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メメント・モリ

 結果的に俺は、デュラハンを泳がせる形になってしまった。


 ベアト様の思想に深刻な悪影響を与えかねない家庭教師。そんな奴はとっとと屋敷から叩き出すべき。本当の執事ならそう判断したところだろう。


 けれど俺は情報がほしかった。元の世界に戻る鍵。デュラハンの記憶だ。

 つまり俺はベアト様の教育より、元の世界に戻る鍵探しを優先したわけだ。その選択は執事としては失格だったろう。


 翌日の昼過ぎ。昼食を食べ終えたデュラハンがどんな科目を教えているかはわからないが想像だけはついた。堅苦しい授業の合間に、ベアト様が望む社会主義思想をとびきりのデザートのように申し添える。それでベアト様はお喜びになる。


 案の定、授業を終えて階下におりてきたベアト様は顔を紅潮させていた。

 その様子を見て、シンシア様、そしてアルまで、満ち足りた顔になる。裏事情を知る者は俺しかいない。背徳感が俺の心をちくりと苛んだ。


「レイはん、そろそろ出かけようや」


 本来はアフタヌーンティーをお出しする時間帯だが、俺はその仕事を雪嗣に頼み、デュラハンと出かける準備をする。


「デュラハン様が遠出をご所望なので、少し所領を散歩して参ります」

 屋敷のなか、長時間二人きりになるのは難しい。だが一度外に出てしまえば、誰にも聞かれたくない秘密の話もできる。

「授業も終わったし、君は午後休だ。行ってくるといいよ」

 何も知らないアルはそういって俺を送り出す。彼に嘘をついた感じがして、心がちくりと痛む。


 だがこれは必要なことなのだ。俺は自分に言い聞かせ、屋敷の馬を出した。

 目的地は何度も行ったことのある所領の小高い丘。


「なんやねん、馬で移動するんか」

「ええ。さすがに歩きで行ける距離ではありません」


 携帯したのはお茶を入れた魔法瓶とティーセット。

 デュラハンは先に馬に飛び乗った。俺は彼の後ろに座る形になる。

 女の子を前に座らすのと違い、男は背が高いのでぶっちゃけ窮屈になった。


「デュラハンさん、できれば後ろに座って貰えませんか」

「いやや。こっちのほうが見晴らしがええ」


 俺の要望を却下し、梃でも動かない構えのデュラハン。

 やむなく俺は、馬の腹を蹴り、屋敷の前から颯爽と飛び出した。


「ごっつ気持ちええなあ」

「そうですか?」

「馬なんて乗ったことないねん。この世界では普通のことなんか?」

「普通のことではないかもしれませんね、俺が頼み込んで学んだだけで」

「そのわりに上手いやん。若いのに執事務めて、馬にも乗れて、レイはん優秀やん」

「まだ未熟ものですよ」


 これは本音だった。今のところぎりぎり務まっているだけで、迷いも多い。現にこうしてデュラハンという害毒を屋敷にとどめている。アルが知ったら激怒しそうだ。


「ところでレイはん」

「なんですか?」

「君、そっちの気あるん?」

「そっちの気とは?」

「男のことが好きかっちゅうことや」


 表情は見えないが、デュラハンはけたけたと笑っている。

 俺のことをからかっているのだろうか。


「勘弁してくださいよ」


 俺はこの手のいじりに耐性がない。どうしても昔のことを思いだしてしまうし、冷静な自分を保てなくなるからだ。


「いやな、唐突な話ですまんけど、わし男好きやねん」

「はあ……」


 ため息をつくが、心臓は跳ね上がっていた。もの凄く曲がる変化球を投げ込まれた感覚。

 デュラハンは何気なく言ったが、それはある性癖の持ち主ということを意味しており、俺はどう対応していいのかわからず狼狽してしまったのだ。


「そう慌てんと。おっさん、レイ君みたいな子、タイプやねんで。ヴィンセントも言っておったけど、自分なかなかええ感じや」

「…………」


