あゆちのびと衆 第一章 その二十一
長島一向衆
信長達は、一益が予め用意させた松明を馬廻りの百騎程が掲げ、真っ暗な夜道を清洲城へ向かった。
その直前、一行の中で、信長に並ぶ程、馬術に長じた、小姓の立木田鉦嘉が、只一騎、松明を片手に、清州城へ信長の帰還を報せに早駆けしてゆく。
根来三人衆は、夜目が利くのか、遅れて闇の中を駆けてくる。
駆け出して暫くして、警戒の為、軍勢後方にいた一益がそれに気づき、五騎の小姓衆に引き返しての先導と案内を命じたから、指名された五人は松明を持って、馬首を巡らし、来た道を戻る。
軍勢前方の六人衆に囲まれている信長は、駆けている位置と闇の為に、それに気づかない。
だから信長は、馬を煽って帰りを急がせる。
・・・清州城の表正門には、立木田からの報せを受け、篝火が十基も焚かれ、門前内外には政秀、信昌始め、残っていた者達が、鎧兜姿でずらりと待っている。
門をくぐる軍勢前方の信長は、鞭代わりの弓折れを上げて、迎えに応える。
汗に濡れた、信長以下の軍勢の衣服は、馬の速度で乾き、塩を吹いている。
軍勢は表御殿前で止まる。
「皆の者、大儀。これにて散ぜよ。風呂へ入れ」
小具足姿の信長は、式台を駆け上がり、表御殿を通り抜け、高廊下を伝って奥御殿の居室へ向かう。
一益に六人衆、政秀と信昌がついてくる。
信長が振り向いて言う。
「暑いで、じいと信昌、鎧兜脱いで参れ。左近将監、浴衣に変えて参れ。皆で風呂入ろみゃあ(入りましょう)・・・ほうだ、うかと(うっかり)したがや。根来三人衆は」
一益が処置を説明し、信長が頷く。
一益と政秀、信昌は城内それぞれの屋敷へ戻る。
小具足姿の六人衆は、信長に続き、居室で、信長が浴衣に着替えるのを奥女中と共に手伝ったのち、それぞれの小部屋でやはり浴衣に手早く着替える。
やって来た、身重の濃の方は、何か言いたそうだったが、信長へ短い挨拶をして、すぐ下がる
六人衆は、脇差しだけを差し、雪丸が信長の先導のため、信長の居室へ戻り、あとの五人は、風呂までの経路安全を確かめに先行する。
雪丸が先を歩き、信長が続いて表御殿広間へ入ると、浴衣姿の政秀と信昌、一益が、すでに待っている。
「根来の三人と探しに引き返した五人は帰ったか」
政秀が答える。
「未だの様にて。行方わかりませぬ」
「尾張に来てまだ日も浅い。迷ったかの。五人は見つけられぬのかの」
「冬ではありませぬゆえ、迷うたとしても、死ぬるほどのことはないと・・・」
「ほうだな・・・三人は城へ戻る才覚くりゃあは持っとるわな。小姓五人は探しまくっとるかの」
「御意」
「ほんなら、ほかっときゃあええわ」
それから一刻程過ぎた、夜五つ(午後九時頃)、生駒八右衛門の郎党が、松明を手に馬をとばし清州城へ駆けつけた。
配置済みの鳩では、伝えきれない内容の為か。
その使者に応じた小姓の服部小平太から、八右衛門の手紙を受け取り、読んだ信長が笑って言う。
「彼奴らは、迎えに行った五人と共に、八右衛門の屋敷へ色代と称して乗り込み、大酒を喰ろうておるとの報せだわ。鳩便では書き切れんで、八右衛門が、面倒見る故、案じるなと詳しゅう書いてきたわ。探しに戻った小姓は誰だったかのん。小姓の名はないがや」
何事かと、丁度駆けつけた一益が、苦い顔で答える。
「前田兄弟に、河尻、右近に内蔵助で」
「あははっ・・・ほれなら、一緒になって、今頃はもう潰れておるわ・・・さればやはりほかっときゃあええ・・・」
明くる日の朝、八右衛門の家来が一人付き添い、ふらふらで清洲へ帰ってきた八人は、政秀にこっぴどく叱られ、罰として、日暮れまでに城内の雑草を全て刈り取る事を命じられる。
それを聞き、鍛練から戻った信長が笑う。
「莱草刈り言うて、広い城内、八人ばかりで刈り取れるかのん・・」
政秀が目を怒らせて言う。
「あの糞たわけ共は、八右衛門の屋敷にあった諸白を三斗(三十升)も飲み干した様子にて。足元険しきあの者共を、案じて(心配して)送り届けし、八右衛門家来より聞き取りまいた。聞けば知らぬ顔は出来ませぬ故、酒代として、三貫文(約四十五万円)も払うはめに。この費えは、なんとしても彼奴の俸禄から差っ引きまする。本来ならば、牢入りか鞭での百叩きほどの罪なれば、莱草刈り(雑草刈り)など、遊ばしておるようなものでござる。されば、草取りが暮れまでに間に合わねば、何日でもやらせまする」
当時の諸白の酒は値段が高い。
「くくくっ、ほうか・・・三斗も・・・されば致し方なし・・・」
風呂で汗を流し、居室に戻ると、濃が何故か一人で待っている。
六人衆が続いて入ってこようとし、笹百合がいない事で何事かを察したのか、信長が手真似で制したから、六人は廊下で控える。
「おっ、お濃、具合はええか」
「へえっ、おわたいで(おかげさまで)。どかみやけど(とても暑いが)、今日はちいと楽なんやお」
「用かの」
「ほやて。お殿様の御身を案じてのことやし」
「言うてみい」
「御側妾やし」
「そ、側妾・・・側妾など居らんがや」
「おらんから、おいたらええんずら」
「正室のおみゃあが案ずることか・・・」
「わっちが、こんなやからずら」
「こんな・・・懐妊だで、大もっとも(強く当たり前)だがや」
「ほやなくて、わっちが御伽務めれんから、代わりの御側妾おいたら、と申し上げてるんずら」
「ほんなもん、ほかっといてちょ。俺はどうも無ゃあ」
「お殿様、御自らが仰せずら。男子は御種放たな、身体の拍子変になるて、六人衆に。お殿様は腎気(精力)、御強いんやで、拍子おかしなるずら」
「ぐっ、な、何、あの折の話し聞いとったのか」
「わっちには聞こえへん。笹百合が聞こえてて教えてくれたずら」
「うっ・・・それは・・・」
「お殿様は、乳ねぶるん(舐める、吸う)、でら(とても)御好きやで、もうだいぶねぶれへんから、御辛いんやおね。ほやから、わっちがええ乳の眉目良い(美しい)の探して届けるんやお」
濃の地声は大きい。
