次なる命令
翌朝。朝食を摂り終えた俺たち使用人は、貴族たちの朝食準備にかかる。
メニューはサンドイッチ。
ぷりぷりのエビを挟んだシュリンプサンドと、卵を挟んだエッグサンドだ。
給仕をするのは俺と雪嗣。カーソンはお目付役だ。
「ご主人様、本日の朝食になります」
アルに配膳したのは雪嗣。俺はベアト様のほうへ歩いて行く。
サンドイッチとスープを彼女の前に配膳した。
「お嬢様、どうぞお召し上がりください」
「待て、レイ。お嬢様ではなく、ベアト様だ。何度いったらわかる」
「申し訳ございません」
また失敗をした。
そのことが体を緊張させてしまい、動作がぎこちなくなる。
使用人室に戻ると、家令のカーソンが苦笑いをしていた。こちらの様子を陰から全部眺めていたのだろう。腕組みを解いて、俺のほうへ歩いてくる。
「レイ、ベアト様の前では緊張しているみたいだな」
「いえ、そんなことはありません」
カーソンはそういうが、自分としてはアルのときも、ベアト様のときも、同じように給仕できているという自信があった。
「いや、緊張しているね。自分で気づいてないだけさ」
カーソンは「仕方ないな」といわんばかりに、俺の肩をぽんぽんと叩く。
壁に背をもたれさせた雪嗣は、その様子を見て薄笑いを浮かべている。
俺が奴に視線を送ると、カーソンも後ろを振り返った。
「ユキ、なに笑ってんだ?」
その笑いを咎めるように、カーソンは早口で雪嗣にいった。
「べつに何でもありません」
「馬鹿いえ。レイのミスを笑ってたのはみえみえだぞ」
「申し訳ありません」
「違う。笑っていたのを責めているんじゃない。ベアト様への給仕がへたくそなのはおまえも一緒だといいたいんだ」
「俺もですか?」
「ああ、そうだ。アル様相手ではちょっとした配慮がきいても、ベアト様相手だとそれがまったくない。お仕着せをまとった蝋人形みたいだぞ、おまえら」
口調といい物腰といい、お堅いタイプというより、遊び人ふうのカーソンは、学校でのヒエラルキーでいえば典型的なリア充だ。そんな彼から見ると、俺たちぼっちの給仕はえらく物足りないものに見えるということだろうか。
しかし言葉だけ反省を述べても、自分の性格は簡単には変わらない。なので俺は、カーソンの小言に納得しつつも、仕方のないことだとやり過ごすことにしたのだった。
そうして時計の針が十時を回った頃だろうか。
「レイ、ユキ。アルバート様がお呼びだ」
書斎から戻ってきたカーソンが、銀食器磨きをしていた俺たちに声をかけてきた。
「ご主人様が?」
「ああ、そうだ。ちょっと不機嫌だったぞ。怒られるのを覚悟しろ」
そう悪戯っ子みたいに微笑んで、カーソンは俺と雪嗣の背中をぽんと押した。
(アルが……怒ってる?)
怒られるようなことといえば、きのうの騒動以外思い浮かばない。なにか話し足りなさそうにしていたし、きのうの続きが待っているのかもしれない。
しかし雪嗣まで呼ばれる意味がわからない。
(まあいい。とにかく書斎へ向かおう……)
先にすたすたと歩きだす雪嗣の背中を追って、俺は書斎のドアをくぐった。
「なぜ君たちを呼んだか、わかるかい?」
俺たちふたりを出迎えたアルの第一声がこれだった。
「昨日、自分が起こしたシンシア様との騒動の件でしょうか」
単刀直入に答えたのは俺。
「わかりません」
雪嗣はぶっきらぼうに言い放った。シンシア様の件に彼は無関係なので、呼ばれる理由がわからなかったのだろう。俺でもそう答える。妥当な対応だ。
「なるほど。ふたりともぼくの不満が伝わってないみたいだね」
アルの不満か。彼はきのうこういっていた。「君がお義母様に嫌われた理由は何か、もう一度よく考えてみる必要がある」と。
確かにその理由はまだ漠然としている。自分の目つきが悪いというの理由の一端だろうけれど、他にもまだありそうだ。しかしそれが何か、俺はまだ考えが及んでいない。
「すまん。アルの不満は俺にはわからない。といようより答えがまとまっていない」
貴族相手の口調をやめ、クラスメートにするように話しかける。
確かふたりきりのときは敬語抜きでいいといっていたはずだ。いまは雪嗣しかいないし、ふたりきりに等しい状況といえるだろう。だからこれは無礼な態度での会話ではなく、自分の到らなさを率直に問い質したのだった。
「わかった。それじゃ、勿体ぶるのも悪いし、答えをあげよう。君たちに感じる不満は、レディにたいする扱い方だ」
書斎の椅子をこちらに向け、アルは俺たちふたりを順繰りに見まわした。
「君たちの仕事ぶりは短い期間で習得したものだとすれば、中々のものだと思っている。けれどそこには穴があるんだ。それがレディへの接し方。ぼくが相手だとできることでもベアトが相手だと急にぎこちなくなる。その原因はわかるかい?」
「それは……」
俺が答えようとしたセリフを引き取って、雪嗣が口を開いた。
