レースの行方
自分が八百長を企んでおいて、他人のそれを咎めるのは筋が通らないかもしれない。
しかしその手段には程度がある。レースに手心を加えさせるのが俺の意図だったが、今目の前で繰り広げられているのはヴァルゴ号を負けさせる算段だ。
ヴァルゴ号は気性が荒いという。そんな馬に興奮剤を打ったら、あとはどうなるかわらるだろう。騎手の手綱捌きは意味をなさず、馬は暴走することになる。そうなれば、もはやレースどころの騒ぎではない。
「月、少しここで待っていてくれ」
俺は身を隠していた階段から出て、ニコラスと調教師に声を浴びせた。
「そこで何をやっているんですか」
その声は厩舎に響き渡る。ニコラスと調教師は後ろを振り返った。
「おう、ネヴィル卿の」
ニコラスは口の端を思い切りつり上げ、
「なに、ちょっとした雑談さ」
さすがというべきか、彼は平然とシラを切ってのけた。
けれど俺はその答えに満足するわけがない。調教師の側に歩み寄り、
「さっき何か受け取りましたね。身体検査をさせて頂きます」
調教師の手を掴み、受け取ったばかりのアンプルを奪い取る。
「話は聞いていました。これは興奮剤だとか」
アンプルを床に落とし、革靴で踏み砕く。静かな厩舎にガラスが割れる音が響いた。
「現場を見てしまった以上、見逃すわけにはいきません」
ニコラスはヘインズ卿の執事だ。彼は最初から、アルの所有馬であるヴァル号を負けさせることを意図していたのだ。状況次第でアルと賭けになることを見越して。
「あなた方がとれる選択肢は二つです。警察に突き出され、留置場で臭い飯を食うはめになるか、この場で私に謝罪するか。どちらか選ぶ権利を差し上げましょう」
「謝罪って、具体的には何すりゃいいのよ?」
硬直した調教師をよそに、ニコラスはへらへらと笑いかける。
「……土下座です」
俺が決然とした声でいうと、ニコラスはかすかに表情を曇らせた。
「くわえて、首謀者の名前を教えて頂きます。おおかたあなたのご主人様の指示ではないかと疑っているわけですが、その真偽をはっきりさせたい」
ヘインズ卿の指示だとわかれば、俺は彼にひとつ貸しを作ることになる。アルと四人組が対立している以上、そういう貸しは後々大きな意味を持つ。
果たしてニコラスがどう答えるか見守っていると、
「残念ながらこいつはおいちゃんがひとりで仕掛けたもんだ。ご主人様は関係ない」
そういうと思っていた。まるで収賄で捕まった政治家の秘書のような言い訳だ。
「しかし状況的にはあなたの一存というわけにはいかないでしょう」
「でも実際そうなのよ。おいちゃん、アルデバラン号に大金賭けてるもんでさ」
のらりくらりと追及をかわすニコラス。
どうあっても自分の主人を守るつもりか。俺はその態度に執事として些かの敬意を抱きつつも、追及の手を緩めるつもりはなかった。
「では土下座はできないと?」
「そうなるね」
「警察に行く気は?」
「それはそれで結構な話さ。これは未遂だ。おいちゃんを実刑にするほど警察もそこまで暇じゃないと思うがね」
ニコラスのいっていることは理にかなっていた。八百長で大金を稼いだのならまだしも事前に露見したのであれば、罪は軽微になる。数日留置場にぶちこまれ、あとは無罪放免だろう。そして首謀者とおぼしきヘインズ卿は完全に蚊帳の外だ。
「私はどうあっても首謀者の名前を知りたいのですが」
「そいつは無理な相談だ」
ニコラスとのやり取りは壁にぶちあたっていた。彼は最後までヘインズ卿を守り抜くつもりなのだろう。ここまで覚悟を決められては、あとは実力行使しかない。
