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絶対遵守の転移執事  作者: 天ぷら開成髭サウナおじさん(夏音)
第三章 ベアト様と消えたタバコ入れ
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美男の客人

「おはよう、月」

「あ、おはようございます、玲さん」


 翌日の早朝。さっそくお仕着せに着替えて、使用人室に顔を出した俺は、すでに作業中だった月と出くわし、挨拶をかわす。彼女は何かを縫っている。裁縫仕事だ。


「何を縫っているんだ?」

「デシャンさんのコックコートです。脇の下が破けちゃったので頼まれまして。デシャンさんが起きてくる前に終わらそうと」

「そうか。働き者だな、月は」

「ご謙遜はノーサンキューです。玲さんこそ、ベアト様のお相手でしょう」

「む。そこをつかれると痛いな」


 雑談はそこそこに、俺はベアト様の紅茶を淹れる。彼女の好みは今になっても把握できていないが、毎回遊び心をこめようとしている。きょうは茶葉にウバを使い、濃いめのミルクティーを淹れることにした。まったりした風味が上質な朝を演出する。というかそれ以前に、このレシピは妹の好みでもあったのだ。元の世界で身につけたレシピを順繰りに試して、ベアト様の好みを探ろうという意図があった。


「おはようございます、ベアト様」


 俺はドアをノックし、返事があった後、彼女の部屋に入った。流れるような所作で、ベッドサイドにお茶を置く。ベアト様はまだ寝間着姿だ。とはいえ目は、すでにしっかりと覚めておられる。


「きょうはミルクティーか。濃いめの味つけがいいな」

「お褒めの言葉、ありがたく頂戴いたします」

「うん。これはいい。あすもミルクティーにしろ」

「承知いたしました」


 ベアト様の歓心を引けたことに俺は満足する。ポイント稼ぎというわけではないが、雪嗣と競争させられている以上、プラスになることは純粋に嬉しい。

 表情にこそ出さないが、心の中でぐっとガッツポーズをとっていると、


「そういえば、レイ。聞いているか」

「なんでございましょう」

「来週、我がグリムハイド・アビーに客人が来られる。アルから聞いてないか」

「いえ、伺っておりません」

「アルのやつも意地悪なことをするな。カーソン不在のなか、客人のお相手はレイかユキがすることになるはずなのに。ひょっとしてきょう話すつもりだったのかな」


 客人が来る。しかも俺がお仕えする可能性がある。

 それを聞いたとき、緊張が体を走った。初めての経験なので気後れがしたのだ。


「経験の長い雪がお付きになる可能性はないでしょうか」

「どうかな。ユキも初対面の相手だ。どちらがお付きになっても不自然ではない」


 できれば雪嗣に譲りたい案件ではあったが、立場は同じようだ。平等に選べば、確率は二分の一。面倒な仕事が俺に降りかかってくるかもしれない。

 せめて相手の名前くらい知りたく思い、俺はベアト様に尋ねることにした。


「お客人の人となりはおわかりでしょうか」

「ピーター・ウェルベック卿。位は子爵だ。年齢は三十五歳。カーソンよりやや年上といったところか。細かいところまでは私も知らない。詳しくはアルに聞け」

「いえ、その程度の情報があれば十分でございます」


 ベアト様のお相手を終え、俺は使用人室へ戻ろうとした。そこへちょうどアルが歩いているのが目に入った。先ほどの客人のことを問い質すチャンスだ。


「ご主人様、おはようございます」


 ふたりきりではあるが、どこで他の使用人が見ているかわからないので、アルには丁寧な敬語で呼びかけた。


「なんだい、玲?」

「来週お越しになるというお客人について詳しく伺いたく思いまして」

「ベアトから聞いたのか。いいよ、雪を連れて書斎に入っておいで」

「承知いたしました」


 俺は使用人室にいた雪嗣を呼び出し、アルのいる書斎へ向かった。ちなみに雪嗣も、客人が来るという話を聞いて見事なしかめっ面になった。俺か彼がお相手することになるのだから、その態度は得心がいった。


「失礼いたします」


 ふたりして連れ立って書斎に入っていく。アルは椅子にゆったりと腰かけ、両手を組み合わせながら、俺たちの入室を待ち構えていた。


「君たちにも教えておく。来週、ウェルベック卿が我がグリムハイド・アビーにお越しになる。ふたりのうち、どちらかに彼のお相手をしてほしい。まずは希望を聞こうか」


 さっと手を差し出し、返事を促す。みずからやりたいと申し出るのを待っているのだ。けれども俺は、避けられるものなら避けたい。雪嗣はどうだろうか。


「私がお仕えいたします」


 雪嗣が片手をあげ、迷いなく挙手していた。彼なりの対抗意識を感じる所作。他方で俺は、厄介事を雪嗣に押しつけられてほっとしていた。


「ご主人様。差し支えなければ、卿のお越しになる事情をお聞かせ願えないでしょうか」


 お付きを買って出た雪嗣がさらに突っ込んだ質問をした。


「口外無用にするなら教えてあげよう」

「勿論でございます」

「わかった。では触りだけでも教えてあげる」


 アルはやや勿体ぶったあと、俺と雪嗣を見まわし、ふたたび口を開いた。


「ウェルベック卿は保守党に属する政治家なんだ。卿の目的はぼくを彼らの派閥に引き入れること。ぼくの父、先代のネヴィル卿は保守党の大物だったんだ。その子息が十八歳になり、党員資格を得るのを前にして、自分たちの仲間にしようとしている」


