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絶対遵守の転移執事  作者: 天ぷら開成髭サウナおじさん(夏音)
第十章 戦時下のハンティング
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前夜

 八月のある日。


 そのひと言が放たれたのは昼餐の準備をしている最中だった。

 電話の受話器を元に戻しながらアルが、手近な使用人――つまり俺に声をかけたのだ。


「玲、今月中にクラリック公が我が家を訪れる」


 クラリック公といえば、最上位の貴族。しかも次期首相候補の筆頭と呼び声の高い人物。多忙な最中にグリムハイドくんだりまで来るとは。一体どんな用向きだろう。


「重要なお話でもあるのですか」


 問い返した俺に、アルは小さく頷く。


「クラリック政権ができたら、それを支援してほしいとのことだ。ぼくにとっても公と腹を割って話すチャンス。大陸で行なわれている戦争をどう解決するか、我が国の安定をどうやって取り戻すか忌憚ない話し合いをするつもりだ」


 事が決まれば、アルの行動は早い。

 同じく昼餐の準備でテーブルを調えていたカーソンに指示を出す。


「公をお迎えする以上、しかるべきイベントを用意したい。ただ書斎で話し合うだけではあまりに無粋だ。カーソン、何か良いアイデアはあるか?」

「それでしたら、ハンティングが最適かと」

「なるほど、悪くないな」

「八月はライチョウの狩りが解禁されます。ひととき野性に還りますれば、公も胸襟を開いて有意義な会談ができましょう」


 斯くしてクラリック公の来訪日に備えて、屋敷の全員にハンティングの用意をするべく号令が発せられた。イギリス貴族といえば何を置いてもハンティング。この世界の事情に明るくない俺でも、彼らの狩り好きは既知の情報であった。


「公も遊びで来るわけではない。中心となる話題はもっぱら戦争に関すること、そして時期クラリック政権に対してぼくがどんな支援ができるかに絞られるだろう。ぼくも金を出すからには相応の条件を出させて貰う。みんなもそのつもりでいてくれ」


 昼餐の最中もアルのおしゃべりは留まることを知らなかった。


「最近、貴族の間ではぼくの悪評が立っているらしい。なんでも金だけ出す腰抜けの貴族との評価が定着したようだ。ビジネスにも影響するし、そんな噂は根元から断ちたい」


 側でじっと聞き耳を立てているのはベアト様。

 また、ハンティング開催の情報はすぐさま使用人室に伝わる。狩りとなれば、猟場番人のバークマンの出番だからだ。


「なあ、バークマンさん。狩りって私らも参加できるのか?」


 俺が使用人室を覗くと、まっさきに食いついていたのは紫音だった。


「使用人の女の子たちは屋敷で待機だと思うよ。なにせ貴族のイベントだから」

「えー、マジかよ。つまらねぇの」


 落胆した紫音だが、代わりに口を挟んだのは雪嗣だ。


「俺たち男連中はどうなる」

「男手は要るね。銃の装填係、ワインの給仕。忙しくなると覚悟しておくんだな」

「…………」


 雪嗣は肩をすくめた。面倒な仕事が降ってきたな、と顔色に出ている。


 俺は狩りを手伝わさせられるのは織り込み済みだったので、大人しく黙っている。

 問題はむしろ、公とアルの頂上会談の行方だろう。


 第一次大戦はイギリスを筆頭とした連合軍の苦戦が伝えられている。ドイツに二正面作戦を強いるはずだったロシア軍が、国内の動揺によって軍に反乱の気配が漂っているとのこと。このあたりの歴史の流れも史実より早い。ロシアは革命によって一九一七年に戦線離脱するが、早くも革命へ向けた動きが勃発している。それもこれも、ドイツの勢力が想定外といえるほどに強力なためだ。


 そんなことをつらつら考えていると、俺にサインを送ってくる奴がいた。

 使用人室で一休みしている月である。

 彼女のサインを理解し損ね、俺が疑問符を浮かべていると、


「玲さん、玲さん」


 側に歩み寄ってきて、小声で話しかけてくる。


「隙を見て少し話しませんか」

「なんで?」

「アルさんの記憶集めのことです」

「そこのことか」


 ――アルの記憶集め。


 先月の競馬では、開戦の知らせが舞い込むことによってそれは不発に終わっている。


 けれど今回は違う。四人組の背後にいたクラリック公が自ら出向き、アルと重要な会談を持とうとしている。それによってアルが窮地に陥ることは予想できる。そうした好機の到来を待ち構えて、彼の記憶を取り戻させることは十分に可能だと思う。また、こちらもその心づもりをしていなければならないだろう。


 俺は月を使用人室の外に連れ出し、短く会話をかわした。


「当日、俺はアルの付き人になる。そうすれば公とアルがどんな会話をしているかわかるだろう。アルの記憶を取り戻せば、あとは俺だけだ。このチャンスを逃す手はない」

「玲さんにお任せしちゃっていいですか」

「そこは俺の仕事だろう。元の世界に戻る方法はそれ以外ない。俺たちから記憶を奪い、欠落を押しつけたこの転移というやつから復帰する方法は」


 腕組みをしながら、俺は月を安心させるようなことを口にする。


「元の世界に戻っても、俺たちは死んでいるだけかもしれない。けれど針の穴のような、か細くても確かな可能性があるなら、俺はそれに賭けたい。何かあったらおまえの助けを借りるかもしれない。そのときは頼んだ」

