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絶対遵守の転移執事  作者: 天ぷら開成髭サウナおじさん(夏音)
第十一章 黒魔術と吸血鬼
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ロンドンでの調査

 殺人未遂を犯したデシャンを地元の警察に引き渡したあと、ダグラスさんの死についても、彼らが捜査をしていった。


 俺たちは犯人が逃走したことを告げ、彼が吸血鬼だったということ以外、話せることは残らず話した。警察も、事件が起きたのが貴族の屋敷だったこともあり、急遽執り行った事情聴取に満足したようだった。


 ダグラスさんの死体はその日のうちに教会に安置されることになった。

 葬儀は明後日。死体に念入りな防腐処理を行なえる場所ではないため、ことを急ぐのはやむをえない。ダグラスさんの遺体は棺に入れられ、教会へ運ばれていった。


 そして翌朝。俺は普段どおりの一日を始めた。


 起床したばかりのアルのもとへお茶を運び、彼の寝室に滑り込む。

 淀みのない所作。朝の挨拶。アルはそんな俺をいつもどおりねぎらう。


「ありがとう、君の淹れたお茶は美味しいね」


 アルに思いを告げられ、彼にすれば思いを告げ、主従関係がぎくしゃくすることを恐れていたが、どうやらそれは杞憂だったらしい。俺たち主従はきのうの出来事などなかったかのように主人と執事の関係に戻っていた。


 しかし腹の内はどうだろう。まったく別のことを考えているかもしれない。


 たとえば俺だが、きのうの告白について客観的な思考を深めていた。

 というのも、アルの記憶を集めても、世界は少しも変わらなかった。それはこの世界のルールに関する俺の見立てが間違っていたことを意味する。


 そしてはっきりと判明したことは、アルは俺のことを好きだと告白したが、彼が俺に告白をした相手ではなかったということだ。その証拠に俺の記憶は戻らない。アルも自分の気持ちはひた隠していたと言っていた。すべてはふりだしに戻る。これまでの努力は水泡に帰したのだった。


 アルの側に侍りながら、やり場のない思考を巡らせていると、


「玲君、きょうは君と一緒に出かけようと思う」


 やぶからぼうに彼は意外なことを口にした。


「カーソンにはもう話をつけてある。教会に安置されたダグラスさんの葬儀をする前に、ぼくたちにはやるべきことがあるからね」

「何をおっぱじめる気だ?」

「黒魔術教会の調査だよ。クラリック公が供述した話、本当かどうか確かめようと思う。ダグラスさんの葬儀までいち日、間がある。ひとまず様子を見てこよう」


 ――協会の調査。


 それは図らずも、俺が意図していた行動と同じだった。


「誰が一緒に行くんだ?」

「ロンドンのタウンハウスまでカーソンに運転させようと思う。彼はロンドンに商用があるから、問題なく連れていける。一緒に行くのは君とぼく。そうだね、あとひとりくらい連れていってもいいかな」

「確かきょうは月が休養日ですが」

「なら月でいい。行くなら早いほうがいいし、ちょっとしたハイキングみたいなものだ。楽に考えてくれ」


 先代が関わっていた秘密の事業。


 そう考えると物々しいが、俺はどこかで二十世紀初頭のイギリスで黒魔術が流行ったというエピソードを読んだことがある。それはどこかオカルトじみた、会員制の娯楽だった可能性が高い。唯一の違いは実際の吸血鬼が関わっていたということだけ。


