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絶対遵守の転移執事  作者: 天ぷら開成髭サウナおじさん(夏音)
第三章 ベアト様と消えたタバコ入れ
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夜這い

 そもそものきっかけはベアト様のアイコンタクトだった。


 客人を含めた全員がデザートであるフルーツタルトを食べ終えたとき、ベアト様が俺の目をじっと見つめてきた。そして首を横に動かし、階段のほうを指し示した。ちょっと顔を貸せ、という合図に見えた。

 またその意図は明確に思えた。ウェルベック卿が粉をかけた月のことだ。


 晩餐後、アルはウェルベック卿を応接間に誘い、そこでお茶の時間を過ごす。

「卿、こちらへ」

「料理は完璧でした。どんなお茶が出るかこちらも楽しみですな」


 アルが月のことをどれだけ気に留めているかわからない。しかしホストとして卿のお相手をするのはしごくまっとうなこと。アルに相談するのに今は相応しくない。

 となれば、代わりはベアト様だ。アイコンタクトの件もあり、月のこと、ウェルベック卿のことを気にかけているのは明らかでもあるだからだ。


「私は少々野暮用があります」


 ベアト様は応接間に向かわず、自室のほうへ向かわれた。


 俺と雪嗣はそんなベアト様に肘を小突かれ、彼女のあとに付き従った。

 そのまま死角となるアーチのところに来た。やおらベアト様はこちらを振り向き、


「ウェルベック卿の悪戯はおまえたちも見たな」

「はい」

「この目でしかと」

 その問いかけに、俺と雪嗣は答える。


「ならよい。あれは本気のアプローチだ。聞き及んでいるかもしれないが、卿は無類の遊び人だ。月にちょっかいを出す可能性はきわめて高い。なんとか食い止めろ」


 俺と雪嗣は首を縦に振る。

 その様子を確かめ、ベアト様はしかめっ面の顔を俺たちふたりに向けた。


「しかしだ。同時に卿の名誉を損ねるようなことがあってはならない。そこさえ守ればどんな手段を使ってもかまわない。何か聞きたいことは?」

「ありません」


 俺が答え、雪嗣も同時に頷く。


「この件はアルではなく、私に任せろ。もし対応に困ったら私の部屋に来い。夜中でも受けつける。我が家のメイドの危機なんだ。くれぐれも不祥事にならないように」

「御意」


 俺たちが頭を下げると、ベアト様は階段を昇り、自室に向かわれてしまった。

「雪嗣、とりあえず応接間にお茶の配膳をしよう。そこでやんわりと卿にプレッシャーをかけるんだ」

「ああ、わかった」


 ふたりで今後の対応を確認しあい、キッチンへ向かい、紅茶を淹れた。俺にとってもう紅茶の配膳は得意中の得意分野になっていた。どんな気難しいお客であっても、満足のいくお茶を淹れる自信がある。茶葉も最高のものを使えばさらに出来はよくなる。

 そんな気合いの入った勝負お茶を持ち、俺と雪嗣は応接間のドアをくぐった。


「失礼いたします」


 入室するやいなや、卿の特徴的な高い声が、やや興奮ぎみに響いていた。


「ネヴィル卿が羨ましいですな。あのように可憐なメイドを雇っているとは。もし彼女を解雇するようなことがあればいってくだされ。ぜひ我が家に迎え入れたい」

「月はよく働いてくれています。今のところそのような予定はないかと」

「忠誠心も旺盛とは。ますます惹かれますな」


 アルは抗弁しているが、ウェルベック卿は今にも月を自分の使用人にしたいと言いだしそうな気配を放っていた。


 その熱のこもった空気を切り裂くように、俺は卿の前にお茶を配膳した。

 無論、表情は意識的に作る。

 ひさしぶりにぼっち特有のキモい笑顔。目線だけは卿の目をじっとりと見る。


(悪ふざけはほどほどにしておけよ……)


 心でそう念じ、その不気味な笑顔で威圧する。その甲斐あって卿はバツが悪そうな顔になり、アルのほうへ目線を逸らした。

 しかしそこには雪嗣が立ちはだかっている。


「月の働きに高評価をいただけるのは我が使用人にとって喜ばしいことですが、いかんせん彼女は屋敷でも最下級の人間。爵位をお持ちであらせられる卿のご関心を賜るような存在ではございません」


 雪嗣にしてはナイスフォローである。メイドは下等な存在で、うかつに手を出すのは卿の名誉を汚すもの。そういう慇懃無礼な思いがこもっていた。


「はっはっは。これは一本取られた。ネヴィル卿の使用人はよく躾けられている反面、口を開くと辛口ですな。我が家にはありえないしきたりだ」


 多少の無礼を承知でいったのだが、ウェルベック卿は表情を固くすることもなく、それをジョークで切り返した。正直、卿の真意を掴みかねる。月にちょっかいを出すことが目的なのか、それとも彼女を自分の屋敷に連れて帰るのが狙いなのか。


