あゆちのびと衆 第一章 その十二
七つの瞬き
清洲城の尾張守護、斯波左兵衛督義統の主従家族が弑されてすぐ、城下町外れから、三本の流星火矢が青、赤、青の順で上空に真っ直ぐ飛んだ。
那古野城からでも、はっきりと見える冴えた色だ。
それは予め、信長と一益の間で打合せ済みの合図だった。
その意味は『城内に異変あり。即刻の出陣を乞う』だ。
信長は、一益等が清洲城へ潜入したのと同時に、直属の者達の出陣の支度を密かに整えている。
那古野から清洲までは二里もない。
半刻後、まだ薄暗い清洲城下を地響きをたて、松明だけを持った大勢の足軽に囲まれた軍勢が通過していく。軍勢の馬の速度は常足(時速五~六㌖)だ。
松明の囲みの中の先頭は、揃いの深紅の鎧兜の騎馬武者が三百騎。続いて徒侍が二百名。その後に六十挺の鉄砲隊。更に五百名の槍組足軽が続く。最後には力自慢の荒し子(雑役夫)が百名だ。槍組の半分は、野戦用の長槍ではなく、屋内でも使いやすい短槍を持っている。
ただ、本格的な戦闘にはならないだろうと、信長が判断してそう命じたから、顔の防具の面頬は、誰も着けていない。
信長の軍勢だ。
清洲城に着く。
城の櫓門は破壊されたまま、警戒する人影も見えない。
城の南と西北を囲む堀にかかった四つの跳ね橋もそのままで、繫がる門も開けっぱなしだ。
騎馬隊が四方から城内にどっと走り込むが、手向かったり咎める者は誰もいない。
徒侍に鉄砲隊と槍組が後に続き城内に入る。
それぞれを指揮する武者が、配下に指図を早口でする。
長槍組が何人かの組頭に率いられ、城の回りを隙間なく警戒する為、城門を出てゆく。松明の足軽も半分程がついて行く。
鉄砲隊は火縄銃の発射準備をするがまだ動かない。
鉄砲に繁造考案の銃床は装着されていない。銃床は鉄砲放ちがそれぞれに隠し持っているのだ。
銃床装着に使う銃の握り部分の穴には木栓がはめ込まれているから、ちょっと見たくらいでは判らない。
一益がもたらした、弾と火薬を紙で包んだ早合わせを帯布にずらりと差し込んだ全員分の弾帯は、まとめて馬に積んである。
銃床、弾帯を使うまでもないと予想した、これも信長の命だ。
城の四隅の櫓にも、足軽達が駆け上がる。
荒し子達により、ありったけの篝火が持ち出されて焚かれる。
騎馬隊から二十人程の武者が、馬を降り、己の配下を呼ぶ。
松明の足軽が五人、短槍の足軽十人と徒侍十人、鉄砲隊から二人づつが一組になり、武者を先頭に城内へ散って行く。
信長は騎馬隊の中心にいて、馬上で様子を見ている。
軍勢は一人として、私語を交わす者もなく、馬の嘶き以外、城内は静謐だ。
一益と伊賀六人衆はまだ姿を現さない。
すると、倒壊した足軽長屋の方角から人影が現れて、怒鳴る。
「な、何者だあっ、おみゃあんたらあ(お前達)、城へ勝手に立ち入るとは、く、曲者めぇ」
と、ふらつきながら騎馬武者達に近寄ってくる。
髪はざんばらで、胴鎧と籠手に臑当て姿は足軽の格好だ。
胴鎧には清洲織田の紋、黄赤の揚羽蝶が見える。御貸具足と呼ばれる身分の低い者へ領主から貸し出されるものとひと目で判る。
身体中が血塗れで、手には刀がある。
「那古野の織田三郎様の御軍勢だがやあ、寄るな。寄れば斬るぞお」
と、騎馬武者の中から誰かが怒鳴る。
「な、なあにいっいっ。三郎様っ、なんで三郎様が来やあた。ここは大和守様の御城だがや。お、おのれらあ去ね、去ね。去ぬなら斬るぞおっ」
すると、槍を小脇の犬千代が、馬を煽って群れから飛び出す。
「しゃらくしゃあ、足軽風情が我等を斬るだとおぉ、ええ折だがや・・・血祭りにしたるがやあ」
「あ、足軽風情だとお、あ、侮ったな。俺は守護代様家臣、足軽組小頭、す、杉山元介だがやあ。お、おみゃあは誰だあ・・・名乗れえ。う、馬乗っとりゃあ偉りゃあのかぁ、侍にあらずと言えど武門に生きる者に変わりはにゃあんだあぁっ」
しかし杉山と名乗った男は、そこで崩れ落ちるように倒れた。
足軽は士分ではない。兵なのだ。
犬千代を押し退けるように、一騎が出てくる。
信長の大声が響く。
「お犬っ、止めよっ。見れば手負うて弱っておるがやっ・・・だれぞ、手当して遣わせ。弱っておるに、たった一人で多勢に手向かいするとは、見上げた覚悟だがや・・・皆の者っ、他にもこのような者、おるやもしれぬ。我等は攻め込んだのではない。まずは守護様を御助けに参ったのじゃ・・・手向かう者あらば、まずそれを言って聞かせよ。遮二無二に斬ってはならんっ、ええかっ」
軍勢が一斉に「ははっ」と声を上げる。
回りは明るくなり始めた。
奥御殿の方角から、短槍の足軽が勢いよく駆けてきて、滑り込むように、騎馬武者群の前に跪く。
「御大将様は・・・お殿様っ、御大将様っ、池田様が、おい出を願っとるがね。えりゃあこと(たいへんな事)になっとるで、はよっ、はよ来てちょうでゃああそわせ(おいでになってくださりませ)」
足軽の声は震えている。
即座に信長が馬を飛び降り、奥御殿へ走り出す。走りながら小姓達の名前を次々に呼ぶ。最後に松明組二十名にも同行を命ずる。
松明組を先頭に、鎧兜をがちゃつかせながら三十人程の完全武装の一団が走っていく。
城の南隅にある奥御殿の表玄関を駆け上ると、もう濃い血の臭いがする。奥へ続く廊下を松明組が進む。
「うっ」とか「うわっ、滑るがや」と声を上げながら松明組が進む。信長以下が刀を抜く。
松明の光が暗い廊下を照らすと、廊下両脇の戸や襖が破られたり破壊されているのが判る。
犬千代と勢月が松明組に続き、その後を信長が行く。
勢月が振り返って言う。
「御大将、廊下、血の川だがね。滑らんように歩いてちょうでゃああそわせ」
信長が頷く。草鞋が乾きかけた血の川に粘りつき、歩き難いし、滑りそうだ。
「皆っ、慌てるな。一歩づつ歩け。急げば転ぶがや。曲者おるやもしれぬ。かたまるな。刀が使えるよう広がれ」
信長に言われて、皆が歩きながら少しづつ離れていく。
「廊下脇の部屋を調べながら進め・・・険しき気配なくば、戸や窓を開け放て、光を入れよ」
続けての信長の命で、御殿内は、入り口から段々明るくなって行く。
長い廊下の奥に松明の灯りが見える。
「勝っ、そこか・・・俺だ、俺だがや」
信長が呼びかけ、池田恒興が答える。
「おっ、御大将っ、はよっ来てちょう、ひっでえことになっとるわ」
気持ちは焦るが、廊下の血の川は段々厚みを増して行くから、一歩、歩むのが徐々に困難になっていく。
斯波義統の居室まではまだ距離があるが、恒興はそこにとどまっている。
