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使用人とビール

 この世界における飲酒可能年齢がいくつかおわかりだろうか。


 元の世界では二十歳である。しかしそれ以下の年齢でも、酒を飲むことはある。大学生なら一年生でも新歓コンパで飲むことが多いだろうし、高校生でも学園祭などのイベント後は酒を飲む輩が後を絶たない。


 斯くいう俺も、高一の学園祭後はクラスの連中と飲む流れとなって、一応店には行ったことがある。一応と留保をつけたのは、飲みが始まる前、早々にひとりだけ退店したからだが、理由はぼっちの俺に話しかける奴が誰もいなかったからだ。そんな最低な気分で飲む酒がうまいはずがない。見れば雪嗣、月、紫音もいなかったし、クラスのぼっち四天王を形成する俺が抜けても誰も文句をいうまいと思ったのだ。


 けれどもそんな俺が、この二十世紀初頭のイギリスに来てから酒を嗜むようになったのは我ながら意外である。


 その理由であるが、酒を飲みにパブへ行くことの他に大した娯楽がないことが挙げられる。給金は貯まる一方だが、使い途がないのだ。ゲームもラノベも漫画も、道場に通っていた剣道さえないこの世界で楽しめることがあるとすれば、馬に乗ることか酒を飲むことだけ。そしてもうひとつ、ここイギリスでは食事をしながらビールを飲むなら十六歳から飲酒が認められていた。社会のお目こぼしによってこっそり飲むのではなく、おおっぴらに飲むことができるのは気分的に大きい。


 斯くして俺は、午後休が重なったとき、月や紫音に誘われてグリムハイドの町外れにあるパブに足しげく通うようになっていたのだ。


「玲さん、乾杯です!」

「いよっしゃあ! 飲むぞ! 騒ぐぞ!」


 珍しくテンションの高い月と、最初からハイテンションな紫音。俺はふたりとジョッキをかち合わせ、ビールを喉に流し込む。元の世界と異なり、きんきんに冷えたビールとはいかないが、それでも喉ごしは爽快だ。俺たちはつまみとして頼んだ、マッシュポテトのベーコン和えをついばみながら、日頃の疲れを吹き飛ばすように一杯、また一杯とジョッキを空にしていく。


 そうして一時間ほど経っただろうか。店のドアベルがカランコロンと鳴り、ひとりの男性客が肩をいからせて入ってきた。その客は雪嗣であった。


「あ、雪さん。こっちこっち!」


 同じようにめざとく雪嗣を見つけた月が、彼に向かってぶんぶんと手を振る。

 雪嗣はといえば「見つかっちまった」というバツの悪い顔をしてその場に銅像のように固まっていた。一緒に合流すべきかどうか悩んだのだろう。普通は悩むべき場面ではないのに、ぼっちの思考回路は違う。ひとり酒でいきたい場合は容赦なく無視する。俺の知る雪嗣はそういうぼっちの鑑のような男であった。


 しかし俺は、先月のタバコ入れ紛失事件で彼との距離をわずかながら縮めたという自信があった。なのでそのことを確かめるべく、席を立って雪嗣のもとに歩み寄った。


「雪嗣、一緒に飲もうか」

「…………」


 沈黙する雪嗣。しかしそれは拒絶の意味ではなかった。無言で月たちのいる席へ歩いて行く。周囲に展開している近づくなオーラも緩和している気がした。やはり彼の窮地を救うというイベントの成果が出ているのだろうか。

「…………」

 もう一度沈黙した雪嗣だが、そんな彼を店のマスターが大声でどやしつけた。

「お客さん、知り合いなら相席にしてくれないか。他の客が溢れてんだ」

 入り口を見れば、数人の団体客が入ってくるところだった。

「チッ……仕方ない。俺も混ざらせて貰う」


 たったひと言、そういって雪嗣は月の隣に座った。ちなみに席順だが、端から紫音、月、雪嗣、俺という並びになった。もっぱら雪嗣と話す位置となるが、俺としても雪嗣との距離をこれまで以上に縮めたいと思っていたので結果オーライだった。


