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修学旅行




 ――くそっ、やっちまった……。


 歩道へ乗りあげるアウディに跳ね飛ばされた俺――韮沢(にらさわ)(れい)は、脳裏に後悔の念を思い浮かべていた。


 俺を轢いたのは、猛スピードで車道を外れた大型乗用車。

 運転手は眠っていた。居眠り運転だ。

 俺は柄にもなくクラスメートを庇い、彼らをどけ、車の真ん前に踏みだしたのだ。


 このままでは死ぬ。ほんのわずかな時間でそう確信した。

 体がくの字に折れ曲がり、鮮血が空を舞う。

 俺は口から血を吐いていた。内臓が潰れる音がした。


 ネットでよく見る転移もの小説に則るなら、このまま俺はクラスメートを助けた恩人として死に、べつの世界へと転移する。そこでもうひとつの新たな生を受ける。

 そうならなければあの世だ。死後の世界で同じように新たな生を受ける。


 どちらでもない場合、どうなるだろう。

 無だ。

 完全なる深淵。自己の消滅。


 猛進するアウディに跳ね飛ばされた俺は一瞬のあいだそんなことを考えた。やたらとスローモーションな思考だ。俺を轢いた乗用車が黒塗りのベンツだったら、運転手はきっとヤのつく自由業だろうと特定できたのに。


 ついでこれまたスローな光が見えた。走馬灯というやつか。


 視界を覆うのは、死ぬ直前に体験した出来事。

 ああそうだった。俺は修学旅行に来ていたのだ。クラスメート四人と班行動で京都の寺院めぐり。旅館に戻る帰り道、居眠り運転のアウディに追突されたのが俺たちだ。


 一緒の班だった彼ら彼女らを守ったことに特別な意味はない。なんというか、体が勝手に反応しただけ。気づけば後の祭りだった。


 俺が見た走馬灯は、孤独に慣れたぼっちどもと過ごす他愛もない時間。

 死ぬまえに思い出すにはあまりにも平凡な記憶。

 もっともそれを知るためには、時計の針をほんの少しだけ巻き戻す必要がある。


 ◆


 俺が通う県立所沢南高校(通称・南校)の二年生は、校内行事として、京都へ二泊三日の修学旅行に行くことになっている。

 初夏の京都。ドがつくほどメジャーなチョイスだ。


 しかしそのわびさびを味わうには俺たちはどこか幼稚すぎ、バスに乗って向かった巡回先の神社仏閣なんかには興味は更々なかった。


 思うに修学旅行とは、べつに寺や神社が重要なのではなく、そうした場所を仲の良いメンツとともに散策することに意義があるのだろう。つまり学びの場というよりは一種のレクリエーションなのだ。


 そんなことが事前にわかっていながら、班決めのとき、俺は教室でぽつんと立ち尽くすはめになった。一緒につるむ友達なんて俺には一人もいなかったから。


 ほとんどのクラスメートが班決めを終えたあと、俺は、自分と同じく壁の花となった四人と、残り物同士で集まり「班」を結成した。まるで売れ残った野菜のような扱いであった。


 そんな俺たちの残念っぷりは、目的地である京都に行っても遺憾なく発揮された。


 一日目の自由行動では、定番中の定番、金閣寺に向かうことになっていたが、道中の写真を誰ひとり撮るわけでもなく、空気は曇り空みたいによどんでいた。


 そして金閣寺(正式名称は鹿苑寺)に着いて早々、ただでさえ微妙な空気をぶち壊したのは、班メンバーの一人、中野(なかの)(るな)だった。


「金閣寺ってリアルで見ると結構しょぼいですね」


 彼女の放った第一声がこれ。

 それいっちゃったらわざわざ巡る意味ねぇじゃん!


(正直すぎだろ、中野)


 なけなしの配慮をきかせ、俺は心の中でツッコむ。


 さすが、クラスのボス的な女に「サルみたいに群れちゃって馬鹿みたい」とひと言もの申してハブられただけのことはある。虫も殺さないような可憐な笑顔で相手をひと刺しにする空気読めない発言は月の十八番だ。


「でもこのお寺って、三島由紀夫の小説の題材になったんだよね」


 そこへ日本文化に造詣の深いイギリスからの留学生アルバート・ネヴィル、通称アルが合いの手を入れる。こいつはぼっちの中でも最もコミュ力が高く、壊れた空気を元に戻そうとしてくれたのだろう。男前というよりは、どちらかといえば可愛い系の顔を崩し、気安くみんなに話しかけていた――しかしである。


「黒石さんの感想はどう?」


「……べつに」


 会話をつなごうと水を向けたアルを、黒石(くろいし)紫音(しおん)が撥ね付けやがった。真っ赤な髪をした不良少女である紫音は、顔を隠すようにしながら、ササッと音がでそうなムーブでアルとの距離を取った。まるで絶対に近づきたくないとばかりに。


「あはは……」


 乾いた笑い声を立て、めげないアルは今度はもう一人の班メンバー、(とび)雪嗣(ゆきつぐ)に話を振った。正確には振ろうとした。けれど失敗した。肩に触れようとした手を引っ込め、すっと距離をとった。なぜか?