だが、ほぼ同時にニコラスが提案をしてきた。
「どうだい、ネヴィル卿の。ヴァルゴ号が勝ったら全部教えてやるっていうのは。代わりにうちのアルデバラン号が勝ったらおたくは矛を収める。いいアイデアだと思うんだが」
「あなたが圧倒的に有利じゃないですか」
「嫌ならべつにいいんだぜ。おいちゃんが留置場に入ってそれでおしまいだ」
「……少し考えさせてください」
俺としては大きく譲歩したくはなかったが、ニコラスの決意が固い以上、ここで拒絶しては元も子もなくなる。
俺は階段に目配せし、月をこちらへ呼び寄せた。
月はメイド服のスカートを翻してぱたぱたと駆けてくる。
「先に貴賓室に戻っていてくれ。俺はこの執事とまだ用がある」
「わかりましたけど、大丈夫ですか、玲さん」
「俺の心配はしなくていい」
修羅場を見つめていた月としては不安を覚える場面だろうが、この場はひとつ穏便に済ませたい。何よりアルに心配をかけたくない。
「アルにはパドックを見ていると伝えてくれ。そうすれば納得するはずだ」
「了解しました」
◆
貴賓室に戻らなかった俺たちが向かったのは施設の屋上。
そこならば秘密の会話でもできるし、何よりレースの模様がよく見えるからだ。
途中、ニコラスが逃げ出す可能性があったため、俺は背後にぴったりと張りつき、彼の動作を慎重に見張った。
「ネヴィル卿の、おいちゃんちょいと暑いぜ」
「我慢してください」
「やれやれ」
階段を昇り、やがて屋上に出る。
強い風が吹いていた。そこでようやく人心地ついたのか、
「涼しいねぇ」
ニコラスが大きく伸びをする。その動作は余裕たっぷりなムーブだった。
反対に監視役をしている俺としては緊張を緩めるわけにはいかない。まったくいい面の皮というわけだ。
「…………」
そしてしばらくの間、ふたりとも無言を貫いた。
俺は無駄口を利く気がなかったから。ニコラスの意図はわからない。
屋上から眺めれば、メインレースの競走馬がパドックに現れていた。黄色の帽子をかぶった騎手がヴァルゴ号、緑の帽子をかぶった騎手がアルデバラン号。
双眼鏡はなかったが、目のいい俺にはパドックの様子が手に取るようにわかる。
ニコラスも同じようだった。口の端をつり上げながら、静かに見下ろしている。
「さあ、どっちが勝つかねぇ」
まるで他人事のような口調でニコラスが呟く。
「以前はおいちゃん、あんたに遅れをとったからな。あれは酷い負けっぷりだった」
地下決闘でのことか。
俺が突きを決めてニコラスを沈めた一件。ネヴィル家の名誉を守ったこと。
そんなこともあったな、と俺は過ぎ去った日々を噛み締めていた。
思わず遠い目になる。
しかしその動作が隙を作ってしまった。
あっと声を出す間もなく、弾けるように立ったニコラスが俺の懐に入ってくる。
「――――!?」
ごつい手で首を掴まれ、何かを突きつけられていた。
それは鋭利なナイフだった。
首筋にあたったそれは皮を裂き、真っ赤な血が切っ先に滲んだ。
「――何の真似だっ?」
喉仏を掴まれたため、発したのは嗄れた声だった。
「何の真似? 見りゃわかんだろ」
――迂闊。
俺は自分の愚かさを呪ったが、それはもう後の祭りだった。
「なあ、ネヴィル卿の。あんたちょっとばかし調子に乗ったな。おいちゃん、プライドだけは人一倍高いんでね。土下座を強要されたら、黙っちゃいられねぇな」
「くッ……!?」
「さあ、立場が逆になったな。いい気味だぜ」
ナイフは微動だにさせず、右膝で俺のどてっ腹を蹴り上げてきた。
勢いのついた重い蹴り。それは的確に急所をヒットした。
「ガはッ……!」