信長は、やっとの思いで恒興の傍らに立つ。
草鞋全部と革足袋の下半分は血で染めたようだ。
すると廊下の光が届く範囲に人が折り重なって倒れているのが判る。
恒興が手の松明を少し動かすと、廊下の奥まで光が僅かだが届く。そこにも廊下を埋めるように大勢が倒れて動かないのが判る。
「奥へ進めぬ。与四郎っ、戻って荒し子足軽共を呼んで参れ・・・戸板を持ってこさせよ」
そう言われて、河尻与四郎秀隆が、また血の廊下を戻って行く。
信長が倒れている一人の顔を見て言う。
「おっ、この者は守護様の小姓だがや。たしか、伊藤とか申した覚えがあるがや」
恒興が言う。
「確とせんけど、そこで薙刀を持って倒れとる奴は、以前那古野へ大膳の使いで参った者に似とるがね」
表玄関の方から、騒がしく大勢が来る。
滑ったのか、何人かが罵りながら倒れる音がする。
信長が眼を怒らせて犬千代に言う。
「声をたてず、ゆっくり歩めと申して参れ。まだ敵がおるやもしれぬ」
犬千代が大股で表へ向かう。
信長が恒興に聞く。
「息ある者は・・・皆、事切れておるようか」
「呻き声も聞こえ~へん(聞こえない)。見る限り、動く者もおらんがね」
べちゃべちゃと血に泥濘む音が近づき、足軽や荒し子達が来た。
「倒れておる者を戸板にて表へ運べ。息ある者おれば手当して遣わせ・・・手荒にしてはならん。急げっ」
人の身体が戸板に載せられる度、息があるかを手分けして確かめる。
敵味方は判らないが、遺体はどれも悲惨な姿だった。
片手が肩から斬り落とされている者。頭を斜めに削ぐよう斬られて、白い頭蓋骨と赤黒い脳の断面が見える者。
首が半分斬られて千切れそうな者。
腹を割かれて腸がはみ出した者。
素手で刀を掴んだのか両手の指が全て無い者。胸に脇差しが刺さったまま、息絶えている者。短矢で額の真ん中を貫ぬかれている者。
闘いの最中に刀を失ったのか、刺されながらも刺した相手の喉笛に噛みつき、相討ちとなった者達。
程の者は血を浴びたようだし、形相が変わっているから、個人の特定は信長達には無理だった。
三十人程が運ばれたが、息ある者はいない。
運ばれた血の廊下には、切断された、人の指や耳、髪がついたままの頭皮、曲がった刀や半弓がばらばらと散らばっている。
義統の居室に辿り着いた。
松明を差し入れると、壁や襖や天井にまで大量の血が飛び散り、部屋中は濃厚な血の臭いに満ちている。
二十人程が倒れているが、動く者は見る限りいない。
入り口近くに白絹の寝間着を真っ赤に染めて、義統が仰向けに倒れている。
左手首が斬り落とされている。右手には太刀が握られ、その刃は激しく刃こぼれし、血糊がべったりと付いているから、義統が奮闘したのが判る。身体中を何十カ所も斬られたり刺されているのも判り、死んでいるのは明らかだ。部屋の隅に、上等な寝間着姿の男女が抱き合うよう事切れている。
義統の息子、義銀と妻の里久だ。
信長が下知する。
「息ある者を探せ・・・おらねばあとはそのままにいたせ・・間もなくはてて様がお見えだがや。てて様にこの有様を見てまわないかんがや。勝三郎と蔵之介、あと十人ばかり残れ」
残った者で、回りの開けられる蔀戸や窓を開けたから、光が差し込み室内の惨状が見えてくる。
廊下の惨状に勝るとも劣らぬ有様に、何人かが喉を鳴らすが、さすがに吐く者はいない。
信長以下が広場に戻ると、奥御殿の反対側の屋敷から大勢が喚き合う声がする。
「あっ、あれは大膳めが屋敷だがや。者共っ、ゆけい・・・手向かってもいきなり斬るな。なるたけ生かして捕らえよ」
するとそこへ違う方向から足軽が転がるように走ってきた。
「御大将は、お殿様はおりゃあすか(おみえでしょうか)」
「如何した。俺はここだがや」
「大和守様の御殿にて、屋籠もりしておりまする。戸など堅く閉め切り、去ね、去ねばかり喚いとるがね」
信長の横に鎧武者が一人近づく。
「御大将、屋籠もりはやっかいにて。此方が損じぬとも限りませぬ。されば拙者にお任せを」
「おっ、御師様か。ほうだなも・・・・ほんならなるたけ生け捕りに」
平田三位は、その場で手早く鎧兜を脱ぐ。脇楯と直垂に喉輪だけを残す。
手足の籠手と臑当てもそのままだ。
従者を呼んで予め用意してあったのか、足軽が使う六尺棒を受け取る。
「御師様に三十人程ついて参れ・・・御師様の如く小具足姿になり、得物は六尺棒を使え」
騎馬侍の三十人程が馬を降り、それぞれの従者や郎党に六尺棒を探してくるよう命じながら、鎧兜を脱ぐ。
全員が三位同様身軽になる。従者郎党たちが次々六尺棒を探してきて己の主に渡す。
知らせに走ってきた足軽を先頭に三位、三十人が続く。
信長は城内西にある大膳宅へ走り、百人程が続く。
剣戟の音が聞こえる。
屋敷の表門付近で大勢が斬り合っている。
信長勢は鎧兜姿だが、立ち向かっている者達は平服姿だ。信長はひと目で相手に勢いがないのを見てとる。
「槍を逆さにして打ち倒せ。敵は弱っとるがや。足を払え。得物を叩き落とせ」
渡り合っていた、最初の探索組と駆けつけた鎧武者が入れ替わり、槍を反対にして、信長の命に従い闘う。
三十人程が瞬く間に打ち倒され、刀や槍を叩き落とされる。
「縛り上げよ」
縛り上げられずらりと並んで座らされた三十人は、誰もが大小はあっても傷を負っていて、着ている着物も血だらけで裂けたり破れたりしている。
彼等の刀槍等は一所に集められて足軽が番をする。
それらの顔を見渡した信長が視線を止めて声をかける。
「汝は大膳めが弟、坂井甚介だな。大膳は如何した」
坂井はふて腐れた顔でそっぽを向く。
「二十人程で屋敷内を見て参れ。大膳おれば引っ立てて参れ・・・何処ぞに隠れとるかもしれん。左馬允、その方が指図いたせ」
津田勢月が行く者を指で素早く指名し、屋敷内へ踏み込む。辺りはもう完全に明るい。
信長がまた一人に問い糾す。
「おみゃあは川原兵助だがや。何があった。おみゃあん達の血は乾いとるがや。守護様御一党を討ち取ったはおみゃあん達か。訳は。言わねば身体を責めるがや。見ればえりゃあ(とても)弱っとるがや・・どうだ、責め受けたいか」
川原が力無く首を横に振る。
「だれぞ、この川原を引っ立て、場所を変え話を聞き取り書き付けよ・・・甚介は話する気ないみてゃあだで、何人かで責めたれ。殺してはならぬ。止めてくれ言うまで痛ゃあ目に合わしたれ。他の者共にも同様に問い、答えねば責めよ。場所をそれぞれにするを忘るるな。聞いた話は後に突き合わせるだでだ。それっ、かかれっ」
