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絶対遵守の転移執事  作者: 天ぷら開成髭サウナおじさん(夏音)
第五章 誕生日パーティと家宝のダイヤモンド
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命は無価値

「なあ、ヴィンセントさん。あんた本当にやるのか」


 俺は小声で話しかける。敬語は崩れ、ぶっきらぼうな発言となる。


「本当にとは?」

「指紋採取なんてできるのかってこと。というか、あんたの狙いはなんだ?」

「狙いなんてないですよ。ボクはこの場を収めたいだけ」


 くすくすと笑い、ヴィンセントも俺を見返してきた。


「それにボクはちょっぴり目立ちたがりやなものでね」

「わかった。お手並み拝見といこうか」


 俺は彼に当座の捜査を任せ、その手腕を見物させて貰うことにした。


 前にもいったが、指紋採取は簡単にできる。

 小麦粉と耳かき、セロハンテープと黒い紙。これだけあれば十分だ。

 問題はこの世界にはまだセロハンテープが実用化されていないこと。俺は月がカバンに入れていたおかげで対処できたが、ヴィンセントは一体どうするつもりなのだろう。


 彼の到着を待つあいだ、賓客は晩餐を前にお預けをくらっている。

 顔色を眺めると、焦れているのが明白だった。とりわけ主賓の一人であるダドリー卿は、貧乏ゆすりを始めながらアルに文句をいった。


「手短にといっただろう。一体いつまで待たせるんだ」

「申し訳ありません」

「謝ればいいってもんじゃないぞ」


 ついに席を立ち上がり、怒りをあらわにされた。


「そこのメイドと家令がダイヤを準備したのだろう。だったらそのふたりが犯人だと理解するのが妥当ではないか。ネヴィル卿、悠長にもほどがあるぞ」

「うちのカーソンはそんなことをする人間ではありません」

「だとすれば、そこのメイドだ。おおかた出来心で盗ってしまったのだろう。躾のなっていない使用人がやりそうなことだ」


 一方的に紫音を犯人と決めつけ、偉そうに彼女を指差した。


「しかし、厳正な捜査は必要です」


 さすがはアルだ、と俺は思った。ダドリー卿の押しに負けず、見事に押し返していた。こういうフェアなところは彼らしい。主人にしてよかったと思う瞬間だ。


 やがてヴィンセントが自室から戻ってきた。彼はすれ違った雪嗣に小さなサイドテーブルを要求し、雪嗣が差し出した小さい机を持ちながら、アルがいるところまで歩いてきた。


「それでは始めさせて頂きます」


 アルに一礼し、薄笑いを浮かべる。犯罪捜査のプレッシャーは感じさせない。軽薄そうに見えながら、度胸はかなりあるようだ。


 そんなヴィンセントを見やっていると、彼は手袋を装着し、金属の箱に粉を付着させる。耳かきの羽部分を使って念入りに行う。そして浮き上がった指紋を探し、そこにセロハンテープを張りつけ、黒い紙へと写し取った。ここまでは俺が自分の無実を晴らしたときと同じやり方だ。


 このなかで金属の箱に触れたことがわかっているのはヴィンセントだけ。彼以外の指紋が出れば、それが真犯人のものとなる。

 他方で俺は。彼がごく自然にセロハンテープを使っていることに驚いたが、驚きを声に出すことはなかった。


 その隙にヴィンセントは写し取った黒い紙をアルへ差し出し、

「……ネヴィル様。発見された指紋はこれだけでございます。横に私の指紋もつけました。両者が一致するかどうか、ご判定をお願いいたします」

 低い姿勢で跪き、黒い紙をアルに手渡した。

 その紙を手に、慎重に目を凝らしたアルだが、

「同じ指紋だ。というか、ヴィンセント。他に指紋はなかったのか。紫音の証言によれば木箱にしまったときカーソンが触れたはずだが」

「これだけでございます。何となればお確かめになられますか?」

「うん。そうさせてくれ」


 ヴィンセントから渡された手袋をはめ、アルが金属の箱を念入りに調べる。その視線には強い緊張が見て取れた。使用人に疑いがかかっているのだから当然だろう。

「……ない。君の指紋だけだ」

 やがてアルは小さく息をはきながら、金属の箱をテーブルの上に置いた。


「つまりどういうことなんだ」

 横から口を挟んだのはダドリー卿である。

「おそらく……」

「犯人が指紋を拭ったのでしょう。よくある手です」

 アルの発言を引き取り、両手を広げながらヴィンセントが言い放った。


「どういうことなんだ」


 またしてもダドリー卿が発言する。その顔には混乱が浮かんでいる。


 犯人が自分の指紋を拭った以上、指紋から辿るルートは断たれたも同然だ。つまり捜査はふりだしに戻ってしまったということ。

「これでカーソン殿とメイドの嫌疑が晴れたわけではありません。指紋を拭い取り、証拠を隠滅した可能性は否定できないのですから」

 ヴィンセントはそう宣言し、自分の役目は終えたとばかりに賓客へ頭を下げた。


 捜査自体はフェアに行われ、答えはまだ出ていない。

 その事実を俺のような現代人は「捜査継続中」と受け取る。別の捜査手法を用いて、さらに調べを続行するのが嫌疑がかかった人間への配慮だからだ。

 しかしこの世界は転移した異世界。そのことを認識するまで時間はかからなかった。


「もういいじゃないですの?」


 静寂を破るように発言したのはエミリー様であった。


「ヴィンセントが捜査して、結論はでなかった。でも、ダイヤがなくなったことの責任は、それを準備した者にあるのは自明でしょう。ネヴィル卿、あなたの使用人に落ち度があった、ゆえにそれにふさわしい罰を下す……ということで幕を引くべきではないかしら」


