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出資交渉

 フレデリック・カーソンが酒が飲める男か否かは俺は知らない。だがいずれにしろ、ほろ酔い加減で屋敷に戻った俺たちを、彼は手荒い歓迎で迎え入れた。


「飲みすぎだぞ、おまえら。というか、オレも誘えよ」


 俺と雪嗣の肩をばしばし叩き、酔いつぶれたメイドふたりに水を飲ませる。女子には優しい奴だった。フランスから帰宅したばかりだというのに、彼の存在感は非常に大きい。


 その日は四人とも大人しく日付が変わる前に床についた。水をたっぷり飲み、二日酔いにならないためだ。あすはあすで仕事がある。


 ◆


 そして翌日。雪嗣との交代制できょうはベアト様のお相手だった。例によってお茶をお出しし、朝食に向かわれる彼女のあとを付き従った。


 朝食はタラのシチューとパンだった。配膳をしていると、ベアト様がカーソンと何やらおしゃべりをしている。話題はきのうの飲み会の話だった。四人で仲良く酒をかっくらったと誤解したようで、ベアト様は俺のほうを向き直り、


「私も使用人と一緒にパブとやらへ行ってみたかったな。レイ、なぜ誘わない?」

「パブはベアト様にふさわしい場所ではございません」

「一方的に決めつけるな。次の機会があったら誘うように」

「ベアト、それはレディとしてどうかと思うよ」


 ベアト様のごり押しを見かねたのか、アルが横から口を挟んでくる。


「アル、私を女扱いするなといったろ」

「じゃあ、貴族のやることじゃないに言い換えよう。パブは労働者の憩いの場だ。そこに貴族が混じっては彼ら彼女らもゆっくりくつろげない」

「そういうことなら、屋敷で飲むか」

「ぼくと一緒ならいいよ」

「アルと飲むのはつまらない。ああ、くそ。この話はやめだ」

「ベアト、口の利き方が悪くなっているよ」

「アルこそうるさい。まるでお母様がやってきたみたいだ」


 すっかりへそを曲げてしまったベアト様は配膳されたシチューをひとすくいする。アルが厳しく(たしな)めたため、息苦しくなってしまったのだろう。


 ベアト様のパブ行きは残念な展開になってしまったが、アルは俺たち労働者を咎めることはなかった。なので午後休のたび、俺たち四人は酒を飲むことをひそかな楽しみにするようになった。酒はいい。日頃の疲れを忘れさせてくれる。従者やメイドの仕事は、思いのほか長時間労働、そして重労働だ。必要があれば残業もある。元の世界の感覚でいうならブラック企業というやつなのかもしれないが、それなりの給金も貰っているため、総じて不満はなかった。そうして気分のコントロールができるのも酒の効用だった。


 そんなある日、カーソンが俺に指示を出した。


「レイ、来週ロンドンに行くぞ。いまから準備しておけ」


 ロンドンに何しに行くのだろう?


「今回はビジネスの話だ。アルバート様にくわえ、付き添いはユキとレイ。人数が溢れるから車の運転はバークマンではなくオレがやる」


 ◆


 ロンドン行きの日はすぐにやってきた。日々労働に打ち込んでいると、時が経つのはあっという間だ。早朝から俺と雪嗣はアルとカーソンの荷物を積み込み、後部座席に滑り込む。前の座席にはアルとカーソン。


 ロンドンのテンプル地区にあるタウンハウスまでは四時間ほどかかる。外はあいにくの雨で、濃いグレーの雲が曇天の空を覆い尽くしている。三月に入ったというのに、まるで真冬のような寒さだ。イギリスにも寒の戻りという概念があるのかもしれない。


「きょうはビジネスの話と仰ってましたが」


 俺は前の座席にすわるアルにさりげなく問いかけた。用件によっては自分のこなすべき働き方も変わってくる。それと心の準備をするために、知り得ることは全て知っておきたかった。


「ちなみにどのような用向きなのでしょう?」

「カーソン、代わりに答えて」


 アルは運転席のカーソンに会話の主導権を委ねる。


「べつにレイが知る必要がないことなんだがな」

 ハンドルを片手で握りながら、ぽりぽりと頬をかく。


「まあいっか。教えてやる」

 前方を見つめながら、カーソンが話し始める。


「きょうのお相手はロバート・ヘインズ卿。スタッフォード伯爵。爵位はアルバート様と同じだ。オレがアメリカでやっている投資ビジネスへの出資をしたいと申し出られてな。きょうはその是非を話し合うことになっている」


