思い出のイエローサブマリン
黄色い潜水艦を見るたび、あなたを思い出す。
本当は、インテリア雑誌の編集長になりたかったあなた。行きたかった出版社に最終面接で落ち、大手新聞社で記者をしているあなた。
入社三年目の若手記者だったわたしが、静岡に赴任した時、八つ年上のあなたが直属の上司になったのがきっかけ。その後、新聞社の激務で身体を壊したわたしは会社を辞めて、大学院で国際開発の勉強を始めた。あなたは東京に異動になり、経済部の記者をしていた。週末になると、わたしがあなたの家に繰り出すという、付かず離れずの生活が五年も続いていた。
あなたの部屋は、厳選されたお気に入りの数々が並ぶセレクトショップだ。ペンダントライトは、ルイスポールセン、壁にはジョージネルソンの時計。ダイニングチェアはイームズ。家電はアマダナ、ベッドはシモンズ。夜はアングロポイズドのライトの明かりの下、デザイン雑誌を読むのが日課だった。
そのころあなたが嵌まっていたのは、レゴ集めだった。ル・コルビュジェのサヴォワ邸、ミース・ファンデルローエのファンズワース邸、フランク・ロイド・ライトの落水荘、ロビー邸、グッゲンハイム美術館。レゴ社が大人向けに発売しているアーキテクチャーシリーズを揃えていくのを楽しみにしていた。
欲しいものはどうしても手に入れたいあなた。ビートルズのイエロー・サブマリンのレゴが販売されることを知り、ビートルズもレゴも大好きなあなたは、これを喉から出るほど欲しがっていた。名曲「イエロー・サブマリン」をモチーフにした黄色い潜水艦のレゴに、ザ・ビートルズのミニ・フィギュアが付いたそれは、残念ながら日本では未発売。あなたは買えないのを大層悔いていた。
だから、わたしには自信があった。あなたのこだわりに永遠に付いていけるのは、このわたしだけだと。
転機は突然やってきた。
国際連合で広報のインターンをすることが決まったのだ。任期は半年。滅多にないチャンスを物にしたわたしは、嬉しくて真っ先にあなたに電話した。
反応にびっくりした。珍しくあなたが黙ったから。
数十秒の沈黙の後、あなたはぼそっと言った。
「ほんとに行くの?」。
わたしの意思は固かった。
わたしは言った。
「行く」と。
出国前日、今は亡きホテル・オークラの本館で最後の夜を過ごした。インテリア好きなあなたらしい最後の贐だった。
バロンバーでモンラッシェを飲みながら、わたしは聞いた。
「お土産は?」
あなたは言った。
「イエロー・サブマリン」と。
わたしは気づいていなかった。これが永遠のさよならになるなんて。
ニューヨークで買ったイエロー・サブマリンは、結局渡せていない。
暫くして、わたしは知った。あなたが、取材先の企業の社長の娘と結婚したことを。
今思えば、あなたが言った「ほんとに行くの?」は、不器用なあなたからのプロポーズの言葉だったかもしれない。
わたしが夢を取った。ただそれだけのことなのだ。
ニューヨークから帰国したわたしの部屋に、黄色い潜水艦は飾ってある。
黄色い潜水艦を見るたび、思い出す。
あなたのことを。
あなたと過ごした五年間のことを。