あゆちのびと衆 第一章 その二十
根来からの八人
一益が帰ってきたのは、もう真夏の頃だ。
国境警備のびと衆から、鳩での報せを受けた、深紅の直垂に、烏帽子姿の信長以下、華麗な打掛を纏った濃に、高級女中を装い、似たような打掛姿の笹百合。政秀、信昌、祝、市川、村井、島田、六人衆の他、大勢の侍達は、肩衣袴の正式な姿で、清洲城、表御殿式台下で、喜色満面に迎える。
「左近将監、長々の役目、真に大儀 」
「遅うなってしもうて・・・・」
「首尾はっ・・・」
「はっ、おおかたは・・・」
・・・一益の表情は、何故か、晴れやかには見えない。
「お殿様に、文で御知らせした者共、城外にて待たせておりまするが、中へ入れても」
「おっ、ほうだった・・・其方が率いるなら遠慮いらぬのに・・・」
雪丸が言う。
「ほな、わてが御案内を」
雪丸が、作法に従い、腰に両手を突いたままの姿勢で駆け出す。
雪丸に導かれ、八人の男が大手門をくぐり、近づいてくる。
先に歩く三人は、共に、見たこともないような巨漢で、独特の姿だ。
三人とも、履いている、高下駄らしきものを差っ引いても、身丈は軽く六尺(百八十㌢)を超え、体重は三十貫(約百十㌕)近くはありそうだ。
三人が歩くと、ズシッズシッと音がする。
八人とも、葛篭を担いでいるが、巨漢三人の葛篭は、一際大きい。
三人は、大葛篭の他にも薙刀、槍、長太刀をそれぞれ背中か、肩に担いでいる。その他に、革造りの長い入れ物を、肩から下げている。
彼らは、長髪を後ろで編むように縛り、腰まで垂らしていて、白麻の下襲の上に下腹巻き(胴鎧)を着け、その上に墨の裳付衣を着て石帯で巻いている。下半身は、膝までの白括り袴を履き、膝下は脛巾で巻き、足元は素足で歯の高い足駄だ・・・裹頭と呼ばれる、奈良、都辺りの僧兵が使う、白五条袈裟の頭巾は被ってはいない。
また彼らは、腰から太刀を吊っていて、石帯に差している、立派な拵えの差し料は、どれも、大脇差しを越えた、二尺もある殆ど刀だ。吊り太刀は、三振共に、柄、鍔、鞘全てが黄金造りだから、きらきら輝いている。
残り五人の、鉄砲鍛冶らしき者達は、揃いの刺し子の、黒小袖に柿色山袴、脚絆と革草鞋に革足袋だ。
五人は歩きながら、黒漆塗りの山笠を、一斉に外す。
三人が、少し横にそれ、大葛篭を下ろして、その他の持ち物をそれに立てかける。
大葛篭は 余程の重さなのか、降ろすたび「ドッシンッ・・」と音がする。
五人もそれに習って、葛篭を降ろし、信長達に近づく。
信長だけは、床几に座っている。
一益が、全体に黒っぽい旅姿のまま、片膝と片手を突き平伏する。
それに、三人の巨漢が習い、その後ろに五人が続く。
一益は僅かに、八人は、汗びっしょりなのが判る。
一益が、中腰になって信長に近寄り、耳元に、何事かを暫らく囁く。
信長が頷き、一益が元の位置に戻って言上する。
「お殿様、後ろのいかい(おおきい)、三人の真ん中が、わての縁者で、他二人は、その朋輩でおます。三人の後ろの五人は、根来門前町からの鉄砲鍛冶でござります」
「うん。皆の者、蒸し暑きなか、遠路大儀」
一益が姿勢を変えず、首だけ回して言う。
「おまはんら、この御方が、尾張の大殿様、織田上総介三郎信長様やっ。御色代しなはれっ・・・そやっ、遅れましたが、お殿様から向こうて左の、いっち(一番)、いかい(大きい)者は、口が利けまへん。やから、手真似で御色代致させるんでおます」
初めに、一益の縁者が声を上げる。
「拙僧は、根来杉之坊の一鶴と申しまする。歳は三人とも久助(一益幼名)と同じでひて、ほやから二十八、いや九か。まあそげなことは、どうでもええのやのし。わえら(私達)は久助に従うて、お殿様に御仕えひとうて、ひとうて、参上ひたのやのし(したのです)、何卒、何卒」
いかつい外見に似合わず、優しい声と、髭だらけだが、目鼻立ちがはっきりした顔だ。
一益が、怒って言う。
「一鶴、わりゃ阿呆かっ、こげな場ぁで、わての幼名言うか・・・歳は二十九や。わりゃ、己の歳も・・・ど阿呆っ」
「あはは、左近っ、すまなんだのし、おこらえなひて・・・」
「久助とは・・・知らなんだ・・・滝川、懐かしゅうての事であろう・・・愛らしき名だがや・・・あははっ」
一益は、愛らしいと言われ、赤くなって黙る。
その左の、二人目が続ける。
「わえ(私)は、満天星坊と申しまするよし。わえも一鶴とおなし心持ちでひてのし(でして)。皆様と御一緒に、働かひて(働かせて)頂きたいのやよし(のです)。伏して御願い奉るんやのよし」
彼は、細い目と、高い鼻、耳が尖っているのが特徴的で、髭は綺麗に剃り、柔和な雰囲気だ。
「どうだんとは、つつじの花の名かの」
満天星坊が笑顔で頷く。
信長が続けて聞く。
「根来辺りでは、己を、わえと言うのか」
八人が一斉に頷く。
三人の中で、最も巨体な、一益が口が利けないと紹介した男が、手真似を始める。
身長は六尺七寸(約二㍍)、体重は三十貫(約百十㌕)より重そうだ。身体付きは、厚い胸と盛り上がった両肩、見える上腕も太く、首も、顔と同じくらいの太さだ。
彼も一鶴同様、髭面だが、二重まぶたの眼に愛嬌がある。
彼は、笑顔で、まず、右手で自分の口を指し、左手を口の前で横に振る。両手を合わせ、それを詫びるように何度も頭を下げる。
座り直して正座すると、右手の指で、空に何かをなぞる。
信長が、目を凝らして見ている。
後ろの政秀が、信長に囁く。
「この者は、なにやら、文字をなぞっておるのでは・・・」
「じい、口が利けぬ故であろう」
巨漢は、同じ指の動きを繰り返す。
政秀がまた囁く。
「あの描きようは・・・あっ、彼奴は文字を裏返しに・・・我等から見たら、まほな向きに(まともな向きに)」
「あっ・・・・ほうか・・・されば、今描きしは・・・すか・・・す・・すであろう」
すると巨漢が、両手を叩いてから、頭上で丸を作り、また何度も頭を下げる。
「続けよっ」
彼は、信長に言われてまた指を動かす。
二文字目は「い」
続いて「か」「い」と読み取れた。
「あいわかった・・・其方は、すいかいと申すのだな、真名字は判らぬが」
一益が答える。
「すいの字ぃは、翠と書くんでおます。かいは、海と書くんだっせ」
翠海が、頭をがくがくして、嬉しそうに正解を認める。
翠海は、更に手真似を続ける。
まず一鶴を指差し、自分の前に、両手で輪を作り、それを一鶴の方向へ何度か前後させて、右手で自分の胸を叩く。
同じ事を、満天星に向けてやり、最後に信長に手を合わせて、頭を何度か下げる。
「翠はみどりとも読むの・・・緑の海とは何やら雅だの。翠海、ほれは其方も一鶴、満天星と同じ心じゃから、働かせて欲しいということかのん」
翠海が、満面の笑顔で、また手を鳴らし、頭をがくがくと振る。
信長が笑顔で言う。
「ほうか、聞き取った。いや、見て取ったか。あははっ、翠海坊か・・・一鶴坊に満天星坊・・・それぞれ趣ありて、良き名だの・・・されば、後の五人の者、名乗れっ」
そう言いながら信長は、八人の背後の光が明るい事と、三人の法師の眼差しに、異様な光が宿っているのを認識している。
一方、三人の巨漢は、それぞれ、ほぼ同じ事を思っている。
(この御方の威ぃと気ぃの強いのはなんじょ。武道の業前も恐ろしい程じょ。見えへん鎧に包まれてるよう感じるろう)
五人の真ん中の、中年男が、顔を上げて言上する。
「お殿様には、御目通り、御許し頂だあかひて、真に有難き事やと。手前は、根来門前町で、鉄砲鍛冶ひてた、村嶋恒蔵いう未熟者でひて。後ろに控えるんは、皆、手前の弟どもで。お殿様に向こうて左から、隆助、祐吉、徹、義造と申しまする。滝川様の御誘いにより、只今参着仕りまひた」
「あいわかった・・・皆、大儀・・・仔細は後として、左近将監、八人とともに風呂を使え。汗塗れだがや。湯洗いの厠も、気色ええでよう」
「はあっ、何やら湯気が、あちいこちいやから、なんやろ思うてました・・・ほなっ、御ことのはに、甘えさしてもらうんでおます」
政秀が慌てて言う。
「三人の巨人が、厠使えば壊れまする」
「ええええ、湯殿も厠も頑丈にしたるで。使いたくば使え。左近将監、慌てずとも良い。髪を洗えば心地ええで、湯中で身体も擦って参れ」
表御殿大広間。
信長は、広間上段の間で、普段着の小袖に羽織姿に着替えて待っている。
濃は下がり、政秀と信昌、祝、市川、村井、島田は一段下で胡座で座っている。六人衆はいつもの配置だ。
政秀が聞く。
「お殿様、待つ間に一つ御決裁を」
「うん・・・」
「下人の数、やっと判りまいた」
「ほうか、幾人だったかのん」
「一万五千と少々にて」
「ほうか、されば、青山や村井、島田は、購う値を、如何ほどと案じるや」
青山信昌が答える。
「下人の主共が、下人を購う折に支払うた値は、おおかた千百文(約十七万円)上下にて。持ち主共は、これまでに、下人の働きによる利をようけ得ておりますれば、我等、それを換算いたし、下人一人につき、五百文(約七万五千円)もくれてやれば良いかと案じまする」
「ほうか、五百文か・・・ほしたらよ、その銭は、二貫文(約三十万円)と致す」
政秀に信昌、祝、市川、村井、島田が驚く顔をする。
青山が聞く。
「お殿様、二貫文に致せば、三万貫文(約四十五億円)の余となりまする」