「た、たわけっ、で、できゃあ(大きな)声で、ねぶるだの乳などと言うなっ。正室が側妾の世話など、聞いた事無ゃあ~。とろくしゃあ、下がれっ、俺は忙しい」
「下がらんずら。お殿様は、歯が生えたら、乳母の乳首、何人も噛み切ったて・・勝三郎(池田恒興)の御母堂様が来て、やっと治まったて」
「ぐっ、そ、そのような・・・関わり無き事を、だ、誰が」
「関わりはあるずら・・・政秀から聞いたんやお。ほやから、お殿様は乳の御好みが難しい。わっちなら御好みがよう判るんやお。眉目ようて御好みの乳の女子、探せるんは、わっちだけずら・・・ええ娘がいてたら、側妾にすると約して・・約したら下がるんやお」
「乳、乳言うな。六人衆に聞こえるがや。覚えなきほどの幼き頃とは違うがやっ。ほんだし、覚えてはおらぬが、乳の形で懐いたのではないわ。勝の母御の心根が通じたからに決まっとるがや・・・」
「おなし事やし。眉目良うて、ええ乳で、心根通ずる女子でなけら、側妾は務まらんずら。ほやからわっちが探すんやお。御得心け」
「ええっ、もう面倒だわ。判った判った、ええ乳の娘何人でも連れて参れ。皆、孕ませたるっ」
「おほほっ、御子は何人いててもええずら。お殿様、ほなこれにて」
場面は変わる。
愚か者八人は、気の早い藪蚊に身体中を散々刺され、政秀の悪口をそれぞれがぶつぶつと呟きながら、鎌での草刈りをしている。
そこへ政秀が検分に来る。
「汝ら、身を入れてやらねば終わらぬぞ。終わらねば、何日かかろうと終わるまでやらせるでの。お殿様の御許しは頂いとるでよう。励め励め」
政秀が立ち去ると、また八人は口々に文句を呟く。
その作業は、翌晩遅くまで続いた。
場面はまた戻って、信長の居室。
信長は憮然とした顔をしている。
いつも通りの配置についた六人衆は、少し笑いを堪えているように見える。
雪丸は刀持ちで背後。五人は各位置で、前を向いているから、信長はそれに気づかない。
そこへ一益が、肩衣袴姿でやってくる。
六人衆はすぐ表情を厳しく改めるが、一益は気づく。が、それには触れず信長に言う。
「お殿様、一鶴らぁが阿呆な真似しくさって、まことにまことに・・・」
「ええええ・・・お犬共を丸め込み、咄嗟に八右衛門宅へ参り、酒まで飲んでくるとは。なかなかの軍略だわ・・・あははっ」
一益は、信長が少し無理して笑っていると感じたが、これも当然口にはしない。
「恐れ入り奉りまする。ほな、犬山の曲者共の詮議やけど、わても影に刺さってた得物見たんやけど、おとさんに鳩で聞いてみよかとは思ってまっけど」
信長の表情が改まる。
「判らぬか」
「へえっ。ほやけど、今さっき、津島行ってやり合うたもんから聞き取ったら、山賊共のことのはで覚えあるんが・・・」
「うんっ、津島っ、いつの間に・・・」
「御許しを・・・聞き取り早うしたかったから、鍛練半ばで・・・やり合うたもんは、『ごいす』と言うてたと・・・甲斐のことのはやなかったかと」
「ごいす、の。さようでこざるのござる、と同意かのん」
「御意」
「ほしたら、武田へ忍んで、晴信(はるのぶ、)(信玄)らの絵を書きしその折に、武田の忍びとやり合うたそうだで、その時の意趣返し(復讐)かの」
「いや、びと衆はものも(言葉も)一切言うてまへんし、証になるようなもんも残してきてないゆうてまっさけ、たまさかの探索に来よったんやと・・意趣返しなら、まあちいと人数仰山で来よるんやないかと」
「ほうか、あいわかった・・・・此方のびと衆に損(犠牲)はなかった故、曲者の件はそれでよしとして・・・話しは変わるがよ、今更ながらで気が咎めるがの」
「ははっ、如何なる事で」
「国境警備のびと衆だけどよ」
「なんぞ手落ちでも・・・」
「いやいや・・・聞くけどよ、あの者共は、あのような山中など、人里離れた場所で、如何に夜露凌いで暮らしておるのかの」
「お殿様、ほれやったら、風らに御答えさせまっさ」
風が目顔で、自分が答えて良いかと一益に聞き、一益が頷いたから、風は向きを変え、信長を見て言う。
「仲間を御案じ頂いて有難い事でおます。その御答えの前に、蒸し返しやけど、よろしおまっか」
信長が頷き、風が鷹迅からの報告だと断ってから続ける。
「武田でやり合うた時は、得物は使うてまへん。気配と気配をぶつけ合うただけでおます。此方も彼方も気配覚って、それで仕舞いやったんでおます。難儀したゆうんは、その事で、御役目が思うようこなせへなんだ事なんでっせ。忍びやから、それが定法なんでおます」
風はいったん息を整え、続ける。
「気配覚られたら、いったん引いて出直しせな、探索はできしまへん。護ってる彼方(敵方)かて、気配覚られたら、おんなしで、此方(当方)が引くの知ってるから、気配だけで退きのいてったんやろと。そやから、そん時のもんが、武田忍びの三つ者やろと。そん時の人数が此方は十、彼方は二人やったそうやから、血迷うてかかってきてたらまあ、瞬く間ぁに殺わしてたやろけど。礼儀ゆうたらおかしな事やけど忍びなら心得てる、もっともな事柄なんでおます」
普段、寡黙な風が、これも普段は簡単にはかかない汗を浮かべて一生懸命話している。
はっと気づいたように風が言う。
「わては、こないに言葉連ねて話すんは不得手や。話しが前後ろやら重なってて御判りにくかったやろか」
「いや、よう判ったがや。風之進、よう致した。ほうか、互いに忍びと覚った故、双方引いて、口も開かず刃も合わせずだったとしやあ(すれば)、彼方の忍びは、此方の正体なぞ、判るはずもないわな。並の武者なら退かずに向かってきてもっともだわな。真言で言う阿吽の呼吸とやらだの。うん。ほうだな」
ほっとした表情で頭を下げた風が続ける。
「ほな、先の・・・お殿様は、おおかたは御存知やけど、わてらは山者でおます。やから、山中は、我が家と同じなんでおます。山にある木ぃや葉。石やら岩やら使うて、寝るとこ拵えるくらいは、だんないんで(問題無い)おます。ほれに食うもんは、それぞれが飢渇丸ゆう、小さな丸い滋養のあるもん持ってるから、これも全くだんないんでおますし、務めの最中は、身ぃ重ならんよう、普段より更に、わずかに干飯か木の実を食うだけやから、これもまただんないんでおます」
