二人の吸血鬼
「今の一撃は効いたよ。さすが執事君。中々やるじゃないか」
俺は擬態化能力を持ち、唐突に出現したヴィンセントに驚いていたが、カーソンが現れたことにも、新たな庇護対象であるベアト様がお越しになったことにも動転していた。
「カーソン、なぜベアト様を……」
「着いてくるというので同行させた」
「私だけのけ者はいやだ。私にも真実を知る権利がある」
ベアト様は何がおかしいと言わんばかりに堂々といってのけるが、状況は最悪である。
しかしなぜかヴィンセントは攻撃を仕掛けてこない。
絶好のタイミングだというのに、カーソンやベアト様を狙い撃ちにしてこない。息を整えその様子を見ると、カーソンがベアト様の盾になっていた。ヴィンセントはそんな彼を警戒しているように俺の目には映った。
前回、アルの毒殺未遂があったときには、カーソンは吸血鬼であるヴィンセントを体術で圧倒していた。その無尽蔵な強さがまざまざと甦る。
かたやヴィンセントは、急速な回復を遂げ、俺が与えた傷はすっかり塞がっている。
そんな彼に正対した俺。ヴィンセントはあっという間に二人の敵を同時に相手にしなければならない立場になった。それは圧倒的な不利を意味した。
「ヴィンセント、投降してオレの指示に従え。協会主宰として命令する」
静かに間合いをつめ、そう呼びかけたのはカーソンだ。
彼はこの怪しげな協会の主宰だった。そこに無数の疑問はあれど、今は気にかけている場合ではない。目の前の戦闘に集中しなければならない。
「ヴィンセント、もう一度いう。投降しろ」
「断るといったら?」
「潰すまでだ。オレはおまえと互角に渡り合える」
「なら、やってみてくれたまえ」
互いに睨み合いながら、対峙するヴィンセントとカーソン。
先に攻撃を仕掛けてきたのはヴィンセントだった。
「…………!」
俺にのしかかってきたのは先ほどの謎の力だ。空気が重い塊となって全身を圧迫する。それは一種の超能力のようであった。普通の人間にこんな真似はできない。
「カーソン、早く何とかしろ!」
その奇怪な圧力はベアト様にも容赦なく降り注ぐ。
だがその力場のなかでカーソンだけは行動の自由を保っていた。
彼はおもむろに手をかざし、ヴィンセントに狙いをつけた。
「――縫い固めろ」
何ごとか口にすると、今度は大気から急速に水分が蒸発し始めた。口がカラカラになっていくため、変化は直ちに感じられた。
そして次に冷気が襲ってきた。部屋の温度が急激に下がっていく。
斯くしてヴィンセントの頭上に出現したのは巨大な氷柱だった。
その氷柱はカーソンの手の動きに合わせ、ヴィンセントの体を刺し貫いた。人の肉体を貫通するザクッという嫌な音がした。大量に吹き出した血で真っ赤に染まりながら、その氷柱は木製の床にヴィンセントを文字どおり縫い固めた。
「これでもう動けまい」
カーソンはにやりと笑い、ヴィンセントは苦悶の表情を浮かべた。
勝負はあっという間についた。俺はしかし、この状況を理解するのに必死だった。吸血鬼だとわかっていたヴィンセントならいざ知らず、カーソンまでもが人ならざる異常な力を使いこなしていたことに。
「カーソン様、これは一体……」
だから俺は、間抜けな疑問を口にすることしかできない。
「この力の由来か?」
「はい……」
「たぶんおまえの想像どおり。俺は吸血鬼なんだよ、レイ」
そういってカーソンは「いやぁ、ヴィンセントの奴に血を吸われちまってさー」などと軽口を叩くが、俺はそれどころではない。驚きを越えた感情に支配されている。ネヴィル家に来て以来、ずっと敬服していた屋敷の家令が、人ならざる存在だったことに。
「ん? 驚いているのか、レイ」
「…………」
俺は無言で頷く。よく見れば、ベアト様も口許を手で覆いながら、絶句している。
彼女は俺たちが転移者という異常の存在であることを知っている。そのような知識があってなお、彼女を驚嘆させること。吸血鬼とはそれほどまでに規格外の存在だった。
協会のフロアを一瞬の静けさが包んだ。
その静寂のなかでヴィンセントのあがく歯軋りが聞こえてきた。氷柱で縫い固められた姿は標本にされた蝶のようだったが、大量の血を流してなお、彼は絶命していない。
その様子を満足げに見つめ、カーソンは独り言のように言った。
「そんなに驚くようなことか。オレにとっちゃおまえらのほうが異常な存在だ」
俺たちが……異常?
疑問符を浮かべる間もなく、カーソンは俺に向かって声をかけた。
「おまえら、転移者なんだろう?」
噛んで含めるような声とは裏腹に、俺の心臓は跳ね上がっていた。
カーソンに秘密を知られた形跡はなかった。ならばベアト様が教えたのか?
