中国風の即席麺料理
ベアト様の記憶力のよさに舌を巻くときがある。彼女はただのわがまま娘というだけでなく、どんなにくだらないこともよく覚えておいでだった。
俺がインスタントの中国麺を作ると安請け合いした件もそうだ。
執事になっても俺と雪嗣の従者交代制は続いている。この週はベアト様のお相手をすることになっていた。
朝のお茶をお持ちしたとき、彼女はその話を蒸し返した。
「レイ、そろそろいいんじゃないか」
なんの話かと思って黙っていると、
「以前、中国風の即席麺料理を作ると請け合ったろ。きょうの昼餐に作ってみせろ」
それは唐突な振りだった。
「本日ですか?」
「そうだ。使用人を使っても構わない。アルと私のふたりぶん、用意してくれ」
命令口調は高圧的だが、わくわくした顔はまるで子供のようだ。
「しかし、それには色々と準備が……」
とりわけ俺は心の準備ができてない。何とか先送りにしようと粘ったが、
「これは命令だ。美味しい中国風即席麺を作ってくれ。いいな?」
命令とあれば、断るわけにはいかない。
「……御意」
俺は渋々ながら、その強引な指示に従うことにしたのだった。
「玲さん、とんでもない目に遭いましたね」
朝食のため、使用人室に戻ると、月が俺の話に食いついてきた。
「インスタントラーメンを作るなんて。素人が日清食品にかなうはずありませんよ」
確かに。あの粉末状の調味料は、家庭料理の域を超えている。
「そうなんだが、せめて麺だけでもインスタント風にできないかと思っている」
月と会話しながら、俺はパンを紅茶で流し込む。
「使用人を使っていいといわれたけど、誰か手伝ってくれる奴はいないか」
俺はデシャン、紫音のキッチン組に視線を送った。
「ノン」
デシャンはにべもなく断ってきた。
「なら、代わりにキッチンを使わせてください」
「ウィ」
キッチンを使う承諾は得た。あとはヘルプの人材だ。
「紫音はどうだ? 昼餐の準備だと思ってひとつ力を貸してくれないか」
「え……私か?」
「ああ」
「べつにいいけど……責任は持てないぞ」
「それは俺が持つ。だから手伝ってくれ、頼む」
俺は執事という立場を越えて、紫音に頭を下げた。
「し、仕方ねぇなぁ……ちゃんとできなくても、ほんとに知らないからな」
「それでいい。ヘルプだけで十分だ」
そういった俺は、次に味見役を募った。これは月と雪嗣が手を挙げてくれた。
「よし、何とかしてベアト様を喜ばすぞ」
ミッション・インスタントラーメンが始動した瞬間であった。
朝食を終え、みんなそれぞれの持ち場に戻った。
そのなかで、俺と紫音はラーメン作りをスタートさせた。
「インスタントなのは麺だけでいい。スープは別に作って魔法瓶に入れておく。食べる直前にどんぶりのなかで合わせる寸法だ」
しかしこの世界にラーメンどんぶりなるものは存在していない。
代わりにスープ用の深皿を利用する。なにからなにまで異次元だ。
「まずは麺作りからだ」
俺は小麦粉に塩と水を混ぜ、両手で練り始める。
むかしグルメ番組で見たことがあるやり方をただ真似しているだけだ。どのくらいの捏ね具合がベストか正直わからない。とにかく力を込めて、練る。ひたすら、練る。
やがて十五分が過ぎ、小麦粉の生地が丸く大きな団子状になった。
水加減は適当だったが、粉はなんとかつながってくれた。
「中々いい調子じゃねぇか、玲」
「ああ。次は足踏みだ」
うどんのコシを出すため、生地を踏むという映像を見たことがある。それをそのまま真似してみようと思ったのだ。布地にくるんで俺はキッチンで足踏み運動を開始する。
これはかなりの重労働だった。体力には自信のある俺だったが、すぐに汗をかき始め、疲労が足先から伝わってきた。
「すまん、紫音。一旦交代してくれないか」
「わかった」
足踏みは紫音と交互にやることになった。体重の軽い紫音だが、丹念に力を込めていく。
「これ、結構ツラいな」
「だろ? でも麺にコシを出すには必須の作業だと思う」
