園遊会準備
誕生日を祝われなくなってからどれくらい経っただろう。
小学生のあいだは毎年のように祝われ、祝福の言葉とともに近所の洋菓子店に注文したメッセージプレートつきのホールケーキを食べ、プレゼントを貰った記憶がある。
節目は中学に上がった頃だ。
母親が「もうお兄さんだし、プレゼントはいいよね」とか何とかいって淡々とケーキを食うだけのイベントと化した気がする。
そのぶん小遣いが多くなったし、子供扱いされなくなったことは素直に喜ばしかったが、一方、人間わがままなもので、三つ年下の妹が毎年派手に祝われているのを見ると、自分が不当な扱いをされているのではないかと嫉妬めいた気持ちに襲われたりした。
そして高校に上がった頃にはケーキすらなくなった。代わりに特製のオムライスが食卓に供されたりして、表向きバランスは保たれてはいたが、俺は毎年着々と縮小するおのれの誕生日イベントにいわくいいたがいもの悲しさを感じていた。たとえそれが大人扱いを意味し、自立へ向けた第一歩だったとしても、だ。
同じようなことはお年玉にもいえる。俺はひねくれているから、正月の臨時収入を得るたびごとに、いつか自分がお年玉を配る側に回ることをひそかに恐れていた。子供は貰う側、大人は配る側。そんな大人になんかなりたくない。誕生日も同じだ。けれど時は残酷にも過ぎゆく。どんなに抵抗したっていずれは「される」側から「する」側に回るのだと俺は認識していた。その日は一歩ずつ着実に近づいている気がしていた。
ところが俺は異世界のイギリスに転移し、その歩みを一足飛びに経験するはめになった。
春の訪れを迎えた四月。
グリムハイド・アビーの住人のなかで、誕生日を迎える方がおられた。
それは主人であるアルと、令嬢のベアト様。ふたりは腹違いではあるが、偶然にも同じ日にお生まれになったというのだ。
この世界では使用人の誕生日を祝う風習はないけど、貴族のそれは豪勢に祝されるらしい。そこでは使用人は「祝う」側に位置する。俺はまだ十七歳の身の上で、かつて恐れた立場へと強制的に回ることになったわけだ。
そんな益体もないことを考えていた俺に、声をかけたのはカーソンだ。
「執事になってからの初イベントだな。ガーデンパーティの準備はおまえに任せたから。頑張れよ、レイ」
肩をぽんぽんと叩き、カーソンは屋敷に消えていった。
緊張しているのがバレたのか。
俺は「ありがとうございます」とその背中に言い、作業に戻った。
我が屋敷の貴族ふたりが誕生日を迎えるまであと二日となったきょう、俺は当日に行われる園遊会の準備に取りかかっていた。
ガーデンパーティとは貴族が出品した観賞用の花で庭を覆い尽くし、そこで貴族たちがご交流なさるというイベントである。
アルは根っからの合理主義者だ。誕生日を自分を祝うだけのものとせず、誕生日の名目で集めた貴族たちに娯楽を提供しようと考えたのだ。
カーソンに聞いたところ、ガーデンパーティとは貴族の、特に淑女の方々が好まれるイベントで、各屋敷の庭師の腕が試される競争の場でもあるという。
二十一世紀の世界に存在する豊富な娯楽と無縁なこの世界では、花をめでながらおしゃべりに興じ、その花を競わせるだけでも立派なエンターテインメントになりうるのだろう。このあたりの感覚は、正直未来を知る俺には理解しがたい部分がある。
しかしこのガーデンパーティには、ネヴィル家挙げてのイベントという側面があるため、無関係を決め込むわけにはいかない。新米執事としては、見事成功に導かない限り、先行きが思いやられるというものだ。
執事に就任後の初イベント。カーソンのいったとおりだ。これをうまく取り取り仕切れば、貴族たちの評判もよくなる。逆になれば、当然悪評が立つ。
俺は考え込むと精神的に落ち込む悪い癖がある。だから余計な懊悩を外に追いやるため、作業に没頭することにした。各貴族の屋敷から送られてくる花卉を、グリムハイド・アビーの広大な庭に適切に配置していく作業だ。俺は専門家ではないから、花卉、すなわち観賞用草花のスペシャリストであるバークマンの手を借りる。