 政治か。そんな複雑な事情があるとは思ってもみなかった。


「でも君たちもよく知っているように、ぼくが興味があるのは政治ではなく、ビジネス。生臭い駆け引きの多い政治の世界に今ひとつ惹かれるものがないんだ。だから今回のウェルベック卿の来訪にあたってなすべきことは、卿の依頼をやんわりお断りすること。少しばかり空気が悪くなるけど、ふたりには恙なく勤め上げてもらいたい」


 そこまでいうとアルは表情を崩し、取り繕ったような仮面の笑みを浮かべた。


「それじゃ、雪。ぼくのお茶を淹れてもらおうか」

「御意」


 それからあっという間に週が流れた。俺の仕える相手は依然、ベアト様のままである。毎朝美味しいお茶を淹れ、彼女との距離を縮めることに細心した。


 そしてさらに数日が経ち、ウェルベック卿が来訪する日となった。屋敷は早朝から騒がしくなる。特に晩餐の準備で忙しいのがデシャン、紫音のキッチン組だ。

 俺は雪嗣に卿のお相手を押しつけたため、わりと気楽に当日を迎えた。


「おひさしぶりです、ネヴィル卿。また少し、背が大きくなられましたかな」


 夕方前。運転手を連れて現れたウェルベック卿はベアト様に聞いたとおり、中年というには若く、若者というには歳を重ねた風貌をしていた。しかも特筆すべきことに美男子、元の世界の言葉でいえばもの凄いイケメンだった。かわいい系のアルと比較すると、大人の色気が漂っている。


「こちらこそ、グリムハイド・アビーにようこそ」

「ウェルベック様。私が卿のお世話を申しつけられましたユキ・トービーです。さっそくですが、車からトランクをお運びしてもよろしいでしょうか」

「おお、よろしく頼むよ」」

「承知いたしました。あわせてお泊まりになる客間へご案内いたします」


 雪嗣のそつのないムーブに従って、ウェルベック卿は二階へと階段を昇っていった。


「これから例の面談だ。最初のお茶以外はしばらく書斎には近づかないように」


 アルは俺に指示を下して、軽くウインクをする。

「御意」

 当然俺は、平身してそれに応えた。


 卿は到着して早々、荷物が客間に届けられたのを見送ると、アルの書斎へと消えていった。俺はふたりぶんの紅茶を淹れ、書斎へ給仕しにいった。


「グリムハイド伯もあと数ヶ月で十八歳ですか。大きくなられましたな。そんなことをいっては失礼ですが、先代からのお付き合い。時が経つのは斯くもおそろしく早い」

「無事成人を迎えるまで気が気でなりません」

「貴族院に議席を得るのですからな。政治家デビューも心待ちにしておりますぞ」

「若輩者です。どんな働きができるか知れたものではありません」


 お茶を配膳しながら、会話はすでにディープなところへ踏み込んでいた。俺は銀の配膳皿を小脇に抱え、ドアの前で一礼しながらそそくさと書斎をあとにした。


 使用人室に戻ると、そこはちょっとした騒ぎになっていた。


「こっそり見たけど、むちゃくちゃイケメンじゃねぇか」


 晩餐の準備をひと休みしていた紫音がダグラスさんと話し込んでいる。


「そうだろう。私も初めて見たときはびっくりしたさ。ゆるやかにカールした金髪、彫りの深い顔立ち、そして見る者すべてを魅了するような笑み。私も年甲斐なく惚れそうになっちゃうよ」


 時代が変わっても女性の話題は共通なのだろう。男性使用人を隅に追いやって、ふたりはひたすらウェルベック卿の容姿について会話の花を咲かせていた。

 女性陣で唯一、興味なさそうにしているのは月である。


「私、これからお仕着せのシャツを洗濯に行きます。それではみなさん、ごゆるりと」


 ドアの前で一礼し、使用人室の外に行ってしまう。


「ルナはこういう話に興味ないみたいだね。意外とうぶなのかしら」


 つまらなそうにいったのはダグラスさんだ。しかし彼女はすぐさま紫音のほうを振り向いて、雑談の続きを始める。


「そうそう。あのウェルベック卿、容姿も端麗だけど、手が早いことでも有名でさ」

「手が早いって、遊び人ってことか?」

「プレイボーイっていうのかね。あちこちの令嬢を食い物にしているって噂さ。あれだけ見栄えがよければ、言い寄る女性は多いだろうね。ベアト様はお美しいから、くれぐれも気をつけていただきたいね」