「…………」
しかしベアト様が見つめた相手はカーソンだった。彼女もカーソンが秘密を知っていることに驚嘆した様が見て取れる。その感情は俺も同様だった。
「なに、ちょっと頭を働かせればわかることさ。同時に何人もの東洋人が屋敷に来た。そしてヴィンセントの奴が言っていた。転移する直前、学生を何人も轢き殺したって。二つの事象を組み合わせれば、答えはおのずと明らかだろう」
なるほど。ヴィンセント経由で知ったのか、俺たちの秘密を。
「少しは理解が深まったって顔だな、レイ」
そう言ってカーソンが靴音を立て、こちらに歩いてくる。
両手を広げ、無防備な格好だ。俺は警戒を解き、彼の整った顔を見上げた。そんなカーソンの微笑が、急に真顔になった。
「だがな、おまえらはまだ、この世界の真実を知らない。教えてほしいなら教えてやる。その代わり、その運命を受け止める覚悟があることが条件だ」
「……覚悟だと?」
「そうだ。なぜならオレはおまえたちの運命を捩じ曲げた張本人だからだ」
曰く言いがたい真顔のまま、カーソンが近づいてくる。俺はその不敵な圧力に逃げたくなったが、同時に逃げても無意味だと腹を括っていた。
「教えろ、おまえがいう真実とやらを」
だからこそきっぱりと言い切った。俺には逃げ込む退路はなかった。
「いいだろう。なら教えてやる。おまえらを転移させたのはこのオレだ」
「……マジかよ」
反射的に声が出た。それはどんな意志も宿らない、純粋な呟きだった。
「こんなときに嘘なんて言わねぇさ。オレは魔術協会の主宰として、何より先代のネヴィル卿という主人の命に従って、この世界から別世界に転移する術式の研究に没頭していた。先代のネヴィル卿は延命にこだわっていた。病を得てからは、その要求はますます具体的なものになっていった。ご主人様は転移をすれば、その世界でもう一度生を受けられると信じていた。この世界で惨めに朽ち果てる運命に抗って、永遠の生を手にできると」
「それがこの協会の目的ってわけか」
「ああ。オレたちは遂に念願の術式を組み上げ、ネヴィル卿を転移させる実験を行なった。その結果はご覧のとおりさ。転移どころか、逆に召喚魔法を発動させちまった。最初に現れたのはヴィンセントだ。今から一年前、こいつはオレたちの組み上げた魔方陣から現れ、そのときにはもう吸血鬼に存在を変えていた。おおかた時空の渦を潜り抜ける際、化物たちの世界に棲む魔物と混ざっちまったんだろう。そして最初に襲われたのがオレ。ほら、これがそのときできた傷痕だ」
カーソンがシャツの襟元を開く。そこには紫色に変色した歯形が残っていた。
「おかげでオレまで吸血鬼になっちまったってわけ。そこから先はレイ、おまえのほうが詳しいはずだ。屋敷の使用人として次々転移して、ヴィンセントの同僚もこの世界に転移したって話だ。合計七人。転移する時期こそタイムラグはあるが、みな転移する対象が存在していた。それは世界が組み変わってしまった証拠だろう。いないはずの者が出現し、世界はそれに順応する。例えばアルバート様は本来存在していなかった。それが急にネヴィル卿の落胤としてこの世界に現れた。オレはその事実を受け容れたが、召喚をやった者として普通の奴が持てない違和感を持った。オレが自分のやらかした召喚儀式のことに確信を持てたのはその時期だった。跡継ぎのいなかったネヴィル卿に孤児となった落とし子がいると判明したときにな」
カーソンの語ることは何から何まで異常でファンタジーじみていた。けれど冷静な頭で考えてみれば、そして俺がこの世界に順応したから忘れていることだが、この世界に転移したこと自体がそもそも最大のファンタジーだ。吸血鬼など、そのおまけに過ぎない。
カーソンの発言はその事実を改めて突きつけてきた。俺たちをこの世界に召喚した張本人として。そしてカーソンは肩をすくめながら言葉を継ぐ。
「だが、ひとつだけ計算違いがあった。おまえらがこの世界に順応したこと、アルバート様に到ってはあのクラリック公に屈せず、ネヴィル家の爵位を守ったこと。召喚したばかりのアルバート様はただの気弱で主体性のない人物だと思っていた。協会の秘密まで辿り着くなんて想像もしていなかったよ。それがこの有様だ。思うにレイ、おまえがすべての運命を変えちまったんだ。主人を支えきるおまえの陰の力がな」
そこまで言って、カーソンは俺の肩に手を置いた。
吸血鬼だと名乗っていたが、俺はその挙動に攻撃的な意志を感じなかった。だからこそその行動を阻むことなく、平静に受け容れた。カーソンはにやりと笑った。
「やれやれ、ヴィンセントを縫い固めるのに魔力を残らず使いきっちまった。ちょっくら補充しなきゃやってらんねぇな」
飄々とした口調で言って、カーソンは手近な箱に座り込む。
