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絶対遵守の転移執事  作者: 天ぷら開成髭サウナおじさん(夏音)
第八章 国王陛下への拝謁
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拝謁前の紛擾

「まあ、どこの淑女かと思ったわ!」


 翌日。王の拝謁の儀に向かうベアト様はドレスに着替えて階下へ降りていかれた。

 それを見て、歓喜の声をあげたのはシンシア様。


「ベアト。やればできるじゃないの」

「レイに説得させられたし、エミリーの奴に負けたくないからな」


 さも自発的な行動ではないと言い募るベアト様。

 実際のところ、それは本当なのだろう。


「よくお似合いです、お嬢様」


 ベアト様のドレス姿を見て相好を崩したのがもう一人いた。バークマンである。


「おまえにいわれると照れるな」

「何を仰いますか。幼少のみぎりより成長を見てきた私にとって感慨はひとしおです」

「ふむ。おまえには世話になった」


 拝謁の儀、その後の社交界デビューは彼女が一人前の大人になる証。

 元の世界の感覚でいえば成人式みたいなものだろう。もっともその重みは桁違いのようであるが。


「さあ、出かけましょう。ベアト」


 シンシア様のひと言が出立の合図となった。

 俺はベアト様のエスコートをすべきだが、より優先すべきことがあった。腰を痛め、歩くことがままならないシンシア様の補助をすることだ。


「シンシア様。お手を拝借いたします」

「ごめんなさいね。こんな体たらくで」


 俺たちは屋敷の外に出て、バークマンがドアを開けているシルヴァーゴーストの助手席にシンシア様を押し込んだ。


 肝心の俺はといえば、正装を身にまとい、どこに出ても恥ずかしくない格好である。

 そして片手には金属製のアタッシュケースを手にしている。カーソンから借り受けた執事七つ道具だ。


「ここには色んな便利アイテムが入っている。外出時は携帯しておけよ」


 ベアト様の社交界デビューに失敗があってはならない。万が一に備えて、どんなトラブルにも対処できるよう、彼なりに気を使ったのだろう。ありがたい限りだ。


 ひとりだけ留守番の紫音に見送られながら、車は発進する。

 目的地は王宮。今回のロンドン行きのクライマックスが近づき、俺は自然と緊張してきてしまう。アルが不在でシンシア様は体が不自由。そうなれば、ベアト様の付き人をするのはどう考えても俺になる。その証拠にシンシア様が助手席から話しかけてくる。


「レイ、私が動けないときはあなたに代わりを頼みますよ」

「御意」


 型通り返事をかえすが、執事ごときがしゃしゃりでて本当にいいのだろうか。

 事情が事情だけに、他に有力な選択肢は存在しなかったが、


「いつもどおりやればいい、いつもどおりな」


 窓の外を見ながら、ベアト様は他人事のように呟く。


 ちなみに彼女のひと言は、きょう俺が聞いた初めての発言だった。

 きのうの告白以来、関係がぎくしゃくしており、先刻のお着替えの際も、ベアト様は俺の存在などないかのように黙りこくっておられた。


 こんな最悪の状態でイベント当日を迎えるとは。余計な自分語りをした不始末を俺は恥じるしかなかった。


 ここでカーソンなら、気の利いたことを言って場の空気を自分ほうへ引き寄せるだろう。けれど俺にそんな芸当はできない。アドリブは苦手だ。どれだけ上書きしても、ぼっちはぼっちなのか。俺は自分への不信感で頭がいっぱいだった。


 やがて車は目的地であるバッキンガム宮殿についた。

 生まれて初めて見る王宮の偉容は、我らが屋敷のグルムハイド・アビーが吹き飛ぶほど豪華なものだった。とにかく広い。そして何もかもが大きく、絢爛に輝いている。

 こんな屋敷の床磨きは一体何人の使用人が要るのだろう。

 車窓からは近衛兵の姿が見える。しかも一人や二人ではない。


(すげぇ……これが罰金バッキンガムの元ネタかよ……)