そう叫んだ信長は、大和守の御殿へ急ぐ。左馬允以下の探索組以外が信長に続く。
大膳宅より一回り大きな表門をくぐり、玄関に向かう。三位が六尺棒を手に玄関前に立っている、すぐ奥の引き戸は閉まっている。
三位が中に呼びかける。
「拙者は弾正忠家の臣、平田三位良勝でござる。清洲の危急を御救いせんと、那古野城主、三郎信長様が御出張にて。彼方様に害意はござらぬ・・・大和守様は、御無事なので御座ろうか。戸を開けられよ・・・開けねば打ち破らねばなりませぬ。返答なさいませい」
答えはない。
三位が振り向いて言う。
「三人ばかりで、六尺棒でこの戸を打ち破れ。わしが踏み込むゆえ、その方らは飛び出てくる者に備えよ。わしが呼ぶまでは、誰も入ってはならん。よいかっ」
皆が、ははっと畏まる。
信長が小声で、背後の武者達に屋敷を取り巻けと命ずる。
武者達が左右に別れて走って行く。
三位が信長を見て指図を褒めるようにっこり笑う。
三位が引き戸前の三人に目で合図する。
引き戸がばりばりと破れ、六尺棒を片手の三位が摺り足で入って行く。
暫くは物音もしない。
やがて、建物奥から三位の声がする。
「皆入って参れ・・・御大将もお連れせよ。縄を忘るるな・・・戸や襖を開けつつ参れ」
信長を囲むように小具足姿の侍達が奥へ進む。
戸や襖が音を立てて開けられていく。
広い廊下を右に曲がった所に三位が立っている。
その回りの廊下や、横の中庭に大勢が倒れている。
痛みからか、唸る者が多い。
信長が命ずる。
「縛り上げよ・・・広信めの部屋へ参る。者共、続け」
廊下を進んで左に曲がると、そこが広信の居室だ。
信長が目で襖を開けよと示す。
豪華な襖が荒っぽく開けられる。
分厚い布団を身体にかけ、誰かが仰向けに寝ている。
青ざめた顔、その顔は掻いたのか傷だらけだ。頬が削げ、髪はざんばらだ。
信長が覗き込んで言う。
「紛れもなき、大和守広信だがや・・・これっ、起きよ・・起きぬか」
信長は片膝になり、広信の口に手を当てる。
「息はしとるがや・・水を探して持って参れ」
何人かが動く。
信長は、足で軽く蹴ったり揺すったりするが、広信は目を開けない。
盥に水を入れて一人が戻った。
「かけたれい」
水をかけられた広信が呻く。
「つ、冷てゃあ・・・ぶ、無礼者めっ。あっ、おみゃあは信長かっ」
それだけを言うのがやっとの広信を見下ろして信長が言う。
「無礼とは笑止。守護様を御守り奉らんと駆けつければこの有様だがや。主をあのような惨き目に合わせながら、汝はそれでも守護代か。おみゃあの家来は全部、俺の御師様に打ちすえられて棒の如く向こうに転がっとるわ。間もなくてて様が参られる。その前になんでこうなったか有り体に申せ」
信長は、己が栗原に狙われた事については、あえて広信を追求しない。
広信の返答次第で、怪しい出来事が信長に結びつき、異変が謀だったと覚られる可能性があるからだ。
狙撃の黒幕は、捕らえた狙撃者を責め殺したから判らないスタンスを貫かなければいけないし、そもそも狙撃者が広信以下、清州城関係者と関わりがあると認識している事を敵味方問わず、知られてはいけないからだ。
信長は、飽くまで、守護様救援に駆けつけたのだ。
広信は目を瞑って無言だ。事の経緯をまだ知らない信長には、広信の異常な衰弱の訳が判らない。
「たわけめ。答へぬは主殺しを認めたと同様だわっ・・・よし、こやつを布団ごと運べ。広場のほうが責めやすいがや」
何人かが布団ごと広信を持ち上げ、掛け声を上げて広場へ運ぶ。その後を縛られた広信の家臣達が二十人程引き立てられていく。彼等の刀、脇差しや槍等の武器は足軽達が束ねて担いで来る。
信長は三位と肩を並べて歩く。
「御師様には、御見事なる御手並み。此方の兵に損も生じず、誠にありがたき次第にて」
「いや、拙者の務めにござる・・・されど、御大将、この異変は如何にして起きたのでござろうか」
信長は心で侘びながら答えた。
「全く判りませぬ・・・清洲の商人から那古野の商人に、城の様子がおかしいと知らせがあり、手の者に探らせて切迫を覚えましたゆえ万が一を案じて、せめて守護様を御守りしようと駆けつけましたが、間に合わず・・・でござった」
「されば守護様は・・・御一家は」
信長が首を横に振る。
「弑奉ったは、広信に大膳」
「おおかたは・・・今から話を手分けして聞き取るで、ちいと時がかかるで、暫くお待ち下され」
「守護様の御様子は」
「苦悶の御表情にて、御無念顕わにて。されど、御自ら太刀を持ち、激闘ののち討たれたは明白にて」
三位の顔色が変わっている。三位は斯波家の一門だからだ。
信長は広場に戻った時、義統の死を言わなかったから、三位はそれを知らなかったのだ。
そこへ津田勢月が来る。
「御大将、大膳めは寝とったがね・・・病なのか起き上がれんがね・・・あと奥に大膳の刀自らしき婆おったけど、気が触れとるのか、怖ゃあとか恐ぎゃあとか、黒い化け物見たとか言って、布団被って震えとったんだわ・・・大膳は布団ごと担いでくるけど、婆はどうしやあす」
「他には誰もおらんのか」
「くまなく探したで、見落としは無ゃあがね」
「されば、婆の始末は後で良い。ほかっとけ」
左馬允に同行した武者達が大膳を布団ごと担いで戻った。
布団ごと地面に放り出す。タイミングが合って連れられて来た広信もその横に放り出される。
大膳が着地の衝撃で気づいたのか、信長を見上げてかすれた声で言う。
「あっ、お、おのれぃ、さ、三郎っ、おみゃあは、な、何でここにおる。い、去ね、去ねえっ。あっ、判ったがや、此度の妖異は汝の仕業であろう。うううっ、口惜しや。謀られたか」
大膳もそれだけ言うのがやっとの様子で、荒い息を吐き、見るからに衰弱しているのが判る。
広信は観念したのか無言で青い空を見上げている。
信長は大膳の言葉には反応しない。
少し離れた、大膳の声は届かない場所で三位が燃える眼差しで二人を見ている。
大膳が続けて何かを言おうとするが、声にならない。
そこへ最初に城内に散って探索していた者達が、三々五々帰ってくる。どの組も、城内で発見した、数人から数十人の清洲織田の家臣らしき者達を囲むようにして来る。
疲れ切った様子でとぼとぼと歩く捕らわれ人達は、武装は解かれているが、縛られてはいない。
一人の鎧武者が信長の前に片膝をついて言う。
「御大将、この者共は、組頭等が逃散してまって、如何にすればと案じとる内に前夜の騒ぎと、我らの勢いに恐れなし、隠れとったのでござる・・手向かいもせず、御大将の御ことのは伝えたところ、降参したもんで縛らずに連れて来たがね」
