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架空戦記 あゆちのびと衆   作者: 岩山輝之
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あゆちのびと衆 第一章 その十一


      

       

         清洲異変

       



 敵討(かたきうちちは、久と勇三の哀れな二人が、五条川に身を投げた日から三十五日目、(すなわち、五七法要の当日深夜から始まった。

 

清洲城の東側の前を流れる五条川の上に、二つの青白い鬼火がふわふわと飛んでいる。だが深夜だから誰も気付かない。

 

鬼火が飛び始めてすぐ、それが解っているかのよう、城下に幾つもある寺の鐘が突然乱打された。城下中に鐘の音が幾つも響き渡り、町人(まちびとが大勢飛び出し、それぞれに近い寺を見に行く。


寺では、当然住職やらの寺の関係者達も飛び出して、すでに鐘撞かねつき堂など、鐘のある場所にいたが、そこには怪しい者などは誰もいない。


その詮索を町のあちこちで大勢がしているとき、今度は清洲城内の太鼓櫓(たいこやぐらに置いてある大太鼓が激しく打ち鳴らされた。


城内も鐘撞きの音で殆どの者は目覚めていたから、規則性の無いめちゃくちゃの叩き方に十人程が寝間着のまま、太鼓櫓たいこやぐらへ駆け上がった。だが人影などはなく、入り口の頑丈な鍵もそのままだったから、城内は混乱状態になった。


それでも冷静な重臣の誰かが敵の襲来を予見して、警戒態勢が命じられたから、篝火が幾つも焚かれ、城四隅の櫓には、武装した足軽達が登る。

その足軽の一人が鬼火を発見した。


「おい、見てみよ・・・川の上・・・鬼火だがや」


「おっ、ほんとだがや・・・お~い、組頭さま呼べ~」


鬼火の事は城内にたちまち伝わり、大勢が櫓に登って来る。すると鬼火が飛んでいる五条川の向こうの町屋が立ち並ぶ辺りの、大膳に潰されて屍臭漂ししゅうただう「須賀屋」の上空にまた鬼火が五つ現れて、ふわふわと飛び出した。


それも城内からよく見える。須賀屋は娘の親の店で米屋だった。久と言う名の娘の死と、大膳等になぐさみ者にされ舌を噛んだ竹と徳の姉妹の死に、更に店の取り潰しを悲観して、父の五助、母のたえ、兄の晋作が首を吊った場所だ。町人達も城内の大半もその悲劇の顛末を知っていたから、鬼火の出現をすぐに事件と結びつけた。


七つの鬼火は小半刻程、不気味に飛び回って、ふっと消えた。


半刻程して、町人達は何も分からないまま、ただ悲劇と鬼火等の怪異を結びつけた話を様々にして、帰宅していった。


町は寝静まったが清洲城内は警戒態勢のまま、城内の全員が起きている。須賀屋の鬼火話も伝わっている。


本丸御殿の織田大和守広信の居室に、坂井大膳、その弟の坂井甚介、河尻左馬丞、織田三位、川原兵助等の重臣、家臣達が集まっている。


この時三十六歳の広信が苛立った声で聞く。


「太鼓に鐘に、鬼火・・・誰の仕業だ・・太鼓櫓のかぎはどうも無ゃあのに、誰が如何にして入ったのきゃ」


広信より四つ年下の大膳が答える。


「わからんのでござりますわ・・川見に行かしましたが、鬼火は消えておれへんし、太鼓櫓も人が出入りしたあとは無ゃあし、足軽や荒子(あらしこ共の中になんぞのたたりだ言うもんもおったけど、そういうたわけはわしが叱っといたんでござりまする」