「俺たちがぼっちだからです。韮沢と俺は目つきも悪いし、カーソン様のようなあか抜けた笑顔もない。ときに仏頂面でさえある。しかしご主人様」
「なんだい?」
「それは一朝一夕ではどうにもならないことです。性格まで変えなきゃならない。正直に申し上げれば、俺は女性の相手が苦手です。彼女らに満足を与えるすべが、俺にはまったく理解できません」
「随分な開き直りだね、居直る気かい?」
「居直りではありません。率直な心情を述べたまでです」
「わかった、玲は?」
「俺も雪嗣と同じ考えだ。アルの忠告は、女性の心をくすぐるすべを身につけろといっているのも同然だ。俺には女心といったものが理解できない。簡単に『はい、わかりました』とはいえない」
まだ俺が、ただの孤独なぼっちだった頃、女生徒と会話する機会なんて、一ヶ月に一度あれば多いほうだった。雪嗣にしたって同じようなもの。そんなふたりにレディの相手をうまくやれというのは酷というものだ。
「ぼくは難しいことをいったつもりはないんだけど、ふたりにとっては随分とハードルの高い忠告みたいだったね」
俺たちの抗弁が功を奏してか、アルはようやく事態を理解したようだ。
けれどその理解は、彼の忠告を取り下げることにはつながらなかった。
「雪、玲。この件においてはぼくは本気だよ。なぜなら次の執事を誰にするか、近いうちに選ばないといけないからね」
「次の執事?」
「うん。カーソンが渡米しているあいだ、うちは事実上、執事不在だ。それを解消するために、雪と玲のふたりから選ぶつもりだ。そしてその選抜の条件には、ベアトの従者をきちんと勤め上げることが含まれている。男性のぼくだけ相手して、女性の彼女を放っておく。そんな半端な執事はこの屋敷にはいらないからね」
柔らかい口調だが、そこには有無を言わせぬ強い意志がこもっていた。
「ご主人様は、俺と韮沢のどちらかを執事に?」
斯くして、雪嗣が反応したのはそこだった。
「うん。不満かい?」
「いえ、そういうわけでは……」
明らかに不満そうな雪嗣である。一方、俺は、自分と雪嗣を競わせること自体に不満はなかったので、べつに疑問に思ったことをアルにぶつけた。
「だけどアル。女性の相手ができることが執事の条件という点は納得しきれない。俺は十分とはいえないが、そこそこ不満のないように対応できていると思っているのだが」
「玲君、そこが君の見落としているところだよ」
アルが人差し指をこちらに向けてくる。
「レディは表情から相手の心を読む。君が形だけ従順かつ穏当に振る舞っても、心がこもっていなければ、それは不満となって表れるんだ」
そこまでいわれて、俺はアルがわざわざ呼びつけた理由がわかってきた。
「君たちは、ひょっとするとベアトとはうまく打ち解けていると思ってないかい? でもそれは思い込みなんだ。ベアトはぼくに愚痴をこぼしていたよ。『レイやユキは何を考えているのかわからない。腹に一物あるような顔をしている』とね」
やっぱりだ。アルの不満は、元々ベアト様のものだったのだ。シンシア様だけではない。ベアトお嬢様もまた、俺や雪嗣に不満を抱いていたのだ。
「とはいえ、君たち自身がいったように性格まで変えろとはいわない。ただ、普段の心がけで立ち居振る舞いは変えることができる。気の利いたトークもできるようになる。だからこうしようと思うんだ」
アルはそこで言葉をくぎってあごに手をやった。
「いまは臨時でベアトの侍女をダグラスが、ぼくの従者役をユキがやってくれているけど、編成を変えようと思っている。ふたりのうちどちらかにベアトの従者を務めて貰う。残ったほうがぼくの従者だ」
思いきった変更だが、俺にとっては悪くない話だ。この仕事を無事勤め上げてみせれば、従者、ひいては執事へ昇る階段が待っているのだから。
だけど、ぼっちな俺に執事なんか本当に務まるのだろうか……。
自分のなかで不安は拭いきれてない。しかし、俺の下僕ぶりに不満のあったベアト様を納得させるような働きぶりを示せれば、おのずと道はひらけるように思える。
問題は、ベアト様の相手をすることだ。
これにかんしては、ひとつだけ、アルに訊いておきたいことがあった。
話も佳境なので、俺は口調を敬語に戻す。
「ひとつよろしいでしょうか」
「なんだい?」
「確かベアト様は、女性扱いされるのをことのほか嫌がる方だったかと存じますが、それでもなおレディとして遇せよと仰るのでしょうか?」
「わかってないね。そういうわがままも含めてのレディだよ」
なんだかうまいこと言いくるめられた気がしたが、反論の余地はなかった。
「承知いたしました」
アルのいったことは王の言葉。
いくらぼっちゆえに女性の相手が苦手だからといって、それを言い訳に彼の指示に逆らうことは許されない。やれるだけのことはやろう。静かな熱を湛えながらそう心に誓った。
こうして俺はまた、絶対遵守の誓いを生きるのだった。




