表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
絶対遵守の転移執事  作者: 天ぷら開成髭サウナおじさん(夏音)
第十章 戦時下のハンティング
65/80

ライチョウ狩り

 その日の正午頃、クラリック公が屋敷を訪れた。


 出迎えと荷物運びは雪嗣と月が手伝った。俺は銀食器磨きをしていた。

 そんな日々の作業を終え、使用人室に戻ると、


「玲さん、あのヴィンセントとかいう執事、本当にすごいです」


 部屋に入るなり、月が興奮した様子で俺に声をかけてきた。


「雪さんの出番がありませんでした。重そうなトランクケースを何人分もひとりで持って。あんな力持ちな人、初めて見ました」


 月は俺経由でヴィンセントの正体が俺たちを轢いた運転手だと知っている。

 だからなおさら注目したのだろう。ヴィンセントの来訪はガーデンパーティ以来だが、そのとき月は接点を持たなかった。彼の仕事ぶりを初めて目の当たりにしたのだ。


「俺も体力には自信があったんだがな。仕事を全部奪われちまった」


 同じタイミングで入室した雪嗣が肩をすくめて苦笑している。


「それなのに執事らしい優雅さを保っているんですから、パーフェクトな執事というのはああいう人のことを言うんですね」


 それは俺が半人前だというあてつけか。

 益体もない冗句が浮かんだが、口にはしなかった。端的に無意味だからだ。


 それに俺には執事としてやるべきことがある。

 ハンティングの人数割りだ。

 この日はカーソンがロンドン出張で不在。俺と雪嗣で客人の相手をする必要があった。


「雪嗣、俺はヴィンセントとベアト様のペアを担当する。クラリック公とアルの付き人はおまえがやってくれないか」

「無論構わないが、主賓はクラリック公だろ。おまえが担当しなくていいのか」

「俺はヴィンセントと組みたい。何なら途中で交代してもいい」

「随分あの執事にこだわるな」

「負けず嫌いの血が騒ぐんだ。狩りも一種の戦いだろ」


 適当な理由をでっちあげたが、俺はヴィンセントが何かよからぬことを企んでいないか監視したいと思っていた。そしてわずかながら話したいことがあった。


「そういうことなら俺は公の付き人をやる。途中で交代しよう、玲」

「すまんな、面倒な仕事を押しつけて」

「おまえらいいなあ、仕事なのに狩りとかできて」


 ひとり蚊帳の外だった紫音が、ぼそりと独り言をいった。


「おまえは晩餐の準備があるだろ。それより公に給仕するワインを持ってきてくれ」

「はいはい」


 使用人室を出て行く紫音。入れ違いにダグラスさんが入ってきた。


「あんたたち、お仕着せで狩りに行くつもりかい」

「勿論、すぐ着替えます」

「私ら女組は屋敷で留守番だね。月、お茶を淹れておくれ」

「御意」


 狩りとなれば、月や紫音など女手は必要ない。俺と雪嗣はそれぞれ部屋に戻って、お仕着せを脱ぎ、動きやすい格好になった。イギリスらしいクラシカルな服装だ。


 そして俺は整備庫から猟銃を引っ張り出してくる。

 すべての準備を整えたとき、シャツとベストに着替えたクラリック公がヴィンセントを引き連れて階下に降りてきた。ホスト役のアルとベアト様が彼らを出迎え、バークマンが待機しているシルヴァーゴーストに向かった。


 ちなみに車には定員があるため、俺と雪嗣は馬に跨がった。

 ライチョウの狩り場はグリムハイドの外れにある。俺はクラリック公とアルの内緒話を耳にしたかったが、それは叶わない。あとでそれとなく探りを入れようと心を固め、雪嗣を後ろに乗せ、馬に出発の合図を送った。


「玲、ちょっといいか」


 馬上でふたりきりになった途端、雪嗣はおもむろに話しかけてきた。

 俺は手綱を操りながら、その発言に応える。


「なんだ? やぶからぼうに」

「おまえ、ヴィンセントって執事に含むところでもあるのか。さっきも言ったが、おまえは本来、アルバート様のお付きだろう。それを曲げてまであいつと組みたがるからには、相応の理由があるんだろうな」