「うん、ようけは判っとる。ほんだけど、五百文なら、不服唱える者も出よう・・・さればじゃ・・・民から恨まれてはならぬ」
「二貫文なら望外・・・民共は、なべて、お殿様の御善政に感じ入りておりますれば、恨みなどとは」
「鳴海の戦の帰路、民共は、熱田辺りから、ここ清洲まで、途切れる事なく道に並んで、我等を寿ぎ、笑顔で迎えてくれたのう」
政秀が頷く。
「あれが民の力じゃ・・・」
六人とも意味が判らないのか、無言だ。
「由(情報)の伝わる速さだがや。此方の勝ちを特に伝えた訳でもないに、如何にしてそれを知り、我等を迎えてくれたかの。犬山の十郎左衛門に岩倉の信賢も、俺が戻ってすぐにうせおったがや。あやつらも、なんでそうもはよ(そんなに早く)、我らの勝ちを知ったのかのん」
「民共が口伝えにて・・・」
「ほうだ。その力を侮ってはならぬ。常に労り、暮らしを安穏にしてやればよう、民共は如何なる時もよ、己等が気付かぬ内にその力を使い、果として(結果的に)、我等を助勢してくれよう・・・由は、要だわ。戦の折ばかりではなく、日頃の民共の由は大事だわ・・・されば此度も手厚く致すのじゃ・・ほれに下人はいずれ、粗を納めてくれる・・・三万貫文は一時の払いで、未来には何倍にもなる、活きた費えだわ」
四人の重臣と、二人の文官の顔が、ぱっと明るくなり、政秀が言う。
「お殿様、恐れ入り奉りまする・・・なんたる御慧眼・・・拙者は拙者は」
政秀は、涙が堪え切れない。
「あははっ、泣くでない。じいっ・・・泣き過ぎだわ・・・ほんでよ、購う折は、以後苦情申し立てぬとの、関所撤廃の折同様に、念書取れっ」
六人が揃って答える。
「ははあっ」
どしどしと、足音が響いてくる。
大広間前の廊下に、折り目の効いた肩衣袴の一益が胡座で座り、その両横に、八人も同様に座る。
皆、湯上がりだから、顔を火照らしている。
「お殿様、御待たせしてもうて・・・ええ御風呂頂きまして、汗流させてもうて、生き返った思いでおます」
「うん、気色ええだろう、頭痒いの治まるだろう」
「はあっ、頭の地肌、細櫛で擦って、まあええ心地でおます」
「ほしたら、皆、近う」
長髪がまだ濡れている、三人の巨人は当然無腰で、真新しい白麻の下襲に、墨の裳付衣姿で、五人は、侍烏帽子に白直垂の、刀鍛冶の姿だ。
「そのほうらは如何であった・・・風呂だわ」
翠海は別に、七人は口は開かず、八人揃って頭を板敷に擦りつける。
「あははっ・・・なんせ湯は豊富だでよう、夜中でも入ってええんだで・・・城に居る間はせいぜい使え」
五条の湯が出来た訳を、簡単に説明した信長が、顔付きを改めて問う。
「ほしたらよ、なんで其方らが、当家で働きたいか、または働いてもええと思ったか、その訳を申せ。まず一鶴、次に恒蔵」
一鶴が、太い両手を突いて、信長を見上げて答える。
「わえと、この二人は、もう十年も前から、畿内辺り(近畿)での戦に鉄砲放ちとひて雇われて、数できんほど殺生ひてきたんやのし。殺生ひて、鳥目仰山もろて、上酒や、ええもん(御馳走)喰ろうて、たわれめ女(売春婦)抱ひて。始めの頃は、戦がおもしゃいておもしゃいて(面白くて)・・・」
信長が聞く。
「険しき目には、合わなんだか・・・」
「わえらは、刀槍での取り合い(白兵戦)はせんと、隔たり取って、鉄砲燻べるのが本分やさけ、危うい思いは、それほどはひてないのやよし・・こらあかんと逃げたことは、なんべんかはあるのやけどのし」
「それは、如何なる戦だったかのん」
「ほんこないだ(つい最近)には、細川晴元方に雇われて、阿波の三好との戦ん時、杉之坊門主の明算様御実弟、津田監物算長様に従った時の事でのし。細川の殿さんが、采配誤りくさって、逃げるよりほかなかったのでよし」
「津田監物とは、種子島より、初めて鉄砲を、根来へ持ち込んだ者だの・・・」
「お殿様、よう御存知でのし」
「うん。面白き思いであったなら、何故に此方で働きたい」
「鳥目の為に殺生ひて、遊び暮らすのが、おもしゃあなくなったのでのし。わえらを雇う者等の先途は、なんや言うたら、我が身の、栄耀栄華だけやのし。関わりない下々が、戦に巻き込まれて惨い目ぇに合うても、なんも思わへんどころか、焼き討ちひて、男は撫で斬り、女は犯ひて人買いに売るか、連れ帰って婢(女奴隷)にひて、足手纏いの年寄り子供は、皆殺しにしくさって。わえらは雇われやさけ、目の前で此方の足軽共が、そげな狼藉ひてても、止めたれっとは言えへんのでのし・・・それが嫌で嫌でのし」
「うん・・・ほれで」
「そげな思いひてたら、折良う、久助、やなて、滝川様が来なはって、お殿様の、民を安穏さす先途の話、聞かひてもろて、三人で思案ひて、どうせ殺生働きすんなら、そげな先途の為にひたら、ええんやないかと思うたんやのし」
一益が冷や汗をかいて言う。
「お殿様、この者共は、まほなる(まとも)言葉を知りませぬ。御無礼なる物言い御許しになってくださりませ」
「ええええ、ほんなこと・・・ほうか、我が志を是としたか」
「仰せの通りでのし」
「あいわかった。されば、三人を左近将監の配下と致し、鉄砲術を教える役目を申し付ける。左近将監の助教として励め。俸禄は働きを見て決める・・・ええかっ」
三人の僧兵が、頭を擦りつける。
「ほしたら恒蔵、存念を申せ・・・」
村嶋恒蔵が少し顔を上げ、信長と視線を合わせないようにして言上する。
「手前と弟共はのし、津田監物様が、種子島から鉄砲を根来へ持ち帰りはって、我が師匠、芝辻清右衛門に従ひて、初めて鉄砲張り立てして以来、ずっとその道を、精進ひて参りまひたんやのし・・・ほやから、今の火縄鉄砲の張り立てなら、誰にもひけはとらへんのでのし・・・ほやけどのし」
「続けよ・・」
「へえっ、鉄砲は、人殺める道具やけど、上手に使たら、戦のない世が、早よ来よるんやないかと思うて精進ひてきてのし。そやさけ、わえらはこの鉄砲を、今よりもっと、続け撃ちや遠撃ちが出来て、弾や弾薬を込める手間省いて、伎倆(性能)上げるんには、どうひたらええかとのし、五人でずっと案じてきたんやのし。ほやけどなんぼ案じても、なんも浮かばず、師匠に言うても、一度きには成らんいわはるばっかでのし・・・ほれやのに、この頃は、わえらより上の高弟らあが、鉄砲のからくりはそのままで、金銀で飾り付けたりひて、高値で売ることばかりに執心ひてて、もうそれが、嫌で嫌でのし」
「うん。甲斐がないのだの」
「へえっ、仰せの通りでのし」
「望みを言うてみい」
「まずは、お殿様の御下知により、鉄砲の張り立てと、張り立てる鉄砲鍛冶の数を増やすよう、職人の育み(育成)をひて、お殿様が要るだけの鉄砲が、張り立てられるよう務めまするんやのし。ほやけど、そげな合間に、鉄砲の伎倆上げる工夫ひたいんでのし、工夫の案はなんも浮かばへんやもやけど、諦めたらあかんと思うてるんでのし・・・あとは、一鶴様同様、滝川様から、お殿様の先途の事聞いて、そげな思いの御大名が居てはるんにびっくらこいて、手前共は、お殿様の先途の為に、働かひて頂きたいと、参上仕りまひた次第」
「ほうか、其方らもか・・・城内に鍛冶場はすでにある。牛松と申す者が、差配しておるが、鉄砲の張り立ては出来ぬ。まずは牛松とその配下五人に、鉄砲の張り立てを伝えよ。道具など要る物あれば、青山に願え。費えは惜しまぬ故、鉄砲五千挺、張り立てを先途とせよ。新たなからくりの工夫は、その合間に致せば許す。ほれにしても、其方等が立ち退くを、師匠がよう許したの。あとは其方等が、この地で、鉄砲張り立てて、師匠筋から咎められぬかの」
「ほれは滝川様と明算様が、師匠と談判ひてくなはって。滝川様は、みな包めての償金とひて、砂金を五百匁も(約二千万円)払うてくなはりまひたさけ」
「ほうか・・・ほれは重畳であった。話しがもじゃかった。まっぺん(再度)言うぞ。張り立てするは、五千挺だわ」
「ご、五千挺・・・」
驚く恒蔵に、信長が笑顔で答える。
「先途だわ・・・鉄砲は今ここには、やっと二百挺で、鉄砲衆は三百人だで、鉄砲を増やすのと同じゅうして、更に大勢を鉄砲衆として育まねばならぬ。それには時がかかる。今の所、尾張へ攻め込んできそうな者は、今川くらいで、その兆しは、まだ見えぬ。故に時はある。五千挺は、あくまで先途と心得よ。俸禄はやはり、働きを見て決める」
五人が一斉に平伏する。
この時点で、信長鉄砲隊だけではなく、この辺りにある鉄砲は、堺の橘屋又三郎、通称「鉄砲又」が中心となって製作した、堺筒がほとんどだ。彼は、津田監物が、根来へ鉄砲を持ち帰った後、種子島へ行き、鉄砲製作を学び、堺で、それを最初に始めた男だ。
「ほれから、八人の住まいはよ、六人衆の家が空いとるで、そこへよ・・・左近将監、割り振りしたってちょう」
「ははっ、ほやけど、何でおまはんら、折角の新築に住まへんのや」
六人衆に向けた言葉に、信長が代わって答える。
「俺の警護に差し障るで言って、六人共に俺の寝間裏の小部屋に、ずっと寝泊まりして居るでだわ」
「ほうでっか、そらもっともでんな。ええ心がけや」
広間に散らばっている六人衆が、笑顔で頭を下げる。
「ほな、皆を連れて参ります」