体がわずかに浮き上がった。それほど強烈な一撃だった。
「――てめえ……復讐のつもりかっ!?」
敬語が乱れ、俺は悪役じみたセリフを吐いてしまった。
「復讐? そんなんじゃねぇよ。ただちいとばかし頭にきちまっただけさ」
なおも首筋を撫でるナイフ。
怖気が走るほどの冷たい感触が俺の頭に警告音を鳴らす。
少しでも動かせば頸動脈が切れる。いまこの瞬間、俺はニコラスに命を握られていた。
――だが、命に価値はない。
警告音を押さえ込み、俺の理性がそう囁いた。
次の行動を思慮するうえで、俺のなかで葛藤が生じた。勝利を収めたのは本能ではなく、理性だった。それは俺の恐怖を解除した。
すぐさま自分の前足を蹴り上げる。それはニコラスの股間を直撃した。
「グほッ……!」
今度浮き上がったのはニコラスの体だった。
俺の体は緊張から解き放たれ、機械のような正確さで彼の右手を蹴りつけた。ついさっきまで命を握っていたナイフが宙を舞い、それは俺の手の中に収まる。
「いいざまだな、ニコラス」
形勢逆転。ナイフを手にした俺は争いの主導権を取り返していた。
人は危険を感じると恐怖に縛られる。人間も本能に操られる動物のひとつだからだ。
真剣勝負とは、そうしたおのれ自身の恐怖を克服する戦いなのだと俺は剣道の師匠から学んだ。
だからこそ俺は恐怖を解除するすべを学んだ。それは死を恐れないこと。
命に価値はない。それは理性が唱える絶対的真理。
「おまえには口を割って貰うぞ。八百長を仕掛けたのは誰だ?」
「しつけえなぁ、だからおいちゃんだって言ってるだろうが」
「この期に及んでまだシラを切るつもりか」
俺はナイフを正中に構える。短いけれどこれも立派な剣だ。
勿論、ニコラスを殺すつもりはない。だが、口を閉ざし続けるなら、剣道の要領で彼を切り刻んでやる気でいた。首謀者の名を吐くまでは。
「コテェ!」
すり足で進みながら、手にしたナイフを振り下ろす。
「うグッ……!」
ニコラスの右手が裂けた。ナイフには赤い血糊がこびりついた。
「さあ、吐け。吐くまで斬りつけるぞ」
次は肩口を切った。彼のお仕着せは裂け、下のシャツが血に染まる。
事ここに到って、ニコラスはようやく俺の本気を悟ったようだ。
「ストップだ。洗いざらい吐く。止めてくれ」
ニコラスが両手を挙げる。それは降参の合図だった。
「その代わりうちのご主人様に告げ口するのだけは勘弁してくれないか」
「なぜだ?」
「おいちゃんが困る」
「わかった。言い訳は自分で考えてください」
ヘインズ卿に突き出すことが目的ではないため、俺は承諾の意を込めて頷いた。
「で、八百長の首謀者は誰ですか?」
「うちのご主人様だよ。ヴァルゴ号を負かすよう計らう指示を受けた」
「アンプルを入手したのは?」
「おいちゃんだ。汚れ仕事は全部おいちゃんがやった」
「ヘインズ卿の意図は?」
「詳しいことは知らねぇ。だがさっきのやり取りで察しはついた。ご主人様は当初、ネヴィル卿に賭けを持ちかける気だった。反対にむこうから賭けを持ちかけられたが、そいつは結果オーライ。どのみちヴァルゴ号が負ければご主人様の願いどおりだった」
「なるほど、だから八百長を」
事態の全貌を掴み、俺は一息つく。
これでヘインズ卿の弱みを握った。アルが貴族たちと伍していく上で、貴重なカードを手に入れた。
一方でニコラスをここまで暴れさせたのだから、彼らがアルに抱く害意はこちらの予想を遙かに上回っていると思えた。アルは四人組の真意を、あまりに近くで知りうる立場に置かれていた。具体的にいえば、クラリック公の政権奪取にかける政治的野心。
