あゆちのびと衆 第一章 その十八
五条の湯
物語は、伊賀へ六人衆の家族が尾張へ来る事を誘い、信長警護の追加の一人について鳩を飛ばした日辺りまで遡る。
たった三日で、その一人はやってきた。
真夜中のいつもの仮小屋。
信長と一益、五人の前に、侍姿の若者が平伏している。旅支度のままだ。右側に大刀を置き、その横に五尺五寸程の黒光りする棒もある。
日に焼けた顔に、大きな眼。締まった身体で、丈は五尺二寸で並だ。両手はやはり革手で隠している。
一益が信長と己を紹介し、若者に言う。
「お殿様に御色代しなはれ」
「此度は、御召しにより、勇んで参上仕りまいた。手前は、伊賀は町井清兵衛貞信が寄子、春太と申しまする。以後万端の御引き回しを御願い上げ奉りまする。歳は十六でござります」
信長が背後が明るい春太に笑顔で答える。
「素早き参着なによりだがや。だが其方は伊賀言葉は使わぬのか」
「うへっ、恐れいり奉りまする」
「いや、咎めてはおらぬ・・・何故かと思うただけじゃ」
「え~ほな。わては術比べに勝って、尾張行かれると喜んでたんやけど、御役目がお殿様のすぐ傍でやと聞いて、御目にかかるときの色代がまほに(まともに)言えるかど~しょ~に(どうしたら)と案じてて」
「なんじゃ、やはり伊賀言葉だがや。春太よ、慌てずとも良い・・・まず茶など飲め。闇を駆けてきたのであろう」
信長が目を細めて言う。
春太が茶をがぶりと飲み、続ける。
「へえっ・・・海路は別に、三刻もかかってへんのでおます。あっ、そやからそれを町井の旦那はんに言うたら、旦はんが、色代の時はこないに言うんやでと紙に書いてくらはって、わてはその紙見て覚えたままを言上したんでおます」
「あははっ、ほうか。難儀したの・・・されば只今より我が黒母衣衆として励め。五人に聞けば何事も判る。其方の支度は、百里佐(鷹迅)の仮小屋に整えてある。ほれから、其方が家中で名乗る名はよ、俺が朝までに案じる。俸禄はいずれ五人と同じにするが、暫くは先着の三百名と同じ五十石じゃ。春太来着の祝いに酒飲むぞ。余りに急で、肴はたいした物はないがのう。時にその黒き棒は其方の得物か」
「へえっ、鍛鉄棒に竹割りを巻いて、漆塗りにした杖でおます。わてはなんぼかこれが使えるんでおます」
信長は例により、それ以上は聞かない。
また六人衆となった若者達が、皆、少し酒を飲み、再会を喜び話し込む。信長も一益も普段よりは多く飲む。酒の肴は干物と漬け物だけだ。
信長の手元には、家督相続の折に百地から渡された伊賀、いやびと衆の人別帳がある。
分厚いそれには、各家毎の頭、小頭、寄子の名がびっしりと書いてあり、個々の名の横には、その者の特に秀でた業が書いてある。忍者が当たり前に身につけている業は書いてない。特に秀でた業が無い者の横は空いている。例えば、風には走術。右には吹き矢。鷹目の横には夜目、遠目とある。柱は小太刀の達人で、不知火は火術。雪丸は獣使い。そして春太は杖術の名手と判り、笹百合の横には小具足術(小刀を使う柔術)と書いてある。
だが信長は多忙で、まだ殆ど読めていない。
次の朝、国境警備のびと衆組頭から急使がくる。
一益が文を読み、信長に聞く。
「今川の手の者らしき、間者を二十名ばかり捕らえたさけ、迎えの軍勢、鳴海まで、寄越してくれ、言うてきてます・・・びとの者は鳴海城の者らには己等の忍び姿見られんよう、間者らが誰や判る書き付け張って門前に縛って転がしたるそうでおます」
「早々と・・・行き届いた手並みだの。されば、右近(長谷川右近橋介)に騎馬衆二百人付けて行かせよ」
二刻程で、軍勢が戻る。騎馬武者に取り囲まれて、捕らえられた二十名程は、後ろ手に縛られ、目隠しをされ数珠つなぎになって歩いてくる。
「お殿様、成敗しまっか」
「いや、いっぺん、銭で転ぶか試してみよまい。見た目は如何・・・やはり忍びの者共かのん」
「いえ、忍び言う程やおまへん・・身分の低い者らの、まあちいと身の軽い、脚がある者らやと・・・歩む様見ても、業の心得なぞは無いようやと」
「ほうか。無傷かのん」
「びと衆からしたら、あげな者共は、じょうだい(おおかた)赤子みたいなもんやさけ、当て身か手刀で、かなな(簡単)事やったと」
「如何にして見分けたのかのん」
「お殿様、それが出来てこその忍びでっせ」
「あははっ・・ほうだな・・・聞くまでもない事であった。ほしたらよ、聞き取りやってくれ。出はどこで、褒美の嵩、受けた下知の次第くりゃあか」
「ははっ、早速に仕る」
「お殿様、二十名は、駿河やなしに三河松平の安祥城の足軽や荒し子でしたで・・・何で笠寺やら鳴海やらがつなぎ(連絡)絶ったか調べよ、言われて来た言うてます・・・褒美などはなんもあらへんそうでおます」
「ほうか、ほしたら、一人づつによ、此方へ寝返れば四貫文(約六十万円)くれてやるがどうじゃと聞いてみい」
「否めば」
「斬首と」
「足軽二人、どう言うても、裏切りは出来へん言うてます。見せしめに殺わしまっか」
「忠義者殺めるは忍びない。刑場へ連れて行くよう装い、牢へ入れときゃあええわ。他の者には成敗されたと言うてよ。髭丸が様、使い所あるやもだでよ」
「畏まりました。ほなあとの者らは、銭やって解き放ちまっか」
「うん。間者共が主に報ずるのはよ、笠寺も鳴海、桜中村も、油断がありて、あり過ぎて、此方の急な攻めに応じられんと滅ぼされた故、つなぎ絶たれたようだといたせ。以後はここ清洲からのつなぎを待てと。また、裏切りが偽りで、捕縛の折のびと衆の事など漏らしたら、次は当て身や手刀では済まぬともな」
駿河の国、駿府の今川館。
駿府城下は、西の京都と呼ばれる山口に対し、地名に愛宕、北山、西山、清水等がある、東の京都と呼ばれる雅やかな町だった。
今川家は足利一族で、将軍に継子なければ継ぐ権利を持つ超名門だ。信長からみた身分差は雲泥だ。
信長の勝ち戦から二十日後の事。