「うむ、よき分別だがや・・・されば今般、ここでおきた様をなるべく大勢から聞いてまとめよ」
彼等の身分は足軽、下人、荒し子等が殆どで、いるはずのそれより身分の高い者達は見えない。
信長がまた大声で下知する。
「広信が手勢よりも、話を聞き取れい。喋らぬ者は痛めつけよ、その際は誰が何を言ったかも書きつけよ。すなお(正直)に申せばよし。後に話を突き合わせ、偽りと判れば容赦せぬと伝えよ。仮に罪なる働きをしたと言えど、すなおに申せば罪一等を減ずるもありとも伝えよ」
そこへまた、前田犬千代の弟の、佐脇藤八郎良之が走ってきた。
「御大将、金蔵と武具蔵守っとる、足軽共が、どう言っても下知に従わんがね。成敗してもええきゃ」
「何人くりゃあだ。藤八郎」
「三人づつだがね」
「成敗はならん。忠義の者達だがや。暫く遠巻きにして、見守っておれ・・・但し付け火しようといたせばやむを得ぬ・・・斬って棄てよ」
藤八郎が、走って戻る。
入れ替わるように、丹羽万千代長秀が、二人の侍を縛って連れてくる。
「御大将、此奴等は太鼓櫓に隠れ潜んどったんだわ。守護様家来の梁田弥次右衛門と、彦五郎家来、那古野弥五郎と名乗っとるがね。彼方此方(敵味方)一緒が不審だで得物取り上げて連れてきたんだわ」
「うむ。万千代でかした・・・おみゃあんたらあ、なんで一緒だや」
地面に膝を無理矢理突かされた、二人の内の年配の侍が顔を歪めて答える。
「わっ、我等二人は年来の念友(ねんゆう(男色関係)にて、此度の出来事には関わり無き者にて。御軍勢の勢い恐ろしく隠れる他無く」
信長の顔色が変わる。
「那古野弥五郎とは、家来三百人の愛智郡の土豪の頭分であろう・・・是非は別に、それぞれの主が闘っておるのに、関わり無きとは武士のことのはか。足軽の中にさえ、我等に怯まず手向う者もおったと言うに、おみゃあんたちは武士侍では無ゃあ。その前に人では無ゃあ。見るも穢らわしき人非人、成敗する気にもならんがや。髷を斬り落として追放いたせ。その姿見て、弥五郎っ、おみゃあの家来共はどうするかのん。おみゃあの領地は即刻、今日明日にも俺が貰うがや。戻って戦のまわしいたせ。出来やあだけどな」
この時十六歳の弥五郎は己の先が見えたのか、項垂れたままだ。
二人は髷を落とされ城外へ去った。
破壊されたままの大門方向から、沢山の馬蹄の響きが聞こえる。
「おっ、てて様、御着到だがや・・・者共、場所をあけよ」
どどどっと、地響きを立てて、織田木瓜の旗を先頭に、色とりどりの鎧兜に各種面頬の騎馬武者たちが城内に走り込んでくる。
信長が片膝を突き迎える。信長勢も、それぞれの作業を止め信長に習う。
最も煌びやかな甲冑の騎馬武者が、信長に気づき馬を止める。
その武者は、金張り(金メッキ)の半首面頬と呼ばれる、額と頬を覆う、顔の防具を外しながら、信長に大声で問う。
「三郎っ、出迎え大儀っ。されど、この有様はなんとした。守護様は、武衛様は御無事か」
信長が立ち上がり、信秀の馬の轡を取る。
「されば、御案内仕りまする」
信秀が馬を下り、信長に続いて守護御殿へ向かう。信秀の手勢が百人程続く。
信長はその道中で、判っていることを説明するが、一益や六人衆の働きについては言わない。
一刻程過ぎて一行が戻る。
信秀の顔は憤怒で真っ赤だ。
広信と大膳は寝たままだ。
二人を見下ろして信秀が太った身体を揺すって怒鳴る。
「おっのれぃっ、御護りするが務めの、てみゃあんたらあが、武衛様を弑奉るとは。八つ裂きでも火焙りでもあきたらぬ。三郎っ、話の聞き取りはまだか」
「いま暫く。真相探らねば、後々にも関わる事にて」
「うむ。されば究明は待つとして。この城は只今より弾正忠家の城だがや・・・主は三郎っ、その方だわ・・・一番家老は中務(平手政秀)とせよ・・那古野城は通勝(林秀貞)と内藤に守らせよ。城内の検分は」
「手が回りませぬ故、てて様の御手勢にて。ほんだけど、金蔵と武具蔵は忠義の足軽達が守っとるみてゃあで、この後に及んで主家を裏切らざる忠義の者共だで、御寛恕を持っての御取り扱いを御頼みしてゃあんだわ」
「ほうか、そのような者共は、おみゃあが召し抱えやあええでなあ。家臣増やさないかんでなあ。ほしたらわしが検分やるで、その方は聞き取り急げ」
信長勢は聞き取りに集中し、信秀勢は城内の検分を行う。
もう、昼が近い。
信秀が命じ、飯の支度も始まる。
すると、義統の部屋に残っていた佐々成政が、戸板を持った六人の足軽を引き連れ信長の前に片膝を突く。
「御大将、一人息ある者おったで運んできたがね。守護様小姓の由字喜一と名乗っとるがね。ほれから、守護様御家来の森政武殿と弟の掃部助殿、丹羽祐稙殿の御討ち死に、由字殿が確かめたがね」
「おっ、由字なら知っとるがや・・ほうか森政兄弟も知っとるし、丹羽もことのは交わした事あるがや・・あたら武勇の者を・・・無念だがや」
信長が地面に下ろされた戸板の横に立ち見下ろす。
「由字、喜一、如何した・・・俺だ、三郎信長だがや」
「あっ、三郎様っ」
そう言った由字は起き上がろうとしたが、出来ない。
信長を見つめる由字の両目に涙がわき、ぼろぼろとこぼれ落ちる。
「せ、拙者は、坂井甚介はじめ、広信大膳の手勢に討ち入られた折、不覚にも短槍の柄で頭を殴られ、気を失っておったのでござる。討ちとられた朋輩等が拙者の上に折り重なって、動くのも声を出すのも出来ず、難渋しとったところ、佐々様が見つけてくれたのでござる」
「ほうか、命ありて良き塩梅だがや」
「いや、拙者は守護様も御守りできず、恥そそがねばなりませぬ。腹を斬りまするが、あやつらにせめて一太刀と、佐々様に身を御任せした次第。広信大膳や甚介共は」
「広信大膳は臥したままにて・・家来共は縛り上げて、ほれっ、そこに並んどるがや。お主の望みは分かった・・・ほんだけど、事の経緯を明かさねばならぬ・・お主は今般の出来事のあらましが判るか」
「はっ、おおよそは」
「されば、蔵之助、由字から話を聞け」
そう言った信長は、離れて床几に座っている信秀に近づいて片膝を突く。
「てて様、守護様の御逝去は隠ろへ事といたしますか」
信秀が即答する。
「それは成らぬ・・・広信大膳の非道悪行を広く知らしめ、成敗し、清洲城を弾正忠家が正当に受け継ぐ事も他家に納得させねば成らぬ。我等が仇を討てば、弾正忠家の清洲城支配はもっとも(当たり前)だがや・・・まず急ぐは、大手門の修復だがや・・古渡には、大工、こだくみの者共を集めてここへの急行を命ずる使いを、さっき出したがや・・門の材は、広信大膳の屋敷を叩き壊して使えばええがや」
