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絶対遵守の転移執事  作者: 天ぷら開成髭サウナおじさん(夏音)
第十一章 黒魔術と吸血鬼
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死闘の末に

「フッ!」

「ぐはっ……!?」


 ヴィンセントの低い蹴りをまともに受け、俺は壁のほうまで吹っ飛んだ。勢いをつけて相殺したからいいもの、吸血鬼という種に恥じない恐るべき怪力だった。


「さて、邪魔が入らないように結界を張らせて貰おうか」


 この場所で暴れたら、階下の人間が押し掛ける可能性がある。そのことを案じたのか、ヴィンセントは、両手に気をこめて虹色に輝く天幕のようなものを展開し始めた。それは黒魔術協会の部屋をすっぽりと覆い、部外者の侵入を阻む薄く頑丈な壁となった。


 蹴りのダメージからいち早く回復した俺は、ベアト様の体を庇う盾となった。


「そんなふうに守るものがあると、戦いでは不利になるよ」

「うるせぇ」


 ヴィンセントが言ったとおり、俺は執事だ。その役目は究極的なただひとつ。自分の主人の大事なものを守ること。この場合、それはベアト様の命だった。


 とはいえ守勢一方では、この場は乗り切れない。

 俺は手にした剣を中段に構え、ヴィンセントの隙を窺った。


 幸いなことに、彼は怪力に頼っておおざっぱな攻撃をしかけてくるため、鋭く研ぎ澄ました気のようなものは感じられなかった。それは隙だらけだということを意味した。


 吸血鬼の弱点は知らない。けれど心臓は弱いはずだ。

 俺の狙いはそこに絞られた。正眼に構えたまま、床を蹴って突進する。


「突きィィィァッ!」


 剣戟を避けるべく、ヴィンセントが横に動いた。けれど俺の打突のほうが速かった。


 剣を通して伝わってきたのは肉を貫いた生々しい感触だった。

 ヴィンセントの心臓はポンプのように血を送り出し、その大半は傷口からシャワーのように溢れ出した。俺はその血を水のように浴びる。ヴィンセントは壁際まで吹っ飛ぶ。


「いやァ、君は本当に強いね、執事君。並の人間なら即死してるところだよ」


 人ならざる者に対し、人である俺のなせる乾坤の一擲の突きだったが、ヴィンセントは不死身の化物のように立ち上がってきた。俺は吸血鬼の生態をよく知らない。だからなぜ彼を沈めることができないのか、答えを導き出すことができない。


「そこまで強い君に敬意を表して選択肢を与えよう。ボクが進めている革命に加わるんだ。君なら戦いの最前線で軍事的才能を発揮できるだろう。あいにくボクらは人材不足でね。優秀な人材を求めていたところなんだ」


 この戦いを殺し合いといったヴィンセントだが、この勧誘は本音に思えた。なぜならば彼は無駄なことをする奴に思えなかったから。俺の戦意を挫き、屈服させようとしている。そう考えれば、全ての辻褄が合う。


 だがその勧誘に乗ってしまうと、俺は執事ではいられなくなる。ヴィンセントの敵は、俺が仕える主人たちなのだ。彼に与することは、主人を裏切ることと同義である。


「あいにくだが、俺はべつの主人に仕える気はない」

「ハハハ、それは君が今のイギリスが置かれた情勢に無知だからだ」

「無知だと?」

「そう。君が奉じる大英帝国は瓦解しつつある。たとえばアイルランド戦争だ。物量に旺盛な共和国軍はベルファストまで攻め上がっている。イギリスの正規軍は大陸での戦争で疲弊しているのにもかかわらず、二正面作戦を強いられているわけだ。じきに徴兵制が敷かれることになるだろう。そうなったときが大衆蜂起の始まりだ。勝ち目のない戦争に放り込まれ、大衆は目覚めるんだ。帝国主義的な利権争いに巻き込まれて、自分たちの大事な人たちが生け贄にされていることに」


 政治の話を始めると、ヴィンセントは多弁になる。


 そしてそうなると、俺は理解が及ばなくなる。早期講和に動くべきだ。その点ではアルもクラリック公も意見が一致していた。ならば戦争で犬死にする大衆の庇護者を気取るヴィンセントは、彼が化物であることを除けば、こと戦争において間違ったことを主張していないことなる。問題はそのあと、貴族社会が残るか、大衆が自由を勝ち取るか、そのどちらかであるという課題が残るだけで。


