第1話 エデンの園
__ここは誰しもが望む未来都市『エデン』
人類が誕生して地上に文明を築いてから早数万年。旧暦である『西暦』に換算するなら、今は一体何年くらいになるのだろう。私は実はあまり歴史が得意ではない。恐らく3000年? 確かそのくらいだったと思う。その間、人類は幾度となく争い、戦争を起こした。そして統合され村を、町を、国を築き領土を広げ、ついに地上のほぼ全てを占領し、人類は晴れて生物の生態系における食物連鎖の頂点に君臨した。それでも尚尽きることなかった探究心と好奇心は「化学」と呼ばれる偉大なる学問を生み、自然界の物質から人間の魂を秘密まで、ありとあらゆるこの世の謎を解き明かすに至る。斯くして、今私たちが生活を送る居住区、理想未来都市『エデン』は多大なる人類の歴史や犠牲、最新の科学技術によって創造された膨大なシステムに支えられて存在している。
ってこんなことを私は学校で嫌という程教え込まれた訳だけど……。
あ、そうそう! もう一つ大事なことがあるんだった! 私たちの『エデン』には生活を共にする、ある存在がいる……。
「どうかしましたか? そんなに難しい顔をして? 僕が何か悪いことでもしましたか?」
「ううん! 別に何でもないの! エリックは何も悪くないよ」
「なら、いいですけど」
今、私の隣を歩いている青年。私の数少ない大切な友達の一人。人間としての年齢は私と同じということになっている。そう、彼は実は人間ではないのだ。
__人工生命体人型汎用情報端末。通称『アンドロイド』。
彼らは我々人類が創り出したもう一つの人類。一昔前までは機械は機械でしかなく人類ではないという概念が一般的だったらしいが今は違う。数多のシステムの発展により人類の生態、行動、思考、意思、感情までもがデータ化された。そのデータを元に作製されたのがアンドロイド。信じられないかもしれないが彼らの鋼の体の中には私たちと全く同じ心があるのだ。彼らは生きている。
さしずめ、エデンの園における『知恵の実』を食べたのが人間なら、彼らアンドロイドは『生命の実』食べた存在と言ったところだろうか。別にアンドロイドには寿命がない訳ではない。私たちと同様に『食事』つまり『充電』を行わなければすぐにその活動を停止する。定期的なメンテナンスや記憶情報のバックアップもある分、その命の維持は人間より大変なのかもしれない。
大きな違いと言えば彼らには『死』と言うものがない。どんなに大きな損傷を受けようと修理をすればそれで元通りになるからだ。そのため、アンドロイドにはそれぞれ『ID』が存在する。何ためかと言えば、個々によって行った修理の回数や内容を記録するためのものだ。損傷の種類や度合いによってそれぞれ重症度が定められ、それが一定値を超えると修理不可扱いとなり人間で言う『死』を迎える。その後は記憶媒体としてアンドロイドの所有者にメモリチップが手渡されデータのみでならいつでも復元が可能だ。死後にも関わらず今まで通り会話だけは出来る。その事実はどれだけの人の心の傷を癒したことだろう。
いつか、エリックも死んでしまうのだろうか……嫌だな。人間だって、いつかは必ず死ぬ。だけどアンドロイドは修理さえすれば生き続けることだって出来る。ならきっと彼らは死の間際、人間以上に生きたいと思うに違いない。
「ねえ? もし叶うならエリックはこのままずっと生きてたいって思う?」
「いきなり、どうしたんですか? それは随分と哲学的な質問ですね。僕の答えは「いいえ」です。永遠に生き続けたところで僕は何も意味がありませんから」
「別に意味とかがなくても私はエリックに生き続けて欲しいと思っただけ」
「実にアヤメさんらしいですね」
「何よそれ〜」
私の名前は山吹菖。私たちは今、大学の講義を終えたその足で煌びやか都市の街中を歩いている。高々と聳え立つ高層ビル群の合間を縫うように張り巡らされた道路の歩道をエリックと二人で進んでいた。その頭上では自動車や電車が引っ切り無しに行き交っているがフィルターのお陰で全く騒音もしないから気にならない。
ふと、アヤメが腕時計に目を向けると時計の針は12時を回っていた。
「そろそろ、お腹空かない? どっか近くの店に入ろう?」