その時、御殿の屋根を騒がしく走り回る何かの足音が大きさ聞こえた。


「なんだあ、誰が、屋根登っとるんだあぁ。おみゃあんたあ、ちゃっと見てこんかあ」


広信の怒声に全員が立ち上がり外へ向かう。


一人になった広信が、寒さに気づいて、手焙てあぶりを引き寄せると、室内の小さな灯りが突然消えた。


「ううっ、これっ、たれかある・・・灯りが消えたがや・・火を持て・・火だがや」


暗闇の中で広信が叫ぶと、居室の襖が開く気配がした。


「大儀。灯りを(ともせ」


襖の方向から返事はない。


広信が「こりゃ、誰・・」まで言った時、ふすまの方がぼうっとほんの僅か明るくなった。


そこには、小柄な女が立っていた。

全身がびしょ濡れで髪はざんばらなのが判る。

顔は下向きだから、人相は判らないが着物は派手で、化粧しているのも判る。

髪や着物からは水がぽたぽたしたたりおちている。


「誰だ、おみゃあは・・わしが誰か知らんのかあ、無礼者めぇ、手討ちだがや」


すると、か細い声で「ひ・・さ」と聞こえ、女が顔を上げた。


両目が真っ赤で口からはきばのような尖った何かが二つ下に突き出している。女は両手を広信に突き出すように上げると両手の爪が異常に長くこれも真っ赤なのが判る。


広信は叫ぼうとしたが、余りの恐怖に息をひゅ~っと吸い込むしか出来ない。


更に良く見ると、女の濡れてざんばらの髪の間から尖った角が二本突き出ているのが判り、広信は思わずはいつくばって後ろに逃げようとした。


すると女は音も立てず広信を飛び越え、その行方に立って広信を見下ろした。


鬼のような女は音もなく宙に浮く。


広信はしゃくりあげながら、「お、鬼っ」と叫んだ。次の瞬間、広信は女が両手を突き出しながら、「むっ」と体中から何かを発すると同時に気絶した。


大膳達が戻ると、広信がいない。


「殿っ」


「御殿様っ」


「おっ、廊下に水がこのようにようけ垂れとるぞ」


「あっ、見よっ、東へ向かって足跡があるがや」


「小せえがや。童か、女のものだがや」

 

広信の居室前の長い廊下の上に、水に濡れた小さな足跡が点々と続いている。だがその先は雨戸があって閉まっている。


大膳が言う。


「雨戸開けてみよ」


何人かが慌てて閂をはずして雨戸を開ける。

大膳が闇に向かって叫ぶ。


「だれぞお~っ、松明たいまつ持って参れ~、急げ~ぇ」


すぐに足軽三人が松明を手にして駆けつけた。


「ここから先を照らしてみよ」


雨戸に手をかけたままの大膳の命に三人が松明を下に向けて雨戸下の地面を照らしながら移動していく。

大膳達も裸足で下りてついていく。


庭は白砂で常に綺麗に整備されているから、小さな足跡はがはっきりと残っているのが判る。

足跡は庭を抜けてすぐにある物置小屋の前で途絶えていた。小屋の向こうのは土塀で、その外はもう五条川に面した城外だ。


「はて、面妖めんような。雨戸を突き抜けるが如き動きは、一体なんじゃ・・・う~ん、じゃが足跡がここで消えているからには・・・」

と、大膳が唸っていると河尻左馬丞が進言する。


「坂井様、何人か城回りも探索させたほうがええんではにゃあかの」


「たわけえっ、ほんなこと、まだやっとらんのか。はよう人数(にんじゅ出せえ」


広信は水の音と寒さで気づいた。雪が舞っている。


真っ暗だが、川の流れが微かに光り、己の両足首が流れの中にあり、川原の石ころの上に横たわっているのを自覚する。顔がべとべとしていて、着ている白絹の寝間着も濡れていて、鉄の臭いがした。両手で顔を触るとねちゃねちゃする。


