八話
side クジミ(緋澄瑞樹)
ヒズメに軽い手ほどきをしてイゴニバムオンラインにログインすると、もうまもなく夜が明けるかという時間帯だった。
イゴニバムオンラインの時間は一時間が現実時間の一分になる。膨大な時間をすごせるのはいいが、感覚的にはしっかり一日過ごしているのと同様なので、あまりにも長時間のログインを続けると現実の予定を忘れてしまうのが玉に瑕か。
(…ヒズメがしたいことって何かしらね…)
VRMMOは初めてプレイするといっていたが、オンラインゲームというジャンルで言えばヒズメのほうが圧倒的に長い。そんな彼が何を差し置いてもやりたいこと…正直予想ができない。
(まぁ、いいか。どうせ内部時間の正午には一度集合するって話だったし。そのときにわかるでしょう)
その間は…せっかくだし、正式サービス開始と同時に実装されたステージがある。βのときにはなかったアイテムや装備も実装されたと聞いた。
イゴニバムオンライン。
『異世界で生活してみませんか。
冒険者となって未開拓地息をめざす。
騎士となり主君と定めた相手に尽くす。
商人となって都市から都市へと渡り歩く。
はたまた犯罪者となって悪逆の限りを尽くす。
現実では不可能なことも、努力次第で何でも実現できる世界』
三年前にαテストを行い、二年前にクローズドβが実施された。
αテストの段階でそれまでのVRMMOを遥かに凌駕するできのよさにゲーマーたちはそろって驚愕した。
αテストの募集人数はたったの十人。
Cβは千人。αの段階で住人のプレイ動画が公開されていたこともあり、その枠への応募は実に一万倍にも及んだ。
Oβの募集はCに追加で一万人。言うに及ばず、応募は殺到し募集後五分と経たずに募集人数が超過した。
緋澄瑞樹ことクジミはCβからの参戦者だ。
もっとも、どうしてもやりたくて、といった理由などは特にない。最初始めたきっかけはなんとなく応募したら当選した、それだけの理由であったのだから。
そんなクジミがこの世界に熱中したのは単に、『努力次第で何でもできる』というフレーズに一切の偽りがなかったからだろう。
(…始めのころはほんとに、リアルの自分にできることしかできなかったのにねぇ)
今では槍の一振りで草原をなぎ払い、天を突けば空が割れる…などということもできなくはない。
(今日は…そうね。あの子なら生産に手出しそうだし素材でも集めておこうかしら)
あぁ、あの子は一体、この世界で何を見せてくれるのかな。それが楽しみでたまらない。
*****
『♪』
新エリアで敵勢modの群れを相手にしていると頭の中に軽快な音が鳴った。
「…コール、受信、っ!」
『お、出た出た。クジミ、お前今どこに居るんだ?』
コール。タイトルによってはボイスコール、ナイショ、ささやきなどと呼ばれることもある個別通信機能だ。
「セェアァッ! …ソウ? 何のよう? 今緑障平原に居るけど」
聞こえてきた声は火砥霜ことソウの声だった。まとわりつく両生類もどきの魔物を両断し一息いれることにする。
『は? 腐れ平原? まだ実装されたばっかだろ!? お前ドンだけ戦闘狂だよ!?』
緑障平原。通称『腐れ平原』の名で呼ばれる、今回の正式サービス移行に伴い追加された高難易度フィールドだ。その異名の通り腐食や猛毒などのバッドステータスを付与するモンスターが最低8体から絶え間なく襲い掛かってくる。
かつてあったという一柱の神の襲来、それを皮切りに活発化した魔物の勢力。現在平原となっているこのフィールドは昔、それなりに栄えた地方都市があり、交通の要となっていた。当然交易要所でもあったためかなりの戦力が常時駐在していたのだが、絶え間なく、また次から次と続く魔物の襲来にやがて放棄され魔物のはびこる地になったという。
魔物の放つ毒素により建造物は朽ち果てちりとなり、今では都市があった痕跡すら見られない。ただただ毒沼と異形の樹木が点在する、平原とは名ばかりの毒沼だ。
「…失礼ね。ただ、強い敵をなぶるのが好きなだけよ」
