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掌の短編集  作者: 湖灯
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◆◇◆動物への想い◆◇◆

 私は動物が好きです。

 と言っても、爬虫類とか嫌いな動物も居るので、本当の動物好きとは言えないと思う。

 動物の中でも好きなのは哺乳類。

 その中でも特に好きなのは犬や猫、馬に牛と言った家畜です。

 明治時代に欧米の文化が入るまで、日本人は家畜を本当に大切にしていました。

 牛や馬は農作業や物流の運搬に使われ、大切に育てられます。

 それこそ年老いてもう作業に使えなくなったといっても、これまで良く頑張ってくれたと今までと変わりなく水や草を与えて天寿を全うし、亡くなった後もキチンと埋葬されるのが当たり前でした。

 戦国時代までの肉食と言えば犬や猫、それに狩りで取ったタヌキや猿、鹿、熊などだったそうですが江戸時代になると、それらの動物も殆ど食べられることはなくなり、くじらや魚、卵に大豆などがタンパク源となります。

 だから日本人は背が低い!

 でも背の高さと文化はなんの関係もありませんし、いまでも江戸時代に近い食文化を続けている民族は沢山居ます。

 その代表がイスラム教文化。

 イスラム教徒は豚を食べません。

 牛は神の使いなので、正当な儀式をして殺された牛以外は食べないので、これも食べないと言っていいと思います。

 食べるのは鶏と魚介類だけです。

 それでも中東の人たちは背も高く、身体能力も見劣りしません。

 背の高さは、何を食べるかよりも、何食食べるのかが大きいのです。

 古来日本人には昼食を取ると言う事は稀だったと聞いていますので、それが背の高さには致命的だったのではないでしょうか。

 さて、話を表題の犬に戻します。

 環境省の資料によると昭和49年に殺処分された犬は全国で115万9千頭、猫は6万3千頭です。同じ年の交通事故死亡者数が1万1千人ほどですので、いかに沢山の犬や猫が人間の手によって殺されているかが分かります。

 また昭和49年ごろまでは犬に比べて猫の殺処分数は少ないですが、時代が平成になると猫の殺処分数はぐっと上がり平成元年では犬68万7千頭に対して猫は32万8千頭と、昭和49年に比べて5倍も増えています。

 犬の場合は体重が10㎏の野犬になれば、大人でも恐怖を感じるほどの存在ですが、猫は元々小型ですし人間を襲うことはごく稀です。

 事実、昭和の時代はブロック塀の上や、いたるところに野良猫が居て鼠などの害獣を駆除してくれていたと聞きます。

 地域によっては、ひとつの家庭で飼うのではなく、島全体で猫を大切にしている所もあると聞きます。

 猫は小型ですので鼠だけでなく、イタチや昆虫、小型の爬虫類なども食べますので野良であっても左程人間の生活に不自由さを与えることは先ずありません。

 餌が少なければ人間が手を貸さない以上自然に数は減りますので、積極的に人間が殺す必要は少ないと言っていい動物だと思います。

 勿論、数が増えれば、交通事故で亡くなる猫も増えるとは思いますが、それは人間が注意して運転してやればいいだけのような気がします。

 鳴き声がうるさいとか、道路に入って来て邪魔だからとか、これは人間のエゴです。

 犬はどうでしょう?

 野犬と言うのは滅多に見る機会がありませんが、その身体能力の高さと大きさは脅威です。更に彼らは集団で行動をする習性がありますので猫と違って非常に危険な動物である事くらいは、犬好きの私でも分かります。

 しかしその反面、彼等は非常に賢い動物です。

 虐待はいけませんが、一度人間に飼いならされた犬たちは、飼い主のどんな虐待にも耐えるのです。

 ただ、虐待を受けた犬は、飼い主以外には牙をむきます。

 それはレトリバーのような優しい気質を持った犬も同じです。

 私の家で飼っていた犬は、お正月にママの実家に行ったときに神社の近くの小屋に居た5匹の子犬のうちの1匹でした。

 乳離れしたばかりの、本当に小さな子犬の中から一番可愛かったのを抱いて「飼いたい」と言って飼わせてもらいました。

 ママの実家は瀬戸内海の島で、凄い田舎で、のんびりしています。

 ですから、家で飼うことになった犬を次の年に連れて行くと、その時の兄弟も両親の犬たちも野良で平和に過ごしていましたし、兄弟のうち何匹かはその時に一緒に遊んでくれました。