「……触んな」


 遠くに向けていた視線を戻し、雪嗣がぼそりと言った。そこには「近づくな」オーラがATフィールドばりに張り巡らされていたのだ。背は低いのに喧嘩が強く、学校内外で無敵を誇るとまことしやかに語られているだけのことはある。鋭く睨みつけるような目つきに怖い顔。可哀想なアル。火傷する前に逃げて正解だ。


 ちなみにここまでのやり取りでわかったと思うが、俺は、心の中では相手を名前で呼び、表向きは苗字で呼ぶという特殊な習性の持ち主だ。


 それにより大して親しくない相手でも友達感がぐっと増すのだが、ああ、わかってる。友達なんていないのに、心の中では友達プレイに興じるなんてキモいだろうさ。


 そんなキモ野郎に話しかける奴はいるまいと、俺はスマートフォンのカメラアプリを立ち上げ、金閣寺の写真を撮ろうとした。妹への土産話にハクを付けるためだ。

 と、その瞬間。


「撮ってください、玲さん」


 ファインダーの中に月が飛びこみ、ピースサインをかましている。頭の片側に結わえたポニーテールが揺れ、胸元で十字架のネックレスが光った。


 空気を読めないだけで、基本馴れ馴れしい彼女らしい行動だと思った。けれど自慢じゃないが、想定外のアクションに俺はめっぽう弱い。


「お、おう」


 どもりながらシャッターをポチりと押す。ポニーテールが可愛らしく揺れたところまでしっかり撮影できたと思う。ありがたい。一生の宝物にしよう。


「玲君、ぼくも撮って」


 月の位置に割り込み、今度はアルのやつが、輝く金髪をかき上げ、微笑んできた。


 一応説明しておくと、こいつらが俺を「玲さん」やら「玲君」と名前で呼ぶのは、クラス最初の自己紹介で「できれば苗字で呼ばないでください」といったからだ。フランクさをアピールしたかったからではない。自分の苗字が嫌いだったのだ。