「昼餉はよ、いっぺん、それぞれ葛篭など片付けたら、一緒にここで喰うでよ。熱田の金之助が、ようけ魚運んで来たでよ」
一益は、八人の住まいの割り振りをして、すぐ戻った。
信長は、それを予想したように、一人で待っていて、政秀らはすでに下がっている。
「お殿様、話が、ただけにあるんでおます」
「うん・・・まずは、甲賀の事かのん」
「左様で・・・主だった、山中、望月、伴、美濃部等は、お殿様に従いて、働きたいと申しておりまする。ほやけど、二人、和田宗立ゆう者と、六角定頼から諱もろうた、多羅尾光綱ゆう者が六角への義理が立たんゆうて、ちいと渋ってまして。皆で得心させよと、色々ゆうたんやけど、わいがこうか立った日ぃも、まだ応とはゆうてなくて。おとさんに、後は頼んできたんでおます」
「ほうか・・・難儀だの・・・」
「ほいてから、一鶴等ぁが居った、杉之坊の門主の明算はん・・津田監物の兄さんやけど、その明算はんが、なんと、生駒八衛門様の古い知己やて。わては全く知らんくて」
「なんとっ・・・ほうか・・・それは俺も初耳だわ・・・杉之坊とは」
「根来寺僧兵団の中で、いっち、精強な一団でおます・・・八衛門様と知己やから、一鶴らぁが、尾張行きたいと願うた時も、恒蔵らあが、尾張で働きたいゆうた時も、明算はんは、わいの頼み聞いてくれはって、後ろ盾として、芝辻と談判してくれはったし、一鶴らぁも、破門にもせんと、あっさり御許しならはったんやないかと」
「ほしたら、ことによりては、根来衆も此方に、つかせれるやもだがや・・・」
「御意・・・あれらは黄白次第やけど、お殿様の御志知ったら・・・」
「まあほれは、急がずともええ・・・後は」
「八人の扱いでおます・・・お迎えん時、話しが違わんよう囁いた通り、なんもかんも話してはあかんと、銃床銃架に炮烙、ろ棒も矢砲も、びと衆の事もまだゆうてまへん・・・これは甲賀者にも、我がおとさんの他には同様でおます」
「ほうか、ほれは良き分別(判断)。ほんだけどよ、甲賀のおおかたは、何故に俺に従ってもええと、言うてくれたのかの」
「皆、三度びっくらしたんでおます。初めに黄白の威力でんな・・・お殿様から御預かりの、砂金五十貫目(約二十億円)色代代わりやゆうて、ほぼ全部撒いてきましたさけ・・・それで一度・・・あとはこうか全部への御召しにも、二度目に皆びっくらこいて、ほいて、民草の安穏目指す、お殿様の御志に感銘したからでっせ。先の恒蔵と同様ですわ。そげな御志の御大名いてはるんに、皆、真からまた三度目にびっくらしてましたさけ・・・わてのことのは、真か偽りか位は、軽々と見破れる者ばっかやさけ。和田と多羅尾かて、それは判ってても、六角と親の代からの、きついしがらみあるさけ、応とゆえへんのやないかと」
「ほうか、忍びの者に、嘘偽りは通じんわの」
「ほれに、お殿様が、短日で尾張統一成し遂げなはったんは、もうとっくに畿内辺りまで知れ渡ってますよって・・・強うて、ええ御志持ってはる御方なら、おおかたは靡きまっせ」
「うん・・・ほんで、渋っとる二人だけどよ。いずれ甲賀の主だった者共には、尾張へ、一度は来てまわなかんけどよ(来てもらわなくてはいけないが)、その二人だけ、先に内々で尾張に招いてみよか」
「ははっ、ほやけどその訳は・・・」
「尾張の民共の暮らしぶり見せてよ・・・関所撤廃と、三つの湯の事だけでも、この頃の、民共の気色は、朗らだかや。改めたい民への扱いは、まだほとんど、以前のままだけどよう・・・様々、取り組んではおるだろう・・・ほれを見聞きしたら、俺が合力頼む訳が、織田の栄耀栄華だなて(ではなくて)、民の安穏だと、真から判ってくれんかのん」
「甲賀も伊賀同様、貧しいさけ、あの二人も、民共の心持ちはよう判ってるから、己の目ぇで、確かめたら、その大儀が、ほんまのほんまやと判って、ほれなら従ってもええと、思い直すやもでんな」
「その折りはよ、其方が、ぴたりと張り付いて、領内を見たいだけ案内してやればええ。さすれば二人は、険しき思いはせんだろう。さまざま見聞の後、二人が望めば、俺が会って話す・・・ほれでも否なら、伊賀との盟約明かすのも、手だしのう」
「ほうでんな、びと衆との事、聞いたらきっと。ほな、国のおとさんへ、鳩飛ばしてそのように、屋敷にも鳩小屋建てて、鳩慣らしてきたさかい。あっ、お殿様ちいと御待ちを・・ありゃ、そやがな・・・あはははっ、あははっ」
一益の表情が、ぱっと明るくなる。
「如何した、左近将監」
「お殿様、わては阿呆でおます・・・いっち肝心なことを、甲賀者にゆうてええ事とあかん事で、頭がもじゃかって失念してたんでおます」
「んんっ」
信長は意味が判らない。
「お殿様が、御持ちの力の事でおます。これまで、あからさまにはゆうてまへんが、お殿様は生まれながらに、通力、持ってはるんだっせ。仰せにはならへんけど、お殿様は、わてや六人衆にも出来へんこと、ただけに御出来になるんとちがいまっか」
「・・・うん・・・許せ・・・其方だけには何遍も話そうと思うたが・・・やはり、御師様との約定あるで、仔細は言えぬのだわ」
「仔細はええんです。やから、色々案じんでも、何も言わへんかて、あれらをお殿様に会わせたら、そんで仕舞いになるんでおます。あれらかて忍びの達人やさけ、お殿様見たら、すぐ覚りよります。そげな御方なら、頼んでもお仕えしたなりますわ。わては、お殿様が二人呼ぶ、言わはった時は、刹那に、おとさんとおかさん、質(人質)に行ってもらおかとまで案じたんでっせ。あはははっ、よけのまい案じて、損した」
「ほうか、ほうだったな。ほれはほうかも。百地、藤林も、ほれが決め手の一つのようだったでのん。ほんだけどよ、左近将監、損ではないぞ。手順踏むのも肝要だわ。いきなり、参れ会おうは通じぬ」
「御意」
「甲賀合力の目途がついたようだの・・・ほんで、隠ろへ事の様々は、ほんのしばらくの後、伝えてもええ・・・・八人の心底は見極めた、と思う故。あっ、狼三匹の事だけは止めとこか、それこそ、びっくらこくとかんで。あはは」
「あははっ、ほうでんな・・・ほなそのように、後は、一鶴等は、鉄砲に使う、ええもん、幾つか持ってきてます・・・飯の後、角場で」
八人が戻り、濃と笹百合、政秀に青山、祝、市川、一益と村井、島田、六人衆が食事を共にする。
魚貝の種類は、夏場には珍しく豊富だ。
中でも、広間の真ん中には、銀色に輝く、長細い魚が、長いまな板の上に置いてあり、異彩を放っている。
「これはよ、太刀魚だわ。口元見よ、牙のように歯が飛び出とるだろう、指でちょこっと触れたら、切れるほど鋭えんだわ。今頃からが旬でよ・・・見た目は銀の蛇みてゃあで、ちいと気味悪いけど、脂があってよ、味はどえりゃあええんだわ・・・・捌く前の姿、見せたりたかったんだわ」
その魚は、まるで銀メッキをしたように、きらきらと輝いている。頭から尾まで段々細くなっていて、丸い目は、不釣り合いに大きい。頭の後ろの身厚は三寸、長さは六尺近い。
「こんな大物は滅多だわ・・・刺身も塩焼きもうみゃあでよ・・・よし、賄いの者、皆見た故、太刀魚運んで捌け」
賄い人が二人掛かりで、それを運んで行く。
部屋の隅には、色柄がそれぞれ違う、美しい小袖姿の奥女中が、たすき掛けで十人、給仕の為に控えている。
大量の豪華な料理が運ばれてくる。
いさきの塩焼き、すずきの刺身、がしの煮付け、蛸はまだ生きたまま、刺身にされてぴくぴく動いている。大あさりの焼き物、鮑に栄螺の刺身に焼き物。雲丹も大皿に大量にある。穴子の白焼きに、真鯛の姿焼き、ガザミ(渡り蟹)も雄雌分けて大量に盛ってあって、塩焼きの由海老は八寸もある。
貝汁のアサリは、特大の大粒で、赤味噌の汁には、ねぎや大根と共に、卵がたっぷり溶かし込んである。
「刺身はよ、たまりで食え・・・酢よりうみゃあでよう・・・八人参着の祝いだで、酒も飲めっ、一鶴、満天星、翠海、恒蔵と弟共、遠慮は要らぬ、腹いっぱい食え。白飯もようけ炊いたるでよう・・・膝崩せ」
山地にいた八人には、普段はあまり見ない、新鮮な魚貝だ。
根来寺は、和歌浦に近い。その辺りは、漁業も盛んだ。舟に獲物を載せて、紀ノ川を遡れば、根来寺の下に接岸できる。しかし、城に舟が横付けできる、清洲城とは違い、岸から寺までは、かなりの距離と坂道がある。だから鮮魚を運ぶのは困難で、魚と言えば、ほとんどが干物類だったのだ。それにその辺りの漁師達は、ほとんどが雑賀衆だから、根来寺の真言宗とは宗派が違って、時々は揉め事もあり、戦闘することさえあった。だから頼み難い事もあり、門主などの高僧が望めば、注文して運ばせただろうが、一般の僧兵には、人数の事もあり、海産の魚介は、普段はあまり、食べられない食物だった。
これは、恒蔵達、五名も同様だ。
それに、紀ノ川の川魚など、川の産物は、とても豊富だから、彼らは網を打ったりして、普段は、川魚を飽食していたから、海の魚介の、川魚とは違う旨さを知らなかったのだ。
更に根本的な事を言えば、三人は仏門の僧侶だ。それなら、酒はもとより、精進料理しか食べないのが普通のはずだ。しかし、実際は、戦闘を稼業にする、根来寺の戦闘専門集団の一員だったから、仏教禁忌を省みず、カロリーの高い魚や肉を食べて、体力をつけていた。また酒も般若湯と称して、気晴らしや、ストレス発散の為に飲み、戦闘に備えていたのだ。これは根来寺の、一部の高僧以外の、特に僧兵達は、全て同じで、そんな食生活を送っていたのだ。
