ギリシャ風の誕生日の祝い方
「日本では誕生日を祝うのではないか?」
「……は?」
わたしはフラッペのストローを咥えたまま、テーブルをはさんで向かいにいるきつい美貌を見上げた。
低血圧のせいか。ちょっと不機嫌そうな顔。
寝起きのまま、無精ひげも剃っていないレオーネは、金髪だからだろうか、それほどむさくも見えない。
まるで本人の性格をそのままあらわすような癖の強い髪は跳ねまくっている。
ギリシャの朝の空は、抜けるように澄み渡っている。
いつまでも教会に閉じこもっているのがもったいなくて、散歩に出かけた。
広場プラティアの喫茶店で出されるフラッペは泡立てたインスタントコーヒーのことで、グラスの半分ほどは泡でストローがないと飲めないという代物だ。
アテネでは、ギリシャを代表する夏の芸術祭がヘロド・アティクス音楽堂やリカベトスの丘にある野外劇場で開催される。
オーケストラやポピュラーミュージックのコンサート、演劇、舞踊など、世界中の一流パフォーマンスを堪能できるのだ。毎年6月から9月までスケジュールが組まれる。
アクロポリスの麓にあるヘロド・アティクス音楽堂は、遺跡をそのまま利用した半円形の野外劇場で、そこで行われるクラッシックのコンサートに行きたいと言うと、レオーネは断固として反対したのだ。
レオーネはわたしのボディーガード兼、友人――恋人とは言えない。
なぜ、財界や芸能界のセレブリティでもない、一般人のわたしに、こんなボディーガードがついているのかというと、理由がある。
父が宗教団体の有名人で、何かとマスコミの餌食になることが多いのだ。
聖職者にわたしのような隠し子がいることが公になっては、いろいろとまずいわけである。
その代わりと言っては、あまりにも釣り合いがとれないのだが、朝の散歩に誘ってみた。
本当はアテネ・フェスティバルなどどうでもよかった。人ごみはあまり好きではないから。
ただ、ちょっとだけ“デート”というものをわたしもしてみたかった。 ……でも、そんなこと、本当は許されるわけないんだけど。わたしだって、いつかは神に仕える身になるのだし……。
「レオーネさんの誕生日……先月でしたね」
それなりにお祝いをしたかったのに、彼は任務のためヴァチカンへ行っていた。
レオーネはヴァチカンのスイス衛兵隊の将校で彼が本来、守るべきなのはキリストの代理人だ。
わたしなどの護衛をしているのが、おかしな話なのだ。
そんなことは判っている。
自分の考えが、わがままなのも十分、承知している。
それでも、放っておかれたようで寂しかった。
「ギリシャじゃ……誕生日祝いって、しないらしいぞ」
「まさか!?」
びっくりして思わず、大きな声が出てしまった。
店内のお客さんたちがいっせいにこちらを見る。
恥ずかしくなって、あわてて口を押えたけど、もう遅かった。
でも、わたしたちが席に座った時から、周囲の人たちは不思議そうに見ていたような気がするんだけど……。
そんなにつりあいが取れないように見えるのかしら。
確かにレオーネは人目を惹くぐらいステキな人なのに、わたしときたら本当に残念すぎるタイプだし。
「嘘じゃないさ」
「でも、……だったらギリシャでお誕生日のお祝いしないんですか?」
なんでもないふうを装って、笑いながら言ってみる。
作り笑いはちょっと苦手。
ちょっと泣きそうな気分になってくるのが、我ながら情けない。
「この国では“名前の日”ってのがあって、誕生日よりそっちを祝うそうだ」
「そうなんですか」
「俺へのプレゼントを用意していてくれたんだろう?」
「…………していません」
思わず嘘を言った。
用意していた花束やプレゼントは、そのままゴミ箱に捨てた。自分だけがはしゃいでいるようで恥ずかしくなったからだ。
けれども、それがすぐに無駄なことだと今さら気がつく。
彼は、袖をめくってフォリフォリの腕時計を見せた。
捨てたはずのプレゼント。
――なぜ?
そう言いかけて、止めた。
レオーネが不在のおりボディーガードは、彼の部下だった。
わたしの行動など、お見通しというわけらしい。
「ギリシャ式のお誕生日祝いって、どうするんですか」
「俺はサクラの国のしきたりでやりたい」
わたしは、ストローでグラスの中身をかき回した。
「それならシンダグマ郵便局の裏の通りにあるトルコのお菓子屋さんで何か買ってきます」
裏通りの“カラキョイ・ギュリュオグルー”とかいう舌を噛みそうなトルコのお菓子屋さんのケーキは、死ぬほど甘かった。
その上、ギリシャのお菓子は基本的に中東系で、バターやナッツなどで重い。
彼が甘いものが苦手なのを知っていて、わざと言ってみたのだ。
「血糖値が上がるぞ?」
「レオーネさん。言ってることがおじさんみたいです」
ぼそっと言い返してやると、レオーネは苦い顔をしてコーヒーをすすった。
ガリコと呼ばれるフィルターコーヒー。
レオーネは砂糖もミルクもいれないが、別にコーヒーが濃かったわけではないらしい。
「それならグランド・ブルターニュホテルの“ウィンターラウンジ”で英国風アフタヌーンティーはいかがですか」
ちょっとイジワルを言ってしまったような気がして、わたしはすぐにとりなすように言ってみた。
グランド・ブルターニュホテルはギリシャで最も高級と言われているホテルで、レオーネのお気に入りだ。
「今、飲んでいるだろう」
レオーネは、コーヒーカップをテーブルに置いた。
もしかしたら“おじさん”と言ったことで気を悪くしたんじゃないかしら。
彼がそんな狭量だとは思わないけど、少し不安になった。
いつも子供扱いされるのが悔しくって、ちょっと言ってみただけなのに……。
「日本で誕生日のお祝いっていったら、ケーキに歳の数だけ蝋燭たてて“はっぴばっすでぃ~とぅゆ~”とか歌うのが定番なんです」
「歳の数だけ、食うのは豆じゃないのか?」
「それは節分……レオーネさん、なんでそんなこと、知っているの」
「サクラに関することなら、なんでも知っている。それより、これで何度目になる。さんづけは止めろと言ったな」
初めて会ったころから、彼は“レオーネさん”と呼ばれるのを嫌がっていた。
でも、恥ずかしくてなかなか、呼び捨てにできないのだ。
「ごめんなさい。……それじゃ何か欲しいものとか?」
「サクラだ」
「…………」
思いがけないことを言われて、頭に血が昇った。
レオーネはすぐに、そんなことを言ってわたしをからかうのだ。
さっきの仕返しなのかもしれない。