 漠然としているが、だいたいの用事は理解できた。


「ちなみにきょうはデシャンさんも紫音も連れてきませんでしたが、お食事のほうは誰が担当されるのでしょう?」

 これはカーソンに訊いた。

「オレがやる」

「カーソン様が?」

「意外か? オレは料理の腕も立つんだ。デシャンには負けるがな」


 カーソンが料理をできるとは知らなかった。本当に何でもできる人だな、この人は。

 まさに使用人の鑑といえる。執事になるということは、この人に近づくことを意味する。だがいまは足元にも及ばない。彼我の距離は驚くほどデカい。


 タウンハウスについたのは正午前だった。


 ヘインズ卿がお越しになるのは午後と聞いていた。しかし準備は前もって行わねばならない。ゆっくり休んでいる暇はなかった。月や紫音がいないぶん、俺と雪嗣でカバーしなければならない。ベッドメイクに掃除、晩餐の買い出し。俺は前者を担当し、雪嗣は後者を担当した。慣れない仕事だけに手間取る。


「もたもたしているなよ」


 チェックに来たカーソンが檄を飛ばす。ネヴィル家の人間は総じて仕事に厳しい。アルにカーソン。手抜きはすぐにバレる。時間との勝負のとき、パーフェクトに近い出来映えを見せるのは至難の業だ。


「よし、いいだろう。レイ、おまえは銀食器を磨け」


 彼の指示に従って俺はキッチンへ向かう。タウンハウスは手狭なので、食器専用の部屋は存在しないのだ。


「きょうは何を作っておられるのですか?」

 銀食器を磨きながら、厨房に立つカーソンに問いかけた。


「ビーフシチューだ。こんな寒い日にはうってつけだろう」


 シチューは大鍋にコトコト音を立てて煮込まれている。そこへ雪嗣が新鮮な野菜と牛肉を買い込んでも戻ってきた。


「喜べ、ガキども。きょうはシチューをたっぷり作ったからな。使用人も十分食える量だ」


 口調は荒っぽいが、やることは配慮がきいている。

 カーソンは俗にいう人たらしというやつなのではないか。事実俺自身、気持ちのままに従うと彼のことをうっかり好きになってしまいそうだった。


(いかん、いかん。俺たちをガキ扱いする年長者などくそ食らえだ……)