駿河と尾張は五十里も離れているから、指令、情報のやりとりに時間がかかる。
室町幕府の、遠江駿河守護。海道一の弓取りとの呼び声高い、従四位下今川治部大輔義元が、軍師の太原崇孚雪斎に聞いている。
白生絹の狩衣に立て烏帽子姿で、馬に乗れない程の太った体躯。歯は鉄漿で黒く染め、薄化粧に唇には紅までさしている。
言葉は応仁の乱以後、都からの大勢の落人の影響で、京風だ。
見た目は、闘う武将にはほど遠い。では義元は愚かで臆病な凡将かと言えば、それは全く違う。軍改革も果断に行い、領地経営も硬軟織り交ぜて巧みだし、東の北条や北の武田とは、戦ったり和睦したりを繰り返し、バランスがとれた辣腕家なのだ。現にこの時から三年の後、婚姻外交を駆使し、甲相駿三国同盟を成し遂げるからその手腕は非常に優れているのだ。彼の態は、代々、京文化を受け継いでいるからこその、公家風の化粧や鉄槳であるだけだ。
義元はこの時、三十二歳。
「戸部やら山口親子からのつなぎ絶えし訳は判明したのやら」
「つい先程、安祥(安城)城からの急使が参りまいた・・鳴海には、織田弾正忠家の手勢が居り、笠寺砦、桜中村城に沓掛城は跡形も無くなり、中でも笠寺砦は燃え落ちたようにて・・・油断重ねて、突如に攻められたようでござる。また、鳴海の原に二つ、笠寺砦跡に二つ、桜中村城跡に一つの塚が建立されつつあるようでござります・・更に鳴海城前には、朽ち果てし首二つと磔にされた遺骸が十一、名札付きで晒されておるよう」
雪斎は、禿頭にがっしりした身体。
思慮深さが、顔に現れている名軍師だ。
この時、五十二歳。
「首二つは山口親子か・・・磔十一は戸部等、我が将の数と合うやないか・・名札は確かめしか」
「鳴海城近くにして近寄れず、遠目ゆえ確とはいたしませぬ」
「それに塚やて・・五百からの我が手勢が一人も戻らへんのは織田の小倅に討たれたからか・・それで、我が股肱は晒され、残りは塚に葬られたんやと・・塚に名は」
「塚は建立中にて、名は未だ。ただ鳴海の原と笠寺の塚の一つは、馬を葬ったようにて。
つなぎが絶え、小者のひとりも戻らぬは、それらの様からして、山口以下全て討たれたからかと」
「阿呆なっ、ほなら二千は居った山口勢は」
「わかりませぬ・・・辺りを調べようにも、織田方の警備厳重にて、なかなかに近寄り難く、二人討たれて、ようやく判ったのが只今申し上げた様にて」
「蟹江を奪われ、荷之上の服部とやらの土豪も追い払われよって、此度はまた家来が大勢討たれてもうては、余の面目立たたへんやないか」
「蟹江奪われしは、板倉が如き痴れ者に城代お任せになられた御屋形様の責にて」
「余を責めるんか・・・あれは格別の者やからええんや」
「攻められて、一当て(一戦)もせず、髷まで落とされ、言われるままに恥晒し、しゃあしゃあと戻りしあの者を、また変わらず御傍に侍らせるとは・・・家中皆が嘆いておりまする」
「黙りゃっ・・・雪斎っ・・差し出がましき申し状・・そのままには置かへんえ」
「御怒りになられても、諌言は我が務め・・増してこれは諌言にはあらず・・真を述べたまで・・御堪えならぬなら御手討になされませい」
「ううっ、判った。判ったから、もう言わんでええ・・・そやけど、鳴海辺りに居った我が方が二千五百・・織田弾正忠家は掻き集めても二千ほどではなかったんかえ」
「三河守(信秀)没前後、清洲城は弾正忠家が抜いたと、山口教継が、此方へ寝返りし時、報じて参りしましたが、その後は詳らかではありませぬ」
「例え油断重ねておりしと言うても、此方は僅かやけど多勢・・・短日で三つも城砦を抜かれてまう(奪われる)とは得心いかへん。
探らせよ・・松平ではあかん・・・心許ない。此方の心効きたる母衣の者、三十騎程出しなはれっ」
「成りませぬ・・・御屋形様は、もしその三十名が討ちとられでもしたら、如何なされます」
「知れた事・・・尾張へ攻め入るんやがな」
「さすれば、北条、武田は」
義元が言葉に詰まる。
「此度は、戸部等が不覚が敗因とし、これ以上の探索は御止めになりて然るべきかと。
今後の事は、まずは北条武田との仲を整えた後。策は練っておりますれば・・・暫くの御猶予を」
義元は苦り切って、渋々承服した。
信長の仮小屋。一益と六人衆が信長の前に胡座で座っている。
「お殿様、今川の探索は終いやと、思し召しでおますか」
「いや、また来る。今川本家の者共が来るやもしれぬ・・・それに松平に居ると聞いた服部半蔵が手の者が来るやもしれぬ」
風が言う。
「半蔵保長は五十近くでもはや爺。惣領の正成は三河生まれの三河育ちの十かそこらのまだ坊・・・・保長は武家暮らし長うてから、忍び修行はもうしてへんと・・・修行怠ったら、業は使えへんようなるんだす・・・そやから、忍者として恐れなならん者ではないと」
「実に実に(なるほど)」
「保長についてった、服部の家人郎党も然りで、忍び仕事が要る思たら、国に人数出させるつもりやと・・・わてらの今の様、知る術おまへんから」
「ほうか。そう来れば、此方の思うつぼ。
されば半蔵が事は案じまい」
信長が答え、一益が聞く。
「ほな、今川勢がもし来たら、また絡め捕りまっか」
「いやっ、あの辺りの村々や五つの塚に近づけぬよういたせばええ・・・村々には山口勢の手負い共が養生しとるで、その者共から話を聞けば、ろ棒の事が漏れるやも知れぬ・・また塚暴いて死因探ろうとするも防がねばならぬ・・・まあ疵見ても、槍疵にしか見えぬだろけどよ・・秘さねばならぬは、ろ棒ところ棒の事のみ・・・念には念だわ」
「ははっ・・・ほな日夜、警備厳重を一段と余所目にも判るようやらせまっせ」
「うん。ほれからよ、春太っ。其方の名、案じた。伊賀の山名と寄り親にちなみ、町井愛宕尉春太郎と致せ。色分けは、百里佐(鷹迅)が黒を引き継げ」
春太が目を白黒させながら、畏まる。
清洲城の周りや五条川の堤には、無数の桜の木があるが、盛りは過ぎて散り始めている。
