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絶対遵守の転移執事  作者: 天ぷら開成髭サウナおじさん(夏音)
第八章 国王陛下への拝謁
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二人きりのワルツ

 国王陛下への拝謁は、時間にすればあっという間の出来事だった。

 それは永遠とも思える一瞬だった。


 陛下に(かしず)き、その右手の甲にキスをする。たったそれだけの行為が途方もなく長い時間に感じられた。俺はベアト様の隙のない振る舞いを執事として誇らしく思っていた。


「…………」


 拝謁を終えたベアト様は立ち上がり、さらに辞去の礼をする。

 そうして俺たちを導くようにゆっくりと歩き始める。俺はシンシア様の手を取り、そのあとに付き従う。王の間を後にし、俺たちは隣の部屋へ出て、応接間に向かった。


 応接間には拝謁を終えた貴族たちが群れをなしている。

 お茶の給仕を受けながら、付き人や知り合いと雑談に興じておられる。

 シンシア様は腰をかばいつつ、手近な椅子に座り込み、

「よくやったわ、ベアト」

 興奮ぎみの声でお嬢様をねぎらった。

 直立不動の姿勢をとった俺は、緊張感にあてられ、中々思うように声が出ない。


「はー、疲れた」


 同じく席についたベアト様は、大きくため息をつき、シンシア様に目線を向けた。


「これで文句はあるまい。私はあなたの願いに沿って貴族の名誉を体現したぞ」


 その表情は、まるで憑き物の落ちたような顔だった。


「まだ終わりじゃありませんよ。社交界デビューが待っているわ」

「どうでもいい。私はもうへとへとだ」

「そうはいきません。こっちが本番と言ってもいいほどよ」


 恒例となっている親娘喧嘩が始まったが、俺はべつのことを考えていた。


 拝謁を受けた国王ジョージ五世。世界史のサブテキストで読んだことだが、彼はロシアのニコライ二世と血縁関係にあって、容姿が瓜二つであるとのことだった。


 その真偽を自分の目で確かめた。確かにそっくりであった。ニコライ二世はロマノフ朝最後の皇帝になる運命だから有名人なのだ。ひと目見れば、その顔が思い浮かぶほどに。


(いかん……マジで豆知識すぎるわ)


 そんなトリビアな知識を頭の片隅にどけながら、俺は拝謁の儀に思考を戻す。


 あれほど堅苦しい儀式を嫌っていたベアト様が、あんなに堂々とした振る舞いをやってのけるとは、貴族に流れる血というのは凄いものがある。考え方は型破りでも、根っこの部分では高貴さを湛えている。俺たち庶民では到底真似できないことだ。