風は汗塗れで話を終える。
「ほうか・・・ほうだった。忍びとは山の者であった。聞かずもがなを(聞かなくてもよい事を)。赦せよ」
赦せと言われた風が驚いて平伏する。
「あとはよ、寂光寺への色台は」
風の様子から、疲れを察したのか、柱助が答える。
「仰山の財貨にはびっくらしてはりましたけど、寺域に曲者埋めたさけと、供養頼んだら、心よう、御住持はんが」
「あいわかった」
「御住持はんが、曲者の持ち物にあった、木ぃの枝の干したごとあるもん見はって、えらい喜んではりましたえ」
「なんと」
「値高い薬やて・・・なんやったか・・・かずら・・・なんやらかずら・・・やて」
左右次が見かねて言う。
「おんなかずら・・・と言うてはったで」
「おんなかずら・・・」
一益がすぐ答える。
「川の字ぃに穹、川穹と書いて、おんなかずらと読むんでおます。大明国(中国)でしか採れへん、値高い、ええ薬のことでっせ」
「ほうか・・・賊共の盗物と言えども、受け手喜んだならなによりだがや。ほれから賊の成敗は、十郎左衛門(犬山城主織田信清)に伝えたかのん」
「仔細は伝えず、只、五十人ばかり討ち取って、埋めたとだけ御伝えを鳩で・・・」
「それでよし」
「ほれからお殿様、多羅尾と和田の二人、来まっせ」
「うん。ほしたら決めた通りによ・・・ほれからよ、また話は飛ぶけどよ、松平の間者で、牢に入れた二人は」
「よう御覚えで・・・神妙にしとりまっせ。ただ、寝返りは、どう言うても・・」
「ほうか・・・えらいの(立派だ)。どうしたもんかの」
「まあちいと、様子見まひょ」
すると、政秀の声が聞こえる。
「お殿様、小六が御目通り願っておりまする」
「うん。通せ」
肩衣袴姿で小六が入ってくる。
「蜂須賀のお頭、やっとかめだなも」
「ははあっ。お殿様にはご機嫌麗しゅう。また転合ばっか言やあて(言われて)」
「用向きは」
「いや、ちいと気にかかることあってよう、お殿様のお耳入れといたほうがええとよ~」
「申せ」
「桑名の長島によ、願證寺あるのご存知きゃあも」
「一向宗の寺だろう。ほれが如何した」
長島とは、木曽三川が伊勢湾に流れ込む河口地帯にある砂州の七島で、南北五里、東西三里の範囲にある。その辺り全域は河内と呼ばれているが、この時点では信長の領地ではない。長島の呼び名は七島が由来のようだ。
明治の頃、その砂州島の間が埋め立てられ、七島が一つの大島になり、現在は有名な遊戯施設がある場所だ。
「そこへよ、北伊勢やら近江、畿内辺り、遠くは丹波からまでも逃散(被支配地からの逃亡)してきたらしい門徒衆がよ、大勢来てよ、まあこの頃は町になってまっとるんただわ(なってしまっている)」
「確か、長島城には、伊藤とかが領主でおらんかったか」
「おるおる。おるけどよ、伊藤の殿様は、手出しどころかものも言えんのだわ」
「なんでだ」
「人数で敵わんだでだわ。伊藤の侍は、荒し子まで掻き集めても、せいぜい三百。門徒は万とおるがね」
「ふ~ん、長島は他国だがや、今んとこ、俺んとこには関わり無ゃあ事だがや」
「まあ、ほうだけどよ、気にかかるのはよ、奴らの教義だがね」
「小六殿、其方は出家でもしてゃあのか。宗門の教義がなんで気がかりだや」
信長には小六の真剣さが、まだ伝わらない。
「ちゃうちゃう。彼奴らはよ、南無阿弥陀仏と唱えやあよ、極楽浄土へ必ず行けると教わっとってよ」
「ほりゃあ結構だがや。俺にしたら、とろくしゃあ教えだけどよ。辛き思い重ねた民ならよ、縋りたなるわな。縋らしときゃあええがや」
普段へらへらと明るい小六の表情がたちまち変わり、真剣な眼差しで言う。
「お殿様におかせられては、稀なる御眼の御曇り」
「んっ、まっぺん(再度)言ってみよ」
信長も一瞬で怒気を孕む。
「御手討ちでもええで、まあちいと聞いてちょう」
信長が怒り顔で、視線は逸らすが頷く。
「御尋ねするけどよ。先々によ、一向衆がよ、なんぞごとで(何か事があり)、掛け違って(間違い誤解、反目)、お殿様に刃向かってきたらどうしやあす(どのようにされますか)」
「刃向えば、致し方なし。誰と言わず、討ち滅ぼすまでだがや。得物も持たず、戦のやり方も知らぬ者共など例え何万、何十万ありとても、何ほどの事があろう」
「ほうだなも(そうですね)。どが付く素人の集まりだでなも(ですからね)。ほんだけど、彼奴らはよ、ただの素人とちがうがや。俺の見立てなら、魔物が如き者共だがね」
信長は、魔物と聞いたからか、怒気を消し、視線を戻す。
「訳はよ、侍は、死ぬるを恐れんのがもっともだけどよ、闘ったら、誰でも我が身は守ろうとするがね。守りつつ、相手を討ち取ろうとするがね。彼奴らはよ、そこが違うんだわ。教義に応じて、戦場に立ちゃあ、そんで教義に殉じた事になるで、すぐ矢弾で殺されようと、槍で突かれ刀で斬られようと、恐れんどころか、望んでそうするらしいんだわ。仲間や親兄弟が殺められても、哀しむどころか、極楽行けてよかった思うだけで、己も早う死にたいと思っとるんだでだわ。戦の勝ち負けみてゃあどうでもええ・・・彼方(敵)を討ち取らんでもええ・・・ただ退かずに前へ前へ来るだけの、そんな死ぬるが先途(死が目標)の奴輩が彼方なら、むっちゃんこ難儀するんだないきゃ。儂らから見たら魔物だないきゃあ(魔物ではありませんか)。お殿様、そこをよう案じてみてちょう(考えて下さい)」
信長は、目を閉じ、腕を組んで、じっと考え込む。
・・・やがて
「うむ。あいわかった。其方の言わんとする事が。手討ちも恐れず身命を賭けた進言、有難し。そのような心情の者共は、確かに難敵となろう。殺めても殺めても、怯まず怯えず、駆け引きもなく、ただただ一途に向こうてくれば、此方はむくむくしきの(気味悪い)極みとなりて、逃げ出したくなるであろうからの・・・・また死を恐れぬ者は、百姓と言えど、魔物が様に手強いに決まっておるからの。蜂小、怒り顔見せて済まなんだ。赦せよ」