「こんな仕事を安請け合いしやがって。おまえ、ベアト様に甘すぎだよ」
「自分でも自覚している。あの人の命令って逆らいづらいんだ」
「それを甘いっていうの」
結局、生地の足踏みは一時間ほどかけた。丸い団子は分厚いシート状になり、イメージしていた状態に近づいてきた。
「次は延ばしだな。麺棒はあるか」
「それっぽいものはあるぞ」
紫音が差し出したのは、パン生地を延ばす棒だった。
「おお。助かるよ」
俺はその棒を受け取り、紫音に指示をだした。
「おまえはそろそろスープ作りにとりかかってくれ」
俺はスープ作りに一家言ある。中華料理を家で作るとき、自分でスープをとったことがあるからだ。
「この肉のかたまりをひき肉状にして、だしをとってくれ」
「わかった。いよいよ私の出番だな」
紫音は腕まくりをして肉を細かくカットしていく。腕まくりをしたメイドなんて元の世界では見たことがなかったから、俺は思わず苦笑してしまう。
「なにを笑っているんだ?」
「いや、べつに」
俺は生地延ばしに戻り、延ばした生地を四つ折りにしていく。
包丁で切っていく作業だ。太すぎず、細すぎず、中太に仕上げていく。
すると、茹でる前の麺らしい状態になった。
ここまでくれば、あとは油で揚げるだけ。中華鍋はないため、フライパンで代用する。
「段々それっぽくなってきたな」
スープのあくをとりながら、紫音が話しかけてきた。
「ああ。我ながら俺も驚いてるよ」
肝心の揚げは、麺がキツネ色になったところで引き上げた。
ところでこの世界には醤油がない。なのでスープの味付けは塩のみ。紫音はその加減を味見しながら、スープを仕上げている。
「うん、いい出来だ。スープは仕上がったぞ」
俺も味見をしたが、即席の材料で作ったとは思えない出来映えだった。
そのとき、月と雪嗣が様子を見にキッチンへやってきた。
「試食役が来ましたよ」
「ありがと。そこに座ってくれ」
椅子を引っ張りだして着席する月と雪嗣。月は興味津々といった表情で、かたや雪嗣は仏頂面を浮かべている。まずいものを食わせるなよ、という無言のプレッシャーを感じる。
「それじゃ、一丁やってみますか」
俺はスープ皿に麺を置き、沸騰したお湯を入れる。
「これ、三分でいいのか」
雪嗣は麺をフォークでつつく。
「麺が太めだから、五分くらい待ってくれ」
この世界にタイマーなるものは存在しないので、時計の針を凝視する俺たち。
「ふむ。だいぶほどけてきたな」
雪嗣は俺が指示を出す前に、湯がいた麺をだしが張られたスープ皿に移す。
「麺の水分があるから、スープは少し濃いめにしたぜ」
ふたりの様子を腕組みしながら見て、紫音はわずかに緊張してるように映った。
自分の料理が試されるのだから、評価は気になるのだろう。
「それじゃ、試食させて貰うぞ」
「いただきます」
フォークで麺を持ち上げる雪嗣と、小さく手を合わせた月。百年以上むかしのイギリスで作ったインスタントラーメンの味はいかほどか。
「うん。美味しいですよ」
「悪くないな」
絶賛とはいかないまでも、中々の好評価が出た。
「麺に芯が残ってないか」
「それはないですね。コシもあるし、いい感じに仕上がってますよ」
「かん水を使ってないわりには美味しい麺だ。塩だけでこの味が出るとは」
ふたりとも、夢中で食べている。これは昼飯抜きだろうな。
「やったぞ、紫音。これなら貴族に出しても文句は出ないだろう」
「ああ。おまえの麺がよかったせいだな」
「スープの出来だろ。ベアト様の無茶ぶりには閉口したけど、助かったよ」
俺はほっと息をつく。紫音は見た目こそ冷静だが、静かに興奮しているようだ。
そうこうしているあいだに、昼餐の時間がやってきた。
カーソンと仕事の話をしていたアルが食堂にやってきて、開口一番こういった。
「君たち、ラーメンを作ったの?」
「ええ。ご主人様がたに喜んで貰おうと」
「ほう。この料理、ラーメンっていうのか」
