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絶対遵守の転移執事  作者: 天ぷら開成髭サウナおじさん(夏音)
第十章 戦時下のハンティング
70/80

主従愛と恋心

 荷物を積み終えると、カーソン運転のシルヴァーゴーストは静かなエンジン音を立てて発進した。


 アルを謀殺しようとしたデシャンは警察が来るまで客間で雪嗣によって監視されている。逃げようとしても雪嗣のほうが強い。なのでこれは妥当な人選といえた。


 一方、アルは、全てを見届けたあと、俺に肩を借りながら、自室に戻った。警察が到着するまで休憩したいと言い出したのだ。ヴィンセントに締められた首もとは真っ赤な痕になっている、単純に身体的ダメージが大きかったようだ。


 自室に戻ったアルはおもむろに靴を脱ぎ、弱々しくベッドに横になった。俺はその介助をし、彼の側に侍った。

 そして彼が口を開くのを待った。アルは「ぼくの部屋に来い」と言った。それは恐らくお茶の用意をさせるためではあるまい。彼は何か大事なことを言いたそうにしていた。


 それでも俺は執事だ。こういうときの振る舞い方は心得ている。


「何かお飲物をお持ちいたしましょうか」


 不正解なのは承知で、定型に則る。


「大丈夫、気を使わせてしまって申し訳ない」


 丁寧に断るアル。その口調は貴族としてのものというより、ひとりの友人としてのそれに思えた。それくらいアルは疲弊し、急速に威厳が失われていた。


「玲君、誰か入ってくるとよくない。内から鍵をかけてくれ」


 その上、完全にふたりきりになりかたったようだ。


「わかった」


 俺は敬語を使うのを止め、その指示に従った。


「さっきは死を覚悟したよ。君がヴィンセントを撃っていなかったら、ぼくはきっと殺されていた。本当に感謝している」


 アルはねぎらいの言葉を口にする。俺は鍵をかけたあとベッドのほうに戻り、


「的を外れたらおまえに当たるところだった。俺こそ無謀なことをしてすまないと思っている」


 謙遜でなく、本音を述べた。

 無我夢中だったから躊躇いなく撃った。けれどそれは危険と紙一重だった。


「玲君、君は本当によくできた執事だ。君の主人であることをぼくは誇りに思う」


 最大級の賛辞。さすがの俺も恐縮を隠せない。


「あの場を取り仕切ったのはカーソンだ。俺はあいつの指示に従ったにすぎない」

「そうだけど、君が狙いを外したらぼくの命はなかった。その事実は揺らがない」


 か細い声でいって、穏やかに目を閉じる。少し苦痛が治まったのだろう。


「けれど事実でいうなら、ぼくは君たちに感謝しても足りない。ぼくは自分の貴族としての地位と権威を保ちながら、どうすればクラリック公の野心を止められるか苦慮していた。なのに彼の願望を後押しすべく、戦争が始まってしまった。それはとても大きな奔流だ。小さな人間にすぎないぼくではどうすることもできない歴史の流れ。ぼくは一度は諦めかけていたんだ。自分にできることなど高が知れていると」


「だが、おまえはその一部を止めた。俺たち使用人を使役することによって。その事実は歴史の流れに抗えることを意味しているんじゃないか?」


 弱気なアルを励ますべく、俺は少しだけ強い調子でいった。

 アルの熱意がなければ、俺には、クラリック公のような高位の貴族を相手に回すような真似はできなかったろう。それはカーソンにおいても同じだったはずだ。


「ネヴィル家は王族を庇護する存在。おまえは先代の教えを受け継いで、それを言葉だけじゃなく実行に移した。その行動力は褒めこそすれ貶すたぐいのものじゃない。自信を持て、アル。おまえは先代の意志を見事に継いだんだ。俺は立派だと思う」


 ――転移者。訳もわからず、この異世界に飛ばされた者。


 転移した先は違えど、最も責任の重い立場に立たされたのは紛れもなくアルだ。高貴な義務を背負った孤独な当主。その運命に逆らうことなく、爵位を傷つけることもなく、難事を切り抜けてきた。その達成はアルがアルだからできたことだ。俺には決して同じ真似はできなかったろう。