「さぶい、血だがや・・・ここはどこだ」


すると、凍るように冷たい水の中にある広信の両足首を何かが恐ろしく強い力で掴んだ。


足先の水中に白い人の顔の様なものがぼんやり見えた。広信は悲鳴を上げる。


「ぎゃあ~、止めろうぅっ、離せえぇっ、出会え~っ、だれぞお~っ、助けてくれえぇ~っ」


広信の身体が少しづつ、水中に引き込まれていく。


「止めよと申すにぃ~、おっのれぃ~、止めよ、止めてくれいぃ~」


すると川原に幾つかの松明の光りが現れ、声がした。


「お殿様ぁ~、どこでゃあ~」


「守護代様ぁ~、声上げてちょお~」


「ここだがや、はよお来んかあぁ~、おぼれてまうがやあぁ~」


「あっ、御座った御座った(おみえになった)。お殿様、今行くでよおぉ~」


すると足首を掴んでいた何かが、掴むのを止めた。

広信はうつぶせになり、這って川から遠ざかろうとする。そこへ若侍が一人と松明を持った足軽が四人来た。

若侍が聞く。


「お殿様、お怪我は」


「わからん、身体中血だらけだけど、痛ゃあとこは足首だけだわ・・・んなことはええで、はよ、わしを城へ連れてけぇ~。凍え死ぬがや」


足軽の一人が広信を背負い城へ急ぐ。

すると、一行を追う様に鬼火がまた二つ現れ、少し離れてふわふわとついてくる。


鬼火に雪が降って「じっ、じっ」と音がする。

足軽の一人が気づき悲鳴を上げる。


「うへえ~っ、鬼火だがや、追ってくるがやあ~、逃げろおぅ、とりころされるぞぉ」


若侍が(たしなめる。


「だまれぇ~、狼狽(うろたえるでなあい。走れぇ~、城は近いがやあ~」


城内ではまだ広信探しに大勢が歩き回っている。

広信を担いだ四人が転がるように、櫓大門から走り込む。


「あっ、お殿様だがやあ、お~い、皆の衆ぅっ、お殿様のお帰りだがやあ」


四人の内の一人の足軽が叫ぶ。


「お、鬼火がついてきとるっ・・・それっそこっ、恐ぎゃあ・・・祟りだがやあ」

と、指さす先の門の外には何も見えない。闇だけだ。

 

すると、少し身分が高そうな侍がその足軽を蹴り飛ばす。


「何が鬼火だあ、んなもん、どこにも飛んどれへんがや・・・鬼火みてゃあ、墓行きゃあ、ようけ飛んどるわ・・(りんが燃えとるだけだわ・・・恐ぎゃあだ祟りだ言うでない」


そこへ大膳達が駆けつけた。


「お、お殿様、どこ行っとりゃあた・・・血まるけはどうしやあた」


しかし広信は、はあはあと息をするだけだ。連れ帰った若侍が答える。


「なんで血まるけかは、わからんとのおおせにて。足首が痛ゃあと仰せ以外に、お怪我は無ゃあようでござりまする」


大膳が足首を改める。


「おっ、手の跡ついて(あざになっとるがや。(ちいしゃあ手だけど、あらけにゃあ(とてつもない)力だがや。指先んとこは食い込んで血が出とる。御手当せねばならぬ。医師(くすし呼べっ、風呂沸ふろわかせ。気付けの酒を用意いたせ。それっ、お殿様を奥へお連れいたせ。急げ。城の守りは続けよ」


広信を奥女中たちが足首の手当を簡単にしてから、三人がかりで風呂へ入れる。

髪にこびりついた血を洗い流すのに手間がかかり、出たのは半刻もたってからだ。


よろめくよう、浴衣に綿入れの寝間着で居室に戻った広信は、まだ、がたがた震えながら温めた酒を入れた徳利を掴んでがぶ飲みする。


取り巻く重臣の中から大膳が聞く。


「お殿様、御怪我無て良かったなも。ほんでも、どうしやあた。なにがあったんきゃあ」


「鬼だ。鬼が出たがや・・・女の姿の鬼だ。真っ赤な目に長ぎゃあ爪・・・口から牙で頭には角だぞ。鬼は宙に浮いとった。食われる思ったら、川原に居ったがや・・・血まるけにされて、川に引き込まれそうだったんだわ。身体中がかゆいがや」と、一気に喋って、身体をきながらまた酒を飲む。


「お殿様、そうも飲んだらいかんわ」


「たわけえ、あんな恐ぎゃあ思いしたの初めてだがや・・・戦場(いくさばでも味わっとらんぞお。酒飲まなおれんわっ。おみゃあんたらあは何やっとったんだ。わしを恐ぎゃあ目にわして、そんでも重臣(おとなかあ」