「そは、早速なる御手配り」
信秀が、ふんっと鼻を鳴らす。
「ほんでよう、守護様の御殿は取り壊せ。その材にて守護様等を荼毘に付してさしあげよ。長く暮らされた家屋の材にて焼かれらば、幾ばくかの供養になろう・・・検分済み次第取りかかれ」
「はっ」と信長が頭を下げる。
信長は、離れて待つ小姓達のいる場所へ戻る。
小姓達と馬廻り衆が信長を丸く囲むように動く。
床几に座った信長の前に、深紅の鎧兜の武者が七人片膝を突く。
「おっ、滝川っ」
応えようとする一益を目で制して、信長が大声を出す。
「聞き取りの様子を見て回る。その方ら七名、ついて参れ・・・他の者は、気を緩めず、異変に備えよ」
信長が歩き出し、一益と六人衆が続く。
「滝川、大儀千万だがや・・・小声で話せ・・・話していると悟らねぬよう」
信長が視線を真っすぐ前に向けたまま小声で言う。
「お殿様、御許し下さりませ・・・・守護様を御守りできへんかったは、全てわての手抜かりで、腹斬りまっさけ、六人衆には御咎めせんでおくれやす」
「腹、とろくっしゃあ・・・滝川、大手柄上げて何で腹斬る・・城下を焼き打ちにせずとも済み、此方に一人の損も生じず、費えも無しに清洲城は弾正忠家のもんだがや・・・ほれは、尾張下四群が弾正忠家のもんになったいう事だがや。守護様御落命は、お主共が図ったことではあるまい・・広信大膳の仕業は明白だがや・・討つ討たるる、勝ち負けは武門の習い・・・守護様には、御かわゆしき(可哀想)事ではあっが、御最後は自ら太刀をとり、勇ましく闘われた様は見届けたがや。悔やむな」
と、懸命に説得する信長だが、その表情は暗い。
「噂が守護様を殺わしてもうたんで、噂流したんはわてなんでおます」
「それも調略だがや・・・広信大膳を討つ算段がちいと思わぬ方へ行っただけだがや・・・それはもうよい・・・それより俺はお主共の仕掛けた様が聞きたいがや」
城内を歩き廻りながら、一益や六人衆が怪異の仕掛けの話を代わる代わるする。
鐘太鼓を鳴らしたのは言うまでも無く七人で、屋根を走り回ったのは剋と白。
櫓門や足軽長屋等を破壊し、大膳の刀自を気絶させたのは影だ。
櫓門を破壊したのは、信長勢の侵入を容易にするためだ。
鬼や怨霊に化けたのも七人で、広信大膳を毎夜掠って川原に放置したのも七人だ。
男女の鬼の赤い目は魚の鱗に着色した物。牙や角は獣の骨を加工した物。女鬼の長い髪はかつら。
女鬼役は小柄な雪丸で、男鬼役は勇三と背丈が合った風だった。残りの久の家族の怨霊役は七人で代わる代わる勤めた。
鬼火は、皮を矧いで黒く染めた細長い竹棒と細い黒紐を操って動かした。油を染み込ませた布に緑青を振りかければ炎は青白く燃えるのだ。
人気の無い五条川上での鬼火の操作は、容易だったし、須賀屋の上での鬼火の操作も、須賀屋の五人の亡骸の臭いが辺りの町人を遠ざけてくれたから容易だった。
鬼が宙に浮いたのは、鬼役以外が、天井や木の上から黒い細紐で鬼役を吊したからだ。
それらの組紐は、全て、伊賀者が刀の下げ緒等に使う、名産の組紐なのだが、話を急ぐ一益はその説明を省く。
家臣達を眠らせたのは、一益が天井から撒いたり、酒に混ぜた眠り薬で、広信大膳や家来共が気絶したのは、一益以外の六人が忍術達者にしかできない気合を放ったからだ。
また広信大膳が痒みに襲われたのは、毎夜浴びせられた予め用意してあった獣や魚の血に、漆が大量に混ぜてあったからだ。痒みは睡眠を妨げ、人を弱らせる。その場に不似合いな香の香りも一益の仕業だ。
偽地震は七人が建物を揺らして起こした。
それは忍者なら心得ている技で、堅牢な建物も、ある一点を揺らし続ければ倒壊するのだ。倒壊にまで至らずとも、小さな地震を再現するくらいは彼等には容易なのだ。
広信大膳を五条川に引きこもうとしたのは、身体に馬脂を塗って冷たさに耐えた雪丸と風だ。
更に、祝詞を唱えていた修験者は、変装した一益だった。
信長は途中で「ほうか、狼共も働いたか」と小さく呟いただけであとは話を黙って聞いていた。
「毒を喰らわすのは二日で止めたんだっせ。
雪丸と風が広信大膳の足首掴んで出来た傷が膿んで、酷なったからでおます。二人に毒は使うてまへん・・・たまさかに地の毒か水中の毒が入ったんやと思うんでおます」
「うん。何よりお主共の素速き身のこなし。気配を立てぬ術の冴えだがや。天晴れのほか、ことのは浮かばんがや」
「他にも不思議あるんでっせ」
「なにかのん」
「久と勇三が身ぃ投げてから、今日がちょうど四十九日なんだっせ・・・あと漆の効きも、広信大膳共に良う効いて。二人に一人は漆は効かへんのに、何や不思議で」
信長が絶句する。
「ほうか・・・ほしたらそれはよ、哀れな七人が恨み晴らすべく、我等に手を添えてくれたのやもしれんがや。城の様々が済めば、まず七人を弔わないかんがや」
信長は、前からの心がけに基づき、それ以上の仕掛けの詳細は聞かない。
元の陣所へ戻る。
信秀の母衣武者が駆けてくる。
「若殿様には、大殿様の御召しにござる」
信秀の陣所へ軍勢をかき分けて駆けつける。
「三郎、あとは金蔵と武具蔵の検分だけだがや・・・そのほう行って差配いたせ」
信長が畏まって本丸横の蔵の並びに向かう。
信長勢が、皆従う。
蔵の前には、佐脇良之が言った通り、若い足軽が六人いて、槍を振り回している。
「静まれぃっ、俺は那古野の三郎信長だがや。古渡の大殿もすでに城内に御着到だがや・・・守護様を弑奉ったは、彦五郎広信と大膳めだがや・・・主殺しは大罪である。よって広信大膳はもう清洲の主でも重臣でもない。さればその方共は我等に手向かう訳は無くなったがや。多勢に囲まれても逃げず怯まずは見上げた覚悟じゃ。褒めてとらす。得物を捨て、我等に降ればそれでよし・・・如何にしても聞けぬなら、やむを得ず、斬り棄てる」
足軽達は互いを見合わせ迷っている様子だ。
「鉄砲も六十挺あるぞ・・・この間合いなら、その槍が此方に届く前に、おみゃあんたちの身体はさんざんに(ばらばらに)なるぞ」
その言葉が効いた。若い足軽達は槍を投げ捨て、脇差しも抜いて放り投げる。
「蔵の鍵があろう」
二人の足軽が腰にぶら下げていた鍵の束を放り投げる。
「大きい鍵が合鍵にて・・・右側に落ちたが金蔵、左側が武具蔵でごじゃあます」
