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絶対遵守の転移執事  作者: 天ぷら開成髭サウナおじさん(夏音)
第六章 アルと孤児院の視察
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アルの信念

「運転手が来たようなので、そろそろ出発します」


 工事の視察と将軍との会談という目的を終え、アルは暇乞いをした。

「何から何までお世話になる。ともにこの国の秩序を守りましょうぞ」

 将軍、バーンズ、エレンの三人が俺たちを見送る。

 そこに子供たちの姿はない。将軍によれば、夕食をとっているとのこと。


「工事が終わる頃にまた来ます。それでは」

 アルと俺は、バークマンが運転するシルヴァーゴーストの後部座席に乗り込み、孤児院を離れた。


 この視察は、アルにとっては通常業務の一環なのかもしれないが、俺にとっては彼の裏の一面を見せられた旅でもあった。新鮮と呼ぶには重苦しい、固い政治の話が聞けた。


 舗装された道はすぐに途切れ、車は悪路に入っていく。

 俺は事態を十全に把握していないため、アルと話の続きがしたかった。


「なあ、アル。さっきの話だけど――」


 体を寄せて話しかけると、アルも同じ気持ちだったのだろう。


「バークマン、しばらく失礼するよ」

 運転手との間にある遮蔽シートをおろし、座席に深々と座り直した。


「ああいう話は我が家では他にカーソン以外知らない。でも玲君は執事になった。ぼくが関わる全ての仕事について知ってほしかった。少し戸惑ったかもしれないけど」


 少しどころではない。初対面のスペンサー将軍とアルがあれほど深いつながりを持っていることに俺は無知だった。孤児院の経営ばかりでなく、イギリス政治の闇をかいま見た思いだった。


「なんでスペンサー将軍はあんなに事情に通じているんだ?」


 元将軍だから、というだけでは納得できない。


「将軍は元情報将校だった。政治に関わる貴族の動向に詳しいのも、彼は退役後もむかしの部下というパイプを使って様々な情報を得られる立場なんだ。ぼくが彼を院長として雇ったのもその情報が目的。イギリスの貴族社会が変質し始めているいま、情報なくして荒海を渡ることはできないからね」


 アルは前方を見つめたまま、話を続ける。


「最初のきっかけはウェルベック卿の勧誘があまりにしつこいから、一体なにが起こっているのか知りたくなったこと。将軍に調査を依頼したんだ。おかげでウェルベック卿、ヘインズ卿、ダドリー卿、君がお世話になったトランザム卿が同じ目的で動いていることがわかった。高齢となったバルフォア首相の後を継ぎ、クラリック公を首相に就けようと裏で画策しているということがね」


「アルはそれに反対しているのか?」

「単純に反対というわけじゃない。けれどその四人組は保守党で多数派を形成し、しかるべき法案を通して首相の権限の拡大を目論んでいる。後継首相に就くクラリック公のためにね」

「よくそんなディープな情報が掴めたな」

「スペンサー将軍の情報網は桁違いに広いんだ。ボーア戦争で彼の部下だった人間の多くが退役し、屋敷の使用人として再雇用されている。将校と従卒の関係は、ぼくたちが想像する以上に太い絆で結ばれている。その情報を得るために、スペンサー将軍には破格の給金を支払っているよ。もっとも得られる情報に比べれば安いものだけどね」


 ――金は力。


 アルはその力をフルに使って、貴族として生き抜く戦略を練っているのだろう。


「とはいえ、おまえはあの四人組と仲間ってわけじゃないんだろ。やはり敵なのか。あいつらの野心を押さえるのがおまえの目的か」

「それもあるけど、正確には違う。ぼくはこのイギリスを支える貴族社会を守るために動いているつもりだ。その秩序を守るためなら、どれだけ金を使っても構わない」

「そういうことか」


 確かにさきほどの密談では、アイルランドの独立運動を押さえ込むようなことをいっていた気がする。ただ俺はその歴史的経緯を知らない。


「アイルランドの件はどうだ。あれもおまえがいう秩序を乱すものなのか」

「勿論。ぼくの手で歴史を変えられるなら、全力を挙げて変えてみせる」


 そこで言葉を切って、アルは考え込む顔になる。

 やがて口をついたことは、俺が最も知りたいと思っていたことだった。


「アイルランド独立戦争が起こる前、ぼくたちが知る歴史では一九一六年にイースター蜂起という武装蜂起が起こる。独立を指向する共和国派と正規軍がぶつかるんだ。ところがこの世界では、その蜂起まで時間があるというのに、散発的な暴動が起きているという。彼らはどこからか武器弾薬を手に入れ、共和国独立のために戦う気だ。きっかけは第一次世界大戦だったのだけれど、その銃声が鳴る前に行動が開始されている。さっきもいったとおり、この世界はべつの歴史を辿ろうとしている。その変化が本当なら、ぼくはこの世界をぼくが望む歴史へと変えたい。将軍への資金提供はそれが最大の目的だ」