「鬼言って、この世に鬼みてゃあおらんがね。角やら牙やら、そんなもんつけた生き物は獣だけだがね。お殿様、夢でも見やあたんだわ」


広信が怒りの表情で言う。


「夢だあ、その鬼は名乗ったがや・・・ひさと名乗ったがや。夢でなんでそんな名が出る。ひさなんちゅう名、聞いた事も無ゃあ。医師(くすしはまだか。(かゆてたまらん」


鬼火が須賀屋の上にも現れたのを知らなかった大膳は内心驚いた。己がしでかした悲劇と五条川の鬼火が今頃結びついたからだ。


須賀屋の事を広信は屋号すら知らないし、久を城下で見初めはしたが、名も当然知らない。大膳はその娘が召し出しを拒んで男と身投げした事だけしか広信に伝えておらず、二人の姉への惨い仕打ちも当然話さない。


久の事だけを聞いた広信は、ふんっと鼻を鳴らしただけで、それ以上追求もしなかったから、大膳は須賀屋取り潰しも財貨没収も伝えていない。それに大膳はその財貨を勝手に独り占めしていたから、広信の態度は渡りに船だったのだ。


医師(くすしが来て足首の治療をしてから、痒みの治療を試みるが、痒みの原因が判らないのか首を捻るばかりだ。


「なんでもええで、痒み止めよ」

 

(うるし(かぶれに似とるがね。今、薬を御塗りいたしますがね」


薬を塗られながら広信が命じる。


「今晩からは、わしの寝間の回りを旗本と小姓の中から手利てききを二十人程選んで夜通し番させよ。ほんで、城下の神官と坊主ども、全部召し出して魔物封じの祈祷きとう)させよ。今すぐだがや。ほれから、もんときぬを呼べ」

と、広信は十五人の側女の中から二人の名を言う。広信の妻と二人の子は三年前に病で身罷みまかっている。


大膳は怪異の原因かもしれない須賀屋の悲劇を広信に伝えるつもりはない。

広信の命に従い全てを済ませて城内の屋敷に帰る。

真夜中は過ぎている。

妻の(さだが出迎えて、(ねぎらう。一人息子の高光(たかみつもまだ十三歳だが健気に出迎える。


御前様(おまえさま、お疲れだったなも。(ささの回ししたるでなも・・・湯煮豆腐ゆにどうふもあるがね」


これは現在の湯豆腐の食べ方ではなく、豆腐を煮て味噌だれなどで食べる料理だ。また豆腐はまだ、非常に高価な食べ物だった。


「おう。されば酒飲んで寝るか」


怪異をまだ深刻に捉えていない大膳は今後の対応策を考えながら酒をかなり飲み、寝間に入った。

布団の暖かさと酔いですぐに眠る。


それから半刻程したもう明け方。

天井の板が僅かにずれて、先端に針が吊るされた黒い糸がす~っと降りて来た。糸と針を液体が伝い、いびきをかいている大膳の口の中に一滴落ちるが、大膳は気づかず寝たままだ。これが二日続いた。

そしてこの事は、広信にも同様な事が為された。


またしばらくして、大膳は喉の渇きで目が覚めた。枕元の水入れを掴み、飲む。

すると足元に誰かが座っている。


「だ、誰だっ、曲者めっ、これっ、たれかある。出会え、出会え」と、叫ぶが誰も来ない。


座っている男らしき何者かは、正座をして頭を項垂うなだれている。頭はざんばらで、髪や着物から水がぽたぽた垂れている。


「ゆ・う・ぞ・う」

と聞こえてるのと同時に、何者かは頭を上げて手を突き出した。両目が真っ赤で口からは牙のような尖った何か。頭には角らしき物が二本。両手の爪は長くて鋭い。広信が見た鬼と同じだ。


「うわ~っ」と叫びながら、大膳は立ち上がり、後ろの刀に手を伸ばした。刀を抜き斬りかかる。

鬼のようなものは座ったまま、まっすぐ飛び上がり大膳の横薙よこなぎの刃をかわす。


「おのれぇ~、魔物めぇ~っ」


大膳は刀を振り回すが、鬼のようなものは人間業とは思えない身ごなしで、刀を躱す。

それでも、ついにそれを部屋の隅に追い詰めた。


斬るのを止めて、突こうと、両手で刀をまっすぐ突き出す。すると、鬼のようなも両手を突き出す。

大膳が突進するのと同時に、鬼のようなものが「むっ」と気合いのようなものを放ち、大膳は気絶した。


朝霧あさぎりが立ちこめる五条川の川原に大膳が倒れている。騒ぎは大膳の屋敷から始まり、また広信の時と同じ事が繰り返され、大膳が発見された。


広信同様、頭から足先まで血塗れだが、足首の手の跡以外怪我はない。

 