 しかし俺は、執事としての責を全うしようと決めた人間だ。部分的には同意できても、あくまでも貴族社会の存続を支える側に立つだろう。


 そこまで考えを巡らせて、俺はある本の一節を思い出していた。


 ――大衆は従順で大人しい羊のようだが、いざ牙を剥けば凶暴で残忍な狼に変わる。


 ヴィンセントは大衆を弱い羊から、恐るべき狼に変えようとしている。


 そのおかげで莫大な血が流れるのだろう。

 俺の心の核心は、そんな事態が進行するのをよしとすることはできない。


「ヴィンセント、俺はおまえが殲滅するといっていた貴族の側につく。だからおまえたちがいかに正しい論理を唱えたとしても、絶対に与することはない」


 ふたたび剣を構え直し、彼の瞳を睨みながらそう吐き捨てる。だがヴィンセントの返答はそんな俺の弱点を突いてきた。


「デュラハンの話だと、そこのお嬢様はボクらが起こそうとしているプロレタリア革命に共鳴しているらしいじゃないか。君は彼女に仕える立場でもあるんだろう? ならばボクらに味方する理由は十分にあるということになるんじゃないかな」


 そうだ。俺は忘れていた。アルとは違い、ベアト様は貴族社会を否定していた。少なくとも、そうした信条を持っておられた。


「馬鹿をいえ。ベアト様はおまえらとは違う。たとえ社会主義を信じていても、おまえのような化物と行動を同じくすることはない」


 正確にはそう信じている。

 だが、俺の抗弁を聞いたヴィンセントは嬉しそうに笑いやがった。


「ならば、もうひとつ面白いことを教えてやろう。君の大事なお嬢様は先日イギリス共産党に入党届けを出した。勿論その組織はボクらの傘下にある。それでも君は、貴族の味方であり続けるつもりかい?」

「本当ですか、ベアト様」


 俺はヴィンセントの返答に驚き、後ろを振り返ってしまう。


「ああ、そうだ。最も革命的な組織に入ろうと、共産党に入党を済ませた」


 きっぱりというベアト様だが、その瞳には動揺が見て取れた。

 まさか自分の属した組織が、目の前の恐ろしい化物が支配するものだとは暖炉の灰ほどにも思っていなかったのだろう。


「ベアト様。私はひとりの人間として、あなたの信じる革命を裏切るつもりはありません。しかしひとりの執事としては、その行動を是とすることはできません」


 丁寧にいったが、それは俺なりの拒絶だった。


 ヴィンセントとベアト様の利害が一致するなんて、到底許せない。たとえ同じ革命という意志を持っていても、ふたつは別物である。俺はたぶん、そう信じたかったのだ。

 だからベアト様に反論されて、俺は自分の間違いを悟った。


「レイ、おまえのいうことは矛盾している。人間と執事を使い分け、私の立場を無理やり肯定しようとしている。本当はどうなんだ。どちらのおまえが本物なんだ」


 守るべき対象に、説教を受ける執事とはえらく間抜けな存在だったろう。この様子を見守っていたヴィンセントは、何がそんなに面白いのかというくらい、甲高い声で哄笑していた。


「レイ君、正しいのはお嬢様のほうだよ。君は自己欺瞞に陥っている。ボクを葬るつもりなら、同時にお嬢様を否定しなければならないはずだ。彼女の身の安全を守るだけでなく、その政治的信条にも共感するのなら、ボクのことも受け容れろ」