「ありゃ、お殿様に詫びられたがや。あははっ。ええんだわ。わしの案じ過ぎかもだでよ」
「ほれにしても、一向宗の心情やら教義やら、よう知っとるの。逃散してきた訳は」
「探ったのには訳もあるけどよ、まあほれは置いといてよ・・・長島のその寺に群れ集まっとる者に尾張者はおらんようでよ。わしの手下が物売り行ってそう聞いてきてよ。ほんだで、手下の内で白子(現在の三重県鈴鹿市白子町)が出の者に門徒装って潜り込ませてよ、なんでか(色々)調べさしたんだわ。戦の様子は、門徒衆が誇って、あの時はああだった、こうだった言うで判ったんだわ」
小六は一息ついて、また続ける。
「逃散の訳は、その土地の大名やら守護、豪族やらが、むっちゃんこ(無茶苦茶)絞り上げるでだわ。名目ようけ作って、銭はあらかた取る、成物(農作物)は食い扶持も残らんくらい巻き上げる。食うや食わずでおるのに、役(作業)を課す。役には銭も払わん。逃げるしかなくなるがね。逃げな飢え死にか、年貢払えずに、磔か打ち首だで」
「ほうか、ほれは哀れだの・・・よう探った。さすがは蜂須賀の頭領」
「おっ、お頭から頭領に格上げきゃ。あはは」
「ほしたらその寺は戦支度などしとるのかの」
「しとらんしとらん。寺侍みてゃあのが十人ばかり居るで、其奴らは得物(武器)の二つ三つは持っとるだろうけどよ」
信長が頷く。
「但しほれは、今んとこだけどよ。長島願證寺の筆頭は、開祖親鸞血脈を言いたてし、本願寺九世の実如の孫の実恵の、そのまた息子の証恵いう奴輩でよ。親鸞血族だで威勢があってよ、門徒衆は生き仏のように崇め奉っとるんだわ。わしの憂いは、その坊主が一声かけりゃ、門徒衆は相手が誰でも立ち向かってくるだろだでだわ(立ち向かうであろうから)・・・その証恵がよ、門徒の数をなんべんも誇って嘯くんだと・・何人居る言っとる思やあす。(何人いると言っていると思われる)大和の国(日本)全部でよ」
「・・・・・・」
信長に判るはずもない。
「三百万だと・・・話半分でも百五十万人だがね。大和の大名全部集めても、集まる数だないがね(ではない)」
「さ、さん・・・」
「恐がい(恐ろしい)がね。なも(ねえ)、お殿様」
「うん・・・どうしやあええ」
「判らんがね。ほんだけど、ほかっといてはいかんのは確かだわなも」
「ほうだがや。ほんだけどよ、その門徒衆はなんでそうも死に急ぐ」
「そこだわ。現世に望みが無いでだわ。この辺りの民百姓は、そうも酷え目には遭っとらんけどよ、逃散してきた下々の門徒衆はよ、あらけにゃあ(とんでもない)目に遭っとるんだわ。おおかたは、働いても働いても誰ぞかれぞに、理不尽に財貨成物巻き上げられるか、盗人に盗られるかで、食うや食わずで暮らしとってよ、戦起きたら焼き討ちされて、身包み剥がれるか、殺されるか掠われるかでよ、挙げ句に飢饉、大水、日照り、疫病、火事に地震で易々と死んでくがね(死んでいきます)」
小六の顔は暗い。
「・・・・儚い露とおんなしだがね。それを何とか凌いで生きとってもよ、逃散しなかんような目に遭わされてよ・・・・・・やっとれんわさ。ほんだで酷え目に遭ってきた門徒衆は現世が地獄と思っとって、教義に沿って死にゃあ、極楽行けると教わったで飛びついて帰依(信心)したんだわ・・・逃散しても行くとこ無ゃあで、願證寺来てよ・・・死にに来たようなもんだがね・・・その心情はわしには判るがね」
「ほうか・・・現世が地獄か・・・小六はだいぶ不憫に思うておるようじゃの」
「不憫には思う、芯から思う・・・ほれでも、ほれとこれとは別儀だわ。あらけにゃあ(とんでもない)力あるむくむくしき(気味悪い)奴らは、ほかっとけんがね。(放置しておけない)今はお殿様に刃向かっとるわけでも無ゃあけど、刃向かってきてからでは遅えがね。策はなんにも浮かばんけどよ。ほんだでお殿様に御報せしとるんだがね。ほんだけど、ほんだけど、わしはよ、憂いてはおるけどよ、先々によ、仮にお殿様が本願寺とやり合う羽目になっても、笠上げる事(降伏)にはならん思っとるよ」
「訳は」
「とろくしゃあ・・・頼りがあるがね」
「んっ、頼りとは」
「お殿様、御自らだがね・・わしはよ、昨今の尾張のなんでか見とってよ、得心したがね」
「んっ・・・」
「こんだけ(こんなに)言っても・・・」
「申せ」
「お殿様にはよ、神様の御加護があるわ。尾張の昨今の様々が、それを物語しとるがね・・・ここらの神様で御位高い神様なら、熱田の大神様しか居られんがね・・・天照皇大神様はよ、熱田と伊勢におわします、一体分身の神様だけどよ、弟神であらせられる建速須佐之男命様はよ、妖魔、八岐大蛇を退治した武神だがね。その時大蛇から出た、三種の神器の天叢雲剣には天照神が霊代で宿っておわすらしいがね」
信長は小六の意外な知識に、驚きつつ微笑んでいる。
「ほんだで、お殿様に危機迫ればよ、須佐之男命様が姉神の大神様宿りし天叢雲剣ひっさげてよ、助勢に来てくれるわ。武神が後ろ盾なら、本願寺だろが、どこだろうが、その宝剣でひと薙ぎだわ。ほんだけど、儂らは儂らで、ほかっとかんと、物見だけはしなかんがね。この頃は、物見上手がようけ御傍におるがね。ああっ、ようけしゃべった。御小姓衆、白湯を貰えんきゃ」
夢中で長い話をしたからか、小六の唇の両端には唾が湧いている。
物見上手と聞いて、一益と六人衆の眼が一瞬光るが、口は閉じている。
不知火が、急ぎ足で白湯を取りに行く。
「小六よ・・・熱田の神が身継ぎ(助勢)にの。話ができゃあな(大きい)。あははっ、あははっ・・・ほれにしても其方は物識りだの・・・俺はそこまで仔細には熱田神の事知らなんだ。偉いの・・要は、下々が現世に望みが持てぬ事だの・・・ほれなら望みが持てるようしてやればええのではないかの。偶さかやもだが、ほれは我が先途と一致しておる事だわ。されば打つ手はある。肝要なる事、よう言うてくれた・・・褒美を取らす」