 おのれのオタク知識が刺激され、意識がそちらへ引き寄せられる。

 だからだろう。俺は一瞬、自分が執事であることを忘れていた。


「レイ、降りるぞ」


 ベアト様のひと言にハッとなる。車は止まり、降車を急かされたのだ。


「申し訳ございません」

「謝ればいいというものではない。しっかりしろ」


 おまけにキツい叱責を受けた。人生最大のイベントを前に、ベアト様も緊張なさっているのか、それともきのうことで不機嫌なのか。当たりはどこか刺々しい。

 俺はこういう人の態度変化に脆い。他人の信頼がなくなる感じ。世界の真ん中で、ただひとり見捨てられた気分になる。


 過剰反応なのはわかっていた。けれど執事である前にやはり俺はぼっちだったのだ。


「…………」


 降車してドアを開ける。ベアト様は大地へ降り立つ。

 その麗しき様に目を奪われるが、いつものくだけた会話はない。それは完全なすれ違いだった。しかもこんな大切なイベントの最中に。


「レイ、手を貸して」

「御意」


 やむなく俺はシンシア様の補助というもうひとつの仕事に逃避する。


 見上げれば、空はどこまでも高く、限りなく青い。最高の天気だ。


 なのに俺はむっつりと押し黙り、シンシア様に手を貸しながら、先頭を進むベアト様のあとをただ追いかけることしかできなかった。


 ◆


 王宮に入り、控え室で着替え終えると、俺たち一行は長蛇の列に並ばされた。

 シンシア様によれば、


「国王陛下の拝謁を受けるのはベアト一人じゃないのよ。他にもたくさんの子女が拝謁を待っているの。成人の証を受け、社交界へデビューするためにね」


 ということらしく、長い順番待ちがあるようだった。


 あえて近いものを探すと、コミケの壁サークルに並んだような感じ。わからない人には申し訳ないが、それしか思い浮かばなかった。


「…………」


 見れば、ベアト様は静かに口を閉ざしている。

 唇を真一文字に結び、何かべつのことを考えているのか。


 せめてそれが俺のことでないことを祈りたい。やはりきのう、全てを打ち明けてしまったのは間違いだった。それほど彼女の態度には拒絶感が溢れていた。


 それから三十分ほど過ぎただろうか。


 列は少しずつ進み、俺たちもそれに従って前に進む。ところがそこで小さく列が乱れた。ひとりの淑女がおもむろに列を離れ、こちらへゆっくりと歩いてきたのだ。クラリック公の令嬢、エミリー様だった。


「あら、ベアト。あなたもいたの?」

 淡いイエローのドレスを翻し、エミリー様は高慢な笑みを浮かべる。

「…………」

 ベアト様はなにも答えない。視線すら逸らしている。


「無視? 張り合いがないわ」


 残念そうにいうが、目元は愉しそうに笑んでいた。

 対するベアト様はつんと澄ましている。話し合う気など更々ないとばかりに。


「それじゃ、ごめんあそばせ」


 ひと言嫌みを言った程度でエミリー様は俺たちの前を離れ、行列に並ぶ他の淑女たちに声をかけていた。知り合いが多いのだろう。その姿はもう一人前のレディであった。


 見れば彼女はなにやら世間話をしてくすくすと笑っている。


「おほほほ、本当にそうですわ」


 口許を優雅に押さえながら、小さく鈴のように笑う。どんだけ負けフラグの立ったお嬢様キャラなんだという話だ。


 一方、勝ちフラグが立っているはずのベアト様だが、まだ不機嫌さを募らせておられる。

 そんな最中、周囲から視線が送られていることに俺は気づいた。

 夏色のドレスを身にまとい、背筋をぴんと伸ばしているベアト様のご様子に違和感でも感じたのか、ちらちらと俺たちのほうを一瞥しながら、


「あのお方、普段は男装していらっしゃるそうよ」

「まあ、奇特な方ですこと」


 何事か囁いている。

 会話はよく聞こえないが、視線はベアト様のほうをいったりきたりしている。

 状況から察するに、ベアト様の悪口を言っているようだ。

 しかも根拠なき濡れ衣だ。俺は有り体にいって頭に来た。


(いかんいかん、最近沸点低いぞ、俺……)


