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絶対遵守の転移執事  作者: 天ぷら開成髭サウナおじさん(夏音)
第二章 ネヴィル家の人びと
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嵐との対峙




 屋敷に戻った俺は、冬用のコートを脱ぎ、自分の部屋でお仕着せに着替えていた。


 階上の住人たちはこれからお茶の時間になる。俺たち男性使用人は給仕の準備をし、デシャンとキッチンメイドの紫音は晩餐の下ごしらえに入る。唯一、時間を持て余しぎみなのは月だ。彼女は俺と打ち合わせたとおり、紫音からシンシア様の紅茶の好みを聞きだしてくれるだろう。


 部屋を出て一階に向かい、月と待ち合わせた階段のほうへそうっと進んでいくと、食堂にベアト様がおひとりで座っていた。トランプ遊びをしている。

 ちらと横目で見ると、偶然にも目があった。

 その瞬間、俺は彼女に手招きされる。猫でも呼び寄せるような手つきだ。


(一体なんの用だろう……?)


 疑問は浮かんだが、無視するわけにはいかない。

 一礼しながら食堂に足を踏み入れ、ベアト様の座るほうへ歩いて行く。


「いかがいたしましたか?」


 十分な敬意を払い、俺は彼女の前に進み出る。

 ベアト様はそんな俺を微笑みで迎えると、


「いやな、きょうはお母様の機嫌は損ねるなよ、と思ってな」


 そう優しく励ますようにいって、ぐっと親指を立ててくる。


 ベアト様のこういうところはイギリス人離れしている。元の世界の基準でいえば、どちらかといえばアメリカ人のような振る舞いだ。もっとも俺の知るアメリカ人とは、学校で英語教師をやっている三十路過ぎのレディ以外にはいないわけだが。


 ともあれ、俺は、ベアト様の激励をありがたく頂戴し、言葉には出さないがその謝意を十分にこめたお辞儀をした。少なくともこの人は俺の敵ではない。


「ありがとうございます、ベアト様。私はお茶の準備がありますのでこれにて」

「うん、行ってよろしい」


 俺はきびすを返し、食堂を出る。そしてそのまま廊下を突っ切り、月と落ちあうことを約束した階段へ小走りに進む。


「遅かったですね、玲さん」


 俺が到着したとき、月はすでに階段の隅に佇んでいた。こうして屋敷の中で月と待ち合わせると、なにか密会をしているような気分になってしまう。


「紫音は忙しそうでしたけどシンシア様の好みは聞き出せました。茶葉はニルギリ、ことのほかロシアンティーをお好みになるとか」


 月は紫音がよこしたとおぼしきメモ紙を読み上げ、


「細かいレシピは口頭で聞きました。シンシア様のお好みは、ブランデー入りのアプリコットジャムをやや多めで。これでハートを射止めること確実です」


 そういって月は俺にメモ紙を渡し、


「それじゃ、私はベッドメイクに取りかかりますので」


 くるりと後ろを向き、階段を昇り始めようとした。

 だが、その脚は二、三歩進んだところでぴたりと止まった。


「ちょっと、ルナ。そしてレイ。こんなところで何をしているの」


 二階から降りてこようとした丈の長いドレスの淑女。俺は自分のツキの無さを呪った。そこに立ち尽くしていたのは、間の悪いことにシンシア様だった。

 つかつかと靴音を立て降りてきて、まず月の顔をじいっとのぞき込む。


「ルナ。あなたは仕事をサボってなにをやっているんですか、答えなさい」

「あ、いえ、その……特には」

「答えられないのね。でもいいです。私はしっかりこの目で見ていたのですよ。あなたがレイに何か手紙を渡しているところを。まさか我が家のメイドが下僕と密通する現場を目撃してしまうとは。なんとはしたないことです、恥を知りないさい!」


 今度は俺のほうを見下し、わなわなと肩を振るわせた。

 口調は丁寧だが本気で怒っていらっしゃる。しかもただ落ちあっただけではなく、逢い引きをしていたと勘違いなされているようだ。


 これはなんとしても言い逃れしなければならない場面だ。月から貰った手紙の内容を見せれば、シンシア様も納得されるだろうか。


 けれどもことはそう簡単には運ばないようだった。

 怒りに震えるシンシア様に失礼のない程度に、俺が目線を落として手紙を見ると、


(ロシアンティーのR、ニルギリのNしか記されてないじゃん……おまけに語尾にハートマーク……!)


