身体検査
俺が使用人の身体検査を要求したのには訳がある。
犯人は盗んだダイヤを自分の部屋には置かないはず、そう思ったからだ。
ダイヤのイヤリングはきわめて小さい。安全をはかるなら、犯人が自分で持っているのが一番である。
いま頃、犯人は、突然の強制捜査に肝を冷やしているだろう。部屋の捜査はありえても、使用人という存在は貴族の所有物であり、身体検査は貴族の名誉にも及ぶものだ。
まさかそこまでやるとは思っていなかったに違いない。
俺はそんなことを考えながら、ネヴィル家以外の使用人を大広間の隅に一列に並ばせる。反対側ではヴィンセントがネヴィル家の使用人を並ばせている。
「それでは始めさせて頂きます」
俺のひと言を合図に身体検査が開始された。
まっさきに調べるのは使用人のポケットだ。上着で三箇所、ズボンで二箇所。そして靴のなか。この世界のシャツはポケットがないため調べない。全部で六箇所。くわえて切羽詰まった犯人がダイヤを投棄する恐れがあったため、アルに監視させる。我ながら物々しい事態になったものだ。探偵を気取るつもりはなかったが、これでは探偵というより警察の捜査である。
「問題ありませんでした。次の方、よろしくお願いします」
使用人は招いた家の数だけおり、全員で二十名以上いる。
俺はこの捜査が最適だと思い、ダドリー卿は許可したが、賓客の執事を調べるのはいいけれど、犯人が見つからなかったら俺の立場はない。
命まで懸けてしまったのだ。緊張はあとになって襲ってきた。
本当にこのなかに犯人はいるのだろうか。
いたとしてもすでにダイヤを投棄している場合、つまりダイヤを盗んだ目的が金目当てではない場合、特定できない可能性は一層高まる。
やがて半数の検査を終えた頃、ネヴィル家の検査が終わったようだった。
「ネヴィル家の使用人のなかに犯人はおりませんでした」
ヴィンセントがアルとダドリー卿の側に近づき、恭しく平身する。
最悪の結果にはならず、アルはほっとしたようだ。それは俺も同じだった。万が一にも濡れ衣を着せられた場合のことは考えてあった。それは俺の死を意味した。
(あとは他の屋敷の使用人に犯人がいるかどうかだ……)
俺の検査は続く。その背後にダドリー卿が歩み寄り、
「ネヴィル卿の執事。貴様、命を懸けるといったな。犯人が見つからなかった場合、どうやって殺してくれよう」
その口調から薄笑いを感じる。
俺にプレッシャーをかけているのだろう。態度にこそ出さなかったが、俺の緊張は頂点に達していた。使用人の体をチェックする手にも震えが出そうになる。
こんなとき、俺が思い出すのは剣道のことだ。俺は気が小さい。だから精神統一がより重要になる。腹から息を吐き、鼻から息を吸い込む。静かな深呼吸だ。
そのあいだにも、検査待ちの使用人の数は減っていく。まだ証拠は見つからない。使用人たちのあいだに動揺は見られない。みな「俺は悪くない」という不愉快そうな顔をしている。ひょっとして俺はババを引いてしまったのだろうか。
またしても深呼吸をする。そうして邪念を追い払う。身体検査で犯人がわからない場合、部屋を調べることは考えられた。しかしダドリー卿がそれを許すとは思えない。
邪念は中々しぶとかった。俺は一人、また一人と検査を終えていくたび、自分の精神が削られていくのを感じる。それは弱気となって表れる。
「…………」
一旦、検査の手を休め、息をつく。俺は自分の顔は見られないが、きっと動揺に染まった惨めな執事の姿を晒していることだろう。気づけば、大広間の人びとの視線は俺の顔に集中している。ネヴィル家の連中のように固唾をのんでいる奴もいれば、ダドリー卿のように事態の展開を愉しそうに見ている連中もいる。その顔は俺には馴染みのあるものだった。いじめに遭っている俺を笑うクラスメートの連中。俺が命を懸けたことを無謀なふるまいと感じ取ったのか。俺はまるで深い谷底に落ちる寸前、岩場に必死にしがみつく間抜けな奴に見えているのだろう。それを憐れむ奴はネヴィル家の連中以外、誰もいない。
しかし俺は自分の確信を思い出す。それだけがいまは命綱だった。
そして残すところあと一人となったとき、
「それじゃ、ボクの検査もして貰おうかな」
順番に並ぶ列を乱し、ヴィンセントが割り込んできた。
そう。こいつも嫌疑の対象者だった。
「わかりました。両手を挙げてください」
ヴィンセントが無防備になったのを確認したあと、俺は上着に手を滑らせる。ダイヤを隠し持っていれば、膨らみがあるのですぐに判定がつく。とはいえ、自分から検査を申し出た奴が犯人であるわけがなかった。ズボンまで調べ終えた俺は、
「問題ありません。あなたは無実です」
そう宣言するよりほかなかった。ヴィンセントはそれを聞き、嬉しそうな顔で、
「あと一人だね。彼に何もなかったら、君のことはボクが殺してあげる」
耳許で小声を発した。挑発したつもりか。
これが本当の崖っぷちというのだろう。残された検査対象はあと一人。それは紛れもない事実だった。そいつが無実なら、俺はこの場で殺される。
元の世界の常識では、そんな野蛮なことは許されない。だがこの世界は、元の世界とは別のルールで動いている。使用人の命など貴族に比べれば軽い。彼らが本気を出し、この場の全員が口裏を合わせれば、ひと一人殺すことなど造作もないのだ。
俺は一方で、自分の考えが甘かったと思った。彼らの本気を見誤ったという点で。
