後輩がアニメ化しました!【上】
「辻堂先輩、確かこの間、なろうとかでよくある『ゲームの中に入っちゃった』という状況を実際に見てみたいって言ってましたよね」
「ああ、言ったな。どんな仕組みなのか気になる。まあ冗談半分だけどな」
「じゃあちょっと家寄ってって下さいよ。見てほしいものがあるんです」
「見てほしいものって何だよ」
「それは秘密です」
一月初旬。通っている高校の始業式の日。
HRが終わり、昇降口は下校する生徒で溢れかえっていた。皆一様にコートやマフラーを身に纏い、年末年始の話題で盛り上がっている。
俺は部活動には入っていないので、即帰宅だ。
寒いから家に帰ったらすぐ炬燵に入ろうと考えながら下駄箱で靴を履き替えていたとき、突然後輩の女子に呼び止められた。
そして今に至る。
「さぁ、早く行きましょう!」
「行くなんて一言も言ってない」
「何でですか!? どうせ予定なんて無いくせに」
「後輩、口の聞き方には気を付けろよ……」
「でも実際無いですよね、予定」
「……確かにねぇけど。……とにかく、俺は一刻も早く家に帰ってこたつで暖まりたいんだ」
「アイス奢りますから」
「俺今暖まりたいって言ったよな!?」
「先輩があんまり冷たいのでちょっと対抗してみました」
「対抗のベクトルがおかしい!」
「もう先輩しゃきっとしてください。私は今朝、公園までウォーキングをして、冷たく澄んだ空気を体に取り入れてきましたよ」
「ふーん。……お前正月は何食べた?」
「食べ過ぎたから運動しているんじゃありませんよ! 失礼な! …………精々久しぶりの実家の料理をちょっと食べたくらいです……」
「そういや戸塚は一人暮らしだったっけか。
で、少しって一日何t位だ?」
「私はゾウか何かですか!」
「冗談だよ。そろそろ帰っていいか?」
「ちょっ、待って下さいよ! 少しでいいんです。お時間は取らせません」
「あーわかったわかった。行きゃいいんだろ。用が終わったらすぐ帰るからな」
「はい! ありがとうございます」
こうして、俺、辻堂琴は後輩の女子、戸塚うたるの家に行くことになった。
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「着きました。ここが私の家です」
そこは、ごく普通のアパートだった。建物は四階建てで、エレベーターは無く、向かって左端に階段がある。
俺たちは、階段を上って三階へ上がり、突き当たりの部屋の前に立った。
「どうぞ」
「お邪魔しまーす」
戸塚が先導して部屋に入る。こいつとの付き合いは九ヶ月程になるが、部屋にお邪魔するのはこれが初めてだった。
部屋は整理されていて、家具だけが並んでいる。戸塚は「ちょっと待ってて下さいね~」と言いながらノートパソコンの電源を入れた。
「見せたいものっていうのはパソコンの中に入っているのか?」
「いえ、そういうわけではないんですけど……」
曖昧な返事に疑問符を浮かべながら待っていると、戸塚は端子が両方オスのUSBケーブルをパソコンに接続した。もう片方の端子を右手で握りしめ、
「さあ、いきますよー」
そう言って戸塚は体重を後ろに傾け、……そのまま派手な音を立てて後ろにあったベッドに倒れこんだ。
「! ……おい、大丈夫か!」
体を揺さぶるがピクリともしない。どうやら気を失っているようだ。
「一体どうなってんだよ!」
戸塚の体を揺さぶり続けていると、
「あんまり揺らさないで下さいよー。目が回ります。 ……なんちゃって」
パソコンのスピーカーから戸塚の声が聞こえた。見ると、ディスプレイには戸塚の姿が映っていた。
が、それは、アニメキャラクターような見た目、所謂2Dイラストの姿だった。
「フフフ、驚きました? そうです。私、アニメになったんです」
「……………………………………」
「いやこれ、すごい面白いんです。画面の中だったら、飛ぶこともできるんですよ」
「……………………………………」
「あんまり楽しいので少し自慢したくなってしまって……先輩、聞いてます?」
「ちょっと待て、理解が追い付いていない。これは一体、どういうことだ?」
「だから、私、アニメになったんです。正確には、USBケーブルを介して、ディスプレイに入れるようになったんです」
「意味わかんねぇ」
「私も最初は驚きましたけど、こんな面白い出来事、そうそうないじゃないですか。楽しまなきゃ損ですよ」
「どうしてこんなことになったんだ?」
「はい、……それは去年のクリスマスイブのことでした。夜、ご飯を食べて、お風呂に入って、さて寝ようか、という時にどこかからベルの音が聞こえてきたんです」
「まさか……サン」
「緊急地震速報のベルが」
「もうちょっと神秘的な音だと思ったよ! ……確かに地震あったけども! 結構震源近かったよねっ! じゃなくて!」
「それで目が覚めてしまいまして……眠くなるまで何をしようかなーと思って、ここは童心にかえってサンタさんにお願いするクリスマスプレゼントを考えることにしました」
「何で童心にかえっちゃったんだよ……」
「そしてお願いしました。『私をアニメにしてください』って」
「何故そうなる……」
「しょうがないじゃないですかー。その日はアニメの一挙放送見てたんですよ。それが印象に残っていて……」