そして、那古野辺りの広い畑地には、黄色の花が見渡す限り咲いていたが、すでに全部刈り取られている。
信長が以前に奨励して菜の花を植えさせたからだ。
小六が来て目通りを願う。
「蜂小、猿が事なら、手柄立てた故、士分にしたがや・・・郡方(村役人)で走り回っとるがや・・・読み書き出来るで間に合うようだわ」
「それはよう判っとるがね・・彼奴はよ、古渡の御前様から貰った褒美の二十貫文、俺に推挙の礼だ言って、手下に託して全部よこしたがね」
「ええ心がけだがや」
「んなもん、貰えん・・・男が廃る」
「どうしてゃあ」
「へへへ、尾張の棟梁様には頼み難いけどよ、先々に藤吉郎が銭要るようなるまでよ、預かったってもらえんきゃ。褒美はここに」
「なんだあ、ほんなことか・・・あいわかった。猿には知らせず預かったる。ほれより、川の暴れ防ぐ見積もりは」
「あっ、ほうだがね・・とにかく場所が多すぎだけどよ、幾つかは、そう大仕事せんでも、ちいとは防げるとこ見定めたがね」
「ほしたら、絵図書いてよ、また持って参れ。したが、蜂小よ、何故にそれほど猿に肩入れする」
「う~ん。人となりかなあ。彼奴はよ、大ぼらこいても嘘偽りは言わんのだわ。性が朗らで、腰低て」
「判った判った・・・また長々と褒め言葉は敵わん」
夜になり、信長の仮小屋。
「左近将監、他でもない。俺も其方も多忙にまみれて、後々になってまったけどよ」
「甲賀の事でんな」
「ずばりっ・・・それともう一つ」
「仰せ下はりませ」
「鉄砲の張り立て(製作)だわ・・領内でやれぬかのん」
一益が考え込む。
やがて・・・
「根来門前町に、手練れの芝辻清右衛門言う鉄砲鍛冶がいてまして、年老いてるし、親玉やから其奴は無理にしても、その弟子がただけに居てまっさけ、そん中から勧誘してみまひょか・・・根来寺のわての縁者に合力頼んでみまっせ・・・此方の頼りは」
「黄白」
「流石、お殿様」
「否応言えぬ程の黄白で、度肝抜いたろまい(抜いてやろう)」
「甲賀の事は、手前に御任せ頂けまっか」
「うん。駆け引きも要るだろうで、全て任せる。ただ、それにより、甲賀者同士が争う事だけは避けねばならぬ。俸禄その他の扱いはよ、びと衆と同様に致す・・・・黄白は其方が要ると思うだけ持って参れ・・其方一人では運べぬと思えば、津島警護のびと衆、二十人も連れて行けばええ・・・時は」
「ほうでんな・・・二月三月は」
「其方が居らぬは痛し事なれど、鍛練は俺が見る故、頼むっ・・・甲賀者もびと衆に加えたい」
「ほな、びと衆二十人は黄白運んだら、すぐもんらせまっさ(戻す)・・・後は、鳩二十羽程、御借りするんでおます」
忍び鳩は、雪丸の手により、四百羽に増えている。
一益は、大量の砂金と鳩を入れた籠ををびと衆二十人に分担して担がせ、共に西へと旅立った。
濃が手紙を差し出す。
「稲葉山のとと様からやお」
信長が、ざっと読む。
「あははっ・・蝮殿から、御褒めの便りだがや。美濃は俺にくれてやると書いたるがや」
「あれっ、とと様、転合言やあて」
「転合かのう・・・お濃」
犬山、岩倉、守山、その他の中小の土豪、地侍を探った報告が来る。
六人衆と内容を検討する。
「険しき気配は無し・・鉄砲は犬山が三十に、岩倉が二十・・守山はたった五挺だと。あやつらは、未だ鉄砲を鳥脅し位にしか思うておらぬな・・・城内の規律は三つとも今一つ・・その他の土豪共も同様。鍛練はそこそこにはやっとるようだがや」
「この後は」
「そうもずっと忍んどらんでええ。半月に一度探らせることにしよまい。ほれから、国中の城、砦、八右衛門やら前野など土豪、地侍共の主だった者共にも、鳩を分け与え、繋ぎがつくよういたそうか。小六は常の居場所判らぬ故外してよ」
雪丸が答える。
「ほな、わてが滝川様の名代や言うて、鳩の様々教えて回ります」
「うん・・・それほど慌てずともええでよ。務め増えるが頼む。各所に達しは出して置く。鳩の数は足りるかの」
「今、使えるんが四百羽いてますさけ、だんないんでおます」
翌日。表御殿広間。
「あのよ、じい、馬だけどよ・・津島商人に言うて天竺種(アラブ種)を薩摩から購わせとるでよ、馬が着いたら牧場作ってよ、先々は織田家の馬は全て天竺種にするでよ・・・馬はいっぺんには来うへんで(来ないから)、今から、牧場と馬の世話と、増やす勘考できる者を見つけといてくれ」
「ははっ。承りました」
小六が来て、於台川の改良地点を幾つか絵図で示す。
信長はすぐさま、その付近の村々を動員する。
その差配は、村井貞勝、島田秀満が行う。
手間賃が貰えると聞いた村人達は、争って参加する。それほど大掛かりな工事では無かったから、作業は三日で終わる。
銭は貰える、川の氾濫は僅かでも防げるようになり、村人達は喜ぶ。
清洲に始まり、尾張統一に至ったこの時点の信長の人気は非常に高い。
村人達が笑顔で話し合っている。
「まあ、ふんとに(本当に)、清洲のお殿様はよ、何事も行き届いたなされようでよ。ほんのちょびっとの間で尾張統一してまやあて(してしまわれて)」
「名主様が言っとらしたけどよ、笠寺の今川勢は皆殺しになってまったそうだがや」
「戦は強えし、ほんだけど、敵方にもちゃんと御情けかけやあて。塚作っとる言うがや」
「謀叛の山口勢にも、勝った後はよ、見舞いやら弔いの銭、ようけやりゃあたみてゃあだしよ(沢山与えられたようだ)。手負いた者は具合によってやれる仕事与えて貰えるゆう御下知らしいがや」
「おう。討ち死にの城の衆もよ、びっくらこくほどの見舞い貰えてよ、家督の事もよ、ちゃんとやりゃあて。お情けも心得とらっせるわ」
「なんでああも(なぜあんなに)御強いんきゃあ」
「ほりゃあ鍛錬が違うわ。幼にゃあ頃から、小童共引き連れて、国中走り回ってよ、戦のまわし、してこやあたでだわ(してみえられたからだ)」