屋敷に運ばれた大膳を広信が見舞う。

広信は痒いのか、体面を(はばからず身体中をぼりぼり掻きながら言う。


「大膳、如何(いかがした・・・わしと同じ目に合ったがや・・・おみゃあも魔物見たか。川に引き込まれたか」


大膳は血塗れのまま、力無く頷くだけだ。


「いま、魔物封じの祈祷やっとるで、まあちょこっとで終わるで・・・ほしたら魔物はまあ出てこんで」


悲劇の詳細を知らない広信には、少し前までの大膳同様、まだそれ程の深刻さは見られず、事態の終結を宣言して去った。


大膳が(わめく。


「皆の者を呼べ。貞も高光もじゃ」


坂井家の家宰かさいを筆頭に、五十人程の家の子郎党が全部集まり、妻の貞と高光も来る。


「おみゃあんたあは、夜中わしが呼んだ時何やっとったあ・・・宿直(とのいは誰だったあ」


家宰が言う。


「申し訳もござりませぬ。手前も含め、皆がいつの間にか眠ってしまっとったんでござりまする」


「お貞っ、おみゃあもか」


「御前様、御許ししてちょうでゃああそわせ。なんやら香りよき匂いした途端、急に眠気がして、先ほどまで寝ていたんでごじゃあます」


息子の高光も同様に詫びる。


「貞や高光はともかく、おみゃあんたあは侍だがや。不覚悟にも程があるがや。たわけどもめっ。今から家中の戸や窓は全て開け放て。ほんで半分づつ交替で屋敷内外をば昼夜警戒いたせ。不審な者は見つけ次第斬りすてよ」


大膳の剣幕けんまくに家来達は、慌てて言われたようにする。


大膳の内心は恐怖に満ちていた。男の魔物が名乗った「ゆうぞう」とは、久と一緒に身投げした勇三だと判ったからだ。指折り数えて、昨晩がそれから三十五日目なのも大膳の恐怖を(つのらせた。

大膳は川原で男と女の鬼に川に引きずり込まれそうになったが、広信同様、捜索の人数に発見されて間一髪で助かったのだ。


恐怖を(まぎらわすには酒しかなかった。足首の治療を簡単にして、血を洗い流す為に風呂に入り、酒を飲みながら端女(はしため二人に身体を擦らせる。大膳も身体中が痒い。擦っても痒みが取れない。


手緩(てぬるいっ、もそっと力を入れよ」


血が(にじむほど(こすってもまだ痒みが取れない。


「え~い、もうよい・・・下がれっ、医師(くすしを呼ぶよう伝えよ」


端女二人は怯えた顔で風呂を出て行く。

すると大膳は急に吐き気を覚え、大量に嘔いた。


「た、たれか」


廊下にいた近習二人が、大膳を担いで、寝室へ運ぶ。


貞や家宰が心配そうにのぞき込む。


「御前様、御具合は」


「殿、御気分は」


「ど~も無ゃあ・・・痒いのがもたん。医師(くすしまだか」


医師(くすしが来て広信のと同じ診断をした。置いていった塗り薬を、貞が大膳の着物を脱がして全身に塗る。血が滲んだ足首には薬を塗り布を巻く。屋敷全体も部屋も、大膳の命で全ての窓や出入口の襖や障子が開け放たれているから、風が音を立てて通り抜けていく。


「さぶい。痒い。うぅっ、酒を持てっ」


「御前様、守護代様んとこ行かなかんのに、そうも(ささ飲んではいかんがね」


「ええで持て・・・寒さ(しのぎだがや・・本丸行っても務まらんでええんだわ」


大膳は薬で痒みが収まったのか、大量の酒で酔い潰れて寝た。


また夜が来た。 


坊主や神官どもの魔物封じの祈祷は全く効果が無い。昨夜と同じ事が起きる。鬼火が七つ現れ、鐘が乱打され太鼓も打ち鳴らされる。建物の屋根を何かが走り回る。前夜と違い城内は警戒態勢のままなのに、太鼓櫓の番をしていた四人の足軽の姿はいつの間にか消え、のちに五条川の川原に気絶して見つかる。


