ダンス・ウイズ・シオン
ほどなくして貴族たちの晩餐が始まった。
一時はどん底に沈んでいたこの場の空気だが、変化はあっという間だった。まるで何事もなかったように料理が運ばれ、彼らはそれに舌鼓を打つ。
メインデッシュはフォアグラのソテーだった。俺はカーソンともに配膳する。人数が多いため、一品運ぶのも重労働だ。
こうしている間にも、エドウィンは客間に監禁されている。いま彼を見張っているのは雪嗣だ。面倒な仕事を押しつけてしまった形になっており、申し訳ない気分だ。
やがて最後のデザートを配膳し、俺は給仕役の任務を恙なく終えた。
そんな手が空いた隙を狙っていたのだろう。
晩餐を食べ終えた貴族たちが応接間で歓談を始めた頃、アルが側に寄って来た。
「玲。ちょっと書斎まで」
そういって歩き始める。俺は彼のあとに付き従った。
「さっきの活躍は見事だった。無事解決してくれたことに感謝する」
軽くハグをして、アルは書斎の椅子に腰掛けた。
俺はその場に直立不動で立ち尽くしす。アルがねぎらいの言葉をかけることだけが目的とは思えなかったからだ。
「君に訊きたいことがある。エドウィンの犯行理由はなんだったんだろう?」
やはり事件の総括か。アルは俺の口を通じて事態を把握し直したいのだろう。
「ご主人様の爵位を汚すこと以外に考えられません。換金目的といっていましたが、あれは嘘でしょう。また、ダドリー卿の意志を汲んだものとは思えません。今回の事件は、彼の単独犯行かと」
俺は自分の意見をいった。その一つひとつにアルは頷く。
「ぼくもそう思う。事件の黒幕なら、ダドリー卿があんなに狼狽するのはおかしいからね。何も知らなかったと思うべきだろう。それにしても玲君」
「なんでしょうか」
「エドウィンはどうやってあのダイヤを盗んだのだろう。あれはぼくの書斎に置いてあったし、固く鍵も閉めていた」
「その気になれば、鍵を破るのは簡単です」
「なるほどね。ぼくのセキュリティが甘かったというわけだ」
アルは洋卓に頬杖をつき、俺の顔を見上げた。
「もうひとつ疑問がある」
「なんでしょうか」
「君は今回の一件、やけに強気だったね。この場に集った面々のなかに必ず犯人がいると確信した上での行動に映った。理由を教えて貰えないか」
そこを尋ねてくるか。アルは状況をよく見ている。さすがだと思った。
「実は……」
俺はゆっくりと言葉を切って、ポケットからある物を取り出した。
「ガーデンパーティの薔薇のなかにこれを見つけたからです」
それはダイヤのイヤリングだった。
「君が持っていたのか?」
「イエス・マイロード。ネヴィル家が出品した薔薇の根元に隠してありました」
ネヴィル家の薔薇には傷がついていた。俺はショックのあまり、その場に跪いてしまったが、その動揺が結果的にはツキを呼び寄せた。
「おそらくはあの傷もエドウィンの仕業でしょう。私の考えでは、彼はご主人様の爵位を汚すことが目的。ダイヤの件といい、全部首尾一貫しております」
「なるほど。得心がいったよ」
事件を振り返って心労が重なっていたのだろう。アルは小さく瞑目した。
「けれどね、玲君」
「なんでしょうか」
「もし君が身体検査されていれば、犯人は君だと断定されただろう。そもそも身体検査を要求すること自体、執事としてはぎりぎりの越権行為だ。なぜそこまでリスクをとる? 献身は嬉しいけど、もっと自分の身を大事にしたほうがいい」
「いいえ。そこは見解の相違かと」
谷底に落ちるリスクを犯さなければ、崖の向こう側にある成果は得られない。そのための対価が自分の身の危険だけであれば、確率のいい賭けだ。
「私はこの屋敷の執事です。その職務を全うするためには自分の利益を捨てる覚悟です」
俺は本心を語ったつもりだったが、
「やれやれ。玲君の手綱を捌くのは大変だ。弱気だったり強気だったり。せめてどっちかにしてほしい。主人としてきょうの一件は大いに肝を冷やしたよ」
使用人に注意をする態度だが、その奥にアルの思いやりが感じられた。
だから俺は、過剰と受けとられぬ程度にお辞儀をした。
「勿体ないお言葉です」
「すっかり執事になじんでしまった感じだね。君といい、あのエドウィンといい、執事が本気を出したら目的のために我が身を捨てるのか」
「彼は執事の鑑のような男でした。言い訳ひとつせず、見上げたものかと」
「ぼくはそうは思わない。おそらく彼は警察の尋問にも応じないだろう。君が同じ立場にいたとしても、きっとそうするだろう。でもそれは間違いなんだ」
執事という立場に染まった俺。
合理主義者のアル。
ふたりの間には目に見えない溝があるように感じられた。