「お誘いは本当に嬉しいのですが申し訳ありません。僕はここで待っていますのでアヤメさんだけで行って来てください。僕のことはどうかお気になさらず」
エリックは申し訳なさそうに深々と頭を下げた。その様子を見たアヤメが不満そうな顔でエリックの頭頂部を睨みつける。
「何でよ〜? 一人で昼食なんて寂しいじゃん。エリックは座ってるだけでもいいから行こうよ〜」
アヤメが辺りを見渡しファーストフード店を見つけると指を指す。
「あそこにしよ! ね? いいでしょ?」
エリックは顔を上げて店の方に目を向けるとすぐに目を瞑りゆっくりと首を横に振った。
「あの店にも僕は入れないんです」
「別にバレたって大丈夫だよ! 精々、注意されるぐらいだって!」
ファーストフード店の看板には大きく『アンドロイド原則御断り』の文字が描かれている。それにはいくつか理由があった。まずアンドロイドは人間と同じ食事をしない。つまり、入店したところで注文をしないのだ。アンドロイドにとっての『食事』は『充電』を意味する。本来なら人間と対等な関係のアンドロイドのために店には充電器がそれぞれ席に設置されているの理想だが一般的な飲食店は違った。充電器には多額の設置費用や維持費、何より電気代がかかる。その上、スペースまで取るのだ。大抵の飲食店はコスト削減を理由に充電器を設置していない。況して店の回転率を売りにしているファーストフード店なら尚更だ。アンドロイドが店に入ろうものならすぐにでも追い出そうとするに違いない。
「じゃあ、テイクアウトして来るからここで待ってて……」
「分かりました」
それから程なくして紙袋を手に持ったアヤメが店から出て来た。二人は近くの公園に到着するとベンチに腰を下ろし昼食を取り始める。目の前には高さ3メートルはある巨大な噴水が置かれていた。しかし、実際に噴水がそこにある訳ではない。ホログラムによって映し出されたただ映像だ。触ったところで濡れることなく、触れるさえ出来ない。『エデン』にはこのようなホログラムが街の至る所に点在している。一見して本物と見分けがつかない程精密なため実際はそれが本物なのかホロなのか触ってみないことには分からないことが多々ある。もしかするとビルの高層階や頭上に広がる通路のように手の届かない物は全てホロなのかもしれないと錯覚してしまう程だ。
アヤメは紙袋から手のひらサイズの紙包みを取り出すとエリックに向かって笑顔で差し出した。
「はい!」
「何ですか? これは?」
「ハンバーガーに決まってるじゃん! 美味しいから食べてみなよ? エリックはハンバーガー食べたことないでしょ?」
「しかし……」
アンドロイドが人間の食事を摂取した場合、食品は体内に侵入した異物として判断されるため体内清掃により体外に排出しなければならない。つまり、食べたところで後から清掃を行わなければならなくなるだけで意味がないのだ。
「私が折角エリックの分まで買って来たんだから。文句言わないで食べる!」
「はぁ、そこまで言うなら僕は構いませんけど……」
エリックは手渡された紙包みを開くとハンバーガーを無表情で頬張った。アヤメはその姿を固唾を呑むようにしてじっと見つめる。
「どう? 美味しいでしょ?」
「ええ、とっても美味しいです」
そんなはずはないことをアヤメは知っていた。アンドロイドには人間のような味覚がそもそも存在しない。口から何かを食べることのない彼らにとって味覚は必要ないものだからだ。それでもエリックにハンバーガーを食べさせたのには彼女なりの理由があった。
「でしょ! あと飲み物とポテトもセットだからちゃんと全部食べてね?」
「了解しました……」
エリックは私の差し出したハンバーガーを嫌な顔一つせずに食べてくれた。これはアンドロイドのプログラム「人間に対する服従」によるものだと言うことは分かってる。でも、エリックは私の質問に対して「美味しい」と答えてくれた。これは事実をありのままに伝えるのではなく相手の心情を汲み取り事実とは異なる嘘を口にしたことになる。人間に対してアンドロイドが嘘をつくのはアンドロイドがただの機械ではなく、人の心を持った生命だからなんだと私は思う。
きっと私たち人類とエリックたちアンドロイドとの差は私たちが思っているよりもずっと……。