だからだろう、三人の荒法師は、旺盛な食欲で、騒がしく飯を食い、料理をつまみ汁を飲み、酒も水のように飲む。新鮮な味わいが、美味すぎるからか、何か違う物を口に入れる度、一鶴と満天星は、うっとか、おっとか唸るほかは、ずっと無言だ。
翠海はと言えば、何かを口に運ぶたび、目を剥き、己の頬をぴたぴた叩き、箸を持ったまま、信長を両手で拝む。
彼は、中でも雲丹が気に入ったのか、大皿に盛ったそれを、鍋掬いを使って、ほとんどを、ずるずると喰らう。
気付いた信長が声をかける。
「翠海、いちいち、俺を拝まずともええで、気を散らさず、食べ事に勤しめ。雲丹がうみゃあか・・・あははっ」
すると翠海は、また一段と大きい動作で、信長を何度も拝んだから、信長が笑い、回りも笑う。
給仕役の女達の半分は、次々に飯や汁をお代わりをする三人の前から、離れられない
信長が、濃に呟く。
「お濃見よっ、あの三人の大男の様を・・・小気味ええの・・・」
「ほやね・・・見てたら、なんや胸がすっとするんやお・・・どがみで(暑さで)、物は何も食べとうなかったのやけど、食べる気出てきたのやし」
恒蔵達は、侍烏帽子は外し、慎ましい所作で行儀良く食べているが、何かを食べる度、顔を見合わせて笑顔になり、小声で言葉を交わす。
六人衆は箸は動かすが、食べる量は、やはり僅かだし、酒は飲まない。
六人衆は、信長に食生活について助言されて以来、一日二食の食事は、質素で量は少ないが、常人と同じにしている。
だが、同時に、彼等の真夜中の鍛錬が、半刻延びたのは信長しか知らない。
そこへ、捌かれて、刺身と塩焼きにされた大太刀魚が、小皿に分けて運ばれて来た。刺身も焼き物も、銀色の皮はついたままだ。
二枚におろされ、更に、小さく切り分けられてもまだ分厚い、焼かれた太刀魚の身からは、脂が滴っている。
「ほれっ、皆の者、太刀食えっ」
それぞれが箸を伸ばして、太刀魚を食べる。
「美味っ・・・旨い・・・え~滝川様、尾張言葉で旨いは」
と、一鶴がやっと言葉を放つ。
「うみゃあ、とゆうんや。一鶴も満天星に翠海も、飲みすぎたらあかんのやで」
「左近将監、ええわ、今日くりゃあよう。惚れ惚れする食いっぷりに、飲みっぷりだわ、あははっ、食え食え、飲め飲めっ」
一鶴が笑顔で言う。
「うみゃあ・・・でのし・・身ぃが、ほくほくひてて、脂が乗ってるんやのし、干物とは違う味わいやのし」
「ほうか・・・のし」
信長の返しに、皆が笑う。
しかし八人と六人衆は、ガザミには手を出さない。
「六人も初めてだったのん。食い方判らんわな。俺が教えたるわ。ガザミはよう・・・」
と、信長の食べ方教授が始まり、八人と六人衆が従う。
笹百合には、濃が手ほどきをし、彼女は上手に蟹を食べる。
一益と政秀達は、食べ方を知っているから、上手に剥いて食べている。
「ほうだ、忘れとったけどよ、このガザミや蛸、烏賊や貝にはよ、血が無ゃあだろ、ほうゆう物(そういう物)はよ、いっくら食っても人の血肉にはならんのだと。熱田のおじいにきいたんだで、間違ゃあ無ゃあ。ほんだで六人衆もよ、食ってもどうもにゃあでよう・・・・めんたのガザミ、卵ぱんぱんだわ。うみゃあよお~」
信長の、最後のおどけた言い方が、妙に面白くて、皆が大笑いする。
五人の鍛冶職人は、信長の六人衆への言葉の意味が理解できないから、ただその最後の言い方を笑うだけだ。
三人の僧兵は、意味が判ったのか、揃って一瞬きつい眼差しで、六人衆を見る。
謹厳実直が常の風が、珍しく興が乗ったのか、嬉しそうに応じる。
「ほんまや。この黄赤の卵、ほんまに旨い。うみゃあよお~~」
その剽軽な口真似が、また笑いを誘う。
風の普段をよく知る、いつも余り笑ったりしない青山信昌が、つぼに嵌まったのか、腹を抱えて笑い転げている。
それを見て、信長とお濃が、また大笑いする。
笹百合も、口を押さえて笑っている。
五人の鍛冶職人は、笑いながら、箸を置き、信長に手を合わせて頭を下げる。
一瞬の緊張もすぐ消え去ったのか、三人の僧兵も笑ってはいるが、飲食は止まらない。
三人は、いちいちの蟹解体が面倒なのか、ガザミの硬い甲羅を、ばりばりと噛み破って、殻ごと、身や卵、蟹味噌を食っている。
一番硬い、挟みの部分も同様に、歯で簡単に割り、中身をちゅうちゅう吸って、きれいに食べ尽くす。
信長が。あきれた顔で言う。
「なんちゅう食い方・・・挟み爪んとこは、めっちゃんこ(とても)硬ゃあのに。あははっ、あははっ、豪気豪気、あははっ」
やがて白米の飯が無くなる。
「無くなった・・・三人で。飯だけで四升は喰いよった、あははっ、女中共っ、誰ぞ、賄いへ走れっ、飯をあと四升炊けと、汁もじゃ、あははははっ」
豪華で大量の料理と、追加の飯と汁は、三人が綺麗に食べ尽くし、祝いの宴は終わった。
「ほな、お殿様、角場へ」
三人の僧兵は、一人二升は酒を飲んだはずだが、すっと立ち上がる。
「おっ、ああも飲んで、どうも無いか・・・凄えなあ」
信長が素直に言うと、満天星坊が、笑顔で答える。
「あげな諸白の上酒、なんぼ食べても(飲んでも)、酔い心地が違うんやのし・・・ええ心持ちになるだけやのし」
翠海は、笑顔でまた信長をおがむ。
「あはは、ほうか、ええ酒をかんしゅと申すのか。そうも美味かったか」
一鶴が先行し、御殿式台下に置いてあった、大葛篭と長い革袋を担ぎ、信長達に続く。
恒蔵達は、最後尾でついてくる。
濃は笹百合と下がる。
一鶴は、角場の入り口横に、葛篭を降ろす。
革袋を葛篭横に置いてから、葛篭の蓋を開け、取り出した布に包まれた何かを、信長に捧げ渡す。
布を取り、中にあったのは、筒が太く、銃長が短い火縄鉄砲だ。
「三十匁筒とゆうんやのし」
それは口径二十七.五㍉、銃長約六十㌢、重さ十一.五㌕の大筒だ。
「でっきゃあ(大きな)鉄砲だがや。使い方は」
信長は 三十匁筒を、その重さを量るよう、上下に動かしている。
一鶴が、また葛篭から、何かを取り出して持ってくる。それは小さな鉛弾が、五十発も極細紙で繋げられている、特殊な弾だ。
「これは、散らし弾とゆうて、この大筒に込めて燻べたら、丸う広がってのし、一発で大勢倒せるんのやよし・・・矢比(射程)は、二十間(三十六㍍)程で、ちいと短いんやけどやのし。弾繋いでるんは、紙紐やから、燻べたら、千切れて散らばって、飛んでいくんやのし」
「恐ろしき物だのう」
「この筒口に合った鉛玉で燻べたら、人の身体重ねて、七つ位はぶち抜くのやし・・・後は鉄玉をば、真っ赤に焼ひて、胴薬だけ筒口からいれて、その焼き弾ほりこんだら、四寸か五寸程の厚さの、門扉でも船板でも、ぶち破るんでのし・・・焼き弾はその後、火ぃ起こすんやのし。砦でも城でも、当たったとこは燃えるんやのし」
「ほれは凄え」
「ほやけどのし、これは扱いが、ほんまにむつかしい。よほど修練つまんと」
「うん。さもあろう」
「まだあるんやのし」
一鶴が取り出したのは、薄い銅の板を重ねたような、金属製の何かだった。
「これは、ばね仕掛けの、雨覆いでのし。火皿が濡れん仕掛けやのし。豪雨やとあかんけど、並の雨なら、これ嵌め込んだら燻べれるんやのし。恒蔵どん等と工夫して、こさえたんやのし」
一鶴は、それを、ぱちんぱちんと、音を立てて組み立てていく。
「これをば使うには、鉄砲にも、ちいと細工せなあかんのやよし・・・お殿様、少し、御待ちなひてよし」
一鶴は、雨覆いを持ったまま、大葛篭の横の革袋を持ってくる。
袋を開け、長い鉄砲を取り出す。銃長は三尺余り、先目当て、中目当て、元目当てと三箇所に照準器があり、とても重そうだ。
「これは、わえの使う、遠撃ちの十匁筒でのし。満天星坊も翠海も、同じ丈の鉄砲使うんやのし。二町(二百二十㍍)位なら、二寸の角(的)に当たるんでのし・・・それでのし、雨中はこれをば、こうひてのし」
と、一鶴がまず、組み立てかけた、その道具をまた畳む。そして十匁筒の、火皿と火蓋のある部分の下部に当てながら、銅板の左右を銃台木に合わせて開く。左側には、まだ数枚の銅板が重なっている。小さな蝶番とばねの力で開いた二枚は、台木を挟んで落ちない。更に銅板と銃台木には、二つづつ穴がある。台木の穴に、銅板の穴をあわせた一鶴は、懐から出した、目貫のような木釘を穴に差し込み、反対側に飛び出た箇所に小さな止め具を嵌める。これで雨覆いは、鉄砲に固定される。
一鶴は、繫がって折畳まれている左側の銅板を、ぱちんぱちんと、鉄砲の右側へ、張りだすよう拡げていく。
鉄砲台木の左に密着して、真っ直ぐ四寸立ち上がった、前に斜めの銅板は、右にまた開かれ、丁度火蓋が描く、円の縁いっぱいの位置で、再度下に開かれる。
それは、まるで鉄砲を大きく囲む、小さな屋根のようだ。
右側の銅板は、ぐるりと左上に開閉が出来て、上の銅板に固定できるから、火皿への口薬の装填、火蓋の開閉に支障はない。更にその筒向きには、もう一つ小さな銅板があり、それを内側に開けば、火皿を前方より雨から守るようになっている。
覆いは、高さがあるから、火縄挟みの操作や動きも邪魔しないし、前に狭まっていても照準するにも充分だ。横から見たら、前に傾斜がある、銅箱のようだ。