 俺が強引な人数割りをしたせいで、雪嗣は警戒心を刺激されたようだ。


「隠さないで答えろ。おまえの態度はいつもと違っていた」

「よく見ているんだな、俺のこと」

「混ぜっ返すな。隠し事をするなんて水臭いといってるんだ」


 雪嗣のセリフが熱を帯びてくる。ひょっとすると心配をしているのか。


「わかったよ、話せばいいんだろ」


 俺はぶっきらぼうに言って、雪嗣にヴィンセントの素性を話した。

 彼が俺たちと同じく転移者であり、俺たちを轢いた張本人であること。そして彼が元の世界では犯罪者であったこと。


「俺にはあいつの意図が読めない。何をしでかすか気になるんだ。最初に付き人を選んだのも監視が目的だ。ベアト様に何かあったら後悔しか残らない」

「なるほど、あいつにはそんな裏があったのか……」


 雪嗣は意外と驚かない。自分たちが転移というファンタジーなめにあっているぶんだけ、受け容れる度量が大きくなっているのだろうか。


「だとしても、内緒にされていたのは気分が悪いな。おまえはもっと俺のことを信用しろ。こそこそ鼠みたく隠れて動くな」

「その件についてはすまないと思ってる」

「反省しろ。俺たちは仲間なんだ」


 ――仲間。


 雪嗣の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。


「友達の絆を大事にしろってか?」

「馬鹿いえ。巻き込んだのはおまえだぞ」


 雪嗣の顔はあいにく馬上のため見えないが、口調はどこか照れ隠しのように聞こえた。

 俺は雪嗣の動揺を感じて、話題を変えることにした。


「俺はヴィンセントのことを見張るが、クラリック公とアルがどんな話をするのかも気になっている。そっちの監視はおまえに頼んでいいか」

「監視だと?」

「戦争の最中、次期首相に就こうという人物が、わざわざ狩りのためにアルと会いに来るわけだ。自分の資金源に使おうとしているのは明白だが、その詳細を知りたい」

「アルバート様にも何か意図がありそうだが」

「金を出す以上、口も出したがるタイプだ。自分の意志を通そうとするだろう」


 俺は競馬場でダドリー卿らがアルに圧力をかけていたことを語った。

 いわゆる四人組。そして彼らの動きよりも戦争の動きのほうが早いこと。


「戦争の行方は屋敷の未来を左右する。俺たちはアルのために全力を尽くすべきだ」

「わかった。その監視とやらに乗ってやる」


 何かにつけて腕力にモノを言わす雪嗣が小賢しい動きのできる奴とは思えなかったが、いまは協調してことにあたりたい。その意味で彼の助力はありがたかった。


 やがてシルヴァーゴーストと馬は目的地についた。


 俺は手近な大木に馬を止め、車のトランクから猟銃を取り出した。

 執事組は狩りに加わらない。装填役とワインの給仕が主な仕事だ。


 俺は雪嗣と分かれて動き、ヴィンセントとベアト様に猟銃を渡した。危険人物であるヴィンセントに銃を渡すのは躊躇いが生じたが、ここは信じるより他ない。


「ところでヴィンセント様」

「なんだい?」

「ワインはお飲みになりますでしょうか」

「あるなら貰うよ。久しぶりに動いて喉が渇くだろうからね」


 そのひと言でワインの携帯が決まった。

 ライチョウの狩り場は目の前に広がる森だった。バークマンが連れていた猟犬が解き放たれ、彼の指示どおり森を一目散に駆けていく。

 しばらくすると犬に追い立てられたライチョウが空を舞い始めた。

 ハンティングの始まりである。


「クラリック公、アルバート様、参りましょう」


 雪嗣が貴族たちを先導し、森の奥深くへ入っていく。

 ヴィンセントとベアト様はその場に留まり、猟銃を構えた。


 俺は初めてのハンティングであり、ベアト様の腕前を知らない。けれどその構えは並の素人がやるのとは一線を画していた。腰の定まった姿勢で天を仰ぐ。


 ――パンッ!


 すぐさま銃声がした。

 羽音を立てながら、ライチョウが降ってくる。実に見事な腕前だった。


「さすがですな、お嬢様」


 引き立て役に回ったヴィンセントがにやけたツラで拍手を送っている。

 その余裕たっぷりな態度が気に入らなかったのか、


「貴公も撃ってみせろ」

「それではお言葉に甘えまして」


 ヴィンセントが銃を構える。ベアト様と違い、明らかに初心者の構えだ。


 ――パンッ! パンッ! パンッ!


 弾はライチョウから外れ、虚空を貫いていった。

 しかも同時に三発放ったから、残弾はゼロである。装填役の俺は、すぐさま銃を受け取り、代わりの弾をこめた。


「中々難しいですね。数を撃てば当たると思ったんですが」

「腕の構え方が違うんだ。左腕はもっとまっすぐ伸ばさないといけない」


 ベアト様の指導が入った。ヴィンセントは深く頷く。


「ではもう一度……」


 猟犬が追い立てたライチョウが再び空を舞う。

 今度は同時に数羽、飛び上がったのが見えた。


 ――パンッ! パンッ! パンッ!


 またしても引き金を素早く引き、三発連射した。弾はあえなく空に散ったかと思えたが、


「ほう、中々やるではないか」


 ベアト様が感心する声。

 その証拠に三羽のライチョウが空から降ってきた。猟犬がそれを噛み、俺たちのところへ運んでくる。


「ヴィンセント殿、貴公は狩りは初めてか?」

「ええ。素人もいいところです」

「その割りに飲み込みが早いな。いまの射撃は完璧だったぞ」

「お嬢様の指導の賜物です」

「ところでひとつもの申してもいいか」

「なんでしょうか」

「私のことはお嬢様ではなくベアトと呼べ」


 恒例の命令を発し、銃を構えた。


 ――パンッ!


