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聖愛と俗愛について  作者: 真守 輪
ヴァチカンの姫君
4/7

神聖なキス

「ご、ごめんなさい……わたし……あの……」

 哀れなほどに、サクラは震えていた。手にはしっかりと綿菓子を持ったまま。

 レオーネは、戸惑っていた。

「サクラ。頼むから泣かないでくれ」

 そう言って、うつむきそうになる顔を両手で挟んで持ち上げる。

 涙を浮かべた大きな眼が妙に扇情的に見えて、レオーネはうろたえた。

 だが、サクラは泣き顔のまま、ひたすら謝るのだ。

「ごめんなさい。わたし、たくさんの人たちに迷惑ばっかりかけている……」

「迷惑? なぜ、そんなことを」

「だって……レオーネさんまで、わたしなんかのためにこんな……」

「わたしなんか……なんて言うものじゃないよ」

 幼い子をあやす時には、いつもしていたことだった。子供の相手は慣れたものだ。

 まっすぐにサクラの黒い眸を見つめながら、ゆっくりと言う。

「きみは、とても大切な人だよ。守るのは当然のことだろう」

「……そ、それは誰にとって大切なんですか。わたしは、本当に必要とされているんでしょうか」

 すがりつくような眼に、彼女の必死の想いが伝わってくる。

 レオーネは息をつめた。

 なるほど、彼女が不安定に見えたわけが判ったような気がする。

 自分の存在をこうして否定するから、いつも自信がなさそうに心もとなさそうに見えるのだ。

 生まれてすぐに、親から離され修道院に放り込まれたのだから、そう感じるのも当然だろう。確かに一部の人間にとっては、不要と呼ばれる存在かもしれない。

 だが、彼女は立派な女性だった。

 怯えた小さな鳥のように見えて、燃えるような激しさを隠し持っている。誇り高く強かなシチリア人の血が彼女の中にも流れている。




 レオーネは、後悔していた。

 イタリアの伊達男たちと違って、女性の扱いなどまるで判っていはいない。

 この手をどうすればいいのか。

 少し顔を上げさせたこの角度。

 下から見上げる少女のような面差し。恥ずかしいのだろうか。真っ赤に染まった頬。うっすらと汗をかいた小さな鼻先。柔らかそうな唇。

 誘われるようにして、レオーネは己の唇を娘のそれに押し付けていた。

 柔らかい。

 おそらく綿菓子よりも、もっと柔らかく儚げな、あまり乱暴にしてしまうと溶けてなくなってしまいそうな……そんな錯覚に襲われるほどサクラは、脆く危なげだった。

 だが、触れている部分は確かに、彼女の体温を感じている。


 触れたのは、ほんのわずかな時間。

 まばたき一つほど……ただ、それだけで、レオーネはすべてを奪われたような気がした。

 娘の唇を奪ったのはレオーネの方である。

 それが、たった一度だけのくちづけで、もはや彼自身が骨抜きになってしまった。

 いくら女性経験が少ないとはいえ、こんな女ともいえぬほどの小娘の涙に、翻弄されてしまう己が情けないという気持ちと、このまま娘に溺れきってしまいたい想いがせめぎあっている。

 サクラの黒い眼には、まるで魔力があるようだ。

 初めて出会った時には、この双眸が燃えているかのように思った。

 同じ黒い双眸が今は涙で濡れて、これほどに愛おしいと感じるのはなぜなのか。

 平凡な小娘にすぎないと思っていた。

 何もできない。周囲に振り回されるだけの小さく哀れな存在だった。


 それが今は、魂をまるで呪縛されるように、この眼に絡みとられる。

 ギリシャには昔から、邪眼があると信じられてきた。ルクレツィアがほんの数日で、殺人さえ厭わぬほどこの娘に入れ込んでいる。

 だが、今の俺には魔除けのバスカニアも役にはたたない。


 何がわが身に起こったのかさえ、判りかねている状態のサクラは、ぼんやりとレオーネの顔を見上げていたが、やがて真っ赤になってうつむいてしまった。

 おそらく初めてのキスだったのだろう。

 内心、レオーネは躍り上がりたい気持ちになる。

 この俺がサクラに初めてキスした男なのだ。……もっとも、不意打ちのようにくちづけたに過ぎない。

 だが、すべてはこれからだ。

 これから、サクラの心をつかんでしまえばいい。

 それはできるはずだ。

 今の己が、たった一度のくちづけだけで、こうして恐ろしいほどの勢いでサクラに惹かれていくのだから。

 あきらめられるはずがない。

 彼女が例え、どこかの王女であったとしても、相手が法王だろうが、俺は必ずサクラを奪ってみせる。


 恋すら知らないサクラにゆっくりと、教えてやる必要があるのだろう。

 彼女が、日本のことも枢機卿のことも、信仰する神でさえ、忘れるほどに……。




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