雨は傾斜で、前に流れ落ちるのだ。
全ての箇所は、ばねの力で固定されているから、手で操作しなければ動かない。
一鶴は、火蓋を開閉したり、火縄挟みを起こし、引き金を引いて、またそれを落とす事を繰り返し、信長にその機能を見せる。
「なんと・・・俺も、ずっと雨中の放ちを案じとった・・・・これならええがや」
一鶴は、その革新的な道具を誇る風も見せず、淡々と続ける。
長鉄砲を地面にそっと置き、懐からまた何かを取り出し、三十匁筒を持ったまま、構えたり、筒内をのぞき込む信長に見せる。
「後は、これが遠撃ちの時に使う弾やのし。茶筅弾やのし」
と、一鶴が出したのは、鉛弾の後ろに細い竹串が数本刺された、不思議な弾だ。
「この竹串が、風切りを、良ようするんやのし。あとは、割り弾やのし・・・鉛を溶かした時に笹の葉入れてあるんやのし・・・燻べたら二つに割れて飛ぶんやのし・・・笹の葉二枚入れたら四つに割れるんじょ」
一鶴の言葉を遮るように、信長が言う。
「・・・・どれもこれも・・・どえらけにゃあ(とんでもない)道具だがや・・・ほんだけどよう、一鶴よ、これほどの物、我等にそうも軽々(けいけい)と伝えてええのか・・・根来衆の大事だ無ゃあのか」
「気兼ねはいらんのやよし。明算様が、わえらに餞別代わりに持ってゆけ、言わはったんやのし・・・御門主はんの御指図やから、誰にも憚りないんやのし・・・仕舞いにはこれじょ」
一鶴は、茶筅弾を懐に戻し、再び布に包まれた何かを取り出し、開いて信長に見せる。
それは、植物の破片をすり潰したような、色と、妙な匂いの何かの粉だった。
「これは蛍苔ゆうて、鉄砲の前目当てと、後ろ目当てに擦りつけたら、闇中でも燐光発して、狙い定めれるんやのし」
「とんでもにゃあもん(物凄い物)をば、まあようけ・・・有難し・・・・一鶴、満天星坊も翠海も、礼を申す・・・この通りじゃ」
と、信長が頭を下げたから、一鶴が驚いて膝を突く。満天星坊も翠海も、土下座して頭を下げる。
「お殿様、御やめなひて・・・大殿様が、わえらなどに、頭を下げてはあかんのやよし」
「素直(正直)な心持ちだわ・・・ほしたらよ、この三十匁筒と十匁長鉄砲、雨覆いに弾の様々、恒蔵、張り立て出来るかのん」
「へえっ、なんぼでも。ほやけど、わえら五人では、手ぇが足りまへんよって」
「ほうだな・・・ほしたらよ、近頃の戦で手負った者が、大勢居るんだけどよ、両手動けば、職人勤まるかの」
「へえっ、片腕かて、やれる事は、なんぼでもあるのでひて・・・御手配をば」
「あいわかった・・・しばらく時はかかる。今ある鍛冶場は、更に拡張するでよ。されば其方らは、まずは牛松共へ、鉄砲張り立ての技、教えよ」
恒蔵以下が、雪丸に案内されて、牛松が矢砲を張り立てている、城内鍛冶場へ向かう。
「一鶴、そこに控える、甲山虎子頭縫は、火術に通じておる。鉄砲衆に、胴薬の、時々の適した配合等教え、ここの鉄砲衆は、もうおおかたは会得しておる。とは言え、ほれだけではなく、実戦をようけこなした其方らなら、教え伝える事も数多あろう」
「滝川様に、おおかたは、聞ひてるのやよし。いっぺん、ここの鉄砲衆の、業前見せてもらひたいんでのし・・・わえらが知る事は、全部御伝えするつもりで来てるんやのし」
「ほうか、ほしたらよ、柱助っ、鉄砲衆は鍛錬終えて休息中だけどよ、支度して、再度角場へ集まれと伝えて参れ。風之進と四人は、三人を角場へ案内いたせ・・・左近将監、ちとこれへ」
「ははっ」
一益が来て、信長が囁く。
「ちと早いが、三人には、全て明かさねばならぬのでは」
「ほうでんな・・・ほな、鉄砲衆の業前見せたあと、わてから」
尾張言葉を知らないはずの、三人が、まあ、まともに会話できているのは、彼らが、文脈から、単語の意味を推察しているのだろう。
一刻が過ぎ、一益が誘い、共に三人の新居に戻る。
「なかなかだのし・・・二百挺をば、都合十ぺんづつ燻べて、不発は一発も無し。三十間で、角(的)に皆星入り(命中)。甲山様が、甲斐性者やのし。皆、両目開けて燻べてたの、ありゃ、おのしが教せたのか」
一益が頷き、満天星坊が言う。
「鉄砲衆の刀の目釘、みな二つか三つになってると見たがのし」
また頷いた一益が、その訳を手短に語る。
三人が、さもあろうとばかり頷く。
一益は、秘密事項を語り始める。
一刻半が過ぎ、やっと話しが終わる。
三人は驚きを隠せない。
「・・・伊賀者全部とは・・・そらがいな(大きな)事やのう。六人の御小姓衆は、伊賀者なんか・・・こうかのもんとは、なんやちと気配が違う思てたのし・・・ほいて今は、こうかとやて。お殿様の御器量は、おとろしほどやのし・・・あっ、器量で思いだひたで。お殿様の、あの威ぃと気ぃの御強いんのは、なんやろ。見えへん鎧、つけてはるよう覚えたがな」
「気づいたか・・・見た通りやがな・・持ってはるんや」
「うっ、持ってる・・・んんっ・・・あっ、あっ、ひょっとひて、通力か」
一益が頷く。
二人は絶句し、翠海は目を剥いている。
「わいらのゆう、がおや・・・伊賀者もそれ覚ったんが、靡いた決め手になったんやと。元々の、真っ直ぐな御性根に、冴えた御頭に加えての通力やからな。会うたら皆ぞっこんや」
「そら、えらい事でのし・・・ほんまにそげな御方いてはるとは・・・お殿様は、半ば神はんやがな。神はんに勝てるもんはおらん。ひょお~ふえぇ~、天下人にならはるで」
満天星坊も翠海も、喜色満面だ。
「誰にもゆうたらあかん。御家来衆はそこまで判らんよって、わいとびと衆と、おのしらだけの隠ろへ事や・・・ええなっ」
「心得たで・・・ほいて、こうかは」
「おおかたは・・・渋ってる者もいてるけど、伊賀が靡いてるんは、まだゆうてないし、渋ってるもんも、今ゆうたよう、お殿様に会うたら、ほれで仕舞いやがな」
「ほやの・・・誰かての・・・わえは、そのろ棒がはよ見たいんじょ・・・銃床銃架もじゃけど・・・炮烙は狙ったとこに当てられるんかのし・・・硝薬をば、伊賀者が拵えてるんは知ってたけどのし。まさかやのし」
一鶴の質問攻めは終わらない。
《一鶴は元々は、甲賀が出身ですが、その詳細は、いつか書く時が来ると思われますから、今は省略致します。筆者よりのお願い》
また半刻が過ぎた。
「まあ明日、なんもかんも見せるよって。あとはおのし(お主)が、お殿様に見せた弾やら雨覆いやら、あれは、おのしらが拵えられるんか」
「なんや、さっきに、お殿様が恒蔵どんに聞かはったがな・・・聞こえへんかったか・・・まあええわい・・・出来る出来る。恒蔵どんの弟らぁも出来るで。その道具も仰山持って来てるんやのし。あげな物、茶の子で(簡単に)拵えるんやのし・・・そげな事はええとして、左近、晩飯は、まだかのし」
満天星坊も翠海も、賛意を示して頷く。
「阿呆っ、われんたら馬か牛かっ」
明くる日の朝。
三人の僧兵は、前夜の晩飯も今朝の朝飯も、飯を六升、汁を大鍋に三杯。干物や漬物を大量に平らげたから、賄い方は大忙しだった。
信長が笑って言う。
「ええだけ食わせたれ。菜も毎回、二つ三つはつけたれ。酒も晩飯時は許す」
角場には、信長、一益、六人衆と三百人の鉄砲衆がいて、僧兵三人は、己の使う長鉄砲をそれぞれ担いで、信長の後ろに立っている。
一益が号令をかける。
「銃床をはめ込み、銃架高さを、立ち撃ちに合わせよ。五十人づつ放て・・・角(的)は五十間(九十m)先じゃ・・・まわし(準備)出来たら右手を上げよ」
鉄砲衆の手際は良い。
発砲準備はすぐ整い、小具足姿の、五十人の右手が上がる。
「火蓋切れっ・・狙えっ・・放てえっ」
百雷の轟音が辺りに響き、青い空が割れそうだ。
五十間先の的の横から、五十の白旗が上がり命中を報せる。
的が、急いで取り替えられる。
「次の五十人、火蓋切れっ。狙えっ。放てえっ」
それがまた繰り返されて、試し撃ちは終わる。
三人の僧兵は、巨体に似合わぬ素早い動きで走り、的に向かい、手分けして的板を改める。
三人共に驚いているのが遠目でも判り、信長と一益は、にやついている。
汗塗れで戻った三人は、驚愕の表情だ。
一鶴が言う。
「銃床も銃架も、思いつくようで、これまで誰も思いつかんかった、ええもんやのし。並みの放ち手でも、この砲具使たら、名人並みになるよし。そもそもの業前も、皆ええのし。同じ数の鉄砲で撃ち合いひたら、必ず此方が勝つよし・・・鉄砲増えたら、無双になるよし」
翠海が、自分の鉄砲を信長に示し、手真似で銃床の形をなぞり、的の位置の更に向こうを、腕を曲げて指差さす。更に右手の中指と親指で、作った丸を広げたり縮めたりする。
満天星坊が、それを見て言う。
「翠海は、長鉄砲に銃床銃架を使たら、二町の隔たりで、二寸やなて、半寸の角に当たる、ゆうてるんでおます」
信長が笑顔で答える。
「ほうか・・・巧者に褒められるとは。ほしたらよ、炮烙火矢の試し撃ちを」
一益がまた号令をかける。
「矢砲で放つ。まわしいたせ」
十人の小具足姿の放ち手は、前に出て、矢砲に火薬だけをかるかで詰め、炮烙火矢を筒口から押し込み、矢砲下部の火口に、火縄を差しこむ。
炮烙火矢自体の火口には、火縄は入れない。