ただし全体の構想は俺の仕事だ。たくさんの花卉をどのように配置し、どのような演出効果をもたせるか。準備に入る直前、一週間ほど夜な夜な考えて構想を練りあげた。
「配置はこのペーパーに従ってお願いします」
俺は手描きのイメージ図を渡し、バークマンに指示を出す。
乙女心など解さない俺だが、妹の気持ちになってみようと考えた結果、全体をハート型に配置することに決めていた。地面に立っているだけでは決して気づかないが、そういうメタイメージを受け取ったとき、人は驚きを感じると思う。
驚きというインパクトこそが娯楽の醍醐味だ。そう信じる俺は、この世界の住人としてではなく、あくまで二十一世紀の人間としてガーデンパーティの全体構想を示した。
無論、示すだけでなく、バークマンと一緒に配置を行い、新しい花卉が届くたびに受け取りに向かう。
その際、花卉の送り元がどなたかを知ることは重要だ。
貴族はクラス政治が色あせて見えるほどの階級社会を生きている。男爵家令嬢の花を目立つところに配置し、侯爵家夫人の花を目立たぬところに置いたのでは、序列を乱す愚かな行為となってしまう。家の上下を頭に入れ、その秩序が崩れぬように、むしろ際だつように気を配らねばならない。これはバークマンにはできない仕事だ。俺は事前にカーソンのレクチャーを受け、その教えはイメージ図にいきている。
具体的にいうと今度のガーデンパーティにはふたつの柱がある。ひとつはホストである我がグリムハイド伯爵家の出品した花卉。これにはパーティを盛り上げる役目がある。
そしてもうひとつが、賓客のなかでも最上位な、ランチェスター公爵家クラリック卿のご令嬢が出品された花卉である。
このふたつのメインを俺は各々、ハートの膨らみの頂点に配置した。対立を作ってしまうが、どの花卉がメインかを知るためにはうってつけである。そして俺の推測では、このふたつの家が出す花卉こそがおそらく最も見栄えがするものであるはずで、賓客の皆さまがたにはそれを存分に観賞して頂ければと思ったのである。
とはいえ他にも細かい序列が存在するため、俺はいちいちカーソンの助言を得て作った配置図を見ながら、バークマンに指示を出し、庭を花々で飾り付けていく。
幸い天気が非常によかった。これで暴風雨が来ようものなら、一時的に大量の花卉を屋敷に格納しなければならなかったが、その心配もなさそうだ。
「レイさん、少し休憩にしようか」
届いたぶんの花卉の配置を終え、バークマンが声をかけてきた。
ちなみに「さん」付けになっているのは、執事になった俺への配慮と思われる。
初老のバークマンに敬称で呼ばれるのは違和感しかないが、屋敷のヒエラルキーを重んじる人なのだろう。こそばゆい気持ちをぐっと抑え、俺はその呼称を何とか受け容れる。
「昼食どきですし、使用人室に戻りましょう」
屋敷に戻ると、そこもまた修羅場であった。
ハウスメイドの月は、大勢の賓客が泊まれるよう、普段は使わない客間を全部掃除し、洗い立てのシーツでベッドメイキングをしている。
忙しさでいえば、紫音も負けていない。
デシャンがアルと相談して決めたメニューを大量に準備すべく、昼休みの時間であるにもかかわらず、材料の仕込みから手が離せないようだった。
雪嗣は銀食器磨きをしている。これまた普段使う以上の量をこなし、賓客が外で食事をとれるよう配膳皿を大量に磨き、ランチボックスの用意もしている。
まるで嵐のようだ、というのは大袈裟ではあるまい。
自分たちだけ休むのは気が引け、俺とバークマンは肩をすくめ苦笑してしまった。
軽くお茶とパンを口にしたあと、ふたたび作業に戻り、俺は次々と配達されてくる花卉を受け取り、バークマンと配置していった。その作業は実に夕方過ぎまで続いた。
「よう、玲。お疲れ」
全ての作業を終え、使用人室に戻ると、紫音がデシャンとお茶を飲んでいた。キッチン組も一段落ついたのだろう。見れば隅っこに月がいる。いないのはダグラスと雪嗣、カーソンだけか。