 そう。この世界の人間は階級意識で生きている。

 粗相がないのは使用人として当然。たとえ盗みがあったとしても、盗まれた責任は彼らが負わなければならない。だが俺の目には、それは非常識に映った。


「エミリー様、推定無罪という言葉をご存知ですか」

「知らないわ。あなたが勝手にでっちあげたのではなくて?」

「疑わしきは罰せずということです。裁定が嫌疑に留まる以上、罰は無用かと」

「馬鹿は休み休みいってくださる? 嫌疑をかけられたこと自体が罪なの」


 俺は元の世界の常識で対抗したが、理不尽であってもこの世界の理屈は強い。何か失態があれば、その責任を担った使用人の罪。本人が犯人であるかどうかは関係ないのだ。


「さしあたってそのメイドはクビね。我が家のルールに従えばそうなるわ」


 エミリー様は紫音のほうを一瞥し、冷たくそう言い切った。

 自分の理屈が通じないことを理解した俺は、

「承知いたしました」

 恭しく頭を下げ、彼女の主張を受け容れる。

「納得したようね。いいわ、あとはネヴィル卿がどうご判断されるか次第」

「…………」

 アルは沈黙している。彼だって元の世界の住人だ。理不尽な考えを押しつけられて言葉を失っているようだ。


 こんなとき、俺にできることは何か。

 カーソンの部下として。紫音の友人として。何よりネヴィル家の執事として。

 答えはすぐに見つかった。それは俺の胸の中にあった。


「ネヴィル卿、いい加減にしてくれ」

 イライラがピークに達したのか、ダドリー卿が不機嫌そうに声をあげた。


「お待ちください。ダドリー卿、エミリー様」


 俺は自分が抱いた確信のもとに、捜査の切り上げを求めるふたりを見回した。


「捜査はまだ不十分です。もう一度、この私めにチャンスを与えてくださいませ」

 犯人は絶対このなかにいる。俺は必ず捜し出す。

 会話の流れを強引に自分の側に引き寄せ、俺は紫音を見やった。


「紫音、おまえが包んだ布は何色だ?」

「……シルクでできた緋色の布だったよ」

「このなかでその布を見かけたかたは?」


 俺は賓客に呼びかける。返ってきたのは無言の答え。


「誰もご存知ないということですね。わかりました」

「どうする気なんだ?」


 心配そうに近寄ってきたのはアルだ。俺が勝手に進めるから面食らったのだろう。


「これからちょっとした捜査をさせて頂きます。貴族の皆様がたに嫌疑をかけるわけにはいきませんから、まずは使用人から」


 俺は大きな声を張り上げて、大広間全体に呼びかける。


「ネヴィル家の使用人はヴィンセントさんが。それ以外の使用人は私と雪嗣がチェックさせて頂きます。身の潔白をご主張なされるなら、どうか素直に応じてくださいませ」


 ――強制捜査。


 俺は元の世界のやり方を放棄し、この世界の流儀で対応することに決めたのだ。

 斯くしていち執事の発言に、貴族たちが不満の声をあげ始めた。

 自分の使用人を疑われるのだから、名誉に傷がつくとでも思ったのだろう。


「横暴ですわ!」

 不満を爆発させたのはエミリー様だった。

 しかし俺は怯まなかった。

「ネヴィル家の使用人に落ち度があるというなら、ダイヤを盗んだ可能性のある方を調べなければ釣り合いがとれないでしょう。さきほどエミリー様が仰られたとおりです。推定無罪を否定なさるなら、嫌疑をかけられる方を全員捜査の対象とさせて頂きます」

「それは我々貴族もかね?」

 ダドリー卿がじろりと俺を睨み上げる。

「ええ。数万ポンドの宝物が消えたのです。不本意ですがこれは非常事態かと」

 多少乱暴かもしれないが、筋は通した。それは卿も十分にわかっていたのだろう。


「ならやってみたまえ。ただし何もなかったときは、わかっているだろうな」

「わかっているとは?」

「そこまで言うからには何を懸けるのかということだ」

「ネヴィル家の執事の座をかけます」

「馬鹿をいうな。それではまったく足りん」

「では、私の命を懸けましょう」


 おお、とどよめきがわいた。だが俺には、悟りきったことのように思えた。

 命は無価値である。そんなものと貴族たちの名誉が釣り合うとは思えなかったから。

 無価値な命程度で連中の譲歩を引き出せるなら安いものだ。それに俺にはこのまま犬死にしないという読みがあった。


「玲君、やりすぎだよ」

 大広間が騒然とするなか、アルが慌てて耳打ちをしてきた。

「大丈夫ですよ」

「強がりならやめてくれ」

「無茶をいったつもりはありません、勝算はあります」


 アルは納得しないだろうが、紫音やカーソンに降りかかった嫌疑を晴らすには他にやり方がない。それに俺には確信があるのだ。絶対このなかに犯人がいると。


「わかった。君を信じよう」

 梃でも動かない構えの俺に、アルも心を決めたようだ。

「それではヴィンセントさん、よろしくお願いします」

 彼にはネヴィル家の使用人を調べて貰わなくてはならない。


「勿論、やらせて頂きましょうか」


 気乗りしないと思いきや、ヴィンセントは愉しそうに唇の端をつり上げた。

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