 そうこうしているうちに、銀食器磨きが終わってしまった。


「レイ、おまえはお客様をお迎えしろ」


 時計を見やりながら、カーソンは次の指示を出した。


 俺はキッチンを出て、玄関のほうへ向かった。そこにアルがいる。ドアが開き、初老といってもよさそうな男性が、もうひとり中年の男性を連れてタウンハウスに入ってくる。


「ようこそ、ヘインズ卿。さあ、こちらへ」


 アルが客を迎え入れる。俺はすかさず頭を下げ、


「お荷物をお運びします」


 卿に深々とお辞儀をし、もうひとりの男性に呼びかけた。


「失礼ですが、ヘインズ卿の執事さんですか?」


 荷物を運ぶ途中、俺はもうひとりの男性に話しかけた。


「まあ、そういうことになるかな」


 そうってヘインズ卿の執事は小さく口の端を吊り上げた。ダンディな雰囲気を醸し出しているが、格好つけにも思えた。キザな奴なのかも知れない。


 俺はベッドメイクを終えた部屋をふたつ案内し、片方にヘインズ卿のお荷物を、もう片方には執事の荷物を置いた。


「私は、レイ・ニラサワです。お名前を伺ってもよろしいでしょうか」

「ニコラス・リチャードだ。名前で呼んで貰って構わねぇよ」


 そう言ってまた口の端を吊り上げる。彼の癖なのだろうか。


「これからお茶を淹れようと思いますが、ニコラスさんのぶんはいかがいたしましょう」

「なら、この部屋に配膳して貰おうかな。ご主人様はネヴィル卿とふたりきりでお話されたいようだったのでね」

「お好みの紅茶などございますでしょうか」

「美味ければなんでもいい」

「承知いたしました」

 相手は年上の執事だ。俺は名前で呼ぶこと以外は敬意を払ってニコラスの対応をした。


「おう、レイ。どうだった?」


 キッチンに戻ると、カーソンが声をかけてきた。


「どうだったとは?」

「ヘインズ卿の執事だよ。オレも会うのが初めてでさ。どんな奴か気になったわけ」

「少々キザな方との印象を持ちました」

「ヘインズ卿は高位の方だからな。執事の気位も高かろう」

「いえ、キザというのは個人としての印象で、どちらかといえばとっつき易い方でした」

「なるほどな。それはありがたいね。天狗になった執事は扱いに困るからな」


 煮込んだシチューをかき混ぜながらカーソンはにこにこと笑う。仕事にかんしては神経質なカーソンは、気苦労がひとつ減って喜んでいるのだろう。


 俺はといえば、雪嗣がサラダ作りに熱中しているので、ニコラスに、そして応接間にお出しするお茶の準備に取りかかり、湯を沸かし茶葉をポットに入れた。

 そして俺は、ひとつだけ気になっていたことをカーソンに訊く。


「カーソン様」

「なんだ」

「応接間ではビジネスのお話をされているとのことでしたが、頃合いがよくなるまで入室を避けたほうがよろしいでしょうか」

「構わんよ。使用人は石ころみたいなもんだ。しかし石ころのわりに耳があるからな。どんなお話になっているかこっそり聞くことができる。というか、こっそり聞いてこい」


 カーソンはそういってお茶の準備を終えた俺を送り出した。

 応接間からはやや大きめの声が聞こえた。

 俺はドアをノックして、恭しくお辞儀をしながら入室を果たす。


「ネヴィル卿はアメリカで投資をなされているとのこと。その成功ぶりにこの私も感化されましてな。是非出資させていただけないものか」

「いくらほどご用意されるおつもりですか?」

「一万ポンドだ。場合によってはもう少し出しても構わん」

「なるほど」


 のっけからディープな話になっている。しかし俺は石ころだ。会話など耳に入ってないがごとく、応接間のテーブルにポットとティーカップを置き、給仕にとりかかる。


「出資の話、ありがたく思います。しかしヘインズ卿」


 アルは俺の存在などないかのように口を開く。


「ビジネスにおける出資にはリスクがあります。逆にいえば、ノーリスクの出資は些か受け容れがたいものがあるかと。卿がどこまで踏み込むおつもりか気になります」

「リスクとはどういうことか?」

「損をする可能性があるということです。私たちがアメリカで行っている投資事業がどれも成功するとは限りません。むしろ失敗のほうが多いかもしれない。しかしそれでもあえてリスクをとって出資をなさるのであれば、大いに歓迎いたしましょう」


 横目でちらりと見ると、アルは仮面の微笑を浮かべていた。こういうときのアルは、柔らかい口調の裏に鋭い棘を秘めていることが多い。


 というのも、耳に入った限りの情報では、アルはヘインズ卿の出資を歓迎してはいない。失敗する可能性がある案件にのみ、出資を募るという姿勢だからだ。

 その読みは当を得ていたのだろう。ヘインズ卿はしばし無言となった。


「お茶でございます。どうぞごゆるりと」


 俺は給仕を無事に終え、ヘインズ卿とアルに向かって小さく礼をした。時間にして五分程度だが、ちょうど話が佳境に差し掛かったときに配膳を行ったのだろう。応接間をそそくさと退こうとした俺の耳にヘインズ卿の声が入ってくる。


「ネヴィル卿、それは事実上、私の出資は受け容れられないということかな」

「いえ、そうは申しておりません。リスクをとった新規案件にかんしてのみ、出資をお受けするということです」

「同じことではないか。君はもう少し年長者に気を配ったほうがいいぞ」

「到らなくてすみません」


 俺の耳には、ヘインズ卿は随分虫の良いことをいっているように聞こえた。要は儲かることが確実なビジネスにだけ出資をしたいということ。しかもアルがやんわり断ると、年長者に気を配れだの、形を変えた脅しではないか。


 自分の中で卿の株がみるみる下がっていく。簡単にいえば、本心から敬意を払うに値しない人物と見なしたのだ。これなら執事のニコラスのほうがなんぼかましだ。


「失礼いたします」

 応接間のドアを閉め、退出しながら俺は考えた。


 会談はきっと破談に終わるだろう。それでも晩餐の給仕をしなければならないわけで、使用人という立場にあるとはいえ、気の重たい仕事が待っている。


「酒でも飲まないとやってられないな」


 俺は小さく独り言をいって、カーソンの待つキッチンに戻った。

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