歓迎の歌
子供と遊ぶとき、大人のままではいけない。みずからも童心に返る必要がある。
工事の視察を終えたあと、俺がやったのは院児との鬼ごっこだ。
「お兄ちゃん、こっちこっち!」
「待てこらぁ!」
軽くダッシュをして、院児を柵に追い込んでいく。
ちなみに俺がお兄ちゃん扱いされているのは、この世界での履歴として、この孤児院出身ということになっているから。いわば俺は院児たちの先輩にあたるわけだ。
活発な子供たちはこうして俺と鬼ごっこに夢中になる。しかしそれは一部だ。大半の子供たちは歓迎会の飾り付けをしているようだ。
ひとしきり鬼ごっこに興じたあと、俺とアルは昼食を振る舞われた。
「子供たちが栽培した野菜をふんだんに使った料理です」
接待役のスペンサー将軍が料理の解説をする。
メイン料理はスコッチブロスだった。スコットランドの伝統料理で、羊肉と野菜を煮込んだスープ料理だ。メインにしては質素だが、野菜の味が濃い。
「うわ、これ、マジで美味いわ」
控えめな執事を演出すべく、小声で感想を述べた俺。
「うん。とても美味しいね」
隣に座ったアルが舌鼓を打つ。俺は本来、貴族と同席を許される存在ではないが、彼と同じゲストとして同席を許された。
「そういって頂けると子供たちが喜びます」
アルの好感触を得て、スペンサー将軍はえびす顔になる。
給仕役はエレンと子供たち。次に出てきたのはグラタンだった。
口に運ぶと、チーズをまとったジャガイモがほくほくして美味しい。
「…………」
笑顔を絶やさないエレンに比べて、子供たちの表情は固い。貴族を前にして緊張しているのだろうか。
「もっとリラックスしていいんだぞ、坊主」
俺に給仕してくれた男児の背中をぽんと叩く。
返ってきたリアクションは、びくっと怯えたものだった。
(そんなに緊張する場面かな……)
「お兄ちゃんは貴族じゃないから、普通にしてていいんだぞ」
緊張を解きほぐすべく、微笑を浮かべてみた。
「……はい」
男児はそう呟いて、食堂を離れてしまう。
俺としては子供たちともっと交流したかったので、少々残念な気分だった。
「貴族には慣れてないようで、申し訳ないですな」
取り繕うようにスペンサー将軍が苦笑した。アルがその所作に頷いた。
なにはともあれ、料理は美味い。それだけでよしとすべきか。
「この料理を作ったのは?」
アルが職員を見回して、エレンのところで目を止める。
「わ、私です。お口に合いましたでしょうか」
「うん。十分だよ。こんな手料理を食べられて院児たちは幸せだな」
アルの発言に俺も心の中で同意する。
孤児院にいるということは、子供たちは不幸な星の下に生まれついてしまったことを意味する。そんな子供たちに慈善とはいえ幸せをもたらそうとすること。アルは空気を吸うように身銭を切っているが、それは俺が思う以上に尊い行為なのだろう。
自分の身に置き換えて考えればいい。もし大金を掴んだとして、それを恵まれない子供たちのために使おうと考えるだろうか。よほど特殊な経験がない限り、答えは否だ。
「素晴らしい料理でした。堪能しました」
ナプキンで口許を拭い、アルはスペンサー将軍とエレンを見回す。
すでに食べ終えた俺も、ふたりに軽く礼をする。
「いやいや。ネヴィル卿にご満足頂けて光栄です」
こうして昼食を終え、俺たちは食後のお茶を頂戴した。
「このあとの予定は?」
アルがだしぬけに問う。反応したのはスペンサー将軍。
「ささやかな歓迎会を催させて頂きます」
「なるほど。それは楽しみだね」
子供たちの歓迎会か。どんな歓迎が待っているのだろう。
俺はすっかり子供たちに感情移入してしまっているため、少しわくわくした。
やがて紅茶を飲み終え、俺たちは広間に案内された。
そこに設置された椅子に座り、段になっている舞台を見やる。
舞台の袖から子供たちが出てきた。みんなお揃いの飾りをかぶっている。飾りには折り紙で作ったとおぼしき星がついていた。金色に輝く、きらきらの星だ。
そしてエレンの指揮で、三列に並んだ子供たちが歌い始めた。
――きらきらひかる おそらのほしよ まばたきしてはみんなをみてる
きらきらひかる おそらのほしよ
子供たちが歌ったのは『きらきらぼし』だった。勿論、英語バージョン。しかしそこに感じる懐かしさは日本語で歌われるものと同じだった。まだいじめに遭う前のこと。小学生の頃を思いだす曲だった。
「いい曲だよね」
アルがぽつりという。俺も心の中で頷く。
そして子供たちに合わせて小声で歌ってしまう。
――Twinkle Twinkle Little Star
英語で歌うのは初めてだったが、歌詞は自然と湧いて出た。この辺りの言語能力に関しては転移の利点のひとつだ。
そんな有意義な瞬間だったけれど、気になることがあった。壇上の子供たちの顔色がどこかしら冴えなかったから。なかには怯えたような表情の子もいる。