屋根の足音を防ぐのに、屋根に登る事を命じられた足軽達は恐怖に震え、いつの間にか逃亡してしまう。


城内にどこからか、(こうの匂いが強く立ちこめる。

 

広信の居室は屈強の侍達が取り巻いて警戒している。不安な広信は酒を飲みながら側女二人を添い寝させている。


室内にもこうの香りがしてきた。


 広信が怒鳴る。


「香など、辛気しんきくさいがや・・・誰が焚いた。消せ消せ」


誰も答えない。


広信が苛立ち襖を開けると、警護の侍達が全員、廊下に倒れて気を失っている。


「おのれぇ~、おみゃあんたらあ~、起きよ、起きんかあ」


広信が家来達を蹴って回るが誰も起きない。


居室から、「うっ、うっ」と聞こえて、広信が戻ると側女二人が倒れて、また女の鬼が立っていた。


そこからは昨夜と同じ事が起き、広信はまた五条川の川原に血塗れで発見された。前夜と違ったのは、広信の横に大膳も倒れていたことだ。

大膳も警戒厳重な屋敷からいつの間にか、家来達が気を失った間に消え、川原に血塗れで倒れて居たのだ。


どう防ごうとしても、事を止められない。


広信と大膳にしか見えない鬼には七つのタイプがあった。中年の男女、若い三人の娘と若い男が二人だ。全てが角に牙に真っ赤な目と長い爪。二匹は常に水を垂らし、残りは目鼻口から血を流している。

 

鬼達は大膳や広信の寝室の天井から一匹づつ顔を出したり、二匹で厠の窓から覗きこんだりした。部屋の中で宙に浮いていることもある。疲れきって眠ると身体を揺すられる。目覚めると目の前に鬼の恐ろしい顔が七つ浮かんでいることもある。その度二人は絶叫を上げ転げ回って逃げ、家来共を呼ぶのだが、家来達は何故かいつの間にか気を失うか眠ってしまうのだ。

 

恐怖で気絶してしまう二人は繰り返して掠われ、血塗れにされる。

 

七匹の鬼の男女は入れ替わってパターンを変えて広信と大膳に迫るが、怪我はさせない。直接の怪我は、広信と大膳の足首だけだ。

 

だが、その小さな怪我がなかなか治らずんできた。医師が懸命に治療するが(みは増すばかりだ。

 

同じ事が続く五日目には、城内全員が疲労困憊した。睡眠不足と、毎夜の怪奇現象に心が折れ、肉体も悲鳴を上げる。身分の低い足軽や下人達の中からは何人もが逃亡する。

広信と大膳は痒みと恐怖での睡眠不足、原因不明の吐き気に食欲不審で、その上に酷い下痢にもなり、二人とももう半病人だ。二人とも膿傷(うみきずから発熱して、起き上がれないほど衰弱すいじゃくしている。それでも二人はさらわれる。


城下外れの大杉の頂きに、古ぼけた竹笠が引っかかって揺れているが、そんな物には誰も興味を示さない。


が、その後清洲城下では様々な噂が飛び交った。怪奇現象がその中心なのは勿論だが、他に城内の大膳と広信の不仲が取り沙汰された。大膳が広信を(しいする為に怪奇現象をでっち上げ清洲城乗っ取りを企んでいるとか、その逆に広信が大膳を疎ましく思い抹殺しようと芝居をしているとかだ。


更に守護の斯波義統が、広信と大膳を滅ぼすために暗躍しているとの噂が流れた。


城の者達には噂の元は判らない。噂は城内にもすぐ伝わったが、その詮議をする体力気力のある者がいないのだ。


噂を流したのが、一益の竹笠の合図を見た那古野の若者たち十人なのは言うまでもない。

 

