序
がさがさと、何かが地を這う音がする。
とても、とても多くの、虫の這う音。
ネズミのように、獣臭いわけではない、何をするわけでもない。
ただ、周りにずっと居る、虫の群。
まさにゴキブリだ。
追い立てられるようにはしる、走る。
走っているのは少女だ。
セーラー服を着て、走っている。
少しも身体はぶれていない。
月も出ていない。
街の光は遥か遠く、雲は光を反射せず、ただまわりは暗い。
三叉路に、街灯が一つぽっかりと浮かんでいる。
まるで異界への入り口のよう。
その光に、一瞬、少女の美しいうりざね顔が浮かび上がったが、すぐにまた暗闇にまぎれ。
がさがさという音はただ少女の耳の奥で聞こえているのかもしれない。
聞こえていないかもしれない。彼女はありもしない音を聞いているだけかもしれない。
嫌、嘘。怖い。涙が出そうになる。怖い。助けて。お願い。
それを追い払うように、ぶるん、と、頭を振ると、2本の長い三つ編みが弧を描いた。
「さーゃん、さーちゃん……」
それは、そう呟く事は、小さい頃からのおまじないで、そしてもう既に、詛い(まじない)と呼ばれるものに変化している。
その証拠に、彼女の走るスピードは上がる。
「さーちゃん」
少女は走る。
もしかしたら、そう思って、足がなえそうになる自分を必死に叱咤する。
虫、虫が。
これまでずっと見ているだけだった虫が襲おうとしている。
黒くてぬめぬめと油光りする、生命力の強いあの虫より、もっと忌むべきその虫が。
これまで以上に不快な音を立てて、こちらに這い寄る。
気づけば先ほどまで街灯が殆どなかったのがまるで嘘のように、赤い光が等間隔に少女を照らすようになる。
雪洞だ。
いつの間にか、コンクリートの道は、白い石畳になっていた。
少女のローファーは、未だはいて日が浅いようで。
白い靴下の踵が赤く滲んで。
雪洞の中に入った蝋燭の炎がゆらゆらとゆれている。
少女の姿は、浮かんでは消え、浮かんでは消え。
そして浮かぶたびに、少女の表情も変わってゆく。
ある時は、どうにか絶頂を得ようとするときの、女のあのまるで、もどかしげな。
ただ、よろこんで死に逝く戦人のような。
或いは--