不知火が運んだ白湯をがぶ飲みした小六が笑顔で言う。
「うひゃ、ほりゃあ有難てゃあ・・・何を」
「近々、熱田津島に入津(入港)する船から、積荷の値の二分か三分を津料(入港税)として納めさせるつもりでの。それを其方の配下の持船からは、なべて(全て)一分にしてつかわす。どうじゃ」
「うへっ、これまでなかった新たな租(税金)を。有難てゃあような、ほうでも無ゃあような」
「他にも、これまでは定めはせず、時折に此方の都合で、突然急に取り立てし、百姓以外の生業の者共、商人やら職人共からも、期日や割を定めて利の幾ばくかを粗として納めさせるつもりだがや。その代わり、それらが成れば、百姓共の年貢の率を下げるし、これまでの如く、商人職人から急なる取り立てはせぬ。すれば、商人職人共も心安んじて、企み(計画)を立て生業に励めるがや」
「さ、下げる・・・お殿様、差し出がましいけどよ、ほれで織田の御家は成り立つんきゃ」
「うん。それを今、民政の係の者が様々試算しておっての、何とかなりそうなんだわ」
「ふえ~っ、それは・・・」
「関所廃止と三つの湯が出来ただけで、人の往来が増え、物も動くようになって、この頃の領内各城下や熱田、津島の賑わいは、其方もよう知っとるだろう」
「確かに。五条の湯の辺りは、宿屋やら出店やら新たに建ち並び、昼過ぎからは人波が途切れんなも。那古野に岩倉、犬山の御城下や熱田津島も、以前より賑やかしいなも」
「人が宝だわ。宝を生むは人だわ。その行き来を増やし、それぞれが先行きに望み持てるようしてやるが、上立つ者の務めだわ」
「うひょお、ほえぇ~ まあふんとに、お殿様は古今無双だわ・・・改めて心服仕りまいた・・・ほしたら、また、願證寺に異変などあれば、真っ先にお報せ致しまする。拙者に御用の折は、いつでも卍旗を掲げてちょうでゃああそわせ」
「待て、小六、もう薄暗い。夕餉を相伴致せ。蟹江の乙名が献じて参った鶴があるでよ。肉も熟した頃だで、鶴汁だわ」
小六は従い、酒も鱈腹飲んで、真夜中に帰って行った。
信長は、その席で小六が置いておくと言った、願證寺探索の真の訳を、酔った小六から上手に聞き出した。
すなわち・・・
川に生きる、小六の蜂須賀党や川並衆にとって、桑名や伊勢などへの通り道の要衝、長島に、他の勢力の拠点があっては困るのだ。まして願證寺は他からの介入支配を拒絶しているのだから、配下三千の小六でも、干渉出来ない。
小六の配下が利を求めて、元々の縄張りのその辺りで、色々な商業活動をする内に、一向衆門徒と揉め事が起きれば、即座に千人二千人が集まって、武器はなくても、人数で押してくるから、対抗手段が無く厄介だ。
だから小六は、究極には信長の力で、滅ぼすまでは行かなくても、追い払って欲しくての事だったのだ。
信長は考えている。
(小六はやはり、只者ではない。一向門徒は確かに戒め(警戒)ねばならぬ者共だが、熱田の神まで持ち出しおだてあげ、俺を上手に動かそうと謀るとは。己の生業の邪魔になれば、如何なる手を使っても、それを除こうと(排除しようと)する。奸智に長けた野伏りの頭目ならではだわ。一益や六人衆の正体を怪しんでおるようだし、彼奴はやはり早う、家来にせねば、利害反すれば、俺にも易々と刃向かうがや)
次の朝。
一益が、鍛錬の前に信長の居室へ来る。
「お殿様、わてはえらいことしでかしてもうて」
「んっ、何かの」
「恒蔵が内々に言うてきて・・・」
「うん、言うてみい」
「矢砲やけど・・・恒蔵が見て、一目で見破って」
「見破る・・・何を」
「砲の材でおます。牛松は、鋳鉄で張り立てしてて、恒蔵が矢砲かて鉄砲とおなしやから、白鋼(玉鋼)で張り立てせな、鋳鉄やと筒が割れたり、尾栓が吹っ飛んで、手負い(負傷者)出る言うから、矢砲をみな検めたんでおます」
「うん、ほしたら・・・」
「半分ほどは、小さな割れ目があり、半分は尾栓に僅かに弛みが・・・」
「ほうか・・・牛松は、未だ経(経験)浅き者なれば、致し方なし」
信長の判断は正しい。
天文十一年、種子島に漂着したポルトガル船のアントニオ•デ•モッタとフランシスコ•ゼイモトが持っていた、アーマス•デ•ファコと彼等が呼ぶ鉄砲は、種子島領主、種子島時堯が、高額の礼と引き換えに手に入れた。時堯は、島の刀匠、八坂金兵衛に、その鉄砲を見本とし、国産の鉄砲製作を命じた。
しかし、その時のポルトガル船には、鉄砲製作の知識がある者はなく、火薬と火縄の製法を知る者が、何人かいただけだった。
だから、金兵衛は、独自に試行錯誤を繰り返し、カラクリと、日本刀同様の鍛鉄銃身の製造には成功した。
だが、銃身筒底のネジの作り方が、どうしても判らない。
結局、その技術は、翌年にまた来た、ポルトガル船に乗っていた異人の鉄砲鍛冶に聞くまで判らなかった。
金兵衛は、その技術を習い、遂に日本で初めて火縄銃の製作に成功した。
それ以後、種子島では、鉄砲製作が盛んに行われていた。
日本刀の材料は玉鋼(この頃は白鋼と呼ぶ)である。
種子島から鉄砲を持ち帰った津田監物から、それと監物が聞いてきた製法を元に根来で初めて鉄砲の製作を命じられたのは、根来門前町の刀匠、芝辻清衛門だ。
彼も当然、鍛鉄を材料とする。
折れず曲がらず強靭で、恐ろしい斬れ味の日本刀は、世界に類を見ない非常に優れた日本独特の武器だ。
刀匠達には、何百年も培ってきた、日本刀製作の高度なノウハウがある。
だから、玉鋼を使用し、日本刀同様の鍛え方で製作された日本製の火縄銃は、外国産より頑丈で精度が高く、後には、日本刀同様、輸出品にもなったほどだ。
鍛鉄を使う事が、大事な製作条件なのだ。
清右衛門の弟子だった、村嶋恒蔵が、牛松製作の矢砲の欠陥を見破ったのは当然だ。
一方、牛松は、生活道具の刃物、鍋釜などを作る、所謂、村の鍛冶屋で、刀鍛冶ではなかったし、鉄砲に関する知識も薄かったから、気づかずに、鋳鉄で矢砲を製作したのである。