 そのヴィンセントも、深手を負って遁走した。調査をするには今が一番よいタイミングだというアルの発言には説得力があった。


 俺は使用人室に戻ると、黒魔術協会の調査としてロンドンに赴くことを告げた。


 何しろ屋敷の住人はきのうの異常な出来事を目撃している。

 ライフルで撃たれても死ななかったヴィンセント。その正体が人間ではない化物だということにみな薄々気づいている。


 だが、俺が月に同行の意志を確認すると、彼女は二つ返事で乗ってきた。


「私、きょうお休みです。ぜひ連れて行ってください」

「怖くないのか?」

「好奇心のほうが優先です」


 緊張感の薄い反応だが、俺自身好奇心はあった。ゆえに否定することはできない。


「危なくないのか」


 紫音と雪嗣に留守役を頼むと、紫音が心配そうに顔を曇らせた。


「なんなら月よりも私のほうがいざというとき頼りになるぜ」


 彼女は手のひらに拳をパチンとあて、嗜虐的な顔で笑む。


「喧嘩しに行くわけじゃないんだ。あくまで様子見だと思ってくれ」

「なら俺の出番じゃないな」


 雪嗣は低い声で言い、肩をすくめる。


「ダグラスさんの葬儀の準備もあるだろう。教会との連絡役もいるし、遺族も訪れるはずだ。留守役の俺たちはその対応に注力する。だから紫音、遊んでいる場合じゃないぞ」

「チッ、つまんねぇの」


 紫音は残念そうに舌打ちするが、雪嗣の言い分は正しい。それを理解すればこそ、彼女はすぐさま押し黙った。タウンハウスに行くにしても、お付きのメイドは二人もいらない、一人いれば十分だ。


「そんじゃ、留守番は私らに任せて存分に楽しんでこい」


 だから遊びじゃないだろ、という言葉が喉元まで出かかったけれど、口にはしなかった。


 なぜなら、使用人室で繰り広げられるこの茶化したやり取りは、決して緊張感に欠けたものではないと理解したから。


 アルもそうだが、みな『普段どおり』振る舞うことによって、きのう目の当たりにした『異常』を忘れようとしているのだ。空元気を振るい出し、精神が垣間みた深淵に蓋をしようとしている。俺は自分自身も含め、屋敷の住人の振る舞いをそのように理解した。

 唯一、本当の意味で普段どおりだったのはカーソンだ。


 しばらくすると、彼はシルヴァーゴーストを配車し、玄関からホールに入ってきた。


 ちょうどアルも着替えを終え、階下に降りてきたところだった。

 そんなふたりに使用人室から出てきた俺と月がくわわる。


「そんじゃ、行きましょうか、アルバート様」

「待ってください」


 留守役を指示した紫音がキッチンから駆け足で出てきた。


「朝食用にサンドイッチを作りました。車のなかで食べてください」

「ありがとう、紫音」


 アルが礼を言う。俺は彼女が用意したバスケットを受け取る。


 こんなものまで渡されると、本当にハイキングに行くみたいだ。俺は自嘲するが、ゆえに緊張感に縛られた自分の体を感じた。抑圧した異常は反動でいつか吹き出す。それをギリギリまで抑えて平静に行動することが、たぶん俺に求められている仕事だった。


 ◆


 ロンドンに着いた頃、時刻は正午を回っていた。


 カーソンはテンプル地区にある取引銀行と商談があった。俺たちは一旦分かれ、彼以外はタウンハウスに荷物を置き、黒魔術協会に向かう。


 クラリック公が吐いた情報によれば、それは隣の街区にある食品メーカーのビルの最上階にあるとのこと。何でも公爵夫人の家系がそのメーカーの経営者であるらしく、公爵の息のかかった組織であることは立地からも明らかだった。


 ところで月はあくまで身の回りの世話をするのが仕事。タウンハウスを出立する直前、協会への同行はアルが避けようとしたが、彼女は留守役を嫌がり、自分も仲間にくわえてくれと懇願した。


