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絶対遵守の転移執事  作者: 天ぷら開成髭サウナおじさん(夏音)
第三章 ベアト様と消えたタバコ入れ
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社会主義思想

 一体どこの世界に運転手も連れず、みずから車を運転される貴族がいようか。俺も徐々にこの世界の常識に慣れ始めていたため、より一層奇異に感じられる。


 ベアト様の運転はしかし、手慣れたものではあった。少なくともバークマンとの違いは感じ取れない。出発前、俺が気になったのはもっと他のことだ。


「ベアト様。ちなみに運転免許はお持ちでいらっしゃいますか?」

「そんなものはない。馬に乗るのに許しがいるか。それと同じだ」


 どこにおかしなことがあるか、という調子の返事が戻ってきたが、嘘は休み休みいってほしい。俺は事前にバークマンに尋ね、この世界では約十年前に自動車運転免許が採用されていることを知っており、お嬢様の行為は無免許運転であることを理解していた。


 それでも止めなかった理由は単純で、ベアト様が運転なさるのはグリムハイドの敷地内であり、私有地であれば公権力の介入はない。一種の治外法権だからだ。


 強行にロンドン行きを主張したベアト様だが、自動車に乗らないか、ロンドン行きを諦めるかの二択をアルに迫られ、結局後者を選んだのだった。俺が安堵したのはいうまでもない。


「ベアト様」

「なんだ?」

「ロンドン行きはキャンセルされましたが、このままどこへ向かわれるのですか」

「どことは決めてない。領地をぐるぐる回ろうかと思っている。それ以外のことは成り行き任せだ。問題あるか?」

「ございません、マイ・レディ」

「否定しても顔色に出ているぞ。だが目的地なんかいらない。私はしばしのあいだ、はめを外すのが目的なんだ。アルやダグラスの目の届かない場所で思いきり羽を伸ばしておきたい。おまえはそのための従者だ。いろいろ勘ぐるな、素直に従え」

「承知いたしました」


 お嬢様が違法行為に手を染めているのではなければ、それ以上咎めだてる必要はないも同然だった。俺はひとときのドライブを存分に楽しめばいい。


 そうと割りきれば、シルヴァーゴーストの乗り心地は悪くなかった。初期型とはいえ、さすが世界の高級車ロールスロイスといったところか。


 やがて所領めぐりも一段落し、ベアト様は森のほうへ車を進めた。以前にカーソンら使用人たちとピクニックに出かけた場所である。


 森の入口に車を止め、俺たちは枯れ草の上に降り立った。人っ子一人いない、客観的に見れば寂しい印象の場所だ。さんさんと降り注ぐ陽光だけが唯一の救いだ。

 俺は青色のシートを広げ、ベアト様がおくつろぎになられる場所を確保する。

 そこにちょこんと体育座りをなさったベアト様。遠目に見ると、シートが風で飛ばないように置かれた敷石のような佇まいだ。俺はおもわず苦笑してしまう。


「なにを笑っている、レイ。早く紅茶を淹れろ」

「承知いたしました」

 俺はシルヴァーゴーストの後部座席からランチの入ったバスケットと、紅茶の入った魔法瓶を取りだした。


 ちなみにこの時代にはすでに魔法瓶がある。その原型はすでに一八八一年にドイツ人によって発明されており、一九一四年現在ではサーモスという名の魔法瓶がここイギリスでも普及していた。二〇世紀初頭のテクノロジー、意外に侮れない。

 俺はまだ十分な熱を保ったお茶を陶磁器に入れ、ベアト様に給仕する。


「うん、美味しい。外で飲む紅茶は格別だな」

 お茶を飲んで人心地つけ、ベアト様は休憩なさるものと思っていた。特になにをするでもなく、風を感じながら時をすごす。あるいは、森に入って散策を楽しまれるとか。

 しかし彼女が望んだのはそのいずれでもなかった。


「レイ、面白い話をしろ」

 これまた無茶ぶりがきたものだ。面白い話の定義がわからない。

「いかようなお話をいたしましょう?」

「前に飛行機の話をしたろう。ああいう空想の話が聞きたい」

「そうですね……」


 俺の時代の技術について話せばお喜びになるのか。何を話すべきか考えあぐねた末に、俺はスマートフォンについて語って聞かせることにした。


「ベアト様。電話というものをご存じでしょう」

「ああ、我が家にもあるな。ダグラスはいまだに奇妙な道具だと思っているようだが、おまえやユキは問題なく使えているから若者向けのテクノロジーだと思っているぞ。だが、その電話がどうした?」

