7.街へおでかけ2
しばらくじっとしていましたが、恐る恐る、私も手を彼の背にまわして抱きしめ返してみました。
力を入れると、腕の中の身体がぴくっと動いて強張りましたが、直ぐに力が抜けて、また頭が肩に乗ってきました。
レイ、それ、気に入ったんですね?
喋らなければ、そのままでも結構ですよ、と心の中でつぶやいておきました。
ところが、突然、彼がふっと身じろぎして、小さくため息をつきました。
しまった、喋らなくてもため息なんて反則技がありました!それ、私には耐えられませんから!
またもや、心臓が爆発した私は、彼の背中から手を離して、飛びのくと、ソファの端まで全速力で後退ります。
赤くなった頬に手を当てて、乱れた息を整えていたら、レイがこちらを見ながら、にこっと笑いました。笑顔なのに怖いのはなぜでしょうか。
「自信がなくても、僕のリディであればいいかな、と思ったりしたけど、それが婚約破棄なんていう、恐ろしい思考にたどり着く原因になるなら、自信をつけてもらわないといけないよね。まず僕に愛されている自信からつけようか?」
「今、なんと?」
遠くてそのつぶやきの全部は聞き取れなかったけれど、なんだか表情からしても不穏なことを言ってませんでしたか?
レイはソファから立ち上がると、私の前まで来て、背もたれに手をつきました。見上げれば、藍色の瞳に私の顔が映りこんでいます。
「リディ、僕は会えなくても七年間、君のことを想い続けたんだ、これからもずっと好きでいられる自信があるよ。この僕の気持ちは疑わないで、絶対信じてね?」
真剣な表情で見つめられては、頷くしかないではないですか。いえ、疑うなと言われれば、疑いませんし、信じますけど、本当に私でいいんでしょうか・・・。
そして、何度も、絶対、婚約破棄は考えなくていいからね?と念押しをして、彼は帰っていきました。
あれから、彼の仕事の休みがなかなか取れず、一ヶ月後の今日、やっと街に行けることになったのでした。
絶対晴れて欲しくて、晴れるおまじないを片っ端からしていたら、呆れた父からもう、次は雨でも行っていいから、それ以上怪しい術を行わないでと言われてしまいました。
でも、きっとおまじないが効いたのでしょう!
おでかけなら雨より晴れの方が、断然いいですからね。
朝食後には母から、晴れたのだから、呪いの道具を片付けなさいと言われました。
これはおまじないであって、怪しい術でも呪いでもないのですが。
ニコラに手伝ってもらいながら片づけていると、あっという間に昼になってしまいました。
急いで昼を食べて、着替えの為に部屋に駆け込みます。
すれ違った長兄が、小言を言っていましたが、それどころではありません。
「大変、ニコラ、支度を手伝ってください!」
「お嬢様、焦らなくても大丈夫ですよ。昨日一緒に来ていく服を決めたではありませんか。着替えるだけなら直ぐです。」
「そ、そう?間に合いますかね。」
息を切らして部屋に飛び込んだ私を、ニコラが笑いながら宥めてくれます。
今日は薄いグリーンのワンピースに濃い茶色のシルクリボンを合わせました。どちらにも藍色の糸で、刺繍を入れてあります。
お茶会などで皆さんの話を聞いていると、恋人や婚約者の色を、服などに取り入れて身に纏うことが流行っているようです。
急に今まで着たことがない色の服に挑戦するのは難しいので、今回はささやかに取り入れてみました。
いずれは藍色のドレスをと思いますが、私の瞳の色ですと似合わないような気がします。
そう言えば、偶然だとは思うのですが、前回、レイのタイが赤だったのは、もしかしたら私の色を取り入れてくれていたのかもしれません。そうだったら嬉しいですが、ちょっと自惚れ過ぎですよね。
藍色の刺繍は黒にも見えるので、彼が気がついてくれるかどうかわかりません。気づいて貰えたら嬉しいですが、私の自己満足で終わっても構わないのです。
そんなことを考えながらニコラと支度を進めていたら、扉がノックされました。
ニコラが髪を結っていた手を止めて応対に出てくれます。直ぐにこちらに向いて、困惑した声で、
「お嬢様、ラインハルト様がもうお着きになって、今、玄関横の部屋でお待ち頂いているとのことです。」
ニコラ、もう、の部分に感情が入り過ぎていますよ。
しかし、早いですね・・・約束の時間は一時間後ではなかったですか?
「わかりました。とにかく、急ぎましょう。申し訳ないけれど、もう少しお待ちいただいて。」
後は髪だけですし、そんなに待たせなくても済むはずです。従僕にそう告げてからニコラを促し、猛スピードで支度を終わらせました。
またもや小走りで廊下を駆け抜け、レイの待つ部屋に飛び込むと、そのまま両腕を広げた彼の胸に飛び込みます。
「レイ、お久しぶりです!」
そのままぎゅうっと抱きしめてくれて、
「リディ、一月ぶり。やっと会えて嬉しいよ。早く着き過ぎてごめんね。自分の部屋に居ても、早く会いたくて朝から落ち着かなくて。こんなことなら朝から会うことにしておけば良かったよ。」
と、早い来訪を謝罪してくれましたが、私は同じ気持ちだったことが嬉しくてかぶりを振りました。
「私も早く会いたかったから、来てくれて嬉しいです。」
「それなら、良かった。」
彼のこの柔らかい笑みを見るのも、一ヶ月ぶりです。
手紙のやりとりはしていましたが、実際に会うのとはやはり違います。
二人で、にこにこしていたところ、背後から咳払いが聞こえてきました。
慌てて振り返ると、長兄のエリク兄様が扉の前で困惑した表情を浮かべていました。
「エリク兄様、どうかなさったのですか?」
「エリク殿、お邪魔しております。」
レイがにこやかに挨拶をして、それに長兄は曖昧な笑顔で返すと、困ったように私を見てきました。なんでしょう?
「リディ、ちょっと急な客がこれから来るので、ニコラの手を借りたいのです。でもそうすると、今日は来客が多くて貴方に付ける侍女がいなくなってしまいまして・・・。」
近年、未婚の令嬢でも身内や婚約者と一緒なら、侍女なしで街へ行っても特に何も言われなくなっていますが、私はいつもニコラが一緒でした。
ということは、今日のおでかけもなしなのですか?!
私の顔がみるみるうちに曇っていくのがわかったのでしょう、兄の眉もどんどん下がっていきました。
そして、ため息をつくとレイの方に向き直りました。
「ラインハルト殿、妹は貴方と出掛けることが楽しみ過ぎて、晴天にする為に家中をまじないグッズで埋め尽くし、今日は朝から屋敷内を走っていました。お聞きの通り、今日は、我が家の事情で、侍女も護衛もつけられません。しかし、ここで行かせなければ妹に呪われそうです。帰りまで貴方が責任もって送り届けて来てくれますか?もちろん、貴方を信用して預けるのですから、不埒な真似はしないでくださいよ。」
それを聞いた彼は破顔しました。
「もちろん、僕が責任を持ってエスコートします。」
そうして私達は長兄にさっさと行きなさいと、馬車に積み込まれ、出発したのでした。
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