「私だけのけ者は寂しいです」

「けど万が一ということもある」


 アルが言うのはこの調査の性質、危険に足を踏み入れる覚悟を問うものだった。

 しかし月は、意外なことを言ってアルの説得にかかった。


「その万が一があったときは、身から出た錆と思うことにします」


 黒ルナの辛辣さは自分自身にも向かっていた。

 せめて「俺を頼る」とでも言ってくれればまるく収まるのに。


「大丈夫だ、アル。もし何かあった場合は、月のことはこの俺が守る。だから彼女を足手まといにしないでくれないか」


 あくまで冷静に俺が言うと、アルはひそめた眉を元に戻した。


「やれやれ……仕方ないな。玲君の責任は重大だよ」

「これはあくまで調査です。もし危険があればすぐに撤退すればよいでしょう」


 逃げることも戦略のうち。

 それにリスクを危惧したら、手足が縛られ何もできなくなる。

 月の身が危険なら、それはアルや俺までもが無関係ではいられないはずだ。


 幸いここはロンドンのど真ん中だ。警察も近くにあるし、目的の場所が商業ビルならば大勢の人がいる。それらがきっとリスクを低減してくれるはずだ。


 目的のビルに辿り着いた俺たちが、まず真っ先に行なったのは郵便受けのチェックだ。


 それを見る限り、最上階のフロアも一応食品メーカーの敷地のようだ。


 階段を昇り二階に着くと、肝心の階段はそこで終わっている。どうやら内部に入らないと上の階に辿り着けない構造になっているようだった。

 気楽に行けると高を括っていたアルは、その事実を目の当たりにし、


「どうしよう、玲君」


 判断を俺に委ねてきた。俺はすぐさま頭を巡らせた。


「商用に見せかけるのはどうでしょう」

「どういうこと?」

「メーカーに営業に来たことにするんです。たとえばご主人様が取引のあるドイツ企業の人間を装って幹部を足止めする。月はお付きの秘書ということにする。今はメイド服ではないから、その嘘も通るでしょう。そして俺が上の階に昇る場所を見つけ、あとで合流するのです」

「最後は強引に突破するわけだ。ちょっとした騒ぎになるね」

「階段の位置がひと目につかない場所ならば、騒動は回避できると思います。そのうえで問題が生じるようでした、そのときはクラリック公の名前を出しましょう」

「最初から公の名前を出さない理由は?」

「公の許可をとったわけではありません。嘘は極力避けるべきかと」

「偽装も嘘のたぐいだと思うけど」

「でしたらクラリック公から紹介のあった営業員ということにしましょう。黒魔術協会が秘密のクラブでしたら門前払いをくらう恐れがあります。それだけは避けたいところかと」


 俺とアルが熱っぽく議論をしているのを、月は微笑ましそうに見ていた。


「月、あまり緊張感のない顔してるなよ」


 俺がツッコミを入れると、彼女は笑みを押し殺し、


「私は玲さんの意見に賛成です」

「なぜだい?」


 アルの切り返しに、月はこんなふうに答える。


「私、こう見えて演技が得意なんです。アルさんが困ったときは巧みにサポートしてみせます。だから玲さんのアイデアでいきませんか」


 意見は出尽くした。あとはアルが決断するだけだ。


「わかった。玲のアイデアに乗ろう。君は階段の位置を確認する役目。月はぼくが本物の営業員だと偽装するサポートをする役目。滞りなく務めてくれたまえ」

「了解しました。最後になりますが、カーソン様の合流はいかがなさいましょう」


 彼は商用が終わったら協会の調査に来ると言っていた。


「心配はいらないよ。彼の口車は天下一品だ。ぼくらとは違い、妥当な理由をくっつけて目的地に辿り着くタイプだ」

「それなら、最初からカーソンさんも一緒だったらよかったのに」

「月、滅多なことはいうもんじゃない。商用はネヴィル家の命綱だ。ドタキャンなんてできるわけがないだろう」


 黒ルナの放言を諌め、アルは階段を昇り始めた。


 ◆


 俺たちがとったやり方は一種の偽装工作。この手の方法にアルがどの程度順応するのかわからなかったが、さすが貴族というべきか。物腰に柔らかな貫禄があった。


「失礼いたします」


 会社に入った早々、紹介者としてクラリック公の名前を出し、責任者を呼び出し、応接ソファに優雅に座り込む。


 その随行員といった体の俺たちを尻目に、対応に現れた幹部社員と握手をかわし、例によって仮面の微笑を張りつけながら商談を切り出す。


 アルはネヴィル家が取引のあるドイツメーカー、ルートヴィッヒ・バスフの社員を名乗った。戦時下でドイツの企業が歓迎されないだろうことを述べ、とはいえ製品には自信があるからイギリス中のメーカーを回っている最中なのだと堂々と開陳した。