彼らもほどなく来るだろうと思い、俺はひと休みさせて貰うことにした。
「お茶いれてやるよ」
紫音がそういい、ポットからティーカップに紅茶を注いできた。
彼女は俺が執事になっても態度を変えない。呼び捨てのまま呼び、特にへつらうこともない。そのほうが気楽なので、俺も咎めることもない。
「そういえば、シンシア様はいつご到着なさるのかな?」
疑問を投げてきたのはバークマンだ。
「あすと伺っています。私は付き人を仰せつかっているので」
答えたのは月である。
「シンシア様か……」
小さく溜息をついたのは俺だ。以前の不毛なやり取りがまざまざと甦ってくる。今度は何もトラブルが起きないといいが。
「ガーデンパーティの主催者は一応シンシア様になっているんだよね」
バークマンが俺に尋ねてくる。俺は首を縦に振り、こう答えた。
「ええ。アルバート様からそう伺っています。一種の名誉職ですが、我が屋敷のレディを代表して。花卉コンテストの一等賞を選ぶのもシンシア様のお役目だと」
特に一等賞を選ぶのは考える以上に重責だが、さすがの俺もそこにまで介入することはできない。完全に管理範囲外だ。
「以前のようなトラブルがないよう、気をつけねばなりませんね」
一応執事として、大局的な意見を述べる。
「そうだな。あんな騒動起こされたらイベントが壊れちまう」
紫音が話を引き取って頷く。
「あの人、まじで自由自在だからな。母親っていうのはみんなあんな感じなのかな」
俺はこの発言を聞き逃さなかった。
紫音は母親のことを忘れている。そのことを再確認しようとした。
「紫音。おまえって叔母さんに育てられたんだっけ」
尻込みしそうな質問だが、この世界の紫音はあけっぴろげだ。避けられることはないだろうという読みのもと、話を振ったのだが、
「ああ、叔母さんの家で育った。孤児院入る前に蒸発しちまったけどさ。根はいい人だったよ。私に似て美人でさ」
「…………」
微妙な発言が盛りだくさんだったため、俺は言葉を濁してしまう。
「玲。なんでそこで会話が止まるかな」
「ん……ちょっとな」
「冷たいじゃねぇか、そうだな紫音は美人だねっていえよー?」
やっぱりそこにツッコんでほしかったのか。執事となって様々な仕事を覚えている最中だが、女性の扱いはいまだに慣れない。簡単に褒めれば下心があるように思えてしまうし、ノーリアクションだとこのように不満を呈される。ほどよい加減がわからない。
(カーソンのやり口を見て学ぶか……)
あさっては大勢のレディが訪れるという。執事という立場上、彼女たちの相手を務める機会も多いと思う。目下のところ、俺の一番の不安はそこにあった。
男性は型どおりの対応をされても不満を持たない傾向にあるが、女性はそれを簡単に見抜き、自分に関心がないんだなと看破される。どうすれば下心のある対応を避けて関心を持つように振る舞えるのか。
お茶を飲みながら、そんなことをつらつら考えていると、使用人室にカーソンが入ってきた。
「レイ、いるか」
「はい」
「ちょっと書斎までこい。アルバート様と話がある」
俺は席を立ち上がり、使用人室を出た。先を行くカーソンの後をついてく。
「失礼します」
コンコンとノックをし、アルの返事を受け、カーソンと俺は書斎に入った。
アルは椅子をこちらに向け、俺たちが入ってくるのを待っていた。
「玲、ガーデンパーティの準備はご苦労様。特に問題はなかったかな」
「お陰さまで順調です、アルバート様」
「よろしい」
俺の報告を受け、アルは微笑を浮かべた。例によって仮面の微笑である。
「ガーデンパーティの準備が順調ならもうわかっていると思うけど、あさってのパーティには高位の御方がお越しになる。そのことは理解しているね?」
「イエス・マイロード」
高位の御方。それは先ほどいったとおり、ランチェスター公爵家、クラリック卿のご令嬢である。
「エミリー・クラリック様のことですよね、存じております」