「わしんたらあ(我々)にも、有難てゃあ御沙汰ばっかだしよ、関所無くなっただけでも、どえりゃあ助かるがや。挙げ句に銭くれて、川の溢れ防ぐ普請までやってくれやあて(くださって)」
「うつけだたわけだ言っとった奴、張り倒したりたいがや」
「おみゃあも、なんべんも言っとったがや。張り倒したろか」
「あははっ、ほうだったきゃ(そうでしたか)」
清洲城内に建設していた、信長の館、重臣達の屋敷。その他の家、長屋等が完成した。
どの建物も不必要な装飾は皆無で、実用一点張りだ。
だが、主な建物の、屋根裏と床下は、一益と六人衆のアドバイスで曲者が忍び込めないよう様々の仕掛けがしてある。
新造館で信長が、政秀と信昌と話し合っている。六人衆は信長の背後に控えている。
「これはよ、幼き頃からの念願だけどよ。おおかた落ち着いたでよ」
「ははっ、何なりと」
「下人を解放いたす」
「ええっ、げ、下人を・・・恐れながら、その訳、御聞かせ頂けませぬか」
「下人は牛馬にあらず・・・人だわ・・・俺に着いて回っとった小童共の中にも下人の子がようけおった。皆、貧しゅうて哀れだった」
二人は、神妙に聞いている。
「人を物の如く売り買いし、その子まで、飼い主の意のままにし、酷使した挙げ句、飯もまともに与えず、病になれば打ち捨てる。
働いても働いても死ぬまで同じ、ひもじい思いで生きていくしかない。それは人への扱いではない」
「御意。下人が事は遥か昔からの事にて、手前はたった今まで思い及ばず・・・」
「咎めてはおらぬ・・・だが俺が尾張の主となったからには、必ず改める」
「されば、尾張全土にて」
「うん」
「さればどのように・・・命を発せられますか」
「うん。ほんだけど、飼い主は、働き手が減れば、困ずるであろうから、俺が一旦購うか、年貢等を免じて遣わす。その後、身分を平民とし、それぞれの人別帳に載せる。そののちは、領内の荒れ地を開墾させ、豆を作らせる」
「豆を」
「豆は煮炊きでそのまま食えるし、豆あれば味噌やたまりが作れる・・・同じ手間かけるならば、価高き物の素を作ればええがや。下人の数は」
「全く判りませぬ、早速に調べまする」
「うん。一人幾らの手当てにするかは、人数判った後決める・・・解放したら、百姓道具、住まいの小屋の材、当座の食い物など与える・・荒れ地を開墾すれば、そこはその者に与える。向こう三年は貢は取らぬ・・荒れ地みてゃあいっくらでもあるがや。これは武家、寺社、商人百姓下、全ての下人において行のう・・・尾張から下人は居無くなる・・・いま当家におる下人も、只今より小者、お小人と呼び変えて、まほに(まともに)遇する。」
二人は平伏し、急いで下がる。
信長と六人衆だけになった
「他国探りの中身は」
六人衆が身を乗り出し、風が答える。
「忍んどる者は、例えて言うて、今川なら義元やら主立った者共の身体付やら顔かたち、出陣の時の鎧兜はどがいな色か造りか、前立てはなんやと、馬廻りや小姓等の顔ぶれ、旗、家紋、自身指し物、鎧兜はなんやと見て参りまする・・・戦ん時、総大将の居所知る為でおます・・まずはそれをして、後は、家中の様々探りまする。」
雪丸が割り込む。
「ほいてから、此度、今川行った者の中に、絵ぇの名人が一人いてて、義元始め主立った者の顔や姿形描いてきよります・・ほんまに上手やから、そやつの絵ぇ見たら、必ず見分けつくようなるんでおます」
「左様か・・・絵か・・・絵とはうかと(うっかり)気づかんかったがや・・早う見たいのう」
その絵が得意な若者は、駿河へ発って十日目に一人で帰って来た。
「役目、大儀。其方の名と歳は」
「ははっ。手前は、伊賀は野村大炊孫太夫が寄り子、才二と申しまする。歳は十八で、組頭の命により、一人もんたんで(戻った)おます」
才二は、特に目立つ容貌ではなく、丈も五尺三寸ほど。だがその眼はキラキラと輝き、背後も明るい。
「其方は、絵の名人と聞いたがや・・・義元や廻りの者の絵、描いて参ったのかのん」
「へえっ。組頭が一刻も早うに、お殿様に御見せせい、言わはって・・立ち姿、座り姿、歩き姿。鎧兜やらもう全て・・・他には義元の回りの者共・・今川の主立った者共」
「見せてみい」
才二が差し出した小さな紙は、何十枚もあり、彼が言った、義元や主立った者共の様々な様子が墨絵で描かれている。
「う~ん。絵は小せえけど、どれも生きておるようだがや・・・義元の鎧兜は古臭えで、重代物・・前立ては八竜か・・普段は烏帽子に狩衣姿・・・ふ~ん・・都の貴人の如き者だのう・・・されば、才二、この絵を一枚一枚、大きく描けるか」
才二が笑顔で頷く。
丸一日で完成した、大きく等身大に描かれた義元や今川勢の様々の絵は、信長の居館の外廊下に貼り出される。
「皆の者っ、この絵を見て義元その他の顔形、姿の様々覚えよ」
濃が信長に笑顔で伝える。
「笹百合は、強いんやお」
「ほらあ、百地の娘で、修行やっとるで強ええわな・・・ほんだけどどのように」
「この前は、わっちの後歩んでたら、廊下の角に潜んでた、藤八郎(佐脇藤八郎良之、犬千代の弟)が、笹百合の尻触ろうと、手伸ばしたら」
「藤八のたわけめ・・・ほんで」
「手首掴まれて、ぽんと二間も投げ飛ばされたんやお・・腰打って、うんうん唸ってたんやお」
「あははっ、ほうか・・・彼奴はそれで鍛練暫く休んでおったのか」
「他日は、馬場で皆の鍛練見てたら、徒衆の誰かの刀の目釘が折れたんか抜けたんか、刃が抜けて、わっちの方へ飛んできて・・・」
「なにっ、それは誰だあ」
「まあ、お殿様、それを笹百合が、ぱっと素手で掴んだんやお・・・わっちも笹百合も無事やから、お咎めはせんといて・・勝手に鍛練見てた方がおぞいんやお(悪い)」
「ううっ、ほれはほうだが・・・・」
信長は直ちに家中全部に命じる。
『刀、槍の目釘は一本ではいけない。二本、出来れば三本とするように。刀の柄は樫の木とし、銅環を二つ三つ嵌め、細引きできつく縛り、鮫皮か鹿革を柄巻とせよ』