 卿が遊び人という話は初耳だ。アルは政治絡みの話だけをしていたが、女性の立場にたてば、べつの興味をかき立てられるのだろう。


(俺にとってベアト様は、アル同様、そつなくお仕えすべき主人でもある。気を配っておく必要がありそうだな……)


 晩餐ともなれば、ベアト様とウェルベック卿が近づく機会ともなる。そこでイケメン貴族が不埒なムーブを見せないよう、目を光らせておこうと俺は思ったのだった。


 やがて日もとっぷりと暮れ、晩餐の時間がやってきた。


 書斎から出てきたアルとウェルベック卿はにこやかに歓談している。政治絡みの依頼を断っただろうに、卿の態度はご機嫌である。俺はテーブルメイクをチェックする振りをして、アルの横にしのびより、小声で話しかけた。


「例の話はどうでしたか?」

「保留だよ。成人するまで考えさせてくれといった。無碍に断ると、貴族の間でどんな悪評が立つかわかったものじゃないからね」

「そうですか。晩餐を饗する側としてはご無事で何よりでした」

「思いきり盛り上げてくれ。卿の機嫌は損ねたくない」

「御意」


 貴族たち階上の住人、そして客人であるウェルベック卿が着席したのを確認したあと、俺はキッチンへ向かい、給仕する料理の確認をすることにした。


「オードブルはスカンピエビのソテー。スープは牛テールのスペイン風だ」


 デシャンが作った料理を手際よく、皿に盛っていく紫音である。


「中々のごちそうじゃないか」

「きょうはこんなもんじゃないぜ。メインディッシュはスズキのパイ包み焼きだ。デシャンさん、渾身の一皿ってわけだ。これで客人もノックアウトだろう」


 饗される料理を自分のことのように語る紫音。彼女にはキッチンメイドという仕事が楽しくて仕方がないのだろう。適材適所とはこういうことをいう。


 他方で困ったのは、メインディッシュがあまりに大きな皿に載っているので、ひとりで運ぶにはやや難があったことだ。皿はふたつあり、俺と雪嗣だけでは運べない。しかしできるだけ、一気に運んで晩餐の場を盛り上げたいという思いもあった。


「悪いけど紫音。雪嗣とふたりでメインの皿を配膳してくれ。あと、月。おまえは俺の助けをしてくれ」


 客人のベッドメイクを終え、使用人室で休んでいた月に声をかけた。


「了解です」


 こうして俺たちは、四人がかりでメインの皿を食堂に運んでいった。


「本日のメインはスズキのパイ包み焼きになります」


 スズキの腹をウェルベック卿の側に向け、よりインパクトを与えるように配膳する。その隙に卿とベアト様の距離感を確かめ、不純なやり取りの種がないか目を光らす。しかし席の並びはアルのほうが近く、ベアト様は黙ってスープを口に運んでおられる。


「これは美味しそうだね」


 メインの皿を見て、主人であるアルが、まっさきに感嘆の声を上げた。


 それを見届けたあと、俺はウェルベック卿の顔をのぞきこんだ。卿が驚いてくれれば、晩餐は大成功。キッチンは大喜び。勿論、俺も嬉しいことこの上ない。


 斯くして卿は、小さく「ワオ」と呟いた。思わず本音が漏れたという顔だ。

 けれどもその視線の先は、メインの皿にはなかった。


「…………?」


 配膳の助手を任せた月が困惑したような表情を浮かべている。


「素敵なレディだ。お名前は?」


 ウェルベック卿が関心を持たれたのは、驚くべきことにメイドの月であった。


 月はその問いに答えるべきか逡巡したように見えた。口をつぐみ、視線を左右に迷わせている。卿の熱いまなざしを受けとめかねているのだろう。


「ネヴィル卿、彼女の名前は?」

「ルナ・ハートフィールドです。我が家でハウスメイドをしております」

「ルナか。神秘的な名前だね。魂が吸い込まれてしまいそうだ」


 そして卿が浮かべたのはうっとりとした微笑だ。見れば、卿の手は月の手をやさしく握っている。ただでさえイケメンの卿が笑うと、蠱惑的な魅力がある。これが遊び人の手管というわけか。


(まさかベアト様ではなく、月に粉をかけてくるとはな……)


 俺は使用人の色恋を管理する立場にないと思っていたが、冷静に考えるといまこの屋敷で上級使用人の役目を果たしているのは俺と雪嗣だ。自分の意志ひとつで、卿の火遊びを止めるか放置するかの判断ができる。むしろそうしなければならない。


 客人を迎えた以上、彼を喜ばすことが本来の仕事だ。しかしいまこの場で展開されているのはかなりイレギュラーな事態だった。


 どうやったら月の身を守れるのか。そもそもウェルベック卿は本気なのか。


 想定外の重荷を背負ったことを知った俺は結局、食堂の曰く言いがたい空気をそのまま放置した。晩餐後、まっさきにアルかベアト様の指示を仰ごうと決め、自分の意志を一旦棚上げにして。今はそれが最善の選択に思えたのだ。

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