「雪嗣、なに飲む?」

「ビールだ。ラム酒は年齢制限に引っかかって飲めないからな」


 そういって店員にビールを頼み、ふたたび押し黙る。元々口数の少ない雪嗣だけあって、どうすれば会話が弾むか俺は頭を悩ませる。

 特に絡む必要などない。粛々と孤独に飲めばいいのだ。そういう考えもありえたが、俺の考えは違った。雪嗣との距離を縮めることは、ひいては元の世界に戻る鍵を新たに手にいれることを意味する。彼が根暗のぼっちだからといって怯んではいけない。むしろその頑なな心に鋭く切り込んでいくべきであった。


「雪嗣、この店にはよく来るのか?」

「ときどきな。午後休のときは他にやることがない」

「俺は馬に乗ってるぞ。雪嗣も興味ないか?」

「ない。動物は嫌いだ」


 嫌いなものは嫌いとはっきりいう雪嗣。しかし逆に考えると、こいつが好きなものなんてあるのだろうか。まったく想像できない。


「しいていえば、それが酒なのかな……」

「なんだ?」

「いや、こっちの話。おまえは酒好きなのかなって」

「ああ。酒は好きだ。いまはビールだけだが、早くラム酒が飲みたい」


 やったぜ、雪嗣の好きなものをひとつゲットした。雪嗣はあまりにガードが固いため、ちょっとしたプラス要素があるだけで嬉しくなる。まさにゲーム感覚だ。


「雪嗣」

「なんだ?」

「いま俺とおまえは執事の座をめぐって競う仲だけど、たまにはこうやって酒を飲んで、仲良くやりたいもんだな。俺も酒飲み仲間ができると嬉しいよ」


 だからこんな本心にもないことを平気で口にする。

 さて、雪嗣の奴、どう切り返してくるか。


「フン。悪いがおまえと馴れ合うつもりはない。よく覚えておけ」

「そっか。そりゃ残念だ」


 言葉の上ではにべもない態度をとられた。けれど目は口ほどに物を言う。雪嗣の頑なな表情は、ほんのわずかだが緩んだ気がした。近づくなオーラ全開だと、こちらと話す気は一切ないが、自分のライバル心を表に出すのは自己主張の一種だ。まったくの無関心ならば、こういう態度はとらない。以前から思っていたことではあったが、その意味で雪嗣は変わったと思う。


