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腐女子と停電

「月、配膳の補助を頼む」

「わかりました」

 きょうの晩餐はローストビーフです。イギリスが誇る豪華料理の筆頭。オーブンで最適のレア加減に焼き上げたのはデシャンさん。この屋敷の腕自慢のシェフです。


 あの人はグレイビーソースを配膳し、ローストビーフは私と雪さんで運びます。けっこう重いですけどこれは仕事。むんずと力をこめて一生懸命運びます。


 ところであの人とは玲さん、私はルナ・ハートフィールドこと中野月。


 私はこう見えて、屋敷で起こる出来事をいつも注意深く見ています。家政婦が見てた、ばりにあちこちで勃発するチャンスをいつも追い求めています。


 この日の晩餐はごく平穏に過ぎていますが諦めていません。チャンスとはいつ何時起こるかわからないのです。だから絶えず神経を研ぎすましています。


 ローストビーフのカットは玲さんの仕事です。ご主人様であるアルさんは切り終えたお肉を配膳されるより、目の前で豪快にカットされるのを好みます。なので大振りなナイフを手にした玲さんが貴族の皆様がたが見ている前でナイフを入れていくわけなのです。


「どうぞお召し上がりください」


 玲さんがカットしたお肉を私と雪さんで貴族の方々に配膳します。貴族といっても、ここには三人しかおられません。アルさんとベアト様、そしてシンシア様。


 けれど私の目はあとのお二方には注がれません。主にアルさんと玲さんの絡み具合にのみ、意識が向かいます。主人と執事。その仲睦まじき有様をこの目で捉えるために。


 思えば玲さんは、ぼっちだったくせに今の執事という立場にえらく順応しています。

 最初はとんとん拍子に出世していく玲さんを見て「ないわぁー」と思っていた私ですが予想を裏切る展開に認識を新たにさせられました。あの玲さんが、キモい顔ひとつせず、淡々と業務をこなしている様を見て、玲さんとは別の生き物を見ているような気分でした。


 原因を探ってみるに、執事という仕事は「型」を求められる仕事です。あらゆる出来事に対応する柔軟性、自由度の高いコミュニケーションよりも、命令遵守がモットーです。おそらく玲さんはそうした不自由な「型」にすっぽりはまったのだと思います。執事には気の利いたジョークは不必要ですし、貴族と馴れ合う必要もないのです。だからクラスでもトップクラスのぼっちだった彼がまともに稼働している理由はそれ以外考えられません。


 とにかく玲さんは水を得た魚というべき状態です。顔は魚に似ていませんが、そういうしかないのです。そんな玲さんを私は微笑ましく見つめています。なぜなら忠実な執事と主人の関係ほど、おいしい組み合わせはこの世に存在しないのですから。


 私が自分の思考に沈殿しているあいだ、貴族の方々はローストビーフを黙々と食されておいでです。デシャンさんの料理は天下一品です。それに舌鼓を打つのはごく当然のことでしょう。私は自分のことのように嬉しく思い、その光景を静かに眺めます。

 ちょうどそんなときでした。待ちに待ったチャンスが訪れたのは。


「あ……」


 アルさんが付け合わせのベイクドポテトをカットしようとして、失敗したのです。アルさんは、アイルランドで戦争が起きて以来、どうにも集中力を欠いています。たぶん食事中も上の空だったのでしょう。ナイフを入れ損なったポテトは宙を舞いました。


 その様子を捉えていたのは私だけではありませんでした。

 主人のミスをめざとく見つけ、側に駆け寄ったのは玲さんです。


 コンマ何秒という時間で、玲さんはテーブルから転がり落ちようとしているポテトを、華麗な動きでキャッチしました。床に落ちたらせっかくのポテトが台無しです。アルさんがしでかした小さなミスを、玲さんは見事に救ってみせました。グッジョブです。

 ちなみにグッジョブはそこで終わりませんでした。手にしたポテトをハンカチで拭き、アルさんの皿に戻したのです。


「大丈夫でしょうか、ご主人様」

「ああ……ごめんね、玲」


 そのポテトを、アルさんは何事もないようにお召し上がります。

 そこには美しき主従愛のようなものが感じられました。貴族の方々が食事を終えるまで特にやることのなかった私の心を玲さんの振る舞いがきゅーんと締めつけます。


「雪嗣、ビーフの皿を下げよう」

「そうだな」

 カットを終え、空となった大皿を玲さんと雪さんが二人掛かりで持ち上げます。

「ゆっくり持ち上げてくれ」

「わかった」

 この光景も、私の心をぐっと掴み上げます。


 なぜなら、元の世界でふたりは疎遠な仲でした。互いにぼっちで、友達もいないふたり。そんな彼らがこの世界ではささやかながらも言葉をかわし、共同作業をこなしている。玲さんが執事だからこそできる会話ですが、おかげで私はまたしてもおいしいシーンを目撃することができたわけです。


(ああ、玲さんはアルさんと雪さん、一体どちらを選ぶのでしょう……)


