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巨狼と少女と王国と

クルミとチョコのビスコッティ

作者: 笛吹葉月

「いらっしゃいませー!」

 スポンジケーキのような淡い黄色の壁に、熟れた苺を思わせる赤い屋根。砂糖細工のように繊細な白い模様の入ったガラス扉を開けると、鈴の音に振り向いた小さな銀髪の女の子が、ショーケースの向こうから元気にご挨拶。

「いらっしゃいませ」

 その隣、笑顔で出迎えてくれるのは白いエプロン姿の、これまた年若い女性。栗色の髪をバンダナで留めて、一目でこの小さな店の主と分かります。

 つまり、ショーケースに並べられたお菓子達の、生みの親。


 疲れたとき。

 感謝を表したいとき。

 頑張ったとき。

 仲良くなりたいとき。

 気持ちを伝えたいとき、お菓子はちょっとだけ、手助けしてくれる。


 でも、このお店のお菓子は少し特別なんだそう。“魔法”がかかっているとか、いないとか――。


 まことしやかに囁かれるそんな噂を知ってか知らずか、ふわふわしたメレンゲみたいな笑顔で、今日も彼らはお客様を待っています。

 そして訪れるお客様というのも、少しばかり変わった人たち――失礼、“ひとたち”ばかり。




 噂を聞きつけて、お店を訪ねたのは三人の騎士。全員、カラスの紋章のついた銀の鎧を着ています。

「いらっしゃいませー!」

 ひょっこりと顔を出したのは銀髪の少女、スノーリ。王室付きの騎士の証である立派な剣を見ても物怖じしない少女に、青年らは一瞬たじろぎます。

 しかし王室というのは“彼らが住む世界の”王室なのです。そのことに思い至り、一人が動揺を隠すように咳払いをして、進み出ました。

「ここはどんな要望も叶えてくれる、魔法の菓子屋だと聞いた。本当だろうか?」

 背の高いの、中くらいの、低いの。滑稽なまでに凛と問いかけを発したのは大きいの。

 少女は騎士の言葉を聞いていたのかいないのか、よく似た顔立ちの三人を見比べて、

「きょうだいさん?」

「あ、ああ。我々は兄弟だ。さらに下に妹がひとりいる」

「いいなー」

 青い瞳を細めてにっと笑います。騎士らが戸惑っているうちに、「あら」と店主も顔を出しました。

「いらっしゃいませ! お待たせしてすみません」

 彼女の名前はミァン。仕込みでもしていたのか、鼻の頭に白い粉をつけたままふわりと笑った若い店主に、いちばん背の低い騎士が頬を染めます。

 長男騎士は軽く礼をひとつ。

「突然で申し訳ない。妹に菓子を贈りたいのだが、頼まれてはくれないだろうか?」

「もちろん、喜んで」

 ミァンもおどけてエプロンの裾をつまんで、それから、慣れない動作に気恥ずかしくなったのかはにかんで。

 隣で緊張する弟の気配を感じながら、次男騎士は小さく唸りました。この女性の笑顔を見ていると何だか、幼い頃に大好きだった、天日干しした毛布を思い出すなぁ……。

 そして、スノーリが三男騎士の様子に気付きました。ふさりと現れた銀色の“尻尾”を、客には見えないところでご機嫌にぱたぱた。

「その、私はこういったものに、あまり詳しくないのだが……」

 にまにまと悪戯心に胸躍らせる少女は視界の外、長男騎士は頬を掻きます。ショーケースに並んだ可愛らしいお菓子達。焼き菓子、ということはさすがにわかるのだが、逆にそれしかわからない。あれはビスケットだろうか? 上に乗った赤い飾りは果物? しかもそれらには値札なんてついていやしないのだから、なおのこと。