 このように犬は野良として過ごしていても地域でも危害を加えられない環境では、犬を飼う資質のない飼い主に飼われ絶えずストレスを感じている飼い犬よりもおとなしいです。

 だからと言っても、私のように犬や猫を見るたびにフレンドリーな対応を取ってしまう人ばかりではありません。中には怖いと感じる人もいれば、嫌いと感じる人も少なくはないでしょう。私たちの世の中は100パーセント人間のために存在する世の中なのです。

 犬や猫を飼いたいと言う人が何人くらいいるのか分かりませんが、もしもその人たちが全員犬や猫を飼ったとしても、一度に5~6匹出産してしまう数をコントロールするのは非常に難しく、直ぐに飼いたいと言う人の数を越えてしまうでしょう。

 コントロールという言葉を使う時点で、私もいい気になっている人間社会の一員なのだなと思います。

 実際は家庭環境とか居住環境とかの関係で、全ての犬や猫好きの人がそれらを飼うことは叶いません。

 でもたまには犬や猫を連れて散歩がしてみたいとか、部屋でまったりと癒されたいと言う人も多いのではないでしょうか?

 そう言う時、保護した動物たちをチャンと躾けてシェアーできれば殺す必要はないのではないでしょうか?

 休日だけ好きな猫と一緒にこたつでノンビリしたり。

 休日だけ好きな犬を連れて広いドッグラン場で遊ぶとか。

 夢みたいな休日に子供たちも大喜び!

 でも、それにはチャンとした法の整備も必要です。

 中には虐待目的で動物を借りようとする人もいるでしょう。

 自分の子供を平気で虐待して殺して親もいますし、その虐待を知りながら放置してしまう行政機関も実は有効な法の整備が無い故の結果だと思います。

 とりあえず犬や猫の殺処分を減らすには、先ず捨てさせない事が肝心で、捨てさせないためにはチャンとした登録が必要だと思います。

 先進国ではもう当たり前になりつつあるペットのマイクロチップ。

 これがベストとは思っていませんがどの個体をいつ誰が飼ったか分かり、捨てると二度と飼う資格を失うとか、虐待すると社会的にどのような制裁を加えられるかをハッキリと認識させる必要があると思います。

 また気軽に飼えるのもいいですが、必ず動物を飼う場合は研修が義務付けられるとか無知な飼い主を教育する必要もあるかと思います。

 要は運転免許と同じで、適正と能力、そしてルールを守らせることで捨てられる犬や猫は少なくなるはずです。

 平成30年、全国で犬の殺処分は8千頭で猫は3万8千頭です。

 殺処分自体は本当に少なくなってきていますが、人間のエゴで動物たちの命を奪う必要があるのでしょうか?

 草食動物は生きるために草を食べ、肉食動物は生きるために他の動物を食べます。

 これはプランクトンのような小さな生き物から、鯨のように大きな生き物迄共通した行為です。植物だって生きています。

 ただ違うのは、人間だけ。

 人間だけが必要以上に食べ、必要以上に生産し、余ったものを廃棄するのです。

 特に太った人を悪いとは思いません。

 必要以上に食べるのは、脳や体質の問題もありますから。

 ただ、この地球が始まって以来、この様に棒弱無人な振る舞いをしてきたのは人間だけです。

 その人間を戒めるのは人間の作った法律しかありません。

 どうか、全ての生き物が活き活きと暮らせる世界を、私たち人間が作って行けるようにしてもらいたいと思います。

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― 新着の感想 ―
[一言]  ただ可愛いから、と安易に動物を飼って世話ができなくなるとそこら辺に棄てるなんて、本当に命を何だと思っているのかと思います。  何処かの下水道に体調2メートルのクロコダイルが住み着いてたなん…
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