 視界の片隅で捉えながら、私の妄想は花を開いてしまいます。


 そうこうしているあいだに、貴族の方々はメインデッシュを召し上がり終え、最後のデザートの時間となりました。

 またさっきみたいなチャンスが訪れないものでしょうか。期待に胸を膨らませる私ですが、その視界にカーソンさんの姿が入りました。


 アメリカから戻ってきて、今まで家令室で仕事をしていた彼が外へ出てきたのです。外に出るばかりか、デザートの配膳を手伝っているのでしょう。


「ご主人様、こちらはデザートのレア・チーズケーキです」


 さすがキャリアが長いだけあって、カーソンさんの立ち振る舞いは見事です。見た目もスタイルもいい彼が動くだけで、食堂に綺麗な薔薇が咲き誇る気分です。


(カーソン×アル、玲×雪嗣のカップリングが鉄板でしょうか……)


 いやいや。攻めはアルさんで、受けがカーソンさんのほうが萌える気がします。玲さんとアルさんなら、断然玲さん受けですね。ああ、ぐっときます。私は脳内妄想のカップリングを直ちに修正し、ひとり悦に入るのでした。


「月、なにぼさっとしてんだ。お茶の準備手伝えよ」

「ひゃあっ!?」

 気づくと目の前に玲さんがいました。その一声で私は現実に戻ります。

「ごめんなさい、すぐ準備します」


 危ない、危ない。妄想でやに下がった顔をまじまじと見られるところでした。

 私は慌ててキッチンへ向かい、お茶のお菓子の準備に取りかかるのです。


(いけない、いけない。このお屋敷、いい男がいすぎて妄想捗りすぎ……)


 私が男の人同士がいけない関係になる本に興味を持ち始めたのは小学五年生の頃でした。近所のお姉さんに「漫画貸して」と頼んだら、普通の少女漫画と一緒に、見たこともないアンソロジーコミックを渡されたのです。今にして思えば、読まずに返せば違う人生があったような気がします。しかし私はそれにのめり込んでしまいました。男の人同士が深い関係になりうるという可能性を知ってしまったのです。それ以来、男の人同士の絡み合いを見ると自然に妄想がわくようになってしまいました。それがどんなに世間の常識に反していようと、一度覚えた楽しみは今も私を捕らえています。


 そんな腐りきった状態でいて、ひとりの女子として恋愛感情のようなものは別にあるというのが実に謎めいています。まるで二つの自分がいるような気分です。


「月、チーズケーキを皿に盛って」


 キッチンに戻ると、紫音が指示を出してきました。

 聞けば、きょうのデザートは紫音がみずから作ったとのこと。デシャンさんの指導下のもと、という事情があるにせよ、これは快挙です。私は自分のことのように喜びます。


「やりましたね。ご主人様たちの反応が楽しみです」

「あんまプレッシャーかけんなよ」

「それでも楽しみです」


 私は紫音に思い切りプレッシャーをかけて、彼女の反応を楽しみます。男の人たちは、こういう女子同士の絡みを見て、私と同じような妄想を働かせるのでしょうか。たとえそうだとしても、自分の罪深い趣味が正当化されるわけではないのですが。

 私は紫音特製のレア・チーズケーキを皿に盛り、食堂へと向かいます。

 その足は、心なしか小走り。うきうきした気分です。


 ちょどそのときでした。遠くで雷鳴が轟き、屋敷が暗闇に包まれたのは。

「あれ……?」

 電気が全部消えています。元の世界でいうところの停電でしょうか。


 この世界では補助電源も、外の灯りもないため、本当の闇が帳を下ろしています。

 私はデザートを持ったまま、その場から動けません。


「玲、カーソン。ローソクを持ってきて」

 真っ先に指示を出したのはアルさんでした。

「御意」

 小さく応えて、ふたりが歩きだした様子が伝わります。


 ですが、ことはそう簡単にはいかないようでした。


「……痛っ!」


「どこ触っているんだ、玲君」

「すまん、アル。全然視界がきかなくて……」


 玲さんとアルさんがぶつかったようです。正面衝突でしょうか。そうだとすれば唇と唇は触れ合ったのでしょうか。腐った私の興味はそちらへ引き寄せられます。


「レイ、こっちだ」

「すみません、カーソン様」


 力強い声を出したのはカーソンさん。さすがです。暗闇に包まれても屋敷の配置を全部記憶しているのでしょう。アルさんの席にいた玲さんの影が動き始めます。


 しかしその動きはまごついたものでした。

 動けば動くほど、玲さんはアルさんの体にまとわりついてしまったようです。


「や、やめて……そんなとこ触らないで」

「ごめん。そんなつもりじゃ」


 言い訳を重ねようとも、このセリフの応酬だけで私はご飯三杯いけそうです。やはり最高の組み合わせは玲さん攻めの、アルさん受けでしょうか。現実に起きた出来事に引きずられ、私の脳内カップリングにも再度修正が加えられました。


「ローソクは俺がとってくる」


 この声を発したのは雪さん。ひときわ低い声だからよくわかります。

 しかし悠然といってのけた彼も、この暗闇には手を焼いたようでした。


「……痛ぇ!」

「おまえ、玲か?」

「そうだよ。前向いて歩け」

 今度は玲さんと雪さんがぶつかったみたいです。そこで雪さんが発した言葉は、

「なんか今、触れてはならない部分が触れたような気が」

「錯覚だ、錯覚!」

 冷静な雪さんの声に、狼狽した玲さんの声が重なります。

 触れてはならない部分とは何なのでしょう。やっぱり口唇でしょうか?