「待てよ、アル。そんな簡単に歴史は変えられるのか?」

「変えられる。たとえば以前にもいったけど、史実では一九一四年の首相は自由党のハーバート・ヘンリー・アスキスが政権を担っていたけど、この世界では保守党のバルフォア政権が続いている。だからぼくは思うんだ。ひょっとすると第一次世界大戦の勃発さえも変えられるとね」


「それ、本気でいっているのか?」

「当たり前じゃないか。イギリスの参戦は、ドイツとの和平交渉が失敗することから始まるんだ。ならばドイツに望むものをくれてやればいい。そうすれば戦争は避けられる」


 アルはきっぱりといってのけるが、俺は懐疑的だった。

 歴史の一部は変わっても大きなうねりの部分は避けようがないと思ってしまうから。


「でもおまえはそれに関わる地位にないだろ。政治はあくまで大人のゲームだ」

「ぼくはそう考えない。クラリック公の多数派工作に手を貸し、発言力を得ることは可能なはずだ。その取引条件さえのんでくれるなら、ぼくは公爵と手を結んでも構わない」

「四人組と公爵はおまえの敵じゃなかったのか」

「いまは敵だ。けれど条件次第では変わる。スペンサー将軍を利用しているのも、ぼく自身はあくまで中立を貫きたいからだ。彼らが戦争を望まないなら、いくらでも手を結んでいいと思っているよ」


 意外だった。アルは微妙な立ち位置をコントロールしていたのだ。

 その目的は歴史を変えるため。しかしなんのために歴史に関わるのだろう。

 だから俺は、間抜けなことに直球を投げてしまう。


「おまえは戦争を止めたいのか?」


「止めたいね。戦争はヨーロッパの秩序を変える。たとえばロシア革命だ。ああいう大衆蜂起の芽が欧州には眠っている。もし歴史が流動的なものなら、ぼくらの知る歴史とは違った経緯をイギリスが辿る可能性がある。ぼくはその芽を摘み取り、貴族社会とそれに支えられた王室の権威を守っていきたい。これはぼくの貴族としての信念だ」


 信念とまでいわれると、反論はできない。


「このままではクラリック公は戦争を支持するだろう。戦時下という建前のもとに権力を一元化するチャンスだからね。だからぼくは公爵の野心を危険だと思う」


 公爵と手を結んでもいいが、それは条件次第。アルの率直な思いなのだろう。


「とはいえ、アル。おまえ、どうしてクラリック公の真意が推測できるんだ」


 俺はこの屋敷に来てから公爵と会ったことがない。それはアルとて同じことだろうに、アルはまるで見てきたかのように公爵の行動を読んでいる。


「それは企業秘密だね」

 ようやく俺のほうを向き、アルは軽い微笑を浮かべた。


「ここまで話してそれはないだろ」

「あはは、やっぱり黙っているわけにはいかないか。仕方ない、教えてあげよう」


 アルはふたたび視線を前方に戻し、小声でこう呟いた。


「玲君が我が家にくる前、カーソンの部下だった下僕が屋敷を辞めたんだ。彼はクラリック家の下僕として再就職した。情報は彼からもたらされている。スパイじみたやり口だから、この話はトップシークレットだよ。他の使用人に話してはいけない」

「…………」

 俺は表情こそ変えなかったが、思わず息をのんだ。

 アルの本気が伝わってきたから。政治という闇に手を染めていることがわかったから。


「それはアルの指示なのか?」

「ぼく以外にいるわけがないだろ。ぼくにとってクラリック卿の本心はぜひとも知っておきたい情報だ。だから汚い手を使ってでも手に入れておきたかった」


 アルの言葉が正しければ、クラリック公は近いうちに多数派を形成し、首相に就任するだろう。そして第一次世界大戦に舵を切るだろう。


「おまえがそこまで平和主義者だったとは思わなかったよ」

「あの世界にいた人間が平和主義者にならないほうが難しいよ。それにぼくは平和という価値以前に、このブリタニアの安定を望んでいるんだ。戦争はその安定を揺るがす。現にぼくたちの知る歴史でも多くの革命的動きは大戦から生じる。ぼくはいち人間である前にひとりの貴族だからね。大衆の蜂起は断じて許さない」


 これはアルの本心だったのだろう。俺はもう一度息をのんでしまう。

 しばらく重たい沈黙が続いた。アルはもう何も言ってこない。


 この話はおしまいなのかもしれない。彼は彼の主張を十分に話した。

 けれど俺はひとつだけ疑問があった。アルの心の奥底にあるだろう謎。そこに切り込みたくなった。息を大きく吸って、俺はそれを吐き出した。


「なあ、アル。もしも第一次世界大戦が起こったらどうする気だ?」


 歴史が史実どおりに進めば、あと数ヶ月で戦争が始まる。

 アルはそれを変えようとしているようだが、俺が思う歴史のうねりとは、大戦のような避けがたい運命のことを意味する。ひとは運命には抗えない。たとえどんなに別の可能性を求めようとも。