六日目の朝、五条川の東の堤に一人の修験者が立ち、何かをとなえている。


城に向いた修験者は小さな頭巾(ときんを額に、(おいを背負い法螺(ほらを下げ金剛杖に鈴懸姿(すずかけすがただ。


川向こうの畑に行こうとした、年寄りの百姓が気づいいて近寄る。


「もし、そこな験者様(げんじゃさま、何を唱えとらっせる・・・こな(へんでは(この辺りでは)見たこと無ゃあ御方だけどよ。どっからいりゃあた(来られた)」


すると筋骨逞しい修験者が振り返って答える。


「わしは大峰山(おおみねやまから白山(はくさんへ参る途中の者じゃがの、このお城になにやら禍禍(まがまがしき気配がしたによって、今、(はろうてやろうと祝詞(のりとを唱えておったのじゃ」


「禍禍しい気配っ。そら、なんでござりますかなも」


「何かは判らぬ・・・強き怨念が城を囲むよう漂っておる・・・・七つあるのは解るが、わしの法力は及ばぬようじゃ・・・そなたは何か心あたりはないか」


老百姓が須賀屋の悲劇を語り、修験者はそれが原因だと断定し、自らの力及ばぬ事を詫び、せめて城にはなるべく近寄るなと言い残して去った。その話も城内や城下にすぐ広まり、城へ食糧などを届ける商人達も、恐れから納品するのを躊躇(ためらい、城内は益々混乱した。


城内は斯波義統も含め、重臣達が疑心暗鬼に駆られ、それぞれの屋敷や御殿に家の子郎党とともにそれぞれが立て籠もっている状態だ。


城全体の警護警戒はもはや不可能だ。それでも怪奇現象は続く。七日目の明け方。

城内に雷より激しい大音響が(とどろく。

誰もが一度も聞いた事のない、巨大な何かが崩壊ほうかいしたような音だ。


音は頑丈な大手櫓門(おおてやぐらもんからしたから、わずかな者たちが恐る恐る見にゆく。


すると、厚さ四寸の松の木の門扉が城内に向かって破られ、(ほぼ完全に破壊されている。


門上の(やぐらも地面に落ちて粉々になり、門扉を支える五寸角の太い材木も、真っ二つに折れている。


門の辺りに人影や足跡はなく、門前の橋や堀向こうにも人の気配はない。


通常の城攻めでの門破りなら、太い木材を大勢が抱えて突進し、その勢いで打ち破るから、足跡など、その痕跡があって当然だが、それも無かった。

門を破って、あとは誰も居なくて何も起きない。

見てきた者から子細を聞いても、大半がどうしていいか判らない。


(しばらくして、壊れた城門には、作事奉行の侍とその刀で脅された足軽が十人いて、篝火を焚いて守っている。

その侍も、重臣の河尻に行かねば斬ると脅されて来ていたから、全員が気もそぞろだ。


 城内はしいんと静まり返っている。


また夜が来て、全く同じ事が繰り返される。


広信と大膳はいつの間にか拉致らちされ、血塗れで五条川の川原に発見される。その度に痒みが強まり、衰弱も深まる。


寝たきりの二人は弱っているかと思うと、突然笑い出したり、泣き出したりもする。それぞれの家来達も極限状態だ。


この時点で、清洲城内の将兵は千人程だ。

元々の清洲の人数は二千人程だったが、異変後に日に日に減っていったのだ。

逃亡者は行方も判らないが、その探索も行われていない。


櫓門が破壊された夜、今度は地震(ないが清洲城を襲った。


広信のいる本丸御殿がぎしぎしと音を立ててらぐ。

揺らぎは段々激しくなる。


家来達は広信を担いで表に飛び出す。すると外にはなんの変化もない。錯覚かと戻るとまた揺れる。

では、と二の丸へ行くと、またそこが揺れる。

その繰り返しに家来達は疲れ果て、本丸前の広場で野宿した。寒い、痒いと喚く広信に何枚も布団をかけ、望むまま酒を飲ませ、自分達も、寒さと恐怖を紛らわすために痛飲する。やがて主従は酔い潰れて眠り込み、朝には二人の家来が凍死していて、広信はまた川原に倒れている。


また次の晩、もう定番化した怪奇現象の後、大膳の屋敷が揺れた。家来達の反応は同様だ。大膳主従は城内には他に行く場所はないから、厩へ行ったり、兵糧蔵や武器蔵に逃げたりしたが、結果は広信同様で、やはり野外での滞在を余儀よぎなくされる。