破裂はさせず、着弾の正確さを見るだけだからだ。
それと共に、試し撃ちには加わらない者達が、三十間先に杭を打ち、縄で囲って大幕を張った的が設えられる。
「整えば右手を上げよ」
十人の右手が、一斉に上がる。
「火縄に火を・・・」
十人が腰に吊った、胴火と呼ばれる、八寸ほどのスプーン状の種火入れから、着火済みの火縄の先を少し出して、矢砲火口の火縄に着火する。
「狙えっ」
矢砲に引き金はないから、火縄の燃えるのを待つしかない。
十人は、槍を持つように半身になり、身体の右手側に、矢砲上下の杉皮が巻かれた部分を、両手で持って斜めにして構えている。砲上、二箇所にある、穴の開いた半円の突起に、紐は通してはいない。移動時のみに使うからだ。
ほんの二息で、鈍く重い音が、僅かな時間差で起こる。
空に向けて、斜めに高く飛んだ炮烙火矢は、くるくると回転しながら、落ちてゆく。
九発が、幕の真ん中に、なだれ落ちるように落下して、幕に跳ね返されて何度か跳ねる。一発だけが、幕から外れ、地面に落ちて割れて、火薬代わりに詰めてあった砂がこぼれる。
満天星坊が、感激の面持ちで言う。
「一発外れたのは、炮烙同士が、宙で当たって跳ね飛ばされたからやのし・・・みな上手やのし・・・火縄の燃え具合も揃ってて・・十年鍛錬ひても、身につくか言うほどむつかしことをば・・・こりゃほんまに・・・雑賀やわえらのように、銅やなて、陶器で拵えたんも、ええ事やもしれんのし」
「今の十人は、まあ、放ち手の中でも格別に上手な者やから・・・ほな、ろ棒のまわしいたせ」
予め決めてあったのか、五十人の足軽姿の若者達が、十人づつ五列にずらりと並ぶ。
的が、人形の大きな物に取り替えられる。的までは、一町(百十m)もある。
「ころ棒を出せ。宛がえっ。構えよっ。放てえっ」
十人は、わずかな助走で、左手で支えたろ棒の後端に宛てがったころ棒を、右手で力いっぱい押し出す。
十本のろ棒は、上下にわずかに撓りながら、ほぼ無音で真っ直ぐ飛んでいく。
目で追えない位の速さで飛んだ、十本のろ棒は、ばしゃっばしゃっと的に刺さり、突き抜く。
それが繰り返され、十個の的は跡形も無くなる。
信長が言う。
「上出来。人数の入れ替わりも迅速であった。皆の者大儀。この三人はよ、根来の鉄砲放ちの手練れだわ。様々、新しき道具を持ってきてくれたでよ、その使い方やら、戦陣での心得など、其方等に教えるが役目だでよ、只今より、各々(おのおの)が師匠、頭分と心得よ。判れば下がって休め」
「ははあっ」
と、着物まで汗で濡れた三百人が、一斉に片膝を突き頭を下げる。
三百人が去る。
それを待っていたかのように、二人が奇声を上げ、翠海は無言で飛び跳ねたから、大地が揺れる。
「何さらしとんのや、われらあっ」
一益が怒鳴る。
一鶴が答える。
「寿いどるんじょ・・・あげなもんあったら、ほんまに此方は無敵やのし・・・それが嬉しゅうて、嬉しゅうて、跳ねずにおられんのやよし・・・あははっ、あははっ」
「お殿様の御前やないか・・・たいがいにせえ」
「あっ、お殿様、御許しなひて」
「左近将監、怒るな・・・童の為様がようなもんだがや」
「われんたら、屋敷へ戻れっ」
叱られて、すごすごと去る三人を見て、信長が笑う。
「可愛ゆきもんだがや・・・ほれにしても、三人とも身が軽いの・・・高下駄で、飛ぶように走ったがや・・・」
「お殿様と、初めて御会いした頃、言うた覚えあるんやけど」
「うん」
「あれらは、坊主ゆうても、行人方ゆうて、経文だけは、そらんじてるけど、あと坊主の務めなどは、なんもできしまへん・・・戦稽古だけしてきたんでおます。ゆうたら阿呆なんでおます・・ほやけど、性根は真っ直ぐで、勇猛なんは、抜きんでてます。阿呆やから、御無礼重ねてもうて・・・肌身合わせての取り合い(白兵戦)かて、余程の者にも負けしまへん。そやから、阿呆やけど、何とぞ何とぞ、末長う」
「何を案じとる・・・俺はあのような、武辺一途の者達は、愉快に思うだけで、小気味ようて、むしろ好ましいがや・・・三人の業前と心根は見極めた、と言わなんだか。左近将監、親心だの。そのようなことは案じんでええ、ええけどよ、三人の眼はよ、時折、妙に光るなっ・・・てて様も政秀も古い家来共も、おんなし眼を、時折しとった。あっ、あははっ、政秀はしとるだった」
「御意。斬人ただけに重ねると、あげな眼ぇになるんやと・・・眼ぇのすわりが、尋常やおまへんよって、いつかおとさんに聞いた覚えが・・・獣の眼ぇですわ。大殿様も、平手様も、戦でただけに殺生しなはったからやないやろか・・・お殿様も、わてもいつかは、あんな眼ぇに」(斬人=殺人)
「左近将監、如何した・・・何やら常と違うがや」
「いや、よけのまい(余計)ゆうて」
「なんとのう判る。鳴海の戦でようけ死んで、其方は手負いの手当てに、駆け回っとったもんな。血止め薬無くなってまって、嘆いとったもんな。ほんだけどよ、これからの我等の殺生はよ、あゆちの為だがや。それをして、神罰とやらが下るなら、仕方無ゃあで、地獄とやらへ行くだけだがや。先に行ったもんが、後のもん案内してよ」
一益は、目を伏せて聞いている。
「おおかたよ・・・あははっ、てて様は、今頃は地獄におらっせる(おみえになる)でよ。てて様の家来衆も、ようけ一緒におるはずだわ。俺やそなたが死んでも、まさか得物は、地獄までは持ってけんだろけど、仏に成りゃあ、仏前に供物くりゃあ、供えるだろう。ほんだでほれを土産に、閻魔や牛頭馬頭に取り入ってよ、てて様や家来衆と、あやつらの弱みや好みを探る智恵絞ってよう、あやつらを調略してよ、隙見て追い出し、地獄を乗っ取ってまやあええがや。挙げ句は、てて様を盟主に担ぎあげて、地獄を極楽にしたりゃあええがや。ほんだでよ、眼の事みてゃあ、案じんでもええんだわ。あははっ・・・ほうだろう、一益っ」
普段使わない、一益の呼び名は、信長の親愛を表し、一益もそれを感じ取る。
「あははっ、ほうでんな・・・閻魔大王や地獄の軍勢を調略して・・・あははっ、そら豪気やっ」
次の朝、信長と一益に六人衆、三人衆は、城内の広い馬場で、槍衆、弓衆に徒衆、騎馬衆の鍛練を見ている。
暫くして風が、いつの間にかいなくなるが、信長以外は気づかない。
「織田様の槍は長いのし。三間半かの・・槍衆の進退もええのし。繰り引きが出来てるのし」
信長が聞く。
「一鶴、繰り引きとはなんかのう」
「あげにして、新手新手と入れ替わって押ひ出すやり方やのし・・・松永や淡路の篠原長房、雑賀の槍衆は、あげな進退が巧みでのし。ほいでも、あの長さの槍なら、彼方のは届かんのやし。戦法の名ぁなぞ、どうでもええのやし」
「こりゃ、一鶴、物言い、まあちいと気ぃつけんかい・・・お殿様やで・・・ど阿呆っ」
また叱られて、一鶴が項垂れる。
「あははっ、よう叱られるのう・・・ええええ、ほうか、繰り引きと申すのか・・・一鶴よ、あとの軍勢は如何かのん」
「へえっ、弓衆も皆、二町で角(的)に外れ無し。並みの業前やないよし。徒衆の方々も、進退を良う心得てはって。合戦では、ああひて、固まったり、散らばったりが、速うにできなあかんのでひて。騎馬の皆様も、一丸となっての動き、お見事やと」
すると、風が小走りで信長の元へ来る。
風は信長に、何事かを囁く。
「犬山の外れにて、曲者を、ようけ討ち取ったとの報せが来た。俺は検分に行くで、其方等は、政秀を仰ぎ、城の護り固めよ。馬曳けえっ」
信長に一益、六人衆は小具足姿で馬に乗る。
鍛練中だったから、完全武装の小姓衆、馬廻り衆、二百人が続く。
他の軍勢は、城の守りにつく。
根来三人衆は、来た時と同じ格好で、走り出す。三人は、腰に、長い脇差しだけを差している。
信長達は、三人衆に構わず、速歩(時速十五km程)で駆けるが、三人衆はちゃんとついてくる。
信長が気づいて、笑いながら風に聞く。
「あの身体ではよ、乗る馬はおらんわの。ほんだけど、高歯の下駄で、よう走れるのう。逃げた二人は忍びかの・・・」
「国境警備の者共、曲者共が、御領内に押し入るんを図ってるんに気付き、曲者が、御領内に踏みこむ前に、津島に鳩飛ばし、五十人を呼び寄せ、押し包んで討ち取ったと、使いの者が言うてまっさかい。忍びでなては逃れられまへん。ほやけど、影らが三匹で追ってまっさけ」
「ほうか・・・ほしたらな・・・」
清洲から、犬山までは、直線距離で五里だから、実走は七里もある。
犬山に行くのに、幅広い於台川は渡らなくてよい。
細い流れは、数え切れない程あるが、信長達は、地理を熟知しているから、巧みに馬を操り、最短をゆく。
一刻も懸からず目的地に着く。
鎧兜の小姓馬廻り達は、汗が止まらない。
先頭の風が、右手を上げて一行を止める。
そこは犬山城の東北、継鹿尾山の山裾で、由緒ある寂光院寺の寺域だ。
風が、馬から降りて、信長に近づいて小声で何かを伝える。
信長が頷き、一益を呼び寄せる。
一益もすぐ頷き、大声で命じる。
「曲者の検分は、お殿様が、しなはるさけ、わてらは、まだ潜んでるかもしれん曲者を探す。寂光院内と辺りを念入りに探せ。清洲の軍勢と名乗ってええさけ、寺のもんに立ち会わせよ」
小姓衆、馬廻り衆が、直ちに駆け出す。
一益が続けて命じる。
「一鶴と二人は、この場所にて、人の出入りを見張れ」