 俺は内心、自重を説き、気を取り直した。

 他方でベアト様は微動だにしないが、俺は彼女の名誉を傷つけられたと判断した。その張本人は間違いなくエミリー様である。敵は根元から叩くべし。


「少々失礼いたします」


 俺はベアト様、シンシア様に暇乞いをし、列を一旦離れた。

 向かうは列の先頭のほうにいるエミリー様である。ネヴィル家の執事として、お嬢様を馬鹿にされて黙ってはおけない。


 ようするにひと言文句をいってやろうと近づいたわけだが、

「おや、レイ君じゃないか」

 それを遮るようにべつの人物に出くわす。エミリー様の執事、ヴィンセントである。


「また会ったね、転移者君。君たちも拝謁に?」

「あんたに用はない」


 俺は嫌らしく絡んでくるヴィンセントを無視しようとしたが、


「あらあら、そんなつれないこと言わないでくれよ。せっかくいいこと教えてあげようと思ったのに」

「いいこと?」

「そう。君が喉から手が出るほどほしがっていたものさ」


 列からはみ出してしまった俺たちだが、おかげでぽつんと浮いていた。


「ここで話せるようなことか?」

「君さえよければ」

「わかった、ちょっとこっちに来い」


 俺は列から離れ、大仰なアーチの影にヴィンセントを連れ込んだ。


「ここなら誰にも聞かれないだろ。時間がないんだ。さっさと話せ」

「そんな焦らなくても」


 言葉とは裏腹に、ヴィンセントは焦らすように愉悦の笑みを浮かべる。俺をからかって愉しんでいる顔だ。


「重要な話以外は聞かないぞ」

「そんなにつっかかっていいの? 君がほしがっていた記憶の話だよ」


 ――記憶の話。


 ヴィンセントの言葉は、俺の深い部分を刺し貫いた。


「ボクは失っていた記憶を取り戻したんだ。それがなにか聞きたいだろう?」

「ああ。教えてくれ」


 俺が即座に答えると、ヴィンセントはにたりと笑った。


「ボクはね、綺麗なものを壊すのが好きだったんだ。元の世界では色んなものを壊したよ。綺麗な食器に綺麗な絵画、綺麗な友情から綺麗な愛情、そして綺麗な人体もね」


「人体?」


「そう。元の世界には、ボクと同じような趣味をもった特別な人間だけが関われる会員制の組織があるんだ。そこでは人体を少しずつ破壊していくんだよ。あまりにもおぞましい記憶だから、ボク自身が抑圧していたんだね。でも全てを思い出した今、その記憶は本当に美しく彩られているよ。可能ならその記憶も壊してしまいたいほどにね」


 遠回しに言っているが、それは悪趣味な犯罪の告白だった。


 ただでさえ怪しい奴だと思っていたが、こいつは正真正銘の犯罪者だったのだ。それも彼の趣味と同様、どこまでも壊れている。目を上げれば、ヴィンセントの美形の顔は醜悪に歪んでいた。


「そんな記憶、聞きたくなかったよ」


 俺は本心を呟く。

 記憶集めに専念して以来、最悪の気分に浸った。


「嘘だと言ってくれないか」

「あいにく真実さ。ボクは崇高な趣味を持っていた。だから記憶を取り戻した瞬間、実に喜ばしい感動に打ち震えたよ」


 ここまで言われては、俺をからかうためにでたらめを言っているとは思えなかった。


「でも、そんな記憶をわざわざ俺に教えるか」

「君がほしがったんだろう。教えてあげたことに感謝してほしいね」

「それはあんたが犯罪者だなんて思ってなかったからだ」

「意外と正義漢だね、君は。でも世の中は広いんだ。色んな美があり、色んな破壊がある」


 きょうはベアト様の晴れ舞台だ。

 それがどうだろう。ベアト様は機嫌を損ね、エミリー様に悪口を叩かれ、ヴィンセントに醜く壊れた記憶を聞かされる。執事として普段どおり務めようとしても、周囲がそれを阻害する。俺は人間の悪意のようなものに触れ、一体どう対処すればいいのかわからなくなっていた。逃げ出せるものなら逃げたくなっていた。


「ボクの話を聞いて後悔したようだね」


 そんな俺を嘲り、ヴィンセントが口の端をつり上げた。

 その隙間から白い歯が見える。肉を切り裂くような鋭い犬歯だ。


「まあ、精々お嬢様を上手にエスコートするんだね。それじゃ、レイ君……また今度」


 今度があると思うなよ。

 そんな捨て台詞が喉元まで出かかった。けれどそれは言葉にならなかった。


(くそっ……! こんな目に遭うなら記憶集めなんかしなければよかった!)