樫の木を二つ割にして柄とし、細引きで硬く縛れば、斬った刀に伝わる衝撃が強くても、容易には砕けない。柄が割れて砕ければ、刀が使えなくなるのだ。目釘を増やせば、刃が打撃のショックでガタつくことも、抜ける事も無くなる。鹿革鮫皮は血に濡れても滑らないからだ。
尾張中の城砦、館の鉄砲衆が、清洲城へ呼び集められる。
銃床銃架はまだ秘密に、射撃訓練が始まる。
鉄砲は、火薬の量が、気温、湿度、距離により変わるし、硝石、硫黄、木炭の配合も同様に変えなくてはいけない。
射撃技術もだが、それも非常に重要な知識なのだ。
清洲鉄砲衆は以前から、不知火の指導で、それを一から学んでいて、彼等はもう学び終えているから、他家の者に教える。
不知火は更に、織田領内での硝石生産も始めている。硝石は小動物、虫、枯葉等が腐蝕した物が混じった古い土の表面にある。それは古い家の床下等の乾いた地面だけに含まれる。
硝石を含んだ土を煮立てる等する工程を繰り返せば、煙硝が出来る。
不知火は、硝石生産を生業とする職人の育成から始め、触れを見た職人希望の家中の身分が低い者達は、不知火直属の家来になり、知識を覚え、すでに土探しに歩き回っている。
その許しを信長に聞いた時、不知火はこう言った。
「もっと早うから、やれぬ事はなかったんたんやけど」
「ええ、ええ、訳あってであろう」
「恐れ入りまする。ほいて、硝石作りやけど、同しようなとこの土でも、舐めてみて、舌刺す味がせな、硝石は造られへんのでおます。ほいてから、このやり方やと、国で造ってる硝石より、ちいと爆ぜる力が弱いさけ、国からの硝石と混ぜて使わなあかへんのでおます」
「ほうか。ほしたら、清洲や那古野の時は、それだけ土探す場所が少なかったから、領地広がった今始めた訳じゃの」
「仰せの通り」
「わかったでよう・・・頼む虎子頭」
雪丸が言上する。
「お殿様、鳩の件やけど。全て済みましてござりまする」
「ありゃ、素早いの」
「どこにも、身分低いもんらの中に、わてみたいな獣好きが一人二人はいてまっさけ、始めにそげなもんを探して様々教えたら、呑み込みも早いし、話しもよう通じるさけ。今は、わての指図した、鳩小屋建ててまっせ」
「ほうか、ほんでも獣好きの見極めは」
「顔でおます。わてらは、顔見たら、善人か盗っ人か、人柄や気性、一目で判るんでおます」
「顔でのう・・・それも忍びの業かのう。なんにせよ、度々大儀」
一益から鳩で報せが来た。
読み難い程の、細かい字がびっしりの手紙だ。
根来寺の縁者の協力は得た。見込みありそうな鉄砲鍛冶もいた。甲賀との交渉は、一益の父と共に行うが、まだ手付かずだ。根来寺の縁者が信長への臣従を希望しているが如何。
信長は慌てなくとも良い。縁者の件は認めると返信する。
二月が過ぎ、びと衆が交代する。
他国探索組から、武田、今川、六角、浅井、美濃の様子を聞きとる。武田探索の組にも、才二には劣るが、絵上手がいて、晴信(信玄)他の武田武将の絵を描いてきている。
信長が、その絵上手に聞いている。
「役目大儀。其方の名は」。
「へえっ。わては伊賀は下柘植の木猿の寄子にて、貝蔵と申しまする。歳は十七でおます。武田には三ッ者言う忍びがいてまして、人数は少ないんやけど、二人ほど手練れがいてて、ちいと難儀はしたんでおます。そやから描き足らん事もあるんでござりまする」
貝蔵は、丈は五尺七寸程もある長身の若者だ。
優しそうで穏やかな顔付きだ。
背後はやはり明るい。
「うん・・・手負いた者はおらんようだし、ええええ・・其方はそれらの絵を大きく描き直せるか」
「出来まっけど、才二の方が上手やから、才二にやらしてくだはりませ」
「あいわかった・・・身体休ませよ」
それで、武田晴信(信玄)その他の絵も等身大に描かれて、今川勢絵の横に貼り出される。
晴信の絵を見て、皆が様々に述べる。
「晴信(信玄)は、仏画の達磨大師みてゃあだな」
「これが穴山で、此奴が真田・・・見た目は皆、晴信に似とるがや」
「ふんふん。此奴が秋山で、この爺が高坂か」
「どいつもこいつも曲者面だがや」
「其方らの両親や家人を尾張へ迎える議はどうなった」
風が平伏して詫びる。
「お殿様の御優しき御配りやのに」
「如何した」
「わてら皆、国となんべんかやり取りしたんやけど、柱助以外、五人の家人はだあれも来とうないと」
「訳は」
「慣れ親しんだ生まれた里、離れとうないと」
「ほうか。ほれはほうだわ。知り人も数多。馴染んだ暮らしは捨てがたいわさ。わかった。忘れた頃、銭を送ってやればええ。俺の思いが浅かった」
「お、お殿様、御怒りで」
「ちゃうちゃう(違う違う)・・・人の心情は、それぞれだわ・・・押しつけてはいかんのだわ・・・また学んだだけだわ」
「ははあっ。恐れ入り奉りまする」
「他国の様々聞き取った。武田はあちらこちらとやり合い、砥石城とやらを落として、やや勢い増したようじゃが、八方塞がりだわ。他は自国の事で手いっぱいのようじゃ。最も険しきは今川だが、攻め込んでくるは二年三年先だと読んだ。その兆し見えるまでは、領内での政、軍備に力置く」
六人衆が平伏する。
「ほかでもない、其方らの事だがの・・俺の思いだで、誤りやもしれんけどよ」
「ははあっ・・・如何なる事で」
と、風が聞く。
「まず、食い物だがよ・・其方らは、俺と食う時以外は、未だ木の実など、火を通さぬ物を主に食うておろう」
「御意。忍びのもっとも(当たり前)にて」
「止めよとは言わぬがの、一度試してみたら」
「と、申されますと」
「贅沢はせずとも、飯に汁、一菜くらい、日に二度食っても変わりないのではと思うでだわ。食ってみて、身の重さ覚えれば、止めればええがや・・・新参の三百人も然り・・・其方らは、毎晩夜中に二刻も鍛練しておろう。食わねば身が保たんがや・・・ほれに、俺は、其方らの食べ事思うと、己まで、食う気無くなるんだわ」
「・・・なんと、お殿様はそこまで・・鍛練の事もお気付きで・・へっ、有難き御ことのは。試しまする。皆ええなっ」