僅かに遅れて到着した三人は、全身水を被ったように汗をかき、さすがに肩で息をしていてる。
風が先導して、山裾を少し登る。
信長と伊賀の五人、使者として清州へ来た、びとの一人が続く。雪丸だけが、葛篭を馬に括りつけている。
森に入ると、五人の柿色装束の忍者が、木陰から姿を現し片膝を突く。
信長達は馬を降り、五人に続く。
一町程登ると、岩場に出る。
大岩の上に踞っていた者が、気づいて、三間ほどの高さから、ふわっと飛び降り、信長の前に片膝を突く。
風が言う。
「お殿様、此奴が、此度の頭分でおます」
「ほうか。役目大儀。名は」
その若者は、覆面を外している。
そのバランス良く整った顔の色は、真っ青だが、汗は見えない。
「へえっ。わては雪丸同様、神部の旦はんの寄り子で、鉄三ともうしまする。二人逃がしてもて、えらい不調法しでかしてもうて。申し訳もありませぬ」
「んっ、何を申す。二人以外は討ちとったのであろう・・・褒めはしても、叱責などは、あるはずもなし・・・配下に手負いはないか」
鉄三は、無言で頭を下げ、肯定する。
「曲者は・・・案内いたせ」
鉄三が先導する。
岩場を回り込むと、そこは傾斜のある草原になっている。広い範囲が激しく踏み荒らされて、血が草に飛び散り、すでに乾き、激しい闘争があったのが良く判る。
百人程のびと衆が、ずらりと膝を突いている。
柿色小袖と山袴姿の忍者達は、直刀を差し、覆面のまま、目だけを出している。
額の部分が、僅かに汗に濡れている者が多い。
使者のびとは、その中へもどる。
その後ろに、曲者五十人程が、東向きに寝かされている。闘争の場に付き物の血の鉄錆の臭いは、それほど強くはしない。
しかし、汗臭く、革の臭いもする。すえたような臭いは垢の臭いか・・・更に糞便の臭いも微かに漂う。
藪蚊が飛び回り、襲ってくるが、信長は目の前の惨状に、痒みも覚えない。
見上げれば、空には、陽射しを時折遮るほどの、烏の大群。鷲や鷹、隼に鳶も、少ないがその姿が見え、その群れが円を描いて飛んでいる。
死体の群れの横には、その者達が使ったらしき武器と、持ち物だった葛篭や胴乱、薄汚れた、背負い袋なども集めて置いてある。
倒れている男達の姿は、様々だ。
乱髪に鉢巻、半首と呼ばれる、額と頬を覆う面頬をつけている濃い髭の男。その額の辺りは何かで突き破られて、血が固まって赤黒い。その姿は布子の上に、腹巻(胴鎧)だけだ。
総髪に、額当て(額を覆う防具)を巻き、褌に籠手と臑当てだけの者は、下腹から腸がはみ出していて、やはり髭にまみれている。
黄ばんだ歯を、むき出して死んでいる者は、両頬と顎を覆う、半頬をつけ、鼻が全て陥没していて、身に沿ぐわない、豪華な陣羽織を、素肌の上に着ている。
筒袖に、獣の革の袖無しの男は、口部分だけは開き、鼻と両頬と顎を覆う、目の下頬を革紐で顔に縛りつけ、その腰には、盗賊の印の様な、犬の生皮の尻当てがある。その前歯は数本折れていて、口の中は赤黒いのが判る。
中には、鎧兜姿の者もいるが、色や意匠がちぐはぐで、寄せ集めだとすぐ判る。
坊主頭に、烏帽子を被り、白絹の単に革袴の男は、大きな黒数珠を首から下げている。その男は、片耳が頭皮ごと斬り落とされ、白い頭蓋が見えていて、片腕も肘から先が無い。
他も似たり寄ったりで、盗賊を生業とする者達なのは明らかだ。
髪がある者には例外無く、シラミがわいていて、シラミが、まだ、もぞもぞ動いているのが見える。
曲者全員の手足が、爪中まで真っ黒で、擦り切れた草鞋や、足半(かかと部分のない草鞋)を半分程が履いているだけで、残りは素足だ。また、どの身体も垢に塗れているのが、一目で判る。
信長は、さらに死者を入念に見て回る。
殆どの者は、髭まみれで、髪も脂でぎとついている。
ある者は、額に一寸程の丸い穴が空いて、透明な脳槳が流れ出している。
ある者は、片目が潰れている。
ある者は、頭の横の面頬に穴が開いていて、血が既に固まっているのが判る。
目に見える傷がない者達の顔色は、赤紫で、顔は腫れている。
数は少ないが、首に穴が開いている者や、胸辺りに刺し傷がある者は、血が大量に出たのか、身体全体が縮んでいるのが明らかだ。
「斬ったようには見えぬ者が多い。人数の割りに血が少ない。如何に討ち取ったかのん」
すると、びと衆の中から、十人程が膝行してきて、それぞれの使った武器を捧げ持つ。
一人は重そうな、直径一寸程の鉛玉。
一人は長さ五寸程の棒手裏剣。
長さ二尺の吹き矢と小さな弓。
鍛鉄らしき、六角形の何かは、直径一寸五分、厚み三分で重そうだ。
何人かは、同じ武器を捧げ持つ。
全ての武器に、血糊は見えない。
回収の折、拭うのは、彼等には当然だ。
「その小さき弓の使いようは・・・」
問われたびと衆の一人が、折り畳んであった、その弓を組み立てる。
鯨のひげを張り合わせて弓弦とし、一尺の細板を二枚、蝶番でつなげた短弓は、八寸の銅製の矢を使い、十間までなら、貫通力が強い。
「丸玉や、印地打ちの石が如き得物は、投げたのかの。手裏剣や小弓は言うまでもなかろうが。顔色が変わっておる死人は、如何に」
鉄三が、顔を上げて答える。
「仰せの通りでおます・・・棒手裏剣、鉛玉に六角の鉄礫は、当たれば頭蓋を砕きまする。顔の変わりは、吹き矢と棒手裏剣、銅矢に塗った附子毒の働きでおます。本意やなかったけど、刃向かうてきたさけ、万やむを得ず」
吹き矢の根元は、漏斗状に広がっている。
それを捧げ持つ、びと衆の一人は、鉄針の矢もみせる。
「ほうか。ようやった。皆の者大儀である。ほれにしても、鉄三よ、其方の顔色、優れぬな」
「御恥ずかしい事で・・・わてら皆、人を殺わしたんは、此度が初めてなんでおます」
「ほうだったのか・・・初めてなら、誰しも同じじゃ・・・俺とて、初陣の折は、惨状に歯が鳴り、涙は止まらず、身体も震えて往生した覚えがある。恥じることはない。顛末は」
「此奴らは、山賊やと・・・おおかた東から流れてきて、そこの古い寺、狙うてたんやと。影らが気づいて、わてらを導いてくれたんでおます。三匹は一緒にいてた訳やないやろけど、どれか一匹がこの辺りを警護してて、気づいてからに、あとの二匹呼んだんやろと。吠え声が聞こえたさけ」
「ほうか。三匹がのう」
「率いてた忍び二人が、どこのもんかは判りまへんが・・・此奴らを上手に煽ってから、この阿呆共が、騒ぎ起こしてる隙に、御領内の探索図ってたんやないかと」
「寂光院寺は、由緒の古刹故、宝物もようけあるであろうからな・・・火付けでもされたら騒ぎになったわな」
「予てよりの御下知により、いきなり攻めてはおりまへん。立ち退くようにと、三べん警めを。番衆(警備の一般の侍)を真似て発したんやけど・・・せせら笑いよって」
「ようわかった。其方らがような手練れが大勢、守りを固めておるとは思わぬだろうからな。忍び二人は、それを覚り、山賊共を贄(犠牲)と致し、その隙に慌てて逃げたのであろう。されば其方らに手落ちは無し・・影らが追っておるそうじゃで直に・・・賊の得物を見ようか」
鉄三が先を行き、武器が集めてある箇所に近づく。
野太刀、打ち刀、槍、薙刀、長巻き(薙刀より刀身が長く、柄が短い武器)金砕棒(棒の先端に尖った突起がある打撃用の武器)、鉞、半弓、やがらもがら(太い棒の先部分に、袖絡みの突起があり、先端が刺叉もしくは、三叉か五叉になっていて、敵の衣服に引っ掛かけて倒したり、そのまま殴りつけたりする武器)、鎧通しなどが乱雑に重ねてある。
刀の柄巻きは解け、鞘の塗りは剥げているものが多い。
鉄三が言う。
「得物の出来が様々で、斑にござりまする。立派なんから、奈良刀並み(鈍刀の総称)のもんも。そやから上物は、分捕ったか盗んだんやろと。どれも、ただけに研ぎ減ってて。それと、まだ新しい、拭うても消えへん血糊が、おおかたの得物に、微かに見えまする」
それを聞いた信長が、野太刀を手に取り、刃を見る。
「確かに・・・研ぎ痩せしておるの。血糊も見える・・・賊の持ち物やら懐中は探ったか」
「まさか、大殿様が御出張りとは、思わへん事やったけど、どなた様か、御検分役の御方が御見えになるまでは、そげなまねはせえへんのが、もっともな(当たり前な)事やと」
「うん。よき分別。されば探ってみよ」
鉄三が、手真似で配下百人に、それを伝える。
百人は、一斉に手分けして取りかかる。
「風よ、其方らはよ、寂光寺行って、道具借りて参れ。寺じゃで、墓掘り道具などあろう。曲者共を埋めぬばならぬ・・・俺の家来と言うてええ」
「ははっ」六人衆が駆け出す。
小半時(三十分)程で、色々な持ち物が集まる。
びと衆の一人が、大きな布を取り出して、信長の前に広げる。
その上に、次々と置かれたのは、金銀製の様々な仏具、見た事のない植物片。砂金の粒や銀の塊はかなりある。立派な拵えの懐剣。紐で括った一文銭。値高い白糸、赤糸。上質の絹糸もある。幾つかの巾着を逆さにすると、びた銭や一文銭が、ざらざらとこぼれ落ちる。
そこへ六人衆が、縄で括った穴掘り道具を、山のように担いで戻り、その場に降ろす。
すると森の奥から、小さな唸り声が一度だけ聞こえる。
信長と雪丸が同時に気づき、雪丸が言う。
「お殿様、これにて御待ちを・・・・」