 しまいにはヴィンセントは余裕たっぷりに拍手をしていた。


 俺が感じた屈辱はいかほどのものか。

 けれど問題は心理的ダメージにはない。俺は行動として間違っていたのだ。ベアト様の自立を支えると誓ったその口で、ヴィンセントの志向する革命を否定することで。


「レイ君、もう一度いおう。ベアト嬢を守るなら、ボクと行動を共にするんだ。そうすれば君のなかで矛盾がなくなる。共に革命に身を投じようじゃないか」


 すでにヴィンセントの傷は塞がっていた。急速な人体蘇生。

 俺の攻撃は何度繰り返しても、この化物じみた力によって無効化されてしまうのだろう。


「…………」


 俺は考えた。意外なことに答えはすぐに出た。


「なあ、ヴィンセント――」

「ん? なんだい」

「答えは出たよ。俺はあんたを許すつもりはない」

「だとすれば、お嬢様を否定してしまうことになるよ」

「いいや違う。俺はベアト様を肯定する。おまえより遙かにましな革命指導者としてな」


 俺が気に入らなかったのは、ヴィンセントという存在自体だ。

 そしてそんな奴に革命が牛耳られていることだ。

 ヴィンセントを殺し、空位となった指導者の座にベアト様がつけばいい。


 彼がどこまで求心力を発揮しているかわからなかったが、もしそうした組織があるのだとすれば、俺は力を貸してやってもいい。貴族社会を守るより、ベアト様に仕え続けることのほうが究極的には優越する。それが俺の絞り出した意志だった。


「結局、ふりだしに戻ったな。俺はおまえを殲滅する、ヴィンセント」

「なるほど。みずから矛盾を消したわけだ。君は力ばかりか、中々頭もいいね。ますますボクの組織に欲しくなってきたよ」


 哄笑するヴィンセントに対して、背後のベアト様は小さな声でこういった。


「本当によかったのか、これで」

「いいも悪いもありません。私はあなた様の執事なので」

「だがこのままでは、おまえは消耗する一方だ」

「戦いながら考えます、ヴィンセントを倒す突破口を」


 俺は剣を構えた。人体が蘇生するなら、蘇生する前に灼き尽くせばいい。

 しかしそんなファンタジーはありえなかった。俺に魔法はない。対するヴィンセントには怪しげな能力がある。大気の動きを操る能力が。


「ならば、縊り殺してやるまでだよ、執事君」


 ヴィンセントの片手がさっと動く。

 それだけで俺の前に目に見えぬ壁が立ち塞がった。どんなに気合いを入れようとも、その壁は動かない。強い圧力で俺の体を押し返してくる。


「もうひとつ背後にも壁をつくってやろう。そうすれば君は挟み撃ちだ。大気の壁に押し潰され、窒息して死ぬといい」


 斯くしてヴィンセントのいうとおりになった。


 俺は前後の壁に挟まれ、壁はやがて巨大な繭のようになった。俺はその大気がつくった繭に包まれ、身動きがとれない。徐々に空気も薄くなっていく。


 俺は繭を叩き切るべく、剣を振るった。その剣戟は一時的に膜を破った。しかしその破れ目はすぐに再生してしまう。ヴィンセントの体と同じ仕組みだ。強力な蘇生能力があるのだろうと思われた。


 そのときだった。視界の隅でベアト様が動かれたのは。


 彼女は部屋の片隅に横たわる月の体に駆け寄っていた。一体何をするのだろうと視線を走らせていると、ベアト様は月のネックレスを奪っていた。それは銀色に輝いていた。


「レイ、これを使え!」


 ネックレスを手にしたベアト様が繭に思いきりパンチを浴びせた。

 一時的に膜が破れ、彼女の手が俺の懐に差し込まれる。


 手渡されたのは十字架のついた銀のネックレスだった。それをしっかりと手にしたとき、俺はベアト様の真意を理解した。銀の装飾品は吸血鬼にとって禁忌だ。そんな逸話をどこかの本で読んだことがある。俺はそのネックレスを剣を握る手に巻き付け、


「――セイッ!」


 思いきり上段に振りかぶり、俺を包む繭に一撃を与えた。繭は大きく縦に破れ、破れ目が塵のようになって消えていく。


「へぇ、やるじゃないか」


 ヴィンセントは相変わらず道化師のように笑んでいるが、吊り上げた口の端は元に戻らない。そのままの表情で彼は固まっていた。ヴィンセントにとって想定外のことが起きたのだと俺は拙い頭で理解した。


「これで五分になったな、ヴィンセント」


 俺は自分の剣が彼の異能に通じることを知って、本来の精神的統一を取り戻していた。中段に構えながら、奴が張った膜のなかから静かに進み出る。すり足をしながら、丹田に息を溜めていく。異能の力が効かないのなら、あとは肉体と肉体のぶつかり合いだ。