けれど他方で、命の軽さを受け止めていた。命に価値はない。それは平等に。
「最後のあなた、こちらへどうぞ」
前に進み出たのは、ダドリー卿の執事、エドウィンである。
そのとき俺は冷静に返っていた。それは自分の信念がまさったことを意味していた。
「…………」
震えそうになる手を意志の力で押さえつけながら、俺は検査の手を走らせる。
上着のポケットには何も入っていない。
次はズボンだ。そう思ったとき、俺に小さな感触が伝わってきた。
それは上着の胸ポケットからだ。
「すみませんが、上着を脱いで貰えませんか」
上着のポケットには何もない。ただ感触だけがある。
そいつを脱がせると、彼はポケット付きのシャツを着ていた。
ポケットには布きれが押し込まれている。最初はハンカチかと思ったが、それは緋色の布だった。紫音がダイヤを包んだといっていた布――。
「これはなんですか?」
「ハンカチです」
「どうでしょう。うちの使用人に聞いてみます」
そういって俺は、遠くにいた紫音に手招きした。慌てて駆け寄ってくる紫音。
「これはおまえがダイヤを包んだ布か?」
「…………」
自分のひと言が事態を左右する。その緊張感が紫音から伝わってくる。
しばらく無言だった彼女だが、
「はい。これで間違いありません」
「なぜそんなことがわかる!」
自分の執事に嫌疑がかかって、叫び声をあげたのはダドリー卿だった。
「ただの布だろうが? そのメイドが言ったのはでまかせだ!」
「いいえ、ダドリー卿。それは誤りです」
俺は証拠をつかんで、急に勇気がわいてきた。
「ご覧ください。この布には我がネヴィル家の紋章が刺繍されています」
「本当か?」
「その目でお確かめください」
卿は俺から布をふんだくって、その紋章をまじまじと見つめる。
怒りと焦りに染まっていた顔は、次第に痛恨の表情に変わっていく。
「エドウィン! なぜこんな真似をした!」
視線を向けた先は自分の執事。恫喝を浴びせるが、その声は裏返っていた。
「……出来心でございます。密かに換金しようと思っておりました」
犯人として挙げられたのに、エドウィンは妙に落ち着き払っていた。まるで自分がそうなることが最初からわかっていたように。
「これで貴族の皆様がたを調べる必要がなくなりました。そのことを喜ばしく思います」
俺はやることをやったといわんばかりの口調で、ダドリー卿をはじめとする、この場に集った貴族たちに宣言する。
問題は犯行を認めたエドウィンの処遇と、盗まれたダイヤの在処だろう。
最初に俺が尋ねたのは後者だった。
「エドウィンさん、ダイヤはどこにやりました?」
「庭に投棄した。場所は自分たちで捜してくれ」
依然として落ち着き払ったエドウィン。俺はこれを後回しにして、ダドリー卿に尋ねた。
「彼の処遇はいかがいたしましょう」
「そんなもの、決まっている。クビだ。この場でクビにしてやる」
「いえ、そういうことではなく、警察に引き渡してもよろしいかということです」
「ちょっと待て。そうなると犯罪者を雇った私の立場がなくなる」
ダドリー卿は初めて弱気な顔を見せた。
そこに横から口を挟んできたのはヴィンセントだった。
「私に知り合いの刑事がいます。彼に来てもらいましょう」
「待て待て。この件は内密に処理すべきだ。ネヴィル卿、あなたもそう思うだろう?」
ダドリー卿がアルを振り返った。
「…………」
さすがのアルも対処に困ったのか、しばし沈黙を浮かべている。
その沈黙を破ったのは、罪をおかした張本人、エドウィンであった。
「警察に引き渡してください。罪はそこで償います。ヴィンセントさん」
「なんですか?」
「あなたの知り合いの刑事に連絡してください」
「ええ、わかりました。ではネヴィル卿。電話をおかりします」
「どうぞ遠慮なく使ってください。ところでエドウィン」
「なんでしょう、ネヴィル卿」
「本当にこれでいいんだね?」
「私は罪をおかしました。それにふさわしい処遇を全面的に受け容れます」
みずからの犯行が露見したというのに、この場で一番冷静なのはエドウィンだと俺の目には映った。そして事態の流れを掴み損ねたダドリー卿は大きく肩で息をつき、
「ネヴィル卿、このツケはいつか払って頂きますぞ」
そういったきり黙りこくってしまった。反論する気さえ失せたという表情である。
かたや俺はといえば、ようやく心の安定を取り戻し、
「ともあれ、皆様がた」
事態の行方に固唾をのんでいたお歴々に俺は捜査責任者として呼びかける。
「これで我がネヴィル家の嫌疑は晴れたかと存じます。家令のカーソン、メイドの紫音。両名は無実でした。そのことを皆様がたにご承認頂けないでしょうか」
どこからか、パチパチという拍手の音がした。
その音は大広間を津波のように広がり、薄ら寒い静寂を外に追いやった。
「ご主人様、ダドリー卿。警察が来るまでのあいだ、エドウィンは別室に監視つきで閉じ込めておくべきかと」
エドウィンには悪いが、俺にはそれが最善に思えた。
アルは小さく頷き、ダドリー卿はこう吐き捨てた。
「もう我が家の人間ではない。好きにやりたまえ」
この世界には監督者責任という概念は存在しないのだろうか? 都合が悪くなれば切り捨てる。ダドリー卿の器の小ささを思い知ると同時に、見捨てられたエドウィンが俺には憐れに感じられた。