「褒められるのは恥ずかしいけど、玲君にいわれると少しは信じたくなるな」

「謙遜もいい加減にしろ。おまえは自分を誇っていいんだ」

「そうなのかな。でも正直いって、ぼくは疲れたよ」

「なに弱音をいっているんだ」

「でも本心だよ。ぼくはあんな化物がいるなんて思ってもみなかった」


 アルは弱気を崩さなかった。彼をそこまで追いつめたのはこの世界の真実。

 ただ歴史が違うだけじゃない。ヴィンセントのような化物が跋扈する本当の異世界。


 その点においては、俺もアルと同意見だった。

 致命的な銃撃を浴びせても、奴は生きていた。そして今もどこかで生きている。そんな異常な世界を垣間みて、ドス黒い深淵を覗き込んだ気になっていた。


「たぶん、クラリック公も被害者なんだよ。あんな化物を飼うはめになって、どうやら逆に飼い馴らされてしまっていたようだ」


 アルの口許に浮かんだのは憐れむような笑み。それは同時に自嘲の笑みでもあった。


「そしてぼくは、自分の父にあたる先代のネヴィル卿の秘密を知らなかった。この世界に転移したとき、その情報は受け継がなかったようだ。どうしてそんなエラーが起きたのかわからないけど、ひょっとすると先代も『黒魔術協会』という組織に関してはあまり多くのことを知らなかったのかもしれない。理由は特にないけど、何となくそう思うんだ」


 アルの発言、似たようなことは俺も考えた。


 組織の格好は作っても、最初は魔術かぶれの内輪なサークルだったとすれば、先代のネヴィル卿が知らなくても不思議はない。組織というものは、往々にしてオーナーの権限を超え、現場主導で動くものだ。あるとき、つまりは俺たちが転移させられたとき、ひとりだけより過去の世界に、しかも吸血鬼として転移したのがヴィンセントなのだとすれば。その事実を現場がひた隠しに隠したとすれば――アルの情報欠落には説明がつく。


「転移者は引かれ合うらしい。次会ったときは必ず仕留めてみせる」


 アルの悔悟とはべつに、俺はヴィンセントを殺し損ねたことをまざまざと感じていた。もしあのとき、冷静にもう一撃することができたなら、俺は貴重なサンプル体として奴の身柄を拘束し、黒魔術協会の内実を吐かせることができたのに。そして思う存分、自分たちの敵討ちができたのに。


 そんな後悔はあれど、前を向かなくてはならない。

 クラリック公から協会の住所は聞いた。それはロンドンにある。カーソンが戻り次第、俺はその場所に行くつもりでいた。事件はまだ解決に到っていない。


 次のとるべき策謀に頭を巡らしていると、アルが俺を見てくすりと笑った。


「やっぱり玲君は玲君だね」

「なんの話だ?」

「早くも次のことを考えてる。顔がこんなふうに真面目になってたよ」


 そういってアルが目尻を吊り上げる。

 俺はそんな険しい顔になっていたのか。自分ではまったく気づかなかった。


「それに玲君は優しいね」

「優しい?」

「そう。以前に君はいっていたよね。命は平等に価値がないって。そんなことをいっておきながら、ぼくの命を救い、大切に慈しんでくれる。言動不一致というやつだね」

「俺はべつに、おまえを特別扱いしているわけじゃない」


 口ではそう反論したが、心のなかでは違う俺が囁いていた。

 アルのいっていることは正しいと。


 俺は、命に価値はないと思っている。それは今でも変わらない。けれどヴィンセントに人質に捕られたアルを助けようと思ったときはどうだろう。助けたいという意志はあったはずだ。自分の大事な主人だから、何としても救い出したいと。


「だから玲君。君がどんなに歪んだ思想を持っていようと、ぼくは君を信頼するよ」


 そういってアルはベッドから起き上がり、すぐ側にいた俺を抱きしめた。

 いわゆるハグというやつである。俺はアルに抱きすくめられていた。


 貴族という固いペルソナを外し、アルは本当の友人みたいだった。きっと転移する前の彼は、俺が友人ならこうやって気恥ずかしさもなく、触れ合いを求める奴だったのだろう。

 アルに抱かれながら、俺は無抵抗に立ち尽くす。


 抱き返したりすれば、友人としての一線を超えてしまいそうだったから。

 そんな俺に対し、アルは耳許で熱っぽい吐息をはいた。


「まだ転移したばかりの頃、君はいっていたね。ぼくが記憶を失っていないかと。ぼくは長い間、それを根拠のない疑問だと思っていた。でもね、きょう知ったんだ。正しいのは玲君で、間違っていたのはぼくのほうだったって」