配膳された皿を見て、カーソンも関心を持ったようだ。
「あとでオレにも食わせろ」
「勿論、そうさせて頂きます」
俺は皿に盛った即席麺を前に、沸騰したお湯を持ってベアト様の到着を待つ。
するとコツコツと靴音をたて、階上から我が家のご令嬢が現れた。
食堂に入るや否や、「おお!」という声をあげ、彼女は駆け寄ってきた。
「レイ、これが中国風の麺料理か!」
「はい。今からお湯で麺を戻しますので、ごゆっくりご鑑賞ください」
インスタント麺の醍醐味はやはりここにある。
俺は一種のパフォーマンスとしてやや大袈裟に湯を注ぎ、五分ほど経ったところで麺を湯がいた。真っ白い麺が銀のスープ皿に映える。
「こちらをひき肉でとっただしに合わせて食べます」
フォークで持ち上げた麺はまるでパスタだが、この世界には箸がないので仕方がない。しかしベアト様はそんなことお構いなしだった。
「揚げた麺が本当に元に戻ってる! すごいぞ、レイ! 私は感激した!」
インスタントラーメンを食べたことのないベアト様にとって、この一連のパフォーマンスは魔法を見ている気分だったのだろう。彼女の興奮がこちらまで伝わってくる。
「それじゃ、食べてみようか」
未来の世界を知っているアルはやはり大して驚かなかった。
貴族然とした微笑を浮かべ、フォークで麺を巻き取っていく。
「これは温かいスープパスタだな。そして味付けは中国風ときている。美味しいなあ……」
日本人とは常識が違うため、ベアト様は絶対に麺をすすり上げない。やはりアルと同じく、パスタの要領で麺を口に運んでいく。
「塩味のスープが美味しい。これを作ったのはレイか?」
「いえ。紫音でございます」
「いい仕事だぞ、紫音。おまえのことは見直した」
「あ、ありがとうございます!」
望外なお褒めの言葉に紫音は恐縮しきったお辞儀をした。
「これほどの仕事ができるのなら、デシャンに言いつけて、もっと色々な料理をさせよう。おまえもそう思うだろ、アル?」
「それは悪くない話だね。デシャンも反対はしないだろう」
一番重要なアルのお墨付きがでた。
俺はメイドじゃないから紫音の感動を味わえないが、彼女にしてみれば、自分の裁量が広がって心の底から嬉しかったに違いない。俺の隣で感動に打ち震えている。
執事とメイドがラーメンを作ってみた――という程度のノリだったのに、ここまで出来がよく、評価も頂けるとは。無茶ぶりに応えた甲斐があったというものだ。
「ごちそうさま」
興奮はさておき、貴族のレディにふさわしく上品に食されたベアト様は、皿に残ったスープをスプーンで最後の一滴まで飲んでいる。
俺は食後の皿を片付けようとし、直立不動の姿勢を解いたが、この様子を隅っこで眺めていたカーソンが何を思ったのか近づいてきた。
「よかったな、ふたりとも」
上司としてねぎらの言葉をかけてきたのか。表情は薄く笑んでいる。
「というか、この料理。欧風の味付けにすれば結構売れるんじゃないか」
「そうだね。ぼくもそう思った」
すぐにビジネスの話に結びつけるあたり、アルとカーソンらしい。
「だめだ。この料理は我が屋敷の秘伝としよう」
反対したのはベアト様だ。彼女はナプキンで口許を拭い、
「次は違う味付けで作ってみろ。カーソンがいった通り、欧風の味付けがいいな」
「か、畏まりました!」
紫音はもう舞い上がって喜びに震えている。
「今度はトマトスープで試してみます。中国風ではなく、イタリア風で」
「おまえはイタリア料理もできるのか。それなら今週中に作ってみせろ」
ベアト様の自分勝手なわがままはとどまるところを知らない。しかしそれが貴族という人種なのだろう。使用人はただ従うのみ。そしてそこに生き甲斐を見いだす。
「御意。今後とも誠意を尽くしてご命令にお応えします」
だから俺は、小さな反発心を押さえながら、紫音と一緒に深々とお辞儀をする。そうして昼餐を終えた食堂には、暖かい四月の陽光が注ぎ込まれていた。