篝火を焚き、焚き火をしてだんを取るが、やはり酒無くしては居られない。息子の高光も飲めない酒を飲んでいる。少し飲むと全員が睡魔に襲われ寝てしまう。起きていたのは酒を飲まなかった大膳の妻、貞だけだ。


刀自(とじ(身分の高い侍の老妻)の呼び名に相応しい年齢の貞は、鉢巻に薙刀を抱え、眠った大膳の横に健気に立っている。


すると、闇を走る何か巨大なものの気配がすると同時に轟音がして、視線の先の足軽長屋が崩れ落ちるのが背後の篝火と焚き火に照らされて判った。気配の主は判らない。きょろきょろと回りを見ても、焚き火や篝火の光が届かない所は見えない。貞が声を上げる。


「出会えぇ~、者共ぉ~、曲者じゃあ、妖異よういじゃあ」


薙刀の石突きで家来達をつついても、誰も反応しないし、布団に包まれていた大膳も消えている。


「なればわらわが退治してつかわすぞえ。出て参れぇ・・・妖異めぇ~・・・」


すると、上空の闇の中から、「ざ~っ」と風を切る音がして、貞の目の前に何かが「ずんっ」と着地した。


貞が見上げると、金色に輝く二つの何かが見え、次の瞬間、物凄い吼え声と共に、真っ赤な巨大な口が開いたのが判った。


「グワオォォオオォォ~」


口の中にびっしりとはえた牙と大きな赤い舌を見た所で貞の記憶は途切れた。

貞はそれ以来寝込んでしまい、出来事を語る事もなく部屋に閉じ篭もり表には出てこなくなった。


(ようが何故、貞のような老婆に反応したのか。僅かでも、貞の発した必死の気合に反応したのか・・・・

 

 大杉にまた笠が引っかかっている。

 

城下にまた噂が流れた。斯波義統の要請で古渡城の信秀が信長を率いて攻め入ってくるとか、河尻や織田三位らが裏切り、信秀を頼って大膳と広信を討つだとか、また広信と大膳が衰弱を理由に信秀に降参し、斯波義統を討つだとかだ。僅かでも城内と城下には繋がりが残っていたから、噂もすぐに城内に伝わる。


城内の将兵はまた減って今は五百にも満たない。大門も破壊されたままだし、食糧にもことかく有様で、もし攻められたらどうなるかは誰にも判った。


そうなっても怪異は止まない。鐘が鳴り太鼓が乱打され、鬼火が舞って屋根が鳴る。噂が伝わったあと、更に逃亡者が相次ぎ、城内の将兵はもう二百程になって、城の守りもやりようが無くなった。


噂の中で信憑性しんぴょうせいが高いのは、義統の要請で信秀等が攻め込んでくる事だ。


広信と大膳の家来共が口々にその不安を訴える。家来共も衰弱し、思考力も無くなっている。怪異と敵襲への恐怖から、パニック状態なのだ。


短期間にやせ衰えた大膳が、いずる様にして、同様の広信を訪れ義統を討ち取る事を途切れがちに進言する。


「よ、妖異は義統が、し、仕込んだからくりだわ。あ、(あかしは、き、貴奴(きやつが・・・い、未だ息災なこ、こ、事だがね。この世に・・・よ、妖異、よ、妖怪など、あ、あるはずも無いんだわ・・・や、やらな、やられるがね・・・い、今、信秀どもに、せ、攻められたら必ず、み、み、皆殺しになってまう。に、にっくき義統を討ち取ったら・・・ち、ち、ちゃっと城出て今川の、か、蟹江の城へ、で、でも駆け込んで・・・さ、再起図りゃあええがね・・・・し、城は、ま、まあ守れんのだわ」


大膳の本心は判らない。妖異を信じたくないからなのか、信じれないからなのか。


「よ、義統めを・・うっ・・討ち取れい」


広信も憔悴しょうすいした頭ではまともな判断が出来ない。


その半刻後、義統の御殿に広信、大膳の重臣達が自らと、残った僅かな手勢が討ち入った。


義統と息子の義銀、妻の里久は、守護家家来三十人の必死の抵抗も虚しく殺され、家来も殆どが討ち死にした。


一益と六人衆は怪異を仕掛けるのに飛び回らねばならなかったし、あまりにも慌ただしい城内の動きについて行けず、義統等を救出することが出来なかった。

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