そして胸ポケットから頓服薬のようなものを取り出す。大きく口を開けてさらさらと流し込むが、その色はワインレッドだった。まるで血液を乾燥させればそうなるかのような色合い。俺はその薬を以前、ハイキングに出かけた際、見たことがあった。しかし受け止め方は大きく異なる。俺は語調を強め、カーソンに問いただした。
「ひょっとしてそれは血液ですか?」
「ああ、これね。検体から採取した血を乾燥させた薬みたいなもんだ。これがないとオレは生きることができない」
そこまで聞き、俺は吸血鬼が人体に依存しなければ生きられないことを思い出していた。そして検体という言葉に引っかかりを覚えた。
「その血液は誰のものですか?」
「これかい? 孤児院の子供たちから採取したもんだよ」
カーソンはあっけらかんと言うが、それを聞き、ベアト様が顔色を変えた。俺も引っかかりどころか強烈な吐き気に襲われた。
カーソンの常識が俺のそれとは異なっている。そんな当たり前のことに否応なく気づかされた。正義を謳うつもりはなかったが、俺は衝動的に吐き捨てていた。
「あんた、人間の敵だな」
「そうだな。味方か敵かでいえば敵だろう。子供らを検体にし、おまえらを召喚し。この世界の歪みはオレが作った。恨むならオレを恨んでいいぞ」
「恨んでなんかいませんよ。ただ許せないだけで」
「許せないなら同じことだ。友か敵か。どちらかが滅びるまで続く戦いだ」
不敵に笑ったカーソンだったが、その顔色は極度に悪化していた。
「だめだ。粉末血だけじゃ足りねぇみたいだ」
そう言って箱から立ち上がり、俺とベアト様を見比べる。
「すまんな、お嬢様。オレに血を吸われて貰うぜ」
ゆらりと動き、カーソンはベアト様に向かう。その足取りは遅かったが、確実に彼女を壁際まで追いつめていった。俺は手にした剣を構え、カーソンを叩き斬ることにした。
だが次の瞬間、カーソンは俺のほうを振り返り、
「……なんてな。自重するよ。その代わり休ませてくれ、もう限界だ」
俺が伸ばした剣を片手で受け止め、ふらつきながら手近な椅子に腰かける。その様子は極度に疲弊したボクサーのようだった。荒い息を吐き、目は閉じかけている。
「へへっ、血が吸いてぇなぁ……」
そこまで言って、カーソンは瞑目した。急激な眠気に襲われ、ネジの切れた人形のように動かなくなった。
そんな彼の様子を見て、俺は自分がどうすればいいかわからなくなっていた。
カーソンが人間の敵なら、ここで殺すべきだろう。しかしそれをやる確信はなかった。カーソンはギリギリのところで人間としての理性を保っていた。そんな彼を吸血鬼だからという理由で断罪することはできない。
俺は剣をだらりと下げ、静かにベアト様のほうに歩きだす。
「ベアト様、どうして来られたのですか」
詰問調で問いただす。来なければ、こんな修羅場に巻き込まずに済んだのに。
「馬鹿をいえ。私は蚊帳の外に置かれるのが嫌いなんだ。それにカーソンの秘密を知った程度で信頼は揺るがない。私はおまえと違って彼の罪を追及する気はない」
家を出られたとはいえ、さすがは貴族の令嬢だ。まるで自分が裁定者であるかのごとく、カーソンの罪を秤にかけた。平民の俺には容易になせない振る舞いだ。
しかしこのとき、俺はすぐさま気づくべきだった。魔術を使った本人であるカーソンが眠ると、肝心の術式がどうなるかということを。
「甘いな、カーソン。おまえは本当に甘いよ」
背後を振り返ると、氷柱によって釘付けされたヴィンセントが動き出していた。
カーソンからの魔力供給が断たれたことで氷柱が溶けかけていたのだ。
「執事君、君はボクらのことを人間の敵といったね。でもそれは非常に正しい認識である一方、間違いでもある。ボクの敵は王族を中心としたイギリスの貴族たちだ。そんな階級社会を覆し、この世界を乗っ取るために、ボクはイギリスで革命を起こそうとしている。全てはボクらの敵である貴族を殲滅するために」
そこまで言うと、ヴィンセントは自分を貫く氷柱を抜き取った。
胸からは大量の血が溢れ、そのため彼の動きは鈍かったが、表情は急速に生命感を取り戻していた。白い歯を見せ、眼光鋭く俺の瞳を射抜いている。
大量の出血にもかかわらず、彼が動けることに俺は驚きを隠せない。
「一体どういうことだ……」
ぽつりとこぼした呟きを、ヴィンセントは聞き逃さなかった。
「ボクは同じ吸血鬼でも純血種と混合したんだ。カーソンのような雑種とはわけが違う。さて、レイ君。盛大に殺し合いを始めようか。君は貴族の味方、執事なんだろう?」
完全に自由を取り戻したヴィンセントが首をこきりと鳴らしている。
大仰で芝居がかった言葉に反吐が出るが、攻撃をしかけてきたのはヴィンセントだった。ゆえに気持ちの問題はどうあれ、俺はその殺し合いを避けるわけにはいかなかった。