 ぐいぐい迫られる俺。呼び名も君付けに変わってるし、しかも馬上で密着して。逃げようにも逃げられない。


「思うに自分、隙がありすぎんねん。ツッコミどころが多いっちゅうか、いじめたくなんねん。わしみたくそっちの趣味がある男に好かれるで」


 デュラハンは俺の動揺をここぞとばかりに突いてくる。

 まさかこんな状況でカミングアウトしてくるとは誰も思うまい。俺はせめて手綱だけでもさばこうと、馬を操ることに専念する。それがさらなる動揺を呼び寄せる。

 だからデュラハンがこう言ったとき、俺は馬上から落ちそうになってしまった。


「ハハハ、冗談やねん、冗談」

「え……」

「どないしたん? まさか本気やと思っとった?」


 後ろをくるんと振り向き、デュラハンは意地悪な笑いを浮かべていた。

 当然俺は心の落ち着かせどころを探し、それがどこにもないことを悟った。

 簡単にいえば、頭にきたのだ。


「ええ加減にしろよ、おっさん」


 俺は馬の腹をひと蹴りし、馬を襲歩(しゅうほ)で走らせた。

 全速力になった馬が、風を切って駆け出す。トップスピードだ。


「あかん、あかん! むっちゃ怖いねん!」

「怖くさせてるんですよ」


 何度もいうが、俺はいじられるのが嫌いだ。なぜならそこが質の悪いいじめの導火線になるから。警戒心がまさって過剰反応をとってしまいそうになるほどに。


「レイ君、あかんてー!」


 本気で怖いのだろう。デュラハンは涙声になっていた。

 けれど俺は、この程度でこの男を許す気はない。だからこのお仕置きは、目的地の丘につくまで終わることはなかったのだった。


「うひぃー! 堪忍やでほんまー!」


 丘についた途端、デュラハンは馬から転げ落ち、草原に大の字になった。

 俺は彼の呼吸が戻るのを待ちつつ、魔法瓶からお茶を入れていた。


「お茶でも飲んで休んでください」


 デュラハンをぎゃふんと言わせたことに満足したせいか、俺の怒りは消し飛んでいた。


「お、おう……ほな、貰おか」


 デュラハンもようやく正気を取り戻したようだ。俺が手渡したお茶をがぶがぶと飲み、盛大に息をついた。


「それにしてもここ、ええ場所やな」

「みんなに秘密の話をするにはうってつけかと」


 いろいろあったが、俺は当初の目的を忘れていなかった。

 デュラハンとの取引。俺が知りたい情報を教えて貰うこと。もっともそれにあたっては、ひとつ疑問があった。


「あなたは取引といいましたね。代わりに何がほしいんですか」


 俺が知りたいのは、デュラハンの記憶。喪失した記憶を取り戻したこと。それが元の世界に戻る鍵となる。

「せっかちやな、自分。もうちょいこの景色を堪能しようや」

「…………」

 せっかくちだという自覚はあったので、俺はデュラハンの言葉に従う。


「グリムハイドか。この広大な所領が全部、あの貴族のボンのもんなんやな」

「俺の主人をガキ扱いしないでください」

「すまへん、貶す気はなかったんや。せやけどな……」


 デュラハンはそこまでいって、晴れ渡った青空を見上げた。


「わし、元の世界ではもっと金持ちやってん。その金貯めるのに働きに働いてな、富豪の一番下っ端くらいにはリッチになってん。それが全部水の泡やねん。ほんま想定外とは、こういうことを言うんやな」


 視線を空にやったまま、デュラハンは寂しそうに語り始めた。


「未練があるんですね、元の世界に」

「当たり前や」


 俺は魔法瓶を手に、彼の側に侍っている。

 こんなときでも気持ちは執事だった。立場に違いはわきまえねばならない。


「だからな、レイ君。わし、なんとしても元の世界に戻りたいねん。家庭教師なんてしょぼい仕事やのうて、ぎょうさん金稼ぎまくる銀行家に戻りたいねん。自分に声かけたんは、あんたが執事でいろいろ情報持っているかもしれへん思うたからや」