彼は、鋳型を作り、銃身も砲尾の雄ねじ雌ねじまでも、型に溶鉄を流し込んで矢砲を作ったのだ。
それはそれで、まだ十五歳の牛松は、物作りの素質があったのは間違いない。
だが、強靭さに欠ける素材で、製法が正しくない武器は、使えないのだ。
一益も材質と製法についてまでは、思いが及ばなかったのだ。
「わても、そこまでは知らず気づかずやったから。ほやけど、これまで張り立てた七十挺、みな使い物にならしまへん・・・無駄な費えでおます。御叱り頂いてもっともでおます」
「事を知るのは」
「わてと恒蔵と牛松だけで」
「されば他言無用に致せ・・・手負い出ぬ前に発覚して幸いだわ。無駄な費えについては判った。されば、左近将監、きつく叱り置く。これでこの事は仕舞い(終わり)。七十挺は、不都合発覚いたしたとし、鋳つぶして、他の物を拵えればええ。不都合の訳は、俺の命で、隠ろへ事にすると致せ。牛松は」
「急に言われて、嘆き悲しみ、お殿様に申し訳たたんゆうて・・・」
「ほしたらよ、ここへ呼べ。俺が言って聞かせる」
牛松は真っ青な顔ですぐに来る。
信長は、肩を抱くように優しく言って聞かせる。
半刻後、牛松は明るい顔で、鍛冶場に戻った。
鍛冶場の筆頭で、身分は足軽小頭だった牛松は、筆頭を恒蔵に譲り、身分はそのままで、恒蔵に改めて弟子入りしたのだ。
信長は、強度に欠ける鋳鉄を使ったのは、単に知識が足らなかっただけで、そんな事より、牛松が、一益が口だけで、このような物をと言った矢砲を易々と製作したことを改めて激賞し、知識を恒蔵から学べば、すぐに一流の鍛冶職人になれると励ましたのだ。
牛松は、その己の才能を再認識し、信長の言葉を信じて笑顔になったのだ。
次の次の朝。
鍛錬の支度を済ました信長の前に、一益と根来三人衆、犬千代と四人の小姓が胡座座りで平伏している。
三人衆は、根来僧兵のトレードマークの長髪を切り、青々とした坊主頭に剃りあげている。
それを見ただけで、信長は笑いたくなったが堪えている。
「丸々二日、いや一日と半分か、莱草刈り済んだようだの・・・剃ったのか。八人共に、蚊にようけ食われたの。面相が変わっておる。あははっ、詫びに参ったか。ほしたらお犬、顛末を言うてみ」
肩衣袴姿の犬千代は、顔は勿論、見える手足の皮膚が、無数に蚊に刺されて腫れあがっている。
他の七名も同様だ。
「ははっ、此度はまことにまことに・・・我等五名は、滝川様の命で、一鶴殿らを探しに戻り、すぐ見つけ、連れだって後を追おうとしたのでござるが、一鶴殿が、八右衛門様の事を言い出し、ほんなら、屋敷はすぐ近くと拙者が教え、ほしたら、是非とも色台したいとの事で、どの道城へ帰るだけだで、ちいと遅れてもええわと」
「ほんで(それで)」
「屋敷着いて、八右衛門様が一鶴殿の話聞いて、喜びゃあて喜びゃあて(喜ばれて)・・・そこまではよかったんだわ」
「先は聞かんでも判るけどよ、言えっ」
「走って喉渇いたで白湯をとお頼みしたら、暑気払いに、まあ一杯飲めと言やあて(言われて)」
「あははっ、ほうなるわな・・・続けよ」
「酒が諸白の特上で、うみゃあもんで、まあ一杯と段々重ねてまって、八右衛門様は、杉之坊御門主明算様を懐かしがって、話しが弾んで、一鶴殿らの飲みっぷりがええで、飲め飲めで、我等もつられて、ついつい」
「わかった・・・本来ならば軍律破りし、痴れ者として、磔獄門が、もっともなれど、此度は、三人衆を置き忘れた俺にも抜かりがあった故、不問に付すると致す・・・ほんだけど、三人が剃り上げしはなにゆえかの」
一益が、目をつり上げて言う。
「こやつらには、今一つ返さふ(反省)色が見えませぬ。故に、剃らせた次第。また、あの長い髪は、この辺りでは異様に映り、目立ちます故、何かと不都合・・・さればでござりまする」
「ほうか・・・その丸壺頭なら、陣僧(従軍僧)で通用するわの・・・一鶴、何か申す事は」
「へへえっ、ほんまに無調法ひて、ただただお詫びさひてもらうだけやのし。もうせんので、どうかお許ひなして・・・ほやけどのし、頭は涼ひてこのほうがええのやのし。ただ蚊ぁがきついのには往生ひたんやのし。八右衛門様は、またおいなんしょ(来なさい)言うてはったのし・・・明算様に、文書く言うてはったのし」
と、一鶴が、手足をぼりぼり掻きながら言ったから一益が、一鶴を睨む。
「あははっ、蚊が手強かったか・・・文とは」
「また会いたいて、尾張へおいなんしょと誘うてみると・・・明算様は寺の務めあるから、どうややけどのし」
「おいなんしょとは、参られよとの意かの。八右衛門も、なんぞ案じ事ありしかの。まあええか・・・よし、聞き取った。八名の者、以後慎め」
それまで柔やかだった信長の顔が、一転厳しく改まる。
「されば、鍛練じゃ・・・・本日は汝ら、血反吐吐く程走らせるでのう」
その日の昼過ぎ、表御殿広間。
「お殿様、甲賀の二名、やがて参着致しますれば、拙者は今日より、五日ほど、案内役務めます故、鍛練その他諸々を御願いするのでござりまする」
「あいわかった。二人には手厚くしてとらせ。城下一の上宿、町野屋、十日の間、貸し切りにしてあるでよ。従者など連れてくるであろうし、日が延びてもええがや」
「御周到なる御手配り、恐れいりまする」
「ほれにしても、この頃は、こうか言葉出んの」
「公では、なるたけ・・・それよりお殿様、先日は口出しせえへんかったけど、蜂須賀殿御進言の門徒の事と蜂須賀殿、御自身の事やけど」
「うん。小六自身の事とは、彼奴が其方らの正体を薄々と感づいておるやも知れぬとの事であろう」
「御意」
「ほれは案じずともよい・・・彼奴には、これ以上其方らの身元探る術はないがや」
「あっ、実に実に(なるほど)」
信長が頷き、一益は門徒の事を語り始める。