 そんな昔話に浸りつつ、俺は今度はスマートフォンを水平に動かし、仲間の輪に近寄らない紫音と、近づくなオーラを放つ雪嗣のふたりに向けてみた。


「ちょっ! 写すんじゃねぇよ!」


 案の定、ドスのきいた声を上げ、紫音はファインダーから逃げだした。


 雪嗣はといえば、こちらをじっと三白眼で睨んでいる。その近づくなオーラが凄すぎて、激写すれば心霊写真にでもなってしまいそうだ。


 修学旅行の班行動といえば、友達とつるんだ集合写真で思い出一杯とかなのに、俺たちは一体なにをやっているんだろう。


「来てみてわかったけど、金閣寺よりイギリスの宮殿のほうが豪華絢爛だね」

「いえいえ、さすがに金閣寺のほうが上でしょう」


 会話らしい会話といえば、アルと月のおしゃべりくらい。


「でも実物の宮殿を見たことないでしょ? あれはびっくりするよ」

「それをいわれると否定できないですが。玲さんも味方してください」


 ぼんやりしていると、月に促され、俺も会話に参加することになった。

 無論、どもりながら「お、おう……そうだな」とかいう程度だが。声が小さくて、たぶん月には聞こえていない。


「もう、玲さん。無視すると肩ぱんち入れるから」


 やっぱり無視していると間違われた。

 月のグーぱんちが肩にめり込む。

 あ、このじゃれあってる感じ気持ちいい。写真と併せて一生の宝物にします。


 ……そんな感じで俺は相変わらずキモく、他の四人はバラバラの行動。さすがはクラスで浮きまくり、どこの班にも属せなかったはぐれっこ分隊。

 さながらアルは分隊長だが、全員の行動を縛るのは最初に決めたロードマップのみ。

 けんもほろろの扱いをされた金閣寺が心底憐れに思えてくるね。


 ◆


 不協和音の寺院巡りの後は、土産物などをショッピングすることになっていた。


 初めて京都を訪れたアルは、人気の八つ橋専門店に行くべきと主張し、他の面々もなんとなくそれに従う。

 主体性がないのか。土産物に興味がないのか。


 そんな中、俺は一人の人物のことを考えている。なぜなら俺は、修学旅行直前、同じ班となった仲間のうちの一人に……そう、告白されていたからだ。驚くべきことに。


 告白。いわゆる好きです付き合ってくださいというやつだ。


 きょうの俺が無駄にキモいのも、その告白のことが頭を占めているからだろう。

 ぼっちの俺になぜ? どこが好きになったの? と思わなかったといえば嘘になる。

 それは人生を通じて唯一の愛の告白だった。相手からは、最終日に返事を聞かせてくれといわれている。


 肝心の俺の気持ち自体は、まだ何も固まっていない。

 クラスメートが仕掛けたどっきりじゃないかと未だに疑っているくらいだし、俺は自分に自信がないから、その可能性はきわめて高いと思っていた。


 けれどもし本当だったとしよう。たとえそうだとしても、俺にはそいつの気持ちを受けとめる力がないかもしれない。


 俺は、中学の頃受けた酷いいじめによって一度自殺をしようとしたことがある。そのときに、学んだのだ。


 いじめ程度で失われる命の軽さというものを。


 普通は命に価値があると思われている。その摂理を裏切るかのような無価値さを。

 以来、俺は信じているのだ。「命には等しく価値はない」と。


 高校生になってもそれは変わらなかった。自殺を考えることはなくなったが、厭世的な思想を身につけ、新しい環境に身を置いても、俺は孤独を愛するぼっちになった。


 そんな俺に、誰かをまっとうに愛する資格があるとは思えない。

 くだんの相手の告白を受けとめかねている最大の理由だ。


 悶々とする思考を片隅に追いやり、俺たちは一軒の土産物屋に向かった。

 そこは京都でも人気の店だという。なので先刻予想したとおり、店は修学旅行客でごった返していた。少し順番を待つ形になって俺たち五人が外で待っていると、


「うひー、マジで(あち)いな」


 団扇を扇ぎながら、チャラい格好をしたグループが店を出てくる。

 彼らは互いによそ見をしていた。だからだろう。外で入店を待っている俺たちのほうに迷わず突き進んできた。体を避けるそぶりもない。

 肩がどすんとぶつかった。ぶつけられたのは雪嗣と紫音だ。


「痛えな、謝れよ」


 ぼそりと雪嗣が呟いた。それは小声だが、チャラ男の耳には十分届いたらしい。


「あん? なに言ってんのテメエ」


 瞬く間に表情を悪化させるチャラ男。背の低い雪嗣を見下し、肩を怒らせている。


「うっせえな、テメエが先にぶつかったんじゃねぇか」


 険悪なムードに油を注ぐように、ヤンキー丸出しで紫音が啖呵を切った。


「ヒロちゃん、やっちゃいなよ」

「チビと女だ。世の中のルールってやつを教えこんじまえ」


 チャラ男グループは俄に騒がしくなった。彼らに人を見る目はゼロだ。そう断言できる。俺があいつらなら、雪嗣に喧嘩は売らない。紫音に暴言に吐かない。特に雪嗣は背が低いだけで体力は恐ろしく高い、学校内外で無敵を誇ったという喧嘩キチガイだ。虎に兎は勝負を挑まない。そっと道を譲るのが、後者の処世術というものだ。


 俺が遠巻きに様子を眺めていると、案の定勝負はあっという間についた。

 雪嗣がチャラ男の腹に強烈なボディブローをお見舞いしたのだ。これでチャラ男は完璧にダウン。呻き声をあげながら地べたに(うずくま)ってしまった。


「他にやる奴はいねぇのか」


 紫音がチャラ男グループを挑発する。彼女としても一戦交えたかったのかもしれないが、あいにく相手が弱すぎた。メンバーの一人を沈められたことで彼らは意気消沈している。


「なんだよ、つまんねぇな」


 赤い髪を翻し、紫音は店に入っていった。

 雪嗣も無言でそれに続く。俺たちもそのあとについていった。

 しかし入店しても互いに無言。一緒に見て回るわけでもなく、ほとんど単独行動だ。


 そんな中、俺は気になる土産ものを見つけた。木刀である。

 俺のたったひとつの取り柄が剣道なので、店奥に並ぶやつを買って帰ろうか、と思ったのだ。

 少々迷った末、俺は木刀を二本取り出し、レジに持っていった。


「そんなもの二本も買うんですか?」


 背後から月が声をかけてきた。


「ああ。妹のぶんも買ってやろうと思って」


 淡泊に答え、俺は店を出る。

 そこには先に買い物を済ませたアルが待っていた。一応分隊長的ムーブである。


「きょうは中々楽しかったな。あすは各自別行動だし、ふたりきりで回りたいね、玲君」

「お、おう……」


 ふたりきりという部分に過剰反応し、俺はきょどってしまう。

 実際、あすどういうパーティ分けになるか、俺たちは何も決めていない。

 全員でもいいし、好きな相手と行動してもいい。教師からはそう指示されていた。


(アルとふたりきりか……)


 見れば紫音と雪嗣も土産物を買ったらしく、店から連れ立って出てきた。

 そして俺たちは旅館への道のりをぎくしゃくしながら歩いて行く。

 冒頭のアウディが突っ込んできたのは、まさにその最中であった。


「あいつを守らなければ」


 班のメンバーを庇うような真似をしたとき、俺はたぶん誰かを助けようとしていた。

 結果、車の前に立ち塞がり、まっさきに轢かれてしまった。

 きっと「命は無価値」などと信じて、命を軽んじたせいだろう。

 神様が怒り心頭に発し、巨大な罰を下したのだ。


(俺、確実に死んだな……)


 これで本当によかったのかな。

 薄れゆく後悔を残し、真っ赤な花を道路に咲かせ、俺の意識は消えようとしていた。


 その先は無か、死後の世界か、それとも——

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