 ベアト様は一羽ずつ丁寧に撃ち落としていく。

 だが、連射速度のあるヴィンセントの射撃は、確実にその成果を高めていった。


「私はもう少し森の奥に行く。代わりの弾を貸せ」


 ライチョウの姿が消えたので、ベアト様はひとりで森に踏み分けていかれた。

 しばらくすると、俺はヴィンセントとふたりきりになった。


「…………」


 無言でベアト様のあとを追う俺たち。

 猟犬がこっちにやってきたが、なぜか俺たちの姿を見ると、回れ右をして森の奥へ駆け出してしまった。

 俺はヴィンセントと話をするチャンスと思い、恭しく語りかけることにする。


「ワインはお飲みになりますか」

「いいね、貰おうか」


 先だって王の拝謁の際、因縁を深め合った仲とは思えない平静なやり取り。俺は口調を乱さず、執事として彼にあたった。


「…………」


 俺は再度無言となって、デキャンタに移したワインをグラスに注ぐ。

 ヴィンセントはそのグラスを受け取り、胸元のポケットから取り出した頓服薬のようなものを飲み、ワインでそれを流し込む。


「どこかお体が悪いのですか」


 俺の質問に、ヴィンセントは手を振って答えた。


「特に悪いところはないよ。これは気付け薬みたいなもの」

「そうですか」


 俺は空になったグラスを受け取り、銀のお盆に載せる。


「狩りは初めてのように見受けられましたが、中々の腕前ですね」

「まあね。狩りが初めてというより、散弾銃を使うのが初めてなだけさ」


 そういってにっこりと笑うヴィンセントだが、相変わらず小芝居のような作り笑いで、俺は彼の本当の表情を読むことができない。

 だが、会話の邪魔にはならないと判断した。


「――公の来訪目的はなんだ?」


 森の中を歩きながら、何気ない調子で訊く。


「君もわかっているんだろ。ネヴィル卿の資金的援助を得るための来訪だ」


 ヴィンセントもあっさりと答える。


「しかしこう何度も支援要請があるということは、まだ誰も我が主人の心を掴んでおられないということの表れではないでしょうか」

「何が言いたいのかい?」

「些かピントを外しているのではないかと、主にあなた方が」


 アルは先刻より戦争回避のためなら、金を出すといっていた。いざ開戦すれば、高貴な義務に則って従軍する意志があるともいっていた。それでもクラリック公らと話が噛み合ないのは一体どちらに責任があるのか。


「それは勘違いだね」


 ヴィンセントは正面を向いたまま、俺の発言に言葉を継ぐ。


「おそらくネヴィル卿は、ある時点で考えを変えたんだよ。べつの歴史を辿っているこの世界を自分の意志で変えることができるとね。ボクのご主人様はその意志に振り回されて困っているんだ。ネヴィル卿の真意がどこにあるのか測りかねて」


 ただの指摘なら聞き逃してもよかったが、ヴィンセントは転移者だ。元の世界と比較してより正確な判断ができる。そんな彼がいうのだ。俺はいまの指摘は正しいと思った。


 けれどそのすぐあと、ヴィンセントは聞き捨てならないことをいった。


「ボクが思うに、ネヴィル卿は怖くなったんだ。たとえ高貴な義務であろうとも、自分が本当に戦場に立つ姿を想像して。だから悲惨な戦争を避ける、もしくは早期停戦で我が国を救う救世主になろうとした。その結果、ボクたちに対する要求も変わった」


 アルが臆病風に吹かれただと?

 友人としてよりも執事としてその意見は承服しがたかった。


「いまの発言は撤回して貰えませんか」


 アルは俺とは違う。怖がりな俺とは違い、貴族としてあるべき世界に導こうとしている。その行動を自分の身を守りたいエゴだというのは許せなかった。


「おあいにく様、撤回する気はない」

「なら腕ずくでも撤回して貰うぞ! 俺はあんたが嫌いなんだ。いまこの場で撃ち殺してやろうか」


 俺は装填のために手にした猟銃を水平に構え、ヴィンセントを脅しつけた。

 こいつは俺たちを死に到らしめた張本人だ。殺しても殺し足りない奴だ。だからこの場で殺しても、俺はきっと満足するだろう。牢屋にぶち込まれても、後ろめたく思うことはないだろう。

 けれどヴィンセントは、その脅しに眉ひとつ動かさなかった。


「撃てるものなら撃ってみるといい。無論、君に撃たれる覚悟があるのなら」


 ――覚悟?


 そんなものはなかった。俺にあるのは命は無価値と信じる理性だけ。

 戦争に、この激動するイギリスにどう向き合うべきか、答えはまだ出ていない。

 そんな俺に、ヴィンセントを撃つ資格はなかった。


「…………」


 銃口をおろし、俺はヴィンセントを見据えた。

 彼は俺の殺意を感じてなお、表情を動かさない。その愉悦さえ感じる皮肉げな笑みは、彫像に貼付けたペルソナのようであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