だから、市川を御師様と呼ばない。

それでも市川は、面目を強く(ほどこしたから、満面の笑顔だ。


満天星と翠海も、誉められて嬉しそうだ。

信長は、勝家を狙って強弓を引いた僧兵を、瞬差で撃ち倒した鉄砲組の誰かにと、懐から革の巾着を出して、満天星に渡す。


「中にはよ、金銀の小粒や銭で五貫文くらいはあるでよ」


満天星は勿論、翠海も、破顔して頭を下げる。


小半時(三十分)もたたぬのに、東北から、大歓声と共に、地鳴りの様な足音が聞こえ、避難していた町人達が、信長勢に近づいてくる。

暗くても、砂煙が上がっているのが判る。


民衆は喜んで、信長達を(たたえ、口々に何かを叫んでいるのだが、声が多過ぎて、意味は解らない。


民衆の先頭には、両加藤の図書助(ずしょのすけ隼人佐(はやとのすけ。その隣には、千秋四郎李忠(せんしゅうしろうすえただがいる。


信長は三人を呼び寄せ、事態の収束(しゅうそくと、解決策、明日までの駐屯を説明する。

町人には、それぞれの家へ帰る事も命じる。


三人は、信長の指示を町人達に伝える。


町人達は、興奮して、なかなか帰宅しようとしなかったが、三人のリーダーにうながされ、だんだんと引き上げて行く。


その動きに連れ、真っ暗だった熱田の町に、ぽつぽつと灯りが点る。


熱田の差配役と言ってもいい三人は、町役や肝煎(きもいりり(世話人)の商人達と相談し、信長勢に炊き出しをすることした。


町役商人や、肝煎り商人の奉公人達が走り回り、まず各町内が篝火を焚く。

それから町ごとに、雑炊と汁をなるべく大量に作る。


三人は、今回の荷駄奉行(にだぶぎょうを務める島田所之助(しまだところのすけにそれを伝える。

所之助は、兵糧と賄いの差配も務めるから、今正(いままさに、配下の者達に、飯の支度を命じるところだった。


しかし、彼は一存では決めず、信長にその可否(かひ(うかがう。


信長は、篝火の下、服部金之助と、以下の漁師、廻船の船頭、水主達を呼び寄せ、彼等の勇気ある働きを、褒めていたところだった。


「おじい、ほれから皆の者。ようやった。海の男はやはり肝が(ふてえの。武士ならば感状(かんじょうもんだけどよ、そなたらには褒美を遣わす。金之助(おじい配下の漁師の者には、まとめて二百貫文(三千万円)、廻船船頭には二貫文(三十万円)、水主共には一貫文(十五万円)づつじゃ。ほれから金之助、秀二、末吉の三名は特段の働きであったゆえ、服部家には、これまでの二十石に加え、終生三十石(しゅうせいさんじゅっこく扶持(ふちして(つかわす」


〔一石は百八十㍑=千合で約五万円の価値。信長の足軽は、年に二貫文(三十万円)から三貫文(四十五万円)の報酬〕


言われた男達が、歓声を上げる。

金之助が、少し複雑な表情で聞く。


「お殿様、ありがてゃあ御沙汰(おさただけどよう、そうもようけ(いたでゃあたらよ、なんだしらん(なんとなく)、気が咎めるがね」


「おじい、我が(ふところ(うれいてくれるか。あははっ、案ずる(ようは無し。此度(こたびの事はの、あのたわけ共に全ての(ついえを(わきまえさせるのだわ。全てとは、あやつらに起因(きいんする事柄(ことがら全てで、只今の沙汰も含むのじゃ。されば俺の持ち金は減らぬ。どうじゃ、阿漕(あこぎ(強欲)だろう。あははっ」


金之助は、信長の人柄を熟知しているから、今回の解決策の真意が、おぼろげながら解る。


(いたずら(むやみに)に人命を損なわず、しかし相手を虜囚(りょしゅうとする事で面目は立てる。金銭での賠償が取れなくても、無料(ただ使いの労働力を得る。

金之助が、そう思った通り、(まさしくこれが、最初からの信長の方針だったのだ。


「ほうきゃあも(そうですか)。お殿様がしやあす事(なされる事)に間違(まちぎゃあは無ゃあわなも。ほしたらまあ(それならまあ)、有難く、有難くよう、御沙汰を御拝受(ごはいじゅするわなも(いたします)」


と、しかし、(かしこい金之助は、推測(すいそくは述べずそう答えるが、少し不安そうだ。

その表情に気づいた信長が、でっぷりに言った事をまた繰り返す。


(かりによ、座元が払わねば、曲者共は使い(つぶしにし、その上で、いつか必ず都へ償金を取り立てに参る。二重取りに(りそくを加えてよう。ほんだで、どう転んでも、俺に損は無し。ははっ」