「うん。君には彼女の相手を務めて貰いたい。勿論、レディの皆さまはレディ同士で楽しまれるわけだけど、何か不都合があるといけない。十分気を配ってほしい」
「承知いたしました」
「あともうひとり、トマス・ダドリー侯爵がお越しになる。彼のお相手はカーソン、君が務めてくれ。ビジネスの話というより、憂鬱な話になりそうだが」
「御意」
カーソンは右手を左胸に置き、恭しくお辞儀をする。
俺はダドリー卿がお越しになる件は知らなかった。ガーデンパーティ用の賓客リストに載っていなかったからだ。おそらくレディがお越しにならないのだろう。
「アルバート様」
俺は卿の人となりを知りたくなり、アルに質問を投げてみた。
「ダドリー卿というのはどういう方なのでしょう。お話ぶりからはビジネスパートナーというわけではないようですが」
「内務大臣だよ。保守党の大物だ」
――政治家。
アルが苦手とする相手だ。以前、ウェルベック卿が自分の派閥にアルを引き込もうとして失敗した件を俺は思い出した。
「高位の賓客は丁重に扱わないといけない。ネヴィル家は、ただでさえ成金の家だと揶揄されている。これ以上悪評が立たないよう、そしてそんなネヴィル家こそが貴族と呼ぶにふさわしいことをぼくは賓客に示したい。カーソン、玲。君たちの働きにかかっているよ」
「心して務めて参ります」
ちょうど俺とカーソンの返事が重なった。
執事になるとはこういうことなのか。俺の中で腑に落ちることがあった。それは生き馬の目を抜くような貴族社会の駆け引きに関わること。それはアルだけでは足りない。屋敷全体が巻き込まれる一種の総力戦なのだ。
「もっともぼくとしても、賓客の心を掴む方法は考えてある。使用人に丸投げというわけにはいかないからね」
「どのような手段でしょう?」
まっさきに反応したのは俺だ。しかしアルはその質問を一旦はぐらかす。
「玲は知らないだろうけど、ぼくとカーソンはパーティを主催するにあたってひとつ重要な情報を掴んだ。カーソン、玲に教えてやるといい」
「御意」
畏まったカーソンが俺のほうを向く。
「実はな、あさっての賓客に当日が誕生日の御方がおられる。誕生日の主役はアルバート様、ベアトリス様だけではないってことだ。連中はそれをわざわざホストであるオレたちに隠していた。知らずにパーティを進行させたら、とんでもない失態となっただろう」
「それはつまり……」
「ネヴィル家の爵位に泥を塗ろうと企んでいる連中が存在するってことだ」
主人の前だが、カーソンは吐き捨てるようにいう。
「ちなみにその御方とは?」
俺は沸き立つ心を抑え、カーソンに尋ねた。
「おまえがお相手をする公爵家令嬢、エミリー・クラリック様だ」
「…………」
言葉が出なかったのは絶句したからだ。
よりにもよって、俺が任された賓客が誕生日を迎えられる方だという。
彼女を喜ばせなければいけないのか。どうすれば祝意を尽くしたことになるのか。そもそも祝意を示すべきなのか。戸惑いは声となり、アルに向かった。
「アルバート様。さきほど賓客のお心を掴む方法を考えてあるとのお話でしたが……」
「うん。そこは玲任せにはできないからね。クラリック家の令嬢には、誕生日祝いとしてとっておきの贈り物を用意してある。数万ポンドはくだらない宝物だ」
「そうですか……少し安心いたしました」
本当のところをいえば、少しどころではなかった。俺は心の中で盛大に息をつく。
「ではふたりとも。話はここまでだ。あすも準備作業をよろしく」
「御意」
カーソンと俺は声を合わせ、アルにお辞儀をする。
空気が張りつめていた書斎を静かに離れるも、俺は依然として酷く動揺していた。
高位の令嬢をたった一人でお相手しなければならない。しかもその令嬢の公爵家はアルの爵位に泥を塗ろうとしているという。
(ガーデンパーティの準備なんて序の口だったな……)
俺はまだわかっていなかった。執事という職がいかなるものであるかを。
時間はあと二日しかない。そんな短期間で成長はできない。
生身でぶつかるしかなさそうだと思いながら、俺は夕食を摂るべく使用人室に戻った。