「とはいえご主人様。私はあなたが望まれるのであれば、ほんのわずかですが自分の身を大事にするようにいたします。ほんのわずかですが」
「ぜひそうしてほしい。ああいう無茶は今後慎むように」
「御意」
アルの忠告を受け容れるようなことをいったが、俺には自分というものがあった。
その個人としての自分は、今回の一件をベストに導けた自信がある。紫音やカーソンの濡れ衣を晴らし、ネヴィル家の名誉を守ることのほうが、俺の命より大事だ。
「それではご主人様。このダイヤはエミリー様に贈ってくださいませ」
俺は自分が持ったままになっていたダイヤのイヤリングをアルに手渡した。
「このあたりで失礼させて頂いてもよろしいでしょうか」
「うん。ぼくの忠告を理解してくれたならいまは十分だ。行きたまえ」
「身に余るご配慮、感謝いたします」
俺は最後にもう一度お辞儀をし、書斎をあとにした。
◆
大広間に戻ると、貴族たちにお茶を給仕するところだったカーソンと鉢合う。
「よかったな、レイ。殺されずにすんで」
彼らしい軽口で俺に呼びかける。
「どうでしょう。ダドリー卿がそこまで本気だったようには思えませんでしたが」
「そうやって甘く見るな。連中ならやりかねんぞ。アルバート様にも叱られただろう? 俺も同意見だ。命は大事にしろ。たった一つの命なんだから」
俺はカーソンと口論する気はなかったので「承知しました」とだけ返しておく。
ところで気になったことがある。貴族たちが応接間に引っ込んだのと引き替えに、大広間には使用人たちが集っている。貴族の相手をしなくていいのだろうか。
俺がその疑問をカーソンに問いただすと、
「おまえは知らなかったか。ご主人様の誕生日の日は、使用人は開放されるんだよ。普段なら決して許されないが、大広間でダンスを踊っていいことになっている」
「本当ですか?」
「嘘言ってどうする。オレもあとで合流するから思うさま踊れ」
疑問符を浮かべた俺だが、カーソンはその背中を叩き、こんなことをいった。
「ほれ、シオンちゃんが暇してるぞ。彼女を助けた英雄様。一緒に踊ってやれ」
そういってカーソンは応接間に消えた。
俺はぽかんと立ち尽くして、ぎこちなく踊り始めた使用人グループに目をやった。
デシャンやダグラス、バークマンのベテラン勢は早くもダンスを楽しんでいた。
その視線の先、壁際に紫音は背を預けていた。待ちぼうけをくらった女の子みたいに。
俺は紫音のほうに歩き始めた。
歩きながら、こんなことを考えていた。
(ひょっとすると、彼女を攻略するチャンスじゃないのか……?)
これまでも二度、月と雪嗣のとき、窮地を救われたふたりは記憶を取り戻した。
世界のルールが同じなら、紫音にも同じことが起きている。そんな気がした。
断られたらどうしよう、なんて弱気なことも考えたけど、歩みは止まらない。
気づくと俺は、紫音の前に立っていた。
「お、おう……玲じゃねぇか」
紫音は口ごもった。見れば、顔を赤くして俯いている。
「踊らないか?」
俺はストレートに勝負に出た。断られてもいいという覚悟で。
「し、仕方ねぇな。踊ってやるよ」
するとおもむろに見上げてきて、視線は俺の目を覗き込む。こんな彼女の顔、見たことがない。
「ちゃんとエスコートしてくれよ」
「ああ……わかった」
ぎこちない会話のあと、俺たちは手をつなぐ。
俺はダンスなんてやったことがないけど、蓄音機を通じて流れてくる音楽に身を任せ、小さくステップを踏んだ。紫音もその動きについてくる。
メイド服の彼女とお仕着せをまとった俺。その組み合わせはさぞ奇妙だろう。
「さ、さっきはさ……ありがとうな」
重い口を開き、紫音は礼をいってきた。
「べつに。当たり前のことをしただけだよ」
珍しく気弱になった紫音に戸惑いながら、俺は型通りの答えを返した。
しかしそれだけでは、彼女の心は開かれないと思った。
自分から告白してこないあたり、紫音は月や雪嗣と違う。だとすれば、ここは思い切って攻めなくてはならないだろう。俺はダンスのステップを速くした。
「わ、わっ! 急に動くな!」
俺の動きについてこれなかったのか、紫音がたたらを踏んだ。
そんな彼女を俺はぐいと引き寄せる。
顔と顔が接近する。まるでキスをするような距離。
「紫音。おまえさ……」
「なんだよ」
「以前、月から聞いたんだ。おまえがこの世界に来て、記憶をなくしてるって。でもその記憶、今は戻っているんじゃないか?」
ルールが共通なら、彼女は記憶を失い、自分の一部が欠落している。
その欠落はあった。やたらハイテンションになった彼女。
しかし今この瞬間、そんな彼女も消えている。