「ところでみんな」

 俺はジョッキを傾けながら、端っこの紫音までのぞき込む。


「使用人で誰が好きだ?」

「えー、それ答えるんですか」


 俺の話題振りに月が文句を垂れてきた。


「べつに興味がなければスルーしていいよ。純粋に人気投票がしたかっただけ」

「それなら私はデシャンさんかな。あんなに料理の上手な人に会ったの初めてだし」


 キッチンメイドらしく、紫音はデシャンの名を挙げた。


「俺はバークマンさんだな。馬の乗り方を教えてくれるし、とてもいい人だ」

「あ、それなら私もバークマンさん。白髪のおひげがかわいいし」


 月もバークマンを挙げた。残すは雪嗣のみ。


「俺は……」


 食いつきの悪い話題だと思ったのに、雪嗣は逡巡するような顔になる。


「俺はカーソン様だ。人となりは別として、家令としての有能さは尊敬に値する」


 なるほど、雪嗣はカーソンか。しかも理由が彼の有能さとは。雪嗣の価値観をよく表す発言だと思った。もっともそれは俺の価値観とは異なるものだった。


「俺はカーソンは苦手だな。あの、一人だけ高みに立って、すべてお見通しですっていう態度が気に入らない。有能さは認めるけど、それ以外のところは認めたくない」


 雪嗣の口が軽くなったのに合わせて、俺も口を緩くする。


「確かに。カーソンさんは少しちゃらちゃらしていますよね」


 俺の発言に相づちを打つ月。


「私はあのチャラいところもカーソンさんの味だと思うな。常にテンションが高いし、私のテンションにも付いてきてくれそうだし」


 紫音はカーソン派か。使用人の意見は真っ二つに割れた。

 そんな益体もない会話をしながら、俺は妙な感慨に襲われていた。

 意見が割れたこと自体は重要ではなく、俺たちがクラスの一般生徒みたいな会話をしていることに純粋に驚いたのだ。


 誰が好きとか、誰が嫌いとか。意味のない会話だと俺は思っていた。

 けれどそんな俺が、同じような話題で盛りあがる。俺だけではなく、クラスのぼっちだった三人が自分の意見を述べ合う。これは何を意味するのだろう。俺たち修学旅行組のあいだにひとつの輪ができあがっている気がした。絆と呼ぶには頼りないけど、離れ小島みたいに孤立した関係が徐々に変わってきている。それはこの世界に来たことで生じた変化と無縁ではない。俺たちは自分でも気づかない程度に変わっている。それがいいことなのかどうか。それを評価する尺度を俺は持ち合わせていないが。


 やがて時間が経ち、空にしたジョッキも二杯や三杯ではきかなくなってきた。

 俺はほどよく酔いが回り、気分がよかった。このテンションなら、雪嗣と和気藹々の会話をしてもあとで自己嫌悪に陥らないくらいだ。

 そうして辺りを見まわすと、


「雪さんは従者なら従者らしく、もう少しソフトな笑顔を見せるべきです」


 月が雪嗣に説教を始めていた!


 これは俗にいう酔っ払いという奴なのではないか。しかし酒に飲まれたのは彼女だけではなかった。

「そういえば、私、このあいだ仕事でミスしちゃってさ。デシャンさんにもの凄く怒られちゃった。なあ、月。私ダメなメイドなのかな?」

 紫音は切々と愚痴をこぼしている。しかも月はその愚痴をまったく聞いてないが、紫音は気にする様子もない。もしかすると彼女は泣き上戸なのか。


「…………」


 俺以外では唯一、雪嗣だけが正気を保っていた。月の説教を圧倒的な近づくなオーラではじき返し、月は非常につまらなそうだ。


 つまり事実上、この場は俺と雪嗣だけになった。そう思うと、もう少しデリケートな話を振りたくなってくる。それは俺たちが共通して失っている記憶のことだ。


「なあ、雪嗣」

 俺は平静を装って彼の目をのぞき込んだ。


「おまえ、この世界に転移して来たとき、記憶を失ったりしてないか?」

「記憶?」

「そうだ。俺や月は失っていた。ひょっとするとアルの奴も。おまえはどうだろう?」

「特に失ったものはないが、違和感はある」

「どういうことだ?」

「自分が自分ではない感じがしている。たかが酒を飲んだくらいでおまえたちと馴れ合っている。こんな自分は以前なら存在していなかった。まったく俺らしくない」


 そういって雪嗣はジョッキを空にし、さらにもう一杯、ビールを注文した。


「おまえ、酒が強いのな」

「そうでもない。俺の親族は強い奴だらけだ。ところで、韮沢」

「なんだ?」

「おまえ、先月からベアト様と仲がいいようだな」

「まあ、ぼちぼちな」


 雪嗣が口を引き結んで、固い表情で訊いてきた。なのでてっきり、俺とベアト様の関係が深まっていることを嫌悪しているのかと思っていた。だがそうではなかった。


「おまえはそのままお嬢様の専属従者になってしまえばいい。グリムハイド伯であらせられるご主人様専属の従者――ひいては屋敷の執事は俺がなる」

「おまえ、まだ対抗意識があったのか?」

「あるに決まっているだろう。本来ならこんなところで一緒に酒を飲むなど言語道断だ」


 そこまで辛辣に言わなくてもいいだろうと思ったが、冷静に考えれば、以前の雪嗣なら対抗心を表に出さず、腹のうちに留めておくはずだ。


「競争なんて願い下げだよ」


 弱り切ったとばかりに俺は肩をすくめた。雪嗣との競争に負けるつもりはなかったが、そのことで口論はしたくない。結果は行動で示すだけ。それで十分だ。

 気づけば午後十時を回っている。早く帰らないとあすの仕事に差し障る。


「マスター、お勘定」

 すっかり酔いつぶれたメイド二人ぶんの金も払い、俺と雪嗣は彼女たちを支えながら町外れのパブを出た。

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