 ほしいのは情報。それは俺と同じだ。

 だからだろう。図らずもデュラハンが口にしたのは俺には慣れた単語だった。


「レイ君。自分、この世界に来て、記憶とか失うてないか?」

「記憶、ですか……」


 失っている。特に俺の場合、いまだに。

 でもデュラハンはなぜそんなことをわざわざ訊くのだろう。

 思い当たる答えはひとつ。


「わし、この世界に来て記憶を失ったんや。最初は自分が何者かさっぱり思いだせんかった。その記憶が戻ったんは三ヶ月ほど前や。ロンドンをぶらつていると、偶然ヴィンセントのやつに会うてな。あいつも記憶の一部を喪失させとった。そこで知ったんや。転移者は記憶を失うもんやと」


 知りたかった情報は、思いがけず向こうから転がり込んできた。

 俺は会話の先を促すように、語気を強めながらこう尋ねた。


「だから、俺たちも同じだと?」

「せやけど、それだけやないで。わしらが失うた記憶は、同時に元の世界に戻る鍵なんやないか思うたんや。どや、レイ君。自分の失うた記憶、わしに教えてくれへんか」


 俺は自分の息が上がっているのを感じた。

 驚くべきことに、デュラハンは俺と同じ答えに行き着いていたのだ。

 喪失した記憶集めが、元の世界に戻る鍵という考え。


「すいません、デュラハンさん」

 しかしあいにく、俺は彼の取引に答えられない。

「実は俺、記憶を失ったままなんです。まだ戻る気配さえありません」

「そうなん? ほんじゃ、他の子たちはどうや?」

「俺とアル――ネヴィル卿以外の三人は記憶を取り戻しました」


 みんなの秘密を語るのは気が引けるが、重要な取引となれば考え方も変わる。俺は月、紫音、雪嗣の記憶について語ってみせた。無論、ここだけの秘密と釘を刺して。


「そうなるとあと残す鍵は自分とネヴィル卿だけっちゅうわけや」

「ヴィンセントさんは記憶を取り戻したんですか」

「あいつもまだや。戻ったら教えてくれいうてそのままや」

「そうですか」


 これではっきりした。転移者は記憶を失う。その空白を埋めることが元の世界に戻る鍵となる可能性は高い。そして未だに空白を残したままの人間が三人。俺とアルとヴィンセント。それらを取り戻せれば、異世界は反転するのだろう。俺たちがいた元の世界へと。