 だからだろう。幹部社員は話を拒むことなく、商談に乗ってきた。


「新工場を建てる予定でしたから、工作機械の購入予定はあります」

「それはちょうどよかった。ぜひ我が社にお任せいただけないでしょうか」

「いくつかの企業からセレクトしようと思っていまして」

「入札方式で決めようと?」

「価格が大事ではありません。あくまで技術の高いところから選びたい」

「それなら我が社はうってつけです。技術力なら世界一といってもいい」


 この世界に名刺という概念はないようだが、アルは月に命じてメモ用紙とペンをとり、ルートヴィッヒ・バスフの電話番号を書いた。いくらネヴィル家と取引がある企業だからといって、そこまで記憶しているとは思わなかった。俺とは頭の出来が根本的に違う。


「実は我が社では新商品を開発したところでして。従来の機械に比べて生産性がおおよそ三倍に上がる最新鋭の機械です。そちらを採用頂ければ、貴社のビジネスは飛躍的に向上するかと」

「ほう、それは興味深いですな」


 商談を相手の目をくらますだしに使うことを提案したのは俺だが、アルがここまで完璧にその役目をこなすとは想像してなかった。取引企業の得意分野を熟知しているといえばそれまでだが、完全にルートヴィッヒ・バスフの社員になりきっていた。


「せっかくですから、我が社の工場計画についてお話しいたしましょう」


 商談はトントン拍子に進み、幹部社員は資料を取りに席を立った。


 その間、俺は上の階に昇る階段の位置を確認していた。

 それはデスクが密集した場所のさらに奥にあった。このまま何食わぬ顔で向かったら、明らかに不審がられる位置取りだ。このフロアの構造を把握した俺は、そこで適当な口実を思いついた。


「すみません」


 手近な場所で仕事をしてる社員に呼びかけた。


「なんでしょう?」

「トイレに行きたいのですが、よろしいでしょうか」

「構いませんよ、あちらです」


 フロアの奥を指差した。そこは給湯室で、トイレはその先にあるようだった。

 俺はアルに目配せし、行動開始を告げた。アルは小さく頷いた。


 月の背後をすり抜け、俺はひとりで歩きだす。偽装工作に隠密行動。何やらスパイ映画じみたことになってきたが、他に方法はない。


 俺は黙々と働く社員を尻目に、給湯室のドアを開けた。ここでトイレに入り、用を足したように見せかけたあと、階段に何食わぬ顔で身を滑り込ませる。あとは同じような行動をアルと月がやってのければミッション完了。このフロアの人間は基本的に仕事に夢中で客人のことなど構っていられない様子だ。きっとうまくいく。俺はそう確信した。


 斯くしてトイレに入り、時間を一分計った。時間は腕時計で計る。秒針がひと回りしたのを見計らって給湯室に出る。洗面台で手を洗う。給湯室には社員がひとりいるようだったが、極力目を合わさないようにして、水浸しの手をハンカチで拭った。


 勝負は給湯室を出てからの行動――そんなふうに考えていた俺は、そこで一種の視野狭窄に陥っていた。だから対応できなかった。背後に立つ社員が俺の顔に手を回してきた。


「動くな」


 顔を塞がれ、視界は暗闇に落ちる。そして密着した俺の背中には、銃口のような尖ったものが力強く押しつけられていたのだった。

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