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絶対遵守の転移執事  作者: 天ぷら開成髭サウナおじさん(夏音)
第二章 ネヴィル家の人びと
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埋められぬ溝




「カーソン様、随分とシンシア様に信頼されているんですね」


 階上の住人たちの晩餐の後、俺たち階下の住人は使用人室で夕食となった。俺はカーソンを立てるのを隠れ蓑に、恥ずかしながら愚痴をこぼしていた。


「信頼されているわけじゃないさ。シンシア様がオレに一目置くのはオレが優秀だからだ」


 そういって戯れたようなウインクを寄越す。

 えらく自己評価が高いようだが、虚勢ではないのだろう。事実、晩餐での彼の給仕ぶりは、まだキャリアの浅い俺でも「スゲえ!」と思うほど鮮やかなものだった。


 やがてキッチンメイドである紫音がよそったチキンスープが使用人の前に並べられ、夕食が始まった。しかし夕食を摂りながら、カーソンのおしゃべりは止まることはなかった。


「そもそもオレは先代の頃からこの屋敷に勤めているからな。シンシア様との付き合いは長いんだよ。気にするな、レイ。おまえも一生懸命働けば、彼女の覚えもめでたくなる」


 先代の頃からか。見た目は若いが、彼の年齢が気になった。


「カーソン様、失礼ながらご年齢を訊いてもよろしいでしょうか」

「年齢? 三十二歳」


 三十を超えていたのか。これには俺ばかりでなく、ネヴィル家に来たばかりの月も目を丸くして驚いている。


「見た目より歳くってるだろ? これでもいい歳こいたおっさんだ」


 パンをちぎり、スープを口に運びながら、カーソンは楽しそうに笑う。


「デシャン、きょうのチキンスープはとびきり美味いな。貴族に出しても十分堪能させられる出来だ。ひょっとしておまえの腕が上がったのか?」

「ノン」

「それじゃ、鶏の仕入れ先を変えたんだな」

「ウィ」


 こんなふうにコックの労をねぎらったかと思うと、


「シオン、少しは料理の仕方を覚えたか?」

「はい、カーソン様。デシャンさんに教わって見よう見まねですが」

「そのうち君の料理を食わせて貰いたいよ。楽しみにしてるぜ」

「ありがととうございます!」


 メイドの紫音に気を配る。そして、


「ルナ、オレの部屋のベッドメイキングありがとう。シワひとつない仕上がりだったから、このまま寝るのが勿体なくなっちまうくらいだったぞ」

「本当ですか? でしたら今度からシワシワのままベッドメイクいたします」

「おまえは冗談がきついな。でも面白い。そのままでいろよ」


 黒ルナの放言も、たくみなユーモアで切り返す。

 さすが十年以上、この屋敷で働いていただけのことはある。思うに、カーソンは話芸が達者なのだろう。まだ型通りの受け答えしかできない俺とは比べものにならない。


 見れば、雪嗣だけはむっつりと押し黙っている。このおしゃべりに加わる気はないのだろう。さすがのカーソンも彼には話を振らなかったが、そこは空気を読んだのかもしれない。


(カーソンのやつ、学校にいたら間違いなくクラスの中心人物になっただろうな……)


 俺はぼっちであることに矜持を持っている。

 それでもカーソンの見事な家令ぶりにはわずかな嫉妬心が芽生えたのだ。


「ところでカーソン様」


 俺は、彼の口が軽いうちに訊いておきたいことがあったのでおもむろに尋ねる。


「なんだ、レイ」

「シンシア様なんですけど、今回はどんな御用向きで屋敷にいらしたのですか」


 彼女の事情は、ロンドンから来たということ以外何も知らない。


「レイ、それはとてもデリケートな質問だよ」


 チキンスープにパンを浸しながら、カーソンは意味深な笑みを浮かべた。


「だが、その率直さに免じて教えてやろう。シンシア様がここを訪れる用向きはいつも決まっている。それはな、生活費を貰うためだ」

「生活費を?」

「ご主人様は毎回まとまった金額を渡しているようだ。でもシンシア様としては、血のつながっていないアルバート様にへつらうのが嫌だから、いつもああして気位の高い振る舞いをなさるわけだ。おまえに当たり散らしたのも、そのストレスが原因だろう」

「以前は私が怒られていたからな。だから気に病むことはねぇよ、玲」


 両手を広げて俺のフォローをする紫音。

 というか、こいついま「玲」っていったか。名前呼び捨てですか。


「えらいフランクだな、黒石」

「韮沢って苗字呼びづらいもん。べつにいいだろ、一緒の屋敷で働く仲だし。なんならおまえも私のこと、紫音って呼んでいいんだぜ」

「お、おう……そうだな、そうさせて貰うわ」


 美人ではあったが、明らかなる不良娘だった頃と比べ、紫音はとっつきやすく、チャーミングな笑顔まで見せるようになっている。そんな女子に親しくされて、俺はひさしぶりに薄笑いを浮かべ、気持ち悪い顔になってしまった。


(いかん、ここは話題を変えねば……)