「ハッ!」


 ヴィンセントが展開した大気の壁をまたしても粉砕する。突如生じた圧倒的不利を悟ったのか、ヴィンセントは闇雲に大気を操って、鋭い刃となったそれを俺に殺到させた。


「……クッ!」


 しかし、その攻撃はもう効かなかった。俺が振るった剣は、彼の飛ばす刃を弾き返し、今や自分の腕のようになっていた。


 剣と人の一体化。俺は今、彼を殺すために生まれたひと振りの剣だった。


「突きィィィァッ!」


 得意の突きが、ヴィンセントの喉元を捉える。


 今度は肉の感触とともに、鮮やかな手応えがあった。彼の体は蘇生しない。斬りつけられた場所からは炎が上がり、灰のような塵が舞っていた。


「どうせ殺るなら、あのメイドのほうを先に殺っておくべきだった」


 強がるような声が聞こえたが、それはヴィンセントの焦燥を物語っていた。

 まさに動物的本能が彼に危険を知らせたのだろう。


「これは殺し合いどころじゃないね、ボクのほうが屠られてしまう」


 ヴィンセントは背中を向け、逃げる体勢になった。

 俺は追撃の剣を浴びせ、彼の心臓を背中から刺し貫いた。


「グヴォォ……!」


 ばったり倒れ伏したヴィンセントが口から大量の血を吐き出す。先ほどまでと違い、体はまったく蘇生しない。それどころか、傷口からは細かな塵が舞立っている。


 遂にヴィンセントは減らず口を叩くこともせずに、必死にこの場から逃げることだけを考えたようだった。ゼイゼイと喘ぎ声を発しながら、窓際へとにじり寄る。


 その姿は同じ生物として憐れみを感じるほどだった。

 しかしそうした感情は、ベアト様が発した声によって雲散霧消した。


「レイ、殺せ!」


 迷いはたちどころに消えた。俺は剣を振りかざし、トドメを刺した。


「ゴフッ……! これで殺ったと……ゴヴォッ。……思うなよ……ゴフッ」


 俺は感情のない機械のようにヴィンセントの体を切り刻んだ。


 紅蓮の炎に巻き込まれ、彼の体は無数の傷口から塵となり、最後には灼け焦げた匂いを発する、ずたずたに切り裂かれた骸が残った。


「…………」


 すでに人間の姿を保っていないヴィンセントを見届け、俺は床に膝をついた。


 極度に疲弊しているのが自分でもわかる。力を抜くと、そのまま倒れ伏してしまいそうだった。


「よくやった、レイ」


 頭上から振ってきたのはそんな俺をねぎらう声。

 目の前で繰り広げられた異常を目の当たりにし、ベアト様は驚くほど冷静だった。


「執事として、よく私のことを守ってくれた。もう貴族はやめているが、感謝する」

「なにを仰るんですか、あなた様はまだ私の主人です」


 諂うようにいうが、本心から出た言葉でもあった。

 俺はベアト様の命を守るということ、そして真の革命にかける思いを糧に、恐るべき力を誇った化物を打ち倒せたのだ。俺自身の利害なんてたぶん何もなかった。


 そんな俺を、駆け寄ったベアト様が抱きかかえる。守られる側の人間に、そんなことをさせて俺は恥ずかしくなった。けれどベアト様は、俺を離そうとはしない。


「本当によかった。おまえが無事で」


 見上げると彼女は涙を溜めていた。潤んだ瞳に俺の心臓は高鳴る。


「なあ、レイ。少し話せるか、それとも休むか」


 脱力しきった俺の頬に、ベアト様の涙が落ちてきた。俺は涙声になったベアト様を見上げながら、


「口ぐらい利けますよ、一体何の話ですか」


 片手を伸ばして彼女の涙を拭い、弱々しく答える。ベアト様は流れ出す涙を止めることもなく、


「思い出したんだよ。なくしてた記憶を」

「……記憶?」


 一瞬、何の話だろうと思った。


 記憶集めなら、アルの記憶を取り戻せたことでもう済んでいる。


 ひと呼吸するたびごとに荒い息をつきながら、俺が唐突な発言に頭を巡らせていると、泣き顔のベアト様が柔らかく笑んで、俺の疑問に答えたのだった。


「ちょっと思い出しただけで気づけた。私はおまえたちと同じく、この世界に転移してきた者だ」

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