 あらためて俺は自分の仕えるお方に尊敬の念を抱いた。

 そんなときだった。シンシア様がベアト様に耳打ちをしたのは。


「ベアト、私お手洗いに行きたいのだけど」

「ここの使用人に聞こう」


 ベアト様が給仕係を呼び止め、


「母がお手洗いに行きたいそうだ。場所はどこだろうか」

「それでは私が案内いたします」

「母は腰が悪いんだ」

「では、お支えいたしましょう」


 給仕係はよく訓練されているのか、シンシア様に手を差し出し、優雅なムーブで彼女を応接間の外に連れ出した。さすが王宮の使用人。鍛えられ方が半端じゃない。


 俺が感心していると、頬のあたりに視線を感じた。


「なあ、レイ」


 ベアト様が話しかけてきた。相手は俺以外いない。


「私もやるときはやるだろう?」

「ええ。立派な拝謁だったかと」

「それもこれも、おまえのお陰だ。最後までやり抜くことができたのは」

「と申しますと?」

「おまえが言ったのだろう。やらずに後悔するより、やって後悔するほうがいいと」

「そんなこと、口にしましたか」


「自分で言っておきながら覚えていないとは。とんでもない奴だな」

 ベアト様は軽口を叩く。


 思い返せば、きょうはベアト様とろくに口をきいていない。なごんだ会話は初めてだったのではないか。


「いずれにしましても、先ほどの拝謁の儀は実にご立派でした。まるで自分のことのように喜ばしく思います」

「お世辞をいうな。褒めるなら素直に褒めろ」

「そうは言いましても私は執事です。ベアト様のご友人ではありません」

「歳も近いし、友人みたいなものだ。気後れするとはおまえらしくない」


 ベアト様はどうあっても打ち解けたいらしい。

 きっと張りつめていた緊張の糸が解け、思いがどっと溢れているのだろう。それを受け止めてくれる相手がほしい。その心の機微はとてもよくわかる気がした。


「では僭越ながら申し上げますと――」


 俺は呼吸を整え、ベアト様の顔を見つめる。


「本日のお嬢様はとても素敵でした。あなた様に仕える身として嬉しく思います」

「偶然だな。私もおまえを自慢に思った。急場の対処、感謝するぞ」

「勿体なきお言葉」

「それと私はお嬢様ではない。ベアトと呼べと何度言ったら……」

「わかっております。それでもお嬢様と呼びたいのです」

「なぜだ?」

「本日ほどあなた様を可憐と思うことはありませんでした。その可憐さはお嬢様という呼称にことのほかふさわしく存じます。私が貴族の紳士でしたら心奪われること間違いなしでしょう」

「つまり私に惚れたと?」

「あくまで仮定の話でございます。私は所詮いち使用人ですので」

「だが私はおまえの人格を認めているぞ。古いしきたりのように家具とは思ってない」

「それは幸甚でございます」


 自分でも型にはまったやり取りだと思ったが、俺としては精一杯だった。屋敷のご令嬢の美しき様を見て、それを誇らしく思うこと。意外にもそれは深い喜びだった。


 そしてその思いはベアト様も同じだったようだ。窮地のトラブルを解決してみせたことで彼女のパラメータは急上昇したと感じられる。現にいまも、側に立ち尽くす俺を見上げ、熱っぽい表情をされている。もしこの世界にいるのが俺たちふたりきりだったら、有無をいわさず危険な行為に及びたくなるほどに。


 だがその想像は、すぐに破れることになる。

 ベアト様のテーブルに、ひとりの淑女が近づいてきたのだ。


「あら、ベアト。執事といちゃついているの?」


 クラリック公の令嬢、エミリー様だ。


「うちは使用人との仲がいいんだ。羨ましいからといってやっかむなよ」


 ベアト様の切り返しにも棘がある。このふたり、本当に犬猿の仲である。


「不愉快だ、あっち行け」

「私がどこに行こうと私の自由じゃなくて?」

「うるさい。目の前からうせろ」

「あら、汚い言葉」


 そういってエミリー様は悪役然とした高笑いをされる。これさえなければお美しい令嬢で済むのに、美人が台無しだ。


 なんてことを思いながら、犬と猿の口喧嘩を眺めていると、


「エミリー、そのくらいにしておきなさい」


 彼女の付き人が厳かな声でエミリー様を(たしな)めた。

 たっぷりと口ひげをたくわえ、威厳をもったその口調。貴族なのは間違いない。


「初めまして……というより、幼少の頃に会ったかな。ベアトリス嬢」

「これはクラリック公」


 ベアト様は声の調子を変え、テーブルの席を立った。


 ――クラリック公?


 俺の頭には疑問符が浮かんだが、会話の流れは待ってくれない。


「お久しぶりです。うちのアルがお世話になっています」

 ぺこりと頭を下げるベアト様。動揺のせいだろうか、変な言葉使いになっている。


(これが噂のクラリック公か……)


