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従者vs執事:壱

 その夜、晩餐の給仕を追えた俺と雪嗣はカーソンによって解放された。


「キッチンの後始末はオレがやっとく。おまえらは酒でも飲んでこい。最寄りのパブの地図をやろう」


 胃の痛くなるようなヘインズ卿との晩餐をやりきった褒美のつもりか。無論、休みを貰って断るような奴はいない。すでにベッドメイクは済んでいるので、客人の対応はカーソンに任せれば問題なかった。ここはありがたく休ませていただく。


 というわけで、俺たちはテンプル地区から少し離れた場所に歩いて行き、カーソンお薦めのパブに向かった。

 この時代のロンドンの夜は、東京とは比べものにならないほど暗い。各所に設置されたガス灯がぼんやり灯っている。それ以外は闇だ。闇がこの町を包んでいる。


 カランコロン……


 目的のパブについた俺たちはドアをくぐり、店奥のすいた席に座る。何かといえば人のいない場所を選ぶのはいかにもぼっちらしい行動だった。すみっこの席からは他の席が見えない。完全な独立地帯である。


「それじゃ、乾杯」

「ああ」


 運ばれてきたジョッキを手に、雪嗣と乾杯をする。仲がいいとは言いがたいが、こいつと酒を酌み交わす仲になろうとは。互いにクラスで孤立し合っていた頃を思えば、独特の感慨が湧いてくる。


「結局、きょうの会談はどういう結果になったんだ?」


 雪嗣はキッチンに戻っていたため、会談のオチを知らないらしい。


「投資の件か?」

「ああ」

「ご主人様がやんわりとお断りした。リスクをとった出資以外認めないとさ」

「いかにもアルバート様らしいな」


 仏頂面のまま、雪嗣が小さく頷く。相変わらずリアクションは薄い。


「ヘインズ卿は確か伯爵だろう。以前屋敷にきたウェルベック卿より格上の方だ。そんな方の申し出を断るなんて、ご主人様は気の強い御方だ」


 雪嗣の口からはアルへの賛美がこぼれる。

 いくら伯爵とはいえ、元をただせばアルは俺たちのクラスメートだが、雪嗣のなかではもう立派な主人として確立しているようだった。このあたり、俺とは温度差がある。


 ところで酒を飲み始めてわかったことだが、俺たちが座った席は店の洗面所と近く、用を足しに来た酔客が頻繁に通り過ぎる。わざわざ人気のない席を選んだのに、これではまったく意味がない。


