遭難者
結局その日は何事も起こらず、翌日。タマキは一人で町の外に出ていた。
「いい天気だな」
タマキはつぶやきながら、町から少し離れたところにある小さな山に登っていた。その山は大した高さではなかったが、木々はよく育っていて、生き物の雰囲気も豊富だった。
「こんなところで何をするつもりだ」
「いや、なんとなくな。まあ、災厄の痣っていうのを持ってる奴は追われてるみたいだから、素直に町とかには出てこないだろ」
「そうかもしれんな」
そんな調子でたまにサモンと会話しながら、タマキはほぼピクニックをしていたが、あるところで突然立ち止まった。
「どうした」
「近くに妙な気配があるな。行ってみるか」
タマキは方向転換して、早足で歩き出した。しばらく歩くと、木に寄りかかって座り込んでいる少女の姿が見えた。タマキはとりあえず黙ってそこに近づいていった、だが。
「うわああああああ!」
あまり大きいとは言えない人影がナイフを持って突進してきた。タマキは落ち着いてナイフを持った手を払ってから、その頭を手で押さえて、人影をよく観察する。それはまだ少年のようで、ちょうど座り込んでいる少女と同じくらいの年齢に見えた。
「とりあえず落ち着こうか」
そう言ってから、タマキは少年の頭から手を放して、今度は両手でその肩をつかんだ。
「なあ」
その言葉とタマキの普通の表情に少年は暴れるのをやめた。
「落ち着いたか?」
タマキが手を放すと、少年はよろよろと少女の側に行って、同じように座り込んでしまった。
「さて、お前達が何なのか、聞かせてもらおうかな」
そう言いながら、タマキは二人の前でしゃがんで目線を合わせた。少女は長い前髪の隙間からその姿を眺めているが、特に何の反応も示さない。少年は一つ息を吐き出してから口を開く。
「それより、あなたは?」
「俺はただの流れ者だよ。まあ、お前達がなんであっても特に何かするってことはないさ。だから安心していい」
少年はしばらくその言葉を咀嚼するように、黙ってうつむいていたが、数秒後、おもむろに顔を上げた。
「信じていいんですか」
「まあ、それはそっちで決めてくれ。俺は俺でやりたいようにやるだけだからな」
その言葉に再び少年は沈黙した。そして、今度は数分してから口を開いた。
「本当に信じていいんですか?」
「言っただろ、そうするかどうかはお前達次第だ」
「それなら」
今まで一言も発しなかった少女がそう言っていきなり立ち上がった。そしてその身体から黒い何かが立ち上る。
「私を止めてみせて」
「駄目だ!」
少年が制止しようとしたが、少女から発せられた力で弾き飛ばされてしまう。そして、少女から立ち上る黒い何かは、巨大な竜のようなシルエットをとった。
「さっきの気配はこいつか!」
タマキはそのシルエットから衝撃を受けながら大きく後ろに飛び退くと、右手を掲げた。
「今ここに混沌と破滅の使者を呼び起こす、現れろ! ドゥームデーモン!」
そして手を地面に叩きつけると同時に爆発が起こり、その中から黒ずくめの甲冑をまとったものが現れた。
「気合いれてけよ!」
タマキは自分のマントを外すと、それをドゥームデーモンに向かって放り投げる。ドゥームデーモンはそれをつかむと、すぐに装着した。
そこに間髪入れずに、少女から出た黒い竜のシルエットがその口から黒い炎を噴射した。それはドゥームデーモンが展開した魔法の盾で防ぐ。
「あいつを包むんだ! 長くは続かない」
タマキの言葉に応じ、ドゥームデーモンは魔法の盾をさらに大きく展開していき、黒い竜のシルエットを包み込むような形に変化していった。
そして、ドーム状になったその中で、しばらくの間黒い炎が吹き荒れていたが、それは徐々に勢いが弱まり、黒い竜のシルエットも消えてしまった。
少女はその場に崩れ落ち、少年がその身体を慌てて支えた。タマキはドゥームデーモンに手を伸ばしてマントを受け取ると、それを手に持ったまま二人に近づいていく。
タマキがその二人の近くに立った頃には、ドーム状になっていた魔法の盾もドゥームデーモンも消えていた。
「その子は大丈夫なのか」
タマキが聞くと、少年は恐る恐るという様子でタマキのことを見上げる。
「なにも、しないんですか?」
「まあ、少し驚いたけどな。それより場所を変えるぞ、さっきので誰か来るだろうからな」
それからタマキは少年が支えている少女の身体を持ち上げた。
「とりあえず行くぞ」
そのまま三人は数十分歩いた。山から下りた林の中でタマキは少女を降ろし、木に寄りかからせる。それから腰につけていた水筒を少年に差し出した。
「座って飲むといい」
そう言ってからタマキは少女の向かい側の地面に座った。少年もすぐに少女の隣に座って、水筒の水で口を潤した。
「ありがとうございます」
少年は水筒をタマキに返そうとしたが、タマキはそれを手で断ると少女に視線を向けた。
「その子が目を覚ましたら飲ませてやれよ。それより、お前達のことを聞かせてもらおうか。まあ、あんなものを見せられたら予想はついてるけどな」
少年はしばらく黙っていたが、何かを決意したような表情になった。それから少女の前髪を手で上げて、その額を露出させた。
そこには翼を広げた竜のような形の痣があった。
「やっぱりそうか、いかにも不完全であれだけの力だもんな。でも、よく俺に言う気になったじゃないか」
「あなたが彼女を売り飛ばしたりするような人には見えないので」
「そうか。それより、そろそろ自己紹介でもしようじゃないか。俺はタマキ、たんなる流れ者だ」
「僕はヒスク、彼女はリシカです。元々はフラウト皇国の田舎に住んでいたんですけど、リシカの額にこれが、災厄の痣が浮かんできてからは、周り全部が変わってしまって」
「それで、二人で放浪してるってわけか。その様子じゃ、よほど苦労したらしいな」
「はい」
ヒスクはうなずいて沈黙した。
「話すぎでしょ」
いつの、間にか目を覚ましていたリシカが小声で言った。
「リシカ! 大丈夫?」
ヒスクがすぐに移動して、リシカの肩に手を置く。リシカはうなずいてから、タマキを見た。
「それで、あたしをどうする気なの」
「どうもしないさ。まあとりあえず、まともなところで眠れるようにしてやるかな」
タマキは立ち上がり、リシカの目の前まで来てからしゃがむと、その額に手を置いた。リシカはあきらめたような様子でそれを受け入れている。数秒後、タマキは手を離して、元の位置に戻った。
「これは!?」
ヒスクは驚きの声をあげ、リシカの前髪を持ち上げてその額をよく見る。そこにはさっきまであったはずの竜の形の痣が全く見当たらなかった。
「なにをしたんですか?」
「簡単なおまじないみたいなもんだ。まあ数日は大丈夫だから安心していい。それより、ちょっとナイフかなんかを貸してくれ」
「あ、はい」
ヒスクが自分のナイフを差し出すと、タマキはそれを受け取ってリシカの横にまわった。
「この長い髪を切ってさっぱりしようか」
タマキは器用にリシカの長すぎる髪を切っていった。リシカはされるがままにしていたが、その表情はいままでよりも少しだけ明るくなっているようにも見えた。