「うむ。潔良し・・・誰ぞ、この者等を広場へ連れて行き、飯など食わせ、労ってやれい・・・藤八郎、因縁だがや・・その方やれいっ。酒もやればええがや」
六人が土下座して叩頭する。
佐脇藤八郎良之が先導して六人は広場へ去る。
「蔵の扉を開け、中を手分けして調べよ」
誰かの小者が床几を信長の後ろへ据える。
金蔵の扉を開けた武者が振り向いて言う。
「御大将、扉の際まで俵で一杯だがね・・・天井まで積んであるがね・・運び出さな、調べれ~へん」
「ほうか、まず一つここへ・・・そのあと運び出せ」
一人で運びだそうとした足軽がその余りの重さに諦め、仲間を三人呼び、かけ声と共に信長の前に運んで来る。
信長が腰刀を抜き、俵を斬り裂く。
「ざざっ」と音がして銭がこぼれる。
一文銭ばかりではない。金銀の小粒もかなりの割合で混ざっている。
金蔵の大きさを見ても、総額の見当もつかない。
「こりゃあ、えりゃあこったがや(大変な事態)。勝っ、大殿様を御連れいたせ。金蔵が天井まで銭で満ちておりますと申せ」
恒興が畏まって櫓門前の広場へ走る。
驚く早さで信秀が駆けつけるが、ぜいぜいと息を荒げて暫くは喋れない。
「大殿様っ、てて様っ、この銭と金銀が詰まった俵が蔵一杯だがね」
ぜいぜいとまだ息をしている信秀は満面の笑顔で、うんうんと頷く。
「彦五郎め、貯めるばかりで、使いようも知らず、哀れな奴だがや・・・三郎っ、金蔵の銭はわしが半分貰うが、半分はおみゃあにくれてやるがや。城を直し、兵を整えよ。尾張統一は間近だがや・・・岩倉の、七郎兵衛信安さえ潰しゃあ上四群も我等のもんだがや・・がははは」
「てて様、銭数えは、てて様手勢と我が手勢で一緒にやるが、間違い手落ちもないと心得まするが」
「うむ。よき了簡。我が小姓と近習共を残らず差し向けるがや」
ここの差配、御頼み申します」
信秀が頷き、回りの者共に指図を重ね、最後に言う。
「銭はいちいち何枚と数えず、重さを計れ。金銀もだがや。額は重さで判るわ。急げ。誰ぞ、者共に飯を運べ。湯も沸かせいっ。ふ~っ、何日かは泊まり込みだがや。わしも腹が減った。飯を持て。酒も温めて持って参れ。床几はまだか」
信秀はその夜から、無事だった本丸の櫓小屋に泊まり込み、各作業を指示監督した。
金銀、銭を数えるのは丸一日もかかった。
判明した総額は、ざっと二万五千貫文。現在価値で、約三十八億円だった。金蔵奥に、砂金だけが詰まった頑丈な木箱が幾つもあったから、量の割に金額が上がったのだ。
信秀はそれを聞いて大喜びだ。
武器蔵にはそれなりの各種兵器が仕舞われていたが、鉄砲は、十挺のみで、口径もばらばらだったから、そのままに置かれる。
信長は目が回る忙しさだった。
清洲城下と那古野城下から呼びかけて集めた大工等の職人を指図して、守護御殿を解体して、荼毘の燃料を作り、五条川の広い川原に、守護一党を荼毘に付す場所を作る。櫓門は広信大膳の豪華な屋敷を材としたから、瞬く間に修復され、前より立派になった。早く修復が出来たから、余った材や倒壊した建物の材を使い、仮小屋を沢山建てる。
信長は、当分は仮小屋で暮らすつもりだ。
翌日、城から北に離れた、五条川の広い川原で、斯波義統一党が荼毘に付された。信長勢と信秀勢、城下からも町人の主立つ者が集まったから、川原は人で一杯だ。
斯波家は、足利以来の禅宗だから、天王坊から沢彦が呼び寄せられる。
葬儀ではないから、禅宗特有の「喝っ」は発せられない。あたふたと来た沢彦が唱えている内容は聞き取れない。
取り壊した守護御殿の材は一片も残さず使ったから、荼毘の炎は巨大で天を焦がす。
宗旨に則った儀式は終わる。
遺骨は守護御殿の跡に墓を建立して納める事になり、一旦の仮埋葬が予定地横に成された。
広信大膳とその家来共は一晩放置されたから、寒さに震え、半死半生の広信大膳以外が空腹と渇きを訴える。
聞き取りがまとまり、並んで座る信秀と信長に、祐筆が事情を読み上げる。
斯波義統を直接手にかけたのが、誰かも判明した。
信長が信秀に言う。
「大殿様っ、お裁きを」
「うむ。経緯は判った・・・要は、怪異が何日も続き、広信、大膳がそれを守護様の仕業と思うて、討ち入ったということか・・・ほんだけど、ほんな怪異が真にあるんきゃあな。わしは信じれんがや。三郎は」
「信じられませぬ・・・されど鬼火を見た者、鐘太鼓の打ち鳴らし聞いた者は城下城内問わず、大勢にて。鬼火の数も、哀れな商家の七人と合致。更に、怪異に恐れなし逃げ散ったのか、二千はおるはずの城方が、数えても二百にも足らざる有様。また、現に足軽長屋や分厚い櫓門が、我等には判らぬやり方にて、潰され破られておりますれば」
「怪異が誰ぞの仕掛けとしても、守護様の僅かな家来共にそのような事が出来るとも思えんしのん。現に昨夜は何事もなく済んだしのん。不思議であるのん。ほう言やあ、その方、少し前に鳴海辺りで鉄砲にて狙われたのん。今般の事はそれに関わりないか」
「狙われたは確かにて・・・されど、犯人は責め殺しましたゆえ、どこの誰かも判らずじまいに。よってその議と此度の事は関わり無しと存じまする」
信長は冷や汗を感じている。
「まあええ。我が弾正忠家には良き事となったでのん・・・さて、広信、大膳はまだ置け。その他、守護様御一党を直接害したもんは斬首。すなおに話ししたもんは罪一等を減じ切腹。罪軽く、この後、我等に忠誠誓うもんは、構い無しで、三郎に預ける。罪人の家族は、女子は追放。男子は家長の罪により、斬首、切腹、追放。事情に寄り出家を許す事もあるとする」
すると、小具足姿の武者が一人走り出て、信秀の前に、がばと手を突き声を上げる。
「大殿様っ、拙者でござる。三位でござります」
「おうっ、平田っ、如何した」
「斬首となる者と拙者を立ち会わせて頂きたく。臥して願い奉つりまする。守護様の恨み晴らさねば拙者の面目立ちませぬ」
と、三位が言い終わらぬうち、汚れた肩衣姿の若侍が三位の横に走り寄り跪く。
「大殿様、手前にも、同じく、立ち会いを御許し願いまする」
若侍の素性が判らない信秀の様子に、信長が小声で伝える。
「ほうか、由宇とやら・・・守護様の小姓か。うん。ほれはもっともなる願いだがや。ほんだけど、斬首となる者は三十人はおるがや。二人で三十人と立ち会えば、負ける事もあろう。それは如何する」
三位が静かに答える。
「その折は、その者の罪一等を減じ、切腹を御許し下され・・・一人づつと立ち会いますれば、拙者は負けませぬ。聞けばこの者の覚悟ももっとも。相手をば、まずこの者に選ばせ、残りを順に討ちまする」