ひょっとすると、公の下僕として送り込んだというスパイも、すでに素性が知られているのではないだろうか。もしそうだとすれば四人組、そしてクラリック公が、アルに強気なプレッシャーをかけている意図も明確になる。アルは元の世界の人間として、この国が戦争に巻き込まれることを避けようとしていた。だがその真意を知らない連中は、アルが分不相応な野心を抱いていると勘違いしただろう。隙を見つけては自分を追い落とそうと企む跳ねっ返りの馬として。
そんなことを考えていると、会場にファンファーレが鳴り響いた。
いよいよメインレースの時間となったようだ。
「ニコラスさん」
俺は屋上の床に座り込むニコラスに話しかけた。乱闘を終えたフェアな態度で。
「なんだい?」
「このレースで最後にもう一度、私と個人的な賭けをしませんか」
「まだ賭けるのかい?」
「ええ。私はあなた方の策謀を知りましたが、イレギュラーなことにあなたを傷つけてしまった。ヴァルゴ号が勝ったらこの場で起きた乱闘はなかったことにしてください。逆にアルデバラン号が勝ったら私の処理はあなたにお任せします」
いち執事に戻った俺だが、ニコラスを傷つけた咎を公に処分されるのは避けたかった。
ニコラスは警察に訴える権利がある。この乱闘を正当防衛だと争っても、裁判になればアルに迷惑がかかる可能性は高い。内密に処理できるならそのほうが何倍も気が楽だ。
「いいぜ、その勝負乗ってやるよ」
血だらけのニコラスは心理的余裕を取り戻したのか、唇をニタッとつり上げた。
◆
号砲が鳴り、レースが始まった。
ヴァルゴ号は差し馬らしく出遅れ、最後尾からのスタートとなった。
アルデバラン号は中盤に位置取り、悪くないポジショニングだ。
このレースはマイル戦。距離は短い。勝負はあっという間に決まる。
そんな馬たちの競争を屋上から眺めながら、柵にもたれていたニコラスは、
「なあ、ネヴィル卿の」
歓声にかき消されそうな声でぽつりという。
「ヴァルゴ号が勝ってもうちのご主人様には内密にしてくれ」
「構いませんけど、その傷は……」
「通り魔にやられた、とでもいうさ。ご主人様が乱闘を咎めてクビにならなければそれでいい。おいちゃんさ、後腐れなく円満退社したいんだよ」
「退社?」
「そろそろ潮時かと思っててな。執事やめようと思ってるんだ」
俺はレースを見やっていた目をニコラスに移し、
「べつに告げ口をする気はありませんが」
「ならよかったぜ。うちの屋敷はな、勤続年数に応じて退職金が出るんだ。おいちゃん、その金でアメリカに行きたいのさ。言葉も通じるし。戦争なんて願い下げだ」
「……戦争になると?」
唐突なニコラスの話を聞き咎め、俺は疑問を発した。
「ああ。おいちゃんのご主人様は内外の情勢に明るいもんでさ」
「和平交渉が奏功するかもしれません」
「ネヴィル卿はそういってたな。だが万が一回避できたとしてもアイルランドは泥沼だ。そのうち徴兵制が敷かれる可能性がある。そうなったらもう逃げられない。とんずらこくなら今のうちだと思ってな」
「アメリカに行ってなにを?」
「しばらく釣りでもして暮らすさ。そのあとは新聞記者にでもなるかな。実はおいちゃん、こう見えて大卒なんだよ。インテリなわけ」
レースを眺めながら、ニコラスは他人事のようにいう。
彼がいわんとしているのは、つまりは兵役拒否だ。
ニコラスは血の気の多いタイプだと思っていたから、その判断は意外だった。
「ネヴィル卿の。あんたも人ごとじゃないぜ。戦争が始まったらどうするのよ。見たところ上手く立ち回りそうに見えるが、国は容赦しちゃくれないぜ」