「それにしてもレイ君」

「なんですか?」

「自分、よく仲間の記憶集めたな。大変だったんちゃうか」

「まあ、いろいろトラブルがありましたけど」

 そのトラブルを乗り越えるたび、みんなの記憶は戻っていった。

 俺がその経緯を語ってきかせると、


「つまり自分、虐待されたルナちゃんを守って、決闘で負けそうなユキ君のこと救って、罪を着せられそうになったシオンちゃんの汚名を晴らしたっちゅうことか?」


「かいつまんでいえばそうなりますけど」

「ごっつい話やなーっ!」


 デュラハンが驚嘆したとばかりに俺を穴があくほど見つめてくる。


「そない活躍してもうて、自分フラグ立てまくりやん」

「フラグ?」

 ゲームのことは多少知っているけど、あらためて言われるとその意識はなかった。


「せやで。自分の話聞く限りやと、レイ君がフラグ立ててない相手って、ご主人様とベアト嬢、それにカーソンいう家令だけやんか」

「ダグラスさんやバークマンさんのフラグも立ててませんけど」

「年齢的にそれらは無関係やで。攻略対象は若い連中オンリーと相場は決まっとる」

「そういうもんですか」


 デュラハンの言い分はわかったけど、正直俺の心を占めているのは、たびたび夢で見る自分に告白した相手のことだ。男か女かもわからない、俺を好きだといった人のこと。


 けれどさすがにそれを話すのは恥ずかしかった。

 しばしまごついていると、ふたたびデュラハンは興味津々な目を向けてくる。


「レイ君。これからどないするん」

「と言いますと?」

「誰のフラグを先に進めるのかっちゅう話や。あ、ひょっとしてわし? わしの記憶も知ってもうたし、これもフラグ管理の一環といえないこともないな」

「それだけはないから安心してください」

「えろう冷たいな、自分」

「冷静なだけです」


 うっかりするとデュラハンのペースになるため、俺は会話の流れを引き戻す。


「まあええ。レイ君、お茶のお代わり貰えるか」

「どうぞ。まだたっぷり残っています」


 デュラハンのティーカップに魔法瓶からお茶を注ぐ。それをひと飲みしたデュラハンは、小さく「ほう」とため息をつく。


「ちゅうか、わしと同じ目的で動いとる奴が他にもおるとはな」

「俺も意外でした」

「ところで自分ら、どないな境遇でこの世界にやってきてん? わしは銀行家から転落してただの家庭教師やったけど、最初から執事やったん?」

「いえ。最初は下僕でした。それも孤児院出身の」

「孤児院におったいう設定になってるんか」

「設定というか、世界の仕組みがそう定めらているようです」

「それを設定っちゅうねん」


 まだ話し足りない様子のデュラハンに俺は自分たちの境遇について話した。

 使用人組のみならず、主人のアルも、元々私生児で孤児院にいたこと。

 デュラハンふうにいえば、初期設定の過酷さについて。


「孤児院なぁ……」


 話題が重たかったのか、デュラハンが遠い目になってしまう。

 俺はその流れを変えようと思ったが、先に口を開いたのは彼のほうだった。


「なあ、考えたことあらへんか。なして自分らが孤児院出身かを」

「いえ。そういうものだと思ってました」


 特に深く追求したことはない。所与のものと割り切っていた。

 しかし問いを発したデュラハンはそう考えないようだった。髪をかきあげて風に吹かれながら、やがて俺のほうを一瞥してこういった。


「これはわしの独断やねんけど、孤児って家族の輪から切り離された存在やろ?」

「ええ。そのとおりかと」

「だとするとや。家族の輪から切り離されたっちゅうことは、つまりは死んだいうことを意味するんやないやろか」


 ――死んだ。


 その言葉は見えない角度から俺の心をえぐった。

 可能性はあるだろうと思う一方、自分の死、ひいては仲間たちの死を俺は心のどこかで否定したがっていた。


 命は平等に価値がない。その思想と「死んだ」という歴然とした事実は別物だ。しかしデュラハンの見立てはかなり筋の通っているものに思えた。


「実際、事故を目撃したわしも、ああガキンチョ殺してもうた思うたで」


 俺は抑圧した意識を感じて黙り込んでしまう。

 そんな俺を見つめるデュラハンの目は、冗談を飛ばすときとは雲泥の差があった。

 だからその目に嘘はつけない。普通ならそう考える。

 けれど俺は、ネヴィル家の執事だ。必要があればいくらでも嘘をつく。


 ――俺たちに待っているのは死だ。


 そんな残酷な考えに理解を示すのは仲間たちへの裏切りに思えた。だとすれば、自分の腹のなかに押し込んでしまえばいい。代わりには幸せな嘘を。


「デュラハンさん。その見方は一面的ですよ。確証だってありません」

「まあ、憶測でしかないわな」

「それより、デュラハンさん」

「なんやねん?」

「ベアトお嬢様のことです。彼女に社会主義思想の話をするのは百歩譲って認めますけど、スパイス程度に抑えてください。屋敷の秩序に関わります」

「でもあのお嬢さん、まんざらでもないって顔してたで」

「まんざらでもないから困るんです」


 俺は思い切り話題を逸らして、デュラハンにきつく釘を刺す。

 その行為が逃避だということは、何より自分自身が一番よくわかっていた。

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