貴族がいるから緊張している、なんて理由で納得できない部分だ。彼ら彼女らの顔は、なぜあんなにも晴れないのか。ほぼ一様に曇っているのか。
その理由を詮索することは、どこか不謹慎なことのように思えた。
だが、気づいておいて放置はできない。あとでスペンサー将軍に尋ねてみよう。
子供たちが歌を三曲ほど披露したところで、歓迎会は終わりを告げた。
アルと俺は客間に通され、そこで休憩することになった。
「中々楽しい歓迎会だったね」
アルは清々しい顔でそういった。慈善事業を営む彼にしてみれば、支援した甲斐があったというものだろう。
俺は子供たちに感じた違和感を話そうとするが、それを遮るようにアルがいった。
「ねえ、玲君。この世界でぼくは孤児院出身ということになっているのは知ってるよね」
「ああ、知ってる。ついでに俺たち修学旅行組の全員がな」
「でもね、孤児院はこの世界での履歴だけじゃないんだ。ここだけの話だけど、ぼくは元の世界でも孤児院の出身でね。いわゆる私生児というやつなんだ」
アルにしては珍しく、自嘲の笑みを浮かべた。
俺はその唐突な告白を受け止め損ね、瞬時に黙りこくってしまう。
「前にもいったと思うけど、遠縁に爵位を持つ人がいるくらい、ネヴィル家は由緒正しき家柄なんだ。そこの当主がよそで作った歓迎されない子。それがぼくなんだ。イギリスを離れて日本に来たのも、そういう境遇から離れたかったから。つまりぼくは逃げたんだ」
アルは何気なく話すが、それが意味するところは重かった。
俺は反射的に受け止めようとするが、返答は中々言葉にならない。
そして口をついたのはありきたりな相づちだった。
「……すまん、知らなかったよ」
ありきたりだけど、本音ではあった。と同時に、アルが慈善事業に力を入れている理由が腑に落ちた。ただ先代の事業を受け継いだわけではなかったのだ。
「……ごめんね、玲君。いきなりこんな話を聞かせて」
「気にするな。俺こそ、おまえのこと全然理解してなかった」
「大袈裟な話にするつもりはないんだ。ぼくがなぜ慈善に力を入れるか、その理由を知ってほしかっただけ」
――恵まれない家庭環境。
しかも私生児となれば、普通の子供と一緒に扱われない。その特別さは、どんなに頑張っても解消しきれるものではない。子供が親を選べないように、それは絶対的なのだ。
幸い俺は家庭環境にだけは恵まれている。自分を含めて家族三人。平凡だが恙なく暮らしてきた。それが感謝すべきことだとも思わずに。
俺は急にアルのことを支えたくなった。彼を孤独にすると、記憶が戻らず、元の世界に復帰できないから、なんていう小賢しい考えではなく。ただ純粋に。
「俺に言って楽になるなら便利に使ってくれ。なにしろ俺はお前の執事なんだから」
慎重に言葉を選び、俺はアルを見つめた。アルも俺を見つめ返してきた。
「……ありがとう、玲君。君を執事にして本当によかったと思う」
「そんなふうに感謝されるようなこと、まだしてねぇよ」
些か気恥ずかしくなった俺は、ぶっきらぼうに言い放つ。
こういうときの対応はまだ下手くそだ。けれどそれは俺の精一杯だった。
だからアルは俺の発言を引き取り、こんなふうに返してきた。
「まあ、そんな感じで、孤児院はぼくの実体験そのものなんだ。だから子供たちに救いの手を差し伸べる、そんな貴族でありたいんだ。貴族に順応したのも、ビジネスに力を入れるのも、貴族に見合った高貴な義務を果たすためにやっていること。そんなぼくにこれからも尽くしてくれ、玲君」
「わかった。誠意をもって仕えさせて貰うよ」
今回の孤児院行きはアルと二人きりになる時間が長い。だからというわけではないが、俺は俺の訊きたいこと、アルはアルの話したいことを、胸襟を開いて言い合うことができたと思う。
そして俺はアルの友人としてではなく、彼の執事としてもうひとつ言っておかねばならないことがあった。それは俺だけが知っている秘密の話だ。
「なあ、アル。園遊会のとき屋敷に来たヴィンセントという執事だけど――」
するとドアがノックされ、俺の発言は遮られた。
「どうぞ」
アルが答えると、スペンサー将軍が顔をのぞかせた。
「ネヴィル卿。そろそろ会談を始めないか」
「わかりました」
将軍の呼びかけに応えて、アルは椅子から立ち上がる。
(会談ってなんだ?)
疑問符を浮かべた俺だが、そんな俺にアルはいった。
「玲、君もぼくと一緒に来てくれ。大事な話がある。君にも知っておいてほしいことだ。よろしいですよね、将軍?」
「ああ、構わんよ。執事なら、知っておく義務がある」
ふたりは俺をよそに話を進めていく。だが俺は命令を受けた。そして立ち上がった。
見上げれば、緊張して口を引き結んだアルの顔。どうやら俺だけではなく、彼にも秘密の話があるようだった。
「院長室で話し合おう。ついてきてくだされ」
ドアから手を離して、スペンサー将軍はアルをつれて歩きだした。詳しい事情はわからないままだが、俺も慌ててそのあとについていくことにした。