――戦争。このとき俺は初めて自分が従軍する姿をリアルに想像した。
アルは高貴な義務に身を投じるといっていたが、俺は貴族ではない。弾よけの兵卒として死をも厭わぬ立場に置かれるだろう。俺は執事としての義務感から、アルの従卒となることを受け容れる気でいたが、それは浅はかな考えだったのかもしれない。
「なんか余計なこと考えさせちまったみたいだな」
ニコラスは俺を一瞥し、口の端をつり上げた。そして視線をレースに戻す。
「ご主人様のさらに上、高みの見物ってのは気持ちいいねぇ」
彼の戯言をよそに、俺はレースに意識を集中した。
最後の直線に入り、ヴァルゴ号は大外からまくっている。先頭は馬群から抜け出したアルデバラン号。一騎打ちの様相を呈してきた。
「いけ! いけ!」
ニコラスは馬券を握りしめたギャンブラーのごとき声援を送っている。
俺は無言だったが、心中では彼と同じだった。
勝負はぎりぎりまでわからなかった。ただ、最後の直線で、アルデバラン号の馬体が右側によれ、わずかにスピードを落とした。それが勝敗を決めることになった。
勝利をもぎとったのはヴァル号。本命馬が辛勝を収めたのだ。
劇的な演出をなし遂げた騎手はいい仕事をしたといえる。
「ちくしょう、これじゃご主人様にお目玉くらうじゃねぇか」
ニコラスは天を仰ぎ、肩を落としている。
興奮剤を打ち、何としてもヴァルゴ号を負かそうというのが彼の受けた指示だったのだろうから、この結果は遺憾に違いない。
だがニコラスは、すぐさま平静を取り戻し、
「ま、これで最後の任務は終わったわけだ。あとは粛々と辞める算段をつけるだけ。ネヴィル卿の。あんたと会えなくなるのはちと寂しいがな」
「私も同じ気分です」
適当な相づちを打ったように見えるだろうが、それは本心から出た言葉だった。
なにせニコラスは二度も戦いを繰り広げた相手だ。
人付き合いの悪い俺でも独特の感慨がわく。
「本命馬が勝ったっていうのに会場は盛り上がってるじゃねぇか。ヴァルゴ号は観客に愛されているねぇ。羨ましい限りだぜ」
冗談めかして笑ったニコラスは、もたれていた柵から身を離した。
「そんじゃ、おいちゃん先に貴賓室帰るから。同時に帰ると痛くもない腹を探られることになるだろうし、あんたは遅れて来るようにしな」
「ご配慮、感謝します」
「表情が固えぜ。あんたは戦ってるときのほうがいい顔してる」
ぽんぽんと俺の肩を叩き、ニコラスは屋上を出て行った。
「…………」
俺は黙って空を見上げた。晴れ渡ったターコイズブルーの空。
ニコラスは先のことを考えている。アルも未来を変えようとしている。かたや俺には今しかない。大きな渦に巻き込まれることを避けようともしない。
「…………」
俺はヴァルゴ号のウイニングランを見ている。
けれど客観的に見て、このレースで勝ったのはヴァルゴ号ではなくアルだ。
ヴァルゴ号が勝った以上、四人組は全力を尽くして国王陛下を和平交渉の席につかせることになるだろう。
「戦争か……」
ニコラス・リチャード。堂々と兵役を逃れようとする人間と初めて会話したので、俺の心には動揺の波がたゆたっていた。
アルは何と命令するのだろう。
以前、話し合ったときは従軍に反対していた。そして俺はそれに違和感を持っていた。
そのはずなのに、ちょっとでも現実味が増せばこの有様だ。
恐怖という名の本能が、理性を上回りつつある。
だが理性の命令は、俺の兵役逃れを許さないだろう。
――命に価値はない。
「どうすりゃいいんだ……」
誰が聞くわけでもない虚空に向けて、俺は弱気な言葉を吐き捨てたのだった。