「……クリボッチを満喫していやがる」
「次の日の朝、起きたらできるようになっていました」
「それどうやって確かめたんだ?」
「いえ、それは偶然ですよ。朝起きて、私は前日に撮ったイルミネーションの写真をノートパソコンに移したんです。その時にUSBケーブルを接続して、それで気づきました。……それにしても一人だと他の人を気にせずにイルミネーションの写真を撮れるので楽しいですね」
「クリボッチを満喫していやがる!」
ちなみにクリスマスの二日前には友達とクリスマス会を盛大にやったそうだ。本人曰く、二十四日と二十五日は各地でセールやらキャンペーンやらイベントやらがあるので、一人で回った方が効率がいいとのこと。ちゃっかりしているというか合理的というか。
「どうです? これ、面白くないですか?」
「面白いっていうか……」
これはかなりヤバい状況だと思うのだが。朝起きたら突然、二次元の中に入り込んでしまったなぞという少年マンガよろしくの超展開を、こうも易々と受け入れてしまって良いのだろうか。戸塚は先程からしきりに面白い面白いと言っているが、何が起こるか分からない今の状況を不安には思っていないのだろうか。
俺がそんなことを考えて黙りこくっているのを見て、ほんの一瞬だけ、戸塚は表情を曇らせた
――ような気がした。
次の瞬間には、戸塚は得意げに笑っていた。さっきのは、やっぱり気のせいだったようだ。
「フフフ、マンガとかだったら主人公張れますよこれ」
「そうかもな」
「刑事ドラマだったら規制線張ますね」
「それじゃモブだぞ!?」
それと厳密には立ち入り禁止テープな。どうでもいいけど。
「でも私、刑事ドラマ、ほとんど見たことがないんですよね」
「じゃあ何で喩えに使ったんだよ!」
「……何ででしょう?」
「知らねえよ! 俺に聞くなよ!」
「まあ刑事ドラマの話はどうでもいいんですけどね。ただの比喩ですし」
「お前が話振ったんだろが。つーか、何だかよく分からない比喩使って自慢してるけど、具体的にはそれでなにができるんだよ」
「んーと、いろいろできますよ」
「いろいろって言われてもな……マウス操作とかはできるのか?」
「え? 私、ネズミなんか飼っていませんけど」
「パソコンのマウスだよ!」
「ああ、そっちでしたか。それはできないですね」
「じゃあ、キーボードは?」
「私、音楽はからっきしで……」
「だからパソコンのだよ!」
「ああ、そっちでしたか。ややこしいですね」
「お前わざとやってるだろ」
「いえいえ、……えっと、文字も打てないですね」
「何もできねぇじゃん」
「いやでも、画面の中は自由に飛び回ったりできるのでアトラクション性は高いと思いますよ」
「へえ、じゃあ俺も画面の中に入れるのか?」
さっきはいろいろ言ったが、少し興味はあった。画面の中って、一体どんな感じなんだろうと。有り体に言ってしまえば、俺は好奇心に胸を踊らせていたのだが、
「あー、それは無理ですね」
という戸塚の言葉に遮られてしまった。
「え、無理って?」
「これ、パソコンが魔法の力を得て人の意識を画面の中に取り込んでいる、とかではなくて、入り込めるのは私だけみたいなんですよね。
ネットカフェでも試してみたんですけど、そこのパソコンでもできました」
「それって……」
「はい、変わったのは私の体の方みたいです」
「じゃあアトラクション性も何もないじゃねえか」
「えへ」
「えへじゃねえよ! ちょっと期待しちゃったじゃんかよ。そもそもじゃあ何で俺を家に呼んだんだよ」
「いやまあだからえっとそのですね……見て欲しかったからです」
「は? じゃあお前はただ自慢するためだけに俺を呼んだわけか? なら他のやつに自慢すりゃいいだろ。友達とか」
「えっと、あはは……」
「いや何笑ってんだよ。わけ分かんねーよ。俺はもう帰るからな。自慢ならもう十分だろ」
「あ、待って」
「何だよ」
「あ、う……そ、そういえば、今年はまだ雪降らないですね。去年は十一月には降ったのに。あ、十一月だと厳密には一昨年か。まあでも今年は暖かい日が」
「戸塚、ちょっと待て。お前、結局なにが言いたいんだ?」
「あ……、そうでしたね。はい……えーっと……」
空中に目を泳がせて、戸塚はそのまま黙ってしまった。
様子がおかしい。さっきから、戸塚は一体何が言いたいんだ?
得意げだった戸塚の表情は陰鬱なものに変わり、そ瞳は不安に揺れていた。
「どうしたんだよ、急に黙って。自慢したいんじゃなかったのか?」
戸塚は尚も黙ったままだ。その雰囲気は、何かに追い詰められたかのような、今にも押し潰されそうなものだった。
「自慢じゃ、ないのか……」
思い返せば、戸塚は一度だって自慢だなんて言ってなかった。いや、態度は完全に自慢だったけど。でももしそれが、本心を隠す為の虚勢だったら?
戸塚はさっき、何て言った? 「見て欲しかった」と、そう言った。それが自慢でないのなら、何であいつは、そう言った?
あの言葉には続きがあるはずだ。
「お前はさっき、見て欲しかったって、そう言ったけど、それは何でだ? 俺に見せる理由はなんだ?」
戸塚は、それまで固く閉じていた唇をすっと緩めて静かに言った。
「自分を、変えたかった。
――臆病な自分を変えたかった」
いつになく弱々しい声で、しかしはっきりと、戸塚は語り始めた。