 アルの言によれば、彼を政界に誘う四人組の元締めがクラリック公だったはず。

 すわ黒幕の出番かと俺は身構えた。


 公爵ということは、王族をのぞけば最も高位な貴族だ。そんな人物の登場に、表情こそ平静だが明らかにこわばった様子のベアト様だった。


「ネヴィル卿にはお世話になっているよ。私がこそエミリーが迷惑をかけている」

「ああ、迷惑どころの騒ぎじゃないな」

 敬語も乱れている。こういう粗相はなさらない人だったのに。


「ははは、ベアトリス嬢は辛口だな」


 貴族らしく、クラリック公は上品に笑う。どうやら懐の広い人物のようだ。


「お父様。なんとか言い返してくださいまし」

「エミリー、少し静かになさい」


 エミリー様の抗弁を軽く受け止め、クラリック公はベアト様に目を向けた。


「実はネヴィル卿には、何度かフラれていてね。なんでもダドリー卿経由で頼んだ依頼をはねつけられたとか。私はそのことを残念に思っているんだ」

「アルのことはアルにいってください。それに私は令嬢扱いされるのが嫌いだ」


 出ましたよ、ベアト様のわがままが。

 それをクラリック公がどう受け止めるのかハラハラして見ていると、


「ではベアトリス殿。あなたからネヴィル卿にいって頂けないか。政治の世界はあなたが考えているほど悪いものではない。世界はあなたを求めていると」

「わかりました、伝えておきます」


 ベアト様はクラリック公に心底興味がないのか、口ぶりもぶっきらぼうになっていく。


「ところでベアトリス殿」

「なんだ?」

「そんな裾の短いドレスを着て、貴殿は社会主義者なのかな?」


 いくら伯爵家の娘とはいえ、相手は公爵だ。このまま黙って引き下がるとは思っていなかったが、やはりベアト様の弱点を突いてきた。


 しかも社会主義者ときた。それは紛れもなく蔑称だ。

 ベアト様は一瞬押し黙ったが、静かに顔を上げ、すぐさま反駁した。


「社会主義者で悪いか? クラリック公」

「いや、悪いとは思わない。役に立つときもあれば、立たないときもある。どんな思想でもそういうものだ」

「お心が広いのですね」

「功利主義者といってほしい」

「なるほど」

「ベアトリス殿。私はネヴィル卿は役に立つ、つまり力になってくれる方だと思っている。彼にとっても悪い話ではないはずだ。強情を張る必要はない」

「アルの判断はよくわかりませんが、そのことでクラリック公にご迷惑がかかったか?」

「いや。けれどフラれて寂しく思っている」

「公の表現は文学的だな」

「よく言われるよ」


 立場の違いを無視しながら、不在のアルを巡って、ベアト様とクラリック公が神経戦のような会話を繰り広げていた。何度もいうが俺はハラハラしている。


「それはそれとして、舞踏会が始まる。いかがかな、一緒に踊りませぬか」

「断る。私は社交界デビューなどしない」


 このひと言は俺を仰天させた。

 王の拝謁を滞りなく済ませ、てっきり彼女はその気だと思っていたのに。


「ははは、つまりまたしてもフラれてしまったわけだ」


 クラリック公は鷹揚に笑ってみせるが、


「そういう無礼はあとで高くつくぞ、ベアトリス殿」


 笑顔のまま、切れ長の目を細めた。声もいくぶん低くなっている。


 不穏な空気に俺は拳を握りしめた。

 その空気を破ったのは公でもベアト様でもなく、公の執事ヴィンセントだった。


「ワインをお持ちいたしました、ご主人様」

「うむ。ありがとう」

「なんですか、この重苦しい空気は」

「ネヴィル家の令嬢が意固地になってしまってね。私もお手上げだよ」

「それはそれは」


 憎きヴィンセントだが、ここは公の前だ。嫌悪感を見せるわけにはいかない。

 俺は表情を消し、応接間に視線を向けていると、


「そこのレディ、少し踊りませんか」


 俺たちのほうに声をかける人物がある。見たこともない若い男性だ。


「あらまあ!」


 エミリー様が頓狂な声をあげた。なぜそうしたのは理由はわからない。


「私でよければ是非!」


 感激しきった様子の彼女だが、見知らぬ男性はそのアプローチを無視した。

 どういうことだろう。

 内心疑問を発しつつ、その男のムーブを見守っていると、


「私はあなたと踊りたい」


 彼が近づいた相手は、なんとベアト様だった。


「踊らない。よそをあたってくれ」


 そして彼女はにべもない返事。だが男は落胆した顔ひとつ見せず、


「これは手厳しいことを仰る。しかし私はあなたと踊りたいのだ。お名前は?」

「ベアトリス・ネヴィルだ」

「ネヴィル卿のご息女でしたか」

「ご息女ではない、私はベアトだ。ネヴィル家の住人である前にひとりの人間だ」

「それはご立派な考え方をお持ちでおられる」


 見知らぬ男性はまなじりを下げ、柔らかい視線をベアト様に送った。