 俺は後悔をしていた。

 自分が正義だなんて思っていないが、ヴィンセントが吐いた犯罪の告白を聞いて、なにひとつ手を打てなかったことに。秩序を重んじる執事失格。きっとここが俺の限界なのだろう。どんなに順応しようとしても、立ちはだかる壁を俺は感じた。


 そうして打ちひしがれていると、ヴィンセントはエミリー様の側へ戻っていった。

 これが元の世界であれば警察に通報できるのに。俺は過失で仲間たちを轢いた程度では済まない、本物の犯罪者と対面したという体験に手が震えていた。勿論それは怒りなんかではなく、名状しがたい恐怖からくる震えだった。


(あの野郎、いつか必ずぶっ潰す……!)


 もうエミリー様に文句をいう気も失せていた。俺は最悪の気分をなんとか腹におさめ、ベアト様、シンシア様の並ぶ場所まで戻ることにした。

 しかしそこではまたべつのトラブルが俺を待っていた。


「ああ、どうしましょう!」


 この世の終わりとばかりに天を仰いでいるのはシンシア様だった。


「何が起きました?」


 俺は自分の心労を棚に上げ、ふたりのもとに歩み寄る。


「ベアトのドレスが破けてしまったの。裾の部分がざっくりと」

「本当ですか、ベアト様」

「…………」

 両手でドレスを持ち上げ、破けた部分を俺に見せるベアト様。

 一体なにが理由でこうなったのか、俺は周囲の貴族たちに目を向ける。


 しかし露骨に目を逸らされた。誰ひとり俺と目を合わせようとしない。


 この考えに根拠はないが、誰かにドレスを靴で踏まれたのだろう。拝謁用のドレスはそれほど裾が長い。それこそ床をこするような仕立てなのだ。


 あんたがやったのか?


 もし俺が現場を目撃していれば、そう貴族に問い詰めただろう。身分の上下を忘れて、力づくで犯人を突き止めただろう。けれど俺はヴィンセントと話し込んでおり、誰が彼女のドレスを踏んだのか見当がつかない。最も怪しいのは列の後ろの奴だが、それが真実とは限らない。


「レイ、何かいい知恵はないの?」


 おろおろしたシンシア様は一方的に俺の行動を急いてくる。


「…………」


 俺は一瞬、考え込む。エミリー様の放言を見逃し、ヴィンセントに弄ばれただけの俺だったが、この場の対処ならできる気がした。否、できなければならなかった。


「レイ、何とかしろ」


 そして降ってくるのはベアト様の命令。

 宮殿についてから彼女が俺に口をきいたのはこれが初めてだったろう。

 その声には、不機嫌ながらも信頼がこもっている気がした。

 錯覚かもしれないが、そんな気がした。


「…………」


 もう一度頭を巡らすと、俺は黙ってアタッシュケースを開いた。

 カーソンから借り受けた執事七つ道具とやら。

 そこには目的のものが入っていた。


「ベアト様。急繕いではありますが、私が応急措置をいたします」

「なんでもいい。対応は任す」

「承知いたしました」


 俺が取り出したのは針と糸とハサミだ。いわゆるソーイングツール。ベアト様のドレスはかなり上のほうまでざっくり裂けており、元通りに繕い直すことは難しかった。


「丈が短くなりますが、ご容赦ください」


 そういって円周状に裾の部分をカットしたあと、糸でほつれ縫いをした。

 時間はかかるが、待ち時間はたっぷりある。

 俺はベアト様に傅きながら、破れたドレスを仕立て直していく。


「もの好きな執事ね」

「あんなにドレスが短くなっちゃって大丈夫なのかしら」


 周囲からはベアト様の惨状を笑う声が聞こえてくる。

 しかし俺はそれを物笑いに終わらすつもりはなかった。

 彼女を笑うことは許さない。絶対に見返してやる。王の拝謁の前までに。

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