どじょにょろり
田中さんがドアを開けると、小さな女の子が立っていた。その子は、目の回りに包帯をぐるぐると巻いていた。
「りまの目を持っていませんか。」
「持っていないよ。」
田中さんは嘘をついた。
その子は黙ったままなので、
「本当に。」
とさらに嘘をついた。
(正直な田中さん)(正直なのが取り柄な田中さん)(いいえ、田中さんは嘘つきです)
「りまといいます。」
「え?」
「りまの名前です。」
女の子はお辞儀をした。
「……うん、分かっているよ。私は田中だけれど、……言わなくても分かる。」
「はい、田中さん。」
「いいえ。」
「よろしくお願いします。」
手を差しのばされたので、田中さんは腰をかがめて握手をする。(やわらかくてあたたかいあくしゅ)
田中さんはりまちゃんを観察してみる。相手は自分をみることができないのだから(おもうぞんぶん)(なめるように)観察をする。
「寒そう。」
(当たり前)(真冬だもの)(たなかさんはおかしなひと)
「ココアでも飲む?」
「頂けたらうれしいです。」
「うん、じゃあおいで。」
田中さんはりまちゃんの手を(もう一度)そっと握る。りまちゃんは驚いたように顔をあげて、すぐににこりと笑ってみせた。
「ありがとうございます。」
「いいえ。」
たなかさんのおかあさんはしんじゃった
田中さん お母さん しんじゃった
田中さん しんじゃった
(三ヶ月前のこと)(あれは仕方のないこと)(田中さんの唯一の趣味のお母さん)(唯一のお金の使い道のお母さん)(つまらない人生)(つまらない人生)(つまらないくえすちょんまーく)
「いいえ」
りまちゃんはちびちびとココアを飲む。
田中さんはのんびりとココアを啜る。
「あまいあったかいおいしい。」
りまちゃんは呟いた。
「ん?」
田中さんは自分に話しかけられたのかと思い。
「ひとりごとです。」
「そっか。」
久しぶりにココアを飲んだ、と田中さんは(ふと)思った。
「ごちそうさまでした。」
りまちゃんは丁寧にお礼を言った。
「いいえ。」
(また)
田中さんはコップを置いた。
「そう、ホッケが目を返して欲しいって言ってるんです、田中さん。」
「ホッケ? ……魚?」
りまちゃんはぷくっと頬を膨らました。それから恥ずかしくなって。(可愛いのに)(子どもっぽくて)(だから恥ずかしい)
田中さんはりまちゃんのほっぺをつつく。
「ぷくぷくしてる。」
(田中さん)(田中さん)(触っちゃだめ)(殺そう)(それはだめ)
「ホッケは人間です。名前です。」
りまちゃんは早口になった。
「ホッケは王子です。」
「王子。」
田中さんは不思議そうに繰り返した。(子どもの妄想だと)(田中さんはそんなこと思いません)(おもうおもってる)
「りまが目をうしなうと、ホッケは困ってしまいます。りまは仕事ができません。りまは何もかも見えなくていいのに、目がないと何もかも見えてしまうためにホッケはめいわくなのです。」
「りまちゃんは見えなくていいの? 見たくないの?」
「もちろんです、ホッケの迷惑にはなりたくはないです。」
田中さんは困ったなあと思った。ドアを開けなければ良かったと後悔を(失礼な人)(そうかしら)していた。
(あ)(睡眠薬かな)(まさか田中さんはそんなことしないです)(でも意識が朦朧としてる)(弱いのね)(強い)(うそつき)
へえ君が
今度は子どもか
いや問題ないよ
君はどうくえすちょんまーく
そうか良かった
それでは今から君はりまだ
死ぬまでずっとりまだ
かわいそうに
(やっぱり睡眠薬じゃなかった)(なんだかんだで子どもだもの)(なんだかんだ)(あったかいもの飲んだから安心して眠くなっただけで)(もう三ヶ月寝てないから)
「うるさい……。」
りまちゃんは目を覚ました。
「……布団だ。」
(布団です)(田中さんがひいてくれたんです)(田中さんは隣で寝ています)(起こしますか)
「うん。」
田中さんは目を覚ました。
(起き上がれますか)
「田中さん。」
「あ、りまちゃん起きてたのか。」
田中さんは起き上がった。
「大丈夫? もしかして体調悪いのかな?」
「だいじょうぶです。有り難うございます。」
「ほんとう? でも、顔色悪いかも……もうちょっと寝てていいよ。」
「本当に大丈夫なので。ありがとうございます。」
りまちゃんは首を振った。
(本当は)ずきずきと頭が痛い。痛い痛い。はやく戻りたいなあとりまちゃんは思った。ホッケの近くじゃないと、ホッケ以外のものを見ると頭痛がする。痛い痛い痛い痛い痛い。痛い。
田中さんは(いっぽう)ぼんやりしている。
ちょっと人生について考えている。
(落ち込んだ)(落ち込んでるね)(馬鹿みたい)
「田中さん。」
「ん? 何?」
「目を戻すまで帰ってくるなとホッケに言われてしまいました。」
ホッケさんは酷い人だと田中さんは思った。人生について考えるのはひとまず止める。
「だから返して欲しいんです。」
りまちゃんは頭を下げる。
「そうだとしても、私の目は私のものだもの。」
田中さんは言った。可哀想だけど、と微笑んで。
「りまちゃんにはあげられない(から)(返せない)。」
「田中さん、りまの目はりまのものです。だから田中さんにはあげられません。」(対抗心)
りまちゃんは包帯をとった。
「くうどがふたつ。
まっくらららら。
へびへびへびへびへびへびへびへびへびへびへびへびへびへびへびへびへびへびへびへびへびへび
蛇
蛇
蛇
ぱくり
ずぶり
ぐーるぐる
ばあたんたんた」
『だれともおつきあいしたことがないそうで』『ともだちもいないみたいで』『べんきょうしかしてこなかったらしいし』『ずうずうしいおやこよ』『しごとをやめたんだって』『じつはねあのひとがすんでいるいえはわたしのものなのよそれをかしてあげてるのただよだたでかしてあげているのになにもいわないのよじょうしきがないのね』
『なにがたのしいのかしら』
『なんてつまらない人生なのかしら』
田中さんは目を覚ました。つまり、目がないことに気づいた。田中さんはため息をついた。
見たくない。汚いものしかない世界なんて見たくない。綺麗なものしか見たくない。
「りまちゃん?」
りまちゃんは田中さんの側にいる。おめめが二つ。包帯がはずれている。
「返してくださりありがとうございました。」
皮肉っぽく(生意気な小娘)チャーミングに(どきん)りまちゃんは笑った。
(つまりは)(まとめれば)(ハッピーエンド)(第一章はハッピーエンド)(第二章はハッピーエンド)(第三章もハッピーエンド)(いつまでも平行線)(平行線のハッピーエンド)(平行線の幸せ)(おめめは二つ)(おめめは二つ)(おめめは二つ)