 しかしベアト様は腕組みをし、梃子でも動かない構えだ。


「やれやれ、致し方ありませんね」


 元の世界でいえば、これはナンパだった。目的の女性に袖にされ、見知らぬ男性は軽く礼をした後、他の女性を探しに出かけてしまった。


「ベアト、あなたなんて勿体ないことをするの?」


 その後ろ姿を見送りつつ、エミリー様がベアト様を凝視する。


「べつに。興味がなかっただけだ」

「興味がないってねぇ、あなた。あのお方はプリンス・オブ・ウェールズ、エドワード様なのよ」

「ああ、皇太子か。でも興味はない」

「馬鹿じゃないの!?」


 ついにエミリー様は貴族らしからぬ暴言をお吐きになった。


「ほんと馬鹿じゃないの!?」


 大事なことだから二回言ったらしい。


「あなたは変人だと思っていたけど、ここまで変人だと思っていなかったわ!」

 その視線はもう人間を見るものではない。名も知らぬ星からやってきた異星人を見るような目つきだった。


「呆れたことだな、王室への敬意が感じられん」


 エミリー様の驚愕に、クラリック公も同意のようだった。


「ともあれ、いずれネヴィル卿とはさしで話がしたい。そう伝えておいてくれ」


 肩をすくめながら、クラリック公の面々はそのまま席を離れていく。

 席に残されたのは俺と、仏頂面のベアト様のふたりだけだった。


「ベアト様」

「なんだ」

「さきほど言われたことは本心からのものでしょうか」

「ああ。社交界デビューなどやらない。きょうやるべきことはもう済ませた」

「国王陛下への拝謁ですか」

「あれで十分だった。私の覚悟は決まった。その意味で今は晴れ晴れとした気分だ」

「なるほど」


 ベアト様の主張はめちゃくちゃだが、綺麗に自己完結しているように思えた。


 俺は執事としてそれを(たしな)められても、考えをねじ曲げることはできない。

 なのでそれ以上追及することはしなかった。クラリック公はおろか、皇太子さえ相手にしなかったくらいだ。俺が進言したところで聞く耳があるとは思えない。


 唯一の問題はシンシア様だった。いまだお手洗いから戻らないが、ベアト様が社交界を拒絶したと知っては黙っていないだろう。

 心配した俺が心の中で懊悩を浮かべていると、


「お母様は帰りが遅いようだ。だから少し踊らないか」

「えと、それは……」

「どもるな。このままでは手持ち無沙汰だろう。私と踊れ」

「踊れと言いましても……」


 舞踏会は貴族しか入れない。いかに執事といえどそれは絶対的なルールだ。


「私はあそこには混ざれません」

「混ざらなければいい」


 そういってベアト様は席を立ち上がる。

 つかつかと靴音も高く歩いていかれたのは応接間とホールをつなぐ廊下だ。


「しかし私は踊りが得意ではありません」

「ならワルツを踊ろう。それならおまえも踊れるだろ」


 タンタンツー、タンタンツー。

 ベアト様は三拍子のリズムを刻み、俺の手を素早くとった。

 俺は足でステップを踏み、彼女の動きに合わせる。


「そうそう、いい調子だ」

「こんな感じでしょうか」

「ああ。そこでターン」

「御意」


 くるくると体が回転する。腰にまわした手に力を込める。密着するふたりの体。


「レイ、私はな、決めたんだ。自分がどう生きていくか、その答えを」

「答え?」

「貴族のルールに反することだ。だから社交界デビューもしない。その意志を貫く限り、いずれ貴族をやめる日も来るだろう。そのことを理解してほしい」

「一方的ですね。仰ることがよくわかりません」

「いまはわからなくていい。そのうち話してやる。だからおまえも元の世界に戻るべきか、そうでないべきか心を決めたら私にも教えろ」

「畏まりました」

「でも心はひとつ。私にはおまえが必要だ」


 ――少し時間をくれ。


 俺がベアト様に自分の素性を打ち明けたとき、彼女はそう言った。

 だから今のセリフは、そのときの答えだったろう。


「私の生き方を理解してくれるのはおまえだけだ、レイ。だからこの世界に残れ」

「不十分な理解かもしれません」

「今はそれでいい」


 タンタンツー、タンタンツー。

 ワルツのリズムは俺たちを運んでいく。ベアト様が選び、俺が選ぶべき未来へと。

 スローなテンポで運んでいく。俺たちが知りえない、まだ見ぬ世界へと。


 こうして俺はまた、絶対遵守の誓いを生きるのだった。

いつもご愛読ありがとうございます。

拙作はいかがだったでしょうか?


楽しんで頂けたのでしたら、

お気軽に感想や評価などお送りくださいませ。

今後の執筆の励みにもなります。


どうぞよろしくお願いします!

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