「大戦が起こったら……」


 アルは小さく肩をすくめた。まるでその問いが想定内であったかのように。


「時期はわからないけど、従軍するだろうね。スペンサー将軍がいっていたことは正しい。血を流す覚悟あってこその高貴な義務だ。ぼくは貴族としてその義務に従う」


 唇を引き結び、アルは決然といった。


「なにしろ大戦が勃発すると徴兵制が敷かれるんだ。市民が戦争に駆り立てられるなか、貴族のぼくが高みの見物というわけにはいかないだろう」


 その答えは、半ば予想していたものだった。

 アルの行動基準は貴族という立場から発せられている。そんなアルが臆病風に吹かれるとは思えなかったからだ。


 同時に俺は、ひとつの選択肢を突きつけられた気になった。

 アルの執事としてどう行動すべきか。戦争と無縁だった元の世界の感覚では答えは出てこない。いまの自分としてどうすべきかを考えねばならなかった。

 でも俺は即断できなかった。だからアルにこう訊いてしまう。


「だとすれば、俺はどうすればいい?」


 俺はアルの使用人だ。その行動を左右する力がある。

 しかし性格の優しいアルが戦争で死ね、というわけがなかった。


「徴兵制でも敷かれない限り、玲君は屋敷に残るといい。傷つくのはぼくだけでいい」


 案の定だ。アルは俺を地獄に引きずり込むつもりはなかった。

 けれども俺が抱いた感慨は、アルの言葉に反するものだった。


「なんでだよ、アル。もっと俺を頼ってくれよ。戦争に行って命を懸けるだなんて、自分だけで勝手に決めるな」

 俺は戦争をしたくはなかったが、アルを戦場に送る気もなかった。


「それはぼくのセリフだよ。ぼくに比べて、玲君のほうが平和主義者だ。そして命は平等に価値がないなんていう。君こそ自分の命を軽んじて、戦争にのめり込むタイプだと睨んでいるんだ。だからこそ、君を戦争に巻き込めない」


 アルは俺の痛いところを突く。俺はいざとなれば、簡単に命を投げ出してしまうだろう。表向き戦争に反対でも、いざアルが従軍するとなれば、それを避けようとしないだろう。


 実際、道義にかなう戦争なら、大義名分が立つ。

 歴史のうねりとは、個人の意志など軽々とのみ込んでしまう。俺はその波にまで逆らう気はなかったのだ。たとえ自分が危険に晒されても、義務は恐怖を乗り越えるだろうから。


「…………」


 俺はアルの指摘に押し黙り、窓の外に目をやってしまう。

 この世界に来て、とにかく使用人という立場に順応しようとしてきた。その結果、執事という分不相応な地位を手に入れた。


 けれど戦争が近づいている。それにどう対処するか、アルは従軍するなという。けれどそれは主人としてというより、たぶんに友人としての言葉だと思う。その意志にどう答えるかは、カーソンに訊いてもきっとわからない。元の世界の教科書にも書いてない。


「そういえば、玲君」

 黙りこくった俺に、アルが声をかけてきた。それは別の話題を想像させた。


「孤児院の客間にいるとき、言いかけた言葉があったね。あれはなんだったの?」

 言いかけた言葉。俺は記憶を探る。

 ――なあ、アル。園遊会のとき屋敷に来たヴィンセントという執事だけど……。


(あの発言か……)


 思い当たる節があった。それはクラリック家の執事、ヴィンセントの話。

 俺は彼の正体を知っている。アルに言うべきか言わないべきか迷ったが、やはり伝えておくべきと思った。


「ヴィンセントのことだよな。俺はあいつが何者か掴んだぞ」

「何者か?」

「ああ、そうだ。あいつは俺たちと同じ転移者だった。俺たち五人を轢いた車の運転手。そいつがヴィンセントだった。実際、奴の口から聞いたから間違いない」

「そうか……」


 瞑目したアルが嘆息した。俺たちの運命を変えた相手の正体がわかり、彼なりに独特の感傷があったのだろう。


「それがよりにもよってクラリック公の執事だなんて。どんな皮肉だろう……」


 ぽつりと思いをこぼしたアル。

 俺自身も、ヴィンセントの立ち位置はわからない。クラリック公にどの程度忠誠を誓っているのか。それとも独自の考えをもって動いているのか。


「彼がぼくらの敵対者とは限らないけど、ぼくらを殺した張本人でもある。許しがたいと思うのが道理だけど、公の執事は重要人物だ。あまり積極的に関わらないほうがいい」


 アルは俺に消極策を説いた。

 俺にすれば、殺しても殺したりない相手ではあったが、アルの指示が優先される。


「ただし、その行動だけは注意しておく必要があるね。なにかよからぬことを企んでいるのなら、彼はぼくらの敵だ。クラリック家に送り込んだ下僕にも指示を出しておこう」


 アルの対応は事務的なものだった。

 復讐のために罰を与えろといわれれば、素直に聞いた自信があるが、自重を説かれてはそのように振る舞うしかない。

「イエス・マイロード」

 だから俺は、自分自身の怒りを鎮め、執事としてアルの意志を受け止めたのだった。


 こうして俺はまた、絶対遵守の誓いを生きるのだった。

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