 そう心の中で思ったが、会話を元に戻したのはカーソンだった。


「シンシア様はアルバート様の義母にあたるという微妙な立ち位置の方だ。しかしそんなことはおくびに出さず、誠心誠意勤めればいい。そうすればきっと道はひらける」

「そうですね、ただでさえ母親の相手は面倒だというのに。ご主人様の立場こそがもっとも神経質になることでしょう。そこに思い到らず、私が浅はかでした」


 俺は自分の母親のことを思い出した。

 何かといえば成績優秀な妹と比較され、窮屈な思いをしていたこと。


「母親ねぇ……」


 俺の発言を受けて、紫音が遠い目になった。何か思わせぶりな顔つきである。


「私は孤児院に入る前、叔母さんに育てられてたから、その辺りの細かい機微はわからないけど。正直、いないよりいてくれたほうがよかったような気がするよ。無いものねだりかもしれないけどさ」

「ああ、わかる気がする」


 我ながら適当な相づちを打ったが、俺は紫音の発言にかすかな違和感を覚えた。

 俺の記憶が確かならば、紫音に母親はいたはずだ。以前、三者面談が重なったとき、母親と称する女性に挨拶をされた覚えがある。紫音は不良娘だったので、クラスメートとの関係に気を配ったのだろう。問題児の娘を抱え、苦労がしのばれる女性だった。


(もしかしてこいつ、母親の記憶を失っているのか……?)


 アルはその辺り、ぼんやりとしていたが、月は明確に記憶を失っていた。そして自己の一部を欠落させていた。転移者にまつわる同様のルールが紫音にも該当していると考えるのは決して不自然なことではあるまい。


 そう考えると、屋敷に来てからの紫音の変貌ぶりにも納得がいく。こいつは誰にも近寄らない孤独なぼっちだったのに、一変してハイテンションな奴になっちまっている。


 それ自体は悪い変化とはいえない。むしろ、とっつきやすくなって親しみを覚えるくらいだ。いくらぼっちな俺でも、当たりのキツい相手より、ソフトなほうが何倍もましだ。

 だから俺はいった。紫音の記憶を試すように。


「紫音、おまえ母親がいなかったんだな」

「気を遣わしちまったか。すまん、すまん。べつにそれで悩んでいるわけじゃないから」


 紫音が両手をぶんぶん振って、俺の発言を打ち消そうとする。

 顔に浮かぶは困ったような苦笑い。かわいいじゃねぇか、惚れてまうやんけ。


 そんなおしゃべりで盛りあがる俺たちだが、これまで無言を貫いていた雪嗣が一足先に食事を終えようとしていた。


「ごちそうさま」


 すっと立ち上がり、そそくさと食器を片づけようとする。

 その背中に、カーソンが声をかける。


「なあ、ユキ。だんまりは寂しいじゃねぇか。おまえもおしゃべりに付き合えよ」


 それはカーソンなりの配慮だったのだろうが、ぼっちにしてみれば、もっとも言われたくないセリフだったろう。


 案の定、雪嗣は体を硬直させ、機械みたいな動きでこちらを振り返った。戸惑いが彼を襲ったようだ。俺も同じぼっちだから、彼の気持ちが手に取るようにわかる。


 斯くして雪嗣が口を開いていった発言は、この場の空気に相応しくないものだった。


「カーソン様。俺はこいつのフォローをする気はありません」

「なに?」

「目つきが悪いのは俺も同じですし、シンシア様がこいつにつらくあたるのは、きっと他にも理由があるのでしょう。それはこいつが自分で改善していくことのはずです」

「おい、雪嗣。おまえシンシア様の肩を持つのか?」


 聞き捨てならない発言に、俺の口調も刺々しくなってしまう。


「イラッときたみたいだな、韮沢。だが俺は、本心をいったまでだ。できればおまえがこのまま嫌われて、クビにでもなってくれれば本望だ」


 それはなごやかに進んでいた夕食の場を見事に壊すひと言だった。


「空気がぶちこわしだろ、勘弁しろってまじで」


 雪嗣のほうを向き、紫音が顔をしかめるが、彼が動じる気配は感じられない。

 そのままスタスタと歩き、使用人室を出て行ってしまった。


「やれやれ、ユキの態度にも困ったもんだ」


 カーソンは肩をすくめ、俺と紫音を呆れ返ったように見まわす。


「たぶん、雪は玲と同じ第一下僕なのが気に入らねぇんだよ」


 紫音はそう、嘆息しながらいう。


 俺はといえば、一週間前のやり取りを思い出していた。俺の第二下僕でいいという提案を、アルは考慮してくれなかった。雪嗣としては自分のほうが上だという意識があるのだろう。俺が第一下僕として勤めるなら、自分は従者か執事であるべきだと。


「それはあるな。レイはアルバート様に気に入られているようだし。主人の寵愛を奪い合うのは使用人らしいと言えないことはないが、あんまり意固地だと目に余るぜ」


 最後に食事を終えたカーソンが、沈鬱となった俺たちを励ますようにいった。


(雪嗣が俺に冷たい理由、本当にそれだけなのだろうか……)


 俺にとって雪嗣は、もっとも取っ付きづらい相手だ。月のときのように、失った記憶が何かを知ることもできないし、変化らしい変化は、以前よりしゃべるようになったことくらいだ。しかしそのしゃべる内容が、ことごく奴の傲慢さを示すだけときている。


(俺は今後、奴との距離を縮められるのだろうか……)


 転移した世界の共通ルールを掴み、転移の仕組みを探っていくこと。それをなし遂げるためには、雪嗣を放っておくわけにはいかない。


 シンシア様の件で疲弊した俺に、面倒な課題がもうひとつ付け加えられたようだった。

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