信秀が許可し、斬首処分の者以外も立ち会いを見る事を強いられる。
立ち会いが始まった。
三位は、屋籠もりに使った六尺棒を使い、由宇喜一は短槍を使う。三位の小者が予備の六尺棒を少しづつ、二十本も運んでくる。
軍勢は広信、大膳と家来共を、縦横半町(約55m)を空けてUの字型に取り囲んでいるから、広さは充分で、囲まれた三十人ほどの背後は無人でがらんとしている。
最初の由宇は、織田三位を選ぶ。
三位は毛むくじゃらの大男だが、疲労して足元が確かではない。
己の刀を渡された織田三位は、それでも物凄い形相で、喜一の頭に、いきなり斬りかかる。
喜一は立ち位置も変えず、三位の刀の物打ち辺りを下から払う。刀が上がった三位の首を力を込めて突く。
斜めに突き抜いた穂先が、三位の首の後ろから出る。
突いたと同時に引いたから、首の前後から血が音を立てて噴き出す。唸り声を上げながら三位は最後の力を込め、刀を振り下ろす。由宇が払ったが、払いきれず肩を浅く斬られる。三位はどっと音を立てて倒れる。
「見事っ」と、殆ど同時に信長と信秀が声を上げる。取り囲む他の者達からも、次々と声がかかる。
由宇が短槍を背に廻し持ち、片膝を突いて、信秀信長に頭を下げる。
「御見事っ」
「誉れだがや」
「やったあ」
「ええぞ、ええぞ」
「守護様も御覧だがやっ」
信秀が怒鳴る。
「静まれいっ、わしもうかと(うっかりと)声を出したが、以後は出さぬ・・・皆も声を出すな。立ち会いの妨げだがや・・・皆の者っ、判ったかぁっ」
軍勢が一斉に「ははっ」と頭を下げる。
六尺棒を持った三位が、また信秀信長の前に跪く。
「勝手を申してすみませぬ。立ち会いの前に、彼奴らに、飯を食わせ、酒も一杯づつ飲ませてやりたいのでござる・・・相当なる衰弱に空腹と渇きでは、満足に闘えませぬ。相手が弱かったと由宇殿を嘲る訳ではござらぬ。拙者も由宇殿も気が急いて気づかなかったのでござる。のう、由宇殿」
傷の手当てを受けながら、由宇喜一も、はっとした顔をしたから、信秀は納得し、飯と酒を与える事を回りに命じた。
広信大膳には与えられない。
雑炊を啜り、酒を少し飲んだ家来達は生き返ったような表情になる。
三位が由宇と小声で相談している。
由宇が頷いて三位の相手が決まる。
「坂井甚介っ、出ませいっ」
坂井大膳の弟、甚介が薙刀を手に三位の前に進んでくる。甚介は激しい責めに耐え、何も話さなかったが、その分身体は傷だらけで、流血がまだ半乾きだ。
気合も発さず、甚介が薙刀を斜めに振り上げ、三位の左肩を袈裟に斬ろうと振り下ろす。三位は全く動かず、上半身だけを僅かに反らし、紙一重で、その刃を躱す。
甚介が一旦素早く後退し、足を踏み換え左から三位の下半身目がけて薙刀を振り下ろす。三位は斜め後ろに半歩退き、空を斬った甚介の薙刀の峰を六尺棒で叩く。乾いた金属音がして、薙刀の刃が真ん中から折れ飛ぶ。同時に三位の六尺棒も先から三分の一が折れる。
斜めに折れた六尺棒の先は尖っている。
刃を叩き折られた薙刀を、甚介が唸りながら、頭上に円を描いて振り回す。
間髪を入れず、三位が中腰になり、速い摺り足で甚介との間合いに踏み込んだと同時に、裂帛の気合いが迸る。
六尺棒の尖った先端が不気味な音と共に、甚介の背骨を砕いて背中に飛び出す。
三位が六尺棒から手を離すと、甚介は仰向けに倒れたから、刺さって突き出した六尺棒が地面に押し戻され、また不気味な音を立てた。
由宇喜一の回復度合いを見た三位が、暫くの休息を提案し、由宇が応じたから、三位が六尺棒を取り替えて立ち会いを続ける。
「河尻左馬丞、参れっ」
大声で気合を発した河尻は右手に太刀、左手に脇差しを持ち、早い速度で三位に迫る。歩みながら、河尻は脇差しを投げた。回転して飛んでくる脇差しを三位が上から叩き落とす。
「笑止」三位が呟く。
河尻は太刀を両手で握って、前に突き出しそのまま歩みを早め突っ込んでくる。三位は動かない。
太刀先はもう間合いに入っている。河尻が刀を下げ三位の腹目がけて突き出す。三位は左斜め後ろに下がり躱したから、河尻は前につんのめる。慌てて振り向いた河尻は態勢が乱れている。目の前の三位が六尺棒の端を両手で握り振りかぶったから、河尻は必死に太刀を横向きにし、刃先裏に左手を添えて頭上に上げ、三位の打撃を防ごうとした。
背中に着くほど振りかぶられた六尺棒は、河尻の刀の刃に音を立てて当たって押し下げ、勢いそのままにその頭に当たる。
悪寒がする音がして、河尻の頭がまず刀の峰で横に割れ、六尺棒の勢いで、峰は両耳の上までを無惨に割り裂く。鮮血や黄色っぽい脳漿が飛び散る。
六尺棒は更に縦に頭蓋骨を割り、脳味噌も叩き潰し、鼻を潰し割ってやっと止まる。三位はまた六尺棒をそのままに手を離したから、河尻はその場に座るよう崩れ落ちる。
木材の六尺棒が、刀の刃に当たって何故切断されないのか。
それは三位が、振り下ろした六尺棒が河尻の刃に当たる瞬間、ほんの僅か、人の目では判別出来ない程、六尺棒を前後に揺らしているからだ。こうすれば刃は木材に食い込みはするが、揺らされて刃が六尺棒の表面付近を削るだけで真っ直ぐ切断出来なくなるのだ。
但し、それは余人には出来ない。修業を怠らず、その業がかなりの高みに達した三位のような、文字通りの達人だけが成せる究極の剣術なのだ。
見物していた、取り囲む軍勢から、何人もが、青い顔で、その場を離れる。
経験の浅い若者たちだ。
信秀は顔色も変えず見ている。信長は青ざめている。
余りの惨劇に、由宇が怯えた顔だ。
三位はそれを見てとり、小声で言う。
「拙者に任せられよ。一人は討ち取ったのだ。仇は討てたと心得られよ」
由宇は泣きそうな顔で頷く。
信長が背後の犬千代に何かを囁く。
すると、信長の鉄砲隊が、取り巻く軍勢の前に静かに出てくる。
火縄からは煙が出ているから、いつでも撃てる状態だ。三位が危険と判断したら、相手を撃つのだ。
信長の命だ。
三位が火縄の臭いに気づき、信長を見て首を横に振る。
信長が残念そうに、小声で指図し、鉄砲隊はまた後ろに下がった。
それからまた無惨な復讐は始まった。
尖っていない六尺棒で首を突き破られる者。肩を上から叩かれ、肩の肉と腕の骨を裂きちぎられて死ぬ者。頭の横を六尺棒で叩き割られ瞬殺される者。口を突かれ、後頭部から、六尺棒の先が飛び出した者。膝を横から叩かれ、そこが割り裂かれて千切れて倒れ、そのまま死んでしまう者。