「ここでは目的にぴったりの魔法のお菓子を作っていただけると、伺いましたが」

 次男騎士がおずおずと訊ねます。

「魔法かどうかはわかりませんけど……でも、喜んでいただけるように、心を込めておいしいお菓子をお作りしますよ」

「おお、それはありがたい!」

「妹さん、お誕生日か何かですか?」

 どう見ても不器用そうな三兄弟に可笑しさをちょっぴりこらえつつ、ミァンはどんなお菓子を作ろうかと考え始めます。彼らの妹なら、きっと大事に育てられたのでしょう。

「俺達、妹にちゃんとお礼をしてなかったなって」

「お礼?」

 答えたのは三男騎士。

「はい。僕ら、実は昔、呪われてカラスにさせられていて。妹は、我々を助けるために三年間言葉を発しないでいてくれたんだ」

「カラス!」

 ひょこんと顔を出したスノーリの声に、騎士らは驚いて少女を見ました。その青い瞳は好奇心に輝いていましたが、何故か、それ以上にぎらりと光ったような……。

 宥めるように銀色の頭にぽすりと片手を置いて、ミァンは話の続きを促します。

「そ、それできちんとお礼をしたくて。妹は甘いものが好きだし」

「できたら、あまり飾り立てていない、素朴なお菓子がいいなと。我々は田舎の出身なもので」

「わかりました」

 早くも何か思いついたのか、にこにこ顔のミァン。

「また後で、受け取りにいらしてください。とびきりおいしいお菓子を用意しておきますね」

 どよめく三兄弟。では、お願いします、と店から出ようとした時に。

「あなたたちの鎧もきれいだけど――」

 スノーリはにやっと笑って言い放ったのでした。

「おとーさんの銀色がいちばんきれいよ。ね、“おかーさん”?」

 三男騎士が口をぽかんと開けたことは言うまでもありません。

「フラれたな」

「う、うるさいな」

 くくっと次男騎士は肩を震わせていました。



「スノーリ。お客様をからかっちゃダメじゃない」

「えへへー。だって楽しいんだもーん」

 はあ、と母親は嘆息。まったく、誰に似たのでしょう。

「……とにかく。今日はビスコッティを作るわよ」

「びすこってぃ?」

「固焼きのクッキーみたいなものかしら。紅茶や珈琲、ミルクにも合うわね」

「固くたって平気よ。あたしの歯の方が強いわ」

 スノーリはやや鋭い犬歯を「いーっ」と見せますが、彼女の父親に比べればまだまだ可愛らしいもの。本物の、月を追う巨狼の、牙の鋭さといったら! 人間の子供なんて一口で食べられそうに大きな口の中は、燃えるように真っ赤で、そこに鋭い牙が何本も並んでいるのですから。

「ふふ」

「なぁに、おかーさん」

「初めてお父さんと出会った時のことを思い出したのよ」

 森の奥で、銀色の狼と交わした小さな約束。半ば偶然迷い込んだちっぽけな人間に対して、聖なる狼は「大きくなったらまた会おう」と指切りをしてくれたのです。

「おとーさん、狼の時も、昔からかっこよかった?」

「また今度話してあげるわ。今はビスコッティ!」

「えーっ」

 むくれる娘を尻目に、次々と準備される材料の数々。

「あ、クルミだー!」

 スノーリの興味はすっかり好物に逸れたよう。ミァンはお菓子作りが好きですが、中でもいちばん得意なのはクルミのパイ。代々彼女の家に伝わるそのレシピは、秘密の秘密なのです。

「またパイ作ってよ!」

「はいはい。お父さんも好きだものね」

 ボウルに卵を入れて軽くとき、砂糖を加えて泡立て器で混ぜます。さらに菜種油を入れて混ぜ混ぜ。結構力の要る作業ですが、しっかりもったり泡立てることが大事です。

「スノーリ、クルミをオーブンに入れてくれる?」

「はぁーい!」

 天板に並べてクルミを炒ります。

 ここで交代。量っておいた粉をボウルに入れたら、混ぜるのはスノーリです。ミァンはというと、チョコレートを刻み始めます。いくら利口とはいえ、小さな娘に刃物を持たせたくはないもの。