そこへ島田が来たから、軍費も管理している彼に支払いを命じる。


信長は、町人の好意を聞き、喜んで許可する。

聞いていた金之助が、漁の獲物の提供を申しでる。


熱田の町全体が、(にぎやかになり、(まかないの騒ぎが聞こえてくる。


すると、千秋四郎がまた来て、信長以下の諸将に、境内(けいだい宮司(ぐうじ屋敷に、泊まる用意をしたと申し述べる。


「四郎、大儀。ほんでも今宵(こよいはここでよい。浜風に吹かれて仮寝(かりねするわ」


やがて、活きたガザミ、イサキ、アジにイワシ、タコ、カワハギ、ガシにマゴチなどをブツ切りにしたのを入れた、味噌仕立ての玄米雑炊(げんまいぞうすいと味噌汁、漬け物に酒も運ばれてくる。


タコは当然、塩で(んであるから、ヌメリはない。


(ささも、ちいとは飲んでええ。町人共の謝意(しゃいじゃ。それっ、(すごせ。見張り番は一刻ごとに代われ」


信長は、回りの家来衆と共に、遅い夕餉を取る。

それから、砂浜に毛氈(もんせんを何枚も敷き、諸将と共に、鎧を脱いで仮眠する。


びと七名は、当然、交代で番をする。


時刻は、夏時間の夜四つ。つまり、清洲城、(やぐら大門で、(いつわりの信長討ち死にを、成田男之助が伝えた頃だ。


うとうとしていた信長の耳に、風が呟く。

目が覚めた信長が言う。


「清洲から鉄三が・・・ほしたらこれへ」


鉄三は、闇から音も立てずに現れる。

領内巡邏時(りょうないじゅんらじの制服は着ておらず、黒染麻小袖(くろぞめあさこそで一枚に、脇差し一本だけを差した姿だ。


小袖の(すそを尻に(からげ、足には黒革の脚絆(きゃはん。草鞋は、底に綿を厚く詰めた革草鞋(かわわらじ。篝火の下で見る彼の顔に汗は僅かだが、その色は真っ青なのが判る。


信長は、なぜ鳩で報せないかと不審に思って聞く。


「鉄三か。如何(いかがした。なにゆえ鳩を飛ばさぬか」


雪丸が、信長のとい)を聞き、走り来て、頭を砂浜に擦り付けて言う。


「お殿様に言わなあかんのに、機会(おりが無く、つい遅れてしまいまいた。鳩は闇夜を怖がり、飛っびょりませぬ。不調法(ぶちょうほう(ゆるしくなはりませ」


雪丸の、「鳩は」の前に抜けている文言がある。それは「夜間飛行訓練をほどこ)していない」だ。個体にも拠るが、鳩は訓練すれば、夜間も飛べるようになる場合もあるのだ。しかし、訓練に一年くらいはかかるし、配備を優先しているから、着手もしていない。だから、今現在保有の鳩は、現状では夜は飛べないのだ。雪丸は、当然それを心得ていたが、信長の聞き方が、少し怒ったように聞こえたから、つい慌てて、言いそびれたのだ。


「ほうか、ほうだったのか・・・うん、これまで、夜に鳩を飛ばす事はなかったからのう。俺も思いも寄らなんだ。よいよい。ほれで鉄三、如何いたした」


「今より二刻ほど前、お城に曲者が討ち入りまいた」


「な、なにっ」


「曲者は二十二名。全て討ち取りまいたが、此方にも手負いが」


「本所の別手(べってか」


仔細(しさい(いまだ不明なるも、手前は、平手様、御下知により、御殿様に急を御知らせに」


「あいわかった。そなたは脚で駆けてきたのか」


御意(ぎょい


その会話に、回りの諸将が起き出してくる。


「清洲へ急ぎ戻る。(ともは七名だけでよい。新五郎(林秀貞)、あとの差配を任せる。(きよめ済み次第(しだい、あやつらを清洲へ引っ立てて参れ」


信長と七人は馬で走り出す。信長以外は松明を持ち、全員、鎧兜は着けず、(すそ袖口(そでぐちを絞った鎧下直垂(よろいしたひたたれ姿だ。


無論、太刀と腰刀は腰にある。

鉄三も馬を与えられ、後に続く。


信長は、鉄三を呼び寄せ、併走(へいそうして駆けながら事情を聞く。


「な、なんと、笹百合深手とな・・・皆の者、急ぐぞ」


鳩について、調査不十分でした。夜間飛行が可能とは、夢にも思わずいました。訓練すればできるそうですから、この編の最後の辺りを、訂正加筆しました。本日は2025.12.12日です。大変申し訳ございません。それから、尻を斬られると歩けなくなると細かく描写しましたが、有害となる恐れに気付き、一切を削除いたしました。美濃国守護、土岐美濃守さまの、動向が抜けていましたので、信長が、神官二人とやりとりしている場面に書き足しました。本日は、2025.12.12日です。

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