雪丸は、山を飛ぶように駆け下りて行く。
見えなくなった姿がまたすぐ見えて、雪丸が葛篭を担いで、駆け上がってくる。
その速さは正に人間業ではない。
「・・・凄えのん。猿、いや猿神が如しだがや」
息も乱さない雪丸が膝を突き、信長を見上げて言う。
「影らが戻ったようやけど、ちいと気配が荒れてるようやから、わてがまず、見て参りまする」
雪丸は、葛篭を担いだまま、森に消えて行く。
小半時のそのまた半分で、雪丸が消えた森から、口笛のような音がする。
風が言う。
「お殿様、雪丸が呼んでおりまする」
「うん・・・津島の者も後に続け」
五十歩も登ると、木々の間に、狼三匹が踞り、クチャクチャと何かを食べている。
その前の斜面には、雪丸が立ち、狼達を、じっと見ている。
雪丸の後ろには、悲惨な姿の亡骸が、二人分転がっている。
一つは、頭部が完全に潰れていて、赤黒い血痕と黄色っぽい粘液で、髪がごわごわになっていて、顔の皮膚も穴だらけで、顔全体も血塗れだ。その男の身体は、腰の所で後ろ向きに、有り得ない角度で折れている。
もう一つ、いや二つは、腰の辺りで引き千切られたような、一人分の亡骸だ。
手足は、深い傷跡だらけで、膝や肘、肩の部分が千切れかかっている。
顔全体も、咬まれたようで、片方の目玉は消失し、頬は裂けて歯茎が見えている
二人ともに、百姓のような野良着に脚絆、草鞋姿だが、その衣服は、咬み破られて、ぼろぼろになっている。
「実に凄まじき様だの・・・」
惨い亡骸を見ているはずなのに、全く動揺を表していない雪丸が、振り返って言う。
「お殿様、影らぁも、人を殺わしたんは、これが初なんでおます・・・殺わすつもりはのうて、体当たりかなんぞで、生かして捕まえようしたやろけど、刃向かわれたし、影らの姿を見られたからには、逃がせれへんから、こないするしか・・・ほやから三匹共、つい今まで、ちいと血ぃが登ってたさけ、わてが宥めて、好物の猪の干し肉やったんでおます。もうだんない(大丈夫)んでっせ」
雪丸は干し肉と言ったが、正確には伊賀で身につけた、燻製法で作った猪の燻した肉だった。雪丸は、伊賀から運んだ分が尽きたため、那古野でも作りたかったが、土地勘もまだないし、場所的にも適した所がなかったから、諦め、狼達には我慢させていた。
それが清洲に来てからは、五条川の人の近づけない崖下の、目立たない葦原に偽装した小屋を建て、十日に一度か二度、夜間、密かに作業し、燻製肉を狼達に与えていた。原料の猪は指図すれば、狼達が幾らでも咥えてくるし、小屋は、漆で密閉してあるから、煙はほとんど漏れない。更に、近くに人家は無い所だったから、仲間以外は、誰もそれには気付いていない。
しかしそれは餌としてではなく、伊賀の頃から、狼達が牙の手入れをするためか、何故か欲しがったから、褒美的に与える為で、人の食用とは違い、塩にも浸けず、ただ煙で燻すだけの簡単な作業である。
伊賀では昔から、低温燻製法で肉や魚、野菜まで長持ちさせていたので、雪丸にもその知識はあったのだ。
実り豊か、海の幸も豊富な尾張では、燻製文化が乏しい。雪丸も、他の仲間も、そこまでは知らなかった、と言うより、彼等の本分は、そんな事ではないから、知らなくて当然と言えばそうだろう。
密かに行った理由としては、城の賄方に頼むのは少食の彼等からして不自然だし、信長に願うのも、日頃の忙しさから躊躇われたからだ。
干し肉と言ったのは、干すのも燻すのもそれほど違わないと思っていたのと、単に言いやすかったからに過ぎない。
「ほうか・・・影らは、そこまで心得ておるのか、賢いのう、人と変わりないではないか。葛篭の中身は猪肉であったのか・・・狼共もまことの初陣となったの。影に、剋、白。よう致した。白の育て親の鷹迅が居らぬ故、俺が代わりに撫でてやろう。剋は風、影は雪丸が育て親だったの。撫でたろみゃあか(撫でてやろうよ)」
雪丸が言う。
「お殿様、ほな猪肉がまだありまっさけ、少しづつやってくなはれ・・・こげな嵩の生肉なら、ひと飲みなんやけど、何時までも、こないして噛んでるんは、此奴らは牙の手入れしてるようなんでっせ」
信長が白に近づき、拳程の猪肉を口に翳す。
白は噛んでいた肉を飲み込み、信長の手の干し肉を、上手に咥える。
信長は、思わず、白の上唇辺りを手で捲って牙を見る。
「真っ白だがや・・・雪丸の言い分通りだわ。賢いの・・・見習わなかん・・・あははっ」
信長と風と雪丸が、それぞれの狼を撫でる。
信長は、白の頭部を撫でて、そこが、かちかちに固まっているのに驚く。
「松脂だったの・・・鎧のようだがや」
三匹は気持ち良さそうに、小さく喉を鳴らす。
信長は、三匹が何か話すかと思い、封印を解いたが、それはなかった。
すると、影を撫でていた風が唸る。
「おっ、なんぞあるで」
と、手で引っ張るが取れない。
風は、脇差しを抜いて、影の、ばりばりの頭毛を、かき分けるように少し切る。
やっと取り出したのは、長さ三寸半位の、見慣れない諸刃の武器だった。
「なんやこれ・・・」
取り巻いているびと衆が、代わる代わる見に来る。
誰も判らないのか、皆無言だ。
「お殿様、この二人は身体付からしても、逃げた様子、鉄三に聞いても、忍びでおます。やけど、どこの者かは判るような物は、これだけやから」
と、風がそれを信長に見せる。
「此奴らの得物であろうの」
「影らに追われて、これを仕舞いに使ったんか、他は走りながら捨てたんか・・・忍びなら逃げてもっともやし、捕まるわけにはいかんから、捕らまりそうになったら、己で己の顔潰して、自害するんが、忍びの定法やけど、影らが素早いから、その間ぁが無かったんやないかと」
「なにっ、己でっ、されば其方らも、そのような目に会えば・・・」
「へえっ」
信長の顔色が変わる。
「それは成らぬ。たった今下知致す。其方らが捕らわれたなら、どこであろうと、俺が必ず取り返しに行く。我が軍勢に、びと衆全て率いてでもだわ。されば自害は厳禁じゃ。他のびと衆にも伝えよ。俺がいくまで耐え忍び、寝返りし振りをしてでも、生きておらねばならぬっ、ええかっ。肝に命ぜよっ」
普段と違う剣幕に、六人衆が驚いた顔をし、百人はただひれ伏す。
「忍び二人の詮議はよ、戻りた後、やり合ったびとの者らから、聞き取りをし、またその見慣れぬ得物を調べてから、改めて致す」
「ははあっ」
「ほしたらよ、穴を掘りて、賊共を埋めよ。得物も持ち物も、埋めてまえ。俺もやる」
「お殿様、あの財宝は如何致しまするか」
と、鉄三が聞く。
「あっ、ほうだな・・・う~ん・・・」
暫く考えた信長が言う。
「・・・ほうだ、寂光寺に寄進したれ。賊共が奪った財貨、奪われた者共の、怨念が籠もっておろう。仏門ならば、浄め祓う法を知っておって然るべきだわ。寺域の借り賃だがや」
信長までが鍬をふるい、全員で穴を掘る。
得物も持ち物も、全て穴に放り込む。
亡骸は、やはり東向きにして穴に降ろす。
信長も、六人衆もびと百人も、汗塗れになり、穴を埋め戻したのは、到着してから二刻後だから、辺りはもう薄暗い。
全員が蚊に刺され、手や顔は、赤い腫れだらけだが、それを口にしたり、痒みを訴える者はいない。
「よし・・・皆の者、愚かな悪人輩が生まれ変わって、善人になるよう祈ってやろうかの」
土が剥き出しになった、盗賊の墓の真ん中には、抱えるのがやっとの、丸石が転がされて運ばれ、墓標代わりに置いてある。
信長に習い、全員が手を合わせる。
「されば、清洲へ戻る。其方らは」
鉄三が答える。
「まだ、交代の時やおまへんよって。わてらは、引き続き、国境を守るんでおます。呼び寄せた五十人は、津島へ帰りまっけど」
「ほ、ほうか・・・」
信長は、厳しい任務を、健気にこなそうとする、びとの若者たちに感極まる。
「ううっ・・・」
それを察したのか、風がわざと明るく言う。
「お殿様、ほなわてら六人で、御宝を寺に届けて参ります・・・御後を追いまっから」
信長は頷くのがやっとだ。
びとの六人衆は、重い財宝を載せた布を全員で持ち、山をおりて行く。
信長は、びと衆の一人が、下からいつの間にか曳いてきた馬に乗る。
津島へ帰る五十人と、国境警備の五十人はその場で信長を見送る。
少し降りると、一益と従ってきた家来達、根来三人衆が、片膝を突いて待っていた。
一益が近づき、信長が小声で、事態を手短に説明する。
一益が了解し、全員で清洲を目指す。
・・・・だれもいなくなった、山中の墓の丸石の上には、名も判らない野花が束にして、いつの間にか置いてある。
根来寺は、当時、和歌浦と呼ばれた、海から、それほど遠くない位地にありました。それなのに、なぜ、一鶴達や、恒蔵達が、信長が提供した、海産物を初めてかのように驚いて、食べまくって、激賞したのか?その説明がありませんでした。正直に言えば、私がその事に全く気付かなかったからです。今更ですが、その説明を書き加えました。本日は、2025.12.8です。すでにお読みになられた読者様には、お詫びするしかありません。筆者としては、その皆さまの、再読を願うばかりです。大変申し訳ございません。
更にそれに関した説明を書き足しました。本日は、2025.12.21です。申し訳ありません。