風以外の五人も口々に礼を言う。
「其方らは、尾張へ来たその晩から鍛練しておったがや・・・声も物音も立てず」
「へへえっ」
「それでも其方らが、たまに無言で発する気合が、俺には伝わったんだわ」
「お殿様なら、お判りでもっともでおます。御眠りを妨げてもうて・・・しくじりでおました。御許しくだはりませ」
「初めの僅かな間だけだわ・・・其方らの精進、不快な訳がない」
「恐れいり奉りまする」
「まだあるがや・・・其方らは、精を放つ(射精)事も律しておると、左近将監から聞いた」
六人が顔を赤らめ頷く。
「春太郎もか・・・やはり・・・あははっ、これは天王坊の御師様から聞いたんだけどよ・・・」
六人は恥ずかしいのか顔も上げられない。
「精(精液)はよ、この睾丸で造られてよ、老年なるまで尽きる事は無あらしいがや・・・どんどん造られるのによ、出さなよ、睾丸腐ってまうらしいがや」
と、信長がにやにやしながら、己の股間をぽんぽん叩きながら言う。
「ええっ」
「其方らは人の身体の急所の心得はあろうが、この事は知らなんだようだの・・・あははっ。御師様は珍宝や金玉がよ、なにやらむず痒い思ったら、我が手で精をしごき出せ言われたがや・・・俺も濃来るまでは時々やっとった・・・其方らは」
六人共、更に真っ赤になり、返事も出来ない。
「あははっ・・言わんでもええ。恥では無ゃあ。嫁貰やあええんだけど、それまでは金玉腐らんようせなかん・・・其方らは女子と交合いは」
「修行終わりに、修行の一環やて、皆、里の手練れの元へ十日通いましてん」
「手練れとは」
「枕事(情事)の手練れの後家でおます」
「あははっ、その道の手練れか・・・皆同じ女子か」
「いえ、後家はただけにいてますから」
「具合は如何であった」
風が小さな声で言う。
「そらもう・・・わては嬲ってるのか、嬲られてるのか判らへんような毎日でおました」
五人も、うんうんと頷く。
「あははっ、左様か・・・ほんなら交合いのやり方は判るの」
六人が、顔を上げ、目でその先を尋ねる。
「夜這いいたせ・・・家中によ、後家、行かず後家、出戻りはようけおるし、乙女(未婚女)でもええ・・・町家、農家にも眉目よき娘はようけおる・・其方らなら、夜這いなど何程でもなかろう」
風がやっと聞く。
「そがいな事して、御無礼や、風紀紊乱にはなりまへんか」
「ならんならん・・・女子とて、そうして欲しい者が大半だわ・・・那古野ん時、俺も奥女中やら、侍女やら、何人かと、毎晩のようによ・・女子は、初回は、なりませぬ~とか、若様やめてたもれ~とかこくけどよ、その次からは、自ら俺の手を引っ張りて、今宵はわらわの元へ~とか、久しくお見限りは如何なる訳で~とかよ・・・終いには手がついた者同士が揉めたりとかよ」
信長がそこまで言って、口真似上手に六人が笑い声を上げた時、外から濃の声がした。
「お殿様、ちょこっとええきゃあぁも」
「なんだあ、今大事な話しとるんだわ」
信長の声を無視し、笹百合が襖を開ける。
「今、女子の声がしたずら・・・誰なん」
「女子など居らぬ・・・戦談議で、敵の悲鳴を真似ただけだわ」
「お殿様の敵は、わらわ言うん・・お見限り言うん」
「空耳だわ・・お濃、邪魔・・・下がれ下がれ」
「笹百合も聞いたずら・・お殿様、偽りはあかへんえ・・すなおに言うた方がええんやお」
「小煩き奴・・否めば叩き出す」
「笹百合いてるのに、六人衆、おまはんら、笹百合とやり合うん」
「・・・・・・」と、六人衆。
「ほんなら俺が」
六人が信長に縋りついて止める。
「御止めくださりませ・・・御方様も、お殿様の御下知に従うてくなはれ」
風に続き、六人が口々に同じ事を言う。やがて濃は膨れっ面で出て行く。
「お濃みてゃあほかっときゃあええ。俺の口真似が上手過ぎたの。ぎゃははは、ぎゃはは・・・話戻してよ、俺はそれで懲りた・・家来筋には手は出さぬ事にしたんだわ・・手付きは、那古野に置いてきたし、胎んだ者はおらんかったでよ・・・ほんだで其方らも、そういたせ・・無理矢理でなくば構わぬ。衆道(男色)好むならそれでもええ・・そのような、女子や男衆の由(情報)は、小姓共が、よう存じておる故、聞け」
「衆道は・・・・」
風が言って五人が頷き、風が続ける。
「わてらはお殿様の傍からは離れへんのでおます」
「律儀は有難いがの、警護は六人居らずともええ・・・今にしてこの城へ忍び込める者、居ろう筈が無ゃあがや・・交代して金玉腐らぬよう励め」
「赤子出来てもうたら」
「其方らは上士だわ・・上士の子胎んで誰も苦情は言わぬ・・・それに、やり方で、交合いても、子を成さぬようにすればええ」
それでも六人衆は返事が出来ない。
「それでも子が出来れば、嫁にするなり、側室にしやあええ・・・ただ、選ぶ時は、気立て優しき女子にいたせ。濃やら笹百合が如き者選べば・・・あははっ、これは主命じゃ」
信長がにやりとし、六人衆が爆笑する。
翌日の早朝、大地が揺れた。
「ゴオ~ッ」と地鳴りがして、建物が軋む。
「皆の者っ、地震じゃっ、出会えっ、表へ出よっ」
六人衆が信長の居室に飛び込んでくる。
「逃げ遅れ無いか城内くまなく見て参れっ。俺は濃を見る」
六人衆が飛び出す。
「お濃っ、お濃っ」
信長が濃の部屋へ走る。
すると、笹百合が濃を背負い、飛び出してくる。
「おうっ、笹百合、表へ走れっ」
笹百合は会釈して走りだし、信長も続く。
濃付の奥女中達も、裾を乱して続く。
広場の真ん中に立つ。
城内の者達が、徐々に集まってくる。
「皆の者、半数は城内を見て回れ・・火を確かめよ・・半数は城下へ走り、火の手が上がらぬか見て回れ・・得物はいらぬ。六尺棒だけ持ってゆけ。急げっ」
最初の揺れは、すぐ治まり、その後、二回小さく揺れた。
城内も城下も、火事は起きず、建物の被害も目で判るほどはない。
「騎馬の者っ、手分けして、領内全て見て参れ。すぐ助勢送る」