 アルが抱きしめる手に力がこもった。だからというわけではないが、俺は身を固くした。失った記憶集め。最後の相手。それがアルだ。その記憶が戻ったというのか。


「おまえ……何を忘れてたんだ」


 俺は深い息をつき、アルに尋ねる。俺が最も知りたかった疑問を。その答えを。


「ぼくはね、君のことが好きだった。ひとりの人間として、密かに憧れていた。クラスで孤立していても、君は誰よりも自由だった。その生き方がぼくには眩しく映った」


 俺も同じような感情をクラスのぼっちたちに抱いていた。けれどアルのそれは、俺の感じたぼっちへの尊敬を遙かに上回るものだった。同じ好きという言葉でも、月や紫音が口にしたのとはまったく別物に思えた。


 ――ひょっとしたら俺に告白した相手はアルなのではないか。


 そんな感情が胸の内を支配した。


 今すぐ問いただし、真実を知りたい。それによって俺の記憶も戻るかもしれない。

 そうすれば、俺たちは元の世界に戻れるかもしれない。この世界のルールが俺の信じるとおりなら、アルのひと言で運命の歯車は変わるだろう。


「なあ、アル……」


 俺は世界の変わる音を聞きながら、アルに問いを投げかけた。


「おまえさ、俺のこと好きっていったな」


 その問いにアルは無言で頷く。髪と髪がこすれ合い、俺はアルの体温を頬に感じた。


「その好きって言葉の意味だけど、恋人ってことじゃないのか?」


 遠回しに訊くつもりが、剥きたての林檎のように無防備だった。

 しばらく時が過ぎゆく。それは永遠とも思える一瞬だった。


「君の恋人になりたいという意味なら、イエスだよ。ぼくはそういう仲になりたかった」


 その発言は俺の核心を揺さぶった。やはり告白の相手はアルだったか。

 けれど同時に違和感も持った。なぜならアルは過去形で語ったからだ。


「なりたかった……っていうのは、どういうことだ?」

「文字どおりの意味だよ。ぼくは君への思いをずっと隠していた。でもね、玲君。ぼくは君と主従の関係になれてすごく満足しているんだ。ずっと恋人になりたかった相手と強い信頼で結ばれて、願ったって叶うもんじゃないよ。ぼくは君の主人になれて幸せだった。君がぼくの執事でいてくれて本当によかった」


 そう言うと、アルの手に一層力がこもった。


 告白の相手はアルではない。そのことが彼の手を通じて伝わってくる。俺はなすすべもなく、アルの抱擁を受け容れることしかできなかった。アルはやがて手を離し、俺の顔を見つめた。そこには苦笑が浮かんでいた。


「ぼくは玲君のことが好きだった。だから気づいてしまったんだ」

「なにを?」

「君はぼくではなく、ベアトに惹かれているってことに」


 その発言は、無防備な俺という林檎を鋭いナイフのように刺し貫いた。


「君はふたりの主人に仕えている。そのどちらを選ぶだろうと考えて、ぼくはずっと君の行動を見守っていた。でも君はベアトの味方をするんだね。わかっていたよ」

「ちょっと待ってくれ、そんな唐突に言われても……」

「玲君、ぼくの目は節穴じゃない」


 その語気に押されて俺は黙りこくってしまった。


 確かに好きな相手の行動はつい目で追ってしまうものだ。俺も中学生の頃、そうだった。気になる女子を常に目で追っていた。だから気づかれてしまった。クラスの中心人物たちに俺をいじめ抜く材料を与えてしまった。


 それと同じことだ。俺はベアト様にどういう感情を抱いているか自覚がなかった。けれどもその振る舞いをじっと観察している人間がいたとすれば、どうなるだろう?


 そいつは気づくのではないか。無自覚な恋が芽生えている様を。

 アルが言っているのはまさにそういうことに思えた。


「おまえの早合点だろ。俺はベアト様に執事として以上の感情は抱いていない」

「全力で否定すればするほど確信は深まるよ。素直に認めてしまえばいいのに。現にいまでも、君はベアトのことを案じているんだろう。おおかた彼女が家出することも知っていたに違いない。あいつも君に惹かれていたからこそ、その秘密を君だけに話したはずだ」


 推測ではあったが、アルは事の真相を言い当てていた。彼女が借りたアパートの住所は俺だけが知らされている。いずれ時期を見て訪れるつもりだった。しかしそれはアルのいうように彼女をひとりの女性として見ているからだろうか。


 いずれにしろはっきりしたのは俺自身、心の整理がついていないということだった。


「玲君、恋する人間の観察力を侮ってはいけないよ」


 そう言って笑んだアルは、穏やかな表情を浮かべた。けれどもそれはもう仮面の微笑ではなく、目許はどこか別の場所を見つめており、哀しみというさざ波が静かにわき立っているように映った。


 こうして俺はまた、絶対遵守の誓いを生きるのだった。

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