__だから、私はアンドロイドも人間と同じように接することにしている。
「エリックはこの後時間ある?」
「はい、この後の予定はありません」
目的のないアンドロイドはその間「仮眠」を取る。とは言っても実際に眠る訳ではない。スリープモードに切り替わり次の行動時まで静かに佇むのだ。アヤメはその姿が昔から嫌いだった。人間は睡眠を取らなければ生きてはいけない。それに対してアンドロイドは一切睡眠を必要としない。にも関わらず何もせずに部屋の片隅で佇むだけのアンドロイドの姿を見ると、どこか可哀想に思えしまうからだ。だから、彼女は可能な限りアンドロイドと行動を常に共にし心を通わせようと常日頃から努力している。そのせいもあってかアヤメには子供の時から人間の友達が少ないのも事実だ。
「じゃあ、どっか行こう! まずは駅前のショッピングモールがいいかな? あ、映画もいいね……」
昼食を終えた二人がベンチから腰を上げたその時だった。公園中に男の怒鳴り声が響き渡る。声の方角へ視線を移すと怒鳴り声を上げる男の前で少年が跪きながら頭を必死に下げて謝っていた。それを見たアヤメが、すぐさま駆け寄り止めに入る。
「ちょっと何やってるんですか!」
「何だ、あんたは? 俺はこのクソアンドロイドのガキが人間様にぶつかっておいて土下座の一つもしねえから身の程を思い知らせてやってるんだよ! 邪魔するんじゃねえ!」
アヤメが予想通りと言った苦い表情を浮かべる。後方の少年に目を向けると体の至る所に蹴られたような跡が残っている。
酷い……。
「この子だってこんなに謝ってるじゃないですか! もう許してあげてください!」
「あんた、さっきから何のつもりか知らねえけどアンドロイドの味方なんてしたところでそいつらはただの物なんだぜ? いくら痛め付けたって痛みも感じなければ修理一つで元通りだ。結局、機械の分際で人間様と……」
「アンドロイドは生きています! 私たちと同じ命なんです! だから、それ以上は何も言わないでください!」
男の怒鳴り声を上回る程の大声でアヤメが男の言葉を遮った。
「許してあげてください……」
男は一度舌打ちをすると地面に唾を吐き捨て颯爽とその場を立ち去った。エリックが少年に向かって手を差し伸べる。その手を掴み立ち上がった少年はアヤメの背中に向かって頭を下げた。
「ありがとうございました!」
「いいの……今度から気を付けてね……」
最近『エデン』では今のような人間からアンドロイドに対する理不尽な虐待が多発し社会問題となっている。アンドロイドは如何なる理由があろうとも、人間に対して反抗することが出来ない。それは搭載プログラムによって定められた『人間に対する攻撃抑制』によるものだ。このプログラムの存在は人類とアンドロイドが共存する上で最重要プログラムされ今の社会の根本的な要となっている。しかし、そのプログラムには大きな問題があった。いや、アンドロイドに関してだけで言うなれば確かにそのプログラムは完璧なものとして作動していた。問題を起こしたのは他でもない人間側だ。攻撃抑制プログラムの存在が公になると、それを悪用した犯行が次第に増加の一途を辿る。最初はストレス解消のためのアンドロイドに対する暴行が大半を占めていたが犯行は徐々にエスカレート。恐喝、詐欺、強盗、強姦、誘拐、監禁、そして殺害。アンドロイドの殺害と聞いてすぐには理解が出来ないかもしれないが、人間に言い換えるならバラバラ殺人である。誘拐したアンドロイドを解体し、その部品を売り捌くのだ。解体され見るも無惨な姿に変わり果てたアンドロイドの死体が発見されニュースになった当時はアンドロイドと家族同然に暮らす人々にとってどれ程のショックを与えたことかは言うまでもない。勿論、そう言った事態に対して警備が厳重に強化された。それでも犯行は次々に巧妙化し、被害者が後を絶たないのが現状だ。アンドロイドの分解技術、残骸の復元不可な中枢損壊、それらの痕跡からアンドロイドの製造に関する知識を持った何者かが犯行に関わっていることは間違いないと噂されているが、真相は定かではない。
個人的な思いつきで書いてみた作品です。もし好評なら続きも書きたいと考えています!