とそこへ、六人衆が戻る。
風が言う。
「逃げ遅れの者は、導きまいた・・見た限り、城内は、物が少し壊れただけにて、火は全て消しまして御座りまする」
一刻が過ぎ、清洲城下の点検を終えた者達が帰る。
「城下は無事のようじゃ・・・されば、城は空にしてええ。全ての者っ、領内を検分して参れ。蟹江、鳴海、岩倉、犬山までも見て参れっ。各地の者を助勢し、火事あれば消し止め、消せねばそこを打ち壊してでも火を防げ。得物は脇差しだけでええ。六尺棒か金梃子など持ってゆけい」
馬で行く者、すぐ走り出す者、清洲城は信長と政秀、信昌、六人衆と女子衆、非力な年配の小者達だけになる。
馬で出て行った、騎馬衆が一騎引き返してくる。
「ごちゅうし~ん」
「如何した・・・火事か」
「御城東端前、五条川の辺りに、煙がようけ立ち上っており、風に散らされておりまする。尋常の様にあらず・・お殿様の御検分を」
「川で火事・・・あいわかった・・案内せえ」
案内の必要もなく、城の東端の土塀の前の五条川の東岸川原付近から、白い煙が大量にもくもくと上がって風に吹き散らされている。
騎馬衆が先行し、手を振る。
信長が寝間着姿のまま土手を走って大手門の橋を渡り、六人衆が続く。政秀と信昌も続くが、遅れる。
「あっ、煙にあらず・・・湯気だがや・・地震のせいで、地面が割れたか」
そこへ、政秀と信昌が、息を切らしてやっと来る。
「じい、信昌、湯気だわ・・・湯気出とるなら、温水が湧いたか」
政秀が、ゼイゼイしながら言う。
「わ、我が日の本の国の地下には、か、火炎の道と水の道がようけ走っとるとの事。さ、先ほどの地震で、道が動き、地下の水をば温め、割れた大地伝わり吹き出しのだと案じられまする」
「うん。ほれは俺も沢彦様に聞いた覚えある・・・あっ、川面を見よっ、魚がむっちゃんこようけ(とても大量に)浮いとるがや」
一行は土手を降りる。
川面は、無数の川魚等で埋まっていたが、すぐ押し流されて見えなくなる。
五条川の東側の川原から、「ドドドッ」と音をたて、太さが二尺もある湯柱が、高さ一間程まで、吹き上がっている。
普段清冽な川は、吹き出し口を境に川下の色が変わり濁っている。
信長が近寄り、湯柱に指先を入れる。
「熱っつう~・・・こりゃどえりゃあ熱いがや・・魚も煮えてまって浮いたんだわ。地震にはびっくりこいたけど、こりゃええぞっ」
信長が真っ赤になった指先を皆に示す。
政秀が聞く。
「何がええんでごじゃあますか」
「あははっ、じいっ、気付かぬか・・・火起こして温めずとも、ちんちんの(沸騰した)湯が勝手に吹き出しとる・・・これを使わぬ手は無ゃあがや・・急に止まるやもしれんがの、変わりなくば、ここを湯浴み場にしやあええ・・・川水と混ざるよう、石積みして導き、囲えば、湯船になるがや・・・湯に浸かれば心地ええがや」
川原には、無数の大小の石が、ごろごろ転がっているのだ。
この頃の風呂は、上流階級でも蒸し風呂が殆どで、湯風呂は贅沢なのだ。庶民には風呂など無く、濡らした布で身体を拭うのが精々だった。
丸一日かけて、広い領内の点検が終わる。
ぼやが数十か所で起きたが、全て消し止められ、大火には至らなかった。
領民にも、擦り傷程度が数十人居ただけで死者重傷者は出なかった。
十日たっても湯の噴出は止まらない。
そこで信長が、露天の湯を設けると決断した。
まず、川原の石を動かしたり積んだり、川砂を掘ったりして、深さ二尺(六十㌢)にし、一町(百十㍍)四方の正方形を、石のプールのようにする。底には石を敷き詰める。
それを南北に二カ所作る。そこへ、川の冷水と湯元の温泉が混じるように、二筋の導水路をまた石を組むなどして作る。更にその二筋を一筋にした導水路を作り、そこから温泉が、二カ所のプールにそれぞれ流れ込むようにすれば、そこが湯船となる。
湯温は、川水の量を石積みで調整する。
そして、南側のプールを竹屏でぐるりと囲み女湯とし、細竹を並べた脱衣所まで作る。更に、川の堤には、石段を築き上り下りをし易くする。
ここまでは、信長が指揮し、城内の者達が老齢者を除き、身分に関わらず作業を行った。
信長までが、時として石を運び、砂を掘る。
導水路を築く時に作業者が湯元の熱湯を身体に浴びないよう、板で防いでやったりもする。
それを見て、家来達が、奮い立って働く。
試行錯誤はあったが、施設は十日で完成する。
温泉の勢いは変わらず盛んだ。
信長は清洲城門前に触れの立て札を立てる。
一 五条川原に湧く温泉を五条の湯とする。
一 領民なら誰でも利用してよい。但し、入湯の為、家業作業をなおざりにしてはいけない。やるべき事を正しくこなした上とする。
一 利用の代価は無料とする。
一 使用は、それぞれの村役、町役、乙名(名主)などに予め願い出て許しを得たのちとし、一度に男女百人づつとするが、五つまでの幼子は一人と数えない。
一 村役、町役等は、合議して、使用の順を公平に決め、五日に一度、施設とその回りの清掃をする事も順に行うよう決まりを作れ。
一 男女は別々に入湯し、童だけでの入湯は厳禁。また女湯を覗く事も厳禁。
一 番小屋を設置し、番人を置くから、入湯者はその指図に従え。
一 武家は、八つ(14時)から七つ(16時)まで、武家以外は、七つから五つ(20時)までを入湯の時とする。一人の入湯は半刻を限りとする。日暮れから五つまでは、篝火で明るくする。
一 糠袋を置くから、身体を擦り清潔にせよ。但し、一人一袋以上は使わない事。
番小屋はすぐに建てられ、鳴海戦で傷を負い、戦闘は無理でも、自力で動ける程度の足軽が十名、番人になった。十名は元山口勢の戦傷者で、信長の命により、鳴海城、城代の佐久間信盛が、養生中の大勢から人柄等で選抜した者達なのだ。
十人ともが、信長の慈悲ある戦後処理に感じ入り、働き場を強く求めたのも、選抜の一因だ。
触れの中で、子供だけでの入湯禁止の内容は、信長が考え直してすぐ改められた。