そんな中をソロで戦い抜くというのは十分戦闘狂と呼ばれるに値する。もっとも、やりたがらない、というだけでCβ参加者の大半は今のクジミと同じことができたりするが。
ちなみにソウはOβからの参戦組だ。クジミがcβ参加者だというのは知らないが。
『…戦闘狂って言うかドsかよ…。まぁいい。そろそろ集合時間だが、集合場所覚えてるか?』
「当たり前。大聖堂前でしょう? 私がヒズメとの約束忘れるなんてありえないわ」
『…俺との約束はよく忘れるけどな』
ソウが胡散臭そうに。
「興味ないもの」
『…ソッスカ』
一体、何を当たり前のことを…。
「すぐ向かうわ。時間には間に合うようにするから安心して」
****
「に…兄さんが女の子になったぁぁあああああああ!?」
集合場所に着く寸前。ずいぶんと聞き覚えのある声がひびいてきた。
「…は?」
意味が分からない。ヒズメは間違いなく男の子だ。時折お風呂に入れるのだから間違えるはずはない。
さらに、イゴニバムオンラインにおいて性転換をすることはできない。長期間の性転換によるプレイが肉体および精神に与える影響がどうとかで法律で禁止されているためだ。性別はギアの初回登録時に入力され、以後そのデータがすべてのタイトルのあばたー情報に反映される。
性転換があり得るとしたら、初回の登録時に入力ミスしたか(もっともしつこいほどに確認されるので可能性はかなり低いが)故意に誤入力した場合だが…それは、ヒズメに限ってありえないだろう。
(ということは…何らかのバグが発生してる…?)
放置するには少々面倒なバグだ。早急に手を打たないといけない。
「あぁ…まったく、運の悪い…」
なんでよりによってあの子なのか…。こうなったらバグ報告から対応されるまでの間めいっぱい愛でるとしよう。
****
大聖堂前に到着すると、そこには変態がいた。
「…、何か、言い訳は、ある?」
変態が幼い女の子の上に覆いかぶさっていた。
「ぅえ!? ちょっと待ってくれ! お前勘違いしてるぞ絶対!」
あわてて弁明しようとするソウだが、
「…あ…? みず、き?」
押し倒された幼女…ヒズメが、無意識にクジミに手を伸ばしたことにより、運命は決まった。
「…あの…クジミさん…? これには、理由があって…ですね…?」
「…問答無用!」
…余談だが、現在Cβからの参加者の半数は単独でレイドボスを倒しうる戦闘力を有する。その中でも、クジミというプレイヤーはトップランカーに位置しており…。
結果、ソウは大聖堂の十字架に吊るされることになった。
「大丈夫ヒヅメ!? 変態に何かされてない!?」
クジミの見事なアッパーカットに口を可愛らしく開けて呆然とするヒヅメ。その様子を、さらに明後日の方向に勘違いするクジミ。
「ちょぉ!? クジミちゃん女の子がしちゃいけない顔してる!? 待って待ってせめて説明聞いてから行動してぇ!?」
仮想世界の中だというのにリアルな死の気配を感じたソウを救ったのは日暮芽衣ことヘカテだった。
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「ふぅん…。あんたの大剣を支えれれなかったリコリスを支えようとしたら、足を滑らせた、ねぇ…ラッキースケベは自分のヒロインにしなさいよ」
「いや、そんなん制御できるもんj「あ゛ぁ゛?」イエ、オッシャルトオリデス」
数分後、なんとか自力で降りてきたソウは即座にリコリスに土下座させられていた。
「たく…なんて羨ましい…」
「く、クジミちゃーん…逆、逆…ていうかどうやってるのそれ…」
リコリスを抱きかかえたクジミ。その背後に漂う不気味なオーラにおびえるヘカテ。
ソウにとって幸いだったのはこの間誰一人として死に戻りしてくるプレイヤーがいなかったことだろう。どれだけ言いつくろっても、事情を知らない人が今の四人の状況を見れば痴漢を現行犯で問い詰めている三姉妹にしか見えないのだから。
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