俺とダンスを踊っているのは、緊張に震えたひとりの女の子だ。
「記憶か……おまえ、そんなことが知りたいのか」
「ああ」
ようやくダンスがかみ合うが、紫音はふたたび俯いてしまう。
そんな姿勢のまま、彼女はぽつりと口を開き始めた。
「……私さ、母さんのこと忘れてたんだ。なんでか叔母さんに育てられてた、とばっかり思っていた。自分でも不思議だけど、そのことに疑いさえなかった」
紫音は俯いたままだ。
俺は鋭いステップを踏み、彼女をターンさせ、その先を急かした。
ふたりはまたしても最接近。紫音は俺を見上げ、小さな声でこう呟いた。
「うちの母さんはさ、すげぇ教育熱心だったんだ。小学生の頃から有名な塾に通わされて、私立の中学に行くのが当たり前だと思ってた。でもさ、私、頭が悪かったから、私立の入試に落っこっちまった。母さんすげぇ悲しんでさ。それから出来の悪い私にツラくあたるようになったんだ。おまえなんか私の娘じゃないとか言われてさ」
そこまで聞いて俺は思った。紫音が不良になったのはそんな母親への反抗だったのではないかと。だからその母親の記憶を失ったことで、元々あった反抗心がなくなり、全てがお気楽なハイテンションキャラになっていた。
「気づけば学校でも浮いてて、同じ浮いた者同士でつるんで不良になっていたよ。なのに高校は進学校に入っちまってさ。つるむ奴もいねぇし、寂しかったよ、ひとりきりで」
俺はダンスのステップを緩め、紫音と体を密着させた。
そうしないとか細くなる一方の声が聞き取りづらかったからだ。
「だからさ、今回の修学旅行楽しかったよ。こんな私でもつるんでくれる仲間がいたって思えて。おまえ、私の写真撮ってくれただろ。めちゃくちゃ恥ずかしかったけど、そんなふうに絡んでくれて嬉しかったよ」
なんと、あの不協和音な修学旅行を紫音は楽しんでいたとは……!
俺の人を見る目は完全に節穴だったようだ。
「その上、急にこの屋敷で働くことになっただろ。元々料理は好きだったんだ。だからキッチンメイドになれて本当に嬉しかった。修学旅行の仲間と一緒になれて、自分の人生はいいものだと初めて思えたよ。それに玲、おまえってホントいい奴だな」
唐突に褒め言葉がきた。俺はそのボールに対応できない。
黙りこくっていると、紫音は紅潮した顔のままニヒルな笑みを浮かべた。
「命まで懸けるとかいってくれちゃってよ。あんなこと言われたら、もうどうしていいかわかんねぇよ。でもとにかく感激した。私、おまえのことが大好きになった」
それは率直すぎる発言に聞こえた。
俺は反射的に体の密着を解こうとしたが、紫音はぎゅっと力を入れて離さなかった。
「大好きっていっても、勿論友達としてって意味だぜ。か……勘違いするなよ!」
またしても俯いた紫音。俺のほうが背が高いので、頭のカチューシャが目に入る。
「俺もさ……」
意を決して、彼女の告白に応えることにした。
「俺も、この屋敷に来れてよかったよ。おまえとも仲良くなれた。本心からそう思う」
嘘偽りはなかった。
ぼっちだった俺たちがいつの間にか小さな輪になっている。
俺は自分勝手だから、孤独を愛しているし、仲間たちと戯れ合う気はない。使用人となったみんなに絡むのも、元の世界に戻るための鍵探しが目的だ。関係を深めること自体になんら意味はない。一方ではそう思っている。
でも他方では、出来事の積み重ねが関係を変えている。
月、雪嗣、紫音。みんな絶対に見せなかった自分を俺に見せてくれた。
それらをあっさり切り捨てるほど、俺は情の薄い人間ではなかったのかもしれない。
「紫音。俺もおまえのことが大好きだぜ。勿論、友達としてな」
我ながら軽薄だと思ったが、他に言葉がなかった。
「ありがとな、玲」
紫音はようやく顔を上げ、乙女のような微笑を浮かべた。
「あとそうだ……おまえさ、捜査が空振ったら自分の命を懸けるとかいったの、本気っぽかったからいうけど、ああいうの止めたほうがいいぜ。こっちの心臓にも悪いわ」
アルと同じ忠告を紫音からも受けた。よほど評判が悪かったと見える。
もっとも俺はこの件で紫音と話し合う気はない。命には平等に価値はない。本来それは俺の心のなかにしまっておくべきことで、軽々に漏らすべき言葉ではない。
なぜならその言葉は、自分だけでなく、相手の命も否定してしまうからだ。
俺は誰かの命を否定できるほど偉くない。ただ自分の思想を信じているだけで。
だからいった。紫音をこれ以上困らせないように。
「さっきはやり過ぎた。精々命は大事にするよ」
俺は嘘をいっている。
けれどもその嘘は俺の心を刺した。ぼっちな俺を揺るがす小さな棘となって。