「いえ、これはあくまで私の妄想の話なのですが、そう遠くない未来に電話は小さな箱に収められ、持ち運びができるようになり、個人一人ひとりが所有する時代になるのではないかと」

「それはありえそうな話だな。今の電話は、デザインだけ見れば、屋敷で使う呼び出しベルと大して変わらないと思っていたんだ。あれは改善の余地がある」

「ええ。しかしデザインのみならず、電話は驚異の進化を遂げるのです。カメラ、テレビジョン、書籍、音楽を再生する蓄音機(グラモフォン)、これらが一台の電話機のなかに収められる日がいつかきっと訪れるでしょう」

「本当か? テレビジョンはまだ我が家にないんだぞ。そういう技術が開発されていることは知っていたが、そんな最新の技術が一台の電話機に……おまえの空想は凄いな。そんな道具があったらどんなに金を積んでもほしくなる」

「しかし一般庶民にまで普及すれば、値段はぐっと安くなります。おそらく未来の技術をリードするのは高額でも買う貴族ではなく、名も無き庶民たちではないかと」

「つまり大衆ということか」

「はい」


 スマートフォンについて語っていたら、話題がやや逸れてしまった。だが、ベアト様はその横道に逸れた話題を続けていかれるようであった。


「レイ、社会主義思想というものを知っているか?」

「はい。何となくは」


 突然振られたため、内心ではびびっていたが、世界史の授業で習った程度のことならば、俺の知識でもある程度は知っている。


「前世紀に活躍したカール・マルクスが有名だが、彼らは貴族を大衆を抑圧する存在として定義し、大衆に自由と解放を勝ち取れと主張している。私たち貴族にとっては忌むべき存在だといえるだろう。その意味がわかるか?」

 そこでベアト様が口を休めた。そしてじっと俺の顔を見上げる。


 こちらのリアクションを待っているのだろうが、俺は岐路に立たされていた。

 マルクス主義がロシアの王室、つまり貴族支配を革命によって破壊したことを俺は知っている。それと同じことがイギリスでは起きなかったことも。


 しかし俺たちが今いるこの世界ではどうだろう。もしもこの世界が別の可能性であるとするならば、社会主義思想はイギリスの貴族支配を変えるのかもしれない。

 そうした空想を肯定するか、否定するか。ベアト様が言外に尋ねようとしているのは、きわめて扱いづらいな問いにたいする俺自身の考えのように思えた。


「浅学ゆえ、私はそのような問いにたいする答えを持ちえません」


 俺のとった行動は逃げだった。貴族支配を肯定も否定もしない。俺自身は貴族に仕える従者だが、同時にマルクスの主張に則るならひとりの抑圧された大衆である。そのどちらをとるかと聞かれても、明確な答えなんてない。というか、ベアト様に話を振られるまで貴族をとるべきか、大衆をとるべきかなんて考えすら持っていなかったのだ。


「どうだろうか、レイ。深く考えることはない。おまえの素直な考えを聞かせてくれ」


 やはり来た。ベアト様の疑問が。

 少々熱っぽく上気した顔で、俺のことをまだじっと見ている。


 だから俺は考え方を変えた。自分の主張を述べるのではなく、この場に相応しい答え、つまりはベアト様を納得させ、喜ばせる答えを出せばいいのだ。


 しかしここにも岐路がある。ベアト様ご自身は社会主義思想にどういう見解を持っておいでなのだろうか。マルクスを読んでいるからには肯定的な考えなのか。それとも貴族としてあくまで階級社会を守りぬくべしという考えなのか。


「素直な考えですか……」

 一拍の間を置き、俺は考え込むように空を見上げた。そして答えを見つけた。

「私はマルクスの思想に明るくありません。ですがこのように思います。社会がどれだけ揺れ動こうとも、ネヴィル家、つまりはアルバート様、ベアト様のお側におり、終生変わらぬ忠誠を貫く所存です。このような答えでご満足いただけましたでしょうか」

「貴族につくのでも大衆の側につくのでもなく、私たちの側につくということだな。百点満点の答えだぞ。私はその言葉が聞きたかった」

 ふたたびベアト様を見おろすと、そこには麗しい笑顔がはじけていた。


「ですがベアト様。社会思想に入れ込むのは結構ですが、ダグラスさんはお嬢様の社交界デビューを何とか成功させてほしいと仰っていました。せめてその件だけは果たされますことを願っております」