(だめ、は、鼻血が……)


 鼻の奥から溢れ出る液体を私はごくごく飲み干します。そうしないと食堂の絨毯に一生消えない汚点を残してしまうと思ったから。中野月、人生最大のピンチです。


 やむをえず、私がメイド服の袖で鼻を押さえつけます。流血がついてしまいますが、それを洗うのは私の役目。きっと誰にもバレないでしょう。この事実は隠蔽します。


「レイ、なにやってんだ」


 ついにカーソンさんがキレたようです。厳しい声を玲さんに発します。


「申し訳ありません」


 目の前をうごめく影が、そろりそろりと動いている様がうっすら見えます。

 きっとその影が玲さんなのでしょう。


 しかしそこで予想外のことが起きました。

 闇にうごめく影は、どうしたことかこの私のほうに歩いてくるではないですか。

 しかもカーソンさんの声に急き立てられ、慌てたようなスピードで。


「ちょっ……!」


 私は反射的に腕をクロスさせましたが、影はお構いなく私にのしかかってきます。

 影が私の顔にぶつかったのと、私が後方に倒れのは同時でした。


「痛たぁっ……」

「れ、玲さん。重いです。離れてください」

「おまえ、月か?」

「そうです」


 私が小声になってしまったのには訳があります。これまで散々妄想したとおり、その、なんと言えばいいのでしょう。私と玲さんの唇は重みで接触してしまったのです。


 ディープなものではなく、歯と歯がぶつかった程度ですが、それでも私は色々と無経験な女なので、この突飛な事態に胸のバクバクが止まらなくなります。


 ――自業自得。


 このときほど、その四文字熟語がふさわしい瞬間はなかったでしょう。

 いけない妄想に浸った私に神様が「ざまあ見ろ」と罰を下したのです。


「もういい。ローソクは持ってきた」

 カーソンさんの一声で、食堂に灯りが戻ります。

 目の前には私を押し倒している玲さん。その体をどけ、私は立ち上がります。

「…………」

 事故とはいえキスをしてしまったわけで、私はもう硬直する他ありません。

 周囲を見渡せば、アルさん、雪さんも同じように黙りこくっています。


「ごめん、みんな」


 ひとり玲さんだけが、バツの悪そうな顔で謝っていました。状況から察するに、みんな私と同じ目に遭ったのでしょう。灯りは戻っても、沈鬱とした空気は元に戻りません。


「なんだ、何が起きたんだ?」

「もう、心臓が飛び出るかと思っちゃったわ」


 ベアト様とシンシア様は、まったく状況を把握されていないご様子。


「レイ。いくら暗闇とはいえ粗相しすぎだ」

 玲さんのもとへつかつかと歩き、カーソンさんが軽くチョップを食らわしました。

「申し訳ございません」

「で、おまえ、ルナちゃんのおっぱい揉んだの?」

 叱りつけるのも早々に、カーソンさんは玲さんの首に腕をまわし、何事か囁いています。男同士の密談という感じでしょうか。またしても妄想をかき立てられますが、さすがに事故の起きたあととなっては捗り具合は尻すぼみです。


 そんなふうにして私が自分の唇を触り続けていると、

「月、ごめん。俺ちょっと取り乱しちまった」

 玲さんが真っ先に私に謝ってきました。


 勝手な妄想をして、謝るのはこちらのほうなのに、玲さんは律儀です。でもきちんと謝ってくるあたり、やはり紳士だということなのでしょう。玲さんのこと、型通りだなんて言ってごめんなさい。あなたはこの屋敷に欠かせない立派な執事です。


 でも、玲さんが謝ったのは私だけ。きっと同じことをアルさん、雪さんにもしただろうに、彼らへの謝罪はスルーしていました。恥ずかしさが上回ったのでしょうか。


(そんな後悔に打ちひしがれる男カップルも素敵です……)


 特にアルさん相手のぎこちなさは、背徳的な一夜の過ちが周囲にバレてしまったような決まりの悪さが感じられます。やはり遠巻きにめでるなら、使用人同士より主従愛が一歩も二歩も抜きん出ていますね。


 もし元の世界に戻れるなら、この屋敷での経験をいかし、薄い十八禁本をしたためよう。自分の恋の行方とは完全に別口で。

 そう目標を決めた中野月の心は、なぜかとても晴れやかなものでした。

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