 多忙ゆえに走り書きしたとしか思えない。

 しかもこの英単語の並びは、レイ・ニラサワ――俺のイニシャルと同じ。無駄なハートマークのおかげで意味深なメッセージのようになっちまってるじゃねぇか。


「ダグラス! アルを呼びなさい! こんなメイドと下僕はクビです!」


 シンシア様は自分付きの侍女となっていたダグラスさんを大声で呼びつけ、ついでにアルにもこの場に来いと騒ぎ立て始めた。


「どうしたんですか、お義母様」


 やがて屋敷の主人であるアルが何事かと足早にやってきた。階段の隅という狭苦しい場所に、騒ぎを聞きつけた屋敷の住人がどやどやと集まってきてしまった。


「どうしたもこうしたもありません。ルナとレイが逢い引きしてたんですのよ」

「偶然鉢合っただけかもしれないじゃないですか。なにか証拠でも?」

「証拠はこれです。レイ、よこしなさい」


 ついにシンシア様は俺の手からメモ紙を取り上げ、アルの前に突きつけた。


「R……N?」

「レイ・ニラサワ。これでわかったでしょう。このふたりはデキているのよ。神聖なお屋敷勤めの身分でこっそり関係を結んでいたのよ。どこまでネヴィル家の名を汚せば気が済むのでしょう」


 やっぱりか。手紙の文字は最悪の方向へ解釈された。無論、こじつけもいいところだが、この手のおばちゃんキャラに理屈は通じない。


「アル、この場で即決なさい。ふたりをクビにするか、それとも家の名誉を取るか」


 強引に押し切る構えのシンシア様に、さすがのアルも困り切った顔をしている。


(こうなったら切り抜けるしかない、動け、働け、俺の頭……!)


 息を深く吸って、体中に酸素を行き渡らす。


 頭を高速で回転させると、ひとつだけうっすらとアイデアが浮かんだ。


 ここからは時間との勝負だ。シンシア様がアルに注意を向けている隙に、俺は自分のメモ紙を胸ポケットから取りだし、そこにペンですらすらと文字を走らせた。


 シンシア様の好み。ジャムの種類と分量。

 紫音から聞き取ったという情報を目にもとまらぬ速さで書き記していく。


「お話の途中、失礼いたします」


 そして柔らかな、しかし力のこもった声を上げ、ふたりの視線をこちらに向ける。

 同時にとるのは恭しく従順な態度だ。

 目つきは悪いかもしれないが、顔を伏せてしまえばバレることはない。


「ご主人様、シンシア様。僭越ながら、いまのお話は濡れ衣かと存じます」

「濡れ衣ですって?」

「はい。私は月から、シンシア様の好まれる紅茶のレシピを伺っておりまして、先ほどのメモのRはロシアンティー、Nはニルギリ。そしてこちらのもう一枚のメモが、シンシア様の好まれる、ブランデー入りのアプリコットジャムやや多めというレシピでございました。せっかくのお茶の時間、心から楽しんでいただけるよう、私なりに浅慮したゆえのことでございます。どうかお怒りをおしずめくださいませ」


 屋敷の住人が固唾をのむなか、反論を言い切った俺はそこで顔を上げた。


「私の、お茶のために……」

「どうやらお義母様の誤解のようですね。あなたの心を解きほぐすべく、玲なりに最大限気を配ったのでしょう。褒めこそすれ、けなすたぐいのことではありません」

「ま、まあ、確かにそうですけど……」


 事態の真相を知ったシンシア様は、自分の過ちに気づいたのか、肩をがっくりと下げ、急に小さくなってしまった。


 もっとも俺の目的は、シンシア様をやりこめることではなく、彼女の理不尽な嫌悪感を取り除くことにあったため、言葉を継いで場の空気をなごませようとした。


「私はこう見えても紅茶を淹れることにかんしては自信がございます。どうかシンシア様、私の淹れた紅茶でティータイムをお愉しみくださいませ」

「え、ええ……そうですわね。きょうはユキでなく、レイに淹れて貰おうかしら」


 ◆


 数時間後。

 お茶の時間も終わり、夕暮れ刻となった。

 おそらく十分な生活費を手に入れたシンシア様は、運転手を連れてご自分の車でロンドンへ帰っていかれた。


 俺は別れの挨拶のため、他の使用人とともに玄関前で、シンシア様の車が見えなくなるまでお辞儀をし続けていた。


 そして見送りの儀式も完全に終わったとき、ベアト様や他の使用人たちはゆっくりと屋敷の中へ消えていく。残ったのは俺とアルだけだ


「きょうはよく切り抜けてくれたね。お義母様のことで君には迷惑をかけた」


 屋敷に戻ろうとした俺の背中に、アルが直々にねぎらいの言葉をかけてきた。


「ありがとうございます、ご主人様」


 アルには畏まった礼をしたが、心の中では喝采を上げていた。トランザム家での理不尽な暴力からは逃げることしかできなかったが、今回は違う。その場の機転でシンシア様という厄介な人物を黙らせることができた。俺にとっては価値のある勝利だ。


 しかしそんな俺を見透かしたようにアルが、

「でもね、玲君。お義母様の無茶はいなせたけど、君がお義母様に嫌われた理由は何か、もう一度よく考えてみる必要があると思うよ」

「嫌われた理由?」

「目つきが悪いっていってたでしょ。それ以外にも、いくつか気になることがある」


 急に厳粛な顔を見せ、俺を射抜くような目をよこした。


「お義母様はやり過ぎたけど、使えない使用人はクビすべきという意見にはぼくも賛成だ。君がそうならないように願っている。まあ、詳しいことはあす話そうか」

「御意」


 このあとは、貴族たちの晩餐が待っている。アルは食堂へ、俺は使用人室へ。それぞれべつの廊下に分かれ、この日の騒動は静かに幕を下ろした。

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