 やがて香ばしい匂いが漂ってくるとクルミを取り出し、刻んだチョコレートと一緒にボウルへ投入し、ざっくりと混ぜ合わせます。

「これで生地は完成ね」

 それを天板にのせて楕円形に広げます。そして先程のオーブンの中へ。

「おっきいのね。これ一枚、全部?」

「後で切り分けて、二回焼くのよ。そうするととっても歯応えがあって、おいしくなるの」

「ふーん」

 その間にラッピングの用意。紙を切り取り、リボンの長さを測って……

 スノーリはというと、少しの間はオーブンの中をじぃっと見つめていましたが、生地が膨らんだり溶けたり、そんな大きな変化がないのを見て取ると、すぐにミァンの傍で作業を眺めることに決めたようです。またあの銀色の尻尾がぱたぱた。興味深そうにミァンの手元を見ています。

 やがて加熱終了のベルが鳴り、ふたりはいそいそとオーブンのところへ。蓋を開けると、熱気と一緒にふわぁっと香ばしい香りが立ち上りました。大判のクッキーが一枚、いえ、一塊、といったところでしょうか。

「いい匂い!」

「熱いから触っちゃだめよ?」

 そう言いながらもミァンはナイフと手袋を使って、器用に塊をスライスしていきます。ようやく、普通のクッキーと同じくらいの厚さです。ちょっと長細いけれど。

 切り口を上にして、もう一度オーブンの中へ。

「乾燥焼きさせます」

「そしたら、ざくざくになるのね!」

 待ちきれないといわんばかりに喉を鳴らすスノーリは、今度こそオーブンの前で待機することに決めたよう。

 時折横目で見てはその体勢が変わっていないことに苦笑し、ミァンも全ての紙を切り終えた頃。

「焼けたよ、おかーさんっ」

 さてさて粗熱をとるためにもう少し辛抱。それから、やっと、かぶりつけたビスコッティのおいしいことといったら!

 まだ温かく、中のチョコが溶け出して。ザクザクと噛むほどほっこりした味わいがあり、焼けたことで香ばしさを増したクルミの薫りが鼻に抜けるのです。

「おいしーい!」

 スノーリはすっかりご満悦。味見に一切れ口にしたミァンも、出来に納得、にっこりうなずきました。

「じゃ、包みましょう」

 紙で一本一本を丁寧にくるんで、細切りの紙をクッション材として入れた箱に詰め。蓋の上からリボンを可愛く結んでやれば、完成です。


 お店にやってきた騎士さん達、その出来上がりにすっかり大喜びです。

「ありがとう! これは、なんという菓子なのですか?」

 いくつか取っておいたものを渡せば、三人とも夢中で食べながらにっこり笑顔。

「ビスコッティ、と」

「ふむ! 素朴ながらも洗練された味わい、まさに我々の希望にぴったりだ!」

「飲み物が欲しくなりますな!」

 箱を大事に抱きかかえ、最後に彼らは丁寧にお辞儀をして店を去りました。

「噂は本当だったようだ。本当に、感謝する」

「いえいえ、喜んでくださってありがとうございます。また是非いらっしゃってくださいな」

「そうさせてもらうよ!」

 がしゃがしゃと銀色の鎧は夕日に照らされてとてもきれい。スノーリは「ばいばい」と店先で彼らに手を振ったのでした。


 彼らの妹さんが喜んでくれたかって? それは、言わずもがなでしょう。



 ショートケーキみたいな小さなお店、メレンゲみたいな笑顔の店主。それと、尻尾が生えているとかいう女の子。そして何よりおいしいお菓子。

 その後お店には、白雪の肌をしたお姫様に、カササギを連れた優男、ガラスの靴のお嬢様、犬猿雉を従えた若者と、色んなお客様が来たそうです。「七人の友達のためにリンゴのお菓子」をとか、「一年に一度しか会えない恋人にとびきりのプレゼントを」とか、果ては魔女や鬼にまで、伝えたい想いを混ぜ込んで、彼らは今日もお菓子を作るのです。


 あ、また扉についた鈴が鳴りましたよ。

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― 新着の感想 ―
[一言] お腹すいた… はじめまして。お菓子の家とか(作中では店ですが^^)って憧れなんですよね~ そんなことを思い出しながら、温かくほのぼのとさせて頂きました。楽しかったです。 ではでは
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