「わかりました。心の準備だけはしておきます」

「ありがとう。いまそれだけで十分だ」


 記憶集めについて、秘密を共有しているのは今のところ月だけだ。本当なら紫音や雪嗣の考えも聞いておきたいところだが、混乱させるだけのような気がして避けていた。それにあいつらは元の世界に戻りたがらないかもしれない。そこの部分で意見が衝突したら、俺の努力は水泡に帰す。我ながら傲慢だと思うけど、俺は自分の意志を優先していた。


(それに元の世界に戻りたがらない奴はこの世界に留まるルールかもしれないしな……)


 またしても自分の思考に沈殿しながら、俺は滞りなく昼餐の給仕を終えた。


 とはいえ給仕をしている間、ずっと気になっていたことがあった。

 アルがハンティングのことを告げた途端、ベアト様のご様子がおかしくなったのだ。


 おかしいといっても色々あるが、この場合、口数が少なくなったのと、何か深い悩みを抱えておられるような表情になったのだ。

 その証拠に昼餐の料理は半分ほど手をつけたところで残してしまわれた。


 一体ハンティングのどこにベアト様を落ち込ませる事情があったのだろうか。

 近寄って伺おうか迷ったけど、結局そのままにしておいた。だからというわけではないだろうが、彼女はそそくさと立ち上がると、階上に消えていった。


 ◆


 昼餐の片付けを終えた俺は、バークマンに頼んで猟銃の手入れをやらせて貰えた。


「これは散弾銃。この銃は点より面を撃つ銃でね、狩りにはうってつけなんだ」


 銃口から掃除用の棒を突っ込み、中をかき出しながら、ついでオイルを塗りこむ。


「掃除といって、外面の掃除は見栄えをよくするためなんだけど。貴族の扱う道具だし、そこは丁寧にやるほうがいい。お客人も綺麗な銃だと満足感も高いだろうしね」


 バークマンから仕事を引き取って、俺は屋外で銃磨きと整備に精を出した。

 夏の日差しはそこそこ暑いが、元の世界の日本ほどではない。


 やがて全ての銃を手入れし終え、俺は大きく伸びをした。

 その伸ばした腕に触れるものがあった。見上げると、こちらを覗き込むベアト様のお顔があった。俺は彼女の体にもたれかかっていた。

 慌てて姿勢を戻すと、


「レイ、ちょっといいか」


 どうやら彼女は俺に所用があるようだった。表情を見ると、さっきまでの憂鬱そうなものではなく、少し自嘲気味に笑んでいる。


「この銃を片付けてからでよいでしょうか」

「構わない。整備庫まで付き合おう」


 銃を手に立ち上がると、ベアト様の全身が見えた。履いているのは半ズボンで、上着はチェック柄のベストを身につけている。ちなみに半ズボンとベストの柄は同じだ。

 顔から下だけを見れば、少年のような佇まいだ。


「どうだ、似合っているか?」

「可愛い感じですね。よくお似合いかと」

「ハンティングをやるというから引っ張り出したんだ。これだと動きやすいし、暑さにも負けず、存分に狩りができる」


 服装自慢はベアト様の習性だ。もっともその多くは常識外れなものだが、今回の服装はクラシカルな貴族らしい雰囲気を漂わせている。これならばゲストである公の前に出ても恥じることはないだろう。


 整備庫の扉を開けると、むわっとした埃が立ちこめていた。

 バークマンが定期的に掃除をしているのだろうが、それでも空気がこもっている。

 俺は鍵付きの収納に整備したての銃を収めた。バークマンから借りた鍵をかけ、


「ところでベアト様、私にどんなご用で?」


 後ろについてきた彼女を振り向き、穏やかだが率直な質問を投げかけた。


「うん、そうなんだがな……」


 一瞥すると、ベアト様は視線を逸らした。

 何か口にしづらいことでもあるのだろうか、なんてことを考えていると、


「レイは私の味方か?」


 視線を戻し、俺の瞳を見つめてきた。


「勿論、味方でございます」

「そういう執事としての義務ではなく、人間として私の味方か?」


 ややこしいことを尋ねられる。


「たとえばアルが反対しても、おまえは私の味方になれるか?」


 ここまで問われれば、会話の筋は何となく見えた。


「話の内容によります」


 アルより優先するかと尋ねられたら、こう答えるより他ない。

 実際のところ、俺はアルとベアト様の間に優劣をつけたことは一度もなかった。だから、どちらが上か尋ねられても、確かな答えは持ち合わせていなかった。


「話とはな、近々この屋敷を出ようと思う」


 そう来たか、と俺は思った。

 すでに社交界デビューを反故にした際、いずれは貴族をやめると仰っておいでだった。その日がこんなに早く来ることになろうとは。


「実はロンドンで仕事を見つけたんだ。あいにく運転手の仕事はなかったが、小さな食品メーカーで経理の見習いを募集していてな。面接でネヴィル家での経験がいきるだろうと述べたら、無事内定を貰うことができた」


 そして自立への第一歩も刻んでおられた。何度かひとりでロンドンに足を運んでいると思ったら水面下ではそんなことをやっていたのか。行動力があるとはいえばそれまでだが、ここまで本気だと正直思っていなかった。


「しかしベアト様、そのような所業に出れば、いわゆる家出になるわけですが」

「そうかもしれない。だが全財産をはたいてアパートを借りる算段もつけたんだ。アルが何を言おうと覆すことはできない。私は自分の意志で生きることになる」

「それはもうすぐにも実行されるのですか」

「今度のハンティングまでは屋敷にいる。いわば貴族として参加する最後のイベントだな。そんなことを考えていたら、少し感傷的になってしまった」


 昼餐での元気のなさはそこに原因があったのか。


「世界は私の歩みなどお構いなしに動いている。激動といってもいい。先月ロンドンでテロが起きただろう。アイルランド独立派は革命勢力についたと見るべき動きだ。私はその

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