「加賀越中では、もう何十年も前から、一向衆が暴れ回り、お殿様、御元服の年に、蓮如が建立いたせし、城が如き尾山御坊(金沢御堂)を処(拠点)と致しておるのでござります。一向宗門徒は守護の内紛に絡んで、富樫氏のだれぞを立てたり、蹴落としたりして、本願寺の威勢を高める働きしておる様子やったけど、ちいと前は本願寺の内輪揉めもあり、勢いは鈍ってるそうでおます。そやけどまだ侮れへん力持ってて、昨今は彼の地の土豪やら地侍の国人衆となんべんかやり合ってるそうでおます」
「よう知っとるの・・・」
「こちらに御奉公に上がって、びと衆が硝石運んでくるようなってから、おとさんが、そげな由(情報)を、ただけにびと衆に託して、書いて送ってくらはるから。ほれにわては、あちいこちいしてる時、加賀越中も行ってたから、その戦の様も見た事ありまっせ。蜂須賀殿の言わはるままでっせ」
「ほうか。てて御はすでにびと衆と・・・有難いのう。てて御には、ようけ助けられたのう。ほんでその様とは」
「おとさんは、元々伊賀に知己仰山いてたから、繋がり使うてなさはったんやと。その時わてが見たんは、土豪のだれぞと門徒衆の戦やったと。ぼろ切れ纏うた門徒衆は、女子供、年寄り衆も混ざって、得物ゆうても、鎌や鍬が如き野良道具、竹槍、棒きれ、あとはせいぜい拾うたか盗んだ、錆び刀や錆び槍もって、厭離穢土欣求浄土と大書した筵旗掲げて、題目唱えながら、ただ前へ前へ進むんでっせ」
一益は、普段見せた事がない、複雑な表情をしている。
「・・・どがいに仲間や家人が討ち取られたかて、歩みは止めへん。皆殺しにされて止まるんでおます。ほやけど皆殺しにされた思たら、まだ別手が違う方から、おんなし様に押してくるから、相手方は、殺わしても殺わしても、逃げへんし怯まへんさけ、段々怯えてもうて。勝ち負け判らへん具合で・・・辺りは血溜まりどころやおまへん、笠寺の比ぃやおまへん、見渡す限りの骸で大地が血に染まって泥濘んでもうて。臭いはきついし、見てるだけで、まあ吐き気したん、よう覚えてまっせ」
「惨い様だの・・・ほしたら一向衆の様々をもっと仔細に探らねばならぬの・・・左近将監、されどこれまでは、そのような事、口に致さずはなんでかの」
「この辺りにも、一向宗の寺はありまっけど、わての知る限り、おおかたは穏やかやし、蜂須賀殿の進言聞くまで、うかと(うっかり)、戒め(警戒)せなあかん現し(存在)となるやもとは爪の先程も覚えてなかった(感じていない)からでおます。
かつて見た戦の様はむごすぎて、口に出来んかったんでっせ。隠すつもりはおまへん」
「ほうか、あいわかった・・・一向宗については、今すぐ何事か起こる訳ではあるまい。応ずる策は、様子を探らせながら案ずればええがや。今は甲賀からの二人に応と言わせねば」
「ははあっ、その事で御願いの儀が・・・二人に、お殿様の御姿、遠目で見せたろ思うてるんでおます。朝の野駆けか、城内での鍛練の折に。その御許しを・・・」
「何事も其方に任せる・・・頼む・・・」
一益と入れ替わる様に、政秀と信昌が来る。
「お殿様、村井、島田の両名、御目通り願っておりまする」
「うん、ええよ」
入ってきた村井貞勝と島田秀満が平伏し、村井が話し始める。
「まずは、下人の儀、全て滞りなく済みましてござりまする・・・」
「大儀であった・・・ほしたら、決めたように処してよ、暮らせるように助けをな・・・耕す荒れ地等の割り振りは」
「ははっ、それもすでに・・・五百人を一組とし、相応しき者を一人づつ組頭と定めて、まずは各地に仮小屋を建てさせまする」
「三十組か、あいわかった・・・」
島田が尋ねる。
「元下人の中に、御城にて、荒し子などで勤めたいと申し出る者がおりますが・・」
「ふ~ん・・・其方はどう案じる」
「膂力、胆力もあり、知恵もある者共と見受けますれば、有為かと」
「されば承知」
村井が少し笑顔で言う。
「ははっ。あとは、以前にお殿様、御示しの政改変の数々、試算済みましてござりまする」
「おっ、ほうか、して、変えても国は成り立つか」
「成り立ちまする。それどころか、実入りは増えると算じまいた(計算いたしました)」
「よう致した。まことに大儀。されば早速改める。領内の各城各地の主立った者共、全て清州へ呼び集めよ」
「ただ・・・」
「うん、申せ」
「手が足りませぬ。商人職人の売り上げなど確かめるに、今の町役、村役だけでは、確たる確かめは出来ませぬ。また職人の中には、読み書きできぬ者もおりまする。その者共の売り上げ手間賃の記帳はどのように」
「ほうだわな・・・ほしたらまずはよ、領内全てから、身分を問わず徴募せよ。執行(事務仕事)で、当家に仕えたいと望む者を。其方ら二人で試し(試験)致して採否を決めよ。この先は執行が増える。雇った者共を育む事もせねばならぬ。
次に、文盲の者共には、字は書けぬとも、丸やら三角、ばつ字くらいは書けよう・・・それを大小に書いたり、重ね組み合わせて数を表す方を予め取り決めればええんだないか」
「な、なんと・・・・実に・・・恐れ入り奉りまする。されば早速その様に」
その日の夕方、犬山、岩倉を始め、領内全ての城砦の主立った者、土豪、地侍の主立った者が清州城に集まる。
信長の示した、改革案は以下の通り。
一 農民からの税の割合、六公四民は、五公五民にする。
一 商人職人は、利益、手間賃の五分を税として納める。不意の高額徴収はしない。
一 労役は原則的に課さない。やむを得ず課す場合は賃金を払う。
一 座は廃止。
一 熱田、津島、各河川の川湊に入港の船からは、積荷額の二分を港税として徴収する。
一 他国者で尾張に住みたい者は、身元調査の上、許可する。他所での借金は返済不要。
一 武士階級の民百姓への理不尽は厳禁。破れば成敗。逆に民百姓が武士階級に理由なく無礼を働けば、これも成敗。
一 他国から通過の者は、領内に少なくとも一泊する事を義務付ける。
一 職業選択自由を許す。
一 領内の安全は信長が保障する。
一 納税額は、原則的に申告制とする。但し、不正発覚すれば、その者の居場所は闕所とし、当人家族は、財貨没収の上、尾張追放とする。