「雪嗣、席移るか?」

「いや、このままでいいだろう」

「わかった」


 今さら席を移るほうが面倒だと思ったのだろう。酔客が通り過ぎるたび、軽く舌打ちをくり返す雪嗣だったが、それ以外は粛々とビールを飲んでいる。


 つまみにしたのはマカロニを使ったグラタンだ。以前にもいったとおり、この世界では十七歳でもおおっぴらに酒が飲める。そのことの開放感は中々味わいがたい。


「ヘインズ卿はどうするんだろうな。リスクをとって出資するのかな」

「やらんだろ。おまえの話からは、儲け話に一枚噛ませろという浅ましさが感じられた」

「アルも大変だな。ビジネスをやれば成金といわれ、実際儲ければ分け前をよこせといわれる。でもビジネスはカーソンの領分か。あいつはほんと凄い奴だな」

「そうだな。カーソン様は尊敬に値する」


 屋敷の外の会話でわざわざ様付けするあたりに雪嗣の敬意が見て取れた。

 俺はカーソンに嫉妬心があるため、同じようには振る舞えない。どこかで自分はアルに仕えているのであってカーソンに仕えているのではないという意志が出てしまう。


 そんな感じで益体もないおしゃべりをしていると、ひとりの酔客が俺の座る椅子に足をぶつけた。


「痛いじゃねぇか」


 自分からぶつかっておいて、文句をいわれた。

 素直に謝っておいてもよかったが、俺は無言を貫いた。

 するとその酔客はトイレから出た後、何を思ったのかこちらに絡んできた。


「坊や。無視するったァどういう了見だ?」


 見上げると、そこには見知った顔があった。酒が回り顔が赤くなっているが、彼はヘインズ卿の執事、ニコラスである。


「おや、誰かと思ったらネヴィル卿の従者じゃねぇか。ネヴィル卿も躾けがないってないねぇ。人に迷惑をかけたら謝る。それが世間のルールってもんじゃねぇのかい」


 第一印象では、きざったらしく飄々とした男という印象だったが、酒が回ると説教魔になる奴だったのか。面倒な男に絡まれたもんだ。


 ニコラスはひとりで飲んでいたのだろう。彼は俺の隣に腰を下ろし、店のマスターに追加のビールを注文した。


「なあ、ネヴィル卿の」

「レイ・ニラサワです。名前で呼んでください」

「じゃあ、レイな。おいちゃんはべつにあんたらに絡もうってつもりじゃない。ただな、おたくの当主にご主人様が馬鹿にされてちょいと腹にすえかねているわけだ」


 自分から絡んでおいて、そのつもりがないとはどういうことか。ますます質の悪い酔客だという認識が高まっていく。


「あんまり余所の家の文句はいいたかねぇが、おたくの当主は、長幼の序もわきまえない無礼なやつだ。おかげでこっちはガキの使いだぜ」


 ニコラスが立腹しているのは出資が見送られる件か。その発言から、ヘインズ卿は結局、リスクテイクを諦めたことがわかった。まったく腰抜けの貴族というわけだ。


 しかしそんな率直な発言をこの執事の前で出来ない。雪嗣は完全に無視、絡まれた俺も無言で苦笑いすることしかできなかった。けれどそれがよくなかった。


「おいおい、主人を馬鹿にされてだんまりかい。もうちょっと言い返してみろや」

 ニコラスの口調は段々、挑発めいたものとなり、目つきも険しくなっていく。


 これは俗にいう「喧嘩を売られた」状況なのだろうか。

 すみませんとひと言謝れば済むように思えたが、他方でここは主人の名誉がかかっているとの口ぶりでもあったし、俺は対応に迷った。

 この状況に耐えかねたのか、先に口を開いたのは雪嗣だった。


「なに寝言いってんだ、くそ野郎が」


 その声はあまりに小さかったため、ニコラスまでは届かなかったらしい。

 しかし俺にとっては険悪なムードに油を注いだように思えた。俺はできることなら穏便に済ませたかったが、いまはどんな対応を選んでも状況は悪化する。


 だとすれば、主人の名誉を守るほうを選ぶほかあるまい。

 俺は覚悟を決めて、ニコラスを見やる。表情は笑顔のままだが、もっとも辛辣な意見をストレートにいってやることにした。


「ニコラスさん」

「なんだ?」

「俺はヘインズ卿の擁護をする気はないですよ。儲かるビジネスを自分で探せばいいのに、あなたのご主人様は怠け者です」

「ほう? いってくれるじゃねぇか」


 想像どおり、ニコラスは口の端を吊り上げ、切れ長の目を細めた。

 まさに一触即発。俺はストリートファイトに慣れていないが、相手の主人をコケにしたのだから、事実上、喧嘩を買ったことになる。パンチの一発や二発、覚悟しなければならない。


「そこまでいったからには覚悟できているんだろうな、坊や」


 ガキ扱いしやがって、そんなに執事は偉いのか。

 俺がテーブルの下で拳を固めていると、店の隅で散った火花に気づいたのか、パブのマスターが慌ててこちらへ駆けてくる。


「おい、ふたりとも。喧嘩すんならべつんところでやれ」


 マスターは体格も大きく、この人はこの人で、逆らうと何をされるかわらない剣呑さを漂わせていた。


「べつの場所でやれってよ。表出るか」


 席を立ち、腰をあげるニコラス。

 俺もつられて立ち上がったが、そこへマスターの声が響く。


「表でやられても困るんだよ。警察沙汰になるからな。ここの地下にうってつけの場所がある。喧嘩すんならそこでやんな」


 地下だと?

 俺はきっと驚いた顔になったろう。それはニコラスも同じだった。


「やるのか、やらないのか」

「勿論、やるに決まってるよな、坊や」

「喧嘩は買いますが、その坊やってのやめてもらえませんかね」

「やめねぇよ、ネヴィル家のくそガキ」


 ふたたび一触即発の火花が散った。

 そんな怒りの高まった俺たちをマスターが外に連れ出し、パブのすぐ隣にあった階段へ俺たちを誘導する。


「お客さん、ちょうどよかったぜ。きょうはな、定期的に開催されている賭けが行われているんだ。そこで気の済むまで闘いな」


 案内された地下は、思ったより広かった。その中心に土を敷きつめた即席のリングがあり、何より驚いたのは、それを取り巻く客の数だ。五十人ほど集まっているだろうか。リングではすでにべつのファイトがくり広げられており、賭け券を手にした群衆が大声をあげ、自分の賭けた相手に声援を送っている。


「ここは警察にも秘密な地下決闘場だ。あんたらをきょうのメインイベントにしてやるよ。怖じ気づいたか?」

「いいえ」

「右に同じだ。楽しませて貰うぜ」


 急に血湧き肉躍ってきた。体がびんびんに反応する。

 それは雪嗣も同じだったようだ。元々喧嘩がめっぽう強い彼は、


「待て、韮沢。ここは俺にやらせろ」


 自分こそが闘うと強引に主張してきたが、


「喧嘩を買ったのは俺だ。おまえはセコンドに回ってくれ」


 俺が譲らない態度を示すと無言になった。渋々認めたのだろうか。


「大丈夫、勝算はある」


 そういって雪嗣を(たしな)めるがはったりではない。俺の見立てでは、ニコラスはかなり酒が回っている。酔って千鳥足の奴に簡単に負ける気がしない。


「それじゃ、この地下決闘のルールを説明する。時間は無制限。テンカウント取られたほうが負け。ボクシングと違う点は、道具は刃物と拳銃以外なら何を使ってもいい。それと一番大事なのことだが、相手を殺してはならない。警察にバレないようにするためには、これは絶対的なルールだ」

「殺しちゃいけねぇのか。そりゃあ手加減しなくちゃなんねぇな」


 腕に自信があるのか、ニコラスはそういって俺に笑いかける。


 他方で俺は、道具の使用ができることに着目していた。俺が最も得意なのは剣道だ。


 剣道家に棒を持たしたら無敵とは、よくいわれることだ。いかにニコラスが屈強な男であっても必ずや仕留めることができるだろう。


 相手が酔っていること、武器を使えること。このふたつは俺に有利に働く。


 ニコラスがどういう認識かわからないが、これは互いの家の名誉を懸けた闘いでもある。ネヴィル家、ひいてはアルのためにも、スマートに勝利したいものだ。


 まさか酔客との喧嘩が地下決闘に発展するとは思ってもみなかったが、俺は自分の有利を噛みしめ、前座のファイトが終わるのを落ち着き払って待ちわびた。


 もっともリングに上がったあと、俺はすぐさま気づくことになる。自分たちにとっての有利が同時に相手の有利にも転化することを。

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