胃の辺りを突き破られた者は、破った六尺棒を握り、アドレナリンのせいか、瞬時の怪力を発してそれを己の腹から引き抜いた。その腹と背中の傷口から噴き出す血には、食べたばかりの雑炊の麦米が混じっている。
その場には血溜まりが幾つも出来ている。
立ち会いは続く。
三位は、六尺棒を取り替え取り替え闘うが、全くの無傷で、返り血も僅かだ。
由宇が一人。三位が二十九人を討ち取った。
突然、切腹組の川原兵助が縛られたまま出てきて叫ぶ。監視役か、足軽が十人程追いかけてきて、縄を引き川原を引き倒す。
信秀が声をかける。
「何か言いたいのか、足軽共、離してやれい」
川原が起き上がり、縛られたまま、信秀信長に片膝を突く。
「身共は、責められるを厭い恐れ、全てを語ってしまいし卑怯未練の腰抜けにて、切腹の御沙汰受けし者なれど、目の前で、上司、朋輩共をかようになぶり殺しにされては、見ぬふり出来ませぬ・・・・古渡の大殿様、その御仁に勝てぬは承知なれど、せ、せめて、ひ、一太刀。御情けをもって立ち会いを御許しくだされい」
信秀が感動の面持ちで即答する。
「うむ。その意気、購のうて遣わす。許す。許すがの・・・・平田っ、御主は如何じゃ。疲れたであろう・・・すでに大勢を討ち果たし済みじゃ・・・天晴れ仇は取れた。否としてもなんら恥とはならん。誰ぞ代人立てるも良しだがや」
「健気なる気概に応じるは、侍の至極。故に立ち会いまする。されど此奴も夕べより縛られたままゆえ、身体も冷え、飢餓の様にて。されば半刻ほど身体を温め、酒食も与えてやりとうござります。立ち会いはその後に」
何度も頷く信秀の目が潤んでいる。
「三郎よ、三位と川原が言葉を覚えておけい。あれこそが侍じゃ。武士じゃ」
川原は縄を解かれ、酒食をあてがわれる。
荒し子達が焚き火をしてやる。
三位が少し離れて、刀を手入れしている。
信長が気づいて近づき声をかける。
「御師様、先ほどはいらぬ真似いたし、御詫びいたしまする」
「いや、御配慮忝し。されど、尋常な立ち会いに鉄砲使わば、御家の恥になりますれば、御止めしただけでござる」
「・・・浅はかにて・・・その刀は」
「左兵衛督様の御遺刀にて、美濃の兼先作の太刀でござる」
「守護様が最期に握っておられた」
三位が頷く。
「刃こぼれ多く、刀身も曲がっておりまする。何故それを」
「仇とは言え、先ほどからの彼奴の潔良さ。川原もひとかどの者と覚えましたゆえ、六尺棒を使うは何やら気が咎めた次第。立ち会いも最後ゆえ、御供養の一環に、これを使いまする。研ぐのではなく、こびりついた血糊を削り落としておりまする」
三位は最後に、曲がった刀身を足で踏んで直した。
半刻が過ぎた。
川原が立派な拵えの太刀を、両手で差し上げ大声で言う。
「立ち会いに備える為の数々の御配慮に深謝いたしまする。間もなく我が主も各々方に抗う術もなく弑されよう。されば、拙者は我が主、坂井大膳様が佩刀にて立ち会いまする。事の是非、善悪は別に、侍は主命に従うが勤め。大膳様も大和守様の御下知に従ったまで。それを再考され、せめて我等関わりの残る者共に、格別なる御寛恕の御沙汰願い上げ奉りまする」
信秀が、目を潤ませて答える。
「聞き取った。存分にやれいっ」
信秀の言葉に、三位が兼先を右手に進み出る。川原は肩衣の一方を脱ぎ、袴に差し込み、刀を抜き鞘を捨てて歩んでくる。
川原が歩きながら、刀を右上段に構える。
三位は右手だけで刀の鍔元を握り、刀身を横に向けその切っ先を右下横に垂らしている。
川原が叫ぶ。
「名乗れぃっ」
三位が答える。
「おっ、心ならず(うっかり)であった。拙者は斯波一門に連なる、平田三位良勝でござる。只今は那古野城にて、剣術指南を勤める、織田弾正忠家の臣でござる。一門棟梁の仇討たんがための立ち会いでござる。いざっ」
「おうっ」
と、答えた川原は、身体を沈め、刀を左後ろに回して左脇構えになる。足を少しづつ動かし、三位に近づく。
三位の構えは変わらない。
川原の構えはおかしい。
柄元を握る左手の上に鍔下を握る右手が十字に重なるからだ。そのまま三位の向かって右側を狙えない事は無いが、力が充分入る筈も無く、刃が届く距離範囲も短く狭い。右利きの行う構えではない。
三位の眉が少し動く。
川原が近づき、間合いにあと半歩。
川原が突然、その場で身体を左足を軸に左廻りに回転させた。瞬時に刀を起こしながら、右脇構えになりつつ、右足を踏み出す。左手を柄元から離し右手を緩めて遠心力で握る位置を鍔元から柄元に下げる。
渾身の気合と共に、伸びた川原の刀の切っ先が三位の左肩を襲う。
だが、三位の刀は簡単にそれを払った。
刃が当たり火花が散る。
金属音と共に川原の刀身先が折れ飛ぶ。
川原は諦めず、刀を両手に三位に斜めに突っ込む。三位はそれを払わず、右脚を音を立てて踏み込み、兼先を両手で真っ直ぐ突き出す。兼先は川原の胸の真ん中を突く。
太い胸骨を貫く、砂利(砂利)に刃を突っ込んだような音がして、兼先の切っ先が川原の背中から突き出す。
と、瞬差で、川原の折れて切っ先のない刃が三位の左肩に突き刺さる。
観衆がどよめく。
三位が刀を抜くと川原は前向きに倒れる。
川原の刀は三位に刺さったままだ。
「平田っ、見事っ」と、信秀。
三位が振り向き、片膝になり、刀を背後に回して頭を下げる。
「御師様っ、御見事っ、さっ、疵の手当てを。医者、参れっ」
と、信長。
川原の奮闘と遺言に感銘を受けた信秀の命令で、切腹組は再吟味となり、関係者への処罰も、一段軽くなされた。
最後に最も残虐な刑が行われた。
信秀が事も無げに言う。
「広信、大膳は、馬にて裂け」
その有様を直視出来たのは、信秀以外にほんの僅かだ。信長さえ、瞬間には目を瞑った。
四頭の馬に、それぞれ股から引き裂かれ、血煙を上げて四つになった二人の亡骸は、そのまま、五条川に棄てられた。
清洲異変は終わったが、信長たちにはやることが山積みだった。
斯波一族の葬儀が、その最初だが、それは信秀の差配で、盛大かつ大々的に行われ、無事に終わった。
そして、その晩信長は仮小屋で、一益、六人衆と雑魚寝していた。語る事が多すぎて遅くなったからだ。
深夜、仏壇にある「りん」の音が鳴る
部屋に仏壇はない。
皆飛び起きて、信長を囲み異変に備える。
どこからか、小さな光が入ってくる。
冬に蛍は有り得ない。
光が七つになる。
飛び廻る光が、空間で停止する。
一息か二息そのままだ。
信長が、何かに頷く。
すると光群は、それに応える様、一度瞬き、ふっと消えた・・・