 肝心のアルは仮面の微笑で全てを受け流している。その態度からは、ベアト様がご心配されたように気を揉んでいる様子は見受けられなかった。


 やがてお茶の時間は終わり、卿は客人として湯浴みに行かれた。雪嗣は卿のお付きだったため、そのあとを追って二階にある浴室へと向かった。


 応接間に残ったのはアルと俺。秘密の話をするには今しかない。しかしそんな絶交のタイミングとなってもアルは何も命令を発しなかった。


 やむをえず、俺のほうからアルに月の心配を伝えることにする。


「ウェルベック卿は月に不純な関心を持たれておいでです。万が一ということもございますので、この件の対応を私に一任していただけないでしょうか」


 俺の真剣なまなざしに当惑したのか、アルは声をひそめ困ったようにいった。


「月のことだね。玲君は気にしすぎだと思うよ」

「ですが、ベアト様も心配しておいでです」

「女性から見るとそう映るのかもね。わかった。その万が一はないと思うけど、玲君にすべてを任せるよ。月の身に問題が起きないよう注意してくれたまえ」


 その夜、アルから対応を一任された俺は、まずベアト様のお部屋に向かった。


「ベアト様、無礼を承知ですが、お借りしたいものがございます」

「ウェルベック卿の件か。何なりと申せ」

「ある物をお借りしたく存じます」


 俺はベアト様の側に寄り、軽く耳打ちをした。


「ほう? なぜそのようなものを」

「私、今晩は月の身を守るべく臨時の業務につきたいと思いまして」

「わかった。好きに使え」


 俺としては無茶ぶりだと思っていたが、ベアト様は嫌な顔ひとつせず、目当ての道具を貸してくれた。さすが女性扱いを嫌うだけあって、思考回路が合理的だ。


 ともあれ、準備万端となった俺は、その足で月の部屋に向かう。彼女の部屋の中に入るわけではない。部屋の入口がよく見える階段の隅に待機したのだ。


 何事もなければ徒労に終わる。しかしこれは俺の意志であり、同時にアルやベアト様の命令でもあったのだ。空振りに終わっても構わない。万が一に備えるのも従者の務めだ。


 やがて夜が更け、日付が変わる頃になってきた。俺は相変わらず待機している。この季節、廊下は寒い。体を揺すりながら、ベアト様に借りた道具を握り締める。


 と、そのときである。廊下の向こう側にうごめく影が現れた。夜の屋敷は灯りもなく、非常に暗い。しかもきょうは新月ときている。窓から差し込む光も弱い。


(あれが本当にウェルベック卿かどうか確かめるすべはない……)


 けれどこのタイミングで月の部屋に近づく使用人がいると思えない。背格好から男性であることだけは察せられる。


 俺は迷わず、ベアト様から借りた道具――タイツを頭からかぶり、廊下へ踏みだす頃合いをいまかいまかと待ちわびた。タイツをかぶった理由は簡単。ちょっとぐらい荒っぽい手段に出ても、相手が誰か特定できなければクレームの付けようがないと思ったからだ。


(……よし、いまだ!)


 相手を夜這いしているウェルベック卿と確信した俺は、廊下を這うように進む。服装はお仕着せではなく、外出着だ。なので従者かどうかもわからないはず。


 足音を殺したため、すぐ側に近づくまで夜這いの当人はこちらの様子に気づかなかった。ドアをこっそり開け、中に入ろうとしている。


 声を出して威嚇してもよかったが、特定される可能性があったため、無言で近づく。俺が月の部屋の前に立ったとき、夜這いの当人はドアを開け、部屋に侵入したところだった。


(このくそ貴族め、ふざけやがって、部屋から出ろ……!)


 それからの行動は早かった。俺は相手を羽交い締めにして、部屋の外に連れ出す。無論、猛烈に暴れられたが、こちらのほうが体力は上だった。


「なにをする、離せ!」


 ついに夜這いの当人は大声を上げた。特徴のある高い声。その声で、俺は相手がウェルベック卿であることがわかった。本気で月に夜這いをかけるとは、どんだけ遊び人なのかという話だ。


「大声を出すな。回れ右をして自分の部屋へ戻れ」


 俺は声色を変え、卿の耳許でドスの利いたセリフを吐いた。

 暴れても敵わないと知ったのか、卿は廊下の反対側へ駆け足で逃げていった。


(やれやれ……)


 俺はその背中を見送り、盛大に溜息をついた。


 これでご主人様の命令どおり、火遊びをする卿を撃退することには成功した。だがこの一件が卿の名誉を損ねるか否かは五分五分だ。卿の立場に立ってみれば、夜這いの挙句、正体不明の使用人に撃退されたことが明るみに出ては爵位に傷がつくだろう。


 そんな致命的な出来事を、卿ご自身がアルに苦情として申し立てるとも思えない。熱を上げたメイドに袖にされたことを周囲に知られれば、遊び人の貴族といえども、家名に泥を塗る行為なのだ。


 よって俺の読みでは卿はこの件を絶対不問にする。もっともあすの朝になってみないと、どのような結果を生むか定かではないが……。


 そんなふうに逡巡しながら俺は、部屋の中を覗き込んだ。月は騒動に巻き込まれ、目を覚ましてしまったようだ。目元をこすり、こちらを見上げている。


「なにが起きたんですか、玲さん?」

「実は話すと長くなるんだが……」


 言葉を濁す俺。その隣のベッドでは、相部屋の紫音が寝言をいいながら爆睡している。


「……デシャンさん……もう食べられねぇよ……」


 これだけの騒ぎに無反応とは、鈍感にもほどがあると俺は呆れ返るしかなかった。

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