「おまえ、それ本心でいってないだろ」

 ありきたりの忠告をした途端、ベアト様が顔をしかめた。

「おまえは器用に嘘をつく。従者にして、そのことが段々わかってきた。もっと近づけ。私の心に寄り添え」

「承知いたしました」


 そしてベアト様は「この話はここで終わりだ」といって話題を元に戻す。


「未来の技術から社会主義思想まで、おまえは話すと飽きさせないな。どうだ、レイ。おまえのその想像力をいかしてみないか。トーマス・エジソンのようにまだこの世に存在しない新しいものを発明するんだ。仕事の一環として手がけていい。そうして私を喜ばせてくれ。これは主人としての命令でもある」

「私が……新しいものを?」

「援助は惜しまない。必要があれば他の使用人をあてがってやる」

 普段は令嬢然としているベアト様が無邪気に語りかけてくる。

「そうですね……」


 ベアト様はとことん無茶ぶりをする方だ。しかし一端(いっぱし)の従者である以上、その熱意に応えることの他にできることはない。

 まだこの時代に存在しておらず、未来に実現する技術。

 そのなかで俺のような素人でも開発が可能なもの。それは一体なんだろう。


 またしても空を仰ぎ、しばし思考をめぐらせてみた。家電のたぐいは技術力の面で不可能だし、石油を使うものはインフラ面で難関だ。

 斯くして俺が考えついた案は、いかにも日本人らしいアイデアだった。


「ベアト様。中国風の即席麺をご存じでしょうか」

「知らない。食べ物なのか?」

「イエス・マイレディ。それを油で揚げたあと、熱湯を注げばいつでも食べられる技術などいかがでしょう。少なくとも私はそのように便利な食べ物に憧れます」

「さすが東洋人といったところか。面白そうだ。やってみせろ」

「畏まりました」


 安請け合いしてしまった気もするが、他の使用人を使っていいと言われていた。紫音を頼ればなんとか突破口が開きそうに思われる。味つけが難しそうだが、細かいところまで気にしては先に進めない。なるようになると考え、俺は自分を納得させた。


「その中国風の即席麺とやら、楽しみにしているぞ」

「はい。できるだけご期待に添えるようにいたします」

 そういって俺は座りながら、軽く一礼をした。

 雑談はひとまずそのくらいで、あとは昼食をとり屋敷に帰るだけ。そう心のなかで算段をつけていると、唐突にベアト様が尋ねてきた。


「レイ、さっきの件だがな」


 さっきの件とは社会主義思想のことだろうか。

 俺は上の空だったので、ベアト様の話をぼんやりと聞いてしまう。だからまったく想定外だった。彼女がこんなふうに言ってくるなんて。


「私はマルクスが正しいと思う。私は貴族だが、いずれ遠からず、階級社会は否定されるべきなんだ。アルはネヴィル家を背負っているが、私はそうではない。だとすれば、私は私の人生を歩むことが許されるはずだ。急にいわれても困るだろうが、その本心をおまえには知って貰いたかった。ちなみにこの話はふたりだけの秘密だ。私がいいというまで、誰にも喋ってはいけない」


 興奮ぎみの顔で俺のことを見上げてくる。その瞳には強い意志が宿っていた。

 そして話はここまでとばかりに、ベアト様は昼食を所望され、俺はバスケットから紫音の作ったサンドイッチを取りだす。


(ベアト様が社会主義者だったとは。ネヴィル家、半端ないぞ)


 ただのドライブのはずが、厄介なことを抱え込むことになった。まさか貴族に仕えて、当の貴族制度を否定される方と出会うはめになろうとは。


 型破りなファッションを好み、お嬢様扱いを嫌うわがままなベアト様。


 その幼稚さを(あげつら)うのは容易い。けれど彼女の熱意は本物だ。俺にはそう思えた。本物であるがゆえに、厄介さはより大きいものに感じられた。


 口外するなといわれたが、頃合いを見計らってさりげなくカーソンの意見を聞くべきなのかもしれない。俺はこの世界の実相をまだ十分に把握してはいないのだから……。


 こうして俺はまた、絶対遵守の誓いを生きるのだった。

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