一 領内の十二歳までの一人歩き出来る者は、親または保護者の許しを得れば、夜明けから昼までは、番人の指示に従い入湯し放題とする。許可の証は、支給する鑑札を示すことにする。
信長が、子供らが遊び半分でも、身体をなるべく清潔にすれば、その生存率が高くなり、将来の働き手が確保出来ると判断したからだ。
庶民からしたら、湯風呂などは夢のようだ。
町役等の合議に二日間が費やされ、三日目から、五条の湯は解放された。
開場を待つ一番手の人々は喜色満面だ。
それに先んじて、信長も重臣、小姓、六人衆と広い石風呂に浸かる。濃も、笹百合と、女中、侍女らと共に湯に入る。
湯はどんどん流れ込み、溢れて流れに戻っていく。
髪の縛りを解き、湯に沈んで、頭を指で擦る。身体をぬか袋で擦り、髪は目の細い梳櫛で、頭皮も擦りながら梳く。頭皮の垢や脂が取れて気持ちがいい。
温泉が切れ目なく豊かに流れ込むし、底から適度に水漏れがするからこそのやり方だ。普通の湯風呂なら、すぐ汚れてしまうが、ここなら湯が常に入れ替わるからだ。
女湯からは、女達の嬌声がかしましい。
「皆の者、俺を真似よ・・・頭痒いの治るがや。じい、こなたへ参れ、向こうを向け。背中を擦って遣わす」
「ひえっ、止めてちょう。お殿様にそんな、いかんいかん」
「ええがや・・・子が親の背中擦るはもっともだわ。ほれっ、背中を向けよ」
「親と、拙者を。勿体にゃあ、ありがてゃあ。あ~あ~」
政秀が声を上げて泣く。
「泣くなっ、じい、てて様はいかれたんだで、親替わりは其方だけだわ・・・あははっ、泣くなと申すに」
赤子のように泣く政秀の背中を力を込めて擦る。
回りの皆が笑顔で見守る。
「よし、じいは片付いた。信昌、参れ。其方も擦って遣わす」
「いやいや、お殿様、いかんわあ、恐れ多いがね」
信長は、小姓、近習、六人衆の背中までを擦ろうとする。その度、同じやり取りが繰り返される。
最後に政秀が信長の背中を擦り上げる。
その場は、文字通り温かい。
午後四時から湯に浸かった一般民衆は涙を流して喜ぶ。
「死ぬまでに、いっぺんでええで入りたかった湯風呂だがや・・・あったきゃあなあ・・ありがてゃあなあ」
「銭もいらん、糠袋はようけ置いたって、ただ使い・・・まあなんちゅう御優しいお殿様でありゃあすこと(あられること)」
「爺様、良かったなも(ですね)・・気持ちええきゃ(いいですか)」
「おう、生きとって良かったわ・・・清洲のお殿様は生き神様だがや・・・・婆も向こうの湯で喜んどるわ・・・ありがてゃあ・・ふんとにありがてゃあ」
「桜はまあ散ってまったけどよ、来年になりゃあ、花見しながら湯浴みだがや・・・贅沢だなも」
「番人様がよ、ここは、湯に浸かったまんま、身体擦ってもええ、言やあたでよ(言われたから)、糠袋で擦れ擦れ・・垢がようけ取れて、まあ気色のええ事」
「極楽だわ・・・こんなええあんばい、生まれて初めてだがや・・・酒あったらもっとええなも」
「湯ん中での飲み食いはいかんぜえも(いけませんよ)・・・番人様から聞いたがや」
「また来たいなも・・・ほんだけど、御領内の誰でも来たいわな・・・次の順はいつ巡ってくるやら」
「お殿様は、御賢けえで、ほんな事はまあはい案じとらっせるわ(そんな事はすでに考えておみえだ)
五条の湯の事は、たちまち領内に知れ渡った。
民生担当の、村井、島田が、政秀を介して報告する。
予約が殺到し、一年先まではすでにいっぱいなので、勘考が必要ではないかという事と、温泉の吹き出し口を境に川魚の生態に異常があるようで、川上と温泉付近を漁場にする川漁師が、苦衷を訴えてきている事だ。
「ほうか、魚がな・・・熱湯に遮られ、鮎などは遡れんやもだわな・・ほんで、入湯望む者が山か」
「御意。ほりゃあ、お殿様、拙者とて、毎日でも湯に浸かりたいでよ・・・領民共なら一層だわ」
「ほしたらよ、川原の石風呂を、まっと増やせんかの・・・あとはよ、水車作ってよ、湯を汲み上げてよ、堤の東下に、でっけえ木風呂幾つも据えてよ、そこでも風呂入れるようにしたら・・・・なるたけようけ汲み上げてまやあ、湯の壁とれて、魚も、どうもなくなれへんか(異常がなくなるのでは)・・やれるかどうかは、俺はその道は素人だでわからんけどよ」
「されば、木工職人や番匠(大工)の主立った者を召し寄せ、勘考させまする」
川原の石風呂を二カ所増やし、大きな水車を二つ作り、湯の吹き出し口近くに据え付け、太竹の管を繋いで、少し熱めに調整した湯を汲み上げて運ぶ。
回転した水車で上がってくる湯を受ける位置を高くしてあるから、湯は堤を越えて流れて行く。そして川原の反対側の川堤の東下に、直径十間の巨大な檜風呂を五つづつ並べて二カ所に作り、男女を分ける。
二本の太竹管には、木蓋があり、そこから五本のやや細い竹管が、それぞれ五つの風呂を満たす。流れる間に冷まされた湯は適温になり吐き出される。
溢れた湯は、堤下の土地が粘土質ではなく、水捌けのよい砂利で覆われているから、溜まったりせず、泥濘むこともない。
それでも湯量は豊富で余りあるから、一回り大きな水車をもう一つ作って、更に汲み上げ位置を高くし、筧を、五条川を東西に横断して繋げ城内まで引き込むことにする。
湯は高低差で流れ込む。
番人は、同じ採用条件で、倍に増やされる。
現在、愛知県清洲市にある、コンクリート製の清洲城天守の複製は、五条川の東にあるが、信長達がいた頃の清洲城はその反対側、五条川の西にあったのだ。
城内にも、急いで簡単な造りの大浴場が二つ新設されたから、武士階級は、川原辺りには行かなくても良くなり、身分による時間指定は撤廃され、その分、民衆の入湯が容易になる。
政秀が報告する。
「お殿様、熱泉はほぼ全て汲み上げておりますれば、魚等も以前に戻った様子にて・・・童共の鑑札も、行き渡ってござりまする」
「ほうか・・・そは重畳この上無し」