信長は、改変理由を説明する。人の行き来が増えれば、それが結果的に金を生み、税収も増えると見込みが立った事を、事例を上げてわかりやすく話す。
例えば三つの温泉のおかげで人が動き、銭を落としていく事は周知の事実だ。温泉はもう増やせなくとも、人を惹きつける何かを作るか、行事をすれば良い。
行事としては、春は桜祭り、夏は水練の競技会。踊りの大会。秋の紅葉狩り、相撲の大会等を、催したらと提言する。
領民の楽しみが増え、暮らしやすさが他国へ伝われば、人は国を越えてでも来る。
不安材料は、理由を述べて打ち消す。
例えば新たに設ける入港税だ。
人が増えれば物が必要になる。物が動けば金が動く。需要のある場所なら物は売れる。船は税を払ってでも、売れる場所を目指すから、入船は減らない。
人を増やす政策を行えば、あとは黙っていてもついてくるのだと信長は言い切り、聞き手は納得する。
信長は更に、座とは、公家や寺社等の既得権益だが、それを無くしたとして、不満に思い武力で攻めてくる者などいるはずもなく、来れば討ち滅ぼすだけだと、笑いながら言う。
ただ、この事は、現実となるのだが、それはまだ先の事だ。
この時点では、尾張全土が信長の直轄地ではない。家来となった者達の大半が領地を持ち、信長は、段銭と呼ばれる税金を、それぞれの領主や地主からその石高に応じて徴収している。
信長はいつか一益に話した通り、当分はそのままにしておくつもりだ。
しかし、制度は一律とされるから、領内の庶民の暮らしは大局的に楽になり、地域格差は無くなる。
岩倉の織田信賢、犬山の織田信清、守山の織田信光始め、他の城主達も、土豪も地侍達も、この頃は信長に心服し、現に、それぞれの領地で人の動きが顕著になっていて、改変により実入りが増えると確信したから異議を述べる事もない。
最後に信長が、見込みが違えば、即座に新法を改めるか保障すると宣言して、集まりは解散となった。
清州城へ来た者共は、城内の湯への入湯を特に許されたから、身分の順に湯に入り、皆、笑顔で帰って行った。
次の日、尾張中の城砦の前に、立て札が掲げられ、政策が告知された。
文盲が殆どの庶民達は、読める者を引きずるように連れてきては、内容を知る。
農民の中には、年貢が下がると知って腰を抜かす者まで出る。
新たな納税を知った商人職人は、一瞬がっかりするが、不意の徴収は無いと知り喜ぶ。
船での輸送を生業としている者や船主、荷主達は、二分の徴収に最初は異議を唱えたが、物の需要の高まりをすでに実感していたし、信長に逆らえるはずもないからやがて黙った。
信長の評判は更に高まる。
瞬く間に五日が過ぎ、一益が来る。
「首尾は」
「ははっ、臣従頂かして欲しいと・・・」
「ほうか、重畳重畳・・・ほしたら、甲賀の主立った者達と会わねばならんの・・・呼ぶか、俺が行くか・・・」
「行かはる・・・お殿様が・・・こうかへ」
「うん・・・ついでに都へ行こうかと・・御所(皇居)の御様子や都の有り様見たいがや」
「はあ~そやけど・・・」
「内々(ないない)によ、小姓共、三十人ばかりと、道中警護は、びと衆五十人もおればええんだにゃあか」
「尾張を御留守にしはる事に・・・」
「二十日程だわ。尾張統一成ったにより、熊野の大社へ、礼に詣でたとでもすれば良い」
「熊野権現詣りと・・・」
「うん。我が祖先の平家も・・・あははっ、まあそれは建て前でよう・・・藤原とか忌部とか、定かではないらしいがの。てて様が病になる前、弾正忠家の祖先は、それまでの藤原から平氏と致すと急に御下知なさってよ、それ以来、当家祖先は平氏としたんだわ。訳は聞かず仕舞いでよ・・・まあ、祖先のことみてゃあ、どうでもええけどよ」
信長は茶を一口飲んで続ける。
「その上でよ・・・平家の清盛始め一門が、挙げて尊崇厚うてよ、尋常ではない度(回数)の参詣があったと聞いとるんだわ。ほれに白河、鳥羽、後白河、後鳥羽上皇様方は、熊野大社が霊験あらたかを御認めになられ、それぞれ何十度も熊野大社へ御幸あそばされたそうだわ。ほんだで勤皇の家の俺が平家の末裔として、詣るとすれば、もっともだがや」
信長が勤皇と述べたのは、故信秀が、天文九年と、十二年に、朝廷と伊勢神宮へ莫大な金銀を寄進したことを指している。その時の使いは、平手政秀である。
「ははあっ、御家は平氏でおました・・・うかでおました・・・桃巌道見様(信秀戒名)は、足利は源氏やから、次は平氏と・・・そやから、藤原止めて平氏にしなはったんやないかと・・・とさいが(とすると)、大殿様は、公方にならはるおつもりやったと・・・なんと豪気な・・・今更ながら、大殿様は、さぞ御無念で御有りだったと拝察仕りまする・・・されど、只今はそれは別儀と致し、お殿様の仰せは確かに御もっとも・・・ほやけどお殿様、昔々の様々、よう御存知で」
「沢彦様に教わったんだわ。聞き齧りだわ。てて様なら将軍の座を先途とされてもさもあらんだわ」
「実に(なるほど)。ほな、こうかへそのように伝えまする。こうかより、菰野の辺りまで迎えを出すようにさせまする」
その夜。
信長が六人衆に話している。
「あのよう、実はよう・・・」
なかなか言いださない信長に、風が察して言う。
「違うてたら、御許しを。お殿様が仰せになりたいんは、もしや、御側妾様の事やおまへんか」
「知っとるわな(知っているよね)、濃の地声できゃあで、筒抜けだわな」
「それが何ぞ・・・」
「まだ決まらぬようだけどよ、いずれ来るだろう。その折、濃と違う女子の声したら、其方らが慌てるといかんだろ。ほんだで前持って言わなかんけど、言いにきいがや(言い難いでしょう)」
「そげな御配慮は・・・御大身のお殿様に御側妾の百人や二百人いてたかて、まことにもっともな事やから。そげな折は、わてらは御方様の時同様、御寝所から離れまっさけ」
「風之進よ、二百人も居ったら、俺の珍宝擦りむけてまうがや・・・わははっ、わははっ」
六人衆も大笑いする。